第十二話:真実は偽りと共に

 ムーンペタの北方、色鮮やかな草花が息吹く野原をムーンブルク国により整備された街道が通っている。そして今、その街道を騒がせている者が二名いた。いや、正確には二名に二匹が足される。
 ローレシア国の王子リアスと、サマルトリア国の王子スケルタ、そして、この地域に多く生息している大型動物マンドリルが二匹、という内わけである。リアス、スケルタ、それぞれがマンドリルと対峙している。しかし、その二組には大きな違いがあった。それは……
「ちょっ! リアっつぁん! リアっつあぁあんっ! さっさとそっち倒して早急なる援護をっ!」
「だああぁあ! うるせえぇええ!」
 リアスがマンドリルの攻撃を寸でのところで避けつつ健闘しているのに対し、スケルタは全速力で逃げ回っていた。勿論、リアスが接近戦に、スケルタが中・遠距離戦に長けていることを考慮に入れると仕方のない戦局ではある。しかし、それにしても情けない姿であった。
「はっ!」
 スケルタが髪を振り乱しつつ駆けている中、リアスはマンドリルが打ち出した拳をかいくぐり懐に入り込む。そして、手にしていた剣を勢いよく突き立てた。その後、剣の柄から手を放し、間を置かずに横手に飛び退る。
 マンドリルは、リアスが飛び退いた直後に腕を勢いよく振る。胸に大きな傷を負おうとも、直ぐに死の腕に抱かれはしなかったようである。しかし、それが最後の力だったのか、腕を振り回した勢いでそのまま地面に倒れ、数秒ののちに最期を迎えた。
 リアスはその遺体に素早く寄り、剣を抜き取る。そして――
「おらっ! こっちだ!!」
 手近に落ちていた石を掴み取り、もう一方の獣に投げつける。
 マンドリルはスケルタを追っていた足を止め、リアスがいる方向に向けて駆け出す。そのままの勢いで腕を突き出し、強力な一撃をリアスの顔面に向けて放つ。
 しかし、リアスは腰を落として体を沈め、その一撃を避けた。そして、その下方向への重心の移動を回転する力に変え、その勢いで手にしていた剣を振り抜く。獣の腹に深い傷が刻まれる、が――
「おっと!」
 リアス目がけて放たれた蹴りが空間を薙ぐ。
 腹を割かれた程度では獣の命が終わりを迎えることはないらしい。苦しそうにしながらも、マンドリルはリアスを睨みつけて咆える。そして、先ほどよりも勢いはないが、駆ける。
「ギラ!」
 しかしその時、マンドリルの横手から炎が押し寄せた。動きの鈍っていた獣は、日頃誇っている俊敏さを発揮することもなく、炎に包まれる。地に倒れこみ、しばらくは断末魔を響かせていた。そして数十秒ほど経ち、漸く土へと還る。
 それを見届けたスケルタは深呼吸し、たっぷりと酸素を吸入してから笑顔を浮かべる。陽の光を象徴するような、晴れ晴れとした笑顔だ。
 そして、その笑顔をはりつけたままでひと言。
「よし、さすが俺」
「ああ。さすがとしか言いようのないほどに貧弱だよ、スケさん」
「……言うなよ」
 日が翳った。

 数刻後、疲れ果てた様子の二名がムーンペタの土を踏む。それぞれ一様に息が上がっているが、とりわけスケルタの疲労が著しいようであった。獣との攻防に尽力した証左であろうか。
「アイリンに関する聞き込みとかは明日にして、取り敢えず宿の確保だな」
「主目的を明日に回すのもどうかと思わなくもねぇが、異論はねぇ」
 ぐったりした様子の二名は周囲に瞳を向け、少し先の曲がり角を折れようとしている女性を見つける。リアスが重い足を進めて、宿までの道を尋ねようとした、その時――
 一陣の風が吹いた。
 リアスは一瞬訝しげに眉を顰めたが、直ぐに納得顔になり息を吐く。
 彼の視線の先では、某国の王子様が爽やかな笑顔を浮かべ、軽い口を滑らかに動かしていた。
