茶色くも白くもない日 Raika side

 夏は勝負の時期だという……

 夏休みが近くなった日の昼休み。
 そのような時期であるというのに、窓の外では天より降り来た水の地面を打ちつける音が響いている。だからと言って涼しいわけでもなく、教室は蒸し器の中のようであった。
 窓際の席に集まっていたあたし達三人も暑さでだれている。
「う゛ー、あぢー。……私は思う。温暖化現象やヒートアイランド現象などと騒がれる昨今、なぜこの学校には冷房という文明の機器がないのだろうか? なぁ、同志よ」
「貧乏だからでしょうね」
「もっともな意見ですなー」
 志穂がふざけた調子で疑問を口にすると、あたしと玲紗は適当な態度で返す。
 志穂は先程ふざけた様子で言葉を紡いだ際に立ち上がって拳を握り締めていたりしたのだが、あたしと玲紗の冷めた反応を目にして溜め息を吐きつつすとんと椅子に腰掛ける。
「あー、来夏と玲紗の反応も悪いし。ボケがいがないっていうかー」
「別にボケなくてもいいし。つか、うざいからボケないで」
「うわ。玲紗ひど」
 志穂と玲紗が、内容が喧嘩めいているにしても、その実覇気の全くない会話を展開させている一方、あたしは左手に持った下敷きで自前送風機を稼動させつつ、右手で携帯ゲームのような電子機器を繰る。志穂たちは、生産性のない会話に見切りをつけて、あたしの手に収まる機器を覗き込んだ。
「何それ? ゲーム?」
「英単語が見えるわね。脳トレ系?」
 質問を投げかけられたので、あたしは昨日買って貰ったばかりである機器のディスプレイに落としていた瞳を上げて応える。
「これはあれだよ。単語カードの機械版? メモリボって名前だったかな? 単語を二千語まで登録できるし、ページを自動的に進める機能とか、問題をランダムでだしてくれるシャッフル機能とか、他にも色々機能があって結構楽しいよ」
 そのように笑いかけると、志穂と玲紗はメモリボのディスプレイに浮かんだ英単語を見て軽く呻く。多分その意味が分からなかったのだろう。ちなみに今出ている単語はimmediately。『すぐに』とかって意味だったかな? あ、当たってる。よしよし。
 と、あたしが順調にメモリボとの勝負を続ける一方で、彼女達は先程の嫌な事実を気にしないようにしているのだろう、微妙な笑みを浮かべて口を開く。
「なんていうか…… 私的には、英語のお勉強な時点で楽しくないわね」
「激しく同意…… にしても、この間期末試験が終わったばっかりだってのに物好きよね、来夏も。つか、そんなもん買ってもらう前にiPodでも買ってもらえばよかったのに」
 友人二人の言葉に、苦笑する。
「いやまあ、受験生だし。それに、iPodはまあちょっと欲しいけど、あたし歩きながら音楽聴かないし」
 そのように軽く口にすると、志穂は顔を顰める。
「ジュケンセイね…… 嫌な響き……」
「志穂は馬鹿だしね」
 苦々しく呟いた志穂に、玲紗が冷静な一言を投げかける。
 玲紗の最大の特徴はあの遠慮ない口調だろう。まあ、あたし達の付き合いもいい加減長いし、あのくらいの苦言は慣れっこだ。
 志穂だって頬を引きつらせながらも、言葉を返す口調にはふざけた様子がありありと浮かんでいる。
「うっ。は、はっきり言ってくれますねい。玲紗さんや。つか玲紗だって中の下くらいの成績じゃん?」
「下の下のあんたよりはまだ希望があるわよ」
「くっ……」
 形勢が不利であると感じたか、志穂は軽く呻いて黙り込む。そしてしばらくすると、矛先を変えてこちらに言葉を紡いだ。
「それよりも来夏よ! 私らがのほほんとしてるのに、成績上の上レベルのあんたがなんでそんな必死に勉強するかな!?」
 目つき鋭く詰め寄った志穂。
 あたしは電子機器の電源を落とす。明らかに自分に対して話しかけている人がいるのに、お勉強しつつ返答というのはどうかと……
 というわけで、志穂の目を真っ直ぐに見て応える。
「いや、何でって。ほら、久遠寺くんがどこの大学に行くかわからないし。なるべく成績上げといてどこにでも入れるようにしときたいなぁって」
 そう応えると、志穂が大げさなリアクションを取って衝撃を表し、玲紗は口の端だけを上げて怪しく笑った。
 何だろう、あの反応。意味わかんないし。ま、とりあえず訊いてみよっかな。
「どしたの?」
「いや、そうよね…… 夏といえばラブよね……」
「は? らぶ?」
 まず応えてくれたのは志穂。でも、その内容は意味が分からない。
