十三.髪は長いお友達、と誰かが言った
海の向こうに見えるのは、アジャスやローラにとってお馴染みであるラダトームの城。
そして、目の前に見えるのは、彼らがこれから戦いを挑む者の根城。
「竜王の城……か」
「意外と小さいわね」
それ程首を痛めずに城を見上げた二人は、何気ない口調でそう呟いた。
ローラが言ったように、竜王の城はそれ程の大きさを有しておらず、二階建てか、ひょっとしたら天井の高い一階建てかと思われた。これならば、中に入って直ぐに竜王とご対面ということもあり得る。
「もっとでかくて、迷路みたいに複雑な構造の城を探索させられるかと思ってたが…… 案外楽に竜王退治といけるかもな」
「う〜ん、張り合いがなくて少し不満な気も…… ま、その分竜王が強ければいいけど……」
これから強敵に挑もうという二名は、それぞれ勝手な感想を持って一喜一憂している。
そんな中――
「やけに注意深いのぉ……」
老人が女性の姿のまま、珍しく老人口調で呟いた。
「注意深いって……何がですか?」
アジャスが訊くと、老人は難しい顔で竜王の城方向を指差す。そして、ちょっとそっちに進んでみて、と言った。
突然のことに戸惑いながらも、アジャスは素直にそちらに歩を進める。すると――
どんっ!
「ととっ!」
彼は壁のようなものにぶち当たり、よろめいて二、三歩後ずさる。
しかし、アジャスが向かった方向には、何も無い空間が在るばかりだ。
「……何やってるの?」
ローラが呆れた表情で訊く。
「いや、何かにぶつかって――」
「この島へ飛んでくる時にぶつかったのと同じ――結界よ」
アジャスがローラに向けて言い訳めいたことを返しているのを遮り、老人が女性の口調に戻って言った。
その言葉を受けたアジャスは、得心がいったという表情を浮かべ、口を開く。
「それで注意深い、ですか。しかし、自分の根城へ侵入させないためなら、二重で結界を張るくらいはしてもおかしくないのではないですか?」
「ううん。正直ドルーガ程の実力があるのなら、この程度の結界で侵入を諦めるような奴は相手にならないわ。逆に、彼の相手になるほどの実力者なら、先程のものやここに張ってある結界なんて簡単に解ける」
このくらいなら私にだって解けるしね、と言って、老人は竜王の城のある方向を指差して笑った。
アジャス、ローラは、老人の言葉にいちいち納得し、しかし一つの疑問を覚える。
「なら、結界は何のために張られているの?」
ローラが訊くと、アジャスもまたその意見に賛同するように頷いた。
老人は少し考え込み、
「……もしかしたら、外からの侵入に備えているのではなく――」
そこまで口にしてから、彼はアジャス達に背を向け、何やら口の中でもごもごと呟く。
アジャスとローラが、疑問符を携えてその様子を眺めていると、しばらくして老人は、両手を大きく広げた。そして、再度アジャス達の方へ向き直る。
「何をしたんですか?」
アジャスが訊くと、老人はにこりと微笑み、
「この城を囲むだけの結界を張ったのよ。ちょっと思うところがあってね」
そう応えてから、今度は城がある方向へ歩みを進める。
そして、元から張ってあった方の結界があると思しき位置まで進むと、そちらへ向けて右手をかざす。
再び、口の中で何やら呟き――
ぶわっ!
