リリカとゴルバラードは、人の町へ来ていた。当然ゴルバラードは、人化魔法にて人の形を採っている。彼らは、ゴルバラードの巣穴の奥深くに隠していた財宝の一部を手に、食料や日用雑貨の買い出しに来たのだ。
「お店で食べ物を買うの? 野生の植物とか動物とか、食べないの?」
リリカが尋ねた。
すると、ゴルバラードは苦笑してみせる。
「俺だけならばそれでいいがね。君はそうもいかないだろう?」
「別に大丈夫だよ?」
「虫や毒性植物も、俺は食うぞ」
「……ごめん無理」
具体的に想像してしまい、リリカは顔を青くした。素直に謝る。
ゴルバラードは声を立てて笑った。
「金のことならば気にするな。俺ら竜は光り輝く物が好きでな。一族が残した宝石などが無駄に有り余っている」
「竜族の財宝だなんて、冒険小説ではおなじみのロマンね! 素敵だわ!」
ふん、と鼻息を荒くするリリカを横目に、ゴルバラードは小首を傾げる。この娘はたまによく分からないことを口にするな、と。
一方でリリカは、想像の世界へ旅立っていた。足は動かしているが、心ここにあらずといった風だ。
そのような彼らを後方から尾行する影があった。影は複数人で、いずれも麻布の茶色いローブを着込み、フードを目深にかぶっている。怪しいことこの上なかった。
彼らに気づくそぶりも見せず、リリカとゴルバラードは小道を北へ向かう。その道はぐにゃぐにゃと曲がりくねっており、先を見通すことが出来ない。
影たちは見つからぬように距離をとって追いかけていたが、このままでは見失ってしまう、と焦りを覚えて少しばかり距離を詰めた。
すると――
「何か用かね?」
びくッ!
突然の声に、茶ローブの1人が大いに跳び退った。
一方で、他2名はローブの下から大きな剣を抜き放つ。
「おや。物騒だね」
ゴルバラードは彼らの得物に頓着した風も無く、苦笑いと共に肩をすくめた。剣の1本、2本など相手にならん、とでもいった風体であった。
しかし……
「きゃー! 人殺しーぃ!!」
リリカはそうもいかなかった。ゴルバラードが隣から突然に姿を消したのを不思議に思い振り返ると、剣を抜き身で構えた男たちがゴルバラードの前に居たのだ。先のように金切り声を上げて騒ぎ立てるのも当然といえた。
尾行者たちは狼狽して辺りを見回す。方々の家の窓が開き、抜き身の剣を手にしている2名に注目した。そして皆、善良な心を発揮して『人殺し』へと物を投げる。
そうなると、当の2名は堪らない。火打ち石が頭を打ち、植木鉢が身をかすめる。ぎゃっとか、うげっとか、苦しそうな声を上げて七転八倒している。
「ふぅ、リリカ。お手柄と言ってあげたいところだがね」
「え?」
得意顔をひっさげてゴルバラードへ近づいてきたリリカは、彼の言葉を耳にして小首を傾げた。
ゴルバラードはそんなリリカの腕を掴み、更に尾行者たち3名を引き連れて路地裏へ飛び込んだ。
あとには、冷めやらぬ喧噪だけが残った。
すぅ。
ラディアムの体を、以前にカテリーナ=ルーンの日記へインサイドした際の感覚が駆け抜ける。そうしてしばらくすると、いつの間にかラディアムは薄暗い建物の陰に居た。石造りの建物が周りを囲んでおり、町中の1画であることが窺えた。少なくとも、新緑の書庫ではあり得ない。
花咲く竜の国の舞台は、今でいうとラトワイズ王国の南部にある。その地方は直射日光が厳しく、人々は全身を布で覆うような出で立ちをしているはずだ。そして、路地から顔を出して大きな道をのぞいてみると、やはり皆そのような格好をしている。
(自分でインサイドした時とあんまり変わらない。ってことは、魔書の中で何かしたら……)
ぶるっ。
魔書には歴史を変えてしまう危険性が確かに宿っているのだと、そう認識してラディアムは身を震わせた。彼の始祖、ガンダルフ=ブックマンと同じことをしてはいけない。
ラディアムが沈痛な面持ちで決意を固めたその時――
どんっ!
