第十話:海よりも深き道〜ローラの門〜

 サマルトリア城門では、別れを惜しむ少年少女――もとい、少女が瞳を潤ませて言の葉を紡いでいた。少女の名はサーニアル=サマルトリア。
 一方、そのサーニアルから揺れる瞳を向けられている少年の名は、リアス=ローレシアといった。
「偶には顔を見せてね。あたしのこと忘れちゃ嫌よ。浮気しちゃ駄目だからね。それから――」
「だあぁあ! うぜぇ! お前、俺がローレシアに帰る時とかはいつもそんなんじゃねぇじゃんか。今日はやけに絡むな」
 サーニアルの言葉を遮り、リアスが鬱陶しそうに言う。
 すると、サーニアルは頬を膨らませて、リアスの後ろにいる青年を見た。
「だって…… 兄様のせいで、しばらくリアスと一緒にいられるはずだったのが、こんなに早くお別れすることになって…… 期待してたぶん残念度が大きいっていうか……」
「おいおい、サーニャ。だったら、親父殿との約束なんぞ無視して帰って来なかったらよかったんじゃないか? というか、オレを見逃してくれりゃよかった――」
「兄様は黙ってて。五月蝿い」
 にべもなく言われ、サーニアルの兄であるスケルタ=サマルトリアは苦笑する。そして、黙った。
 その様子を眺める一方で、リアスは考える。スケルタが言うとおり約束を無視すりゃいいのになぁ、と。
 しかし、それを実行に移されても彼自身は困るだけであるため、口にしたりはしない。
 もっとも、口にしたとしてもサーニアルが王との約束を破ることはないと思われたが…… 彼女は根が真面目なのか、そういった点は律儀であった。
「とにかく、浮気は駄目だからね!」
 念を押すサーニアルに、リアスは適当に、はいはい、と返し、聞き流すことに決めた。視線だけをサーニアルに向け、脳はこれからどこに向かうか考えるために使うことにする。しかし――
「夜はお腹出して寝ちゃ駄目よ。ちゃんと暖かくして…… あ、それから拾い食いとかしちゃ――」
「せんわあぁあ! つか、お前はおかんかあぁあっ!」
 妙なことを口走るサーニアルに、思わず突っ込んでしまうリアスであった。

 サーニアルと別れた男二人は、サマルトリア城下町の広場で立ち話をしている。
「で、リアっつぁん。これから何処に向かうのかな?」
「リアっつぁん言うな。てか、スケさん。いい年して家出してまでアイリ探しを渋ったくせに、やる気だな」
 言われたスケルタは、目にかかっていた前髪をかき上げながら、息を吐いた。
「嫌なことでもやらなきゃいかんならやるさ。そんで、なるべく速く済ます」
 スケルタは何気なく言いながらも、青い顔をしていた。
 その様子を目にし、リアスは苦笑を浮かべて先ほどの問いに答える。
「あそ。で、何処に向かうかだったな。まずはムーンブルクじゃないか、やっぱり」
 ムーンブルクか、と呟き、スケルタは考え込む。そして、右手をおもむろに上げ、西を指した。
「そうすると、まずはあっちだな。ローラの門を抜けて、ムーンペタという町へ向かう。そこを経由してムーンブルクへってのが順当なルートだ」
「順当なルートを使うってのもつまらねぇけど…… 船なんてねぇしなぁ。仕方ねぇか」
「泳ぐって手もあるけどな」
 一風変わったコメントをしたリアスに、スケルタが冗談交じりに声をかける。勿論、本気で泳ごうとは思ってはいない。
 しかし、リアスは、その手があったか、とばかりに顔を輝かせ、手を叩く。
「ちょ、ちょっと待てよ、リアス。まさか本当に泳ごうとか思ってないよな? ムーンブルクがある大陸までそれほど距離はないが、それでも二時間泳ぎ続けないと駄目なくらいの距離はあるんだぞ?」
「え。別に二時間くらい泳げるだろ?」
 スライムを倒すのと労力的に変わらない、くらいのノリで紡がれたリアスの言葉に、スケルタは脱力する。
 確かに、リアスは今口にしたくらいの体力を有している。二時間どころか十時間ほど泳ぎ続けることすらできるかもしれない。しかし、
「あのな。オレ、お前と違って普通の人間なんで」
 スケルタはそのような化け物的身体能力など有していない。それどころか、体力面を考えるのであれば、どちらかといえば劣等生なのである。汗水たらして、というのは彼のスタンスではなかった。とてもではないが、違う大陸まで泳ぐことなどできない。
 声をかけられたリアスは、唇を尖らせた。
「俺だって普通の人間だっつうの。失礼だな。てか、スケさんがひ弱過ぎんだろ。ひょろっひょろで色白で、その上、髪まで長いって…… 女かよ」
「……なあ、リアス。オレだって傷つくんだからな」
 ため息交じりに紡がれたスケルタの言葉は、リアスの、あっそ、という気のない返事しか得られなかった。
「ま、そんなことはともかく。んじゃ、ひ弱なスケさんに合わせて、結局順当なルートと行くか。で、何だって。何の門だっけ?」
「ローラの門だろ。これだけ覚えやすい名前もないだろ、って感じだが…… 忘れるなよ」
 スケルタがそのように声をかけると、リアスは訝しげに彼を見る。そして、しばらく考え込んだ後、訊いた。
「覚えやすいって……何で?」
 その言葉を聞くと、スケルタは呆れた瞳をちびっ子王子に向ける。
「お前…… 本気で言ってるのか?」
「何だよ。馬鹿を見るような目で見るな」
「いや、だってなぁ。『ローラ』にマジで聞き覚えなしか? 歴史の勉強とか、ローレシアじゃしないのか?」