『!!』
突然押し寄せた不思議な雰囲気に、アジャスとローラの表情が強張る。
「な、何!? 気を抜くと、狂ったように叫びながら海の上を走りたくなるようなこの感じは……」
「いや…… お前のその表現こそ何、って感じだが…… まあ、それよりも――」
アジャスは、一風変わったことを緊張した面持ちで呟いたローラを呆れたように見つめてから、続けて真剣な瞳を城の門扉へと向ける。
「これが竜王の魔力だとしたら、ちょっとやばいかもな」
彼がそのように呟くと――
「これは、ドルーガの――竜王の魔力ではない」
続いて老人の堅い声が発せられた。
それを受け、アジャス、ローラは老人に疑問の瞳を向ける。
「竜王の魔力では……ない?」
「そう。寧ろドルーガは――いや、何にしても、ここは早々に中へ向かうのがいいだろう。儂の張った結界だけでは外への影響が出かねん」
すっかり女言葉を止めて何やら応えようとした老人は、しかしその言葉を途中で飲み込み、少し慌てたように若者達を先導した。
アジャス、ローラは戸惑いながらも、老人に従い決戦の城へとその足を向けた。
どおぉおぉぉおん!
アジャス達が扉を潜ったのと同時に、あたりに轟音が響き渡った。
「何だ!」
「あっ! あれ!」
アジャスが単純に音に反応して叫び、ローラは音の原因を突き止め、叫ぶ。
そのローラの指差す先では、幾名かが巨大な石像と戦闘を繰り広げていた。ずんぐりとした体躯の髭面の男や、羽の生えた非常に小さな体の生き物など、人ではなさそうな者達が石像相手に四苦八苦していた。
アジャスは剣を抜き放ち、そちらへ猛スピードで突っ込む。
「はあぁあ!」
石像の背後から近づき剣で薙ぐと、石像の右手部分が斬りおとされた。
それに少し遅れて、元々石像と対峙していた者達のうち大振りの斧を手にした男が、勢いよくその斧を振るう。斧は石像の左手を砕き、それでは留まらずに体を大きく傷付ける。
「ええぇいっ!」
更には、間髪いれずにローラが拳を打ち付ける。それを体の中央でまともに受けた石像は、細かい破片を撒き散らしてその場に伏せた。
『ふぅ〜〜〜』
戦闘終了と共に、アジャス達とその他の者達が同時に息を吐き――
「あ〜、コルネリウスだ〜」
羽の生えた非常に小さな生物が、アジャス達にとって聞き覚えの無い名を口にした。よく見るとその生物は女性の姿をしており、一般に言うところの妖精ではないかと思われる。
「久し振りね、アリア」
それには老人が簡単に返す。
妖精は笑顔を浮かべながらも、幾分不思議そうに――
「ひさしぶり〜って、何でケイティのかっこなの? それに口調が気持ち悪いよ?」
訊かれた老人ことコルネリウスは、悪戯っぽい笑みを浮かべ、
「この格好と口調は、そっちにいる子の趣味なのよ」
そう言ってアジャスを指差す。
「……えと、だいじょ〜ぶだヨ。変態さんでもわたしは差別とかしないし?」
「ええ。わたくし共は、そのような性癖には寛容ですわ」
「ちょいと感心しねぇが…… まぁ、人それぞれと言っちまえばそれまでだ」
アリアと呼ばれた妖精と、更に妖精がもう一匹、加えて斧使いの男――こちらはドワーフを彷彿させる外見だ――が微妙な表情で口々に言った。
そして――
「……アジャス」
ローラもまた、何とも形容しがたい微妙な視線をアジャスに向ける。
そんな嫌な視線の嵐にアジャスは――
「ちっっっがあぁあう!! お爺さんが女の子の格好してるのはお爺さんの意思だし! 口調だって、女の子の格好で老人口調は変だって意見しただけで、俺がして欲しいと頼んだわけぢゃないっ!!」
少し泣きそうな顔で懸命に言い訳をした。
「まあ、それは置いといて――」
「置いとかないで下さいっ!!」
悲痛の叫びを軽くスルーして話を進めようとした老人に、アジャスは目つきを鋭くして詰め寄る。
しかし、老人の表情がえらく真剣であることに気づくと、口をつぐみ一歩下がる。
老人は妖精達に向き直り――
「ドルーガは何処にいる?」
「ドルーガさまとキースさま、アリシアさまは最深部であの剣の代わりをつっくてるよ」
妖精のアリアがそう答えたその時――
ばあぁあん!
