気がつくと、ラディアムとリリカは豪奢な建物の中に居た。長い長い廊下の左右には、大理石の大きな柱が並んでいる。
リリカは戸惑った。先程まで、ゴルバラードやルージュと共に町中に居たはずである。にもかかわらず、突然の場面転換。どういうことだろう、と思案し、ようよう思いつく。
「そっか。本の中の場面が変わったんだ」
「うん。途中、大きな戦争のページがあったから、そこは飛ばしたよ。現ラトワイズ国南方を統一した戦争。俗に言う南部統一戦争だね。ここはゴルバラードと薔薇姫様がその戦争の結果建てた新制ランタス国の中心都市、ゲーダの宮殿」
あっさりとした口調で、ラディアムが言った。
そこでリリカが不満げに口を挟む。未だ彼に腹を立てているのか、口調はきつい。
「ページを飛ばしたって何よ? 順番に読めばいいじゃない」
そう口にしつつ、そもそもなぜページを飛ばせるのだろう、などという疑問もリリカは抱いた。ゆえに、更に言葉を重ねようとした、その時――
「るーじゅさまぁ。このきはなんのきなの?」
「みたことないよねー」
外から子供の声が響いた。
ラディアムとリリカが揃って窓辺に寄る。するとそこには、小さな子供が多数と、ルージュ=アルカ=ランタスの姿があった。ルージュは先程目にした時よりも数年ほど歳を重ねているようだ。
「サクラというのですよ。わたくしが1番好きなお花が咲く、とても素敵な木なの。本来はここのような暑い地では育たないのですが、品種改良という技術を試みて……」
「おはなすき! どんなはな?」
小難しい説明には興味がないのか。ルージュの長い説明を遮り、少女が無邪気に尋ねた。
ルージュは微笑み、言葉を続ける。
「小さな薄桃色の花びらが、大きな木を満面に彩るの。暖かくなる頃合いに開花して、皆の心を元気づけてくれる素晴らしいお花ですよ」
子供たちの間から歓声が漏れる。
そんな幼子たちをニコニコと見つめつつ、ルージュは土作業を続ける。
ばさっ! ばさっ!
その時、空より大きな影が下り来た。
「あ! ごるばらーどさまだ!」
わああぁあ!
一層高い歓声が響き渡り、子供たちは笑顔でぶんぶんと手を振る。
それに応えるように、大きな影――竜は旋回してから地上を目指した。ルージュたちが居るところからは離れた地点にゆっくりと着地する。そして、すぅっと小さな影に変じた。
子供たちは嬉しそうに駆け出す。
残されたルージュはぱちくりと瞳を瞬かせる。
「ふぅ。皆、花よりもゴルバラード様ですか」
やれやれと息をついたルージュは、しかし、嬉しそうにくすりと笑った。
「東方諸国は南方の有力国家ピストルークと親交条約を結んだようだ。我らを挟撃する気であろうな」
会議の場でゴルバラードは淡々と、なんでもないように、そう報告した。
しかし、彼の言葉による動揺の広がりは著しいものであった。
「ピストルークといえば南方随一の軍事国家…… やっかいなことになりましたね」
円卓に肘をついて頭を抱え、ルージュが零した。
会議の場に集った皆もまた、沈痛な面持ちで下を向く。
しかし、報告をした当の竜はあっけらかんとした表情だ。
「なぁに。そうでもないだろう。ピストルークが軍を動かすようなら俺が抑え、君らは東を叩けばいい。東はここ数年の戦いで疲弊が著しい。どうにかなるさ」
世間話をするようなトーンで言い切ったゴルバラード。
その頼もしい言葉に、多くの者は希望を見いだした。しかし、当の姫君が異を唱えた。
「何を仰いますか、ゴルバラード様! いくら竜たる貴方でも、1国の軍隊の全攻勢を抑えるなど……! 無謀です!」
鋭い視線を携え、ルージュは言い切った。
嘆息して、ゴルバラードはぽりぽりと頬をかく。
「信用がないね」
「信用の問題ではありません。仲間として心配なのです」
言い切った姫君に、ゴルバラードは苦笑した。困った方だ、と。
