茶色い日

 ――今年もこの日がやって来た……

「勝負よ!」
 彼女がそう言って指し出した物は、一見普通のアレだった。
 けれど騙されちゃいけない。コレが普通であることなんて、あり得ない。
「有り難う」
 がさごそ。
 そう応えてから包み紙を丁寧に開け、中から長方形の箱を取り出す。既製品では絶対にないことを考えると、この箱も自分で作ったのだろうか? ああ、よく見ると方眼紙だ。
 そんなことを考えながら、その箱を開けて中身を手に取る。
 手のひらの上には、茶色いモノがあった。
「では、頂きます」
 毎年のことながら、口にする直前は多大な覚悟を要する。とはいえ、躊躇して先延ばししていても仕方ないから、一気に口へと運ぶ。
 ぱくっ。
 まず刺激的な味が口中に広がる。辛さとも苦さともつかないその味は、僕の表情を歪めるには充分だ。
 そんな僕の表情の変化に、彼女は顔を輝かせる。でも――
「去年と比べて、順調に不味くなってるよ」
 残念ながら意識を手放さずに感想を言った僕。
「くっ! 失敗か……」
 そして彼女は、肩を落として隣の自分のクラスに帰っていった。
「……大変だな」
 去年も同じ光景を目にした級友がそう声をかけてきた。
 まあ、大変は大変なのだけれど――

「……ただいま〜」
「お帰り。どうだった?」
「ま、駄目だったんでしょ。普通に考えて」
 戦いに敗れて帰った教室では、小学校からの友達二人がそう応えてくれた。
 笑顔で訊いてきたのは来栖志穂。
 お弁当を口にしながら、冷たい口調で言い放ったのは御堂玲紗。
「そりゃあ駄目だったけど…… よく分かるね、玲紗」
「テンション低く戻ってきた時点で気づくわよ。そうじゃなくても、チョコで人が気絶なんてまずあり得ないし」
 玲紗には毎年こう言われている気がする。それで、この後の言葉も決まってるんだよね。
「さっさと諦めたら? 向こうもいい迷惑じゃない」
「確かに…… もうかれこれ八年くらいだよね? そもそも、何で『チョコで人を気絶させてやる』とかってことになったんだっけ?」
 玲紗のお決まりのセリフの後に、志穂が眉を八の字にして言った。
 何で、か…… たしか――
「漫画か何かで見て、それでだったと思うけど……」
「じゃあ、バレンタインだけにあげるのは? ていうか、あの人がターゲットなのって何でだっけ?」
 それは、えっと……
「バレンタインだけなのは、頻繁に食べさせるようなものじゃないからってことで、一応遠慮して…… あの人を相手に選んだ理由は――忘れた」
 我ながら、理由も分からずにあの酷いチョコをあげているというのはどうかと…… でも、向こうも拒否しないし、あんまり気にしないのがいいかな?
 それにしても、案外気絶ってしないものだな……
 さて、来年に向けて研究を続けないと――
 それから勉強もきちんとしないとなぁ。来年も駄目だった場合を考えて、あの人と同じ大学に入れるように…… 向こうの学力が分からないから、なるだけ勉強しておいてどこにでも入れるようにしとかないと。う〜ん、忙しくなる……
「そういえばさ〜」
 と、あたしが忙しく考えていると、志穂が飲んでいたパックジュースから口を離し、突然言った。
「相手の人の名前。なんだっけ?」
「そういえば……」
 志穂の疑問を受け、懸命に弁当を食していた玲紗も考え込んだ。しかし、解に至れなかったようでこちらに瞳を向ける。
 あの人の名前か……
「えっと――」

 彼女のチョコを食べながら考える。
 彼女は可愛い。
 大きな瞳に長い睫毛。色白の肌。ふわりとした茶の長髪。
「いいよな。毎年あんな子からチョコ貰えて」
 呆けて彼女のことを考えていると、刈谷力斗がそんなことを言った。
 まあ、僕自身嬉しいと思っている面もあることはあるが、それにしてもうらやましがられるとは思わなかった。
「よくはないだろ? 去年少し舐めたが、相当やばい威力だぞ」
 そこで一般的意見を口にしたのは有川幹継。彼は去年三日ほどお腹を壊していた。
「でもメチャ可愛いじゃん。あの子」
「だからってなぁ――」
 力斗がにやにや笑いながら言うと、幹継はため息混じりにそう応え、続けて次のように訊いた。
「そういやあの子なんて名前だ? なあ?」
 この疑問の向かう先は当然僕。彼らは高校に入ってからの友人なので、彼女との邂逅は本日で二度目だ。まあ、廊下で見かけるくらいのことはあるだろうけど、それでも名前は分からないのが普通だ。
 あれ? でも待てよ…… 彼女の名前?
「……実は――」

『知らない』

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