アジャス達がいるのとは少し離れた位置の壁を突き破って、老人の変身後の姿よりは弱冠小さいくらいの竜が現れた。しかしそれは竜自身の意思によるものではなく、何者かに吹き飛ばされた結果であるようだった。
その何者かは大きく穿たれた穴を潜ってこちら側へやって来る。そして、
「少しばかり魔力を得ただけのトカゲがこの強さとは…… まったく厄介ですね」
長い髪の隙間からのぞかせる尖った耳が特徴的な女性が、そのように呟きながら竜に手をかざす。すると、竜の姿が一瞬で消え去り、竜がいた場所には小さなトカゲがちょこんと居座っていた。しばらくすると、トカゲは瓦礫の隙間をぬって逃げ去る。
それを見届けた女性は、アジャス達がいる方向に視線を移し――
「あら。久し振りですね。コルネリウスさん」
「モル殿。お久し振りです。しかし、随分と大変なことになっているようですな」
近づいて来た女性に、コルネリウスは笑顔で、今度は老人口調で丁寧に返した。
「まったくです…… 手抜きはするものではありませんね。以前あの方を封じた剣では、急造だったため外界との親和力を抑える処置をしていませんでした。それで、ここ百年で随分と力が戻ってしまったんですよ」
「あの魔力は存在するだけでよそへの影響が大きい…… それを、結界を張ってこの城内のみにとどめていたというわけですな」
「ええ……って、コルネリウスさんがこちらへいらっしゃるということは、結界は――」
「元あったものは解いてしまいましたが、一応改めて儂が城の周りにだけ張っておきました。しかし、あれではそれ程もちはしないでしょうし、更に強固なものを張るのを手伝ってもらえますかの?」
「そうでしたか。そういうことなら、こちらからお願いしたいくらいです。――アリア、リリス。貴女達は私と共にコルネリウスさんを手伝います」
『はい』
モルが声をかけると、妖精二匹は声を揃えて返事をした。アジャス達の側から飛んで離れ、モルの肩に止まる。
「それからヴァイス。貴方は魔力が扱えないことだし、このまま継続して発生した魔物を倒して下さい」
「承知いたした」
ヴァイスと呼ばれたドワーフは、モルの言葉に肯定を返してニカっと笑った。そして豪快に斧を構える。
「ただし、危険ですから単独での行動は控えてください。いいですね――あら?」
ヴァイスに対して注意を呼びかけたモルは、そこで漸くアジャスとローラに気づく。
それから彼女は何かに気づいたように小さく、まあ、と呟く。次いで楽しそうに笑って言葉を紡いだ。
「懐かしい気配の方がおりますね。貴方がたはここへどのような御用で?」
「へ? あ、いや、一応竜王を倒して、光の玉を取り返しに……」
アジャスのそのような答を聞くと、モルは苦笑して言葉を続ける。
「ドルーガ様を倒されては困りますが、光の玉でしたらもうすぐお返しできます。我々の魔力だけでは足りず不死鳥の力を借りたのですが、あとしばらくでキース様の作業も終わりますし、あとは封じなおしてしまうだけですから」
「はあ……」
言葉の大半を理解できずにアジャスが生返事を返すと、モルは視線を彼らから逸らしてヴァイスを見る。
「やはりヴァイスは、彼らと共に下へ向かってください。協力して魔物を退けながら、ドルーガ様のところまで案内して差し上げて」
「あい、分かった」
再度ヴァイスが元気に答えると、モルは更に続ける。
「そうだわ。ヴァイスとそちらの方々は、もし途中で苦戦している者に会ったら手伝ってあげて下さい」
笑顔でそう声をかけてから、彼女は真剣な表情になり、
「では、それぞれ全力をつくしましょう」
全員を見渡して、そのように声をかけた。
そして、その言葉を契機に、皆動き出す。
