茶色くも白くもない日 Rikito side

 ま、これまでに色々あったって、一番大事なのは今だよな!

 ただいま夏休み真っ最中。メチャクチャ暑いDEATH……
 夏なのだから仕方がないと言ってしまえばそれまでだが、ここ最近の暑さは異常だ。某ニュースによれば、場所によっては40.9度などというふざけた数値をたたき出したらしい。
 水分やら塩分やらをきちんと取って、なるべく日向には長時間いないようにしないと、即行で救急車のお世話になっちまうだろうな……
 けどまあ、図書館に避難している俺たちには関係のない話か…… 我らの母校は地獄のような暑さをキープしていたが、市立図書館は冷房完備。市もいい仕事をする。
 もっとも、暑さというネックを乗り切る文明の利器があったとしても、違う質のネックを乗り切ることができないという問題があるのだが……
「じゃあ、これなんて意味?」
「んー…… なめ…… なむえ…… なまえ…… ああ、名前じゃないか?」
「おお、合ってる! 凄い、幹継くん!」
 中学生でも分かるだろう英単語を問題として出された幹継は、随分と時間をかけて答えを打ち出した。しかも、ど忘れしたのを思い出したというレベルではなく、全く分かっていないものを勘で答えたら合ってたというレベル。
 てか、nameくらい分かってくれよ。
 幹継に勉強を教えるのは初めてじゃないが、いつもこいつにはどこから教えればいいのか悩まされる。中学英語から始めるべきなのか? いや、つーより……
「なあ幹継。nameって、期末テスト前の勉強会でもやらなかったか?」
 nameを、なめ、なむえ、なまえと変換していく幹継にデジャヴを覚え、訊いてみる。
 しかし、幹継は首を傾げ、
「そうだったか? 覚えがないが……」
 眉を顰めて、難しい顔になって言った。
 ……志穂ちゃんに勉強教えるという、青春劇場を繰り広げるのを少し楽しみにしていたが、幹継の相手をするだけで滅茶苦茶大変なんじゃね? これ……
 あとは、志穂ちゃんが幹継よりはましなことを祈るばかりか……
「時に志穂ちゃん。これはなんていう意味か分かる?」
 試しに、目に付いた単語を指差して訊いてみる。俺の指の先にはrightという文字列が。色々と意味はあるが、取り敢えず代表的な意味は『右』か。
「これ? えーと、これはー…… あ、『光』じゃない!?」
 ……ライトとは読めてるらしい。
 これは……惜しいと評するべきなのか? ……ま、そうしといた方がやる気出してもらえるか。
「いやあ! さすが志穂ちゃん! 惜しい! 『光』のライトはこっち。このライトは『右』とか『正しい』とか、そんな意味だよ」
 メモ用の紙にlightと書きながら、笑顔で明るい口調を心がけつつ言う。
「なるほどー。ライト違いだったんだー。それにしても、何も見ないで英単語を書けるなんて、さっすが成績上位! 人間見た目じゃないね!」
 びしっと右手の親指を立てて言う志穂ちゃん。
 ……どうしよう。他の教科がどうかは知らないけど、英語やばくね?
 暑い夏を乗り切る文明の利器があるのは素晴らしいことだが、受験生としての夏を乗り切るための文明の利器も、誰か造ってくれねぇかなぁ……

「少し休憩するか……」
 英語よりはマシだが、それでも絶望を覚える状態の各教科。
 教えてるこっちが頭痛くなってきたので、そのように提案した。
 幸い志穂ちゃんも幹継も異存はないようで、肯定と取れる言葉を発して、座っていた椅子の背もたれに寄りかかった。
「いやー、疲れたー。あ、はい。飲み物」
 大きく伸びをした志穂ちゃんは、そう言って幹継にペットボトルの麦茶を差し出す。で――
「ありがとう」
「なんのなんの。一緒に苦しんでる者同士でしょ」
 志穂ちゃんは自分の分のペットボトルも取り出して、幹継と乾杯する。
 ……えーと、泣いていいかな?
「……ねぇ、志穂ちゃん?」
「うん? 何、力斗くん」
「あのさ。俺の分の飲み物もあったりしないのかなぁ、なんて――」
「ないよ」
 そんな……素敵な笑顔で……
 てか、もしかして志穂ちゃんって、幹継のこと狙ってる?
