十二.女はズルイと思いつつ、いざ決戦の地に赴かん

「さっさと竜王を倒しに行こ!」
 ドムドーラへの届け物を運び終え、開口一番にローラはそう言った。
 ついにこの時が来たか……
 アジャスは軽く息を吐きつつそんなことを考えていた。
 彼としては勿論、彼女を竜王の城に連れて行くつもりはない。彼女の身に何かがあっては困るし、ラダトーム国国王ラルス十六世の親馬鹿ぶりを思う限り、そのようなことをすれば、首尾よく竜王を倒せても直ぐにその後を追って逝くことになりかねない。
 取り敢えずアジャスは、取り留めない会話を展開しつつ徐々に説得を試みる。
「どうして急にそんなことを言うんだ? 船を買う金が集まってからでもいいじゃないか?」
 そのように訊くと、ローラは首を左右にゆっくりと振りつつ、言った。
「もう船を買っても仕方ないわ。ミリアさんに言われたの。このまま『攫われて』いるのなら、お父様は痺れを切らしてブロアスさんやミリアさんにもローラを探させるだろうって。そして、そうなればローラが外の大陸にいても連れ帰すって」
 そしてローラは、一度大きく息を吐く。
 その様子を見たアジャスは、姉さん余計なことを、と考えて嘆息した。
 ローラの言うとおり、アジャスの兄のブロアスや姉のミリアであれば、ローラが遠くデルコンダル国まで逃げたとしても余裕で探し出して、三日と経たずに連れ戻すだろう。どういう理屈でそんなことが可能なのかと問われれば困るのだが、彼らは常識の枠から外れた奇天烈な一族なのであるから仕方がない。
 しかしそういう事情ならば、竜王を倒すことで家出を続けることができるようになるわけでもない。ならば、ローラはなぜ先のようなことを言い出したのか。
「だったら竜王を倒したって仕方ないじゃないか。竜王を倒せば外海に出られる。でも、外海に出ても兄さんや姉さんに連れ戻される。なら――」
「そこは少し考えがあるの。外海に出られるようになれば、お父様はそのことを他国に知らせるために外交のための船を出すわ。一度城に戻ってお父様を説得し、それに乗せてもらうの。どう?」
 右手の人差し指を天に向け、その状態で右手を振りながら歩き回り、ローラは得意げに言った。しかし――
「ラルス陛下はお前に対して相当過保護なんだろう? そんなことを許すかな」
 と、アジャス。
 彼がラダトーム城謁見の間で会ったラルス陛下は、巷で賢王と噂されている人物であるはずなのだが、竜王や光の玉についての命は一切出さずにローラの救出だけを命じた。簡単に言うと、親馬鹿なのだ。そして、ローラ自身の談によれば過保護なのだという。
 そのような事実を考えると、かの国王が、一人娘が外海への旅に出ることを許可するとも思えない。
「そこも大丈夫。ちゃんと考えてるわ」
 しかし、ローラは笑顔でそう答えた。その瞳は自信の光が満ち満ちていて、彼女の考えが有効か否かに拘わらず、その方面からの説得は無理であることが伺える。
 というわけで、アジャスは直球勝負を挑む。
「竜王は私一人で倒します。ですから、ローラ様は城にお戻り下さい」
「え?」
「貴女を危険な目に合わせるわけにはいきません」
 それから、アジャスは深く頭を下げて、ご理解下さい、と言った。
 ……………
 そして長い沈黙。
 怒鳴られたり、騒がれたりするのだろうと予想していたアジャスは、ひたすらに頭を下げたままで眉を顰めた。そんなアジャスの背中を軽く叩く者がいた。
 アジャスは下から見上げる形で、その人物を確認する。
「何ですか? お爺さん。今は大事な話の最中で――」
「あれ、見てみて」