「嬉しいが、他にどうしようもあるまい。東を攻めている間に南から攻められれば多大な犠牲を出そう。かといって、我らに戦力を2分する余裕があるか?」
「それは……」
悔しいかな、ゴルバラードの意見は的を射ていた。東が長い戦いにより疲弊しているのと同様に、ルージュたち新制ランタス国の民もまた疲弊している。
沈黙が会議室に落ち、ゴルバラードは嘆息して踵を返す。
「どこへ?」
「外の空気を吸ってくる。考えてみてくれ」
ひらひらと手を振り、竜は出て行った。
宮殿の廊下を歩み、ゴルバラードは中庭へと出た。中央に在る泉からは、透き通った青い水が勢いよく噴き出している。日差しの強い午後の暑い空気が、幾分和らいだように感じる。
「さて。どんなご用かな?」
そこで、ゴルバラードは呟いた。
柱の陰に隠れていた者はびくりと肩を跳ね上げ、しかし、素直に姿を現す。
「……軍隊を抑えるのって大変なの?」
「おや? リリカじゃないか。そちらはランドルだったか? 君らが突然に姿を消したのはもう何年前だろうね」
少しだけ驚いたように目を見開いたが、ゴルバラードは直ぐさま何でも無い風にカラリと笑い、言った。数年ぶりに見かけた人間が全く年をとっていないというのに、気にした風もない。
「何も聞かないんだ?」
「君らが人か否か。今までどこに居たのか。そういったことかね? いずれも大した問題ではないよ。大事なのは俺がここに居て、君たちがここに居ること。再び友と出会えたことさ」
リリカは胸がいっぱいになった。それでいて、ゴルバラードのことが心配になった。
ゴルバラードがピストルークの軍勢をやっつける話は、花咲く竜の国において1行で終わるエピソードである。しかし、先程の薔薇姫の反応を窺う限り、そのように簡単に済むことではないらしい。
「人は年々賢しくなる。竜の強靱な肉体と絶対的な攻撃力。その程度では太刀打ちできない時代となってきた。それは事実だな」
苦笑する竜は、どこか寂しそうだった。
人は竜を効率よく殺すための力を身につけた。本来であれば必要の無かった力だ。
「……ごめん」
「なぜリリカが謝る? ランドルも泣きそうな顔をしなさんな。遅かれ早かれこうなる運命だったさ。世界に人が居て、竜が居る限りな」
ゴルバラードがそう言い切ったこと。その事実がなおさらリリカとラディアムを哀しくさせた。
「とはいえ、俺も大人しくやられんよ。せめて此度の戦いは勝つさ。俺の――いや。俺たちの大切なサクラを守るため。夢のためにね」
新制ランタス国はサクラの苗木を多数抱えている。ルージュが東との戦争に先駆けて、何よりもまず集めさせたのだ。戦争により東の山のサクラは多くが犠牲となる。それでも、いつかはまた心穏やかな景色がよみがえるようにと、そう夢見て。
「リリカ。かつて君の言ったとおりだ。ルージュはサクラを愛している。この国の民の多くもね。このところは、この暑い地でも育つサクラを生み出そうとまでしているよ。俺が愛したものは永遠に残るだろう」
永遠などというものはこの世にない。それは全てのモノに共通する運命だ。そのことはゴルバラードも承知している。
それでも、彼は愚かな夢を信じた。薔薇姫と、人と共に歩んだ時間が、竜に幽かな希望を信じさせた。
ふっ。
「どうしたの?」
突然に小さく笑ったゴルバラードを目にし、リリカが首を傾げた。
「いやなに。人に感化されたかな、とね。運命を受け入れず、サクラの永遠を望むなど。我ながらおかしいな」
「おかしくなんて、ないです」
ラディアムがきっぱりと言った。瞳は真摯な光を灯し、真っ直ぐ前を向いている。
ゴルバラードは瞠目し、そして、笑った。
「そうか。ありがとう」
ゴルバラードはピストルークの軍勢を見事抑え、新制ランタス国は東の地を支配した。そうして、新制ランタス国はかつての領土よりも遥かに広い土地を治めるに至った。
鬨が大地を駆け抜け、新たな歴史が始まった。
