茶色くも白くもない日 Sousuke side
夏は勝負の時期だという……けれど、面倒だなぁ
夏休みが近くなった日の昼休み。
外で小気味よく雨音が響く中、教室の中は蒸し風呂のような状態。ここが家なら、暑苦しいワイシャツとかズボンは脱ぐね。
そんなことを考えつつ外を眺めていると、力斗が声をかけてきた。
「宗輔ー。お前の志望校ってKS大学だったよな?」
「んー。まー、一応な。何で?」
本当に突然訊かれたので、訊き返してみた。
「いやなに。さっき志穂ちゃんからメール来て、お前の志望校訊かれたからKSって答えといたんだけど、違ってたらまずいなぁと思って一応確認を」
その確認はメールを送り返す前にしないと駄目じゃないか、と思ったりしたが、気にしないことにした。それより、力斗が志穂と呼んでるのは確か……
「志穂って、来栖さん? 西陣さんの友達の」
「ああ」
ふぅん、やっぱりそうか。にしても力斗、いつの間にメルアドとか聞いたんだ? 別にいいけど。
などと考えながら彼を眺めていると――
「何だよー? 志穂ちゃんとラブいメールしてるのがうらやましいのかー? でもメルアドとか、教えてやんないもんねー」
にやにや笑いながらそんなことを言ってくる。かなり鬱陶しい。黙っていても汗をかくこの地獄のような気候で、なぜこうも無駄に元気なのか。暑苦しいことこの上ない。
こういう時は、しなくてもいいことはなるべくせず、省エネで過ごすのがいいと思う。
そんなことを思いつつ力斗に適当に応える。
「別にいいよ。そもそも僕、携帯持ってないから教えてもらっても仕方ないし」
「そこはそれ。いえ電と携帯で始まる恋を目指せばいいじゃんか? メールはできないけど、そういう壁こそが二人の愛を育むんだよ」
そんな、頭がおかしいとしか思えないことを喋る力斗。
なんだかなぁ……
「それより、宗輔。お前、この前の模試、偏差値いくつだった?」
と、そこでいきなり会話に参戦したのは幹継。唐突に答えにくいことを訊く男である……
僕は少し躊躇しつつ――
「よ、40くらいだったかな?」
そして、KS大学に合格するには大体50くらい必要だといわれる。今のところ落ちる確率がだいぶ高かったりする。
「それで、自主的にこの夏勉学に励むつもりは――ないだろうな」
軽く笑いつつ、幹継は断定する。
「失礼な、と言いたいところだけど、この暑さと遊びたい欲に勝てる気もしないし、まあ勉強は二学期が始まってからでもいいんじゃないかなぁ〜とは、確かに思ってるかな」
正直に答えると、幹継は言葉の矛先を力斗に変えて言う。
「というわけで、来栖さんには落ちる気配が濃厚という追加情報も教えてあげるといいと思うぞ」
「そうだな。つか、宗輔。お前確か農学部志望だろ? 農学部はちょいと難易度高めで、合格者の平均偏差値55くらいだぞ。夏休み中ちょっとくらい勉強してないと、結構やべぇと思うがなぁ」
そのように僕に話しかけながら、携帯のボタンを凄い速度で押す力斗。こういう時思わず、お前は女子高生か、って突っ込みたくなるんだけど、完璧偏見である自覚があるし、色々な方面から苦情がきそうなので口には出さない。
それはともかく、夏に勉強ねぇ…… もっと涼しければそんな思考を持たないこともないんだけどなぁ……
なんて考えてる時点で、自分が相当駄目なことくらいはわかる。
……睡眠学習ツールとか買ってみようかな。
ダダダダダダッ! ばあんっ!
アホなことを考えていると、何かが駆けてくる音に次いで教室の扉が乱暴に開けられる。
驚いて視線を送ると――
「あれ? 西陣さん」
瞳にうつったのは、肩で息をしている西陣さんだった。相変わらず可愛い。
その西陣さんはこちらに気づくと、早足に向かってくる。
そして僕の目の前で止まった。
「久遠寺くん! KS大学落ちるの確実ってホント!?」
大声で訊かれて、さすがにへこむ。
落ちるの確実って……
「い、今受けたら確実に落ちるだろうけど、まああと半年くらいあるわけだし、それまでには――」
「騙されないようにねー、来夏ちゃん。そいつ直前にならないと何もしない上に、それで間に合わなくなるタイプだから」
く、力斗の奴……! つか、『来夏ちゃん』って!
軽く睨みつけるが、力斗は知らぬ存ぜぬといった感じで視線を逸らした。
「じゃあ、やっぱり今のままだと落ちちゃうのね…… せっかく一緒の大学受けても、久遠寺くんが落ちちゃったら意味ないじゃない」
ざわっ!
