六.指輪を欲さんとする者暗き淵に潜る

 アジャスは、再び老人の背に乗せてもらい大空を駆けている。
 リムルダールで会った『鍵欲しいよ男』に、ローラが立ち寄りそうな場所――つまり金儲けができそうな場所を聞いてみたところ、ガライの街の南に位置する岩山の洞窟ならよく宝物が見つかるらしいという答えが返ってきた。
 アジャスは、一国の王女が宝を求めて洞窟探検なんてするか? という疑問を浮かべたが、実際に老人のいる洞窟に入り込んでいたことを思い出してその疑問を振り払った。
 何にすれ、他に手がかりもないことだし取り敢えず行ってみよう、ということになって現在に至るのである。
「あれが竜王の城か……」
 今、眼下にはラダトーム城と同程度の規模の城が見渡せる。そここそが、アジャスの言ったとおり、全ての事件の元凶と噂されている竜王の住処なのである。
「ここからでもわかる禍々しい魔力…… さすがに魔物達の総大将だけあるぜ」
 とアジャスは、その場から感じられるとてつもない魔力に顔を顰めて言った。
 竜と化した老人は、そんなアジャスの言葉を聞いてから首をひねる。
『しかし妙じゃな。この魔力、ドルーガのものではないぞ』
「ドルーガ?」
『ああ、竜王の名じゃ。つい百年ほど前に真祖ドルーア様の血を継いだ新たなる真祖。その魔力は儂やお主の及ぶところではないが…… 今感じられる魔力、これはドルーガのものではない。あやつはあそこで何をしているのじゃ?』
 老人はそう呟き、力強く羽ばたいていた羽に込める力を幾分弱める。それにより落ちるということはなかったが、頬に感じられる風の強さは明らかに弱まった。
「? よくは分かりませんが、まあ何にしても、ローラ様を見つけ出さない内にあそこに乗り込むわけにはいかないとリムルダールでわかったわけですし、今はスルーして岩山の洞窟へと急ぎましょう」
 アジャスは明るい声を出して無理やり話を打ち切る。
 少々落ち込んだように見える老人を気遣ったのだろう。もっとも、実際スルーすることしかできなかったりもするのだが……
『そうじゃな』
 老人はそう低く答えてから、再び翼に力を込めた。

「あんたらもそこに入るのか?」
「そうですけど……」
 アジャスと、老人扮するローラが岩山の洞窟に入ろうと準備していると、四十過ぎくらいの男性が声をかけてきた。見たところ商人か何かだろう。
「ならものは相談なんだが、俺の欲しいもんを取ってきてくれないか? 勿論報酬ははずむ」
 と言って、拝むような格好でこちらに対峙する商人。
「別にいいですけど…… そうだ。おじさんはこんな顔した女の子に見覚えはありませんか?」
 アジャスは戸惑ったように言葉を返してから、老人の方を指差して疑問を送る。
 商人は怪訝そうに老人を見てから、
「ていうか、まさに今そこにいるだろ?」
「あ、いや、この娘は私達が探している娘の双子の妹でして、それでさっきのように聞いたんですが…… すみません、分かりづらい聞き方でしたね」
 商人はそんなアジャスの言葉に合点がいったというように手を打ち、
「そういうことか。だがすまんなぁ。見たことはないよ」
「そうですか……」
 商人の言葉に、少なからず落胆の色を示すアジャス。
「それで〜、このオヤジの頼み聞くわけ〜?」
 と、相変わらずの妙な口調でアジャスに訊く老人。
 アジャスは、老人のそんな様子にもすっかり慣れたようで、特にげんなりするでもなく商人に向きなおり――
「それで何を取ってくればいいのですか?」
「あ、ああ、指輪なんだ」
 老人の口調に免疫のない商人が、そちらを気にしながらアジャスに答える。
「指輪……ですか?」