路地裏を駆け抜けてきた某かが、彼の背にぶつかった。
「わっ!」
「おっと、失敬。大丈夫か?」
地面に倒れそうになったラディアムを、大きな腕が支えた。ラディアムは身をよじり、その腕の主を瞳に映そうと試みる。
そこに居たのは、白に近い金の髪を携えた青年だった。その瞳は同じく金色に輝いており、ラディアムの視線を釘付けにした。
「あ!」
唐突に声が響いた。声は年若い少女のもので、青年の背後から聞こえた。
ラディアムは視線をそちらへ向け、ぽかんと口を開けた。
「……リリカ?」
「ランドル! あなたも来たの!?」
一瞬嬉しそうな顔を見せた少女――リリカであったが、直ぐに彼に対して気分を害していることを思い出したのだろう。頬をむくっと膨らませて黙り込んだ。
ゴルバラードは彼女のそのような様子に首を傾げ、しかし、小さく微笑んだ。
「何だ、知り合いか。ならば折角だ。追ってくる者もおらぬようだし、ここらで休憩とするか」
「ちょっと、ゴルバラード。追っ手が居ないって……あいつらバッチリ一緒に来てるよ?」
ラディアムからぷいっと視線を逸らし、リリカは不機嫌そうに囁いた。
しかし、ゴルバラードはカラカラと笑って見せる。
「彼女たちに危険はないさ。俺に用を聞いてもらいたくて、ちょっとヤンチャが過ぎただけだ」
剣を突き出されといてヤンチャのひと言で済ませるとは、剛気なのか暢気なのか。
リリカは呆れた顔を見せたが、一方で茶ローブたちはほっとひと息ついたようだった。目深にかぶっていたフードを外す。すると、フードの下からは未だ年若い女性の顔が現れた。
「先程は失礼いたしました。竜、ゴルバラードよ。わたくしの名はルージュ=アルカ=ランタス。東方にて近隣国に攻め落とされたランタス国の血筋の者です」
「亡国の薔薇姫!」
ルージュ王女の自己紹介を受け、誰よりもまず反応を示したのはリリカであった。ゴルバランタス国の建国神話の主役である1人が目の前に現れたのだからして、興奮冷めやらぬのは仕方がないことなのかもしれない。
しかし、流石に妙な注目を浴びることになってしまった。
「わ、わたくしは市井の間で噂になっておりますの?」
「いや、その……」
リリカが気まずそうに視線を泳がせる。
ラディアムは嘆息して、緊張をしながらも小さな声を上げた。
「り、リリカはその…… 初対面の人にも親しみを持ってあだ名をつけるのが、えーと…… 癖なんです。ね?」
「そ、そうそう! ……って、ふん」
話を合わせて首肯したあとに、リリカは再度そっぽを向く。未だ機嫌は直らぬらしい。
彼女のそのような態度に、ラディアムは弱冠落ち込む。
「そ、そうですの。でも、薔薇姫なんて恥ずかしいわ」
「なに。このように麗しい姫君なのだ。薔薇という情熱の花の名を冠したとて、誰も文句を言うまい。それよりも、薔薇の姫君。俺に如何なる用向きだ?」
ゴルバラードとしては、亡国の姫君が自分に接触する意味が分からなかった。竜の鱗は永遠の命を与えたり、病弱な体を強靱にしたり、人の世ではそのように伝えられていると聞く。国を取り戻すには向かぬだろう。
しかし、姫君は跪き、必要以上にゴルバラードへと礼儀を払う。
「竜の伝説は今や人類本位のものへとなってしまっております。しかし、ランタス国が伝える――いえ、伝えていたものは違います。『竜は人を愛し、人は竜を愛した。人は竜の好む花を育て、竜は人の住まう国を護った』。その伝説にある竜の名は『ゴルバラード』」
ゴルバラードは苦笑し、小さく息をついた。
ルージュの言葉は正しい。ゴルバラードはかつて、東国の守り主として鎮座していた。東国の者たちはゴルバラードの好む桃色の花を育て、彼の心を穏やかにさせた。そして彼は、人間たちのその働きに報いるように、神や魔族の攻勢から東国を守り抜いた。
