第九話:馬鹿正直な兄妹

「ふああぁあぁああぁあ」
 サマルトリア城のある一室。一人の少年が、起き抜けに大きなあくびをした。彼はソファの上で身を起こし、寝ぼけ眼でしばしぼうっとする。
 がちゃ。
 と、そこに、部屋の扉をゆっくりと開けて、一人の少女が闖入する。
「あ、起きたんだ、リアス。おはよう。寝癖すごいよ」
「……おはよ」
 声をかけられた少年――リアスは、寝ぼけながら右手で後頭部の髪を梳いて、はねている剛毛と戦う。しかし、その程度ではどうにもならないようで……
「ちょっと待って。ねえ、誰か。蒸しタオル持ってきて」
 少女――サーニアルが、言葉の前半をリアスに向けて放ってから、後半を廊下に向けて紡ぐ。しばらくすると、侍女の一人が湯気を立ち上らせた布を持参した。サーニアルは彼女に礼を言って、自ら蒸しタオルを受け取る。そして、リアスの元へ歩み寄った。
「はいはい。後ろ向いて。こうしてしばらく蒸らして……」
 布をリアスの後頭部に乗せて数秒待ち、それから素直になった髪を優しく梳く。すると、寝癖は大人しく退治された。
「はい。おっけ」
「さんきゅ、サニィ」
 軽く礼を言ってから、リアスは再び大きなあくびをする。そして、改めてサーニアルを瞳にいれ、そこである事実に気づく。
「……なんで今日はモコモコさせてねぇんだ?」
 声をかけられたサーニアルは、一瞬何のことか分からなかった。しかし、直ぐに理解する。
「モコモコって髪のこと?」
 そう。彼女は普段、後ろ髪に強めのパーマをかけており、モコモコという擬音が似合いそうな髪形をしている。それが今日は、割と長めの後ろ髪は二つ結びでまとめられており、モコモコの片鱗も見えない。早朝だからという理由も考えられたが、以前リアスがサマルトリアに泊まった時は、早朝に会ったサーニアルもモコモコしていたため、違うだろう。
「そう。その髪だ。何で今日は二つ結びなんだ?」
 会話をしているうちに目が覚めてきたリアスは、しっかりとした様子で頷き、再び問う。
 サーニアルは右手で左側の結び目をいじりつつ、答える。
「兄様が見つかるまで旅をするんだから、これからはいちいちパーマかけてられないと思って、今日からしばらくはこの髪型」
 そこまで口にしてから、彼女は満面の笑みを浮かべて、
「なになに? いつもの方が可愛い? 愛しのリアスがお望みなら、旅の最中も頑張ってセットしちゃうけど」
 と続けた。素早くリアスの横に回り、腕を組んで耳元で囁く。
「だああぁあ! うぜえぇえっ! どっちでもいいわ! どっちでも変わんねぇよっ!」
 リアスは完全に覚醒し、右腕を振り回しサーニアルの腕を邪険に払う。
 すると、その言葉を受けたサーニアルは、俯いて呟く。
「そんな…… どっちでも変わらないなんて……」
 彼女のそんな様子を瞳に入れたリアスは、少しだけ後悔の念で表情を歪め、気遣わしげにサーニアルに近づく。
「……サニィ?」
「それはつまり、どんな髪型でも俺のサニィは可愛いゼ、って言ってるのね! いやーん、リアスったらー!!」
 頬を桜色に染めて叫んだ王女を目にし、リアスは寸の間呆気に取られてから……
「違うわああああぁあぁぁあぁあっ!!」
 叫んだ。

 リアスを先頭に、一行は洞窟に足を踏み入れた。
 ここはサマルトリア城より東方にある洞窟。この内部には、勇者の泉と呼ばれる水場がある。ロレーシア、サマルトリア両国の王族は、旅立ちの前にこの泉で身を清めるのが慣わしとなっていた。ゆえに、彼らはここにいる。
 リアスは、そのような慣わし面倒だ、と訪れる気はさらさらなかった。しかし、スケルタが立ち寄ったかもしれないとサーニアルが言い出したこと。更には、サーニアルが以前訪れたことがあったため、キメラの翼で手軽に行けるとわかったこと。そのような理由から、リアスもこの洞窟を訪れることを決意。現在に至るのだ。
「それで? どっちだ?」
 洞窟は、進入してしばらくは一直線だった。しかし、ここに来て分れ道に至る。リアスは振り返り、サーニアルに問うた。
 しかし……
「知らない」
 サーニアルは満面の笑みを浮かべて答えた。
 リアスは不機嫌を隠すこともなく文句を紡ぐ。
「お前、前に来たことあるんだろ? 道くらい――」
「そんなこと言われても…… 前はお父様の後ろを着いていっただけだし、特に注意して歩いてた訳じゃないもの。覚えてないわよ」
 そう答えてから、それでも彼女は、細すぎて手繰り寄せるのも一苦労である記憶の糸を探る。
「ただ…… たぶん、そこは左に曲がるのが正しかった気が……」
「たぶん、ねぇ」
 リアスは呆れた表情を浮かべつつ、サーニアルが示したのとは逆の通路からやって来た巨大なナメクジを剣で両断する。
 さて、彼女の記憶が正しいものであったのか? 結論から言わせてもらうと、正しくなかった。