 礼をしたままの格好で老人――少女の姿に変身済み――に小声で語りかけると、老人は一度肩をすくめてからアジャスの前方を指差した。そこにはローラがいるはずである。
 アジャスはゆっくりを頭を上げ――
「!」
 ローラの様子を見たアジャスは、これ以上ないくらいに驚いて絶句した。
 彼女の頬には涙が伝っていた。嗚咽こそ漏らしていなかったが、表情を崩して俯いていた。
 いつものように、ラルス陛下関連の脅しで騒ぎ立てるのだろう、と考えていたアジャスは戸惑う以外になにもできない。ただオロオロしていると――
「そんなに長い間一緒だったわけじゃない。でも、ローラはアジャスやお爺さんのことを仲間だと思ってたわ……」
 涙声ではあるが、ローラはしっかりとした口調でそう言った。
 アジャスは慌てたように、漸く口を開く。
「お、俺…… いや、私だって勿体無くもそのように感じています。ですが――」
「だったら!」
 弱弱しく言ったアジャスの言葉を、ローラは遮る。
「だったらなんで…… うっ、うわあぁぁあん!」
 そこで激しく泣き出すローラ。道行く人々は、道端で話している三人に好奇の目を向けながら行き過ぎる。
「ちょ、まっ! ごめ、すみません!」
「……わああぁあぁぁあん!」
 訳も分からずに取り敢えず謝ったアジャスを一度見てから、ローラは一層激しく泣き出す。
 そこでため息混じりに老人が口を開いた。
「あのさぁ、アジャス。その丁寧な言葉遣いの方が楽? 今までの砕けた言葉遣いの方が気を使ってた?」
「え? いや、そんなことはないですけど…… ていうか、そっちに慣れてたから丁寧に話すのかなりだるいです」
 ローラを気にしながら、老人にそう返すアジャス。
 実際、先ほどから砕けた言葉を言いかけて、それから丁寧に言い直している。ローラとの会話においては、気を緩めると砕けた表現を使ってしまうくらいに慣れてしまっているのだろう。
「だったらどうして丁寧に話すのかな?」
 老人はそう訊いた。
「それはきちんとした話なんだし、公私のけじめを――」
「というわけで、他意はないみたいよ? 泣き止んだら? というか……」
 アジャスの言葉を遮って、ローラに向けて言った老人。その言葉の途中で少し沈黙して、笑みを浮かべる。そして続ける。
「そのくらいは分かってた? 嘘泣きでしょ?」
「ばれてました?」
 老人の言葉を聞いた瞬間、頬を拭いながらケロッとした表情で言ったローラ。
「って、うおぉぉおおぉい!! 嘘泣きかあぁあぁぁあ!!」
 先ほどまでオロオロしていたアジャスは、当然抗議の叫びを上げた。
 それに対するローラは不機嫌そうに顔を歪めて、
「途中からだけよ。最初の方は本気泣きだったもん。いきなり敬語使い出すから、何だか一気に他人みたいに感じちゃって」
 そう言った。
 それを受けたアジャスは寸の間言葉につまり、しばらくして頭を下げた。
「それは……悪かったよ。ただ、けじめをつけるところはつけないといけないと思っただけで、これと言って他意があったわけじゃ――」
「分かってる。少し考えたら、アジャスならそうだろうなぁって予想はできたから。でも、なんか凄い慌ててたから、泣くのは有効だなと思って派手に嘘泣きしてみたの」
 いい歳して大きな声を上げながら泣く人なんていないよ、と続けながら、ローラは笑った。
 対するアジャスは少し考えてから、それはそうかもな、と苦笑しながら言った。しかし、直ぐにその表情を硬くして続ける。
「けど、竜王の城にはやっぱり連れて行かないからな」
 はっきりと、頑として告げられた言葉。それに対し――
「いいよ」
 いつものように駄々をこねるかと思われたローラは、しかしあっさりと了承して悪戯っぽい笑みを浮かべた。
