八.親馬鹿というのはある意味恐怖であると知れ

 眼下に広がる山々に目を凝らしつつ、アジャスは自分が乗っている者に語りかける。
「気付いていたのなら、ドムドーラを出る時に言ってくださいよ」
『お主が一人でどんどんと進むから言いそびれての。それに人を乗せるのはそれなりに疲れるんじゃ』
 アジャスの言葉に答えたのは一匹の竜。――正確には彼は竜族の老人。本来は人の姿をとり、場合によっては――今のように移動する場合などには竜の姿をとることができるのである。
 彼らが向うはメルキド。ただ、メルキドに着くのが最終目的というわけではなく、そこへの道中である人物を見つけることが本来の目的なのだ。
 その『ある人物』というのは、彼らが住まう地を統治しているラダトーム王ラルス16世の長女ローラ。
 実は彼女、ただ今家出の真っ最中。そんな彼女がメルキドへ向っているとドムドーラで聞いたアジャス。それが二日前のことで、すでに過ぎてしまった昨日一日は丸々徒歩でメルキドを目指すという愚行をしていた。
 先ほどあったアジャスの愚痴はそこにかかるのである。二日目――つまり今日になってから、老人に竜になって貰って飛んで追えばいいじゃん、と気付いたわけだ。
 ローラは彼らより一日早くドムドーラを発っている。ドムドーラからメルキドまでは一般に、強行して三日――つまり今日到着してもおかしくない――と言われているが、女の足ということを考慮して、アジャスは到着まで四日以上かかるだろうと予想していた。
 しかし、もはやメルキドの街並みが遠目に見えるほどに近づいたというのにローラの影を見つけることはできなかった。
『この辺りは木々が多い。見逃した可能性もあるじゃろう?』
「……そうですね。お爺さん、メルキドへ向かって下さい。向こうで待っていた方が確実でしょう」
『わかった』
 ざぁっ!
 アジャスの頼みを受けた老人は、羽に力を込めて勢いよく風を切った。

「はぁ〜。でかい街ですねぇ、メルキドって」
 愈々近づいてきた街並みを目にし、アジャスは感嘆のため息と共に呟く。
『なんじゃ、メルキドに来るのは初めてか?』
「ええ、まあ。あれ、あの街の前に立ってる変なのは何ですか?」
 老人の質問に答えてから、アジャスは目に入った妙な物体を指差し訊き返す。
 その物体は人型をしていた。何やら動いているため生物なのかと思わせるが、遠目に見ても生身の体でないことは知れる。
 そうなってくると、アジャスの知識ではあれが何なのか――生物なのか無生物なのかさえも窺い知ることはできなかった。
『あれはこの街の名物、ゴーレムじゃ。かつて自衛のために石から造られた人造生物なのじゃが…… 少々問題があってな』
「問題ですか?」
 歯切れの悪い老人の言葉に相槌を打つ。
 老人はしばらく沈黙してから、
『門を通ろうとする者はことごとく殴り飛ばすのじゃ』
「? ならいいじゃないですか。魔物は一切中に入れないのでしょう?」
 アジャスは素直に考えて微笑む。
 老人は空を飛ぶその風圧で冷や汗を吹き飛ばしながら言葉を搾り出す。
『魔物以外も……殴り飛ばす』
「……迷惑な」
 アジャス、老人、双方はしばし沈黙。
 しばらくして、気を取り直したように言葉を紡いだのはアジャスだ。
「だけど、そうなると誰も街の中に入れないのでは?」
 アジャスが常識として知っている範囲で、メルキドは高い塀に囲まれた要塞都市とのことだった。その門を、誰彼構わず殴り飛ばす迷惑野郎に塞がれていたのでは、メルキドは完全に孤立状態だろう。
『あの街の外には道具屋が常駐していてな。街に入りたい者はそこでキメラの翼を買って、さらに別料金を払うとその道具屋に中まで送ってもらえるという寸法じゃ』
 初めて訪れる者にとっては必ず通らねばならぬ関門じゃな、そう言って老人は笑った。
 それを聞いたアジャスは呆れ気味で次のようなことを考える。
 ――ドムドーラの奴らといい、その道具屋といい、商魂逞しいというか何というか

