お菓子強奪未遂事件とかぼちゃ仮面の悲劇
龍ヶ崎(りゅうがさき)の町に仮面の化け物が降り立つ。

 日本のどこかにある龍ヶ崎の町に、如月睦月(きさらぎむつき)という筆名の児童文学作家が住んでいた。彼は本名を長篠冬流(ながしのとうる)といい、母の長篠夏樹(なつき)、兄の長篠秋良(あきら)、義姉の長篠春風(はるか)、姪の長篠夏茄(かな)と5人で暮らしている。
 冬流は、児童文学作家とは言ってもまだ駆け出しで、世に送り出した作品は片手で数えられる程しかない。その上、現在抱えている仕事は月刊誌で連載しているエッセイ以外には何もない。それゆえに、基本的には暇をもてあましており、4歳になったばかりの姪御の世話が主立った役目となっていた。
 本日10月31日もまたその例に漏れず、姪御の手を引いてぶらぶらと秋の気配漂う商店街を歩いている。
 軒を連ねる店舗は、橙色と茶色を基調としたポップなディスプレイで彩られており、楽しげな雰囲気がアーケード街を満たしていた。
 冬流もまたその雰囲気に触発され、楽しそうに辺りを見回している。
「おー。そうか、ハロウィンか。地方都市にありがちな閑散とした様子はともかくとして、ディスプレイだけでも楽しげなのはいいこった」
 うんうんと満足げに頷く冬流。
 そのような彼を見上げ、夏茄は繋いでいる左手をくいくいと引いた。
「ねー、とーるちゃん。はろうぃーってなぁに?」
 尋ねられると、冬流はすっとしゃがみ、夏茄と目線を合わせる。
「ハロウィーじゃなくてハロウィン、な。お祭りみたいなもんだ。お菓子がもらえるんだぞ」
「ほんとー?」
 簡易的な説明を受けると、夏茄はぱあっと顔を輝かせた。そうしながら、キョロキョロと辺りを見回す。
 とことことこ。
 冬流の元を離れて1つの店舗へ足を向ける夏茄。
「おい、夏茄。どこ行くんだ?」
「おかしください」
 にっこりと笑み、夏茄が言った。ケーキ屋の店員に向けて。
「え? えーと」
 アルバイトらしき女性店員は、戸惑った様子で小さい小さい女の子を見ている。
 冬流は小さく息をついて、そちらへ歩み寄る。
「こら。夏茄」
 店員は、これで困った状況から抜け出せる、と安堵した。
 しかし――
「『おかしください』じゃ駄目だ。『トリックオアトリート』。言ってみな」
(えーーーーっ!)
 店員は心の中で思い切り叫んだ。そこはどうでもいいよ、と呆れつつ。
「とりっくおあとりーとっ!」
 にぱっ。
 再度、いい笑顔を浮かべて夏茄が叫んだ。
「ええと、あのね。そのぉ……」
 嫌な汗を浮かべ、店員は慌てる。期待に満ちた幼子の視線を一身に受けたらば、無情な現実を言葉にすることを躊躇うのは人の世の常だ。しかし、だからといって、アルバイトの身で勝手にケーキをプレゼントするわけにもいかない。
 しばし、ニコニコと微笑み続ける女の子と、忙しく視線を泳がす店員の対決が続いた。
 ふぅ。
 と、そこで息をつくものが1名。冬流である。
(流石にタダじゃ無理か)
 すっ。
 彼は、夏茄の視界の外で、1000円札を出して見せた。
 店員は視界の端でそれを捕らえ、安堵の息をつく。そして、夏茄に微笑みかける。
「じゃあ、好きなケーキを選んでいいよ。何がいい?」
「いちごのったやつー」
 店頭にまばゆい笑顔の花が咲いた。

