第3章 School Wars
スクールライフ・リターンズ

 ブックマン家アデウス棟の5階大広間に、当主ティアーガン=ブックマン以下、当家の重要ポストに就いている人物が集っていた。彼らは皆、大広間の両端に並ぶ椅子に腰掛け、震える足で歩む少年を見つめていた。
 当の少年――ラディアム=ブックマンは、緊張でもつれる足を何とか制し、大広間の奥に佇んでいる当主ティアーガンの元を目指す。緊張で手と足を同時に出したり、ふらふらとよろめいたりしており、非常にみっともない。
 お偉方がこぞって眉をひそめる。
(まったく、あの子は…… せっかく学校へ通えるように手配したというのに……)
 ラディアムの従姉妹であり、ティアーガンの右腕、ラケシス=ブックマンが、表情に出さずに呆れた。
 彼女の根回しで、ラディアムは先日、本家筋の者として、とある任務を達成した。その実績を持って彼は、本日付けで詠み人として正式に認められ、称号を得ることとなった。称号を持つ正式な詠み人を、未熟だという理由から休学させる必要はない。その言い分が認められ、ラディアムはこれまで通り、ハイドロウ学院に通うことが許されたのだ。
(あまり頼りないところを見せると、威張り散らしたお馬鹿さん方が何を言い出すかわかりませんわよ……)
 ラケシスが色々と手を回して説き伏せた頑固な老人たちは、隙あらば決定を覆そうと手をこまねいている。まさか、目の前のみっともなさを持って手を出してくることはないだろうが、きっかけくらいは与えてしまう可能性も高い。
 そのようなあら探しの視線が飛び交うなか、ラディアムがようやくティアーガンの御前まで辿り着いた。
「……ラディアム。その場に跪き、宣誓を」
 ぼうっと立ち尽くす従姉妹に、ティアーガンの隣に控えるラケシスが促した。
 あらかじめ、この場での段取りは伝授している。しかし、年若い詠み人は、緊張からその段取りを忘却してしまったらしい。
「は、はいっ」
 慌てて腰を折り、ラディアムが膝をついた。
「わ、我、ラディアム=ブックマンは……偉大なる詠み人の一員として……」
 不自然な沈黙が続いた。
 嗚呼、ごく短き宣誓の言葉をも、忘却の海に沈みし哉。
 ラケシスは心内でのみ嘆息し、他の者に気取られないように囁き声で助け舟を出す。
「公明正大なる意思の元」
「こ、公明正大なる意思の元、正しきことにこの力を振るわん」
 頭の中が真っ白になっていたラディアムではあったが、さほど長くもない宣誓であるため、1度の助け船だけで何とか言い終えることが出来た。
 目と鼻の先に居たティアーガンはともかく、壁際に座す他の者たちには気づかれずに済んでいてくれることを、ラケシスは祈った。
 一方、厳めしい表情を携えたティアーガンは些事に頓着せず、跪く少年を瞳に映してゆっくりと口を開いた。
「我、ブックマン家当主の名の元に、年若き詠み人ラディアムに、二つ名『ストロ・デタミナ<強固なる意志>』を与える」