 ……い、いや! まだそうと決まったわけじゃないさ! それにそうだとしても、きっと、こうして勉強を見ている間に、愛が芽生え――
「とはいえ、勉強を見てもらってる身なわけだし、飲み物くらい奢ってあげよう! じゃ、ちょっとパシってくるね」
 俺が頭を抱えて悩んでいるのを見て勘違いし、気を使ったのか、志穂ちゃんはそう言って立ち上がった。
「あ、いや、別にいいぜ? そんなに喉渇いてないし」
 ただ、パシらせるのも悪いし、断る。
 しかし、
「そう遠慮せずに。この暑い中、水分取らないでいると死んじゃうよ?」
 志穂ちゃんは止まらない。鞄から財布を取り出して立ち上がり――
「ああ。俺が行くよ。来栖さんは二人分の飲み物用意してきたわけだし、力斗の分は俺が買って来よう」
 それを幹継が止めた。
 すると、今度はあっさり諒解する志穂ちゃん。
「そう? さすが幹継くん。優し〜」
 扱い違いすぎ…… また泣きたくなってきた……
「そんなことないさ。じゃ、行って来る」
 そう声をかけつつ幹継が自販機がある方向へ向かうと、志穂ちゃんは満面の笑みでそれを見送る。その瞳はハート型。
「ふぅ…… 幹継くんってカッコいいよねぇ。ね、力斗くん」
 幹継狙い確定だし! てか、俺に聞かないで下さい、マジで。
 けどまあ、無視するわけにもいかず――
「ま、まあ、そうだよな。けど俺だって――」
「だよねぇ」
 取り敢えず肯定を返してみてから、自分の売り込みもしてみようかと思ったのだが、志穂ちゃんはその先を続けることを許してくれなかった。俺の言葉を遮る。
 そして、彼女はペットボトルのふたを開けて、麦茶を口に含んだ。
 くぅ…… いやまて! よくよく考えれば、今俺と志穂ちゃんは二人きり。親睦を深めるチャンスじゃないか!
 よし! さて、どんなストロベリーな話題を――
「そーいえば、来夏達はどんな感じかなぁ」
 って、先越された!
 と、とはいえ、ここから色気のあるトークに持って――いけるか……? むずくねぇか……
「どかした? 力斗くん」
 話の方向性に悩んでいると、志穂ちゃんに声をかけられた。いつまでも反応しなかったので、少し不機嫌そうだ。
 まずい、まずい。親睦を深めるどころか、嫌われちまうぜ。
「ああ、いや。ちょっとね。てか、来夏ちゃんなら苦労してるんじゃないかな。宗輔は直ぐにサボりたがるからなぁ」
 とにかく反応をして、宗輔についての意見を口にしてみた。
 来夏ちゃんと玲紗ちゃんのことはよく知らないし、棚を幾つか挟んだテーブルにいるあちらのメンバーを話題にするなら、宗輔を軸にして話をするしかない。ちなみに、宗輔が直ぐにサボるのは本当だ。俺もいつも苦労している。
「へぇ、そうなんだ。けど、そうなるとちょっとまずいかも」
 志穂ちゃんは適当な様子で反応して、しかし、直ぐに眉を顰めた。
 何がまずいのだろうか……?
「どうかしたの?」
 訊いてみると、志穂ちゃんはこちらを見て、話し出す。
「宗輔くんが来夏に対して迷惑かけ過ぎたら、玲紗がブチキレる可能性が高いのよ」
 ? ちょっとおかしくなかったか、今の話。
「えっと…… 来夏ちゃんじゃなくて、玲紗ちゃんがキレるの?」
 普通に考えて、キレるのは来夏ちゃんじゃないだろうか?
 そんな疑問を覚えて訊いてみると、志穂ちゃんは頷いて肯定を示す。
「そうだよ。来夏は滅多に怒らないし、キレるのはまず間違いなく玲紗。躊躇なく宗輔くんの頬向けて右手のひらを打ち出すと思うわ」
「でも、宗輔が勉強をさぼっている状況で玲紗ちゃんがキレるのっておかしくない。教えてる来夏ちゃんなら分かるけど」
 そう訊くと、志穂ちゃんは右手の人差し指を振って、もっともらしくチッチっと舌を打った。
「まあごもっともな意見だけど、その疑問を解決するのは簡単。一つの事実で謎は全て解けるのよ」
 そこで志穂ちゃんは、もったいつけて少しためる。
 い、いったいどんな事実が……
「玲紗はね……」
 ごくっ……
 声を顰めて先を続ける志穂ちゃん。俺は思わず生唾を飲む。
 そして、愈々驚愕の事実が――
「来夏のことを好きなのよ!」
 ……………
 えーと……
「それだけ?」
 拍子抜けして、思わず訊く。
 すると、志穂ちゃんは慌てて口を開いた。
「え? 何? 今ので分からない? あ、そか。ちょっと表現が甘かったかな。つまりね? 好きなんてレベルじゃないの。もう、愛してると言っても過言ではないのだよ!」
 愛してる、となると、それは友達としてではなく……?