「こんにちは、お嬢さん。突然申し訳ありません。少々お訊きしたいことがあるのです……が……」
「ど、どうかいたしましたか?」
 突然、女性の顔をしげしげと見始めたスケルタ。
 そんな彼の様子に、女性は戸惑った表情で言の葉を繰る。
「あ、ああ、申し訳ない」
 そこでスケルタは、照れた様子で頭をかき、はにかむ。そして、微笑を浮かべたままで言葉を紡ぐ。
「女性をジロジロと見詰めるなんて…… 許して下さい。けど、貴女のような綺麗な方にお会いしたのは初めてでつい……」
「まあ……」
 頬を染めて吐息を漏らす女性。いつの間にかスケルタの手が彼女の肩に回っているのだが、それを払う気配など一向に見せない。表情から窺うに、満更でもないようである。
 そして、そのような雰囲気を感じ取ったスケルタは……
「どうでしょう? もし宜しければ、このあとお茶でも――ぐわらじゃばぁああっ!」
 にこやかにお決まりのセリフを吐こうとした直後、何者かに顔の側面を強打された。そして、面白い言葉を吐き出しながら吹っ飛ぶ。
「何だぁ?」
 リアスはスケルタが女性を口説き出して直ぐ、地面に腰を下ろしていた。なおかつ、視線を下ろし、路肩で懸命に咲いている一輪の花に心を向けていた。いたのだが、スケルタが面白い具合に吹っ飛んだために、急いで視線を上げたのだった。
 そして、彼の視線が捕えたのは――
「犬?」
「ですね」
 リアスと女性が呟く。
 そして、スケルタはというと……
「あああああああああああああ」
 真っ青な顔で、なぜか母音を紡ぎ続けていた。
「どうかしたか? スケさん」
「アイリっっ!!」
 衝撃的な人名を叫ぶスケルタ。そして、彼の視線の先には――
 驚き、視線を移すリアス。
 瞳を細める。手の甲でごしごしと擦る。視力が芳しくない際にとると思われる行動を一通り終えたあと、彼は再び視線を戻す。そして、頭を抱える。そのまま数秒考え込み、口を開く。
「いや。これ犬だろ」
「違う! 今の攻撃は間違いなくアイリンだ! って、どわああぁあ!」
 再び、犬がスケルタを襲う。脚に噛み付き、腕に噛み付き、スケルタの白い肌に生傷が刻まれていく。
「ごめん! すまん! いや、すみません! アイリンとか呼んで申し訳御座いませんっ!!」
 そして遂に、土下座し出すスケルタ。
 犬はそれを目にして噛み付くことを止めた。ちなみに、先ほどスケルタが声をかけた女性は、頬を引きつらせて微妙に笑み、その場を去った。
「てか、本当にアイリなのか? 確かに、スケさんを弄り倒してる様子を見っとそんな気もするが……」
「スケルタ様の仰られているとおりです」
 リアスの呟きに応えたのは――

 一同が視線を声のした方向へ向けると、そこには赤い鎧を身に纏った兵士が三名。男性二名、女性一名という構成である。そのうち一名――女性兵士が一歩前に出て恭しく礼をする。そして、他二名もそれに従った。
 頭を上げた女性は視線を犬に送り、言葉を紡ぐ。
「そちらはアイリ様で間違い御座いません。流石はスケルタ様。アイリ様の婚約者にあらせられる方です」
「愛だな」
「愛とか言うなっ! って、痛ぇっ! ちょ、アイリ、やめっ!」
 スケルタが再び犬に噛み付かれる。
 しかし、リアスは意に介さず女性兵士を見やる。
「本当にあれ、アイリなのか?」
「はい。城に出入りしていた魔術師が魔法をかけたのです」
「……うちに報告に来たあんたんとこの兵士は、アイリがどうなったか知らなかったが?」
「ローレシア、サマルトリア両国への伝令のために兵が出立し、それから数日後に判明した事実です。それゆえ、リアス様、スケルタ様のお耳にお届けできず……申し訳御座いません」