 称号授与の儀式を終えると、ティアーガンが大広間から退出した。当主の行動を契機として、ぞろぞろと人が散って行った。
 危険なインサイドスキルを有するラディアムは、基本的に厄介者と認識されている。そのためか、どのお偉方も眉間にしわを寄せ、始終機嫌を損ねているように見えた。そのような状況下で、気弱なラディアムが心安く居られるわけもなく、彼は徹頭徹尾ぷるぷる震えていた。ティアーガンが退出しても、他の面々が退出しても、涙を瞳に溜めて俯いていた。
 見かねたラケシスがハンケチを手渡し、背中を優しく撫ぜて部屋に戻るように促すまで、彼は小動物のようにそこに在り続けたのだった。
(……まったく。本家筋としてやっていけるか以前に、あの子の今後の人生が不安ですね)
 大広間の扉に錠を下ろしたラケシスは、嘆息しつつ階段を降りた。彼女の部屋が在る3階に達し、差し込む月明かりを横目に左に折れた。すると、目の前に見覚えのある男女が居た。
「ラケシス様。ご機嫌麗しゅう」
「アルヴェルト。そして、ミランダ。アデウス棟で逢い引きするなど感心しないと、以前にも申し上げたはずですが?」
 ラケシスの言葉に、ラディアムの兄であるアルヴェルト=ブックマンが苦笑する。
「お戯れを。それよりも、弟が世話になっているようで、感謝いたします」
 その言葉を受けて、ラケシスが目つきを鋭くした。そして、アルヴェルトの隣のミランダを睨み付けた。
「おっと。ミランダを叱らないであげてください。私は、貴女がラディを気にかけてくださっている、ということしかお聞きしておりません。本家の秘密などには触れていないと思いますが?」
 アルヴェルトの言葉は正しい。秘密に抵触するか否かにかかわらず、みだりに本家内のことを話すべきではないが、叱責するほどのことではない。ため息をつくのみで、ラケシスは無表情に戻る。
「アルヴェルト出納長。ご当主様への報告にいらしたのでしょう? 今であればお部屋におられる筈ですよ」
 言外に、さっさと行け、という含みを持たせて、ラケシスが言う。
 アルヴェルトは肩を竦め、微笑んだ。
「ご親切にどうも。では、ミラ。またね」
「は、はい! ご機嫌よう、アルヴェルト様っ! えへへ」
 ブンブンと勢いよく手を振るミランダにアルヴェルトは軽く手を振り、ラケシスが下ってきた階段を逆に上って姿を消した。ティアーガンの自室は4階にあるのだ。
 ミランダは、恋人が見えなくなっても、頬を桜色に染めて手を振り続けていた。にこにこと機嫌よく笑んでいる。
 そんな少女へ、ラケシスが嘆息と共に呆れた瞳を向ける。
「本当に、余計なことを教えていないでしょうね、ミランダ」
 びくぅ、と身体を震わせて、ミランダが笑顔をこわばらせる。
「は、はい! たぶん……」
 非常に頼り無い言葉が返ってきた。
 再三のため息をついて、ラケシスは頭を抱えた。
「貴女の記憶をのぞき込む術などありませんし、まあ、信じましょう。時に、例の件についてですが……」
「ラディくんが、複数スキルを持つ可能性について、ですか?」
 唇の前に人差し指をもっていき、ラケシスが沈黙を要求した。そして、ミランダの手を取って手近な空き部屋へと引っ張っていった。
 静かに扉を閉めて、ラケシスが目つきを鋭くした。
「声が大きいですよ、ミランダ。聞く者が聞けば、ラディアムの身に危険が及びます」
「す、すみません。ラケシス様」
「……それで、少なくともエリシットスキルは確認出来たのですね?」
 ラケシスの問いに、ミランダがコクリと頷く。
 ラディアムはトゥーダ村にて、本から封魔符(マジックカード)を取り出して見せた。それは、詠み人のスキルのひとつ、エリシットスキルに他ならない。それだけでなく、ラディアムは本の中に入り込むスキル、インサイドスキルをも保有している。
「……複数スキルを持つ者はそう多くない。今のところ、当主ティアーガン様をお除きすれば、マーヴェル=ブックマンのみ」
 そしてそれゆえに、マーヴェルは次期当主の座を嘱望されている。ブックマン家当主は代々、複数の詠み人スキルを有してきたのだ。
「マーヴェルに取り入り、将来的に甘い汁を吸おうとしている輩は数知れない。その者たちが、ラディアムが次代当主選に参入することを是とするはずがありません」
 場合によっては、実力行使をも辞さないことは想像に難くなかった。
 もはや何度目になるものかわからぬため息をつき、ラケシスはやはり何度目になるのか、頭を抱えた。
「ひとまず、ラディアムはあまり任務に出さぬようにしましょう…… とはいえ、全く出さぬわけにもまいりません。その時は貴女を相棒につけるようにします。後輩を守れるよう、精進なさい」
「は、はい! ぼく、頑張ります! ……なるべく」
 聞く者全てに不安を覚えさせる、頼りなさを究めた応えだった。

 翌朝、アデウス棟を出立したラディアムは、外で待っていた少年少女に勢いよく抱きつかれた。
『ラディ!!』
「わっ。ちょ、ちょっと、2人とも」
 従姉妹であり友でもある2名、アルマリータ=ブックマンとラドクリフ=ブックマンに、ラディアムは苦笑を向ける。
「大げさだなぁ、アルマもラドも……」
 彼らの目元に光るものを見つけたが故の言葉だった。共に学校へ通える事実に、うれし涙を流しているのだ。
「大げさじゃないわよ! ラディがこのまま学校に行けないようだったら、学校自体の存在意義がゼロだったんだからね!」
「まったくその通りだ! ラディ抜きでアルマと2人で登校するなぞ、これっぽっちも楽しくない!」
「むかつくけど同意よ! あたしもラドと2人だけで登校なんて金輪際ごめんよ!」
 仲悪く仲の良い2人を瞳に映して、ラディアムは乾いた笑い声を立てる。そして、頭を下げた。
「心配かけてゴメンね。アルマ。ラド」
『おかえり! ラディ!』
「うん。ただいま」