第2章 Book Collector
友との出会い

 ミランダがゆっくりと瞳を開くと、驚愕の表情を浮かべたレスティアの姿があった。彼女の放った雷がミランダを貫くはずだったのだが、どうやら何かしらの要因で不発に終わったらしい。ミランダは生きている。
 レスティアの視線はミランダから遷移し、ミランダの右手にある木々へと向かう。
「どなたですの? 名も名乗らずに非常識ではございませんこと?」
 それを言ったら、ミランダも名乗っていない。加えて、クレイム、シーズ、レスティアからも正式な自己紹介は頂いていない。
 がさっ。
 落ち葉を踏みしめて姿を現したのは、黒髪の中年男性だった。苦笑を浮かべて頭をかいている。
「リリカちゃんのお父さん!」
 ぺこりと小さく会釈したのは、宿で惰眠を貪っているはずのカルデシア氏であった。
「魔法を人に向けてぶっ放すお嬢さんに常識を説かれるとはね。いやはや。俺が反雷の封魔符(マジックカード)で防がなかったら、そちらの方は大変な怪我を負っていたぞ」
 小さくごちてから、
「ミゲル=カルデシアという者だ。よろしく、お嬢さん」
 ミゲルは名乗った。
「おぉ、ミゲル!」
 そこで大きな声を上げたのは、クレバーだった。相変わらずシーズに拘束されていたが、瞳には希望の色が宿っていた。というのも、彼はミゲルと顔見知りであり、彼の経歴を知っていたからだ。
「やあ、偉大なる元王宮付き学者のクレバー先生。生涯独身のあんたに居るはずのない『お孫さん』が居るという噂を聞いて来てみれば、いやはや、ピンチそうじゃないか」
 ミゲルが口にした通り、クレバーは以前、王宮に勤める学者だった。そして、ミゲルは――
「ピンチ『そう』なのではない! ピンチなのだ! とっとと助けんか!」
 わめき散らされ、ミゲルは嘆息した。
「相も変わらず、小うるさい爺様だ――な!」
 だんッ!
 大きな音を響かせ、ミゲルが1歩を踏み出した。それと共に、彼は腰の大剣を素早く抜いて突き出す。
「――ッ!」
 突然のことにシーズは回避行動が遅れて、大きくバランスを崩す。
 その隙を見逃すこと無く、ミゲルはシーズの足を素早く払った。
「足下がお留守だよ、お坊ちゃん」
 シーズはみっともなく転がることこそなかったが、それでも堪らずよろめき、クレバーを放してしまう。
 すかさずミゲルはクレバーを引き寄せ、シーズやクレイムから遠ざけた。
 ざっ。
 一方で、体勢を立て直してシーズが素早い突きを数度繰り出すが、ミゲルはクレバーをかばいながらも軽快な足取りと剣さばきで全て難なくかわす。ミゲルとシーズには明らかに実力差があった。
 シーズが劣勢とみるや、レスティアはミゲルの死角で腕を持ち上げる。魔法を放とうと意識を集中し――
「手を下ろして!」
 ミランダがレスティアへと短剣を向け、レスティアを牽制した。
 舌打ちをしてレスティアは腕を下ろす。
「……元王宮騎士団長であり、現在はマグナカルタ警邏隊本部長であるミゲル=カルデシア。これは相手が悪いですね」
 シーズが攻撃の手を止めた頃、クレイムが淡々とした口調で言った。
 ミゲルはひゅーっと口笛を吹き、眉を持ち上げて見せた。
「物知りだねぇ。どこかでお目にかかったかな?」
 疑問を呈し、ミゲルは大剣をクレイムへ突きつける。
 クレイムは小さく笑んだ。
「警邏隊は王侯貴族に手を出せないはずですね?」
「それがどうした?」
 尋ねられると、クレイムは首に掛けられたペンダントを手に取り、服の中から取りだして見せた。ペンダントには、竜と獅子と剣が彫られていた。
「ラトワイズ王家の紋章!?」
「……ふぅん。こりゃまた」
 驚愕の声を上げたのはミランダだ。
 一方で、ミゲルは単に肩をすくめて意地悪く笑うのみである。それでも、クレイムへ向けていた大剣を下ろした。
「俺と爺さんが知らないんだ。表舞台に出られないような出自かな? 王子殿下」
「継承権39位。陛下の末の弟の第6子。その上、愛人の子、いわゆる庶子です。クレイム=ギル=ダ=ラトワイズと申します」
 恭しく頭を下げたクレイムは、確かに育ちの良さを感じさせる。
「ミゲルさん。私たちの目的はそもそも人殺しではありません。ただ、1冊の本をいただきたいだけなのです」
 そう口にして、彼は視線を地面に横たわっているリリカへ向けた。彼女の傍らには『花咲く竜の国』が在った。
 ミゲルは小首を傾げ、大剣を下ろした。
「なんだ。それならば争う必要もあるまい。爺さんもケチだな。本くらいくれてやれよ」
「なッ! ふざけるなッ! 駄目に決まっておろう!」
 クレバーが目をつり上げ、ミゲルを怒鳴りつける。
 ミゲルは五月蠅そうに耳を塞ぎ、嘆息して見せた。彼にしてみれば、たかが本1冊を巡って切った張ったの大立ち回りを演じている面々が信じられなかった。当然ながら、クレイムたちへの警戒心も薄れた。
 その隙をつき、シーズが素早く移動した。目的の本に手を伸ばし――
 たッ!
