七.商魂たくましい、というか全体的にたくましい人々

 今アジャスの目の前に広がる光景は、まさに異常と言うに相応しい。
 ラダトーム城から南方へ丸一日程下った辺り、砂漠の広がる地に在る街ドムドーラ。いや、正確には『在った』街というべきだ。
 今そこにあるのは大きな穴。大地に穿たれたいびつな存在。そこに街が一つ在ったなどと想起し難い異様さが満ちている。
 しかしそれ以上に異常なのが――
「よってらっしゃい、見てらっしゃい! こちらが一瞬にしてこの世から消えた街ドムドーラ…… いや、元ドムドーラですよ〜! さらにお土産もこちらで売ってます! らっしゃい、らっしゃい!」
 その元ドムドーラを見詰めているアジャスの後ろで、元気に叫び商いに従事しているオヤジが一名。
 実際はそのオヤジ以外にもスキンヘッドの兄ちゃんやポニーテールの姉ちゃん、よぼよぼの婆さんなどたくさんの商人が競うように叫んでいた。
 アジャスは、たくましいなぁと思いつつそちらに視線を送る。
「うっわ! うける〜! 崩壊饅頭だって〜! めちゃまずそ〜なんですけど〜!」
 視線の先では、相変わらずローラの格好をした老人がハイテンションで土産屋を冷やかしていた。
 全体的に不謹慎もいいとこの光景だが、実際問題この一件、それほど深刻というわけではないのだ。というのも、これだけ大規模な事件ながら死者どころか負傷者もいなかったのである。
 アジャスがその事実を知ったのはつい先ほどのこと、商人たちが店を出している場所から少し離れたテントが群集している辺りでのことだった。中では以前ドムドーラで暮していた人々が仲良く過している。
 これはそこで彼が聞いたドムドーラ崩壊の様子、十日ほど前にあった不思議な出来事の話である。

 いつもと変わらない陽射しの強い砂漠の日中。ドムドーラ民の間では騒ぎが起こっていた。
 いや、この説明では正確とは言えない。実際はドムドーラ民の一部とよそ者二人との間に騒ぎが起こっていたのだ。
「何意味の分からねぇことを言って回ってんだよ、あんたら!」
「意味の分からないことではありません! この街はもうすぐ崩壊します! 魔力波の発生予測点は間違いなくこの街なのです!」
 不機嫌そうに叫んだ中年の男に、二十代後半くらいの青い髪の女性は真剣な面持ちで答えた。
「それが意味わかんねぇんだよ!」
 しかし、やはり男はイラついたようにそう叫ぶ。まあ、それも当然かもしれない。女性の説明は彼にとっては本当に意味不明だったのだから。それに彼だけではない。周りに集まっていたドムドーラ民全員にとって、彼女の説明は知らない言語を聞いているようなものだった。
「アリ姉。言っても無駄だって。もう時間ねぇんだから無理やりでいこうぜ」
 と、これは女性と共にいるよそ者の片割れ。こちらは茶色の髪を前髪が眉にかかる程度に伸ばした男性、というか少年。年の頃は十代後半といったところだろう。
「……ふぅ。そうね、仕方ないわ」
 女性は少々沈黙して考え込み、しかし最終的には少年の意見に賛同する。そしてその直ぐ後に――
「ぐっ!」
「うわっ!」
「きゃ!」
 少年の姿が元いた場所から掻き消えたと思ったら、彼は人々の目の前に瞬時に現れ、その腕を振るい人々の腹に軽く吸い込ませる。
 どんどんと倒れていくドムドーラ民。十数秒でその大半が地に伏せ一箇所に集められる。そしてそこで一度――
「バシルーラ!」
 女性の唱えた呪文の放つ光が折り重なった人々を包んでいき、光の軌跡となって飛び立つ。気を失った人々は、街の外の砂漠にふんわりと下ろされた。
 その間も少年はドムドーラの街の方々に現れ、出会った人を片っ端から殴って気絶させ女性のすぐ近くまで連れてくる。さらに十秒ほど経ち――
「アリ姉。これで全員だ」
「わかったわ。……バシルーラ!」
 再び唱えられた呪文で、やはり人々が砂漠に送られる。そして最後に残った二人は顔を見合わせて頷き――
「ルーラ!」
 転移魔法を唱え北方へと飛び去ったのだった。
 それから十数分。けたたましい轟音で覚醒したドムドーラ民の瞳には、街全体を包み込む禍々しい光の柱が映し出されていた。

「しっかし、例の男女二人組ってのは何者なんだろうな? なあ、おっちゃん」