 女性は瞳を伏せ、謝意を示した。
 リアスはそれを一瞥してから手をぱっぱと振り、ぶっきら棒に言葉を返す。
「ああ、そんなんはいい。気にすんな。そんで? 戻せるのか? あいにく、俺は魔法に詳しくないんだが……」
「城の学者が文献を当たり、つい先日、術の解除法についての記述を見つけました。ラーの鏡と呼ばれる真実を映す鏡を用いればあるいは……とのことです」
 城が半壊し、家臣もその殆どが城を出た、というように聞いていたリアスは、未だ学者が残っていた点、文献が残っていた点に疑問を覚える。それゆえ、そのことについて軽く話を振った。しかし、それに対する女性の答えは簡単なものだった。即ち、残っていたのだ、という答えである。
 そのような問答があった一方で、男性兵士のうち一名が眉を顰め、表情を険しくしていた。リアスの問いを境として、そのような変化が見受けられたが、それ以上なにか行動をするでもなかったため、特に言及はしない。
 そして、リアスはそんな男性兵士の様子に気付くこともなく、違う点について訊く。
「で、ラーの鏡? まあ、そんなもんが何処にあるのかなんて当然知らねぇが…… あんたらがここに集ってるってことは、もう手に入れたってとこか?」
「ええ。こちらの者が所持しています」
 女性兵士が片方の男性兵士を指で示す。
 その兵士は突然の指名に驚き、慌てふためく。
「え、ちょ、私ですか? アマンダ様、そんな突ぜ――痛っ!」
 女性は男性の頭に拳骨を落とす。
 その様子を瞳に映し、リアスは目を点にして驚く。一方で犬は、心もち瞳を細めたように窺える。……スケルタは犬の顔色を窺いながら怯えているだけであったが。
「あんた。何でそいつ殴ってんだ?」
 リアスが思わず訊いた。
「リアス様の御前で無様に慌てふためいたことに対する罰です。申し訳御座いません」
 深く頭を下げる女性。それに続いて他二名も頭を垂れた。
「別に気にすんな。つか、止めてくれ。そういうの得意じゃねぇんだ」
「はっ」
 そのようにローレシア国王子から声をかけられると、兵士達は俊敏に頭を上げ、姿勢を正す。
 そんな動作に苦笑しながらも、リアスは本来の話の筋を思い出して、促す。
「それで? そっちの兵士がラーの鏡とやらを持って来てるわけか?」
「ええ。こ、これです」
 兵士が取り出したのは、何処から見たとしても鏡であった。手の平に収まる大きさの、綺麗な、商店で売っていそうな鏡だった。
 それを見詰める王子様。沈黙が落ちる。そして、
「……伝説の鏡、みたいなもんじゃねぇの?」
「伝説の鏡です」
「新しくね?」
「そう見えるだけです。伝説に残る程のもので御座います。悠久の時に耐え得る術が施されているのでしょう」
 女性兵士が自信に満ちた様子で語った。
 魔法の道に明るくない身としては反論が見つからないようで、リアスは素直に納得する。一方で、犬の瞳が更に細まる。スケルタは……何も耳に入っていないようだった。怯えている。
「ま、そういうことならいいが…… それをどうすりゃアイリが元に戻るんだ?」
「鏡にアイリ様をお映しすることによって、真実の姿を取り戻すことができると伝えられているようです」
「へぇ……」
 女性により紡がれたラーの鏡の効果に、リアスは感嘆し、瞳を見開く。そして、若干楽しそうに犬を指差した。そして、口を開く。
「んじゃ、さっそくやってみてくれよ。どんな感じか見てみてぇや」
「畏まりました。さぁ」
 促され、鏡を持っている男性兵士がアイリ……と思しき犬の元へ向う。手にしていた鏡を徐に向け――

 ぼんっ!
 土埃が上がり、犬の姿が見えなくなる。そして――
「おー。戻ったぞ。てか、マジでアイリだったんだ――」
 ひゅっ!
