第七話:昔話は寝室で

 窓の外に拡がるのは深遠の闇。陽は既に西の空より落ち、視界を照らす為には人工の光が必要となる刻限であった。サマルトリア城謁見の間を照らしているのは、燭台に燈った小さな炎である。
 謁見の間がこの刻限に使われることは、本来ない。しかし、謁見時間の終了時間直前に訪れた者がキドニア国王陛下と近しい人物であったために、そのまま延長と相成ったのである。
「――といったところか。既に聞き及んでいるようだが、スケルタが捜索を行うことなく消えたため、新たに入った情報などはない。わざわざ足を運んで貰ったというに、すまんな」
 キドニアはムーンブルクより来た使者によって齎された情報の概要のみを口にし、それから、床に足を投げ出して座っているリアスに向けて軽く頭を下げる。
 それに対し、リアスは適当な様子で手を振り、気にすることはない、と声をかけた。
「一応寄ってみただけだし、最初からそれほど期待はしてなかったっすよ。うちより情報伝わったのが早いっつっても数日の差なんだから、そうそう新情報なんて入りゃしないって。ま、気楽に行きましょうや」
 そのように笑顔で言い、それからサーニアルを一度見て、苦笑する。
 少しの間があいた。
 その間を待っていたかのように、サーニアルが憤然とした様子で口を開く。
「時にお父様! よくもあたしを除け者にして下さいましたね!?」
 声高に彼女が言うと、キドニアは寸の間言葉に詰まる。しかし、直ぐに慌てた口調でなだめにかかった。
「それはだな、いらぬ心配をかけぬようにと…… お前はアイリ王女に懐いておったし、無事見つかってからの方が、と――」
「お気遣いは感謝致しますが、余計なお世話です! あたしだって子供じゃないのよ!」
「そうは言うが――」
 凄い剣幕で声を大にするサーニアルに、キドニアは何とか反論を試みるが……
「聞く耳持たないわっ!」
 即行で遮られる。
 そして、彼女は――
「とにかく、今回の件に関しては、兄様が見つかるまでリアスと共に旅することを許可して下さるのなら、許してあげます!」
 などと言った。
 これにはキドニアも慌てて手を振る。
「いやいやいや。待たんか! そのようなこと――」
「許可して頂けないのなら、あたしも家を出ます」
「な、何っ!」
 サーニアルが憮然とした態度で言うと、キドニアは思わず玉座から立ち上がり、慌てる。
 一方で、サーニアルは口を尖らせてそっぽを向き、更なる言葉を紡ぐ。
「それでリアスと一緒にアイリ姉様を探すわ。アイリ姉様が見つかった後は、そのままローレシアに行ってリアスと結婚して、二度とここになんか戻ってきてあげないんだから」
「ちょ、ちょっと待て! リアスのところへ嫁に行くのは構わんが、せめてそれまではここで一緒に過ごしておくれ! 私も老い先短いのであるし――」
「知りませんっ!」
 強情にもサーニアルが言い放つと、キドニアは言葉に詰まる。
「う…… わ、分かった。ただし、スケルタが見つかったら必ず帰ってくるのだぞ」
 そして、しぶしぶながらも首を縦に振った。
 すると、サーニアルはゲンキンにも眩いばかりの笑顔を浮かべ、父様大好き、と言いながらキドニアに抱きつく。
 そんな彼らを目にしながら、リアスは諦めたように、それでも不満げに呟く。
「うちに嫁に来ることを、こっちの意見聞かずに決定するなよ」

「ふぅ、食った食った。お前んとこの食事は、毎度ながら豪勢だよな」
「そう? ていうか、リアス。ちょっと小食すぎない?」
「お前が大食すぎんだよ。百人前くらい食ってんじゃねぇの?」
「そんなに食べてないもん。せいぜい十人前だよ。リアスと会う前に間食もしてたし」
「……間食しててアレかよ。相変わらずすげぇな」
 食事を終えて二人が話していると、キドニアが割り込む。
「リアス、ローレシアより歩いてきて疲れただろう? 今日はゆるりと休むといい」
 そこで彼は意味ありげに笑う。
 その様子にリアスは眉を潜めるが、彼の言うとおり疲れていたため深く考えず、
「そうさせて貰うとすっかな。えーと、部屋に案内して貰えるか?」
 素直に応え、近くに控えていた侍女の一人に声をかける。
 しかし、侍女は少し困った顔を浮かべてリアスを見てから、サーニアルに視線を移す。
 それに従って、リアスも彼女に視線を移すと……
「あ。あたしが案内するわ。来て」
 と、彼女はさっと踵を返して廊下を進んでいく。