コルネリウスはモル、アリア、リリスと共に門扉から外へ飛び出す。
アジャス、ローラもまたヴァイスの後に続き奥へ向かうが……
「ねえ、アジャス? 事情分かる?」
と、走りながらのローラの問い。
アジャスは曖昧に笑って――
「今の会話で事情を察することができるのは、エスパーか俺の親兄弟くらいだ」
そのように言い切った。
「しかし、よく島の周りの結界を解けましたね」
そのように声をかけられたコルネリウスは、苦笑して口を開く。
「あれを解いたのは虹の力じゃよ。時間をかければともかく、あれを解くのはいくらなんでも骨が折れるますわい。あれは……ドルーガが張ったものですかの?」
「ええ。ドルーガ様が気合を入れて張ったものです。出来にそれはもう大層な自信を持っておいででしたが、そうですか…… 虹の力で…… ご報告して泣き出されなければいいのですけど……」
「モル様…… ドルーガ様も百歳を超えられましたし、さすがにお泣きにはならないのではないかと……」
頬に手を当てて困ったように言ったモルに、リリスが呆れ顔で声をかけた。
しかし、アリアはおかしそうに笑って――
「でも、ドルーガさまって感情ゆたかだから、ちょっと泣きそうですよね〜。泣いたらきっと可愛いですよ」
そのように言った。すると……
「そうなんですよ! ドルーガ様は普段から可愛いのですけど、泣くと反則気味に可愛さが倍増して、もう見ているだけで狂い死ぬのではないか、と……!」
アリアの言葉を受けて熱弁をふるったモルは、そこではたと周囲の視線に気づき、一度こほんと咳払いをする。そして、真剣な表情を取り戻し――
「無駄話はここまでです。早く処置を行わないと、島の外へも『破壊の神』の多大な影響がでましょう」
そう言い切った。
「は〜い」
「はい」
妖精二匹は慣れたもので、特別気にせず素直に応えた。
一方コルネリウスは、
「成る程、アリア達が妙な性癖に寛容だと言うわけだ」
そのように呟いて苦笑する。
しかし、直ぐに真剣さを取り戻し、モル達と共に魔力の操作を始める。
ヴァイスと共に玉座の裏の隠し階段から下層へ向かったアジャス達は、少し進むたびに魔物に会うため中々進めずにいた。先程上で見た石像や竜、他にも二足歩行をする狼のような獣や、有翼で口から炎を吐き出す獣など、いずれも強力な魔物ばかりであった。
しかし、アジャス、ローラにヴァイスが加わり、大抵の魔物は楽に倒せる戦力が揃っていた。
「アジャスとローラだったか。お前ら人間のくせに中々やるなぁ」
石像を壊した後、再び軽く駆け足で先を急ぎだしたヴァイスは、走ったままで息切れもせずに声をかけた。
「人間のくせにってことは、やっぱりヴァイスさんは――」
「おっと、ヴァイスでいいぞ。さんなんぞつけられちゃ、こそばゆくて仕方ねぇ」
ローラが応えると、その言葉をヴァイスが遮って言った。そして豪快に笑う。
ローラは苦笑して言いなおす。
「ヴァイスは人間ではないんだね。見た目からしてドワーフかな?」
「おうよ。爺様や親父殿の代から真祖様に仕える誇り高きドワーフの末だ」
「ふぅん」
何気ない相槌を打ちつつ、よく分からないけど凄そうだね、と呟くローラ。
そして、続けてアジャスが質問を始める。
「さっきのお爺さん達の会話ってよく分からなかったんですけど、ヴァイスは事情分かりますか?」
分かるなら少し説明して欲しいんですけど、と言ってから、アジャスは曲がり角を曲がったところにいた有翼の獣を一刀両断する。通路が狭いので炎を吐かれれば厄介だが、今のように速攻で倒してしまえば問題はない。
「さっきのコルネリウス殿やモル殿の話か…… 俺ぁバカだからな。ああいうことは大抵分からん。けどまあ、大雑把なことくらいなら」