ミランダとクレバーは、それぞれリリカとラディアムを抱えて、新緑の書庫の隠し通路を歩んでいた。
「どこへ続いているのですか?」
「森の中じゃよ。遊び心で作った隠し通路が役に立つとは思わなんだ」
クレイム一派がクレバーを隔離していたのは、5階の部屋の1つだった。その部屋は珍しく本を置いていなく、雑多な物置として使われていた。その物置の一画、物が溢れる床を持ち上げると、下へと続く階段があったのだ。
階段を下りきると通路が真っ直ぐ続いていた。ミランダたちはその通路を既に500メートルは歩いている。
「そろそろ出口じゃ」
クレバーの視線の先では、細い光の筋が天井から漏れ出ていた。外界に溢れる陽の光が、地下の闇を振り払おうと躍起になっているようだ。
「これからどうしましょうか?」
「トゥーダには警邏隊の駐屯地すらない。マグナカルタへ向かうしかあるまいな」
警邏隊というのは、王宮からある一定の権限を与えられて活動している組織であり、市井のもめ事を取り締まる立場にある。王侯貴族が事件を起こした場合でもない限りは、彼らが全権を得て捜査を取り仕切る。
「マグナカルタならば懇意にしている隊員もおることじゃしな」
クレバーのその言葉を耳にして、ミランダはほっと胸をなで下ろした。クレバーに任せておけばつつがなくことが納まりそうだ、と考えて、すっかり安心したようである。
ラディアムに比べてミランダの方が年長であるため、彼女はトゥーダ村に来てから気負っていた。しかし、現在の状態は彼女の器量の度合いを超えてしまっていた。どうしたものかと、内心焦っていたのだ。しかし、その重荷からもどうやら解放されそうである。
(情けないけどね)
苦笑した彼女は、ようよう光の漏れ出る箇所へ到達した。
「ちょいとどいてくれんか」
声をかけられ、ミランダは土の壁際へ寄った。
すると、クレバーが彼女とは反対側へ移動して、壁にあるレバーを引く。ぎぎぎ、と天井が開き、陽光が惜しみなく降り注いだ。更には階段がすーっと地下へ下りてきた。
場に魔力を定着させておいて、簡単な操作で特定の効果を生む魔法が世の中にはある。今クレバーがやってみせたのも、その一種だろう。
まずはクレバーがラディアムと共に地上を目指し、続けてミランダがリリカを抱えてゆっくりとした歩調で上る。
地下の暗がりに慣れた目には、天から降り来る陽光は刺激が強すぎた。ミランダは顔を顰めて俯き、そうしてしばし待ち、もう慣れたと思った頃合いに顔を上げる。そして――
「こんにちは。ミラージュ=アンダーソンさん。さあ、本を渡していただけますか?」
光の中には、クレイム、シーズ、レスティアが居た。
ゲーダの宮殿。その1室にて、ルージュ女王と国の重鎮たちが話しあっていた。重鎮たちは声を潜め、しかし、反対にルージュは声を荒げる。
「貴方がたは何を言っているのか分かっているのですかッ!」
「……声が大きいですぞ、女王様。ゴルバラード様に聞かれたら如何いたします」
1人の言葉を耳にし、ルージュは顔を顰める。
「いっそお聞かせすればよいのです! 人が――我らが如何に恩知らずな生き物であるか!」
叫び、集った者たちを睨み付けるルージュ。
幾名かは気まずそうに目をそらすが、主要な老人たちは真面目くさった顔で首を振る。
「竜は脅威。数年前の東方侵攻戦の折に、それは周知の事実となりました。対竜装備で挑んだピストルーク軍隊を、ゴルバラード様は苦戦しながらも撃退した。新制ランタス国は脅威を飼う国として、近隣諸国から警戒されている。女王様もご承知のことかと」
重々しい言葉に、ルージュは口を閉ざす。それは、曲げることの出来ない事実だった。
「我らはそもそも軍事力のある国ではございません。加えて、いつかはゴルバラード様も他国の軍事力の前に敗れる時が来ましょう。なれば、いらぬ戦渦は避けねばならぬかと」
「……ですが、だからといってゴルバラード様を追放するなど」
がたっ!
