十.これが他人だったらどんなにいいかと何度も思った

「さてと…… 道具屋は――どっちにあるの?」
 ラダトーム城下町の入り口。顔の大部分を布で隠した者が、連れの二人に向き直って訊いた。体も外套で覆われているため、見た目から男女の違いを見極めることはできなかった。しかし、その甲高い声は明らかに女性のもの。
「私は知らないよ」
 連れの一人――黒髪の少女はそう答える。この地を訪れたことがないようだ。
「さあ? どこだったかな……」
 一方、もう一人の連れである男の方はとぼけた様子で目を逸らす。明らかに、知っているのに教えるのを渋っている風だ。
「往生際が悪いよ、アジャス。道具屋に何がいるのか知らないけど、街中なんだからそんな大変なことになるわけじゃ――」
「いーや、なる! 大変なことになるんだよ。……少なくとも俺が」
 アジャスは布を顔に巻きつけた女性――ローラに渋い顔を向けて言った。ローラはそんなアジャスを呆れたように見詰め、
「すみませ〜ん、道具屋さんってどこですか?」
 踵を返して通りすがりの女性にそう訊いた。アジャスに訊いたところで答えは得られないと悟ったようだ。
 訊かれた女性は愛想良く答える。
「道具屋なら町の南の方にあるわよ。堀に水が溜まっていて他の建物とちょっと違うし、でかくて看板も出ているから直ぐにわかると思うわ」
 丁寧な答えに満足したローラは深く頭を下げて、
「どうもありがとう。精霊神ルビス様のご加護がありますように」
 所謂決まり文句を口にする。
 ただ、この決まり文句、日常生活において、というより街の一般の者はまず使わない。使うとしてもルビス神信奉者で、その者も教会に礼拝に行った折に信者同士で交わす程度である。城にいる分には公式の挨拶として使われるため、ローラは自然と口にしたわけだが……
「……あ、えと、どういたしまして。貴女にもご加護がありますように」
 当然、知識として知っていても普段使わない女性は、少々戸惑った様子でそう返し、疑問符を顔に張り付けたまま去っていった。
 はぁ〜。
 アジャスはそんなローラの様子に呆れた視線を送りながらも、愈々行くことになってしまった道具屋の方向を向いて深く息を吐いた。
「これで修羅に会えるわけね♪」
 そして、黒髪の少女――モシャスで姿を変えている老人は嬉しそうにそう言った。

 ざっ!
 強く一歩を踏み出し、ピタリと止まったローラ。そして右手を大きく振り上げ、人差し指を立てて振り下ろし、道具屋を指す。
 びしぃっ!
「ようやく着いたわよ、道具屋!」
「お〜」
 笑顔でそう口にし、ぱちぱちと手をたたくのは老人。
 アジャスのみが暗い顔で二人の後ろに控えている。しかし、少しだけ表情を明るくして次のようなことを弱々しく呟いた。
「なぁ、お前らだけで行くっていうのは――」
「駄目!」
 ローラはアジャスの提案を断固として拒否し、満面の笑みで、
「理由は君を連れて行った方が面白そうだから」
 と答え、一切の躊躇いなく道具屋の入り口に向かった。その右手にはアジャスの左手が握られている。彼から逃げるという選択肢は消えた。
「よし、行こう!」
「うぅ」
「行こ〜。行こ〜」

 がちゃ。
「いらっしゃい! 今日は薬草が安いぜ…… ありゃ」
 開け放たれたドアの方を向き、満面の笑みで声をかけた青年は、そこにいた見覚えのある者の存在に小さく声を上げた。そこに内在したのは確かに親しみであったのだが、だからといってそれが相手にとって好意的なもの足り得るかどうかは別問題だ。
「アジャスか。珍しいな、店に来るなんてよ。いや、というよりお前、王女さん探してるんじゃなかったか?」
「ひ、久しぶりだね、兄さん」
『兄さん!?』
 アジャスが俯きがちに言うと、他二名が過剰に反応した。
 そう。道具屋に雇われている青年ブロアスはアジャスの実の兄。アジャスとは五歳離れた二十四歳である。
「そっちは…… ほぉ〜」
 ブロアスはローラと老人の方を向き、にやにやと笑い出す。そして続けて、
「二人同時に付き合うなんて、知らない間に器用になったもんだ。兄として誇らしいやら羨ましいやら複雑だな」
「そうなんですぅ〜」
「そんなんじゃないわよ!!」
