第二話:サマルトリア城下町
その日、十日後に齢十三となるサマルトリア国の王女サーニアル=サマルトリアは、いつものように城を抜け出し、町での買い食いに勤しんでいた。
晴れ渡った空の下、頬に当たる風の感触に目を細めながら、焼き魚を十尾と焼き鳥を二十串、デザートに羊羹六棹を食し、そして現在たこ焼き百個を口に運びながらあたりの食べ物屋を物色している。
そのさなか、サーニアルは町の入り口に出来た人垣に気づく。行ってみるとそこには――
「これはサーニアル様。ご機嫌麗しゅう――」
「挨拶はいいから。これは何事?」
人垣の中に紛れていた兵士がサーニアルに気づき挨拶をする。しかし、サーニアルはそれを遮って事の次第を訊いた。兵士は姿勢を正して、
「は! 行き倒れのようです。ただ妙なことに、最初に発見した者の言い分では、その行き倒れは誰もいなかったはずの場所に突如姿を現したとのことでして、それが広まりこのような騒ぎに」
もぐもぐ。
兵士の言葉を聞いて、サーニアルはたこ焼きを順調に減らしながら思案する。
このような真昼間から見間違えるということもないと考えられるため、発見者の証言自体は信じてもいいだろう。しかし、それは今気にするべき問題とは言えない。この場合、行き着くべき結論としては――
ごっくん。
「ふーん…… まあ、それが事実でもそうじゃなくても、まずは行き倒れさんの介抱を先決しましょ。空腹が原因なら……このたこ焼きを提供しないこともないし」
たこ焼きを見つめてから入った数秒の沈黙から、サーニアルの食べ物に対する愛の深さをうかがい知れる。
そのような事実はともかくとして、サーニアルの苦渋の決断に兵士は数度首を振り、
「いえ。どうやら痺れ薬か何かを飲まされたような感じでして…… 今、私の同僚を道具屋に走らせて満月草を取りに行かせています」
そう言って道具屋のある方向に視線を向けた。
サーニアルもその視線を追って首を動かし、そこでひとつの疑問を抱く。
「満月草……? 道具屋さんで売ってたっけ?」
サマルトリアで生まれ育ったサーニアルだが、ここの道具屋で痺れを回復するという満月草を目にしたことはなかった。
しかし、その疑問には兵士が簡単に答える。
「販売をしていないだけで、緊急用に少しの在庫はあるそうです。同僚は昔道具屋で働いていたとかで、そのことを知っていたんですよ」
「ふぅん」
それほど気になったというわけではないにしても、ちょっとした知識欲が満たされたことで軽く笑むサーニアル。
そしてそこで、右手の親指と人差し指で小さな楊枝をつまむ。
ぷす。ぱく。ぷす。ぱく。ぷす。ぱく。
手にした袋にたっぷりと詰まったたこ焼きが、どんどんとサーニアルの腹に収まっていく。百個あったそれは、いまや概算して三十といったところか。
兵士に限らず、周りにいた者達がその光景に惚れ惚れしていると――
たっ。
「あ、サーニアル様。素性の知れない者に近寄られるのは――」
相変わらずたこ焼きを口に運びながら、倒れている者に近寄ろうとしたサーニアル。
そんな彼女を兵士は止めに入るが、サーニアルはその兵士を手で制して口を食べ物のためではなく、言葉を紡ぎだすために開く。
「仮にこの方があたしに危害を加える気だとしても、痺れているのでは何も出来ないでしょ? それに……」
そこまで口にして、サーニアルは倒れている者に瞳を向ける。離れたところからでは判別しづらかったが、その者は女性であった。その上、その瞳には――
「泣いてるわ。悲しいことでも…… ううん。これは、怖がってる?」
女性の瞳に浮かぶのは感情の高ぶりを象徴する光。その因となった感情は、彼女の引きつった表情より判別できた。その引きつりが痺れによって引き起こされた可能性もないわけではないが、サーニアルには、確かにそこから恐怖の片鱗を感じ取れるような気がした。
そこでサーニアルは、人垣の中に紛れていた飴売りを呼びよせ、棒つきの飴を一本貰う。ちなみに、彼女が所望した食べ物の代金が城のツケになるというのは、ここサマルトリアでは一般常識である。
手にした飴をサーニアルは女性に指し出し、