「えー、つまり玲紗ちゃんはそういう趣味……という――」
「いや! それも違うし。ごめん。過言だった。そうだなぁ。命の恩人に対するみたいに敬愛してる、くらいがちょうどいい表現かも」
 なるほど…… まあ多分、宗輔が何かやらかしたら、来夏ちゃんの代わりに激しく怒り出すくらい、玲紗ちゃんは来夏ちゃんのことを大事に想ってるということか。
 ふむふむ。素晴らしき哉、友情、ってか。
 にしても――
「別に悪いことじゃないし、いいっちゃあいいんだけど、玲紗ちゃんはなんでそんなに?」
 少し気になったので訊いてみた。けどまあ、あんまり話が深くなるようなら――志穂ちゃんが話すのをためらうようなら、直ぐにその疑問は撤回するつもりだけど……
 しかし、そんな俺の考えは露知らず、志穂ちゃんは普通に話し出した。
「ま、単純な話。玲紗は昔ちょっと孤立しててね。それで、そんな玲紗に積極的に話しかけて、クラスに馴染ませたのが当時転校生だった来夏。それから玲紗は刷り込まれたひな鳥」
 なるほど。確かに単純だ。そして、来夏ちゃんがいい子だ。
 俺は思ったとおりに口に出す。
「来夏ちゃんはいい子だねぇ」
「そうなのよ。それで、私はあんまりいい子じゃなかった」
 何気なく言った俺に、志穂ちゃんは微妙に自虐的なことを口にした。
「……どゆこと?」
「来夏が転校してきたから玲紗はクラスに馴染んだ。逆に言えば、来夏が転校してくるまで玲紗はずっと孤立してたの。私も……玲紗に話しかけたりはしなかった」
 少し無理やりな感じで笑って、志穂ちゃんは言った。
 それで……ね。
 つか、まー。
「別にいいんじゃねぇの」
「え?」
 シャーペンを適当に弄りながら言うと、志穂ちゃんは呆気に取られたように呟いて、こちらを見た。俺の態度を見ると、少しばかり不機嫌そうになった。
 そして、唇を尖らせて言葉を紡ぐ。
「そりゃあ、力斗くんにとってはどうでもいいだろうけど!」
 ま、そういう風に誤解されるだろうとは思った。
「いや、そうじゃなくてさ」
「じゃ、何さ」
 なおも機嫌が悪そうな志穂ちゃん。
 ここで幹継が帰ってきて話中断、とかなったら最悪のタイミングだけど、幸いそうはならなかった。俺は続きを口にする。
「俺から見て、今の志穂ちゃんと玲紗ちゃんは普通に友達だよ。ギクシャクしてるでもなく、仲が悪そうでもなく、仲良しの友達同士に見える。なら、いいんじゃないの?」
「……………」
 志穂ちゃんは唇を尖らせたまま黙っているので、俺は更に続ける。
「来夏ちゃんが来る以前のことを、志穂ちゃんは後悔した。だから玲紗ちゃんに歩み寄り、友達になった。反省なんてしないで、いつまでも意地を張って、玲紗ちゃんと疎遠のままでもいられたのに、でもそうはしなかった」
「……………」
 やはり、志穂ちゃんは沈黙を続けた。けれど、その唇は普通の、形のよいものに戻っている。
 俺は、なおも続ける。
「反省して、意地を捨てて、それで態度を改めるのって案外難しいもんだ。だからさ。どんな経緯があったとしても、今現在、玲紗ちゃんと友達でいる志穂ちゃんも、俺はいい子だと思うけど?」
 そのように笑って声をかけると、志穂ちゃんは俯いてまた沈黙した。しかし、直ぐに顔を上げて、笑う。
 そして、彼女の口からは明るい声が漏れる。
「70点」
「へ?」
「ちょっとありきたり過ぎ。もうちょっと斬新なことを言ってれば、100点をつけてあげられたかな」
 あらら。そいつは手厳しいことで……
「けど……」
「ん?」
 ちょと点数稼いだかなぁとか思ってただけに、厳しいご意見にしゅんとしていると、志穂ちゃんが小さく呟く。そして、その後には――
「サンキュ」
 短い感謝の言葉が。
 こ、これは、一気に幹継よりも優位に立ったのでは――
「ただいま。ほら、力斗。ファンタだ」
「うお!」
 そこでタイミングよく帰ってきた幹継。つか、タイミングよすぎ。飲み物買いに行っただけにしては、時間かかりすぎてるし。
 俺は、ファンタを受け取って礼を言ってから、声をかける。
「なあ。もしかして、話し終わるまで待ってたか?」
「ああ。何やら少しだけ深刻な空気だったし、あっちの棚の本を適当に読みながら時間潰してきた」
 幹継はそう言ってから、だからファンタが少しだけぬるくなってるのは我慢しろ、と言って志穂ちゃんから貰った麦茶を口に含んだ。
 志穂ちゃんはそんな幹継を瞳に映し、やはりハートを二つ顔に貼り付けた。
「さすが幹継くん! 知的で気遣い上手だわ……!」
 まだ、幹継には大差をつけられてるらしい……
 ふんっ! いいもんねっ! これから徐々に接近していって、幹継よりも上に行ってやるもんねっ!
 そんな風に決意を新たにしていた時だった。
 ぱちいぃんっ!
 小気味のいい音が響いた。
 何事かと視線を巡らしていると、
「あ。玲紗がやっちゃったかな?」
 頬に一筋の汗を携えた志穂ちゃんが言った。
 ああ、さっき言ってた……
 つかその場合、俺的には、宗輔がやっちゃったかぁ……、って感じだけどな。

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