第六話：いなくなる人々
姉妹国ムーンブルクが国としての機能を停止したこと、そしてかの国の王女アイリが行方知れずになったことは、ここサマルトリアでは国王、王子、そして幾名かの重鎮にのみ知らされていた。国民はそれらの事実を知らない。
その理由としては何より、ムーンブルクの使者がそれを望んだことが挙げられる。彼にしてみれば、アイリの失踪はともかく、もう一方の事件は国の恥。そのように言うのも頷ける。
また、一人の死者も出ていない以上、サマルトリアの国民の家族がムーンブルクにいたとしても無事なのは間違いがない。それもまた、皆に伝える必要がないと判断された理由の一つだ。急を要するわけでもないのなら、いらぬ不安を植えつけることもあるまい。
そして、使者よりアイリの探索を要望された国王は、それを第一王位継承者であり自分の息子でもあるスケルタ＝サマルトリア王子に命じた。
彼とアイリは歳が近く、親交もあり、加えてスケルタは特別仕事もしていない――要するに暇。その上、リアスのように若すぎるなどということもない。そんなスケルタはアイリ探しに適任と思われた。
……思われたのだが。
困ったことに、スケルタ王子はその直後――人知れず行方をくらましたのだった……
少し離れた位置にいる者が誰なのか判別しがたい誰そ彼時。サマルトリア国第二王位継承者サーニアル王女は、王城前の屋台でこしの強さが絶品の麺食品五杯目を食していた。
熱々のつゆの中から麺を探り出し、口を大きく開けてくわえたサーニアル。そこで彼女は、ずるずるずるずるーと盛大な音を立てて、勢いよく麺を口の中へと吸い込む。
それから直ぐに、麺は彼女の喉を通り過ぎ胃の腑に収まる。
「ぷっはー。おいしぃー。相変わらずいい腕してるー、おじさん」
「ありがとうごぜぇやす、サーニアル様」
屋台の主人の礼を受けて、サーニアルは満面の笑みを浮かべる。そして、そのあと残りのつゆを一気に飲み干し、
「じゃ、もう一杯」
と、どんぶりを差し出した。
彼女の大食はいつものことであるため、主人は特に驚くこともなくどんぶりを受け取り作業に取りかかる。そして、その作業の最中で軽く世間話を始めた。
「ところで、スケルタ様はお加減でも悪いんですかい？」
「え？ どうして？」
訊かれたサーニアルは、ほんの少しだけ頬を引きつらせた。
しかし、そんなことには気づかず、主人は麺の茹で上がり具合を見ながら言葉を紡ぐ。
「いえね。いつもは毎日違う女性をはべらせてて、かならず目に止まるってぇのに、ここ数日は城から出て来る気配すらありゃしません。それでご病気でもされてるのでは、ってぇのが下々の見解ですわ」
そんな意見を聞いたサーニアルは、なるほどなぁ、と納得しつつ、兄の普段の行動の最低さに苦笑を禁じえなかった。
しかし、父親に懇願され口止めをされている以上、真実を物語るための口はきちんとつぐんでおく。そして、用意しておいた差し障りのない答えを紡ぎだす。
「兄様はちょっと酷い風邪をお引きになって、部屋でうんうんうなってるわ。私もうつっちゃ大変だからって会わせて貰ってなくて、今どんな具合かはわからないの」
こうして会わせて貰ってないと言えば、これ以上突っ込んで訊かれることもないだろう。
「そうですかい。そいつぁ心配ですなぁ。と、お待ちどうさまでさあ！ さあ、どうぞ！」
素直に納得し、言葉通り心配げな顔つきでどんぶりを運ぶ主人。しかし、いざどんぶりをサーニアルに差し出す時には、転じて元気いっぱいに声をかけた。
サーニアルは瞳を輝かせて、差し出されたばかりの、六杯目になる麺料理を見詰める。そして、手を合わせて満面の笑みで――
「いっただっきまーす！」
そのように大きな声で言い、凄い勢いで食べ始めた。数秒で半分ほどを胃に落とし、そこで――