「この洞窟にある指輪と、ロトの洞窟にある指輪。二つの指輪が揃うと特別な効果があるって話を聞いてね。それでこの洞窟に挑戦しようとしたら、魔物が強すぎて奥に進めないときたもんだ。それでよければあんたらに、ってな」
 人懐っこい笑みを浮かべ、商人が言った。
 アジャスはその言葉の中の『ロトの洞窟』という単語に意外さを覚えた。
 そこは名前の通り勇者ロトを奉る洞窟ではある。アジャスは小さな頃から何度も訪れたことがあるが、指輪など見たことがない。
 まあもっとも、そういうものを探す目的で訪れていなかったからというのもあるのだろうが……
「ふ〜ん。まあ、いいですよ。指輪があったら持ってくればいいんですね」
「ああ、よろしく頼むよ。報酬は一万ゴールドでどうだ?」
 指を一本立てて、にやりと笑いそう言った商人。
「頑張らせて頂きます!」
 アジャスのやる気メータが壊れんばかりに上昇した。恐るべし金の威力といったところだろう。
「目的が変わってるのぉ」
 老人は、思わず老人言葉に戻ってそうぼやいた。

 指輪探しは難色を示していた。
 暗い洞窟の中、人の指に嵌る程度の小さなものを探そうというのだからそれも当然と言えば当然ではある。しかしアジャスが諦めるということはなかった。その目には『金!』という文字がはっきりと浮かんでいた。……恐るべし一万ゴールドである。
「ねぇ〜、アジャス〜。ちょ〜だりぃ〜。も〜あきらめよぉ〜」
「一万ゴールド…… 一万ゴールド……」
 けだるそうに言った老人のことを完全に無視し、アジャスは真剣そのもので床に這いつくばってひたすら捜索を続ける。老人は、そんな彼の様子を呆れたように見詰めながらそこらの岩に腰をかけた。
 その動作は、老人のそれというよりはまさにローラの年頃の女性に近く、老人が変なところで凝り性であることを窺える。もっとも、アジャス以外に人がいないこの状況で、ローラの姿と妙な口調を続けることからも、そのようなことは明らかなのだが……
 からんっ。
「?」
 老人が岩へとついた手に何かが当たり、それに続いて何かが床に落ちる音が空間に反響した。
 アジャスと老人が瞳を向けたその先には――
「一万ゴールドっ!!」
 瞳に映ったシンプルな装丁の指輪にすぐさま駆け寄り、アジャスはそう叫んだ。もはや彼の脳内で指輪は、一万ゴールドに変換されて戻ることはないようである。
 その指輪は、暗闇の中でははっきりとその様子を知ることはできないが、お世辞にも立派と言うことはできないようなシンプルさだった。申し訳程度に宝石が嵌められてはいるが、魅せるためというよりは実用性の方を優先させたようで、無骨な外見の深紅の宝石には何かしらの魔力が宿っていた。
 その魔力がどのような作用を及ぼすかにもよるであろうが、このような指輪ひとつで一万ゴールドともなれば破格の報酬と言える。アジャスは思わずほくそえんだ。
 しかし、老人の顔には少々疑問の色が浮かんでいた。彼が考えているのは次のようなことだ。
 まずひとつ――なぜ岩の上などという不自然な場所に指輪があったのか。あったのだから仕方がないと言ってしまえばそれまでだが、やはり不自然すぎるように感じる。
 そして指輪自身についても…… どうも痛み具合がおかしい。様子から考えて、それなりに、少なくとも百年ほどの古さであることは知れる。しかし、洞窟の中に放置されていたというには少し綺麗過ぎる。最近まできちんと手入れされていた古めかしさなのだ。
 ――これは、詐欺か何かかもしれんな……
「さっそく戻りましょう!」
 そんな老人の考えなど露知らず、アジャスはその瞳を報酬への期待のみで満たして大きく宣言した。
 普段の彼ならば老人と同じような洞察を持ってもなんら不思議はないのだが、すっかり金の魔力に取り付かれてしまっているらしい。
