間抜けな犯行

「まずダイイングメッセージが残された点に注目してくれ。『十』から更にメッセージが続いただろうことを考えると、これだけで犯人を特定するには至らない。なぜならば、国見『博』、『古』川歴彦、灰原『さ』より、それぞれ『十』を予見させる文字が君達全員に含まれているからだ。しかし、幸いながら犯人を追い詰めるには他のアプローチも残されている」
 そこまで口にして、幹也はひと呼吸おく。そして続ける。
「僕は帰って来た時、暗闇の中に潜む君達に気づかなかった。それくらい部屋は暗くなっていた。そうであるにもかかわらず、木羽さんは犯人が分かった。ならば、木羽さんは視覚以外からの情報で犯人を特定したとしか思えない。ところで、僕は部屋に入った瞬間に違和感を覚えた。というのも、妙な匂いがしたからだ。それはそこに零れている香水が原因だったようだが、そのことからも分かるように、暗闇でも視覚以外の五感は有効だ。味覚、聴覚、嗅覚、触覚。どれも、暗闇であっても機能するものばかりだ。木羽さんが犯人を特定できたのはそのおかげだろう。しかし、当然ながら味覚というのは考えづらい。では聴覚か。たとえば、マスクをしていることから風邪気味であることを予見させる国見が、犯行に及ぶ際に木羽さんの直ぐ近くで咳をしてしまった。木羽さんはそれを聞いたため、国見が犯人であることがわかった。そう仮定してみたいところだが――」
「待ってくれよ。このマスクは――」
 声を荒げた国見を手で制し、幹也は、分かっている、と口にして笑う。
「マスクをしているということで風邪気味に見える国見だが、少なくとも、僕が帰ってきてから咳は一度もしていない。それもそのはずだ。国見は医者の不養生という不名誉を避けるために普段からマスクをしている。今日のもそれだろう。仮に実際に風邪を引いていたとして……」
 そこで幹也は古川と灰原に視線を送り、国見が今日一度でも咳をしていたかどうか尋ねた。それに対する答えはノーだ。
「では嗅覚が働いたのか。例えば、犯人がつけている香水の匂いで分かったのだとしよう。国見も歴彦も香水なんて洒落たものはつけていない。普段から香水をつけているのは灰原さんくらいだ」
「私じゃ――」
 やはり声を荒げた灰原を、やはり手で制して幹也は微笑む。
「そう。灰原さんでもない。木羽さんが僕のために買っていたという香水がぶちまけられたせいで気づきにくいけれど、灰原さんは今日香水をつけていない。化粧をしていないのと同様の理由で香水もつけていない。違うかな?」
 尋ねられると、灰原はその通りだと口にして頷いた。
 幹也は他二名の男達にも、灰原が今日香水をつけていたかどうか尋ねた。男性陣は特に気にしていなかったため考え込むこととなったが、頼りない記憶を手繰り寄せて否定の言葉を返した。灰原は確かに香水をつけていないようだ。つまり、嗅覚での犯人特定は不可能である。
「では最後に触覚だ。一見すると、触覚だけで相手が誰かを知ることは不可能に思える。しかし、今回ばかりは可能だ」
 そう口にし、幹也がとある人物に視線を送る。すると、その相手は表情を強張らせる。
「犯行の際に木羽さんの肌に触れてしまったならば、直ぐに特定されてしまうだろう格好をしている者がここにはいる。あたかも動物のように毛むくじゃらな人物がね。それは――袖口にファーのついたダウンジャケットを着込んでいる者……つまり、古川歴彦。君だ。残念だけれど、君こそが木羽理代子殺害の犯人に他ならないんだよ」

