第十一話:古を生きた者達
絶海の孤島に神殿がある。しかし、そこが何を祀る神殿であるのか知るものはいない。遥か過去に建造された謎の建物。その建物は、何者にも知られることなく長年鎮座していた。
その神殿に、久方ぶりにヒトが足を踏み入れる。
ヒトは奥へ奥へと進んで行き――
「漸く見つけたと思ったら、留守か……」
呟き、白髪交じりの髪をかきあげた。
その視線の先には、煌々と輝く玉があるのみであった。
白に覆われた地にある建造物の一室。女性が外を見詰める。
「ベリアルさん遅いなぁ」
そう呟き、彼女は寝具にどっと倒れこんだ。寝転び、枕元から古びた本を取る。それをパラパラと捲り、閉じ、そしてまた窓辺による。
「ベリアルさんおそ――」
「姉者」
いつの間にか開いていた扉。そこには、猿のような者が佇んでいた。
「ちょっと。ノックくらいしてよね、バズズ」
「したんだがな。それよりも、何度同じ動作を繰り返す気だ」
「同じ動作?」
バズズの言葉に、女性は小首を傾げて訊き返す。
その様子を瞳に入れ、バズズは大げさな動作でため息を吐き、続ける。
「窓の外を眺めてベリアルの名を呟き、寝転び、本を眺め、再び窓辺へ。正直、怖いぞ」
「ちょ、怖いって…… ていうか、私そんなことしてた?」
「ああ」
真剣な瞳で頷くバズズを見やり、女性は気まずそうに瞳を逸らす。そして、徐に寝具に腰掛けた。
バズズは部屋に入り、扉を閉めて床に座る。
「つい先日まで、ベリアルに怒られる、と震えていたというのに、ゲンキンなものだな」
「……だって、ベリアルさん遅いし」
頬を膨らませて、女性が呟く。
バズズはそんな女性の様子を瞳に入れ、深くため息を吐いた。そして、窓の外へと視線を送る。
ベリアルが彼らが住まう建造物を発ったのは十日ほど前だった。それから、一度も連絡がないのだから、心配をする女性の気持ちも分からないでもない。しかし、バズズに言わせれば、少し大げさすぎる感が否めなかった。
これまでもこういったことがなかったわけではない。ベリアルがしばらく連絡もなく留守にすることはままあることだった。
それに何より、ベリアルは小児というわけではないのだ。それほど真剣に心配する必要があるかどうかと問われると、当然ないのである。
「取り敢えず、飯だぞ」
「……うん」
しかし、女性はやはり、憂い顔で外を眺め、応えた。
とある国の領内にある街の一角。荒くれがたむろする裏通りを男性が行く。
それを物陰から視認し、がたいのいい男が笑う。彼の周りには、目つきの悪い者達が多数控えていた。そして――
「ちょいと待ちな、おっさん」
その内の一人が男性の前に立ちはだかる。
「何用かな?」
男性は無表情で相手を見返し、訊く。
「ここらは治安が悪くてなぁ。よかったら護衛してやろうかと思ってよ」
「……ご親切痛み入るが、結構だ。それでは失礼」
簡単に断り、男性は構わず進もうとする。しかし――
ひゅっ! がっっ!!
突然横手から、男性目がけて棍棒が振り下ろされる。
「へっへっへっ。だから言ったろ? 治安が悪いって」
先ほど男性を呼び止めた者は、口もとをゆがめてそのように言う。そして、男性のいる方向を見やる。
「なっ!」
彼の視界には、棍棒を手にした厳つい男と、棍棒に打たれ、しかし、平然と佇んでいる男性の姿があった。
そして、男性が徐に手の平を相手にかざすと、その相手は簡単に倒れ伏す。
「うおおおぉぉおぉおっ!」
そこで、路地裏から巨体が飛び出した。手には長剣が握られている。大きな体の割に動きも速く、男性との間合いは瞬時に詰まった。剣が瞬きする間もなく振り下ろされ――
きぃんっ!
弾かれた。
『なっ!』
路地の所々から声が響く。ここを通る者を襲うために控えていた者達だろう。皆、一様に息を呑んだ。
「刃物まで持ち出すとなると、穏やかではないな」
男性は剣を振り下ろした男を見返し、小さく息を吸う。その後、短い言葉を呟き――
ばっ!
