終章

 昨年の祭りで、内藤一也が死んだ。自殺だった。遺書に書かれていた内容を、警察は呆れ果てた瞳で追っていた。しかし、その文面を目にしながら、佐織は悔恨で唇を噛みしめた。
 彼は佐織の代わりに自殺した。
 実は、佐織もまた自殺をしようとしていた。トメを救うために。祭りでの贄となるために。誰もが思いついたであろう、しかし、誰もが実行しようとしなかった方法。それを試そうとした。そのことを内藤は察したのだろう。だから、自殺した。やはり、トメを救うために――いや、正確にはトメを救うことはできないと実証するために、そのことを佐織に教え、佐織を死なせないために、死んだ。
 なぜそのようなことを、とは思わなかった。判っていたことだ。ずっと、知っていた。愚鈍な男だった。少しくらい行動に出ればいいのに。何もしない。何も言わない。それでは、こちらはどうにもできないだろうに。受け入れることも、拒むことも…… 馬鹿だ。
 遺書の中には馬鹿の妄想が書かれていた。あれが真実であるという証拠はない。しかし、実際に祭りで人死にが出ても、内藤がともし火を捧げても、かの御大の恩赦が得られないというのならば、的を射た部分があるのであろう。
 昨年の祭りから数日。十数日間意識不明だった町屋トメが息を引き取った。眠るような死というものを、佐織は初めて目の前にした。いっそ目の前でもがき苦しんで死んでくれればよかったのに、と思ったのは彼女だけの秘密だ。あのように穏やかに目を閉じられたのでは、朝には再びあの瞳が開くのだ、といらぬ夢想をしてしまう…… 勿論、そのような奇跡は起こり得ない。
 ……さらにこの町では、昨年の祭りから今日にかけて、少なくとも六百名ほどが亡くなった。これは佐織が独自に調べたものだ。佐織の住居の近在であれば、気をつけていれば、どこここの誰が亡くなったというのは知れる。それに、ニュース番組で報じていた死亡事故と殺人の被害者を加えた結果が約六百人であった。調べ漏らしは当然あるだろうが、この数は明らかに恩赦を受けた結果ではない。
 きっと、内藤の妄想のとおり、もう御大はいないのだろう、と佐織は考える。
 しかし、それでもいいと思った。これまでがおかしかったのだ。超越的な何某かによって生を得ていた今までが。もういいではないか。与えられた分だけ生きて、さっさと死ねばいい。
 生きるために生きたって仕方がない。死ぬために、生きよう。
「……○○県△△町□丁目の派出所に女性が血を流して倒れていると……」
 ぼうっと夜空を見ながら歩いていた佐織は、慌てて瞳を巡らす。音声の発生元を探すためだ。
 いくらもかからない内に、佐織は電化製品店のショーウィンドウに瞳を向ける。その中にあるディジタルテレビジョンでは、ドラマやバラエティ番組の合間に流れる短いニュース番組が放映されていた。あのアナウンサーの名前は確か、栄田……理佐だったか。彼女が報じているのは、この町のことだ。つい三時間前の、祭りの只中のことだ。
 誰か女性が亡くなったという。御大が贄を欲した。ともし火を欲した。
 ともすれば……
 冷風が佐織を襲った。夏とはいえ夜だからか。随分と冷えるものだ。町屋佐織はそのような感想を抱きながら、喀血し、倒れ伏した。

 西暦二千年をしばらく過ぎたある夏の日、とある町の住民達は、あるいは事故で、あるいは老衰で、あるいは病で、この世を去った。その日は祭りの一日目だった。たった一日で、幾万もの命のともし火が消え去った。原因は未だ不明である。
 内容が内容なだけに、その事件は数年すると都市伝説のように囁かれる。その伝説によれば、たった一人生き残った女性がいたというが、それが事実であったのか、伝説となった後に付け加えられたものなのか。そして事実とするならば、その女性が今どこで、どうしているのか。
 それを調べる術は、ない。

 我望むは唯一人也