 アジャスは訝しげにそんなローラを見る。そして次の言葉を待つ。
「ローラは独りで竜王に挑むわ」
 ローラはそう言ってから、アジャスをビシッと指差し、どっちが先に倒すか勝負よ、と叫んだ。
 ……………
 アジャスは呆気に取られしばし沈黙し、ローラに、どしたの、と訊かれて漸く正気に戻る。
「はあぁあ!?」
 比較的大きな声で訊き返したアジャスに、ローラはびくっと肩を震わせて驚く。一方、老人は少し離れた所で面白そうに事の成り行きを眺めている。
「な、何よ? 大きな声出して」
「そりゃ大きな声くらい出すわ! 独りで竜王のところに行くってお前――」
「だってアジャスが一緒に来るなって言ったんじゃない」
「そりゃそうだが…… そんなの駄目に――」
「止めても知らないもん。ローラが自力で行くんだから、アジャスに許して貰う必要もないもん」
「うっ」
 そっぽを向いて言い切ったローラに、アジャスを言葉につまり黙り込む。
 彼女を無理やり止めることもできなくはないだろうが、難しいといえるだろう。仮に縄か何かで縛ったとして余裕で引きちぎられそうであるし、そうでなくとも気が進まない。それに、ラルス陛下にばれたならそれこそ極刑ものである。
 力ずくで一旦ラダトームに返してしまうという選択肢もあるが、そもそも『力ずく』という点に無理がある。そして、こちらもやはりラルス陛下がどんな反応をするかが怖い。連れ帰っただけなら悪いようにはならないだろうが、機嫌を損ねたローラがあることないこと吹聴する危険性は高い。その上でなら、悪くすればやはり極刑を言い渡されることになりかねない。
 とすると、アジャスが取る選択肢として最適なのは――
「わ、わかった。連れてくよ」
 一緒に行ってなるべく危険を遠ざけてやるくらいだろう。しかし――
「嫌。独りで行くもん」
「へ?」
 そこでローラが紡いだ言葉は、アジャスの思考を停止させるのに充分な威力を持っていた。嘘泣きまでして駄々をこねていたくせに、いざ連れて行くと言うと断るというのは意味が分からない。
「ちょ、何で?」
「アジャスとどっちが先に竜王を倒せるか競争するのも楽しそうだなぁって、さっき駄々こねながら思ったのよ。城に帰る前の最後の娯楽ってことで♪」
 そう言って微笑むローラ。
 世間を騒がせている竜王を倒すことを、娯楽と言い切る一国の王女。激しく個性的な女性である。
 しかし、アジャスとしてはそんなことを容認するわけにもいかない。とはいえ、無理やり止めさせることもまた難しい。ならどうすればいいのか?
 困ったことに彼には思いつかない。
「アジャス」
 そこで面白そうに二人を見ていた老人が、手招きをしながらアジャスを呼んだ。
「なんですか?」
 老人の元へ向かい、訊くアジャス。
「さっき言ったみたいな『連れて行く』じゃ、上から目線でしょ? だから、頼むように言えばいいんじゃない? 下から目線」
「なるほど…… 一理ありますね」
 アジャスは老人の忠告に軽く納得してから、ローラの元へと戻る。そして少し沈黙し考えをまとめ、
「なぁに? お爺さんに何を吹き込まれたのか知らないけど、独りで行くのはもう決定――」
「一緒に来て欲しい」
「え?」
 真剣な様子で言い切ったアジャスの顔を、ローラは呆気に取られた様に見詰める。
「な、何よ。独りで行くって言ってるでしょ」
「君の力が必要なんだ。だから、一緒に行かせて欲しい」
 そう言ってから一度頭を下げて数秒。
 そして、再び頭を上げて、ローラを真っ直ぐと見据える。
「俺が、君と一緒にいたいんだ」
 ……………ぼわっ!