「それでも構いませんよ」
「ローラ達まったく分からないしね」
ヴァイスの言葉にアジャス、ローラはそれぞれ応える。その一方で、ローラは脇の通路から襲い掛かってきた二足歩行の狼を殴り飛ばして気絶させる。
「なら、ガラじゃねぇが講釈といくかね。お前ら、ケイティ――いや、勇者ロトは知ってるな?」
アジャス、ローラは頷く。
それを見届けたヴァイスは先を続ける。
「何でもロトは、キース様やドルーガ様、さっき一緒にいたモル殿などが協力して造った武器を使って、百年ほど前に破壊の神を封じ込めたらしいんだな」
懸命に考え込んで、話を必死に思い出しながら喋るヴァイス。その言葉を聞いて、ローラは違和感を覚える。
「あれ? ロトはこの世界を滅ぼそうとした大魔王を打ち倒したんじゃなかったっけ?」
巷説で囁かれていることはローラの言うとおりである。アジャスもまたそのように伝え聞いていた。
「そうなのか? まあ俺も親父殿から聞いただけだから、よくは知らないんだが…… まあ、そこは大魔王を倒して破壊の神も封じ込めたってことにしとけや。先に進めねぇしよ」
ヴァイスがそう言うと、二名は首を捻りながらも一応納得する。
「で、だな。今回の騒動は、その破壊の神の力が戻ってきているのが原因らしいんだわ。ほれ、この城だって――」
ざしゅっ!
言葉の途中で、ヴァイスは先の通路で竜相手に苦戦している集団を見つけ、竜向けて斧を投げる。勢いよく飛んだ斧は、竜の体に深く突き刺さり、鮮血を飛ばした。
その隙をついて、元々対峙していた集団の中の一人が何かしたのか、竜はトカゲに戻りちょこまかと逃げ出す。
「ヴァイスさん! 助かりました、有り難う!」
集団の中にいたエルフの男性に声をかけられ、ヴァイスはおうよ、と元気に応える。
そして、アジャス達の方を向き、
「見ての通り化け物だらけだ。これも破壊神の魔力の影響だって話だぜ」
そのように言った。
アジャスはその言葉を聞き、コルネリウス達が話していた結界云々の話に漸く納得する。
「じゃあ、この城や島、更に言えば、この大陸に張られた結界は、破壊の神の魔力の影響を外で出さないための措置ということか」
「おお。よく分かったな。どうもそういうことらしい。さあ、また走るぞ」
アジャスの方に笑いかけてから、ヴァイスは髭面を引き締めて駆け出す。
階段を下りると、そこにはまた石像が立ちはだかっていた。
「ふぅ。これで事が済むまでは保つでしょう」
数十分の集中を経て造られた結界に満足そうに頷き、モルはそのように言った。
「では、モル様。わたくし共は続けて城内で魔物の相手をしてきます」
「ええ。頼みます」
リリスがアリアの手を掴みモルに話しかけると、モルは笑み浮かべてそのように返した。
「わたしはもうちょと休みたいんだけど……」
と、アリアは不満顔で呟く。
「他の皆も頑張ってるんだから、文句言ってないでさっさと行くわよ、アリア」
「はあぁ…… リリスのクソ真面目」
しかし、リリスに促され、仕方無しに城内へ向けて飛び行くアリア。
一方、コルネリウスもまたその後に続こうと歩みを進め、モルに声をかける。
「さて、儂も手伝うとしようか。老体には堪えるが、もう少しで終わるようだしな」
「迷惑をかけますね、コルネリウスさん」
モルはそう返し、彼女もまた門扉へ向かう。
「なあに。隠居した身には、偶のいい刺激になりますわい」
コルネリウスがそう言って笑うと、モルもまたおかしそうに口元を押さえて笑った。
「もう直ぐドルーガ様達がいる階だ」
そうアジャス達に声をかけながら、ヴァイスは斧を振るって二足歩行の狼を数匹叩き切った。
アジャス達もまた、それぞれが石像を斬る殴るしている。
と――
カンカンカンカンカン!