「次は…… きっとあっちよ!」
 サーニアルが元気良く示したのとは違う通路に、迷いなく足を踏み入れるリアス。
「ちょっとぉ。そっちじゃなくて――」
「悪いが、二度あることは三度あるって言うからな」
 きっぱり紡がれた彼の言葉に、三度目の正直とも言うのに、と呟きつつも、サーニアルは強く反論しない。これ以前に二度道を間違えているという事実が、彼女の自信を失墜させていた。
 最初の記憶違いは洞窟の入口近くの分れ道。彼女が示した先は、通路よりも少し広くなった行き止まりだった。
 続けて、二度目の記憶違いは、彼らが先ほど通りかかった交差路である。まず彼女は、入ってきた道から見て一番右の通路を示した。その先は入ってすぐ二股になっており、その二股の右の通路は行き止まりであることが目で確認できた。それゆえ、左の通路を進み、進み、進むと、見事薬草が群生している場所に到達した。せっかくなので、ということで二人は薬草を採り、めでたしめでたし……とは当然ならない。
 それで、先ほどの交差路まで引き返し、サーニアルが、最初に入ってきた道から見て真ん中にある通路を示すと、リアスはご存じの通り、それを無視して左の通路に足を踏み入れたのである。
「……ねぇ、怒ってる?」
 共に黙して奥へ進んでいると、サーニアルは少し不安になってリアスに問う。
 しかし、振り返った当のリアスは――
「は? 何で?」
 そんなことを訊かれる理由がまるで判らない、というように、訝しげに彼女を見る。下らないことを根に持たない、さっぱりした性格のようである。
 サーニアルは嬉しくなって、リアスに後ろから抱きつく。そして、ぱっと離れてから、右手で彼の頭をなでた。
「もぉ、リアスはいい子ねぇ。いい子、いい子」
「……怒ってないなら怒らせようと、そういう腹か?」
 押し殺した声で不機嫌そうに呟いたリアス。褒めてるんじゃなぁい、とおどけた様子で言うサーニアルを振り返り――
 そこで彼は手に下げていた剣を構えて走り出す。その方向は少女の佇む先。
 そして……
 ざしゅっ。
 鮮血が飛び散り、土の地面には毒々しい配色の紐状のものが横たわった。
「キングコブラだな…… 気をつけろよ。噛まれたらことだぞ」
「うわ、本当。恐い恐い。ありがとね、リアス」
 かけられた声に反応し、素直に礼を言うサーニアル。そんな彼女を見て、リアスはちょっとした軽口を叩く。
「それにしてもお前、俺が剣構えてそっちに向かっても顔色ひとつ変えなかったな。怒り心頭のリアス少年がサマルトリア国の王女様を殺そうと迫っている、とかいう考えは浮かばなかったのか?」
 彼の口調は冗談めかしているので本気ではないだろう。しかし、サーニアルがこれっぽっちも、全く反応しなかった、というのを不自然に思っている節はあった。
 それに答えるサマルトリア国王女は、きょとんとした表情。
「そんなこと思うわけないじゃない? だって――」
 サーニアルは本当に不思議そうに、そう口にした。そして先を続ける。
「リアスはあたしを愛しているんだし」
「愛してっねえぇえぇぇええっ!」
 力いっぱいの叫びが反響した。
 素早すぎる切り返しは愛情の裏返しなのか、どうなのか。それは、本人のみぞ知る、というやつだ。