 前者の肯定は老人、後者の否定はローラだった。その様子を一瞥したブロアスは、アジャスの方を向いて、
「こっちのお嬢さんは脈がありそうだぞ」
 といってローラを指差した。
「なななななななななななっ!!!!!」
「はぁ?」
 ローラは見事にきょどり、アジャスは怪訝そうに兄を見返す。そのためアジャスは、真っ赤になって俯くローラを見逃した。
 まあ、それはともかく――
「う〜ん、ちょっと期待してたのと違うわね。修羅なんていうからどんなのがいるのかと思ってたけど……」
 これまでの展開を充分楽しそうに眺めていた老人は、しかし不満そうにそう言った。それにはブロアスが怪訝そうに聞き返す。
「修羅……ですか?」
「あ、ちょっ……」
 急いで話題の転換を図ったアジャスだったが、それよりも早く老人が答えた。
「アジャスがここにくるって決まった時から修羅がいるんだってうるさくって。ねぇ」
 満面の笑みでアジャスに同意を求めた老人。
 アジャスはそれに答えることもなく、ある方向に視線が釘付けになっていた。即ち、ブロアスのいる方向。
 当のブロアスには、老人同様満面の笑みが浮かんでいる。しかし、アジャスにははっきりと不穏な空気を感じ取ることができた。ごごごごご……という不気味な響きの擬音が聞こえてきそうなほどに。
「我が弟ながら面白いことを言うね、まったく。修羅か…… そりゃ、いい」
「に、兄さん? 軽い冗談というか、なんというか……」
 青くなって、小さな声で言い訳をするアジャス。ブロアスは相変わらずの笑みでそちらを見詰め、瞳を細めて懐かしそうに言葉を紡ぐ。
「俺がやったことといえば、海岸線からお前を突き落としたり」
『!?』
 兄弟以外の二名が声に出さずに驚愕する。
 それにはかまわず、ブロアスは続ける。
「岩山の頂上に着の身着のままで置き去りにしたり、真っ暗闇の洞窟に連れ出して最深部で松明を持たせずに置き去りにしたり――」
『……………』
 続くラインナップに、ローラと老人は頬に汗を伝わせて沈黙することしかできなかった。アジャスは当時を思い出しているのか、頭を抱えて小刻みに震えている。
 そこでブロアスの過去の所業の告白が終わった。
「――と、その程度のことしかしていないじゃないか? それで修羅だなんて、アジャスは大げさだな。それにあれはどれも、お前の成長を願えばこそ。決して、なんとなくとか、つい勢いでとかそういうことじゃないのだし」
「なんとなくなんだ……」
「つい勢いで……ね」
 ブロアスの言葉に、呆れた表情を浮かべて相槌を打つ二名。そして、相変わらず震えているアジャスを横目に、無理やり連れてきて悪いことしたかも……と、少しだけ反省したのだった。
「でもまあ、安心しろ。お前も立派に成長したことだし、俺もミリアも修行と称して無茶なことはさせたりはしないって」
「……つい最近、海に落とした一ゴールドを探させられ――いや、なんでもない……」
 青い顔で小さく漏らされた不満の声は、ブロアスの笑顔の奥に秘められた無言の圧力によって掻き消された。ちなみに、話に出てきたミリアというのは、来月で二十二歳を迎えるアジャスとは三歳違いの姉。
「まあ、思い出話はこの辺でいいやな。今日は何しに来たんだい?」
「あ、ええと。この書類を届けに来たんです。ドムドーラのゲイルさんから依頼されて……」
 答えたのはローラ。ゲイルというのはドムドーラで彼女達に仕事を頼んだ男の名である。昔この店で働いていたとのことだった。
「ゲイルさんから? ……ふむ、なるほど。受注依頼書か。まったく、あの人も…… 昔馴染みの店だからってこの値段は無茶だぜ」
 がちゃ。
「ただいま。ん? お客さんか。いらっしゃい」
 ブロアスが苦笑交じりに書類を見ていると、店の扉を開けて入ってくるものがいた。この道具屋の店主だ。
「ああ、大将。ちょうどいいところに。この書類、ゲイルさんからなんですがね…… 毎度のことながら相場無視しまくってるんですわ」
「あの野郎からか…… どれどれ? ああ、こりゃいつも以上にすごいな…… まあ、ドムドーラは大変な時だし、これくらいで売ってやってもいいが…… そうなると運賃にも気を使わないといけねぇか…… この時期にあの地方に格安で行ってくれる荷馬車なんてあるとも思えんが」