「ホワイトデー以来、特にアクションがあったようにも思えなかったけど、私達に隠れてラブを育んでいたようね」
 と、そこで玲紗の言葉。
 うわ、なるほど。そういうこと。そんな風に取られてたのね。弁解しないと。
 あたしは慌てて口を開く。
「ち、違うってば。そういうんじゃなくて――」
「黙らっしゃい! 色気ある展開なし三人衆から裏切り者が出るとはー……」
 しかし志穂に遮られた。そして、恨めしそうに見詰められる。
 ちょいちょい、志穂さん。ちょっと怖いんですけど……
 ぱし。
 と、そこで玲紗が志穂を軽くはたいた。
 志穂は頭をさすりつつ玲紗に瞳を受ける。
 玲紗は冷ややかな目で志穂を見つめていた。
「勝手に妙な組織を作って巻き込まないで」
 簡単に文句を紡いだ玲紗に、口を尖らせて、いいじゃん別に、と志穂が呟く。そんな志穂を一瞥してから、玲紗は言葉を続ける。
 その向かう先は、あたし。
「ところで、来夏。そんなラブを育んでいる状態で、何で向こうの志望校も知らないわけ? さっきの口ぶりからして…… てか、会ってる?」
 玲紗は疑問をぶつけながらもたぶん真実を知っている。つまり、あたし、西陣来夏と久遠寺宗輔くんが本当はラブなんて育んでいないということを。
 しかし、志穂は言わなければ誤解したままだろうし、あたしは両手を懸命に振りつつ、ここぞとばかりに早口に言葉を紡ぐ。
「だから誤解があるってば。ラブなんて発生してないよ。そもそも久遠寺くんとはホワイトデー以来話してないし、ラブとか以前の知り合いレベルだよ」
「へ? じゃ、宗輔くんがどこの大学目指してるか知らないの?」
「もー、さっきもそう言ったでしょ?」
 志穂が睨むのをやめて訊いてきたので、少しだけ安心して、つい再び機器の電源を入れる。新しく買ってもらったものってつい使いたくなるよね。さっき話しながらするのはどうかなって自分で思ったばっかなのに……
 でもまあ、電源をつけて何もしないでまた消すってのも馬鹿みたいなんで、画面に映った最初の英単語を瞳に写し――
「idiot…… 『馬鹿』かな」
 読んだ。
 すると玲紗がその読み上げに続いて言葉を発する。
「そうね。志穂は馬鹿ね」
 うわ。
 てか、あたしもさっきの会話の流れであんな単語口にするかな、普通。志穂に言ったと思われても仕方ないし。
 ……さて、志穂の様子を見てみますか。
 がたっ!
 玲紗の言葉を耳にした志穂は、唇を尖らせて立ち上がった。
「玲紗だって勘違いしてたじゃない!」
「私は最初から変だなぁとは思ってたから、志穂よりまし」
 志穂に向けて舌を出して見せ、そのように言葉を返してそっぽを向く玲紗。
 言われた志穂は、頬を膨らませて玲紗を睨む。
 まあ、五十歩百歩って気がするけど、それを口にすれば新たな火種が生まれるのは確実であったので自重する。
 そして、新たに表示された英単語に瞳を落とすが、その意味が思い出せそうで思い出せないという事態に陥る。このままボタンを操作して答えを表示させるのもくやしいので、しばらく考えこむことにしよう。
 で、ただただ考えていたって思い出せるものでもないだろうし、場の雰囲気を変える意味も込めて志穂に話しかけてみよっかな。
 まあ無難に、志穂お馬鹿説を緩和する方向で。
「まあまあ、志穂は学校の勉強を面倒がっているだけで、馬鹿ではないと思うよ。遊ぶ時の頭の回転はメチャ速いし。お金の計算も速いし」
「いや、来夏? そのフォローは、私が金と遊びにしか興味がないみたいなんだけど」
「事実じゃない」
 疲れた表情であたしを見た志穂に、玲紗は満面の笑みを浮かべて言った。そして、笑みを浮かべた状態でのにらみ合いが始まる。
 あ、あれ、悪化したし……
 こうなったら、志穂お馬鹿説から完全に話を逸らすことを目指そう! ちょうどさっきまでの会話で気になったところもあったし、それを振ろうっと。
 では――
「と、ところで志穂?」
「……なに?」
 うわ。不機嫌オーラ出まくりだし。
 でも、違う話を始めればそれも引っ込むだろう。志穂は昔から、いい意味でトリアタマだ。
「久遠寺くんのこと宗輔くんって呼んでたけど、実は前から知り合いだったり?」
 先程の会話において志穂は、確かにそのように呼んでいた。
 志穂はちょっと仲のいい男子を名前で呼ぶことも多いけど、久遠寺くんとはこの間のホワイトデーでちょっと話したくらいの関係であるはずだ。それで名前で呼んでいるとなると、実は以前から知り合いだったか、もしくはそれこそラブ?
