拍手小話三:「お早う御座います。昨夜は〜」

 その日、ローラは窓から差し込む陽の光を顔に受けて目を覚ました。マイラでアジャスの姉に会い、共に温泉に浸かった次の日のことだ。
「ふわぁあ。今日はまたドムドーラに行くんだっけ?」
 そう言って、窓から身を乗り出して空を仰ぎ見るローラ。
 その視線の先には、雲ひとつない青天が拡がっていた。吹いている風も、心地いい程度のそよ風。これ以上は望めない最高の天候だった。
「う〜ん、いい天気でよかった。雨でも降ったら、お爺さんの背に乗って荷物運ぶのも一苦労だもんね」
 独り呟くと、ローラは窓の縁に肘を乗せて頬杖をつく。そして、頬を撫でる風に心を落ち着け、ゆっくりと瞳を閉じた。
 その後、うっかり居眠りをして、窓から落ちそうになったという事実は、彼女の名誉のために他言無用で願いたい。

「おっはよ〜」
 宿の受付でアジャスや老人と合流し、ローラは元気に挨拶する。
「ああ、おはよう」
「おはよー」
 アジャスと老人――今日も見た目は黒髪の少女だった――も笑みを浮かべてそのように返した。
 アジャスの姉のミリアはその場にいないようではあったが、荷物を運ぶ時間を考えると彼女を待っているわけにもいかない。事実アジャスは、そろそろ出るか、と言って受付に向けて歩を進める。
 今後の予定としては、昨日のうちに用意しておいた温泉水入りの樽数十個を町外れの森まで運び、そこから更に、竜に変じた老人の背に乗せてドムドーラまで運ぶ。量を考えると、数度に分けて運ぶことになるだろうから、老人にとっては相当な負担だろう。
 ローラがそのようなことを考え、軽く老人に同情していると――
「お早う御座います。昨夜はお楽しみでしたね。それでは、いってらっしゃいませ」
 アジャスが指し出した宿賃を受け取りつつ、そんなことを宿の主人が言った。
 ぴくっ。
 それにローラは肩を震わせて反応し、口を真一文字に結んで目つきを鋭くする。
 彼女も十八歳。先の言葉が意味するところくらいは分かる。
 そして、その言葉の向かう先は、ローラが共に旅をしている者――アジャス。
 更に言うと、昨日彼女は自分の部屋でぐっすりと眠っていた。
 つまり、昨夜のアジャスの相手は――
「アジャス! 不潔よ! いくら見た目が女の子だからって――」
「ちょ、ちょっと待て! 誤解だ!」
「誤解も何もないじゃない! ローラが相手じゃないんだったら……」
 そこで表情を緩めて少し頬を染めたのが不思議だが、ローラは直ぐに目つきを鋭くして――
「アジャスの男色! その上、熟女――じゃなくて、熟男好き!」
「へ、変なことを叫ぶなっ! 違うっつーのっ!!」
 アジャスは周りの視線を大いに気にしながら、周囲の者達の誤解をとく意味で、これ以上ないというくらいの大声を出した。
 そして、そのように必死なアジャスの様子に、ローラは考えを改める。その結果――
「じゃあ、ミリアさん!? 馬鹿ぁ! シスコン!!」
「それも違あぁぁあう!!」
 泣きそうな顔で叫んだローラに、やはり泣きそうな顔でアジャスは再び抗議した。
 そのような、特定の者にとっては悲劇であり、そしてその他大多数の者にとっては喜劇である掛け合いは、宿の主人が言いにくそうな顔で、あの、冗談ですから、と声をかけるまで続いたという。
 またその間、老人は特にフォローに入るでもなく、楽しそうに事の成り行きを見守っていたのだった。