しかし、時代は変わった。数百年の昔、神も魔族もすっかり姿を見せなくなった頃、人は竜の鱗が薬になると、事実無根な噂を信じた。東方諸国でも、ルージュの故郷たるランタス国以外は、竜狩りを始めた。守り主たるゴルバラードを襲う者は居なかったが、何匹もの同族が殺されていった。
ゴルバラードは東の地から姿を消し、今の住処に移り住んだ。
「我ら人の罪は償い切れるものではありません。しかし、図々しいとは承知しながらも、わたくしは貴方に、かつての守り主様に助力を請いたい。わたくし共の力となり、ランタス国の再建を助けて欲しいのです。このままでは貴方の愛した花々は東方から消えるでしょう。我らランタスの民は、未だゴルバラード様のご帰還を信じ、毎年毎年、サクラを手入れしてまいりました」
サクラとは、東国に咲き誇る桃色の花。ゴルバラードが愛した花だ。
「しかし、ランタス国を侵攻した者たちは、かつての伝説など記憶してすらおりません。彼らの国ではサクラの木はとっくの昔に伐採され、人家や施設が建てられております。このままでは貴方の愛する花は――」
「言葉遊びだな。結局はサクラを盾に俺を脅している。君は人類の罪を更に重ねようとしているのではないかね?」
ゴルバラードに指摘されると、ルージュはきゅっと唇を噛んだ。彼女自身分かっているのだろう。彼に助力を請うと口では言いながら、彼を脅していることを。
黙り込んでしまったルージュと入れ替わり、側に控えていた男が前に出た。
「しかし、このまま行けばサクラが滅びることもまた事実! 貴方はサクラを愛しているのではないのか!?」
「愛しているさ。あれほど美しい花はそうそうない。しかしね、人間よ。俺ら竜は運命を受け入れて生きる種なのさ。このままサクラが滅び行くなら、それは運命なのだろう。俺はその運命に逆らうつもりは……」
とつとつと語っていたゴルバラードは、すっと眉を潜めた。
ルージュがさめざめと涙を流していた。
「……俗に言う、泣き落としというやつかね?」
尋ねられると、ルージュは指先で涙をぬぐった。そして、沈痛な面持ちで謝罪する。
「申し訳ございません。貴方の仰る通りです。都合がよい申し出でした」
すっ。
ローブの両端を品良く持ち上げ、ルージュはゴルバラードに最上の敬意を払って礼をした。そして、身を翻して去る。
その後ろ姿を目にし、リリカはぎゅっと胸を掴んだ。
「ゴルバラード。それでいいの?」
「何がだ、リリカ」
つっけんどんに言ったゴルバラードは、ルージュとは真逆の方向へ足を向ける。
「薔薇姫様は……ううん。薔薇姫様も、サクラが大好きなんじゃないかな? 国を取り戻したい口実みたいに聞こえたかもしれない。でも、サクラを守りたいと願った心も、本当だったんじゃないかな?」
その言葉を耳にし、ゴルバラードは足を止めた。
「何故、そう思う?」
問われ、リリカは遥か東を望んだ。建物に隠れて、東の稜線は見えない。しかし、ゴルバラードの、竜の背に乗って空を翔けた際に見た、薄桃色の美しさは今も脳裏に残っている。
「東の花が、今もなお綺麗だから」
その応えに、ゴルバラードは嘆息した。そして、踵を返す。
「かつて俺は、人と共に歩んだ。なれば、今こうして歩むのも運命といえようか」
新緑の書庫の暗がりで、後ろ手に両手を縛られていたのは、この書庫の本当の主、クレバー氏であった。2、3日拘束されていたゆえ、衰弱はしているようである。しかし、未だ命に関わる状態には至っていないよう。
「あんた、そこにあるのは『花咲く竜の国』じゃないか? あんたもわしの本を……」
「な、何のことですか? 実はボクの友だち、そこに寝転んでる女の子なんですけど、彼女がこの絵本を読んでたら倒れてしまって。続けて男の子まで倒れて、そしたら、休む間もなく突然、女の人が襲ってきたんです。ボクはたまたま持ってた転送魔法の封魔符(マジックカード)で、ここに逃げ込んだだけで……」
