第五話:道中〜ローレシア・サマルトリア間

 ローレシア城下町から旅立つ場合、まず海岸線に沿って西方へ向かい、幾つかある素泊まり宿を継いで、サマルトリア領のリリザの町まで足を伸ばすのが一般的である。
 しかし、かの国の王子リアスは山麓に沿って北方を目指した。そして、険しい山脈に囲まれた湖が見えてきたところで日も暮れたゆえ、火をおこして野宿の準備を始める。こちらは一般に使われていない道であるため、素泊まり宿すらないのである。
 リアスが空を仰ぎ見ると、張られた闇の天幕にはぽつぽつと光の穴が開き出していた。
 さて、なぜ彼が一般に使われる道を用いずにローレシアを旅立ったかと言うと、それは彼が第一王位継承者というやんごとなき身分であるから――という理由はあまり関係なく、もうちょっと庶民的な理由があるためだった。

 ムーンブルクより来た使者に職を斡旋した後、リアスは大きく伸びをして次のようなことを言った。
「んん! よっしゃ! 親戚のピンチだし、いっちょ俺自ら探してやるか!」
 そこら辺に控えていた兵士から鉄の剣を奪い、それを振り回しながら自室を目指すリアス。
 人の好いことを言っているが、実は偶には気晴らしに旅に出てみたいというのが本音だったりする。もっとも、頼まれた以上アイリを探すこともしっかりこなす気はあるのだが……
 とはいえ、一国の王子を――というよりも、弱冠十二歳の息子を独りで旅立たせるなど、いくら気弱なリトリートでも容認する気はない。
「ちょっ、リアス…… 待って――」
 小声ながらも呼び止め注意しようとするが……
「うるせぇ♪」
 笑顔で圧力をかけたリアス。リトリートは小さく、ひっ、と怯えたように声を出し、枕で顔を隠す。
 その様子を見た大臣、兵士一同は密かに嘆息し、リトリートよりも強気で止める。
「お待ち下さい! 王子! 儂の目の黒いうちは――」
 がこおぉん!
 そこら辺に転がっていた金ダライを拾い、リアスが大臣の頭目掛けて投げた。派手にぶつかったタライの威力で、大臣は白目をむき、気を失う。
「白くなったからいいよな?」
「ま、まだ我らがおります! 力づくでも――」
 どんっ!
 兵士その一の言葉の途中で、リアスは派手な音を立てながら踏み込む。
 その音に驚いたのか、兵士その一は反応が遅れ、リアスの鉄の剣により自身の得物を弾かれる。
 ぼこっ!
 そして、丸腰になった兵士その一はリアスの拳を腹に受け、大臣同様白目をむいて転がった。
「さて……」
 そこでリアスは笑みを浮かべ、他の兵士一同に向き直り――
「次はどいつが相手だ?」
 兵士一同は互いに顔を見合わせ、お前行けよ、お前こそ、というようなやり取りをひたすら続ける。
 既に日々の鍛錬で、弱冠十二歳のリアスにぼこぼこにされている彼らは、白目を向いて倒れている大臣と兵士その一という現実を目の当たりにし、すっかり腰が引けているようだ。全員で取り押さえるということをすればどうにかなるかもしれないが、それはそれで後が怖いと見える。
 リトリートが王位についているという事実が関係しているのかいないのか。その真偽の程は確かではないが、どうにも根性なしが集まっているようである。
 しかし、そこで最後の抵抗をする者がいた。
「誰か! シルステシア様にお知らせしろ! キメラの翼でリリザに――」
 どがっ!
 震える声で叫んだ兵士をリアスが蹴り飛ばす。
 先ほどまでの冗談めかした笑顔を引っ込め、リアスは真剣な表情で剣を構える。
「母さ――お袋を呼びに行けないように、手前ぇら全員ぶっ飛ばす!」
 そう言い放って、目にも留まらぬ動きで兵士達を床に転がしていくリアス。何とか隙を見て戦線から離脱する者をも、あまねく倒していくその姿は鬼神の如きであった。
 リアスがこのように、是が非でもシルステシアの登場を拒もうとしているのには理由がある。彼は彼女が――怖いのだ。
 この国の王女として生まれたシルステシアは、六歳から武道の稽古に励み、九歳で指導していた兵士長をのし、十二歳で他国にお転婆姫としてその名を轟かせた。デルコンダル国でのパーティにいやいや出席し、そこでリトリートに一目惚れするまで女の子らしさというものを鼻で笑っていた彼女は、現在でも歴戦の勇士と肩を並べる実力を有しているのだ。
 もっとも、リトリートに気に入られたい一心で、女の子らしさの代表選手、華道や茶道に精を出していた影響か、性格的には丸くなっており、滅多なことでは暴力的な行動に出ることはない。
 しかし、今回リアスが旅に出るとなれば、彼女も積極性を持って暴力的に止め、お灸をすえるための肉体的拷問などをするのは想像に難くない。事実、過去に似たようなことがあったのだ。
 それゆえ、リアスはシルステシアの介入を必死で拒むのである。
 と、そこで、この場にいる最後の兵士が床に転がって、騒ぎが収まった。
 滝のような汗を流し、剣を杖代わりにして体を支えているリアス。そんな彼に――
「あ、あの…… リアス……」
 父親が、怯えながらも声をかけた。
 息子は肩で息をしながら、不機嫌そうに聞き返す。
「はぁ、はぁ…… な、何だよ? リトリート」
 リトリートはぎこちない笑みを浮かべて、
「お城の皆には、ちゃんと挨拶してから行くんだよ?」
 とだけ言った。
 リアスが怖かったために、そのように言ってお茶を濁したのか。それとも天然でそのような忠告をしたのか。真相は当のリトリートのみが知るところだ。