 その言葉を聞いたローラは嬉しそうにアジャスの方を見た――が、アジャスは未だに過去の辛い記憶の中で震えていた。仕方がないのでローラは、一人で道具屋関係者二人に声をかける。
「あの、私達が届けましょうか?」
「君は?」
「ゲイルさんからこの書類を預かってきた娘ですよ。君はあれかな。キメラの翼便でもやっているのかい?」
 店主に軽く説明してからにこやかに尋ねるブロアス。
 先ほどのアジャスに対する旧悪を聞いていなかったなら、普通に感じのいい店員だなぁという感想を持つことができただろう。そんなことを思いながらローラは首を横に振る。
「いえ、違います。運ぶ方法は詳しく話せませんが、キメラの翼を使ってはいません。ですから料金格安でお引き受けすることができるんです」
「早さはどれくらいかな?」
 ブロアスがやはりにこやかに訊いた。
「ドムドーラでしたら数時間後に到着することができます。荷物の量によっては何度か往復する形になるので、その場合は半日から一日くらいで」
「半日から一日!? そいつはいくらなんでも早すぎやしないか? それに運ぶ方法が秘密ってのは…… そういう怪しげな話に、大事な荷物を任せるのは気が進まないぞ」
 ローラの説明を聞いた店主は、訝しげにそう言った。万単位での商売であることを考えると、そういう態度もなるほど納得いくものではあるが……
「そ、そんな。大丈夫です。安全も早さも確かに保証しますから!」
「布で顔隠した姉ちゃんに保証されてもねぇ」
「うっ」
 店主の言葉にローラは呻く。いくら彼女が一般常識に疎いところがあるとはいっても、さすがに今の自分の外見が信用されにくいということは自覚している。店主の意見に反論の余地はないのである。
 さすがにラダトームの王女である彼女が、その城下町で顔を晒すわけにもいかず、今回は諦めるしかないか、と引き下がろうとした、その時――
「まあまあ、大将。この娘達、俺の知り合いでさ。信用してくれていいっすよ」
 ブロアスが満面の笑みでローラに加勢した。ローラは突然のことで呆気に取られ、ぽかんとした顔でブロアスを眺めている。
ブロアスは言葉を続ける。
「この娘達が秘密にしたいらしいから俺も言いませんけど、輸送方法については想像がつくし、特に危険でもありません。まあ、馬車と同程度の危険性はありますが、それでしたら構わないでしょう?」
「んん…… まあな」
「それに早いという点も、俺の考えているとおりの方法なら事実だと思います。ここは俺を信用して彼女達に任せてあげてくれませんか?」
 終始笑顔を絶やさず、最後の最後で懇願するような表情になってブロアスが言うと、店主はしばらく沈黙して考え込んでから、
「そういうことなら任せることにするか……」
 そう呟いて、ゲイルからの受注依頼書に目を落とす。
「そうだな。この値段で卸すとしたら……君らに払える代金は五千ゴールドってとこになると思うが、いいかい?」
 二人の会話をぼーっと聞いていたローラは、突然店主から声をかけられ慌てる。
「あっ! は、はい! 勿論です。では、こちらの紙のご依頼主の欄に署名を…… あ、それからこちらには受け取りの署名をお願いできますか?」
 そう言って紙片を二枚差し出す。片方には、ドムドーラでゲイルが書いた依頼書があった。どちらもローラによる手作り感たっぷりの簡易依頼書だった。
「これのしょぼさを目にするだけでまた不安になってくるんだが……」
「あ、えと。つい最近始めたので、こういう細かいところには手が込んでなくて……」
 気をかえられてはたまらないと、ローラは慌てて言い訳をする。実際始めてから半日と経っていないのだから、しっかりしたものができているはずもなかった。
「まあまあ、これはこれで味があるじゃないですか?」
 ブロアスがそう声をかけると、店主は苦笑して両方の紙に署名した。ブロアスは随分と信頼されているようである。
 その後は、ブロアスと店主が品物を用意するために奥へと引っこんでいった。
 それを見送ってからローラは、
「お兄さん、案外いい人じゃない。子供の頃はともかく、今は修羅とか呼んじゃ失礼じゃないかな?」
 と、アジャスに明るく声をかけた。取り敢えず復活していたアジャスはジト目でローラを見詰め、