「歴史くらい教えられたっつうの! ……まあ、寝てたり、サボったりしたけど」
 それでか、と相槌を打ち、スケルタは咳払いをする。そして、簡単な説明を始める。
「ローラっていうのはオレらのご先祖様だ。竜王っつう悪者がラダトーム国の姫を攫った事件が百年前くらいにあったのは――覚えてない、と…… まあ、あったんだよ、そういうことが。それで、その時攫われたのがローラだな。で、そのローラを助け出したのがロトの末裔でオレらの先祖、アジャス。二人はそのあとめでたく結婚し、その子供の子供の子供のそのまた子供くらいがオレらじゃねぇの」
「じゃあ、ローラの門のローラってのは、そのローラなのか。なんで姫さんの名前がついてんだ?」
 スケルタが答える。
「説としては二つある。まず有力な説は、ローラが門の敷設を提唱したからってもんだ。アジャスとローラが開国したのがローレシア、サマルトリア、そしてムーンブルクなわけだが、ムーンブルクだけが大陸を違えてしまっている。行き来が不便だろうってことでローラの門の敷設工事を開始した。その提唱者がローラって話だ」
 リアスは、ふむふむ、と頷きながら話を聞く。そして、軽く質問を挟む。
「じゃあ、もう一つの説はどんなんなんだ?」
 訊かれると、スケルタは寸の間詰まり、それから、なぜか苦笑と共に言葉を紡いだ。
「こっちは少し荒唐無稽だな。文字通り、ローラが作ったって説だ」
「? さっきの説と同じじゃね?」
 ゆっくりと首を振り、スケルタは続ける。
「いや、違う。さっきのは、ローラは提唱しただけで作ってはいない。こっちの説では、ローラが自身の拳で岩を砕き長い長いトンネルを作った、となっているんだ」
 …………………………
 沈黙し、顔を見合わせる二人の王子。そして――
 ぷっ。
『あっはっはっはっはっはっ!』
 笑い出した。
「何だよ、それ! ぜってぇデマだろ。その話をし出した奴、馬鹿じゃねぇの」
「ははは、オレもそう思う。つか、教えてくれた歴史の教師からして苦笑交じりだったし、既に説っつうよりネタになってる気がするわ」
「ま、その内容じゃな。さて、どうでもいい由来もわかったことだし、行くか。スケさん」
「おうよ」
 二人は西を目指した。

 ローラの門には見張りの兵士が二名いた。
 リアスはローレシアの兵士が懲りずに追ってきていたのかと肝を冷やしたが、それは杞憂だった。兵士は共にサマルトリアの者達だった。
 通りたい人間全てを好き勝手に通していたのでは、さすがに安全性が損なわれるだろうということで、一応の見張りをつけているのだとか。勿論、ローレシアの王子様とサマルトリアの王子様が通ることに文句などあろうはずもなく、すんなり通ることが出来た。
 ローラの門は地下を掘り進めたトンネルであるらしく、まずは階段をひたすらに下りる。しかし、トンネルがある場所の海は比較的浅いようで、それでも五分ほど下りるだけで済んだ。いよいよ海底よりも深いところにある道を進みだし――
「結構広いよな。やっぱ、ローラが拳で岩を砕きつつ……ってのはデマだろうな」
「そうだな。ここまで広いのを拳でってなると、筋肉だるまみたいなマッチョ野郎がやったと聞いても嘘だと思うぜ」
 辺りを見回しつつ、リアス、スケルタがそれぞれ言う。
 確かに、ローラの門は高さ、広さが相当なものであった。例え道具を使ったとして、ここまでのものを掘るには随分と時間がかかるだろう。
「で、スケさん。ひたすら真っ直ぐ進めばいいのか?」
「ああ。小一時間ほど真っ直ぐ行けば、あっちの大陸へ行く階段のとこに着く」
「オッケ。じゃ、行きますか。いざ他大陸、だな」
 元気に言い放ち、リアスは一歩を踏み出す。
 一方、その後を追うスケルタは、少しばかり元気がないようである。
「ん? どした、スケさん。愛しのアイリに会うのがそんなに嫌か」
「おま、冗談でも愛しのとか言うなよ。さぶイボが立つわ!」
「さ、さぶイボが立つほどに嫌いか」
 物凄い剣幕のスケルタに、リアスは苦笑してそう返す。
 すると、スケルタは少しばかり言いよどみ、それでも先を続ける。
「嫌い……とまではいかない、と思わなくてもない。たぶん、親戚として普通に付き合う分にはいいんだ。実際、関わりが少なければ被害は少ないからな。ただ、今の状況だと関わらずにはいられないわけで…… 加えて、向こうは恐怖しか振りまいてくれない。ああ、そうか。嫌いというより、怖いんだ。オレはあいつが怖いんだな、ははは」
「何やら、軽くトラウマスイッチを押してしまったようで…… 悪い」
「ははははは。いいんだ、リアっつぁん」
 空ろな瞳のスケルタを見やり、リアスは息を吐く。そして、それから視線を進行方向に向ける。
 そこには――
「なあ。でっかいムカデがいるんだが…… あれはここで飼ってるペットか何かか?」
 進行方向で数十本の足をギチギチと動かしている昆虫を指し、リアスが訊いた。しかし、
「にしても、あいつはいつからあんななったんだっけなぁ。昔は普通、いや、寧ろ仲良かった気が…… あ、そんなはずねっか。オレってば幸せな妄想浮かべちゃってお茶目さん、ははは……」
 訊かれた当人は未だ意識をどこかへ手放したままだった。
 リアスは再三のため息を吐きつつ――
 がんっ!