 本を影が攫った。リリカが突然立ち上がり、駆けだしたのだ。
「この本は渡さないもん!」
 声が森に木霊する。
 シーズは突然のことに戸惑いこそしたが、直ぐにリリカを追いかける。
 するともう1つ、影が動き出した。
「ラディくん!」
「ミラさん! ノート!」
 声をかけられ、ミランダは懐からノートを取り出した。手を伸ばすラディアムへと渡し、そうしてから、ラディアムに渡してもどうしようもないのでは、というそもそもの疑問を抱く。
 しかし――
 かッ。
 ラディアムは木陰に入った隙に力を発揮し、誰に見とがめられることもなく風の封魔符を取り出した。そうして、封魔符の力を解き放って、シーズへ向けて暴風を放つ。
 風がうねり、木々を軋ませた。そして、人の子をたやすく吹き飛ばす。
 ぶんッ!
「ぐあっ!!」
 木に背を打ち付け、シーズは息を詰まらせる。げほげほと咳をして、地面に倒れ込んだ。
 その光景を瞳に映し、ミランダは絶句した。
(エリシットスキル……? ラディくんはインサイド使いのはず。ということは――)
 寸の間、ミランダが呆けた。
 すると、レスティアが動く。ミランダに向けられていた短剣をはたき落とし、雷を解き放った。
「ル・トネール・グランドゥ!」
 閃光が走り抜け、リリカの向かう先を吹き飛ばした。地面は大きくえぐれ、木々がずしんと倒れる。土塊や木屑が視界を覆い、リリカは顔を腕で覆ってしゃがみ込んだ。その際に、本を取り落としてしまった。雷の生み出す衝撃波が本をさらう。
 本は地面にばさりと落ち、それを目指してレスティアが駆け出す。
 リリカもまたはっと息をのみ、急ぎ駆け出すが、位置関係からいって、本がレスティアの手に落ちるのは間違いない。
(こんなことまでしてあの本を手に入れようとするなんて…… この人たちには絶対に渡しちゃいけない……!)
 しかし、このままでは本は彼らのものとなる。そうなれば、ゴルバラードが愛した花は、ルージュが夢見た『今』は、どうなってしまうだろう? 考えるまでもない。
 きッ!
 目つきを鋭くして、リリカは腕を前につきだした。少ないながらも魔力が集い、そして――
「トネール・カルラ!!」
 学校の図書にて独学で得た短縮詠唱学の知識。それにより生じた小さな小さな雷。レスティアが生み出した雷に比べ、威力は小さい。しかし、リリカの目的を達成するためには、充分な力であった。
 じゅっ。ぼお!
 雷が紙に焦げあとをつけ、続けて、炎を灯した。
 レスティアが焦った様子で急ぎ詠唱を口にする。しかし、彼女が水魔法を解き放つよりも早く、魔書は――『花咲く竜の国』は灰燼と化した。風に攫われ、さらさらと飛んでゆく。
(ごめん、ゴルバラード。もう会いに行けないや)
 リリカは哀しそうに瞳を伏せた。

 魔書が燃え尽き、誰もが思考を停止した。そんな中、いち早く考える力を取り戻した者が憎悪に震える。
 ギリっ!