何やら金属を引きずりながら走っているような高音が響き渡る。
「何の音?」
ローラが不思議そうに呟くと、間を置かずに何某かが大声で言い合いをしているのが聞こえてきた。
『こら! 真祖! いくらなんでもこの運び方はないだろう!』
「うるせぇなぁ。仕方ないじゃないか。お前魔力高すぎるから、直で触るとまずい影響受けるかもしれねぇし」
『だからと言ってな!』
「はいはい。わぁった、わぁった! お、ヴァイス、おっす! それから、そっちの見知らぬ奴らもおっす!」
カンカンカンカンカン!
何故か剣を縄で結び勢いよく引きずっている少年が、アジャス達三名の前を通り過ぎる。
ヴァイスはきっちりとした礼をし、アジャス、ローラは何とか、おっす、と手を上げて返した。
その間に少年は先へ進んで行き、アジャス達の下へは剣が引きずられる高音だけが残された。
「……ねぇ、ヴァイス。あの子は?」
ローラが訊くと、
「あの方が、お前達が言うところの竜王――ドルーガ様だ。引きずっていたのは、破壊の神が封じられているという剣のはずだし、ドルーガ様と話していたのは破壊神ってことだぁな」
「引きずられる破壊神……」
アジャスが微妙な表情で呟くと、しばらく三名の間に沈黙が落ちるが――
「さ。ドルーガ様の後を追うか」
そう言ってヴァイスが駆け出すと、アジャス、ローラも後に続いた。
アジャス達よりも先行していたドルーガは、いくつかの角を曲がりいくつかの魔物を片手で倒し、階段を下りて漸く最下層へ到着した。
「キース兄! アリ姉! 今帰ったぞ!」
「ああ、世話をかけましたね、ドルーガ」
「というか、なぜ引きずってきたのですか、ドル君」
「アリ姉が直に持つなって言ったんじゃん」
「いえ、それにしても……」
未だ階段をおりきっていないアジャス達の元へは、キース兄と呼ばれた男性の声と、アリ姉と呼ばれた女性の声のみが届く。
「あの男性と女性は?」
アジャスがヴァイスに訊くと、
「キース様とアリシア様だ。キース様は以前の真祖様の息子だとか。んで、アリシア様はキース様の娘さんだ」
ヴァイスがそのように答えているうちに、アジャス達はすっかり階段をおりきる。
そこでアジャスの瞳に移ったのは、無造作に青い髪を伸ばした二十代半ばの男性と、同じく青い髪を肩辺りで揃えている二十代半ばの女性。それぞれアジャス達の登場に目を丸くしている。
「ヴァイスさん。そちらは?」
アリシアという女性がアジャス達を見詰めて訊く。
「光の玉を取りに来たそうですぞ。男がアジャス、女がローラといいます」
「あ、初めまして。アジャスです」
「ローラです」
ヴァイスの言葉に続いて、アジャス、ローラと続けて自己紹介すると、アリシアは眩い笑みを放って口を開く。
「そうでしたか。私はアリシアと申します。こちらは私の父のキース」
手で示されたキースはにこやかに、どうも、と言って手を振った。
「そして、貴方達の間では竜王と呼ばれるドルーガです」
続いてアリシアがドルーガを示すと、彼は片手を挙げて先程と同じく、おっす、と言った。
アジャス達は、今度は軽く頭を下げて、どうも、と返す。
それを見届けると――
「光の玉はまだ少しだけ必要ですので、よろしければ少々お待ちいただけるでしょうか?」
と、アリシアが丁寧に言った。
それに対してアジャスやローラが何か言う前に、