「むっ！ ほのへはいはっ！」
食べ物を頬張ったままで、誰にも聞き取ること能わぬ言葉をお行儀悪く紡ぐ。そして、一秒とかけずに残りの麺とつゆを口に含んだ。
それらをやはり一瞬でそしゃくし――
「もぐもぐもぐ。ごくんっ。じゃ、おじさん、御馳走様！」
「へ？ もういいんですかい？ いつもならあと十杯は――ってもうおられない、と…… どうされたのかねぇ」
座っていた椅子から知らない間にいなくなったサーニアルをしばし探し、キョロキョロとする主人。しかし、他の客が数名やって来たので、気を取り直して注文されたものの準備を始める。
どんぶり五杯をそれぞれ五人の客に素早く出してから、続けて見本としておいてあるパリパリに焼いた耳の裏のような物体を指差す。
「おうおう！ 一緒にこの新作のにらとにんにく入り豚肉包みもどうだい！？ 四つで五ゴールドとお得だよ！ つか、マジで注文頼んます！」
頼み込むように、そんなことを叫んだ。
大声で必死なのは、サーニアル王女による売り上げが普段よりも少ないためか……
サマルトリア城へと続く舗道から少し外れた茂みの中、ぼさぼさの黒髪を携えた少年が潜んでいた。
「よし…… 今のところあいつに見つかってない、と。いつもここに来ると即行で見つかるからな。今日は見つからないように気を――」
勝ち誇ったように呟いた少年。しかし、その言葉は遮られる。
「リーアスっ！」
ぎゅっ！
猫なで声を背後からかけられ、続けて抱きつかれる少年――リアス。
「うわっ！ おまっ！」
リアスは直ぐにその手を逃れ、振り返る。そこにいたのはこの国の王女サーニアル＝サマルトリア。
「久し振りね、リアス」
「ちっ、見つかっちまったか……」
微笑を向けられたリアスは、苦々しい表情を浮かべてそのように言葉を搾り出した。
「ご挨拶ね。まあ、そこが可愛いところだけど」
サーニアルは苦笑して前半を、優しく微笑んで後半を口にする。
それを受けたリアスは相変わらず苦い表情。
「ガキ扱いすんな！ 数ヶ月年上なだけのくせに！」
「数ヶ月だろうと数年だろうと、年上は年上でしょ。ほぉら、お姉さんが可愛がってあげる」
「だからそういう態度を止めろ！ これだから会いたくなかったんだ！」
頭をなでたサーニアルの手を払い、茂みから這い出しつつ文句を口にするリアス。いじけたように口を尖らせる。
その態度を見たサーニアルはますます笑みを深くして、やはり茂みから這い出しリアスに抱きつく。
「もぉ。だからそういうところが可愛いんだってばぁ」
「やめろ言うとるやろがあぁあ！」
目を吊り上げて叫び、サーニアルから離れるリアス。
サーニアルはそれでもやはり余裕の笑みを浮かべ、含み笑いを漏らした。
「はぁ、はぁ、はぁ……」
一方リアスは、息を切らせてサーニアルを睨む。しかし、ひたすらに笑顔を浮かべて楽しそうに彼を見詰めるサーニアルを目にし、自分だけがかっかしていることを馬鹿らしく感じた。それゆえ気を取り直し、取り敢えず訊くべきことを訊こうと口を開いた。
「……まあいい。それでだな。ちょいと訊きたいことがある」
「なになに？ 私でわかることなら何でも応えてあげるわよ」
不機嫌な表情のままで声をかけたリアスに、サーニアルは相変わらずの上機嫌で言葉を返す。そんな彼女の様子にリアスは軽く息を吐きつつ――
「アイリのことだ。お前も聞いただろ？ まあ、お前が何か知ってたら、もう――」
「……何のこと？」
どうせそれらしい情報を得られるとは思っていなかったのか、適当な様子で訊いたリアス。しかし、一方でそれに対するサーニアルの表情は硬い。
「何のことって――」
「アイリ姉様がどうかしたの？」
疑問と不安が浮かぶサーニアルの瞳。
そこでリアスは漸く自分の失態を知った。表情を歪め舌打ちするが、時は既に遅い。だんまりを決め込んだところで仕方がないと思い、先を続ける。
