部屋に男がひとり、倒れている。
そこは扉ばかりが多くある不思議な部屋だ。
扉の数は見渡せるものだけで数十になる。
それでいて、火の灯った燭台が壁にかけられている以外は特に何もないのだから、これでは何のためにある部屋なのかさっぱり分らない。
「うっ……ここは?」
男が目を覚まし起き上がった。
辺りに目を向けるが、部屋の異様さに顔を顰める。
「何だ、ここは? 私は戦場にいたはず…… 魔物たちが突然統制を無くし、その後……?」
「申し訳在りません…… 突然呼び寄せてしまって」
男は突然後ろからかかった声に驚き、急いで振り向く。
そこにいたのは男自身よりも少しばかり歳が上だろうことが窺える女性。
黒い髪を長く伸ばし、前髪だけを邪魔にならない程度の長さに切っている。綺麗な顔立ちなのだが、そこにある黒い瞳は人形のそれの様な無機質さを帯びている。
「……あなたは?」
女性の不思議な雰囲気に飲まれたのか、状況の異様さに似合わない間の抜けた問いかけをする男。しかし、女性はそんな男の問いには答えずに後を続けた。
「貴方には世界の管理者として生きて貰うことになります…… 細かい説明はあと一人が選ばれてからにしますが――」
「ちょっと待って下さい! 何を言っているのかよく理解が……」
男は、突然訳の分からないことを言う女性に待ったをかけ、質問を投げかけた。しかし、
「今は理解できなくても問題はありません。しばらくそのままでお待ち下さい」
女性は言うだけ言うと多くある扉のひとつを潜って消えた。
「な、何なんだ……?」
待てと言われはしたがこんな訳の分らない状況で黙って待っていることなどできない性分なのか、小さく呟いてから男は少しふらつく足取りで女性が消えた扉に近寄る。
その扉のノブに手をかけて開けようとするが……
「開かない……」
内側から鍵でもかけられたのか扉はびくりともしない。
とそこで、男はその扉の不自然さに気付いた。
「な、なんだ、これは…… じゃあ、あの人はどこへ?」
思わず声をあげる男。それも無理はない。
奇妙なことに、その扉は本当に扉だけだったのだ。つまり――先にあるはずの部屋らしき空間が見当たらないのである。実際、回り込めば直ぐに扉の反対側へ出ることができる。
この扉の状態ならば、女性は男の視界から消えるはずなどないはずだった。
しかし……女性の姿はどこにも見当たらない。
「夢……なのかもしれないな」
常識的な思考回路を持っていれば一番初めに辿り着くだろう結論に至る男。
しかし――
「違うよ〜。夢なんかじゃないって」
「!」
先の女性の時以上に驚く男。
というのも、先の女性はただ後ろから声をかけただけであったが、今回声をかけてきた者は男の目の前――何もないところから出現し、その上で声をかけたからだ。
その姿は幼い少女のそれなのだが……
「お前は何だ! 人間……ではないな! ――魔物か?」
「いやだなぁ、こぉんな可愛い娘を捕まえて魔物だなんて〜」
少女は無意味に一回転してから男に詰め寄る。
そして、先の女性とは違う生き生きとした漆黒の瞳で男を見詰める。
「あらぁ、うふふ。結構いい男じゃない。わたしも運がいいわ〜」
「は、離れろ! あんた……今突然現れたじゃないか! そんなこと人間に……人間にできるはずがない!」
嬉しそうにまとわり付く少女に怯えの色を帯びた瞳を向ける男。
そんな男に少女は残念そうな顔を向ける。
「ぶ〜、ひどいなぁ。そんなに怯えなくてもさぁ」
「お戯れはそのくらいになさったらどうです」
唇を尖らし不満を言う少女に声をかけたのは、先の女性だった。消えた時と同様に扉の一つを潜って現れる。その扉もまた、続く部屋は存在しない……
「あんたら……一体」
怯えの色を濃くして呟く男だったが、少女も女性もそれには応えなかった。
「あ、もう一人も来た?」
「ええ、こちらは女性でした」
女性が頷いて後方を指し示す。その先には、きょろきょろと辺りを見回す女がいた。
「そちらの方同様、まだ少し動揺していらっしゃいますが…… そろそろ説明を始めましょうか?」
「そうねぇ。早くしないとどっちの世界も消滅しちゃうかもしれないしぃ」
そのように、しばらくは内輪で話をしていた少女と女性。
しかし、男の様子がおかしいことに気付いて話を中断する。
いや、男だけではない。女性と共に扉を潜ってきた女もまた、その顔に驚きの色を張り付けて男を見ている。
「どうかしましたか?」
女性が男に瞳を向けて疑問を口にするが……男の視線は女へ釘付けになっている。かけられた言葉も届いていないのか、女性に対して答えが返されることはなかった。
「なぜ、君がこんな所に……?」
「貴方こそ……」
男女は驚きと嬉しさが入り混じった顔で見詰め合っていた。
どうやら知り合い……いやそれ以上の関係らしく、しばらくすると両者の顔は喜びのみで満たされていった。そして手を取り、再会を喜び合う。
しかし、少女と女性はそんな彼らを悲しそうな瞳で見詰める。
彼らの先にある未来を想って……
20年前、某所での出来事。
これこそが……全ての始まりだった。