 リアスは、特別不思議にも思わずついていく。そして、キドニアとの別れ際に――
「んじゃ。おやすみなさいだ」
 と声をかけた。
「ああ、良い夢を」
 キドニアもそう返し、自分の寝室へと向かう。
 そして、リアスはサーニアルの後に従って進む。しかし、しばらく進むと、彼は少しおかしいと思うようになった。というのも、以前ここに泊まった時にリトリートやシルステシアと共に通された客間とは違う方向に向かっていることが分かったからだ。
「おい、サニィ。迷ったか? 客間はこっちじゃないだろ」
「え? あたし、客間に通すなんて言ったっけ?」
 リアスが訊くと、サーニアルは小首を傾げて可愛らしく言った。
 それを受けて、リアスが再度問う。
「は? じゃあ、どこ行くんだよ?」
 彼がそう声をかけると、サーニアルは右手を上げて、廊下の突き当たりにある豪奢な扉を指さす。そこは、リアスの記憶が正しければ……
「ここか」
「ここよ」
「なあ、ここは確か」
「あたしの部屋よ」
「そうだよな。うん。俺の覚え違いじゃなかったわけだな。で、俺が泊まるのはどこだ?」
 リアスは往生際悪く、再び訊いた。
 すると、サーニアルが一度きょとんとした顔を浮かべてから、微笑み、やはり自室を指差す。
「だから、ここ」
「アホかあぁあっ!」
「え、何で?」
 青筋を立てたリアスが大声で抗議すると、サーニアルは本当に不思議そうに問い返した。
 リアスは眉を極限まで吊り上げて、声を大にする。
「何で同じ部屋だよっ! おかしいだろっ! 問題あるだろっ!」
「えー、別に問題なんてないんじゃない?」
 噛み付かんばかりのリアスに対し、サーニアルは飄々とした風。しかし、途端に訝しげな顔つきとなり、口元に手を当ててリアスを細めた目で見る。
「ってまさか…… リアスってばあたしにエッチなことする気満々……? 確かにそれは問題が――」
「そんなことせんわあぁああっ!!」
 サーニアルの猜疑心に満ちた言い様に、リアスは絶叫するように否定する。完全に夜中ということを忘れているようだ。とはいえ、まだ就寝するには早い時分であったため、近隣に迷惑をかけるということもないだろうが。
 一方、サーニアルはそんなリアスを目にし、なぜかにっこりと微笑む。そして、
「そっか。なら別にいいよね。さ、どうぞ」
 自室の扉を開いて、リアスを中に促す。リアスは思わず、おう、と応えて素直に入る。
 これで、彼の宿泊する部屋が決まった。

 部屋に入ると、リアスは扉の前での騒動など忘れたかのように、自然な動作で柔らかなソファに身を沈めた。疲れた体に心地いい感覚が襲う。彼は、俺の寝る場所ここな、とサーニアルに声をかけてから顔を上げ、続ける。
「さっきの様子じゃ、キドニアのオッサンも俺がここに泊まること了解してんだな?」
「勿論よ。食事の前にこっそりお願いしたら、あっさり了承して下さったわ」
 サーニアルは侍女を呼び、毛布を一枚持ってくるように言いつけてから応える。
 それを耳にしたリアスは、苦笑し、次なる言葉を吐く。
「相変わらずオッサンは甘ぇなぁ。普通許さないと思うがね」
「そうかしら」
 早々に毛布を持参した侍女に礼を言い、サーニアルはそれを受け取る。そして、リアスに向けて放った。
 リアスはそれを頭から被り、少しまどろみ始めた。
「甘いと言ったら、リトリートおじ様の方が――んん、でも、ごく偶にそうでもなかったっけ」
 今にも夢の世界に旅立ちそうだったリアスだったが、サーニアルの意外な言葉に少しだけ覚醒する。
「? リトリートが甘くない――つか、気弱じゃないことなんてあったのか?」
 少なくとも彼の知る限り、そんな事実はない。とすると、彼も自分の子供以外に対しては、まともな言動、行動を取ることができるのだろうか? しかし、リアスがどんなに想像力を働かせても、そんなリトリートを思い描くことは出来なかった。
「前に一回だけ、かな? ローレシア城のパーティに招かれた時、あっちで兄様と喧嘩しちゃったことがあるのよ。その時あたし、思わず、兄様なんて死んじゃえ、みたいなこと言っちゃって。リトリートおじ様はそれに対して凄い怒ってたわ。口調はいつもの優しい感じだったけど、視線とかからとてもキツイ印象を受けた。ただ、最後には向こうが泣き出しそうになってたから、兄様と一緒に一生懸命慰めたけど」
 後半を苦笑と共に言葉にすると、サーニアルはリアスの方を向いた。