「甘いぞ。お前にとっては真実親切だったかもしれないが、俺に対しては後で確実に何かを要求してくる! そういう奴なんだ! あいつはっ!」
「兄に対して『あいつ』なんていうもんじゃないぜぇ」
 いつの間にかアジャスの後ろに来ていたブロアスの言葉。
 アジャスは青くなって固まった。
「ちょ、ちょっとした冗談でして…… お兄様」
「気持ち悪い呼び方すんな。ちょっと外に出てろ、ボケ」
 かすれた声で言ったアジャスに、ブロアスは終始にこやかに暴言を吐き、店の扉を開けて外に彼を蹴り飛ばす。
 表情と行動のギャップに、ローラは軽く感心した。もっとも、先ほどアジャスに言った言葉は心の中で撤回したようだが……
 ブロアスはローラの方に向き直ると、
「姫様もいつまでも『攫われて』いるわけにもいかないでしょう? 陛下はまだアジャスに任せておく気のようですが、これ以上時間がかかるようなら俺や他の家族にも命が下ります。そうなれば、少なくとも俺は問答無用で連れ帰りますのでそのつもりで」
 声量を落として囁いた。ローラはさすがに驚いて、ブロアスの傍らから跳び退り疑問の瞳を向ける。
 ブロアスは苦笑して口を開いた。
「安心してください。誰にも言いませんし、今のところは連れ帰ろうという気もありません。何かと面倒ですからね」
 そう彼が言い終わると同時に、扉を開けてアジャスが戻ってきた。その瞳はローラに向けられており、とんでもない野郎だろ、と言っているように感じられた。
 今度ばかりはローラも、ある意味修羅という呼び名は正しいな、と実感し、その通りね、とやはり目だけで返した。
 二人がそんな風に目で会話していると、ブロアスは戻ってきたばかりの弟に顔を向けた。
「それにしても、いつのまに竜族の知り合いなんて作ったんだ、アジャス」
『なっ!!』
 今度はアジャス達三名全員、仲良く驚く。
「に、兄さん。なんで……わかったんだ?」
 アジャスは、こいつどんだけ鋭いんだよ、という視線を送りつつ訊いた。ブロアスは特に表情を変えるでもなく、何を驚いているんだ、と呟きながら答える。
「気配で分かるだろ、普通。その姿は……魔法で変えているみたいだな」
 そう言ってから、店主に呼ばれて店の奥へ引っこんでいった。
 その後ろ姿を見詰めつつ三名は――
「……すごいわね」
「……だろ?」
「……ロトの血って怖いね。私が言うのも変だけど」
 順番にローラ、アジャス、老人の言葉。
『?』
 そしてアジャス、ローラは最後の老人の言葉に仲良く首を傾げる。二人は視線を交わし、この老人の謎も奥へ向かった修羅になら分かるのだろうか、という疑問も浮かべた。

「アジャス!」
 出発しようとしたアジャスをブロアスが呼び止めた。アジャスは他二名に先に行くように促し、それを迎える。
「何だよ、兄さん」
「さっきの大将説得の見返りだがな……」
 アジャスは、やっぱりそれかぁ、と思いつつも、諦めたように先を促す。
「……何をお望みで?」
「ローラ姫を口説き落とせ」
 …………………………
 長い沈黙。
「えっと」
 アジャスの間の抜けた一言。
 ……………
 さらに少し沈黙。
「何言ってるの?」
 そうして、漸く紡いだ言葉がこれだった。
「言ったままの意味だ」
「ままの意味だって、兄さん! そんなの無理だし! ていうか意味分からんし!」
 簡単に答えたブロアスに、アジャスは青ざめて言った。
 しかし、ブロアスは動じない。
「意味は分かるだろう。お前が玉の輿に乗れば俺も楽ができる。それに無理でもない。姫さんはお前に気があるぞ」
「ないって!!!!!」
 がしっ!
 兄のよく分からん様子に混乱し、アジャスが叫ぶと、ブロアスはそんな彼を思い切り蹴飛ばした。
「うるせぇよ。つか、今言ったことは必ず実現させるように。できなかった場合は……」
 ブロアスはそこで軽く沈黙してから――
「まだこの時期は海の水が冷たいだろうなぁ」
 と、にこやかに言って店に戻っていった。
 残されたアジャスは呆然と立ち尽くす。しばらくすると、
「あいつは修羅じゃない」
 と独り呟く。そして――
「あいつを修羅と呼ぶのは修羅さんに対して失礼だ……」
 涙ぐみながらそう言った。