白い日

 ――あの日から明日で一ヶ月……

「ところで、あの子にお返しとかしないのか? 去年は――してなかったよな?」
 三月に入って十三回陽が昇った日の午後。帰り際にそんなことを訊いたのは幹継だった。
 明日がホワイトデーであることを考えると、あの子というのは彼女のことで、お返しというのはあのチョコに対してのということだろう。
 お返し……か。
「しないつもりだけど? いつもしてないし」
「いや、それはどうよ、お前」
 幹継に応えると、横から力斗が言った。
「いくら激マズだからって、お返しはしといた方がいいんじゃねぇの?」
「お前にしちゃまともな意見だな」
 力斗の言葉を聞いた幹継がそんな風に言ったら、力斗は頭に手をやって照れていた。けれど、どちらかといえば馬鹿にしていると見えるのは僕だけかな……
 ま、そんなことはともかく――
「あれは実験みたいなものなんだよ。チョコで人が気絶するかどうかっていう――」
「それは前にも聞いたよ。けど、だからってお返ししなくてもいいかっていうと、そんなこともないだろ?」
 僕が言い訳するみたいに言うと、幹継がそんなことを言った。
 そう、なのかな? 実験動物が研究者にお返しをするというのは少しおかしくないだろうか?
 などと穿った考えをしていると、力斗がにやにや笑いながら言った。
「そうやって気を引けば、実験チョコ以外のチョコも貰えるようになるかもしれないじゃん?」
 ……まあ、彼女が頬を染めながら普通のチョコを渡してくれるというのは、かなり魅力的な状況だ。
 来年のために少しは努力をしておくのも、いいかな? という気になってきた。

 教室でお昼を食べていると、男子が数名近寄ってきた。
「ほれ、来栖。先月はサンキュ」
「あー、わざわざありがと。何コレ?」
 男子それぞれから箱やら袋やらを受け取ると、それに目を落として志穂が訊いた。
「べっこう飴」
「マシュマロ」
「金太郎飴」
「甘栗」
 と、各々の男子。
「しょぼ。頑張ってブランド物とか買ってみようよ」
「義理チョコに対してそこまでかけるほど金持ちじゃねぇもんで。んじゃな」
 志穂の遠慮ない一言に、男子は適当に笑って返し、去っていった。
 それにしても――
「志穂。結構チョコ配ってたんだね」
「まあ全部義理だけどね。何ていうか慣習的に」
 そう言って、さっそく甘栗の袋を開けて食べ始める志穂。
 いる? と言いながらこちらにも袋を向けてくれたけど、そこはさすがに遠慮しておいた。
 人に送られたものを食べるのは何だか気がひけた。
「玲紗は誰かにあげなかったの?」
「兄さんにはあげたわ」
 志穂に訊かれ、玲紗はそんな風に答えた。
 まあ、この答えは予想通りのものだ。玲紗は毎年お兄さんにあげているから。
 その理由は――
「お返しはエルメスのダッフルコートだったわ。朝、貰った」
 百円の板チョコがアレに変身するんだからボロいわよね、と呟いて玲紗は笑った。
 相変わらず、妹に甘いお兄さんだわ……
「そいつは羨ましいわね。で?」
 呆れたように言ってから、志穂はこちらに瞳を向けた。
「でって?」
「あの人――にお返しを求めるのは酷ってもんだけど、他の人からはどうなの?」
 ああ、先の流れを汲んで、お返しに何を貰ったかの報告会みたいになってるのか。
 でも――
「いや…… 他の人にはチョコあげてないし」
「そうなの? じゃ〜、あんたに色気のある展開は期待できないわね〜」
 む。そりゃそうなんだけど、何かむかつく。
「志穂だってしょぼいお返しばっかじゃない。そもそもこの中で色気のある展開の人いないし」
 志穂は義理への義理返しオンリー。
 玲紗は色気より物欲だし。
「ま、そ〜だけど」
 志穂はそう言いながら可笑しそうに笑っているけど、笑ってる場合かなぁ。
 花の女子高生がここまで恋愛っ気がないと、さすがに悲しくなってくるわ……