「ただいまー!」
 とてとてとて。
 元気よく玄関をくぐった少女は、居間へと急ぐ。大事そうに抱えている箱の中身について、大好きな人物と喜びを分かち合いたかった。
「おや。夏茄、おかえり。どうしたんだい? 楽しそうだねぇ」
 優しい声音が長篠家の居間に響く。声の主は長篠夏樹。来年62歳になる、夏茄の祖母である。
「おばーちゃん、みてー! けーきもりゃったのー!」
 満面の笑みを浮かべる孫に、祖母は同じく笑みを向ける、が――
(もらっ……た……? はて。どういうことかねぇ)
 頭の中は激しく混乱していた。
 夏樹はハロウィンという行事を一切知らない。それゆえに、商店街で為されたやりとりを類推することなど能わなかった。
 もっとも、商店街でのやりとりが通常のハロウィンのそれかというとそんなことはないため、例えハロウィンを知っていたとしてもやはり類推することは出来なかったであろうが……
「よかったねぇ。……春野さんに貰ったのかい?」
 夏樹が尋ねた。
 春野さんというは、隣人の春野ハナのことである。ハナは独身であり、子も孫もいない。それゆえか、夏茄を可愛がっていた。夏茄にケーキを与える可能性は高い。
 しかし、事実はそうではない。当然、夏茄は小首を傾げてから、フルフルと否定を意味するジェスチャーをした。
「ちがうよー。はろうぃーだよー」
 話の通じていない様子が不満なのか、夏茄が頬を膨らませて言った。
「はろうぃー、かい?」
 孫の言葉をそのまま繰り返す祖母。しかし、当然ながら理解はしていない。
 そんな中――
「トリックっ! オアっ! トリートっっ!!」
 聞き覚えのある声が響いた。扉の方向から聞こえてきた。
 夏樹がそちらへ視線を向けると、見覚えのない人影があった。
 まず奇抜なのが、顔である。率直に言えば、カボチャであった。顔がカボチャなのだ。目鼻口にあたる部分はくりぬかれているが、どこからどう見てもカボチャである。そして、体全体が闇色のマントで覆われていた。
 どうあがいても、扉のところにいるのは不審人物である。
 しかし、夏樹は呆れるのみで、慌てることはない。
(声からして、冬流だねぇ。また妙なことを……)
 一方で――
「わあああああぁあああぁああぁぁああぁあんっっ!!」
 幼子は泣き出した。
(あらあら。まあ、当然かねぇ)
 ひとり納得し、苦笑する夏樹。
 対して、謎のカボチャ仮面こと冬流は、びくうっと後退ってオロオロとしだす。
 泣き続ける幼子と狼狽する仮面男の姿が長篠家の居間にあった。
 が、しばらくすると、冬流が体勢を立て直した。キッと前を向き、しゃがみこむ。
「やあ、ぼくジャック。ぼくとお友達になってよ!」
 甲高い声が響いた。
 このところ夏茄が気に入っているネズミ型キャラクターのものまねらしい。なかなかに似ている。
 異形の者が、存外親しみやすい声と態度であったためか、夏茄は泣き止み、戸惑った表情を浮かべた。かぼちゃの顔を見つめ、しきりに首を傾げている。しかし、しばらくすると小さく微笑んだ。
「ジャーくん? なんでうちにいるのー?」
「君と遊びに来たんだよ、ハッハァ!」
 妙なジェスチャーと共に、妙な笑い方をする冬流。間違いなく怪しい。
 しかし、夏茄はその様子に気をよくしたようである。お気に入りのキャラクターに似ていることに加え、遊んでくれるというのが嬉しかったらしい。満面の笑みを浮かべている。
「ほんとー? じゃーねー、おままごとしよー」
「いいね。やろうやろう!」
 カボチャ仮面が快く返事すると、夏茄はにっこーと眩い笑みを浮かべてから冷蔵庫にケーキの箱を置き、おもちゃ箱のある部屋へ向けてトトトッと駆けていった。しばらくすれば、おままごとグッツを抱えて戻ってくることだろう。
 その間隙を縫って、夏樹は冬流に尋ねる。
「冬流。その怪しい仮装も、ケーキを貰える『はろうぃー』とやらに関わりがあるのかい?」
「ハロウィーじゃねぇよ。ハロウィン。ざっくり説明すると、お化けやら魔女やらの仮装をしつつ菓子を強奪する外国の行事だ。夏茄に菓子強奪の実践はさせたからな。ついでに仮装の実践も見せようとした結果がこの格好だ」
 真面目にハロウィンを行う地域の人からすると、突っ込みどころが多すぎる説明であった。
 しかし、夏樹は信じた。素直な質なのだ。
(変わった行事があるんだねぇ)
 呆れ半分、感心半分といった風に息をついている。
 とことことこ。
 そこで、夏茄が戻ってきた。
「ジャーくんはおとうさんねー。かなはおかあさん。でー、ぬいぐるみのくまきちがこどもー。これはおさら。これはふぉーく。でね。こっちはね」
 小道具をコトコトと床に置き、それぞれの説明を始める夏茄。舌足らずな言葉で、懸命に家族構成や部屋配置、家具配置など、各種設定について話している。
 冬流は相変わらず甲高い声で、なるほどねハッハァ、などと相づちを打っていた。
「ふふ。仲良くやるんだよ。お婆ちゃんはちょいと休むね」
 と、夏樹は楽しげな息子と孫へひと声かけ、居間を後にする。そろそろ年なのか、頭病みが酷いことが多くなってきた。少し横になりたいところであった。
「うん! またねー!」
「ええ。またあとでね」
 ぱたん。
 夏茄へ返事をしてから、居間の扉を閉め、夏樹は自室へ向かおうとする。
 そこへ、扉の向こう――居間から声が聞こえてきた。
「あれー? そーいえば、とーるちゃーは−?」
「……さ、さあ? きっとお仕事なんじゃないかなハッハァ!」
 このところ、仕事の『し』の字すら気配を見せていないというのに、冬流は言ってのけた。
 ふぅ。
 居間から遠ざかりながら祖母は、嘆息する。
(まったく。仕方のない子だねぇ。ふふ)
 そして、苦笑してみせた。

 数刻後、夕食の買い物に出かけていた夏茄の母、春風が帰宅し、見知らぬ怪しいかぼちゃ仮面を殴り倒す事件が発生した。が、それはまた別のお話。
 晴れ渡った空がとても高く感じた秋の日の夕刻。龍ヶ崎町は今日も1日、いたって平和であった。

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