第十三話:その愛ゆえに棘がある

 南北を険しい山々に囲まれた地に佇む荘厳な建物――ムーンブルク城。勇者ロトの末裔であるラドルフ=ムーンブルクの治めるその地は、現在惨憺たる様子である。尖塔を飾っていた文様には大きく亀裂が入り、今にも塔自体が崩れ落ちかねない。また、城の壁は所々崩れ落ちており、城自体までもが倒壊しかねないのである。
 そのような佇まいの城の門戸を叩く者達がいた。その者達は遠慮なく城に入り込み、そして、本来であれば謁見の間である部屋へと至り、ムーンブルク国の大臣とまみえる。
「アイリ姫様! ご無事で御座いましたか!」
 感極まり涙を流しながら叫んだ中年男性。彼は、ここムーンブルク国の大臣である。名をガズラスという。
「見ての通り無事よ。ズラ」
「よ。久しぶりじゃん、ズラ」
「元気かい? ズラ」
 頭髪が少々ずれて見えるガズラスの言葉に応えたのは、この国の王女アイリ、そして、ローレシア国王子リアスとサマルトリア国王子スケルタである。
 ガズラスは頭部に手をやって一仕事終えてから、視線をリアス、スケルタと遷移させていく。それぞれに対して嬉しそうな笑顔を向け、言葉を紡ぐ。
「リアス様、スケルタ様。お久しぶりで御座います。二年前にこの城で催しましたローラ祭以来ですな」
 ガズラスがそのように口にすると、リアス、スケルタ共に考え込み、それぞれ肯定の言葉を返した。ガズラスはローレシアやサマルトリアまで赴かないため、彼らがガズラスの顔を見る機会はムーンブルク城を訪れる場合のみである。
 ちなみに、ガズラスの言葉の中にあったローラ祭というのは、ローレシア、サマルトリア、ムーンブルク三国の建国にかつて尽力したローラという人物を祀り上げる催しのことをいう。ローラの誕生日をその日としている。同じように、やはり建国の立役者であるロトの子孫――アジャスの誕生を祝う祭りもあり、そちらもまた盛大に祝われる。
「そういや次のアジャス祭はムーンブルクでやることになってたよな。……けど、これじゃあちょいと無理か」
 謁見の間の天井に穴が開いている様子を目にしながら、リアスが言った。
 それに対し、アイリは壁に入ったひびを無表情に見つめ、口を開く。
「そうね。悪いけれど、ローレシアかサマルトリアに替わって貰うしかなさそうね」
「それはいいが…… それよりも……その……大丈夫なのか?」
 スケルタが床に大きく穿たれた穴を目にしつつ訊いた。その問いは城の耐久度に関する問いであったか、ムーンブルク国自体の存亡に関する問いであったか、はたまた、その両方に関するものか。
 尋ねられた側であるムーンブルク国の者達は顔を見合わせ、それから代表してアイリが口を開く。
「城を直すのはすぐにできるでしょう。ムーンペタには腕のいい大工がいますし、それに、貴方の国からも人材や資金は送って頂けるのでしょう?」
「それはそうだが…… それよりも――」
「この国の未来を案じているのであれば、それは杞憂というのものです。ガズラス」
「はっ」
 アイリは紫の瞳を細めて微笑み、その笑顔をスケルタに向けた。それから、視線はそのままでガズラスを呼びつけた。
 畏まって側に跪いた彼に、アイリは懐から髪飾りを取り出して渡す。そして、
「貴方の他には何名ほど残っているのかしら?」
「兵が十五名、侍女が三十名。あわせて四十五名でございます」
「そう。では、その髪飾りとこの指輪をそれぞれ兵士に持たせ、『休暇』を取っている者達の下へ走らせなさい。そろそろ帰ってくる時間だと知らせてあげなさい」
 そのように口にして、アイリは指にはめていた指輪もまたガズラスに渡す。
 ガズラスはそれを畏まって受け取り、声を張り上げる。
「ジーガル! ビズドラ!」
 その呼びかけに伴って、男性と女性がそれぞれ一名ずつ現れる。彼らは共に大工道具を手にしており、城の修繕にあたっていたことが窺える。
「姫様!」
「ご無事で何よりで御座います!」
 二名は顔に喜色を携え、アイリに向けて駆け寄る。
 一方、リアスとスケルタは彼らを瞳に入れ、目を瞠る。
「あんたら…… ムーンペタにいた……」