 ――この男はその内、何かの詐欺に引っかかりそうじゃな……
 老人はそんなことを考えながらアジャスに駆け寄る。
 次の瞬間、リレミトによって彼らは洞窟の入り口に佇んでいた。

「こっちは僕達が定期的にお参りに来ていますから魔物もいませんよ」
 商人に向ってアジャスがそう言ったのは、ロトの洞窟の真ん前でのことだった。
 ここで言う『僕達』というのは『ロトの子孫達』のことだ。即ち、彼の両親と兄、姉、そして彼自身。
 彼の父はラダトーム国の近衛兵長を勤めたことがあり、また、唯一ロトの血筋ではない母であっても、父が任期を勤めた時分に一番信頼を置いていた女兵士。さらに言うと、兄、姉は普通に道具屋の店員や、食事処のウェイトレスを勤める身でありながら、現職の近衛兵達を軽く倒してしまう。
 そのような家族だったから、そんな彼らがお参りに来るたびに魔物の掃討作業をしていれば、魔物達が恐れをなしてこの洞窟に近づかなくなるのも自然の成り行きだった。
 まあ、その話はこの辺にしよう。
 岩山の洞窟で指輪を見つけ出したアジャスは、商人から一万ゴールドを受け取りほくほく顔で勘定を始めた。そんな彼に商人はさらに千ゴールド紙幣十枚をちらつかせ、ロトの洞窟探索も依頼したのである。ただし――
「今回は俺が見つけた場合は、この洞窟までの送り賃しか出さないからそのつもりでな」
 先頭を行く商人は振り返ってそう言った。
「まあ、構いませんよ。ルーラで送っただけで報酬を貰えるというのは、それはそれで破格ですし……」
 アジャスはそう返しつつも、地の利はこっちにあるんだから絶対一万ゲットだ、という気迫がその顔からは窺えた。もはや金儲けをするローラを見つけるよりも、自身が金儲けに傾倒しているのだから本末転倒以外の何物でもない。
「じゃあ行くか」
 と、軽い調子で言った商人だったが、松明を灯した瞬間に洞窟の奥へと向けて猛ダッシュをかける。一気にその姿が見えなくなり、アジャス達は完全に一歩出遅れる形となった。
「くっ! 行きますよ、お爺さん!」
 そう言って、やはり松明を点けて洞窟を足早に進むアジャス。老人は呆れながらもその後に続く。
「こっちです! お爺さん!」
「どっか心当たりでもあるってぇ〜の?」
 全速力で駆けるアジャスの後に続きつつ、老人が疑問を投げかける。
「取り敢えずロトを奉る祭壇へ行ってみます! さっきのおっちゃんは道を知らないはずだから先行できるでしょう!」
 そう言って駆けている内にそれらしい場所が見えてきた。そこは祭壇と言うよりは墓といった風だが、ロトの遺体が収まっているわけではないという。
 アジャスは子供の時分よりここを訪れていたが、床を覆う花や土などまでは当然掘り起こしたことはなく、もしかしたらそこを調べれば目的のものがあるかもしれないと考えていた。
 着くなり彼は床に這いつくばり――
「これじゃん?」
 老人が祭壇の正面に置かれているものをぱっと持ち上げて見せたので、アジャスはあまりのあっけなさと意外性に床に突っ伏した。
「なななな、なんでそんなとこに! この前着た時はそんなものなかったぞ!」
 彼が以前ここを訪れたのはつい半年ほど前のこと。とすると――
「最近置かれたってことになるわけね…… 怪しさ大爆発じゃ〜ん」
 神妙に呟いてから、破顔一笑おどけた声を出す老人。
「そんな…… ってあれ? それは――」
 アジャスは老人が持っている指輪を見詰めて眉根を寄せる。
 というのも、その装丁に懐かしいものを感じたからだ。それは彼の家に代々伝わっているものによく似ていた。彼の祖先――ロトが婚約者に貰ったという指輪。そしてよくよく思い出してみると、岩山の洞窟で見つけたものもまた見覚えがあったことに気づいた。そちらは、ロトが婚約者に渡したと伝えられているもの。早い話、その二つの指輪は勇者ロトとその夫の結婚指輪なのだ。