「叫び声が聞こえる故に何事かと思いましたが、リアス様とサーニアル様でしたか。どこのバカップルが入り込んだのかと思いましたぞ、ほっほっほっ」
「うるせぇじじい」
 洞窟の奥で相まみえた老人と少年は、笑顔でそのように言葉を交わした。もっとも、方や朗らかな笑み、方や引きつった笑み、という違いはあったが……
「もう。失礼よ、リアス」
 サーニアルはそのようにリアスをたしなめ、それから老人に瞳を向けて微笑む。
「御久し振りです」
「ええ、ええ。御久し振りですのぉ。サーニアル様とこうしてお目にかかるのも、五年ぶりですか。大きくなられるはずです」
 瞳を細め、ゆったりとした口調で老人は言う。そして、続ける。
「それで、本日はどのような御用ですか? 儂と世間話をなさりに来たわけでもありますまい」
 そのように訊かれると、先ほどのことは気にしないように勤め、リアスは本題に入る。
「スケルタがここに立ち寄らなかったか訊きに来た。どうだ?」
「スケルタ様ですか……」
 老人はリアスをまっすぐ見つめ返し、ゆっくりと口を開く。
「確かにいらっしゃいましたな。相変わらず正直な方で、儂にも素直に家出してきた旨をお知らせ下さいました。家出も旅のようなものだろう、と言って、泉で身を清めていかれましたよ。一応、帰るように御注進いたしましたが、その様子ではお帰りになられていないのでしょうな」
 そこまで口にし、老人はおかしそうに笑った。のん気である。
 一方、彼の言葉を聞いた二人は、方やしてやったりといった様子、方や眉をしかめて残念そうな様子。前者はリアスで、後者はサーニアルだ。
 さっさとスケルタを見つけたいリアスは、矢継ぎ早に質問を重ねる。
「それで? ここにはもういないんだな? どこに行くとか言ってたか?」
「どこに行くか、で御座いますか? 船出するとか、そういう遠出するようなことはしないと仰ってはいましたね。あとは……木を隠すなら森の中というようなことも……」
 彼の言を信じるなら、まずスケルタはサマルトリア領内に留まる可能性が高い。そして、恐らくはどこかの町に隠匿するのではないだろうか。それでいて、長期滞在をせず近隣の町村を点々としよう、とするだろう。もしそうであれば、ごく小さな町村までを考慮に入れねばならず、捜し出すのは簡単なことではない。
 今度は、サーニアルが頬を綻ばせ、リアスがじくじたる思いで眉をしかめた。
 と、そこで、スケルタに関する問答は終わった。
「じゃ、まずはリリザ辺りで兄様探しといこっか。この辺りじゃ一番でかい町だし」
「リリザ…… まあ、さすがにもう帰っただろうし―― そうだな。そうすっか。ついでにア――いや、例の件も探ってみよう」
 リアスは老人の耳を気にしてか、アイリの件に関しては直接的な表現を避けた。意外と気を回せるようだ。
 ちなみに、前半の言い淀んだ部分は、リリザに未だシルステシアが滞在している可能性を考察した結果だった。しかし、既にローレシアに帰っている可能性の方が高いと判断し、承諾した。意外と恐妻家ならぬ恐母家である。もっとも、彼と周知の仲である者にとっては今更の事実であるが……
「さて、それじゃ――」
 今後の予定が決まったところで、サーニアルはリアスに満面の笑みを向ける。
 彼は、何だよ、と憮然とした表情で声を返した。
 そんな王子様の態度など知らぬ存ぜぬで、王女様は彼の腕をとる。そして、嬉しそうに言の葉を紡ぎ出す。王子様は嫌な予感がしたという。勿論、その予感は的中した。
「一緒に水浴びと洒落込も。さあ、脱いで脱いで」
「阿呆かああぁあああぁぁあぁあああぁあっっ!!」
 本日何度目になるか判らない叫びが、洞窟内を駆け巡った。

 すたっ。
 空より二つの影が降り来て、ゆっくりと地に着した。リアスとサーニアルだ。キメラの翼を使用したのだろう。
 リアスと共にショッピングを楽しもうと、期待に胸を膨らませてリリザの町に降り立ったサーニアル。彼女はさっそくリアスの手を引いて、お気に入りの小物屋をまず目指す。
 リアスは逆らうのも面倒なのか、彼女の意志に諾と流される。このような大きい町で、サマルトリア領内にある最も有名な町で、スケルタがそう易々と見つかるとは思っていないのだろう。どこか諦めのような感情が窺い知れる。
 そうして、彼らが目的の小物屋に辿り着こうという、まさにその時――
 がちゃ。
 すぐ近くの小料理屋から一人の男性が出てくる。男性は今出てきた建物の奥に、じゃあ後で迎えにくるよ、と声をかけてから、これからリアス達が向かおうとしていた方向へ歩きだす。当然、彼の瞳にリアス達は映っていない。
 しかし、彼の顔をリアス達はばっちり目撃した。彼らはそれぞれの反応をする。
 リアスは、ラッキー、と言わんばかりに、ひゅーっと小さく口笛を吹く。
 そしてサーニアルは、走り出しながら父親との約束を思い出していた。目つきは非常に鋭い。
「なに即行で見つかってるのよ、馬鹿あぁあ!」
「ぐえっ!」
 道を歩いていたこの国の王子、スケルタは、叫び声を聞き、何事かと振り返ったところでみぞおちに右ストレートの一撃を食らった。そして倒れる。
 彼の妹はそんな兄に馬乗りになり、往復ビンタを永遠繰り返す。
 ばしんっ、ばしんっ、ばしんっ、ばしんっ!
 リアスは小気味の良い物音を耳に入れつつ、自分にとって都合の悪い人物がここにおらず、都合の良い人物がいたことに対し、胸のうちで快哉を叫ぶ。その一方で、実の兄を締め上げているサーニアルを眺めながら次のようなことを思う。
 ――あいつが俺の邪魔をしてスケさん逃せば、奴ら兄妹にとって嬉しい結果が生まれたんじゃなかろうか
 勿論、そのようなことは口にせずに、ローレシアの王子はサマルトリアの王子を確保した。

 サマルトリア国領内で発見された家出青年はその後、木が森の中にあったって結局はそのうち判るだろ、という屁理屈のような信念を持ったとか、持たなかったとか…… まあ、どちらにしても、どうでもいいことである。


PREV  NEXT

戻る