 アジャスと老人が、少し離れた場所で地に降り立ちメルキドに近づくと、そこではゴーレム相手に大立ち回りしている者がいた。
「お〜い! 嬢ちゃん! そいつを倒すなんて無理だって! そんな無理しなくても俺が送ってやるからよ〜!」
 先ほど老人が話していた道具屋と思しきオヤジが、ゴーレムの攻撃を避け続ける少女に呼びかける。
 少女は彼のいる方向に鋭い視線を向け、
「うるっさいわね! そんな無駄金使う気はないって言ってるでしょ! それともタダにしてくれるの?」
 そう叫び返す。その際もゴーレムの攻撃をひらりひらりと避け続ける。目を見張る身のこなしだ。
「そこはそれ。俺も商売だからなぁ。まあ、あんた可愛いし、まけてやってもいいが――」
「1ゴールドだって払う気はないの!」
 そう叫んで少女は、殴りかかってきたゴーレムの腕が伸びきったところを攻撃する。ゴーレムの腕は少しだけ欠けたが、それでどうにかなるものでもないだろう。
 ちなみに彼女の拳には、何かの金属を加工した武器が嵌められている。先の攻撃も、それがあったためにゴーレムの腕を欠くことができたのだろう。というわけで、素手で石を壊すなんていうびっくり人間ではない。
 アジャスはその少女の顔を恐る恐る見る。
 今までの情報から推測するに――
「ローラ姫!」
「え?」
 アジャスの叫びに少女は間の抜けた声を上げ、ゴーレムの攻撃を必要以上に大きく避けてから間合いを取り視線を巡らす。そうしてアジャスの姿を目に止めると――
「誰?」
 当然の疑問を口にする。
 アジャスは姿勢を正し、
「ラルス陛下の命で貴女の捜索を行っているアジャスと申します。ローラ姫」
 慇懃に言葉を発す。
 ローラはそんなアジャスを見詰め、ゴーレムの攻撃をかわしながら眉根を寄せる。
「誰よ、ローラって。ローラはアルロって名前なんだから!」
 ……………?
 一瞬空気が凍りついた。実際にはそのような雰囲気になっただけだが、ゴーレムすら心もち動きを止めたように感じる。
 そのゴーレムはすぐに攻撃を再開したが――というか、実際はずっと動き続けていたが――アジャス、老人、そしてついでに道具屋のオヤジは思考の迷路に入り込んで、凍りついたままである。
 その中で最初に迷路を抜け出したのはアジャス。彼は漸くある考えに至ったのだ。
 即ち――ローラ姫の一人称が彼女自身の名前なのだと。
 まあ、だからといって先のセリフがまともなものかというとそんなことはないのだが、それでも一応の解答を見つけた彼はさらに言葉を紡ぐ。
「ラルス陛下は大層心配なされております。どうかお帰り下さい!」
「しつこいっ! 人違いだってば」
 びゅっ!
 目つきを鋭くしてアジャスを睨んだローラに、そこで突然振り下ろされるゴーレムの腕。彼女がそれに気づいた時には避けるのが難しい間合いになっていた。
 ――これは受けるしかないけど…… こいつの一撃はやばくない?
 一応両手を構えて防御の姿勢を取るローラ。しかし彼女が思っている通り、それは現時点で最良の選択ではあるが最悪の状況だった。
 腕に力を込めて、愈々一撃を受けようというその時――
 がっ!
「くぅ……」
 アジャスがローラの前に飛び出し、剣でゴーレムの一撃を受ける。力負けして吹き飛ばされそうになるが、
「が、頑張って」
 ローラが彼の背を押さえ、力を込める。
 そう長くない時間が経ち、ゴーレムは腕を引いてもう一方の腕でさらに一撃を打ち出す。
 が、アジャス、ローラ共にその一撃は軽くかわし、大きく後ろに跳んで間合いを取り直す。
「大丈夫か!」
「ええ。助かったわ」
 構えを解かぬままで会話をする二人。
 ゴーレムは二人を追って突進してくるが、基本的に愚鈍なその動きは油断さえしなければ怖いものではない。
 一撃、二撃、三撃と続く人造生物の攻撃を避けながら――
「助けてくれた恩もあるから、ローラがローラだっていうのは認めてあげるけど、でも帰らないからね」
 びゅっ!