 すると、彼は得心顔で頷き、なるほど、と呟いた。
「何を納得してるの?」
「いや、なに。兄弟姉妹関連なら、まあ分かるなぁとな」
 サーニアルは、明確に理由が分かるとは思っていなかったため驚き、そして、酷く興味をひかれた。
「どういうこと?」
 そのように訊かれ、リアスは眠そうな瞳をこすってから口を開く。
「んん…… あいつ、姉ちゃんが一人と弟が二人いたらしいんだ」
「え? でも、デルコンダル家は御子息がお二方。リトリートおじ様と、次の国王であらせられるラミスファルト様だけのはずじゃ――」
 サーニアルは自身の知るデータを口にする、が、リアスがそれを遮る。
「それは嫡子な。庶子がいたらしいんだ。ラミスファルトより少し年上の女が一人と、リトリートより五つ下の男、もう一人は……十ほど下だったか? そいつらがいた」
「……お姉さんがラミスファルト様より年上ってことは――」
「正妻との間に中々子供ができなかったらしい。それで妾を作ったんだと。けど、そっちに子供ができた数ヶ月後に、正妻にも子供ができた。で、王位継承権は正妻のお腹に宿った方に優位に働いた。それだけ聞きゃ酷い話だけど、でも、それからあとも妾と子供は宮中で自由に暮らしてたらしいから、今のところはそれ程胸糞悪くもない。そんで、次いで正妻にはリトリート、妾には二人目、三人目と生まれたわけだ」
 ソファに寝転がって、リアスは指を折り折り言葉を紡いだ。
「なら、『いた』っていうのは……?」
 そこで、もう一つ疑問に思っていたことを思い切って訊くサーニアル。
 リアスは少し眉を顰めてから、口を開く。
「妾の女が、二男が生まれて一年ほどして死んだ。その辺りから、子供達を邪魔に感じる奴らがいたらしい。目の上のたんこぶって奴かな。少なくとも、リトリートは周りからそういう空気を感じたとさ。ただ、そのリトリートなんかはそいつらと仲良かったんだ。姉ちゃんはあいつと少し似てて、気弱なところがあったとかで、弟二人はまだ小さかったから、姉ちゃんと一緒に世話したりな。そんな感じで四年くらいが過ぎた。庶子三人は失踪した」
「え?」
 突然の展開に、サーニアルは乾いた声を出す。
 それには構わず、リアスは続ける。
「その頃にはリトリートはうちに婿に来てて、デルコンダルにはいなかった。知らせを聞いて慌てて帰ったらしいが、失踪したって知らせが来てから行ったんだから、当然姉ちゃんも弟二人もどこにもいない。お袋に聞いた話じゃ、その頃のリトリートはずっと放心状態だったとよ。まあ、無理もねぇ。んで、失踪した奴らがどうなったかは――誰も分かるわけがないな」
 だからこそ失踪なんだ、と最後に呟いて、リアスは話を締めた。
 サーニアルは、少し踏み込んだことを聞き過ぎただろうか、と後悔の念を抱いているようであった。ずっと口を利かずに、リアスの横顔を見ている。
 と――
「ま、そんなことがあったから、あいつは兄弟姉妹は大事にしなさい、ってな姿勢が基本なんだわ。つっても、最後に涙目になって子供に慰められてるんじゃ、様になりゃしねぇけどなぁ」
 リアスは努めて明るい声をだし、そう言った。
 それを耳にしたサーニアルは、少しだけ気持ちを軽くして、小さく微笑んだ。
「さ、もう寝るぞ。俺は疲れてるし、明日も早い」
「え、そんな……」
 軽い口調でリアスが言い、毛布を鼻まで上げると、サーニアルはわざとらしく両手で火照った頬を包み、恥ずかしそうに言葉を紡ぐ。
「寝るだなんて、あたし達まだ――」
 すー、すー、すー。
 サーニアルが先を続けるより早く、深い寝息が部屋に満ちる。リアスのものだった。
「……早。よっぽど疲れてたのね」
 無邪気な寝顔を晒しているリアスを瞳に入れ、彼女は呟いた。そして、二、三度指で、彼の頬をつつく。リアスは全く起きる気配がない。
 サーニアルは、彼の言葉の通り、明日は早く出ることになるだろうことを意識し、自分も早々に眠ることにする。侍女を呼び、寝巻きに着替えた。
 そして――
「お休み……」
 ベッドに入って、リアスがいる方に呟き、彼女はゆっくりと瞳を閉じる。
 やがて、サマルトリア城の一室には二つの可愛らしい寝息が満ちた。その協奏曲は、東の空より昇った光の円が、窓からその一部を侵入させるまで続く。
 夜が、更けていく。


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