『脆弱な者達ばかりゆえ、ラーミアの魔力を借りねばならんというわけだな』
「うっせぇなぁ! 俺様達が脆弱なんじゃなくて、お前が異常なんだよ! なんだよ、その魔力!」
破壊神が嘆息しつつ言葉を紡ぎ、ドルーガが文句を叫ぶ。
そして、破壊の神は更にドルーガに応じる。
『トカゲ風情ががなるな、がなるな。何ならここから出て勝負してやってもいいが、恥をかくだけだぞ』
「なんだとぉ!」
「止めなさい! ドル君!」
怒鳴りあうドルーガと剣。
そして、それを止めるアリシア。
ドルーガが渋々口をつぐんだのを見て取ると、アリシアは真剣な表情になり先を続ける。
「シドーさん。これから私達は貴方の魔力の大部分を拡散した後に、外界との魔力親和を防ぐ像の中に封じます。できれば抵抗しないでくれると嬉しいのですけれど――」
『拡散――か…… まあ構わんが、どうせなら――』
そこで少しばかりの沈黙が入る。
そして、
『そこの二人――アジャコとロマンだったか』
「アジャスだ」
「ローラ! ていうか、ロマンって最初の一文字しかあってないじゃない!」
破壊神の言い間違いに、二人は青筋を立てて抗議する。
しかし、破壊神は適当にあしらい、先を続ける。
『何か叶えたい願いはないか?』
『?』
「シドーさん!?」
破壊神の言葉に、アジャス、ローラは揃って首をかしげ、アリシア、キースは驚きの表情を浮かべる。
しかし、破壊神は飄々としたものである。
『慌てるな、アリンコとキー坊だったか』
「アリシアです」
「キースです」
やはり言い間違えた破壊神に、アリシアとキースは疲れた口調で返す。
しかし、やはり破壊神は特別気にした風もなく、
『ああ、そうだったか。とにかく、別に何を企んでいるわけでもない。ただ、どうせならばあの時のように、何かの願いを叶えるために魔力を使えばいいだろう、とそういうことだ』
「それは、まあ、特に害のない願いであれば――」
「問題ないかもしれないね」
破壊神の言葉を受け、アリシア、キースは呟く。
ヴァイス、ドルーガは特に意見もないようで、というよりよく分かっていないようで、破壊神はそれ以上遮られることなく先を続けた。
『というわけだ。アジャス、ローラ。願いを』
「いや…… 急に言われてもなぁ」
「ローラも思いつかないけど……」
戸惑ったようにアジャス達が返すと、
『何でもよい。くだらない、何の役にも立たない願いでも――というより、そういうものの方がよいやもしれんな』
破壊の神はそのように言った。
それを聞いたローラは、あ、と口にして手を上げる。
「ならさ」
『何だ?』
破壊神は訊く。
「最近うちの大臣が、おでこが広くなってきたってぐちぐち言ってたの。だから、大臣のハゲの進行を止めて欲しいっていうのは――」
「いや、ローラ。いくらなんでもそんな――」
さすがにどうだろう、と思い、アジャスがローラに声をかける。しかし――
『いいだろう』
『いいの!?』
破壊を齎す神の御慈悲に誰もが驚いた。
ローラ自身も驚いていたあたり、彼女も冗談半分だったのかもしれない。
『私の強大な魔力をもってして禿げを止めるのだ。死してもなお禿げぬことだろう。ふふふ』
「いや…… そこまでいったら、ハゲようがどうしようがどうでもいいけど……」
自信満々に言う神に、ローラは戸惑いつつ返す。
ぱんっ!