 探偵に指摘され、更に他二名から注目されると、古川歴彦はがっくりと膝をついた。そして、どうしてこんなことになっちまったんだ、と呟いて泣き崩れた。
「歴彦。なぜこんな……」
「お前らには言ってなかったが、実は俺と理代子は――」
「さて、では警察に電話を――」
 幹也が再び、ゆっくりとした動作で固定電話機に手を伸ばす。
『待て待て待て』
 告白を始めた古川と、それを沈痛な面持ちで聞こうとしていた二名が慌てて止めに入った。彼らは口々に、ここは動機を聞くところだろう、とか、警察を呼ぶのはまだ早いわよ、とか、友人を殺すに至った俺の心情を少しは気にしてくれ、とかと口にしている。
 幹也はつまらなそうな表情で友人達を眺めていたが、ふいに口元を押さえて含み笑いを始めた。しばらくは肩を震わせて苦しげに声を抑えていたが、ついに我慢ができなくなったようで大声で笑い出す。
 必死で電話機を奪ったり、動機や背景を訴えたりしていた面々は、面食らったように呆け、顔を見合わせた。
 そうしてしばらく経つと、幹也は目じりにたまった涙を指で拭いながら三名に視線を向ける。そして、その視線をおもむろに移す。もう一人の友人が横たわる床へと。そして、口を開いた。
「木羽さん。ずっとそうしているのも疲れるだろう? そろそろ起きたらどうだい? サプライズ探偵ごっこはここら辺が潮時だと思うけれど?」
 沈黙が落ちる。
 しかし、直ぐに死体だったはずのものがもぞもぞと動き出す。そして、ゆっくりと死体が――木羽理代子が起き上がった。
『どうして――』
 友人達四名が幹也に瞳を向け、
『分かった?』
 尋ねた。
 幹也は嘆息し、それから説明のために口を開く。
「暗闇では視覚が役に立たない。それは先にも口にした通りだ。そして、聴覚や嗅覚がその中において有効なのもまた先に口にしたとおり。ならば君達はなぜ、揃いも揃って木羽さんの異変に気づかないんだ? ナイフで刺されれば痛みを覚えたはずだ。うめき声くらい漏らすかもしれない。仮にそうでなかったとして、倒れれば大きな物音がするはずだ。そして何より、ダイイングメッセージなぞ書く暇があるのなら声を上げて助けを求めるはずだ。まあこれも、声を出すことすらできない瀕死の状態だったとも考えられるけれど、それにしても、文字を書く気力があるのなら、床を叩いて音を出すなり何なりして、自分の異変を伝えようと試みるのではないかな? それにあの香水。君達はあれを、灰原さんが香水をつけていないことを分かりづらくするため、そして、血の匂いが漂っていないことを僕に気づかせないため。この二点のために撒いたのだろうけれど、あれだけ強い匂いを発しているんだ。君達がそれに気づかないという状況は、暗闇の中であったとしてもおかしい。ガラス壜が割れた際の音も大きなものだっただろうしね。以上のことから、国見、古川、そして灰原さんは、殺人事件という火急の事態であることを予想できなくても、何かしらの疑問を覚えてしかるべきだったんだ。そうであるにもかかわらず、僕が何か気づいたことはないかと尋ねた時、君達は揃いも揃って否定の言葉を口にした」
『あ』
 幹也の言葉を黙って聞いていた面々は、そこで思わず声を上げる。
 探偵はやはり可笑しそうに笑い、先を続ける。
「流石におかしいと思ったね。そこでよくよく木羽さんを観察してみると、かすかながら胸が上下していた。息を止め続けることなど無理に決まっているから、まあそこは仕方がないかな?」
 木羽が他三名に手を合わせて謝る。
「それなりに考えて設定したんだろうけど、少し準備不足だったね。いつから始まった企画かな?」
 尋ねられると、国見が代表して応える。
「三日前だ」
「なるほど。それならば、出来に及第点をやれるかな。これで一週間かけていたと聞いたら、それは流石に呆れるところだ」
 意地悪く口の端を持ち上げて笑った幹也を目にし、友人達はそれぞれ苦笑して抗議の言葉を口にする。もっとも、皆それほど腹を立てている様子もない。どちらかといえば、及第点を得られて満足そうに見える。
「ああ。それはそうと、ダイイングメッセージが一番感心したよ。『「』ではなく『十』にしたところにね」
 友人達の軽い抗議を適当にあしらい、幹也が言った。
 そして彼はしゃがみこみ、床に広がる血糊に指をつけ、『「』と『十』を書きつつ言の葉を繰る。
「国見博、古川歴彦、灰原さよりの三人の共通点なら、国、歴、灰に共通する『「』でもいい。そうであるにもかかわらず、被害者である『木』羽理代子も含めることとなる『十』をダイイングメッセージとし、全員が共犯者であること――偽装殺人事件であることをわざわざ示唆していたところに公平さを感じた。そこがこの企画の一番の肝なんだろう?」
 幹也の言葉を受け、灰原と木羽が嬉しそうに笑い手を叩いた。どうやらそこは彼女達二人の案だったらしい。
 彼女達同様に男性二名も嬉しそうに笑い、しかし、少しばかりの悔しさと共に言葉を吐き出す。
「しかし、先の話を聞いた限り、完全に騙せていたのは『死体』を発見した直後くらいまでってことか…… 成功なんだか失敗なんだか……」
「そうだな。こりゃまた微妙なとこだ」
 そう口にして、嘆息する。
 女性陣もそれにつられて軽く肩を落とす。
 友人達のその様子を見て取った幹也は、苦笑して頬をかく。こういう場合は看破しすぎるのも問題かと反省し、いつか次があった際は気をつけよう、と心に刻む。そして、気を取り直すように一度こほんと咳払いをしてから、優しい瞳を友人達それぞれに向けた。
「まあ、架空の探偵像を体験できて楽しかったよ。こうして皆で集まるのもひさしぶりだし、それも嬉しかった。ありがとう」
 探偵が照れくさそうに笑った。
 言葉をかけられた者達は瞠目し、それからやはり照れくさそうに笑う。そして、しばらくすると彼らは顔を見合わせ、それから満面の笑みを浮かべる。
 本日、目の前にいる探偵兼友人に向けて口にすべきメインワードを、祝福の微笑みと共に発する。
『ハッピーバースデー』

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