「怖いことや辛いことがあったら美味しいものを食べるといいよ。少なくともあたしは、そうすれば気持ちが落ち着くもの。今は痺れてて食べれないと思うけど、満月草で治してもらったら食べて。ね?」
そう言って、女性の傍らに紙を敷いてそこに飴を置く。
「さて」
女性の素性や事情はともかくとして、それほど緊急を要しないということが分かったため、サーニアルはその場を立ち去って買い食いを再開することを決めた。
すく。
女性に合わせて屈めていた腰を上げ――
「……あ……ひ……がと……お……」
その時、途切れ途切れに発せられた感謝の言葉。それが舌足らずに発せられたのは、発した本人の痺れが抜けていないためだろう。
サーニアルが、痺れたままの女性に瞳を向けると、そこには引きつりながらも笑みが浮かんでいた。
感謝を向けられた当人もまた微笑み、
「どういたしまして。あなたに精霊神ルビス様のご加護がありますように」
使い古された文句を紡いだ。適当な挨拶として用いられるものであるが、
「……」
それを受けた女性は、恐怖とは異なる感情で表情を歪める。そこに潜むのは――
すたすたすた。
しかし、サーニアルはそんな女性の様子を気にすることもなく、人垣から離れて果物屋に向かった。その際に、急ぎ足で人垣へ向かっていく兵士を目にする。兵士はサーニアルに気づくと一度止まって、姿勢を正して礼をした。そして、すぐにまた歩調を速める。
その様子を見たサーニアルは、これで女性が治るのも時間の問題だと安堵し、すっきりした表情で言った。
「りんごを十個、くださいな」
その手に握られた袋の中には、楊枝だけがぽつんと存在していた。
それから一月ばかり後――
日の光が傾き、数刻で闇が支配しようかという夕暮れ時。サマルトリア国の王子スケルタ=サマルトリアは、侍女の一人との逢瀬を終えて城への帰路についていた。
そしてその際に、ここサマルトリアではまず見ることのないはずの兵服を目にした。サマルトリアのそれが茶色を基本としたシンプルな装丁であるのに対し、城に向かっている人物の身に着けるそれは、赤を基調に作られたごつい見た目が印象的だ。
気になったスケルタは、それを身に着けた人物に声をかける。
「おい。あんた、ムーンブルク国の兵士だな? 何かの伝令かい?」
城へと急ぎ足で進んでいた兵士は、スケルタの存在に気づいてかしこまる。
「これはスケルタ様。お目にかかれて恐悦至極に――」
伸ばした背筋と、丁寧に下げられた頭、そして丁重に紡がれた言葉。
こそばゆさを感じたスケルタは、適当な態度で手を振った。そして、やはり適当な態度で口を開く。
「あぁ、いい、いい。堅苦しい挨拶はそのくらいにしろ」
「はっ」
ふぅ。
相も変わらずかしこまった態度の兵士に、呆れたようなつまらなそうな表情を向けるスケルタ。それでも気を取り直し、話を聞きにかかる。
「それで? わざわざローラの門を抜けて、我がサマルトリア領にどのような御用で?」
「それは…… その……」
少々おどけて訊いたスケルタに、兵士は言いづらそうに口ごもり、サマルトリアの城に瞳を向けた。
ちなみに、ローラの門というのはサマルトリア領とムーンブルク領を繋ぐ地下通路。徒歩で二国間を行き来する唯一の交通箇所である。
「……ちょいと深刻な様子だな。わかった。親父殿に取り次ごう。最終的な決定を下すのは王である親父殿だし、ここで俺が聞いても二度手間になるだけだからな」
兵士の様子に敏感に反応したスケルタは、瞳を細めてそう言った。色事にうつつを抜かすと評判な割に、そこは二十歳という年齢のなせる業か、冷静な判断と適切な行動を取るだけの分別はあるようである。
踵を返し、兵士を引き連れてサマルトリア城へと歩みを進める。
軽く闇が侵食を開始した中、煌々と明かりを灯して存在が強調された壮大な建物は、二人の視線の先で圧倒的な存在感を放っていた。そこには勇者ロトの末裔であるとされるキドニア=サマルトリア国王陛下、スケルタの父がいる。スケルタの言うとおり、この国において全ての決定は彼、キドニアが下す。兵士の報告がどんなものであれ、キドニアの耳にいれ、その上で方針を決めることになる。
それゆえに、スケルタ=サマルトリアがムーンブルクで起こった事件を知るには、もう少しの時間を要するのである。