第2章 Book Collector
予定不調和な邂逅

 3000年もの昔の話。既に世は人のものとなり、神や魔族や竜は姿を潜めていた。人はあるいは、神の世界に手を伸ばそうと天高き塔を築いた。あるいは、魔族の世界を奪おうと地底深くへ潜った。あるいは、竜の鱗を煎じて強き体を得ようと討伐隊を組んだ。
 誰も彼も、神を敬わず、魔族を恐れず、竜を畏れない。人の驕りは留まることを知らなかった。
 そんな時代に、1匹の竜が空を飛んでいた。穏やかな気性の彼は、遙かな天から見下ろす花畑が大好きだった。
 北の大地を埋め尽くす白き花。東の山の稜線を彩る桃の花。西の川辺で風に揺れる紫の花。南の海で陽の光と共に笑う赤い花。全てが彼の心を満たす。
「東の山は今年も綺麗に色づいたなぁ。東国ではもっと素晴らしい花吹雪が見られるのだろうけど、あちらの国々は俺らを見かければ刈ることしか頭にない。さて哀しいことだ」
 空を翔けながら、彼は寂しそうに微笑んだ。
 かつて人と竜は共に暮らしていた。竜は火や水や風、それぞれが持つ属性の恩恵を人に惜しみなく与え、人は持ちうる限りの智慧によって竜を助けた。しかし、竜が今に満足して生きるのとは対象的に、人は決して現状に満足することなく、更なる力を求め続ける生き物だった。
 いつしか人は、竜から得る恩恵を自らの智慧を持って得られるようになった。そして彼らの智慧は、竜の鱗がもたらす恩恵に目をつける。竜刈りが始まった。
「これも時代の流れか。俺たち竜は滅びる。神も、魔族も、やはり同様にいつかは滅びるだろう。では花は? 花はどうなのだろうな。せめて彼女たちだけは永遠に在り続けて欲しいものだ」
 竜は微笑み、眼下を見つめる。大地は美しく、青い空は健やかだった。

 暗い場所にリリカは居た。闇が満ちた空間に、視線の先から光が入り込んでいることを考えると、どうやら横穴の中にいるらしい。
「……? あれ? 私、絵本読んでたはずだけど……」
 頭を抱えて考え込み、混乱を沈めようと努める。しかし、突然の不可解な出来事に中々適応できない。
 そうして時が過ぎ、突然、横穴に暴風が舞い込んだ。
「きゃっ」
 小さく悲鳴を上げ、リリカは風の吹き込む方向、横穴の出口に視線を送る。
 するとそこには、巨大な影があった。その影は、古代生物図鑑や物語の挿絵でしか見たことのない存在――竜であった。
 ようやくリリカも合点がいった。彼女が読んでいた絵本は『花咲く竜の国』。竜が登場しても何もおかしくはない。つまり、ここは『花咲く竜の国』の中なのだ。
(『花咲く竜の国』が噂の本だったんだ……!)
 ばさっ! ばさっ!
 顔に喜色を浮かべたリリカであったが、巨大な竜が羽ばたく姿に青ざめた。本好きの彼女にしてみれば、物語などで活躍する竜は憧れの存在である。しかし、実際に対峙したとなれば、襲われる危険性は大いにある。
(どうしよう…… 短縮魔法学をちょっとは囓ってるけど、竜に効く魔法なんて使えない……)
 どくん。どくん。
 恐怖で立ち竦むリリカ。
 そのような彼女には構わず、竜は横穴に入る。ここは竜の巣穴ということなのだろう。彼は羽をたたみ、ふん、と1度鼻で息を吐き出した。そして、巣穴にちっぽけな人の子が居ることにようよう気づく。
「人間? 何故ここに居る? 俺を殺しに来たのか?」
「そ、そんなことしないわ!」
 竜の予想外な言葉に、リリカは慌てて叫んだ。敵意があると勘違いされたなら、どうなるかわかったものではない。かの者の巨大な顎でかみ砕かれたとしても文句は言えない。
「竜の鱗が目的ではない、と。ならば何を好きこのんでこのようなところに……」
 不思議そうに首を傾げ、竜は突然光り出す。
 ぴかっ!
 リリカは顔を顰め、竜から視線を逸らす。闇深き穴が煌々と照らされた。
 その光がようよう納まった時――
「何だ、まだ子供じゃないか」
 先程よりも低い位置から、竜の声が聞こえた。リリカは不思議に思い、眩んだ瞳を瞬かせつつ前を見る。
 突然の光に刺激された瞳は、未だ闇に慣れていない。当然、目の前に居るであろう竜の姿を捉えることなど能わなかった。しかし、しばらくすると目が闇に慣れ始めた。
 そこに居るのは、竜ではなかった。
「あれ? 貴方、誰? 竜は?」
 はぁ。
 竜は息をつき、嘆かわしげに首を振る。
「人は俺らと共にあった日々を完全に忘れ去ったのか。人化(じんか)の魔法は、かつて君ら人と共に生きるために編み出したというのに」
 目の前の男性が言った。つまり、彼は先頃まで目の前に居た竜ということになろう。
 リリカはぽかんと口を開け、驚く。それでいて、段々と喜色を顔に浮かべる。
「人化魔法!? 何それ凄い! それに竜が私たちと共に過ごしてたなんて素敵! ワクワクするわ!」
 忙しく動き回りつつ、リリカは楽しそうに喋り続けた。
 今度は竜が呆気にとられる番だった。
「俺を怖がらないのか? 人は俺らを殺そうとするか、怖がって逃げるか。ここ100年はそういう者ばかりだというに」
「? だって貴方、私のこと食べたり、殺したりするわけじゃないんでしょ?」
 不思議そうに尋ねたリリカ。
 竜は目をみはってしばし黙りこくり、それから苦笑した。
「そうだね。君が俺を殺さず、俺が君を殺さないなら、俺らは敵じゃあない。簡単なことだ」
「よね。あ、私はリリカ=カルデシア。よろしくね」
 手を差し出した人の子を、竜は嬉しそうに見返した。
「俺はゴルバラード。この地方の最後の竜だ」