部屋の奥から物音が響いた。皆がそちらへ注目する。
1人がそちらへゆっくりと歩み寄り、棚の上の小物が落ちているのを見つけた。なぜ落ちたのだろう、と首を傾げ、その者はそっと小物を戻した。そして、話し合いの場へと戻る。
やりとりが再会した。
「そも、かの者は竜ですぞ。我らの友たる人を追い立てようというのではございません。単に、人語を解するだけのトカゲ。何を迷うご必要が――」
「ゴルバラード様は友――わたくしどもの仲間です!」
瞳を鋭くして叫んだルージュへ冷めた視線を向け、先の発言をした者が嘆息する。そうして、コホンと咳払いをし、
「冷静に現状を分析なさいませ。女王様。さあ、ご決断を」
選択を迫った。
宮殿の屋根に腰掛け、リリカはぼーっとしていた。
ゴルバランタス国の建国神話の概要は知っていた。しかし、実際に見聞きしてみると、何とも心に重くのしかかる展開であった。
「どうにかできないのかな……? 私、ゴルバラードを救いたい」
「……リ、リリカ。それは、駄目だと思う」
「なんでよ! ねえ、ランドルは……平気なの?」
このままゴルバラードが追い立てられる結果になったとして、平気でいられる者などいようはずがない。けれど――
「僕らが望まない悲劇も含めて、運命や未来なんじゃないかな……」
強い意志を感じさせるまなざし。
リリカは頬を膨らませて黙り込む。彼女は眼下へと瞳を向け、中庭で子供と遊ぶ竜の姿を見つけた。
「――そんな言葉で、片付けたくないよ」
呟いた言葉は小さく、突如吹いた風に攫われて消えた。
ラディアムとリリカはこの先の顛末を知っている。ルージュがゴルバラードを追放し、ゴルバラードは怒り暴れ、そして倒され、行方知れずとなる。その時が、今やって来たのだ。
「竜ゴルバラードよ。これまでの働き、ご苦労でした。しかし、新制ランタス国に最早貴方の力は……」
謁見の間にゴルバラードを呼び出したルージュが口上を述べた。表情は暗い。しかし、迷い無く前を見て、視線を竜から逸らさない。
国に住まう全ての人々が戦渦を避けて平穏に暮らすには、いらぬ諍いの種をまく存在は除外するべきだと、断腸の思いで決断したのだろう。そして、決意した以上、その決定からは目を逸らさない。その覚悟を決めたのだ。
彼女の視線を真っ向から受け止め、ゴルバラードは一瞬、ほんの一瞬だけ、笑った。
その刹那、彼の姿がルージュの目の前へ、すうっと移動した。一瞬の出来事であった。
そして――
「信じている」
口の動きを遠目で見たラディアムには、ゴルバラードがそう言ったように思えた。
その後、彼はルージュを腕に抱え、竜の姿へと戻った。謁見の間は崩れ、がれきが床を抜けて階下へ落ちていく。
悲鳴と怒号が響く中、ゴルバラードはバッサバッサと翼で羽ばたき、空へと飛び立った。宮殿の上空を旋回し、それから、町の広場へと降り立って、空気を震わす咆哮を上げた。
ぐああああああぁあああぁああぁああ!
都市ゲーダを恐ろしい声がかけぬけ、住民は皆逃げ惑った。
「歩兵隊、前へ!」
ざっ!
宮殿から飛び出してきた軍隊が、綺麗に整列してゴルバラードを取り囲んだ。その数は100。さすがに多勢に無勢かと思いきや――
ばさッ! ばさッ!
竜が激しく羽ばたくと、兵隊の多くは吹き飛ばされた。残った者も竜の尾がぶんっとうねり、吹き飛ばされる。
未だゴルバラードに抱えられているルージュは、民が恐怖で逃げ惑い、兵が圧倒的な力で殲滅されるその光景に唇を強く噛む。竜が不本意な役を買って出て『理由』をくれたのだ。彼女は――覚悟を決めた。
ざしゅっ!
ぐおおおおおおぉおぉお!
ルージュは隠し持っていた短剣で、ゴルバラードの右手を深く刺した。
ゴルバラードは堪らず、ルージュを抱えていた腕を放す。
とっ。
「魔法師団、出撃!!」
地面に降り立ったルージュは急いで広間の中央へ向かい、町中へ響くような大声で叫んだ。
ルージュ=アルカ=ランタス女王直属の魔法師団は宮殿を離れないのが基本だが、女王の命令があれば即座に転送魔法で出撃する。
ひゅっ。
厳つい顔の軍人たちが瞬時に現れ、ゴルバラードへ真鍮製の杖を掲げた。その数は50を超える。
「第1隊、捕縛魔法! 打て!」
『ア・レ・カチ・ストゥル・モアレ!』
キィンっ!
高い音が響き、ゴルバラードを光の鎖が絡め取る。
続いて――
「第2、3、4隊、竜迎撃魔法、一斉放射!!」
『カル・ロード・モアレ・ザーダ・ミッフェ……』
長い詠唱が数十名の魔法師団員によってなされ、ゲーダの町を破壊の言霊が駆け抜ける。竜の抵抗のいななきと、詠唱の声だけが数分ほど響き、唐突に静かになる。
そうして、その時が来た。
『バズ・ダ・ミア・エヌム・ゴルダ・ドラーナ!!』
光が一斉に放射され、視界を奪った。
そうして数分経ち、人の瞳はようよう機能を取り戻した。そこで彼らが見た光景は――
その後、新制ランタス国はゴルバランタス国を名乗り、最後の竜と共に歩み、最後の竜を屠った国として歴史に名を刻んだ。かの国では長い歴史の中で、右手に傷のついた竜の姿が幾度か目撃され、語られてきたが、いずれも噂話の域を出ないという。
クレバーはシーズに捕らえられ、がっしりと押さえ込まれていた。そして、ラディアムは地に転がっている。
ミランダも他人事ではない。彼女から本を奪おうと、レスティアがじりじりと歩み寄ってくる。
(どうしよう…… 転送魔法の封魔符(マジックカード)はもうないし、何より、ラディくんとクレバーさんを置いては逃げられない……)
現在ミランダが所有しているアイテムは、封魔符数点と短剣である。エリシットスキルで更に何かを取り出すことは可能だが、詠み人の能力をクレイム一派やクレバーに見とがめられることは是が非でも避けたい。クレバーはともかくとして、クレイム一派に能力を知られたら、悪事に利用されそうだ。
(この女の人は魔法使いだろうし、ここは短剣で……)
覚悟を決めて、ミランダは一度しゃがみ込む。リリカを抱えたままでは勝てる勝負も勝てない。彼女を地面に寝かせて、すっと立ち上がった。
「あら。抵抗なさるのかしら? では……」
びりッ!