 しかし、突然あたしの頭に浮かんだラブ妄想を裏切って、志穂がごく普通の種明かしを始める。
 ちなみに機嫌は直っているよう。さすがはいい意味でのトリアタマ。
「ううん、そうじゃなくて、ホワイトデー以来、廊下で会ったりした時に話したりしてるだけ。あ、そだ!」
 まあ、普通に考えればそうだろう、という答えを口にしたあと、志穂は手を一度ぱちりと叩いてからこちらに輝く瞳を向けてくる。そして、楽しそうに言葉を紡いだ。
「私が宗輔くんの志望校聞いてあげるよ」
 そう言ってから、鞄から携帯を取り出す志穂。片手で素早く操作しつつ言葉を続ける。
「宗輔くんは今時珍しく携帯持ってないんだけどね。友達の力斗くんにメールしてみるよ。幹継くんでもいいけど、こういう軽いことを訊くのは力斗くんかなぁなイメージだな。あ、力斗くんっていうのはフルネームが刈谷力斗くん。いかにも軽そうなイメージの、宗輔くんの友達ね。で、幹継くんは有川幹継くん。眼鏡が素敵な文科系って感じ? 私的には、力斗くんはお友達で、幹継くんは彼氏にしたいかなぁ」
 ぺらぺらと喋りながらメールを高速で打ち込むその姿は、女子高生だなぁ、と感心してしまうほど。あたしも女子高生ではあるけれど、志穂みたいに携帯を高速で操るというスキルはもっていないし、彼女のああいう様子にはとても感心してしまう。
 ていうか、久遠寺くんだけじゃなく、その友達まで…… 志穂すごいなぁ――って、ああそうだ。さっきの単語…… えっと、sociability。『社交性』だね。よかった、思い出せて。すっきり、すっきりっと。
「ところで来夏。予想はつくけど、ラブじゃないならどうして久遠寺宗輔と同じところ受験しようとしてるの?」
 と、これは玲紗。
 ……あたしの友達はどうしてこう、誰かを意外性のある呼び方で呼ぶんだろ? フルネームで呼ぶかな、普通。ま、いいけどさ。
「ま、たぶん玲紗の予想通りかな。例に漏れずチョコのためよ」
「なるほど。やっぱり、気絶チョコを食べさせるためにあとを追うわけね。迷惑な女よね」
「う。……まね」
 今度はあたしに向く玲紗の遠慮なき言葉。
 ま〜、迷惑な自覚はあるよ、うん。けど、長年抱き続けた夢だもの! 迷惑をかけようが叶えてみせる!
 と、あたしが心の中で神聖な誓いを立てていると、志穂がメールを打ち終えて会話に加わる。
「でも、次のバレンタインで目的達成したらどうするの? その段階だともう願書だし終わってるし、国立だったら試験時期かぶるし併願とかできなくない? 私立だと試験かぶらないとこも結構多いから併願もできるし、そっちだったらいいけど、宗輔くんが国立狙いだったら、来夏自分で受けたいとこ受けれなくなるよ?」
 こういうことをすらっと口に出来る辺り、志穂は絶対頭悪くないと思う。この時期で願書を出す時期とかを知ってる受験生って、まああたしの偏見だけど、そんなにいないんじゃないかな?