 ばさり。
 ラディアムが本棚の本に手を伸ばしたその時、廊下から小さな物音が響いた。先程リリカが廊下へ出て行ったのだから、そちらから物音がするのは不思議なことではない。しかし、彼はどうにも気になった。
「ミラさん。ちょっと廊下見に行こう」
 ミランダにそう声をかけ、彼は歩き出す。
 声をかけられたミランダは、小首を傾げて後に続いた。
 2名は部屋の東側中央にある扉を潜り、廊下へ出る。するとそこには――
「リ――むぐっ」
 大きな声を出そうとしたラディアムの口を、ミランダが塞いだ。そのまま、彼女はラディアムの手を引いて、廊下で本の山に突っ伏しているリリカの元へ向かう。
 すぅ…… すぅ……
 安定した息づかい。別段具合が悪そうな風はない。手を取って脈を測るが、そちらも正常だ。
「ミ、ミラさん…… リリカは?」
 青ざめて尋ねるラディアムに構わず、ミランダはリリカの手元を調べる。床に転がる本の中で、1冊だけページが開いている。リリカが読んでいたのは、その1冊だろう。
「花咲く竜の国。これが…… ラディくん。そっちの部屋に行きましょう」
 言って、ミランダはリリカを抱え、花咲く竜の国を手に取り、階段の脇を西側へ伸びていく廊下を歩み始める。そちらの廊下を十数歩進んだあたりに、扉があった。彼女はその扉をあけ、中へと入る。
 ラディアムも彼女に続く。
「あの、ミラさん。どうしたの?」
「これが魔書よ」
 ラディアムの問いに、ミランダは簡潔に応えた。そして、リリカを床にゆっくりと下ろして、持って来た絵本を両の手で持ち、見せる。
「え? これが…… たしかに少し不思議な雰囲気があるけど…… どうしてわかったの?」
「今のリリカちゃんの様子は、詠み人がインサイドした時の様子に似ているのよ」
 ミランダはブックマン本家で、他の詠み人がインサイドする様子を何度か見せて貰っていた。インサイドした者は一見すると眠っているようであるが、ごくわずかに魔力の気配を漂わせている。
「花咲く竜の国…… これ、ゴルバランタス国の建国神話をモチーフにした絵本だ。ゴルバラードっていう竜と亡国の王女が先頭に立って新たな国を築くっていうあらすじだよ。竜ゴルバラードの実在可否については史学会でも意見が半々に分かれてて、史学者の中にはその建国神話を真実として研究している人も多いって……」
 となれば、リリカが入り込んでしまった絵本は、五分の確率で歴史を変え得る危険な書と言える。
「何か辛い展開みたいなのはあるの?」
 多くの人は悲劇を嫌う。リリカもまたその部類に入ると思われた。
「ゴルバラードは最終的に国を追われるんだ。人と竜の違いによって生まれた悲劇を描いて、差別のむなしさを訴える作品になってるよ……」
 ミランダは寸の間考え込む。そして、絵本をラディアムに渡した。
「ラディくん。リリカちゃんを連れ戻してきて」
「……え?」
 顔を引きつらせるラディアム。絵本を握らせられた手は小刻みに震えている。
「インサイドしたことのないボクよりも、ラディくんの方がリリカちゃんを見つけられると思う。絵本のあらすじも記憶しているみたいだし、どの辺りが危険な転換期かもわかるでしょ?」
 ボクは恋愛小説以外はとんと無知で、と苦笑するミランダに、ラディアムは泣きそうな瞳を向ける。
 しかし、ミランダは譲る気配を見せない。
「『今という時は誇り高き悲劇と喜劇の上に成り立つ』。これはラケシス様がボクに本家の心得を説かれる時の文句。実感なんてこれっぽっちも沸いてないけど、今を生きる全ての命が、過去の喜びと、そして、悲しみを土台としてる。ラディくんはそれを『知ってる』んでしょ?」
 問われると、ラディアムの瞳からおびえが消えた。
 すぅ…… はぁ……
 1度大きく深呼吸をして、彼はしっかりと『花咲く竜の国』を持ち直す。
「ぼ、僕、行ってきます。ゴルバラードはきっと『今』のままがいいはずだから」
 こくり。
 ラディアムの言葉を受け、ミランダは微笑んで頷く。そして、懐からノートを取り出し、エリシットスキルを駆使して数枚のカードを出現させた。それは封魔符(マジックカード)と呼ばれるもので、簡単な魔法が封じられている。
「安心していってらっしゃい。例の怪しい3人組がかぎつけてきたらボクがばっちり追い払うからね」
 そう宣言し、彼女は続けざまに武具辞典からショートソードを取り出す。
「これでも学校での剣術の成績はよかったんだから」
 構えをとるミランダを瞳に映して、ラディアムは小さく微笑む。
 ミランダは彼と同様にウィダミア棟の出身だ。文武両道のアルマリータのような例外がいるとはいえ、ウィダミア棟は基本的に文官として有能な人材ばかりが集っている。彼女の言葉に偽りがないとしても、実際の戦闘行為になった場合にどれほど頼りになるか。
 そのようなことはミランダ自身がよくわかっているだろう。しかしそれでも、彼女は不安な様子を一切見せずにラディアムを送りだそうとしている。
 ラディアムは未だ不安につぶされそうで居ながらも、ぐっと拳を握って頷いた。
「行ってきます。ミラさん」