西陣さんの言葉に、僕らの近くでたむろしていた奴らがこちらに注目して騒ぎ出す。
まあ、彼らがどういうことを話しているのかは察しがつく。さっきの西陣さんの言った内容を思えば、シャーロック・ホームズや明智小五郎じゃなくたって分かる。
まあ、面倒だから誤解を解いたりはしないけど。というより、誤解のままにしといた方が気分がいいというか……
「よし! 決めたわ!」
と、そこで何かの決意を固める西陣さん。
その決意がどんなものかは、直ぐ後の彼女の台詞で明らかになった。
「夏休み中、あたしが勉強を見てあげる!」
「ええぇえ!」
勉強したくないなという気持ちと、西陣さんと一緒に過ごせてお得かもという気持ちがない交ぜになって、思わず叫ぶ。
すると、西陣さんは僕の手を取って熱く叫んだ。
「大丈夫! 任せといて! こう見えても成績はいい方なんだから!」
と、西陣さんが叫んだちょうどその時、開け放たれたままだった扉から女の子二人が小走りでやってきた。
「あ、いたいた。やっぱここにいたか」
「すみません。うちの来夏がご迷惑をおかけしまして」
彼女達は確か――さっき力斗がメールしてた来栖志穂さんと、もう一人は御堂玲紗さんだったかな?
「ごめんね、宗輔くん。バレンタインの件でも分かると思うけど、来夏って思い込んだら一直線で」
「べ、別にそんなことないでしょ」
「志穂がメールを読み上げた直後に、走って他のクラスに突っ込む女がよく言うわ」
どうやら先程の力斗のメールが発端らしい。これで、一緒の大学に入りたい理由というのが、気絶チョコ大作戦でなければ、かなりおいしい状況なんだけどなぁ。
西陣さんを見詰めつつそんなことを考えるが、直ぐに視線を来栖さんに移して応える。
「別にいいよ。それに、勉強見てくれるってんなら嬉しいくらいだし」
正直に言うと、来栖さんは呆れた顔を西陣さんに向ける。
「来夏。さっき私達の勉強も見るって言ったばっかじゃない……」
「まあ、来夏が久遠寺宗輔にかかりきりになってくれれば、私は面倒が減って嬉しいけど」
「それは私もだけど」
御堂さんと来栖さんがそれぞれ言った。
つか、御堂さんは何でフルネームで僕を呼ぶんだろう……
「駄目だよ! 志穂と玲紗も、久遠寺くんと一緒に勉強だよ! そして全員で合格するの!」
高らかに宣言する西陣さん。
彼女の話しぶりから考えて、来栖さんと御堂さんも、僕と同じで成績がやばい組みたいだ。
「いやいや、三人も一気に見るなんて、いくらなんでも――はっ!」
呆れたような口調で言った来栖さん。しかし、その途中で何かに気づいたように言葉を止める。そして――
「そうだ! 良かったら私の勉強は幹継くんが見てくれないかなぁ?」
「俺が?」
突然話を振られた幹継は、驚いた様子で訊きかえした。
うんまあ、来栖さんがそう考える気持ちは分からなくもないんだけど、その提案には致命的な欠点があるんだよなぁ。
そんなこととはつゆ知らず、来栖さんは言葉を続ける。
「うん。来夏一人で三人も見るのは大変だし、だったら、もう一人先生的な立場の人がいたらいいんじゃないかなぁって。……駄目?」
上目遣いに幹継を見詰めて訊く来栖さん。
幹継は軽く息を吐いてから応える。
「構わないけど、勉強をみることはできないと思うな」
「ホント! ――って、え?」
嬉しそうに声を上げた来栖さんだったけど、幹継の言葉のおかしさに気づいて訝しげな表情になる。
幹継は構わずに先を続けた。
「眼鏡のせいなのか何のせいなのか、よく勘違いされるんだけど、俺は成績良くないよ。まだ宗輔の方がましなくらいだし。ちなみにこの前の全国模試の偏差値は30な」
為された情報開示。
そう。幹継は一見優等生だから勘違いされがちだけど、成績は地を這ってるという表現がぴったりという状態。クラスの皆はさすがにもう知ってるから勉強訊いたりしないけど、今でも後輩とかには教えを請われるらしい。
つか、この前の偏差値は僕も初めて聞いた。そんなに悪かったんかい……
「そうなの? う〜ん、そうすると困ったわねぇ。来夏が四人をまとめて相手することになるし……」
一瞬気まずそうな顔になった来栖さんだったけど、直ぐに明るい口調で言った。
幹継が成績悪くても一緒に勉強するのは決定なんだ…… まあ、幹継も僕と同じでKS大志望だし、勉強する必要はあるだろうけどさ。断ろうとしないあたり、幹継も文句はないみたいだし。
というか、西陣さんが四人を見るっていうのはさすがに…… ここは助っ人が欲しいところだよね。