「そうはいきません! 貴女を連れ帰るのが私の仕事なのですから」
 どんっ!
「そんなの知ったことじゃないもん! ローラは船の旅を満喫しつつ、外の世界を目指すんだから!」
 がっ!
「それでしたら陛下にお頼みになればよいでしょう?」
 ばすっ!
「お父様みたいな過保護がそんなこと許すわけないじゃない!」
 ばきぃ!
「だからといって――」
 がんっっ!!
 ゴーレムによる幾度目かの攻撃を避けた二人。そんな彼らには、攻撃を避けるたびにあるものが溜まっていた。即ち、イライラ。
 二人は互いに向けていた鋭い視線を人造生物に移し、
『鬱陶しいわああぁぁぁぁぁぁああ!!』
 腹の底から叫んで同時に動く。
 まずアジャスが一足飛びに剣の間合いに入り込み、
「はっ!!」
 愛用の剣を一閃。日々磨かれている鋭い得物と剣技によってゴーレムの右足にあたる部分は切断される。
 それによりバランスを崩したゴーレムは、立っていることすらままならず倒れこんで仰向けになる。
 そこでゴーレムの視界に入り込んだのは、太陽の眩い光の中にある黒い影。
 叫ぶと同時に大きく飛んでいたローラが右腕を大きく振り上げ、落下の勢いと共に拳を打ち出していた。落下速度にさらに全体重と渾身の力を込めた一撃がゴーレムの顔を襲う。
 がごぉっっ!!
 鈍い音と共にゴーレムの顔にあたる部分が無数のひびで覆われる。そうしてしばらく経つとそのひびが広がり、やがて人に造られた生物の顔は粉々に砕けた。
「ふんっ! 人形のくせに生意気なのよ」
「俺の敵じゃなかったな」
 そう言い放って笑い出す二人。
 それを見詰めるその他二名は――
「案外いいコンビじゃな……」
「俺の収入源が――」
 それぞれの感想を漏らした。

「帰るつもりはないって言ってるでしょ?」
「そこを何とか――」
「く〜ど〜いっ!」
 メルキドの街に入り、道具屋巡りをして安い商品を探すローラ。その後ろにくっついてひたすら説得を試みるアジャスと、ついでに道具屋を物色する老人。
 ちなみに老人は、ローラの姿を借りるのを止めて黒髪の少女の格好をしている。アジャスが、それは誰なのか、と訊いたところ、老人は含んだ笑みを浮かべて――
「貴方と結構関係が深いのよ、私」
 と女言葉でいった。アジャスが気持ち悪がったのは言うまでもない。ちなみに、アジャスはその少女に一切見覚えがなかった。関係が深いと言われても意味がわからない。
 まあ、それはともかく、アジャスのローラ説得は先の会話からもわかるとおり、難色を示している。ゴーレムとの戦闘の様子を考えると、無理やり連れ帰るというのも骨が折れそうであるし、なるべく穏便に済ませたいところだが……
「それより! アジャスっていったよね。敬語はやめて! ローラは今、王女でもなんでもないんだから」
「それは…… まあ、いいけど」
 アジャスはとんでもない、と断ろうと思ったが、ローラがこの国の姫であると周りに気付かれてはまずいかな、と思い直してくだけた言葉を返す。
「それでよし。とにかく、今はドムドーラの人達に頼まれたもの買わなきゃならないんだから、少し静かにしててよね。抑えた分だけローラのお金になるんだから」
 そういえばそういう話だったことを思い出し、さらに今までの彼女の様子を思い出して、アジャスはこの依頼が悉く彼女向きでないことに気付いた。
 先ほどからのローラを見ていると、買うものが比較的高い品なのである。おそらく、普段買い物をすることがないために基準値というものがわからないのだろう。ドムドーラの商人は、買うところで買えば二十数万ゴールドは手元に残る、と言っていたが、おそらくその半分程度しか残らないのではないか。
 そうなるとアジャスにとってはひとまず安心と言える。十万ゴールド程度で船を買うのは難しい。