クレバー氏と敵対するのは避けたいところだ。ゆえに、ミランダは慌てて言葉を重ねた。魔書に関してとぼけている以外は、全て本当のことであるため、ボロを出す危険性は少ないだろう。
「……ふむ。それが事実とすれば、少々気の毒なことをしたな。その本は不可思議な本でな。話の中へ入り込んで、登場人物と自由に会話できるのじゃ。今頃、少年少女は物語の中で楽しんでおることじゃろう」
実際、楽しんでいるだけであればよいのだが。
ミランダはそのように考えて小さくため息をついた。一方で、クレバー氏から情報を引き出そうと、質問をぶつける。
「書庫にあなたのお孫さんを名乗る人物が居座っていますけど……」
「ふん。盗っ人猛々しいとはこのことじゃ。あれはわしの孫などではない。そも、わしに親類はおらんわ。あんたを襲ったというのも、わしの『孫』の一味に違いない。恐らく奴らは『本狩り(コレクター)』と呼ばれる者たちじゃろう」
「本狩り、ですか?」
ミランダは聞いたことが無かった。
「わしのように本を蒐集する者はたまに彼らと対峙する。古来より本は不思議な力を宿してきた。その本のように人を物語に引き込むもの。金銀財宝を現実世界にもたらすもの。紅蓮の炎を吹き出す本も在ると聞く。本狩り共は、そのような不可思議な本を手にし、悪事に使おうとしておるのじゃ」
眉間にしわを寄せ、クレバー氏は断言した。
しかし、ミランダは半信半疑だ。その『本狩り』が、彼女が属すブックマン本家であったとしても何ら不思議はない。勿論、ブックマン本家ではクレバー氏が言うような悪事に手を染めていない。とはいえ、クレバー氏からすれば本を奪って去って行く、という意味でいえばただの強奪者だ。
「わしは何度かあやつらに本を奪われとるが、今回ばかりは易々と奪われるわけにはいかん。花咲く竜の国は真実が織り交ぜられた書じゃ。その真実が心ない者によって曲げられれば、世界は変わってしまう」
クレバー氏は思案顔で言った。ミランダは意外そうに彼を見る。
年の功というやつか、彼は物事の重要性を正しく見極めているようだ。こうなれば、目下の心配事はクレイム一派と、リリカの無邪気な暴走だけとなる。
「クレバーさんは、さっきラディくんとリリカちゃん――この子たちを見て然程心配した風ではなかったですけど、彼らが『世界を変える』とは思わないんですか?」
ミランダがクレバー氏の腕を縛る縄をほどきながら尋ねた。
彼はつまらなそうに嘆息し、言葉を繰る。
「その子らは大丈夫だろう。わしも伊達に年を取っとらんさ」
そう言ってニヤリと笑ったクレバー氏は、自由になった腕で痛む腰をさすった。
3階と1階、ミランダたちを見失った階の上下階を見て回ったレスティアは思案に暮れた。
転送魔法の封魔符を使ったにしては、今探して回った辺りに居ないのは不自然だ。かといって、ミランダが熟練した魔法の使い手であり、長距離転送をしたようにも思えない。そうなると、残る可能性としては――
「特製の封魔符、ですか。有力組織が裏についているということですわね」
封魔符は一般にお店で売っているものでも高価である。それが、通常と異なる効果を秘めたものとなると、普通は市場で取引されない。高位の魔法研究家と懇意にでもしていない限り、入手は困難だ。
「ソレイユ家。ブックマン家。王家筋。はたまた、他国の王侯貴族」
口元を手でゆるく押さえ、レスティアは考え込んだ。
魔書の存在は一般に知られていない。皆、そのような書籍の噂を聞いても鼻で笑うのが関の山である。
しかし、王家や有力貴族の血縁にはまことしやかに伝わっている。かくいうレスティアも――
「仕方ありません。犬さんや狐さんのご協力を仰ぎましょうか。世界を変えて滅茶苦茶にするのは、私だけの手で為したかったのですけれど」
くすっ。
小さく笑い、レスティアはクレイムの居る玄関ホールへ向かう。