「ふふふ。ならオレの出番だな」
そこで、力斗がもったいぶって話し出した。
しかし――
「あ、悪いけど力斗くんは外れてね。来夏一人で五人の相手ってのはさすがにだから」
来栖さんが笑顔で言った。
……ま、まあ、この誤解も昔からよく起きるんだよね。力斗は外見やら行いやらがアレだから。けど――
「なめてもらっちゃー困るよ、志穂ちゃん。こう見えてもオレは――」
そう言ってから、力斗はB4サイズの紙を突き出す。
それが何か知ってる僕と幹継は特に反応せず、一方で女性陣は顔を近づけて注視する。
しばしの沈黙。
そして――
「え? 偽造文書?」
「ちょっと志穂、失礼だよ」
「まさか刈谷力斗が来夏と同じくらい成績優秀とはね」
それぞれ言葉を紡いだ。その視線の先にあるのは力斗の模試結果だ。
そう。あれで力斗は成績優秀。この前の期末テストも、僕が諦めてふて寝を始めるのとほぼ同時期に、余裕で全ての問題を解き終わった彼が寝始めたという程である。
ちなみに、彼が今みたいに直ぐに模試結果を取り出せるのは、あまりに皆が成績のことを信じないために、常にスタンバって用意しているためだったりする。
と、そこで、来栖さんも漸く力斗の優秀な成績を認めたよう。
「へー、意外ー。見直したわ、力斗くん」
そんな風に微妙な賛辞を送った。
「凄いねー、刈谷くん」
次いで、西陣さんも笑顔で声をかけている。少しうらやましい……
「これなら志穂と有川幹継を安心して任せられるわね」
そして、最後に御堂さんが――あれ? もう組み分けが決定してるの?
そんな疑問を持った。
すると、西陣さんも似たようなことを思ったのか、御堂さんに訊いた。
「刈谷くんが志穂と有川くんに教えるのは決定なの?」
「もちろんよ。私は刈谷力斗よりも来夏がいいし、久遠寺宗輔も来夏にみてもらいたそうだし」
『へ?』
御堂さんの言葉に間の抜けた声を上げると、西陣さんとぴったり揃った。
思わず彼女の方を見る。すると、彼女もまたこちらを見ており目が合った。
慌てて何かを言おうとする――と、
「そうなの?」
西陣さんが訊いてきた。
えっと……
「うん。西陣さんに教えてもらいたいな。いつもは力斗に教えてもらってるし、偶には気分を変えたいなって」
なるべく冷静さを装って応えた。
僕の言葉に、西陣さんは笑顔を浮かべ――
「オッケ! じゃー、玲紗と一緒に面倒みちゃう。言っとくけど、ビシバシ厳しく行くからね」
「はは、お手柔らかに」
そう応え、西陣さんと目を合わせて笑む。それで、取り敢えず話がひと段落ついた。西陣さんも来栖さんと話し始めた。
ふぅ〜、頑張ったよ。僕、頑張ったよ。
「とんだヘタレね、久遠寺宗輔」
「うわっ! ……て、御堂さん」
「あのまま告白でもすればいいものを…… 何やってるのやら」
肩をすくめて呟く御堂さん。
「こ、告白って――僕は別に」
「ま、いいけど。それより、来夏組に入れてあげたお礼だけど、その内何かおごって貰うからそのつもりで」
「へ?」
御堂さんの突然の提案に、僕は間の抜けた声を上げる以外にすることができなかった。そして、次の言葉を紡ぐ前に――
「じゃ、志穂にも話があるので、これで」
御堂さんは片手を挙げてから僕の側から去っていった。
ま、まあ、西陣さんに勉強を教えてもらえる状況を作ってくれたんだし、御堂さんにお礼をするのはやぶさかでないわけだけど…… いったい何をおごらされるんだろう、という不安は大いにある。
「はいはい。わかったわよ。まったく玲紗は毎度のことながら……」
と、そこで来栖さんが溜め息混じりに言った。その話相手は御堂さん。
先程のこともあるので、来栖さんも僕みたいに何か要求されたんじゃないかという気になる。けど、さっきの組分けで来栖さんに恩が売れたとも思えないし、考えすぎかな。
そんなことを考えていると――
「ま、何にしてもだ。この六人で夏を立派に制して、受験の野郎を制してやろうぜ!」
力斗が気合充分に言った。
それにノリのいい来栖さんが元気よく腕を振り上げ――
「おーっ!」
と声を上げた。
僕や幹継、西陣さんと御堂さんは、そんな来栖さんのあとで声をそろえてテンション低めに、おーと声を上げる。
その後、力斗や来栖さんに声が小さいと叱咤され、クラスメートの好奇の目に晒されながら気合を入れる声上げを続けた。
暑い中何やってんだろうと、軽くへこんだけど…… ま、夏休み中西陣さんと会えることになったし、楽しい夏になりそうな気がしなくもない。
うん、頑張ろう。色々と……