「それにしてもおかしいなぁ。ドムドーラのおじさんは二十万くらいは残るって言ってたのに、もう十万ゴールドしかないや。――はっ、もしかして…… これが噂の詐欺?」
 勝手なことを言っているローラに呆れた視線を送りながらアジャスはフォローに入る。勿論、ドムドーラのオヤジに対するフォロー。
「どんな品物もピンキリだからな。買い物に慣れていない場合、そういうこともある」
 この程度のお使いなら十万ゴールドだって充分すぎる報酬だ。それで詐欺呼ばわりされたのではオヤジも浮かばれない。
「ふ〜ん、そうなの。ねえ、アジャスはそういうのには慣れてるの?」
 ローラは素直に納得してからアジャスを見詰めて訊く。
「慣れてるというか…… まあ、一般的なことくらいはわかるよ」
「ならローラを手伝って! ローラは船が欲しいんだけど、中々お金が貯まらないのよ」
 お金を効率よく貯める方法とか教えて、と叫んでアジャスに詰め寄る。
「そ、それよりまず、一度ラダトームに――」
 少し照れてから誤魔化すように言ったアジャスに、ローラは頬を膨らませて不機嫌そうに返す。
「だからそれは―― そうだ。帰ってもいいわよ」
 そこで、なぜかにっこりと素直な言葉を返すローラ。
「本当か?」
「ただしお父様に、アジャスにエッチなことされたって嘘吐いちゃうから」
「……………はい?」
 ローラの突然の物言いに目を点にして固まるアジャス。
 まあ、疑いようもなく脅しというやつだ。
「それが嫌ならこれ以上帰れ、帰れ言わないこと。わかった?」
 ローラの念押しに耳を傾けながら、アジャスはラルス16世のことを思い出す。彼の親馬鹿ぶりから考えて実際にそのようなことになったら…… ローラの言葉の真偽を確かめることもされずに、下手をすれば極刑。
 アジャスは寒気を覚えて――
「……わかった」
 と一言だけ返した。そしてさらに続ける。
「まあついでだ。金集めも手伝うよ」
 そうは言いながらも、そこには彼女を見張るという目的が内在しているのだが、そこは顔に出さない。
「本当? ありがとう!」
 がしっ。
 言葉の表面のみを鵜呑みにしたローラは、嬉しそうにそう叫んでアジャスの手を握った。
 …………………………
 そこでなぜか長い沈黙。
 アジャスはというと、まあ多少変わっているとはいえ可愛い女の子に手を握られて悪い気はしないようで、普通に照れている。
 一方ローラは、彼女自身はよくわかっていないが盛大に照れていた。幼い頃から彼女の周りにいたのは歳の離れた文官、女中、もしくは兵士。歳の近いものはいたとしてもそれほど親しく話すこともない。それで、勢いとはいえ同じ年頃の男性の手を握ったのだから、照れるというよりは寧ろ緊張しすぎて何も考えられなくなっていた。
 いつまでも固まっているローラに、アジャスがさすがに居たたまれなくなって自分から手を放す。
「えと、どうかしたか?」
「あ、その…… 別に」
 訊いたアジャスに、ローラは伏し目がちに小さな声で返す。先ほどまでのうるささとのギャップに戸惑いながらも、アジャスは彼女の背に視線を向け、そこに背負われている荷物の多さに舌を巻く。
 今までも視界に入っていなかったわけではないが、改めて見るとすごかった。ドムドーラの人々の生活用品一式は彼女の体の何倍もの大きさの袋にぎゅうぎゅうに押し込められている。
 ――どう転んでも、力づくで連れ帰るっていうのは無理があるかもな……
 アジャスはそんなことを考えてため息を吐く。
 それぞれを、それぞれの思いを持って見詰めるアジャスとローラ。そんなおかしな光景を見詰めつつ、
「何だか面白くなってきた」
 老人は少女の姿で微笑んで、そうごちたのだった。