 そんなわけで、リアスが一般的な進路を無視しているのは、母親の折檻が怖いからという思いに起因しているのである。
 ちなみに、シルステシアは面倒事に対する許容範囲が狭いため、一般進路を外れた行方の分からない息子を探すことまではしない。よって、リリザの町を大きく避けてサマルトリア城下町を目指しているリアスは、一応安心していいのである。
 もっとも――
 かちゃ、ひゅっ!
 剣を素早く手に取り、襲ってきた巨大なナメクジを斬るリアス。
 魔物の全てが火を怖がって寄って来ない、などという楽天的過ぎる現実などあり得ず、寧ろ先ほど食事をした時の匂いに誘われて近づいてきているのが多数いる困った現状。
 母シルステシアは怖くとも、寄って来た魔物全員を相手にするくらいは余裕で出来る実力を有したリアス少年。しかし、そのようなことをする気は当然ないようで、荷物の中から小瓶に入った液体を取り出す。
「さて…… 周りにびちゃびちゃっと」
 独り呟きながら、瓶の中身を火の周り十六尺(=約四・八メートル)四方に円形に注いでいく。
 彼がばら撒いている液体は聖水。魔の物達を近づけないための聖なる力を有した水である。
 魔物に寝込みを襲われるたびに反応し倒していたのでは、睡眠のすの字も満足に取れないと判断し、夜の間の厄介払いを目的に振り巻いたのだろう。
 すっかり巻き終えると、なるほど確かに邪悪な気配は退いた。
「ふわぁ…… そんじゃお休みー。明日はサマルトリアまで一気に行くぞぉ」
 寝ぼけ眼でそんなことを呟いた少年は、横になって目を閉じると、一秒と待たずに眠りに落ちた。

 翌日。
 目覚めたリアスは西に向けて歩き出し、鬱蒼と茂る木々を右手に見ながら進む。それほど盛んではないが、偶に襲ってくる魔物――スライムを筆頭に、昨夜倒した巨大なナメクジや巨大な蟻などを倒しながらであるため、少々時間がかかる。
 そうして数時間歩き、昼頃に湖に至る。そこで軽く食事を取り、湖を迂回して北方に足を向ける。
 山麓に沿って再び数時間北上すると、日が傾きかけた頃に、険しい山脈の麓に広がる森に足を踏み入れた。
 注意しつつ更に北上すると、愈々日が完全に落ちようかという時に、壮大なサマルトリア城が視界に入ってきた。
「ふぅ。何とか今日中につけそうだな…… ここでたいした情報が得られるとも思えねぇけど、ま、一応だな。道具の買出しもしてぇし…… ああ、そうだ! スケさんを誘ってみるか!」
 リアスはそう独りでごちてから、ただなぁ、アイリ関連と知ったらあいつは来なそうだなぁ、などと苦笑しながら言った。そして更に続ける。
「つか、あいつには絶対ぇ会いたくねぇな…… 注意しねぇと」
 そのように言葉を紡いだりアスは、嫌そうな顔ながらもそれも本気とも取れず、どうにも素直じゃない感が否めない様子であった。
 それがどういうことなのか。あいつというのが誰なのか。その答えは、サマルトリア城下町に至れば分かるというものだ。


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