「えっ! ちょ、ちょっと待てよ…… じゃあ、これは――」
「あああぁぁぁぁあ! ちっくっしょ〜! 先越されちまったかぁ!」
 戸惑った様子で呟いたアジャスを遮って、駆け足で追いついてきた商人は悔しそうに言った。そんな彼の様子を見ることもなくアジャスは……
「すみません。二つの指輪の話はどこで聞いたんですか?」
 引きつった顔を見られないように、下を向いたままアジャスはそう訊いた。
「うん? ああ、その話ならラダトームの道具屋でな。店員の一人――二十五、六くらいの兄ちゃんから聞いたんだよ。そうさなぁ、お前さんと少し雰囲気が似てたかもしれねぇなあ。最初は胡散臭いと思ったんだが、あそこの主人がそいつの情報なら信頼していいって太鼓判を押してよ。それで本格的に動くことにしたんだ。まあ、指輪の場所を示す古い地図が四万ゴールドってのは参ったが、勇者ロトにゆかりのある品とも言うしなぁ。それと、あそこの主人とは古い付き合いで――」
 なおも続く商人の言葉を聞き流しながら、アジャスは心の中だけで嘆息した。
 道具屋の店員とは、彼の兄に間違いないようである。彼の兄は武術の腕もさることながら、人心を掴むことに長けていた。道具屋の主人とやらもすっかり抱きこまれているようであるが、はっきり言おう。この一件、立派な詐欺である。
 指輪は共に彼らの家に伝わるそれなりに古いものではあるが、商人が言っていたような二つ揃えば特別な効果があるという逸話はない。個々に軽い防護魔法がかかってはいるが、それもまた微々たるもので一万などという価値は勿論ない。ロトゆかりの品ということでそれなりに値ははるかもしれないが、それにしたって商人が出した値段の半分にも満たないだろう。地図も偽物とは言わないまでも、家に伝わっていたロトの洞窟の場所を示していた地図にちょっと細工をしただけのもののはずだ。
 また、この場合商人が真相に気付いて抗議しても、アジャスの兄は、その話を噂で聞いて地図も五万――商人に払わせた四万よりも高い値を出すことは間違いないだろう――で買ったのだとか適当にはぐらかすことは十二分に可能であり、商人がアジャスの兄から地図代を返してもらえることはまず無理だろう。
 アジャスは商人に同情した。とんだ人間とかかわったものだ、と。
 とはいえ、彼もまたそんな兄と同じ血が流れているためか――
「あ、そうそう。約束の一万ゴールドもらえますか?」
 そうにこやかに、何にも気付いていないかのように明るい声を出す。まあ、その頬に伝った一粒の汗が、彼と彼の兄の微妙な良心の差を物語ってはいるが……
「うっ。覚えてたか…… まあ、約束は約束だ。ほらよ」
 そう言って紙幣十枚を差し出す商人。アジャスはそれを素早く受け取って――
「た、確かに! じゃあ、僕達は前にも言った通り人探しをしているのでこれで失礼させてもらいます!」
 そう言って老人の手を取りリレミトを唱えようとする。
 先のようにしっかりと枚数を数えない辺り、彼の動揺はそれなりに大きいらしい。
「おいおい。そんな急がなくても、この後食事でも――」
「いえ! ほんと急ぐんで! それじゃ!!」
「まぁ〜、落ち込まないよ〜にね」
 ぎこちない笑顔で叫んだアジャスと、満面の笑みで注意を促した老人は魔法の光に包まれて姿を消した。後に残された商人は、そんな彼らの様子に首を傾げつつ気になったことを呟く。
「何で俺が落ち込むんだ?」
 まだ真相に気付いていない唯一の関係者は、そう呟いてからしばらく考え込み、それでも気を取り直して道具袋から指輪二つを取り出しほくそえんだ。未来に待ち受けている強い落胆の存在を知らずに……