 がらっ。
 隣のクラスの扉を開けて入ると、キョロキョロと見回して彼女を探す。
 普通なら入り口で誰かに頼んで呼び出してもらうところだけど、彼女の名前を知らない以上それも叶わない。とすれば、こうして不審な行動を取るしかないというものだ。
 と、窓際の前の方の席に目的の人物を見つけた。
 女子三名集まって昼食を取っているようだ。
 う〜ん、他の人がいるのが少し気恥ずかしいけど…… そんなことも言ってられないか。
「ねえ?」
「へ? あ、君は」
 近づいて声をかけると、彼女がこちらを見て驚いたように言った。
 バレンタイン以外ではまともに話したこともないし、驚くのも当然だろう。
「先月は有り難う。これつまらないものだけど」
 そう言って、手にしていた箱を差し出す。
 入っているのは本当につまらないもので、なんの捻りもなくホワイトチョコだ。

 これは――所謂お返しだよね?
 でも、いつもお返しくれないのになぁ。いや、勿論文句はないけど。
 あんなの食べさせといて、その上お返しまで欲しがるなんて悪魔じゃん。
 ていうか、普通に考えてコレがただのお返しであるとは思えない。これはあれだ。意趣返しというやつじゃないだろうか? 彼もまた、あたしを気絶させることを目的に……
 そういうことなら――
「受けて立つわ!」
 そう応えてから箱を受け取り、包み紙を破る。
 そして中身を取り出すと、見た目は普通のホワイトチョコ。
 さて――
 ぱくっ。
 あれ?
 もぐもぐもぐもぐ。
 あれあれ?
 ……………
「普通に……美味しいんだけど?」
「そう? コンビニで買った安いものなんだけど」
 あたしの言葉を受けて、意外そうに彼は言った。
 えっと…… ということは――
「普通のお返しなんだ」
 あたしの代わりに志穂が訊いた。
「そうだけど…… 普通じゃないお返しって?」
「いや、何ていうか…… 酷いチョコに対する報復的なお返しなのかと」
 訝しげに訊いた彼に、志穂が苦笑して言った。
 ま〜、そう思っちゃうよね。やっぱり。
「あー、そういうこと。別に、不味いことは不味いけど、せっかく貰ったんだしお返しくらいは、と」
 そこで笑って彼は、そういう考えに八年目にして漸く思い至りました、と言った。
 なんというか……人が好いなぁ。ま、だからこそ、八年もあたしの馬鹿な行動に付き合ってくれてるんだろうけど。
 あ、そだ。ついでだし、八年もの間まったく気にしてなかったのに、先月急に抱いたあの疑問をぶつけてみようかな。
『ねぇ?』
 ありゃ、揃った。
「何?」
「いや、そっちからでいいよ。あたしの方はちょっと訊き辛いし」
 彼に訊かれ、あたしはそう返す。
 すると彼は苦笑して、僕もちょっと訊き辛いことなんだけど、と言ってからこちらを真っ直ぐと見詰めた。そして――
「君の名前って何ていうの?」
「へ?」
 思わず間の抜けた声を上げる。
 すると彼は慌てたように口を開いた。
「失礼だとは思うんだけど、君の名前今まで知らなくてさ。それで――」
 あたしが気分を害したと思ったのか、彼は早口にそう言った。
 いや、ていうか――
「あ、その…… 実はあたしが訊きたいのも、そっちと同じで」
「へ?」
「君の名前って何?」
 …………………………
 思い切って訊くと、そこで長い沈黙。
 しばらくして彼と目が合うと、あたしは何だか可笑しくて笑い出してしまった。
 彼もお腹を押さえて笑っている。
「何だか、一番色気のある展開じゃない?」
「ま、義理チョコと義理返しの応酬が全ての志穂と、身内に対してブランド物を貰うためだけにチョコを渡した私から見ればそうでしょうよ」
 脇で志穂と玲紗がそんなことを話しているけど…… 色気的には彼女達とそう変わらないと思うけどなぁと、笑いながら思った。
「え〜と…… 僕は久遠寺宗輔」
 彼は――久遠寺くんは、志穂達の会話を気にしたのか、頬を染めて簡単に言った。
 そして――
「あたしは西陣来夏。改めてよろしくね」
 そんな風に今更ながらの自己紹介をしながら、名前も分かったことだし、来年はメッセージカードをつけるくらいはしようかな、などとあたしは考えていた。

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