第三話:ローレシア城謁見の間
ここはローレシア国の謁見の間。
そして玉座に座るのはリトリート=ローレシア。かつて世界を救ったと言われる勇者ロトの子孫――ではなく、ロトの子孫であるシルステシア=ローレシアの元へ婿にきたデルコンダル国の次男坊である。この国を治める立場の人間――なのではあるが……
「あの…… リトリート陛下?」
びくっ!
声をかけられたリトリートは、なぜか持っていた枕で顔を隠し、その陰からびくびくと声をかけた人物を見つめた。その視線の先には、赤色に染まったかさばりそうな兵服を身にまとった男性。遠くムーンブルクの兵士である。
「な、なんですか……? この国に如何なる用で――」
漸くリトリートが発した返答も、顔を隠してぼそぼそと紡がれたものであったために、兵士にはさっぱり聞き取れなかった。しかし、仮にも一国の王相手に訊き返すのも気が引けるようで、兵士が困り果てていると――
「あほかあぁぁあぁあ!!」
一人の少年がリトリートに拳を叩き込みつつ叫んだ。その場にいた幾名かは、胸のうちで少年に賞賛を送ったとか送らなかったとか…… それはともかく、この少年が何者であるのか。
ぼさぼさの黒髪に、同じく黒の瞳。顔立ちはどこかリトリートに似ているのだが、先程の行動からも明らかであるように性格がまったく違うため、ぱっと見で似ているというように判断する者はまずいない。そんな少年の名はリアス=ローレシア。数ヵ月後に十三になるこの国の王子である。
「リトリート! 外から客が来てるってのにうじうじしてんじゃねぇよ!!」
リアスの叫びを訊いた兵士は驚いた。
この国の王であり父親でもある人物を呼び捨てる、この国の王子兼息子。驚くなという方が難しい。
「で、でもリアス…… この人、知らない人だし……」
「だああぁあ! 外――ムーンブルクから来たんだから当たり前だろうがっ!」
そんな調子のやり取りがしばらく続く。その間、客である兵士は呆然としていることしかできなかったが、慣れているローレシア国の大臣と兵士達はそれぞれ適当に過ごしていた。
そして数刻の後――
「それでぇ? どんな用なんだ?」
もはやリトリートに聞き役をさせることを諦めたリアスが、自身で兵士に問う。
できるだけ王に聞いて欲しかった兵士であったが、先程の様子から考えて一対一で話すことは難しいと判断しリアスに相対する。もっとも、リトリートも枕で顔を隠しているとはいえ、この場にいるのだから話は聞こえているだろうが……
「はっ。実は我がムーンブルクに災いが訪れまして、引いては貴国に協力を要請したい、と」
「災いって何だよ?」
ピクリと眉を吊り上げてリアスが訊いた。
そこで兵士は少々沈黙する。そこに内在するのは迷い。災い――というよりは、彼の国の恥となる事柄を話し難いと、そう考えたためだ。とはいえ、話さずに協力をしてもらえるはずもなく、覚悟を決めて口を開く。
「我らが王とそのお后様、加えて姫様が行方知れずとなられ、その上、城は大々的に破壊されてしまったのです」
「……は? っておい! そりゃ一大事じゃねぇか! 行方知れずってのは――まさか……」
兵士の言葉を聞いたリアスは顔色を変えた。リトリートもまた枕の陰で青ざめ、瞳に涙をためている。しかし、彼らの解釈は兵士の持っている事実とは少々の齟齬をきたしている。
「いえ! その…… 説明が難しいのですが、ラドルフ陛下やエリシェット様、そしてアイリ姫様の行方が知れないことと、城が破壊されたこととは無関係なのです。ですから、リアス様がご想像されているようなことは……」
色々と悪い想像を巡らしていたリアスは、その言葉を聞いてほっと胸をなでおろす。ただ、兵士の言葉はどこかはっきりしなく、さらなる追求が必要と思えた。
「そういうことなら、一応安心していいみたいだな…… ただ、よく全体像がつかめねぇ。順を追って説明してくれるか?」
「はっ。まずことの起こりは――」
しばらく兵士の説明が続く。
そして、その説明を一通り聞き終えたリアスが、聞いたことを纏める意味でその概要を口にした
「つまり――アイリが一月前に謎の魔術師にさらわれて、それに怒った親馬鹿なラドルフのおっさんとエリシェットのおばちゃんが魔術師を追って旅立って、そんで今から十五日前に、なぜか当の魔術師が『ワンちゃんはどこですかーっ!?』と叫びながら城を壊したと……」
「そうです」
リアスの見事な要約に兵士が満足そうに相槌を打つ。
その様子を見たリアスは一度嘆息し、
「おい! 医者呼べ、医者! ちょっと頭の緩い奴がいるから」
「ちょっ! 待って下さい! 今の全部本当なんですって! 確かに後半とか嘘みたいですけどっ!!」