そのように、すっかり微妙な空気になった場を持ち直すように、アリシアは一度手を叩いて大きな音を出した。そして、言葉を紡ぐ。
「えと、ではそういうことで、シドーさんの魔力を使って、その、大臣さんの髪が抜けるのを止める、と――」
彼女がそう言うと、キースが賛成の意を示し、他の者も口々に何かを言った。
そして――
「よっしゃ! なら、さっそくやるか!」
ドルーガが声高にそう宣言し――
世界に――いや、ある一名の頭に魔力が満ちた。
その後、キースやアリシアが細やかな作業をし、そうして数刻が過ぎた頃に、アジャスの手に光の玉が収まった。
そして、城の主達と共に地上へ戻ると、壁やら何やらが破壊され風通しがよくなった一階では、モルやアリア、リリスにコルネリウス、他にも城の住人達が集まっていた。無事に今回の件が片付いたお祝いということで、騒いでいたようだ。
「あ、ドルーガさま〜」
と、そこで、アリアが地上へ出てきたアジャス達をいち早く見つけ、ドルーガの元へと飛び来る。
「おう、アリア。お疲れさん」
「ドルーガさまもお疲れさまです〜」
普通に会話をしていた二人であったが――
ばしっ。
ドルーガの頭に乗って受け答えしていたアリアを、瞬時に移動したモルが叩き落とす。
「アリア。主の頭に乗るものではありません」
モルが笑顔でありながらも眼光鋭く言うと、アリアは心底反省したというように縮こまる。そして、
「……ごめんなさい」
謝罪の言葉を述べた。
「まあ、そうきついことを言うな、モル。それよりも――」
「? 何ですか?」
ドルーガがやんわりとモルをなだめ、その後言葉を区切ると、モルは不思議そうに訊き返す。
その隙にアリアは元いた場所へと戻り、ドルーガは話を続ける。
「こいつらをラダトームまで送ってやってくれ。客人に自分で帰れ、というのも何だろう?」
彼のそのような言葉を受け、モルは目を丸くする。そして、
「あら、ドルーガ様。そのようなお気遣いをなさるとは、すっかり成長なされて、私は嬉しゅう御座います」
そう言ってから、ヨヨヨと呟きながら横すわりをする。
その様子にドルーガはすっかり呆れ顔で、
「まったく…… お前は俺様を子ども扱いし過ぎだ! とにかく、頼むぞ」
そう声高に言った。
モルはさすがにもう先程の態度を改め、柔らかな笑みを浮かべて、はい、と返事をした。
しかし――
「お気遣いは有り難いんですが、別に送ってもらわなくてもいいですよ」
アジャスは感謝の意を示しながらもそのように言った。そして、その後はローラが継ぐ。
「そうそう。ローラ達は――」
彼女はそのように口にしてから、アジャスと一度視線を合わせ、それから一斉に同じ方向を向く。
そして、口の前に手製の拡声器を置き――
「お爺さーん!」
「帰りましょー!」
二人で仲良く叫んだ。
呼ばれたコルネリウスは驚いて一瞬呆けるが、直ぐに苦笑して息を漏らす。最後まであの疲れる二人組に付き合わされるのか、と。
老人は心地よい覚悟を決めてから、二人の元を目指し、
「そう急かすな。年寄りはいたわるもんじゃぞ」
そう声をかけた。
そんな老人の姿はいまだ黒髪の女性のそれだったので、違和感を覚えたアジャスは――
「だから、その格好で老人口調だと違和感ありますって」
冗談交じりで、軽くそのように声をかけた。
しかし、そこが運命の分かれ道……
コルネリウスは口の端を上げて意地悪く笑い――
「あら、やっぱりこういう口調の方が好みなのね。アジャスってば好きなんだからぁ」
ひそひそひそひそひそ。
彼がふざけた口調で声高に言うと、あたりで始まるひそひそ話。その内容は――
「やっぱりあの男そういう変わった趣味なんだ……」
「まあ、モル様を筆頭に変な方がこの城には多いけど、それでもあれはどうなんだろうな……」
「ていうか、コルネリウスさんのあの姿って、あの男のご先祖さまでしょ? どういうプレイよ……」
などなど。
そして終いには――
「ろ、ローラは差別とかしないよ。友達だもんね」
ローラまでも視線を逸らして、そのようなことを言い出す始末。
……………
「ちっっっっっがあぁああぁあうっっっっっ!!!!!」
泣きそうになるのを何とか堪えてからアジャス少年は、海を挟んだラダトームにまで聞こえそうな程の大声で抗議した。
そして、誤解を解くためには更に数刻を必要とするため、彼らが竜と化した老人の背に乗って島を発つには、まだしばらくの時が必要なのだった。