 レスティアは強く歯がみをし、魔力を高めて手の平に怪しい光を集わせる。
 そして――
「やめなさい、レスティア。目的の魔書は消え去りました。これ以上の争いは無益です」
 クレイムが言って、踵を返した。
 レスティアは納得できない様子を見せたが、それでも直ぐに臨戦態勢を解き、クレイムの後を追おうと急ぐ。
 シーズもまた同様に、剣を腰に治めて歩みを進めた。
「お邪魔いたしました、皆さん。……ミゲルさん。このことはご内密に」
 3名は皆から離れた位置に集う。すると、レスティアが何事か呟き、それに伴って、しゅっと消え去った。
 あとには、呆然と座り込む面々が残される。
「ふむ。転送魔法とは…… あんな上級魔法を習得できる人間なんぞ限られてくる。あのお嬢さんもどっかの王族か貴族だな。剣士風の坊ちゃんの太刀筋は西の国の王宮剣術。いいとこの坊ちゃん嬢ちゃんのちょっとした火遊びってとこか?」
 ひとり余裕の表情で佇み、ミゲルが呟いた。
「お父さん! 『ちょっとした火遊び』って、私、結構酷い目にあったんだけど!?」
「あの変な本を持ち逃げしようとするからだろ。大人しく渡せばいいものを。結局焼いてるし。何がしたいんだお前」
「お・と・う・さ・んんんん!」
「うげ。苦し…… やめ……」
 事情もよくわからずに好き勝手言いやがって、とばかりに、父親の首を絞めるリリカ。
 ミゲルは目を白黒させながら、苦しそうに文句を紡いだ。
 他の面々は苦笑してその光景を瞳に映し、ほっとひと息つく。
 そんな中、一同を見渡せる位置の木陰で影が動く。影は何事か呟き、その後、消えた。

 ブックマン家。本家筋の住まうアデウス棟の自室にて、ラケシス=ブックマンは書類仕事をしていた。すると、部屋の隅に魔力が集い始める。魔はようよう収束し、しゅっという音と共に人間を出現させた。
「お帰りなさい。ザッファード=ブックマン。貴方が戻ったということは……」
「新入りたちはめでたく魔書を焼いたぜ。ま、焼いたのは奴らと行動を共にしてた嬢ちゃんだったがね」
 声をかえられたザッファードは、赤茶けた髪をかきあげ、にやりと笑った。
 ザッファード=ブックマン。今年で30歳になる割には落ち着きがない、と定評のある男である。ラディアムと同様にインサイドスキルを得意としている。
「なるほど。それで、貴方はどう判断しますか?」
「まだまだ、だな。そもそも、関係ない奴らを魔書と関わらせすぎだ。詠み人に関してはバレなかったし任務自体は完遂したが、決して満点とはいえねぇ出来さ。あの女、ミランダだったか。あいつはもっと戦闘技術をどうにかしないといけねぇぞ。ひととおり教育課程は終えてるんだろ? それであれじゃあ、これから苦労するだろ。ま、ラディアムとかいうガキは、まだまだこれから学校で習うんだからいいだろうがね」
 ザッファードのその言葉を耳にすると、ラケシスは口の端を小さく上げた。
「では――」
「ああ。合格点はやろう。頑固なジジイやババアどもにも俺から言っといてやるよ。学校くらい行かせてやれ」
 彼は新緑の書庫に置いてあった、魔書ではない『花咲く竜の国』にインサイドして、ラディアムたちの様子を観察していた。ラディアムは、本の登場人物であるゴルバラードやルージュ姫と関わり過ぎた節はあるものの、それでも、本を通して歴史を変えてしまわないように気を配っていた。幼いながら分別のある行動を取っていたのは間違いない。
「感謝しますよ、ザッファード」
 深く頭をさげるラケシスを瞳に映し、ザッファードは苦笑する。
「お姫さんに頭を下げられると気持ち悪ぃな。……と、それよりよぉ。本狩り(コレクター)が居たぜ」
 ぴくっ。
 ザッファードの言葉に、ラケシスは眉を潜めた。
「本狩りとはまた穏やかではありませんね」