 アジャスが店先で土産物を適当にいじりながら訊くと、店主の中年男性はけだるそうに答える。
「兄ちゃん、冷やかしなら帰ってくんな……って、まあ他に客もいねぇしいいか。何者かって言われたってな。答えなんざ一つしかねぇよ。わかんねぇ。ただな、あいつらが妙なこと言ってる時はふざけんなって思ったもんだが、あいつらのおかげで俺も家族も皆も助かった。少なくとも悪い奴らじゃねぇんだろう」
「わざわざ全員の腹殴るってのはどうかと思うけどな」
 そこで茶化すようにアジャスが意見すると――
「まあ、なんつーか……」
 歯切れ悪く、目を泳がせて話し出す店主。
「最初は不吉なこと言う奴らだって感じで街のもんは暴言吐きまくってたんだよ。あいつらはそれに対しても別段気にしていない風だったんだが、誰かが『ババァ』とか『チビ』って叫んだ時にあいつらのこめかみがピクつくのが見えてな。それからしばらく後に全員おねんねだ」
 ……………
 助ける気もあったにはあったが、むかついて殴ったというのもなきにしもあらずだったわけだ。女性は手を出しはしなかったものの、それでも止めなかったのだからやはり腹を立てていたのだろう。
「……まあ、誰だってむかつくことはあるよな」
「そうやって納得してるよ、皆。実際命の恩人なわけだし、殴られたくらい気にしないことにしたわけだ」
 引きつった笑顔でコメントしたアジャスに、店主は苦笑して、それでも充分に感謝の感じられる口調で言った。
 こうして、環境が決してよくないとはいえ街復興のために商売に従事し、家族や友人とともに暮していけるのならば感謝の方が大きくなるのも当然か。
 取り敢えずアジャスは、家族への嫌がらせの意味を込めて崩壊饅頭なるものをお土産として買って、売り上げに貢献してあげようと財布を出した。その時――
「アジャス〜。くだんないもんいっぱい見っけた。買って」
 老人がそう言いながら駆け寄ってきた。
 くだらないものだから買ってというのは理由としておかしくないか、とアジャスは思ったが、こういう時に断ると老人は幼児のように駄々をこねるので大人しく従うことにした。
「はいはい、どこですか?」
 ため息混じりに言ったアジャス。それに老人が答えるかと思いきや――
「おいおい、困るぜ姉ちゃん。さっさと買出し行ってくれよ。報酬も色つけてるんだからよ」
『は?』
 突然の店主の言葉に、アジャス、老人ともに間の抜けた声をあげる。しかし二人とも直ぐに、合点が行ったという風に顔を見合わせて頷く。
「実は俺達はこっちの娘の双子の姉を探して旅をしてるんだ。もしかしてあんた、こいつと同じ顔した女に会ったんじゃないか?」
 魔法で女性の――ローラの姿になっている老人の方を示してそう訊くアジャス。
「双子の…… そうだったのか。あんたの姉さんには、メルキドに日用雑貨とかの買出しに行ってもらってるんだ」
「キメラの翼を使ってか?」
「いや。キメラの翼の代金が勿体無いとかで、歩きで向ったはずだ」
 店主の言葉にアジャスは耳を疑った。
「ちょ、ちょっと待て! メルキドへの道は険しくて、魔物もそれなりに出るって聞いたぞ!」
 メルキドへ行くには砂漠を越えてしばらく歩き、さらに険しい山道を通らないといけない。加えて体力、魔力ともに申し分のない、つまり危険な魔物が蔓延っているのだ。
 アジャスは血の気が引いていくのを感じた。今までのことから考えると、ローラが旅馴れていることは確かだろう。しかしあくまでも一国の王女。強力な魔物を相手にできるかどうかといえばそれは、否――のはずだが……
「大丈夫だと思うがな。ほれ、あそこに兵士が何人かいるだろ? 街が崩壊して直ぐにラダトームから派遣された警備兵なんだが、どいつもここらの魔物相手にさしで勝つくらいの強さなんだよ」
「……つまりその内の何人かが一緒に行ったのか?」
 ラダトームから来た兵士ならローラのことを知っている可能性が高いだろうから、寧ろ連れ帰りそうなものだが……
「いや、あの女はあいつらを軽くのした」
「……………は?」
 アジャスはたっぷり沈黙してから間の抜けた声で訊き返す。
 店主は感心したような口調で続ける。
「いやぁ、すごかったぜ。止めようとする警備の奴らを縦横無尽に駆け巡って倒していくあの姿。お姉さんは武道家ってやつなのかい?」