 リアスの呟きが終わるか終わらないかという時、突然出現した紫髪の女性――ムーンブルク国の王女アイリが拳を打ち出す。鏡を手にしていた男性に向けて。
「うわっ!」
 男性は寸でのところでそれを避け、大きく後ろに跳び退った。他の兵士がいる場所まで。
 それを見届けたアイリは軽く舌打ちし、それから声を張り上げる。
「リアス! スケルタ! そいつらを捕まえなさい!」
「は? 何で――」
「はいぃい!」
 訝しげに眉を顰めたリアスと、従順に返事をして脚を動かすスケルタ。意外にも俊敏に移動し、兵士の一人に手を伸ばす。しかし、女性兵士の拳がスケルタの頬を強襲し、結果、サマルトリアの王子様は地面に口づけをすることとなる。
 その一方で、アイリは瞳を閉じて集中していた。そして、丁度スケルタが殴り飛ばされた時に瞳を見開き、力強い言葉を吐き出す。
「バギ!」
 風が空間を切り裂く。真っ直ぐと兵士三名へ向い――
 すっ。
 男性兵士の一人が風に向けて手を掲げると、押し寄せていた刃は静かに霧散した。兵士は何事もなかったかのように腕を下ろし、そして口を開く。
「何故このような仕打ちを? アイリ様」
「あなた方こそ、偽りだらけの理由をお聞かせ頂きたいものですね」
「偽り? 何のことで御座いましょう? わたくし共はムーンブルク国にお仕えする――」
「確かに」
 女性兵士の言葉をアイリが遮り、続ける。
「確かにあなた方は我が国の兵士の姿をしています。鎧だけではなく、そのお顔にも見覚えがある。しかし、貴女」
 アイリが怪しい笑みを浮かべ、女性兵士を指差す。
「貴女はアマンダという名ではないはずです。そして、そちらの貴方」
 続けて鏡を所持していた男性に指を向ける。
「貴方が手にしている鏡、それは市販の鏡でしょう? 私に施された術は貴方が解いた。そのようなことを一兵士が為せるわけがないでしょう。更に言えばそちらの貴方」
 そこで今度は、先ほど風を防いだ男性を指差す。
「貴方もまた魔法を使えないはず。それも、魔法を無効化する魔法などと、何百年も前に伝えられていた魔法を使えるわけがない。さあ、答えて頂きましょう。あなた方は――何者です?」
 問いが向けられると、女性兵士は口の端を持ち上げ不敵に笑う。そして――
 しゅっ!
「なっ! 消えたぞ、おい!」
 リアスの言うとおり、兵士三名はその場から忽然と姿を消した。まるで、その場には元から何者も存在しなかったかのように……
「既に伝えられていない高度な魔法のオンパレードね…… あの女も効果はアホ臭いとはいえ、人の姿を変えるなんていう離れ業をしていたわけだし…… 今の奴らと関連はあるとみれるか……」
「アイリ?」
 独りで呟いているアイリに、リアスが訝しげな瞳を向ける。
 それを受け、アイリは笑顔とともに向き直る。
「何でもないわ。それよりもリアス。何故貴方がこの町にいるのかしら?」
「何故ってなぁ…… お前がいなくなったって聞いたから、いちおー心配して探しにきてやったんだぜ? わざわざムーンペタくんだりまで」
「貴方が自ら? まったく…… リトリート様に苦労をおかけしないようになさい」
 苦笑し、そのように言った。そして、それから地面と仲良くしている人物を寸の間見やり、
「……なら、スケルタも?」
 その問いにリアスはやはり苦笑を返し、言葉を返す。
「あいつは最初、お前を怖がって嫌がってたんだがな。俺が無理やり連れて……き……た……」
 彼の言葉の後半は飲み込まれた。
 アイリの笑顔の質が変化したからだ。……恐怖を振りまく具合に。
 ゆっくりと歩を進め、情けない格好をしているサマルトリア国王子の元へ向うムーンブルク国王女。そして、鈴の音色のような声を発しなされる。
「あら、スケさん。髪にゴミがついていますよ? とってあげましょう」
 そう口にして、スケルタの薄い色素を有した髪に手を伸ばす。ちなみに、そこにゴミなど見受けられない。よほど小さいゴミらしい。
「っつ! ちょ、アイリ! あー、いたいたいたいぃいいぃ!」
「おかしいですね。このゴミ、中々取れませんわ。スケルタ、今しばらく我慢して下さいね」
「ちょおおぉお、まああああぁああ! 俺今何もしてないでしょおおおぉおっ!!」
 悲痛な叫びがのどかな町に響く。
「相変わらず仲悪ぃな……」


PREV  NEXT

戻る