辺りを寒気が包んだ。
「ぶえぇいくっしゅんっ!」
「うぅうううぅうぅぅ! 寒ぃいぃぃ!」
男性が去った後、裏通りには体を抱いて凍える者が多数。そこここには寒気により氷の塊ができている。
荒くれの一人は、その塊に足を滑らせながら歩みを進め、倒れ伏している者の元へ向う。その者を抱き起こし、彼の口元に耳を寄せて――
「親分! ビッチャーの奴、生きてます! 寝ているだけです!」
そのように叫ぶ。
そこここにいる者は安堵のため息を吐き、それから口々に、驚かせんじゃねぇよあの馬鹿、などと愚痴をこぼし始めた。
親分と呼ばれた者も歯をむき出して笑い、しかし、それから思案顔で呟く。
「眠りの魔法はともかく、寒気を呼ぶ魔法なんて聞いたことがねぇぞ…… あいつ、何者だ……?」
カランコロン……
男性が扉を開けると、耳障りのいい鐘の音が響いた。
「あっはっはっはっはっ! ほおれ、飲め飲め! なぁに言ってんのよ! 拒否なんて許されると思ってんの! あははははっ!!」
続いて響き渡る笑い声。誰かが機嫌よく騒いでいるようだ。
男性がそちらへ視線を送ると、そこには求めていた人物と、その人物の連れと思しき者がいた。
徐にそちらへ足を向け、男性はその人物の元へ至る。
「もし。お楽しみのところ悪いのだが、少し宜しいだろうか」
「ああん? 何よ、うるさいわ……ね……」
彼女は鬱陶しげに男性を見、しかし、直ぐにその表情を明るくする。
「ああ、あんた! 確かロンダルキアで一人引き篭もってた」
「久方ぶりです」
「ロンダルキア……ですか? 随分と不便な地にお住いなんですね」
女性と共にいた者が男性に声をかける。
すると、男性は苦笑してそちらを見た。
「まあ、不便ではあるが、数千年も住めば慣れるさ」
「……数千年。とすると、竜族か精霊か……」
「一応、精霊となろうかな。貴方は――竜族のようですな」
男性の言葉に、青い髪の青年が頷く。そして、更に言葉を続けようとする、が……
「はい、ストップ。非常識な会話をあんま長く続けない。人界で上手く生きるコツよ」
「そうですな。気をつけましょう」
「申し訳ありません」
男二人が素直に言うと、女性は満足そうに頷いて、それから視線を男性に向ける。
「それで? 何か用なわけ?」
「ああ。そうでした。実は――」
「ふぅん…… 犬にねぇ」
男性の話を一通り聞き終えた女性は、つまらなそうに呟いた。
そして、グラスに入ったワインを一気に呷って口を開く。
「要するに、モシャスのできそこないでしょう? 永続的に元に戻らない処置を施したといったって、付け焼き刃の浅知恵。解くのくらい簡単なんじゃないの?」
「それが、あの子は随分と魔法の才能があるようで、小生ごときではどうにもできぬ程の術となってしまっているのです」
男性が言った。
女性は追加で頼んでおいたウイスキーを半分まで呷り、ぷはぁと息を吐く。そして、意地悪く笑う。
「はっ! 同じ場所に親馬鹿が二人も揃うとは……きもいわね」
青年は苦笑し、男性は戸惑った顔を浮かべた。
「別に小生は、あの子の親というわけでは……」
「親代わりみたいなもんでしょ? そろそろ二十年くらい?」
「それはそうですが…… と、何だ。小生らのことは知っておられたのか」
瞠目して男性が言うと、女性は笑った。
「ま、たまにラーミアと一緒に世界を『見たり』してるからね。つか、あの国も懲りないこと」
「人の業を体現したような王族ですな。ああ、それはそうと――」
男性はそのように呟くと、徐に懐へ手を入れた。そして、光り輝く玉を取り出した。
「あら。住居不法侵入な上に窃盗じゃない」
「こうして渡したのだから、窃盗の罪は免除して欲しいが」
男性が苦笑し、玉を女性に渡す。すると――
『置いてかないでよねー、アマンダ』
玉が口を利いた。
「だってねえ。喋る玉なんて持ってたら完璧奇人変人だし」