「どうかしたって程じゃねぇさ。ちょっと……家出したらしい。それで探して欲しいって、ムーンブルクから使者が来てな。だからその、見かけなかったか訊きたかったんだが、どうせ知らねぇだろ？」
リアスの言葉に、サーニアルは訝しげな瞳を彼に向ける。そして、
「家出？ アイリ姉様が？」
そのように強い口調で疑問をぶつける。
というのも、彼女の知る限りアイリは家出をするような性質ではない。加えて言うなれば、ムーンブルクの王とその后はアイリに甘すぎる程に甘い。アイリが家出をする理由など見当たらないと思われた。
「そ、そうだよ。アイリだってたまには家出くらいしたくなるんだろ？ あれだ。鬼の霍乱ってやつだ」
曖昧な笑みで応えたリアス。
そんな彼を目にし、サーニアルは漸く強張った顔を崩す。しかし、それは彼の言葉の全てを受け入れたからではない。
「鬼の霍乱って、少し使いどころが違うわよ。ま、いいけどね」
苦笑を浮かべてそのように続け、足を王城に向ける。
「サニィ？」
突然歩き出したサーニアルに、リアスが言葉をかける。
ちなみに、サニィというのはリアスが使う彼女の愛称だ。
「あ、やっと名前呼んだし。さっきからお前お前言うから、お姉さんは名前を忘れられちゃったかと思って悲しかったぞ」
名を呼ばれたサーニアルは、笑みを浮かべて振り返り言った。
その言葉を受けたリアスは、バツの悪い表情で口を開いた。しかし、
「う…… 悪かったよ。って、誰がお姉さんだ！ 何度も言うが、たった数ヶ月差でお姉さん振るな！！」
直ぐにサーニアルの気に食わない態度に意識を向け、懲りもせずに腹を立てる。
再び同じ注意をされたサーニアルは、苦笑を浮かべる。
「はいはい。それよりも行きましょう」
「？ 行きましょうって、どこに行くんだよ？」
さほど憤っていなかったリアスは気を取り直し、サーニアルの簡単な呼びかけに疑問をぶつけた。
「どこって、城よ」
訊かれると、道の先にある巨大な建造物を指差し言ったサーニアル。
「まあ、アイリ姉様が家出だなんてとても信じられないけど、何にしても何か訊くなら父様の方がいいんじゃない？ 私の耳に入ってなくたって父様の耳には入ってるだろうし、情報も集まってると思うわ」
そこまで口にしてから一転、サーニアルは少し目つきを鋭くした。
「それに、私に教えなかった理由を父様に問い詰めたいところだし」
その呟きを耳にしたリアスは、心の中でキドニア＝サマルトリア――サマルトリアの国王に謝る。娘さんに問い詰められる原因作ってすんません、と。
「サニィ。キドニアのおっさんをそう責めてやるなよ？ 別に意地悪で教えなかったわけでもないだろうし」
「それくらい分かってるわよ。ただ、それでも教えてもらえないなんてショックじゃない」
リアスのフォローの言葉に、サーニアルは口を尖らせてそのように応える。
まあもっともだ、と思ったリアスは、それ以上は親子で話し合ってもらおうと考え話を変える。
「ところで、これも一応訊いておくが、フードを目深に被った黒髪の女を知らねぇか？」
それは、ムーンブルクにワンちゃんはどこですかー、と叫びつつ襲い来た者の外見的特徴。これもまたサーニアルが知っているとは思えなかったが、リアスは取り敢えず訊いてみた。
「？ それもアイリ姉様関係なの？」
「まあ、そんなとこかな」
曖昧な応えのリアスに少し不満げながらも、サーニアルは考えを巡らす。しかし、その途中であることに気づく。
「その特徴だけだと、同じ格好の人なんて結構いそうじゃない？」
訊かれたリアスは、自分も全く同じ事を考えていたと言って笑った。
「でもま、そっちの話は今のところあんま大事じゃないんだ。たぶんアイリの……家出とはつながらない」