 殴った。
「いっつ! 何す――ん? 何だ、無言で前を指差して。どうかしたの……か…… うおっ!」
 ムカデを瞳に入れたスケルタは仰け反り、声を上げた。
「その驚きようは、ペットってわけじゃないみたいだな」
「あんなペットがいるか、気持ち悪い! 魔物だろ、どう見ても!」
「ま、だとは思ったよ。つか、ここ魔物出るのな」
「そんなに多くないけどな。とはいえ、今みたいに偶に出るから、一般人の利用率は高くないらしい」
「そいつは使えねぇな、と。ま、そんなことはともかく…… よし、スケさん。援護頼むな」
 スケルタにそう声をかけると、リアスは剣を構えて走り出す。
 彼に気付いたムカデが体当たりをしてくるのを跳んでかわし、剣を思い切り振り下ろす。が――
 がきぃ!
「うっわ! 堅っ! なんだ、こりゃ」
 攻撃を弾かれ、声を上げるリアス。
 そんな彼をムカデが強襲したため、リアスは跳び退ってムカデから離れる。
「そいつの甲羅は堅いから、魔法使った方がいいぞー」
 スケルタが後方でのん気に言った。
 リアスは怒鳴る。
「おま、知ってんだろ! 俺は魔法使えねぇよ! どうせ才能ねぇよ!」
「はっはっはっ。勿論知ってるさ。さて、オレの出番だなぁ」
 スケルタが瞳を閉じ、集中を始める。
 それを見て取ると、リアスは再度ムカデに対し、時間稼ぎを試みる。そして、さほど時が過ぎることもなく――
「リアっつぁん!」
「おっしゃ!」
 リアスはスケルタの掛け声を合図に、横に跳ぶ。
「ギラ!」
 スケルタの力有る言葉が響いた。
 そして、それまでリアスがいた空間を、直ぐに閃光が突き抜ける。その軌道上にいたムカデは――
 がああぁああぁあぁあ!
 断末魔の悲鳴を上げて、燃え尽きた。
「よし、完了。お疲れさん、リアス」
「おう。しっかし、アレだな」
 燃えカスとなったムカデを瞳に映し、リアスが呟く。
 すると、スケルタは訝しげに、何だ、と問うた。
 リアスはそちらを見やり、口を開いた。
「いやな。魔物まで出るとなると、ローラって女は、拳で岩を割りつつ、出てくる魔物まで殺ってたってことになるなぁと、そう思いついてな」
「まあ、そうなるが…… さっきも言ったが、ありゃネタ話だぞ。そんな改めて真顔で口にしなくても――」
 呆れた様子で紡がれたスケルタの言葉を、リアスは手で制し、遮る。そして、相変わらず真面目な表情で、言った。
「さっきは俺も、デマじゃないか、と思ったさ。けどな、今ちょっと考えたんだが、ロトの、いや、ローラの直系にはうちのお袋がいるんだぞ」
 言われたスケルタは思わず、あ、と呟く。
 リアスは続ける。
「うちのお袋は素手で岩くらいばんばか割れるし、さっきの魔物なんてデコピンで倒せる。さっきのローラの話を、うちのお袋の話だと考えれば、俺は何の疑いもなく納得する。そんで、ローラはうちのお袋――シルステシア=ローレシアの先祖だ」
「……あのデマ話は、充分にあり得たことかもしれない、と?」
「まあ、可能性としては結構高いかもしれんわな」
 海よりも深い地の底を行く二名は、暗い穴の底を拳一つで掘り進む女を想像し、軽く震えた。
 ちなみに、彼らが想像するような事実があったかどうか。それは、この暗き穴の道だけが知ることである。


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