 すぅ。
 ラディアムがゆっくりと瞳を閉じ、花咲く竜の国へと旅立っていった。
 すると、ミランダは人知れずため息をつく。
(実際問題、戦闘行為になったらまずいわよねぇ…… でも、そうも言ってられないか。シーズって人は剣士っぽいし、封魔符で牽制して時間を稼ごう。レスティアっていう人は魔法使いかしら? その場合は接近戦かなぁ。剣はそれほど得意じゃないんだけどね、実は……)
 再度嘆息し、ミランダは持参したノートを開く。
 例の3人組に見つかったとして、彼らの前で詠み人の力を使うわけにはいかない。ならば、今のうちにできうる限りの武器や封魔符を取り出しておかねばならないだろう。
(書庫だし水も火もだめだよね。えっと、風の魔法と、睡眠魔法と、ちょっと勿体ないけど光魔法、と。今の手持ちだとこれくらいかなぁ。武器はボーガンも出しとこう。あ、そうだ。それと……)
 順調に装備を強化していくミランダ。しかし、その行為が仇となった。
 ぎぃ。
 びくっ!
 部屋の扉が開け放たれた。
 ミランダが急いで視線を巡らすと、そこには機嫌良さそうに微笑む女性――レスティアが居た。
「不思議な魔力を感じて来てみれば…… そちらの少年少女はどうされたのですか?」
 ミランダがエリシットスキルを使用しているところを見られなかったのは幸いであったが、ラディアムとリリカが魔書に飲まれて意識を手放しているこの状況は全く好ましくない。
 レスティアはカツカツと足音を立てて、ゆっくりとした足取りでミランダたちに歩み寄ってくる。彼女が実は『レスティア』ではなく、クレイム一派と関わりがないのであれば、善意で心配してくれているだけということになる。
 しかし――
 すっ。
 ミランダとラディアムとリリカの姿が消え去った。
「あら。転移魔法の封魔符かしら。焦って火の魔法で殲滅しようとしたのがバレたみたいね。ふふふ。失敗」
 ぼッ!
「カ・リ・ザフラ・モルア」
 レスティアの手の中に高温の塊が生まれ出でる。塊は彼女の手を離れてふわふわと中空を漂い、本棚を丸ごと1つ包み込む炎となった。炎はきゅうと収縮し、本棚を塵芥へと変化させてしまった。
 そうしてから彼女は、踵を返す。目指すは階段。転移魔法は難解な魔法で、封魔符に込められた魔力では3、4メートルを移動するのが限界だ。なれば、彼女たちは階上か階下へ向かった可能性が高い。
「人はともかく、魔書を燃やさないようにしなければね」
 くすくすと忍び笑いを零し、レスティアは瞳を鋭く光らせた。

「っつう。いたた。暗いなぁ。ここどこだろ」
 真っ暗闇の中、ミランダは小さな声でぼやいた。
 レスティアが攻撃的な魔力を発散させた瞬間、予め用意しておいた転送の封魔符で階上へ逃れたのだ。
 ミランダが所持していた封魔符は、ブックマン家でも有数の魔法研究家シエスタ=ブックマン自作のものである。そこらで売っている安物とはわけが違う。通常の数倍の距離を移動できる。よって、ここは新緑の書庫の4階か、ひょっとすれば5階と思われた。
 ごそごそ。
 そんな階上の闇の奥で、身じろぎする影が在った。
(な、何?)
 ミランダは身をこわばらせ、闇を注視する。
 すると――
「……誰じゃ。あの無礼者どもの仲間か?」
 しわがれた弱々しい声が闇に響いた。