真面目な顔で自国の兵士に指示を出したリアスに、遠方よりはるばるやってきた兵士が焦りつつ言った。ちなみに、リアスとしては前半部分も嘘臭いと判断している。ラドルフやエリシェットが親馬鹿であることは昔から知っていたため、彼らの話のくだりは否定する気が起きないが――
「あのアイリが大人しくさらわれるタマかよ」
リトリートの隣――本来ならば后であるシルステシアが座る場所に頬杖をついて座り、適当な態度で言ったのはリアス。ちなみにシルステシアは、兵士を数名お供につれて西方に位置するリリザの町へと買い物に行っている。
「それは……その…… アイリ様が実際にさらわれるところを誰が見たというわけでもないため、さらわれたというよりは失踪されたとするのが正しい結論ではあります。ただ、同時に魔術師も姿をくらましたことを考えますと――」
「そいつはちょいと短絡的な気がするがな…… それに、魔術師はまた来たんだろ? 仮にも王女をさらっといて、ちょっと妙じゃねぇか?」
「それは……そうなのですが……」
リアスの言葉にしどろもどろになる兵士。実は彼自身、アイリがさらわれたという判断に納得していない節があったのだ。どちらかというとリアスの意見に賛成であるからか、反論する気も起きないし、反論するだけの意見もない。
そんな兵士の様子を見たリアスは、これ以上問答していても仕方がないと理解し、そこで話題を移すことにした。
「まあいいや。それで? 魔術師の叫んでた『ワンちゃん』ってのは何だ?」
「それも……分かりかねます。ただ、何やら腹を立てているようでした。そのくせどこか怯えているようで――」
「腹を立ててたねぇ…… 探していたのがアイリだったら、あいつが余計なことを言って怒らせたとか、そんな感じで大いに納得できるんだがなぁ。その場合、怯えてたってのも納得できるし」
あいつ怖ぇからなぁ、と苦笑するリアス。まだ彼が幼い時分、アイリが今のリアスと同じくらいの年齢であった頃、彼女が大人を言い負かし、その上満面の笑みでねちねちと責めて泣かせたという記憶は、彼の脳にしっかりと刻まれ消えることがない。
その記憶をしばらく反芻してから、リアスは次の問いを口にする。
「城が破壊されたってのはどれくらいなんだ? 人的被害は?」
リアス同様、城で何度か見たアイリの異業を反芻していた兵士は、リアスの突然の問いに戸惑いながらも反応した。
「城は――原形をとどめておらず…… それでも人的な被害が、二、三名が軽い怪我をした程度であったのは不幸中の幸いかと」
「原形をとどめてないって…… というか、それでよく死人がでなかったな?」
城の破損具合に絶句して、当然の意見をリアスが口にした。
兵士はそれに対して言いづらそうに、
「……実は、陛下とお后様が旅立たれた時点で、多くの者が自主的に辞めていったのです。こういってはなんですが、見限ったのでしょう。ですから、その…… 被害の出ようもなかったというか……」
遠くを見つめるようにして、そう言った。
そして、それを聞いたリアスはそれに対するコメントを言いよどんだ。何というか、どう好意的に見ても――
「それは、国が崩壊しているとかって言わないか?」
「その…… 実は……その通りで」
もはや泣きそうな様子で兵士が応えた。
どこが悪くてそうなったのか。おそらくは、というより確実に、国を省みないほどの親馬鹿に原因があると思われる。過ぎた親の愛が悲劇を生んだいい例であった。しかも、その悲劇の向かう先が実にはた迷惑であったから始末が悪い。
しかしそうなると、兵士の口にした協力の要請というのは、ムーンブルクからの要請ではなく――
「ま、ご愁傷様というか…… それで、国からっつーよりあんた個人からどんな協力要請なんだ?」
「国は滅びたとしても、かつてお世話になりました方が行方知れずであるのなら、見つけ出したいと考えるのが人の道というものでしょう。陛下とお后様はご無事と判断できるにいたしましても、アイリ様のご無事を確認しないことには……」
そこまで聞いたリアスは得心する。
「アイリの無事の確認か…… ま、俺的には無用の心配と思うが、あんたの気持ちも分からないでもない。協力を約束しよう」
一応は国の代表であるはずのリトリートに確認も取らず、一人で勝手に決定したリアス。ただ、今までのやり取りから、どちらかといえばリアスの方に敬意を持っていた兵士は、それでローレシアの協力を得られたようなつもりになり表情を輝かせた。もっとも、リトリートがリアスの意見に反対することなどまずないため、兵士がそう判断したのは全く問題のないことであったが……
「それであの――」
そこでさらに、兵士は緩んだ表情を引き締め言葉を紡いだ。
先程までよりも若干真剣に見える。
「どした?」
リアスが訊き返すと、兵士は懇願するような瞳で次のように言った。
「できればこちらで雇っていただけませんか?」
気の毒な現状を考えると、誰もノーとは言えなかった。