『アマンダ単体で奇人変人のくせに』
「ほほぉ…… 言ってくれるわね、ラーミア」
玉を乱暴に叩きながら、女性がドスの利いた声を出す。
一方、青い髪の青年が目を丸くする。
「随分自由に喋れるようになったのですね、ラーミア。つい百年前はほとんど喋らなかったのに」
『シドーほどじゃないけど、僕も人の魔力に呼応して強化されるからね。時間さえ経てばこの通りだよ』
ぴょんと飛び上がる玉。口を利くにとどまらず、自在に動くことすらできるようである。
その様子を見た男性は、微笑んで口を開く。
「流石に常識はずれな方々が揃っているようだ。どうか、ご助力願えるか?」
頭を下げた男性に、女性が緩い瞳を向ける。
「その犬に変えられた王女様を元に戻して欲しいってことよね。まあ、別にいいけど、あたし魔力操作ってあんま得意じゃないのよねぇ」
「あ。では私が……」
「そういえば、そちらは?」
手をあげた青年を瞳に入れ、男性が訊く。
「ああ。この子はキース。で、こっちが――そういえば、あんた名前なんだっけ?」
女性が応え、そして、男性を青年に紹介しようとして、疑問を覚えた。
男性は苦笑し、口を開く。
「そういえば、まだ名乗っていなかった気がしますな。小生は――」
ムーンブルク領ムーンペタ。その町には居丈高な振る舞いをする犬がいる。食事は人と同じものを食し、人に触られることを拒む様もさながら猫のようである。
そんな犬を遠巻きに見詰める男二名と女一名、それから光る玉。
「あれです」
「何となく、むかつく犬ね。態度デカイ感じが」
『アマンダは人のこと言えないと思うけど』
「何か言った? ラーミア」
『ううん。何でもなーい』
それぞれ言葉を紡ぐ一行。そんな中、青い髪の青年だけが集中した様子で犬を見詰めている。
女性はそちらを見やり、
「で? どうなの、キース」
「戻すことは容易にできますね。確かに、自然には戻らない措置が為されているようですが、しっかりとした知識を有したものが手順を踏みさえすれば、戻せます。しかしあれを、古代から生きて魔法のイロハを理解している我々のような者ではなく、近年の魔法技術から自己流で学んだ者が施したのだというのなら、その子は随分と才能があるようですよ。所々無理やりな感が否めないとはいえ、そうそう簡単にあのような術は組めないでしょう」
「ふぅん…… だってよ。魔力操作のエキスパートである竜族からのお褒めの言葉よ。よかったじゃない、お父さん」
「……お父さんというのは止めてもらえるかな。ともかく、貴方であれば容易に戻せるのですな?」
女性に疲れた瞳を向けて応えた男性は、青年に瞳を移し、訊く。
青年は笑顔で頷いた。
「ええ。今すぐにでも」
「では――」
そこで犬が駆け出した。その向う先には――
「あら。あの子達は…… てか、あの犬もよくよく考えるとムーンブルクの王女だってんだから…… ふふ、ロトの子孫が勢ぞろいじゃない」
女性は瞳を細めて呟く。
そして、徐に大きく瞳を開き、ぱんっと手を叩いた。
「そうだわ! せっかくだから、久し振りにケイティ――ロトの血筋と交流しときましょう!」
『……は?』
突然言い出した女性は、まず男性に近づく。
彼の目前まで迫り、その胸元に小さな手をかざす。そして――
「んんっ!」
食事の最中、女性が急に立ち上がった。
「何だ姉者。行儀が悪いぞ」
「ど、どうしたの、姉さん? 怖い顔して」
それぞれ声をかけた弟達に、女性は思案顔を向けて声をあげる。
「何となく、ベリアルさんが浮気をしている気がする……」
「アトラス。そっちにあるソースを取ってくれ」
「うん。どうぞ、兄さん」
無視された。
「もしや、ローレシアのリアス王子様とサマルトリアのスケルタ王子様では御座いませんか?」
そのように声をかけてきた、男二名女一名で構成された兵士達を瞳に映し、少年二人は首を傾げた。