「家出……ね。ま、そこはそれで納得しとくとして、フードを被った女の人なら、一月前に一人いたわよ」
「へぇ」
本当に適当な応えのリアスに、サーニアルは苦笑を浮かべた。
「へぇってリアス。訊いたのはそっちなくせにそんな反応――」
「お前だって言っただろ？ そいつが探してる奴と同一人物とは限らない。それに、同一人物だったとしても関係がある可能性が低いんだ。ま、念のため訊いたってだけだ」
リアスは肩をすくめてそのように言った。
それを受けたサーニアルは、軽く溜め息を吐く。
「そうだとしても、訊いたからには最後まで話を聞いてよね」
「ま、いいぞ。城までまだ少しあるしな」
やはり気のないリアスの反応。
その反応にもまた、サーニアルは溜め息を吐く。
しかし、努めて気にしないようにしつつ、一月前にあった事柄について口にした。道端に痺れた状態で倒れていた女性のことを。
ただ、それを聞く間もやはりリアスは気のない返事ばかり。
「もぉ！ そういう反応、感心しないよ！ 話を聞くのは交際の基本！ そんな態度ばっかりだと、私浮気しちゃうんだから！」
「おお、そりゃいいや。どんどんしてくれ。どうせ、親同士が決めた仲だ」
頬を膨らませてサーニアルが抗議すると、リアスは意地の悪い笑みを浮かべて返した。
彼が言っている親同士が決めた仲とは、いわゆる婚約者のこと。彼とサーニアルは、幼い頃より結ばれることを決められているのである。
今のところ、サーニアルが著しく乗り気で、リアスが全くその気がないのだが、リアスとてサーニアルを嫌いというわけでもないのである。それは、さきほどからの何だかんだで仲の良い会話からも分かるというものだろう。
「むぅ…… リアスったらつれない」
口を尖らせたサーニアルが呟く。
それは聞こえない振りで、リアスは更に話題を変える。
「と、親同士が決めた仲といえば、スケさんはどうしてる？ 一応、ここに来た目的の一つにはあいつを誘おうかってのもあったんだが、来るかなぁ？」
リアスは疑問の形式をとりながらも、強い反語の意を持って言葉を紡ぐ。彼は、スケさんことスケルタ＝サマルトリアがついて来ないことを確信していた。
実のところ、スケルタはアイリの婚約者である。しかし、そんな彼らの仲は決してよくはない。リアスとサーニアルのような言い合いをしつつも仲が悪くはない、という表面上でのみ仲が悪い関係などではなく、完全完璧に仲が悪いのである。加えて、スケルタはアイリに怯えの感情しか持っていない。
そんな関係である以上、スケルタがアイリの探索について来るはずもないだろうと、リアスはそう踏んでいた。
彼は苦笑を浮かべつつ、サーニアルの反応を見ようと瞳を彼女に向ける。
と、そこでサーニアルの微妙な表情を目にし、リアスは戸惑う。
そこに浮かんでいたのは――
「なんだ？ その辛そうでいて、悲しそうで、でもやっぱり呆れが存分に感じられる複雑な表情は？」
詳しい解説を加えたリアスを一度瞳に映してから、サーニアルは誰に対してでもなく言葉を紡ぐ。
「いや、その、兄様……ね。リアスの話を聞いて納得がいったと言うか…… たぶん、アイリ姉様の探索でも命じられたのかしら……」
「何言ってんだ？ お前」
他人には理解しがたい独り言を呟いたサーニアルに、リアスは訝しげな瞳を向けた。
その視線を受けたサーニアルは、しばし逡巡してから覚悟したように口を開く。
「えっと…… 二十歳に達しなさった不肖の兄は、なんというか――」
そこで、リアスに近寄り、その耳に顔を近づけて顰めた声を発する。
その内容を聞き取ったリアスは、その表情を呆れ一色で埋め尽くし、呟いた。
「スケさんや。そんなにアイリが嫌か……」
リアスが耳にした言葉は次の通り。
――兄様はいい年して、家出なさったわ