 志穂の脳は覚えていることが学校のお勉強じゃないだけで、結構たくさんの知識が詰まってる。この近辺のブティックとアクセサリ屋さんは、そらで住所と名前を言えるし、一度食べたおいしいお菓子の名前と値段も忘れない。以前食べたスイーツがどこの店で食べたものか思い出せなくなったら志穂に訊けば大丈夫、という定評があるくらいだ。
 と、まあ、脳内で志穂自慢を繰り広げるより先に――
「それなら大丈夫。ぶっちゃけあたし、大学ってどこでもいいし」
 取り敢えず応えておく。
 すると、なぜか志穂が疲れた顔。
「いや、ぶっちゃけすぎ。親が泣くよ?」
 そんなことを言われたが、うちは親からしていい加減なので、大学のよしあしとか気にしないと思う。まあ、国立か私立かで学費が変わるし、それくらいは気にしそうだけど。
 志穂にもそのように答えてから、さらに続ける。
「それに、男の子を追いかけて大学を決めるって、何かかっこよくない? ちょっとドラマみたいっていうか」
「その理由がもっと違うものならね」
「それこそラブとかならね」
 あたしの冗談めかした発言に、玲紗、志穂の順番で突っ込みが入る。
 ま、そうなんだけど……
 負けないでっ! もお〜少し――
 と、そこで志穂の携帯から着歌が響く。聞こえてきたのはだいぶ古い曲だった。とはいえ、最近よく聞く曲だ。
 それはともかく――
「あ、力斗くんから返ってきた。え〜と、なになに〜」
 メールの文面をざっと見た志穂は直ぐに片手で返信を始めた様子。そして、その内容を口にしつつ――
「あはは、願い下げだよ(はーと)。じゃ、教えてくれてありがと、送信っと」
 送信ボタンを押した。
 そしてこちらに瞳を向ける。
「宗輔くんの志望校、直ぐ近くにある国立のKS大学だって。あそこなら来夏が進路志望に書いてる教育系の学部もあるし、まあ悪くないかもね。偏差値も高すぎず低すぎずで来夏なら今受けても通りそうなレベルだし――」
 つらつらと喋る志穂。しかし、あたしは是非訊きたいことがあってその大半を聞き流す。そして、思い切って話を遮り、訊いてみることにした。
「それはともかくさ。さっきの返信、どういうこと?」
「え? どういうことって?」
 訊き返した志穂には、玲紗が声をかける。
「何が願い下げなのか、ってことよ」
 それを聞いた志穂は、ああ、そゆこと、と呟いてから口を開く。
「宗輔くんの志望校を教えてくれたあとに、それはともかく二人きりでお茶しない、っていうお誘いがあったから、丁重にお断りってわけ」
 ……『願い下げ』って断り方は丁重なんだ。知らなかったなぁ。
 志穂の言葉を聞いてそんなことを思っていると、玲紗が呆れ口調で言葉を紡ぐ。
「丁重に……ね。ま、志穂のアホっぷりなんていつものことだし置いとくとして…… KS大学なら来夏はそれほどがつがつ勉強する必要もなさそうだし、夏休みは遊び倒すとしよっか」
「……ちょっとひっかかるけど、遊ぶのはさんせ〜。どこ行く? どこ行く?」
 玲紗の言葉に一瞬不機嫌そうになる志穂だったが、直ぐに瞳を輝かせて質問を繰り返す。
 玲紗は腕を組んで考え込み、軽く微笑みながら考えを口から漏らした。
「まあ、基本の海は押さえるとして、海に行ったあとで敢えてごみごみした市民プールに突入するのも一興かしら?」
「おー、いいねー、いいねー。楽しそうだよー」
「そして夏といえば、花火大会に夏祭りに……」
「いーねー! 想像するだけでテンション上がるー!」
 あたしにとっても楽しみな予定がどんどん立てられていく中で、さすがにこれを無視できないだろうという困った事実に気づくあたし。二人の楽しげな会話に、おずおずと割ってはいる。
「あのさ…… 二人はこの前の全国模試、偏差値いくつだっけ?」
 答えに希望を見出せないのは予め分かっていたので、控えめに小さな声で訊いたのだけど――
「35!」
「40!」
 当の二人は元気いっぱいに胸を張って答えた。
 いや〜、さすがにまずいんじゃないかな……?
「ちなみに二人とも志望校は?」
『近いし、来夏が行くからKS大』
 声を揃えて言う二人。
 本気でまずいと思うな…… 調べなくても地元のKS大が偏差値どのくらいかは分かる。学部にもよるけど50は必要なはずだ。
 こうなったら――
「よし! 遊ぶのもいいけど、夏休み中は図書館とかマックとか誰かの家とかで勉強もしようね。教えられるところはあたしが教えるから」
『えーーーっっ!!』
 やはり声を揃えて抗議の声を上げる二人。
 でも、その程度のブーイングで意見を取り下げるわけにはいかない。なにせ夏は勝負の時だというし。
「えーじゃないの! これ決定。遊ぶのは勉強してからにすればいいでしょ?」
 そう言うと、志穂と玲紗は机に突っ伏し、そうなんだけどさぁとか、勉強いやーとかと呟く。
 ふぅ…… 久遠寺くんの志望校がKS大学ってことでちょっとは楽に過ごせるかと思ったけど、この様子じゃ、やっぱり苦しい勝負の夏になりそうな予感がするなぁ……
 負けないでっ! もお〜少し。ゴォールはち〜か〜づい〜てる――
 そこで再度鳴り出す志穂の携帯。
 何だか嫌な予感がするけど、気のせいであってくれると実に嬉しいな……

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