「まあ、いいとこの坊ちゃん嬢ちゃんしかいなかったがね。クレイム王子殿下と、西の国のシーズ第7王子、そして、あのルーン家の流れを汲むルナティック家次女レスティア。なかなか面白い奴らが揃ってたな」
 ふぅ。
 ラケシスが嘆息して頭を抱えた。
「奴らのコネクションだけには感心しますよ。資金源に困らないでしょうね」
「羨ましいねぇ」
 くっくっくっと笑い、ザッファードが言った。

 次の日の朝、ラディアムとリリカは変わらず新緑の書庫に居た。昨日とは違い、彼らとクレバー以外には誰も居ない。静かな時が流れていた。幽かに聞こえる小鳥のさえずりや木々のざわめく音と共に、風の音も耳をつく。そんな中、彼らは各々好きな本に集中していた。
 その時、カツカツと足音が響く。某かは階段を上り、廊下を歩み、扉に手をかける。
 ぎぃ。
「お前さんら。昼はどうする?」
 クレバーが姿を見せた。いつの間にやらお昼ご飯の時間になっていたらしい。
「んー。宿に戻ると時間かかるし、食べないつもりだったけど」
 リリカが応える。後ろでラディアムも頷いていた。
 ふぅ。
 クレバーは苦笑して息をつく。
「儂もよく寝食を惜しんで本を読むが、君らは儂のような老いぼれと違い成長期じゃ。ご飯くらいは食べなさい」
 そう口にして、彼は握り飯を持って来た。綺麗な三角形に握られたご飯は、朝から何も食べていないラディアムたちには宝石のように見えた。
 ぐぅ。
 思わずお腹が鳴る。
「ほれ。腹は減っているんじゃろう?」
「う…… でも、いいの?」
「子供が遠慮しなさんな。昨日の礼もあるしの」
 クレバーはそう言って、自身もお握りを手に取った。ぱくりと口にして、もぐもぐ咀嚼する。
 ラディアムとリリカは顔を見合わせて頷きあい、遠慮なく頂くことにした。
「いただきます」
「いただきまーす。あ、そうだ。昨日といえば、ごめんなさい。本燃やしちゃって」
 瞳を落とし、リリカが謝罪した。
 しかし、クレバーは気にした風もなく笑っている。
「それこそ気にしなさるな。あれでよかったんじゃよ。ああいう輩はろくな事をせん。本の結末を変えかねん。薔薇姫様の気高い理想が守られたのじゃから、感謝こそすれば、文句などないわい」
 優しく微笑み、クレバーが言う。
 そんな彼の表情を瞳に映して、リリカはにやにやと笑った。
「クレバーさん、薔薇姫様が『好き』なんだね−」
 ぶっと米粒を口から吹き、クレバーは顔を赤らめた。
「な、何じゃその含みのある言い方は!」
「べっつにー」
 からからと笑い、リリカは握り飯を口にする。
 その隣でラディアムもまた握り飯を食し、苦笑いしていた。
「あれ?」
 と、彼はクレバーが握り飯と一緒に持って来たものに気づいて、声を上げた。それは本が2冊。
 クレバーはラディアムの視線に気づいて、にやりと笑う。
「ああ。これは君たちにプレゼントじゃよ。まだ何冊かあるでな。こちらも遠慮は無用じゃ」
 そう言って彼は『花咲く竜の国』を2冊、渡してよこした。
 絵本といえども、本は高価なものだ。ブックマン家ならばともかく、カルデシア家には本など1冊としてない。リリカにとって本は、図書館で読むものなのだ。
 当然ながら、リリカは目を見はった。
「え! でも……」
「いいんじゃよ。それに、ゴルバラードや薔薇姫様も、またお前さんらと会いたいと思っておるはずじゃしの」
 クレバーの言葉に、リリカは息をのんだ。魔書である『花咲く竜の国』を燃やしたことで、彼女はゴルバラードやルージュと会えなくなったと思っていた。しかし――
 すっ。
 素直に絵本を受け取り、リリカはその表紙を眺める。そして、ゆっくりとページを開く。
『大事なのは俺がここに居て、君たちがここに居ること。再び友と出会えたことさ』
 そう言っていた友の顔を思い出して、リリカは微笑んだ。
 窓からそよ風が舞い込み、桃色の花びらをふわりと運ぶ。
「久しぶり。ゴルバラード」
 彼らはまた出会った。