 老人に瞳を向けて人懐っこい笑みで訊く店主。
「ま、ま〜、そんなとこ?」
 さすがの老人も呆気に取られ適当な答えを返す。
 ほぉ〜、それでか〜、と店主は感心し、最近の女は強いよなぁと苦笑して呟いた。なんとなくではあるが、彼の家庭内での勢力図が垣間見えるというものだ。
 そんな彼らを無視して、アジャスは混乱する頭を懸命に働かせる。とにかくローラの強さはひとまず置いといて、いつ出発したのか、それと色をつけた報酬というのがどの程度なのか訊かなくてはいけない。前者は行き違いを防ぐため。後者は彼女が船を買うだけの資金を手に入れ得るかどうかの確認のため。
 アジャスが質問すると――
「ぐっ! なんだか口が重くなってきた。開けづらいっ! 何か買ってくれりゃあ、軽くなるかもしれねぇ」
 とへたくそな芝居でお土産購入を要求する店主。
 アジャスは呆れながらも、どうせ買うつもりだった崩壊饅頭を頼み、
「何か欲しいものはありますか?」
 と、老人にも訊く。
「えっ、買ってくれんの? マジで? ちょ〜らっき〜♪ じゃ、これと、これと……」
 意味不明な何の役に立つのかもわからないものを順調に選び続ける老人。アジャスが不安を覚えて止めるまでその選出作業は続いた。
 恐る恐る店主に合計を聞いてみると……………財政難の危機が再び訪れた。

 質問の答えは以下のような感じだった。
 まず出発したのは昨日。朝早くのことだったという。
 そして報酬の額については、街の全員で生活必需品や食品の買出しを頼み少し大目の金銭を渡したため、買うところで買えば彼女の手元に残るのは二十数万ゴールドになるだろう、とのこと。
 二十数万――欲を出して高機能なものを望まなければ船くらい買える額だ。目的を達するだけの金銭をローラは手に入れてしまおうとしている。あとは竜王が施した他大陸との分断を為している壁を取り払えば……晴れて世界規模の家出にご出立である。
 さらに言えば、ローラはそれなりに腕が立つという。
 ……竜王に挑みかねない
 もはやアジャスには焦りだけが募っていた。唯一喜ぶべきところがあるとすれば、ローラが出発したのが昨日だという点くらいか。メルキドへの道のりは険しいだけあって、強行軍で三日かかる。今から急いで追いかければ追いつく……はずだ。
 ゆえに直ぐにでも出発したいところだったが、アジャスは警備の兵士達に近づいていき頼みごと、というか忠告をしようする。彼らをぶちのめしたのがローラであることを教え、そして、もし彼女が一人で戻ってきた場合保護してやってほしいと頼むのだ。
「アジャス殿!」
 しかし先に兵士が、アジャスを見て動揺の色が混じった声をあげた。
 王との謁見の時、大抵の兵士はその場にいたという。ならばアジャスのことを知っていても不思議はない。しかしなぜ動揺しているのか?
「ローラ様はこちらにはおりません! 絶対におられません! ですから他の地をお探しください! 決してメルキドにもおりません!」
 瞳を白黒させて汗をだらだらと流し話し続ける兵士。他の兵士も似たような感じだ。怯えているようにも見える。
 ……………普通に考えて、ローラに口止めでもされたのだろう。
 アジャスは、お前らは城の兵士としてそれでいいのか、と呆れた視線を送る。
 しかし直ぐに思い直す。恐らく彼らが兵士としてまずいのではなく――いや勿論それもあるのだが、それ以上にローラが王女としてまずいのだ。彼らを怯えさせるほどに。ローラと兵士の乱闘騒ぎは彼女を止めるためではなく、彼女が兵士を痛めつけて口止めするために為されたといったところだろう。
 これは、彼女の実力は相当なものと考えてよさそうである。よくよく考えれば高貴な人間は狙われる機会が多そうであるし、幼少時より護身のための訓練を続けてきた可能性が高い。その強さにも納得することはできる、が――
「とんでもない姫さんだ」
 アジャスは引きつった笑いを浮かべ、それでもさっさとメルキド方面に足を向ける。
 戦闘の実力はもとより、屈強な兵士達をあれほど怯えさせるのだ。性格の方も乱暴極まりないに違いない。
 彼はラダトーム城下を出発した日のようにこの国の将来が心配になった、心の底から。