レスティアの腕が帯電した。詠唱をせずとも、魔力を集めただけであのように雷の片鱗を招来せしめるのは、彼女が上位の魔法使いである証左だ。
(短剣で押さえ込む隙、あるかな……?)
かちゃ。
震える手と足で短剣を構え、ミランダは青くなった唇をきゅっと噛んだ。そして、駆け出す。
「トネール・カルラ」
短縮詠唱に伴って、小さな光の筋が空間を駆け抜ける。
ミランダは左に大きく跳んで、光の筋をやり過ごした。光は後方の木に突き刺さり、幹を砕く。
ぞっと背筋を凍らせつつも、ミランダは懸命に駆ける。
レスティアとの距離はすっかり詰まっていた。次の魔法を放つ間はないだろう。
(いける!)
しゅっ!
学園で剣術の教師に何度も何度も注意されたことを思い出しながら、ミランダは彼女が放てる最高の突きを繰り出した。短剣はレスティアののど元へ向かい、彼女を牽制する……はずだった。
びりりッ!
レスティアの体全体が帯電し、短剣を弾いた。からん、と剣は地面に転がる。
「物騒なものを向けないで頂きたいですわ」
にこりと微笑んだ魔法使いは、白魚のような腕をミランダへと向け、力を込める。
閃光が駆け抜けた。
ゴルバラードの巣穴の縁に腰掛け、リリカは両足をプラプラと揺らしていた。
巣穴に竜の姿はない。
「……リ、リリカ」
黙り込んでいる少女の隣に腰を下ろし、ラディアムは心配そうに彼女の名を呼んだ。
リリカはつまらなそうに口を尖らせている。しかし、ようよう言の葉を繰る。
「『信じている』って、言ってたよね。ゴルバラードは」
やはりリリカにも、ゴルバラードはそう言ったように見えていたらしい。
ラディアムはゆっくりと頷く。
「私はね、ランドル。ゴルバランタス国が好き。それは――」
さぁ。
風が天を翔け、少女の髪をなびかせた。風はそのまま東へ向かい、遥か遠い視線の先にある桃色の木々を揺らす。
サクラの花びらが舞う。
「滅びるまで、ううん。滅びてからも、東方・南方諸国やその近隣をサクラで埋め尽くしてくれた『花の国』だから。ゴルバラードが信じた理想の未来が、『ゴルバランタス』っていう国だから」
仮にゴルバラードが国を追われなければ、国は恐ろしい竜の住まう地として、他国の侵略を幾度も受けることになっただろう。サクラをこの地に育むことなく、終わっただろう。
しかし、事実は違う。新制ランタス国改め、ゴルバランタス国は、2500年の長きに渡って細々と栄え、そして、最後の王、ギエルトリコ=ウィル=ランタスの治世にて、ラトワイズ国の傘下へと無血でくだり、静かに滅びた。
ゴルバラードとルージュが生きた国は滅びたが、かの地を含む広域において、サクラは今なお様々な種が分布している。暖かい季節には人々を呻らせる優美な光景が広がるのだ。
それが、彼が望んだ未来だった。
「ねえ。あんなに哀しい時があってもさ……」
呟いた少女は視線を巡らす。遥か東の地だけでない。南にも北にも西にも、巣穴からは見渡せない遥かな地にも、サクラの花びらが舞っていた。
「これが運命とか未来ってやつなんだったら…… そんなに、悪くもないのかもね」
泣き笑いの表情を浮かべた少女に、少年は同じく泣きそうな顔で笑った。
「……うん。そうだね」
竜と人らの紡いだ歴史『花咲く竜の国』は、こうして幕を下ろした。