 長い沈黙の後に、顔を一気に赤で染めるローラ。
 しばらくの間、激しく動揺し視線を泳がせていたが、漸く少しだけ落ち着き、そして、
「そこまで言うなら、一緒に行ってあげてもいいよ……」
 ぎりぎりで聞き取れる程度の声量でそのように応えた。
「ありがとう」
 それに対し、アジャスは満面の笑みで礼を言った。
 そこで更に赤くなり、再度沈黙するローラ。
 一方、老人は少し離れた所で呆れたように呟く。
「計算――してるわけじゃないだろうなぁ…… 鈍くて、更に天然の思わせぶりかぁ…… 彼女達――いや、『私達』の子孫って感じ」
 そんな意味不明の言葉と共に、深くため息を吐いた。

 ひゅうぅぅうぅう!!
 勢いよく天を駆ける大きな影。
 ラダトーム城の南の海上では、小さきものを乗せた竜が力強く翼をはためかせていた。
「あと少しです。お爺さん!」
『分かっておる。しかし、このまま無事に突入できればよいが……』
「え、どういうこと? 向こうから攻撃があるとか?」
 不安そうな老人の言葉を受け、ローラがやはり不安げに訊いた。しかし、それに対して老人は首を左右に振る。
『いや。それよりも、もしかしたら――』
 ぱあんっ!
 そこで激しい音と共に、老人の体に衝撃が走る。見えない壁のようなものが、老人の目の前にはあった。比較的ゆっくりと飛んでいたためか、それほどの衝撃ではなかったが、未だ懸命に進もうとしている老人の体はひしゃげている。
『くぅ…… やはり結界だ。しっかり掴まっておれ…… 無理やり……このまま突っ切るぞ!』
「ちょ、大丈夫なんですか? 辛そうですよ!」
『気にするな。死にはせん』
「死なないとかそういう問題じゃ!」
 すっ!
『!』
 三人で言い争っていると、急に老人の体がすんなり進む。視界の中で、竜王が住まうと言われる城が再び近づいてくることとなった。
「思っていたより早く抜けられるんですね…… でも無茶ですよ」
 アジャスは後ろを振り返ってから、前方――老人の頭に向き直り声をかけた。ローラも、無茶をした老人を心配してか、唇を尖らせて不機嫌そうだ。
 それに対し老人は軽く笑み、
『今のは――虹の力じゃ。随分と驚異的なタイミングで…… 恐ろしい血筋じゃな』
 そう言ってから、声を立てて笑った。
「? 虹なんて出てませんけど……」
「ねえ?」
 アジャスとローラは、訳が分からないというように、眉を顰めてそう応えた。

「ま、散々お姫さんをけしかけたし、そろそろ向かうだろうとは思ったが…… まさかそのまま突っ込むとはね。一応準備しておいてよかったぜ。なあ?」
「うふふ、そぅねぇ。アジャちゃんったらぁ、無茶なんだからぁ。それにしてもぉ、こんな大昔の道具ぅ、上手く動いてくれてよかったわぁ」
 そう言って黒髪の女性が掲げたものは、七色の光を発する不思議なネックレスだった。
「親父の奴、五万ゴールドもぼりやがったんだ。それで上手く動かなきゃぶっ殺すところだぜ」
 肩をすくめながら言ったのは、長い黒髪を紐で縛った男性。
 彼は含み笑いをする女性を横目で見て表情を険しくした。
「……なんだよ?」
「アスちゃんってぇ、アジャちゃんのこと大好きだなぁと思ってぇ」
 その言葉を受けた男性は瞬間言葉につまり、しかし直ぐに口の端を上げて、
「へっ。ま、確かにあいつはからかい甲斐があって好きだな」
「わたしは可愛いから好きぃ」
 そうして、含むところがありまくる笑みを浮かべる男性と、含むところが全くない人畜無害な笑みを浮かべる女性。
 彼らがそれぞれ誰なのか。それは知る人ぞ知るという曖昧な説明をもって、ここは締める。