 リアスの視線の先には、ムーンペタでアイリを見つけた時に現れた兵士三名のうち二名が揃っていた。それぞれ、スケルタを殴り飛ばした女性兵士と、アイリを元に戻す魔法を使用した男性兵士である。
「そう。これがあれの元よ。そっくりでしょう?」
 兵士達がリアスやスケルタに気づいて慇懃に礼をし、その上で戸惑っている中、アイリがおかしそうに笑い、言った。
 リアスが肯く。
「ああ。てか、こんだけそっくりだってーのに、あの時の奴らじゃないのか?」
「これもあの時の奴らが化けてる可能性はゼロじゃないけど、たぶん大丈夫よ。あの時は目にした瞬間に違和感を覚えたものだけど、こちらはそんなことないもの。……それよりも、ガル。ビズ」
『はっ!』
 アイリに呼びかけられると、ジーガルとビズドラは急ぎ跪く。
「私やお父様、お母様の留守中に『休暇』を取った者達の下に走ってもらうわ。『休暇』の終わりを知らせてあげなさい」
 そう口にしてから、アイリはガズラスに指示を出す。
 ガズラスは一歩前に出て、アイリから受け取っていた髪飾りと指輪を指し出す。
 ジーガルは髪飾りを、ビズドラは指輪をそれぞれ手にし、アイリや他国の王子達に対して慇懃にこうべを垂れ、謁見の間を飛び出していった。
「……いったん辞めた奴らが、王女の所持品を持って迎えにいっただけで帰ってくるもんかねぇ」
 兵士達を見送りながらリアスが呟いた。その隣で、スケルタがゆっくりと首を振る。
「甘いな、リアス。ムーンブルクに仕えていた奴らがアイリの所持品を目にして、それでなおかつ、『休暇』を取り続けていられるはずがないだろう? それを無視したらどんなことになるか、彼らは時間をかけて心と身体で知っているはずなんだ。恐ろしき王女の性格と笑顔を――」
 ばぎっ!
 サマルトリアの王子のお言葉は遮られた。物騒な物音と共に。
 ローレシアの王子がそちらに瞳を向けると、彼の予想通りの光景がそこには広がっている。彼は呆れの色をその瞳に映し、嘆息する。
「お前も『時間をかけて身体で知っているはず』の立場だろうに、なんで余計なことを言うんだろうな」
「まあ、スケさんったらうちの絨毯はそんなに寝心地がいいですか。では存分に味わいなさいな」
「いたたたたたたたっ! ちょ、アイリ! 踏むな、いや、踏まないで下さい! お願いしますうぅううぅう!」

 謁見の間でのひと騒動のあと、リアス、スケルタはそれぞれ部屋に通された。人ひとりが滞在するには広すぎる豪奢なその部屋は、彼ら王族がムーンブルクを訪れた際に滞在するそれである。壁や天井に開いている穴はふさがれていたが、どれも急ごしらえであるようで、壊れていただろうことが窺えるあとが目にできた。
「急がせちまったみたいで何だか悪ぃなぁ……」
 リアスは部屋にあるベッドに横になり、天井にある修繕のあとを目にしながら呟いた。その呟きは誰に向けたものでもなかったが、それに対する返答が部屋の出入り口の方向から発せられる。ちなみに、扉はリアスがこの部屋に入った時から、開け放たれたままである。
「お気になさらないで下さいませ、リアス様」
「よお」
 侍女の一人と思しき女性と、スケルタが並んで立っていた。
「なんだスケさん。またナンパしたのか。しかもアイリんちでとは…… 大胆だな。骨は拾ってやるよ」
「違うわい! お前の部屋まで案内してくれって頼んだだけだっつーの!」
 リアスの言葉に瞳を吊り上げて返答し、スケルタは挙動不審な様子で廊下の左右を何度も見直す。しかし、アイリの姿は見つからなかったようで、ほっと一息ついてからリアスに視線を戻す。
「まったく、アイリが聞いてたらマジで骨拾ってもらわにゃならないとこだぞ」
「そのアイリはどうした?」
 その問いには、スケルタに付き添ってきた侍女が応える。
「姫様はお疲れになられたとのことで、お休みされました」
「そっか。さすがのアイリも堪えたのかねぇ」
 苦笑してリアスが呟いた。そうしながら、スケルタに瞳を向ける。
「ところでスケさん。わざわざ訪ねて来たのは何でだ? 俺の部屋には侍女はつけてもらってないぞ」
「お前なぁ。オレの用事が全て女に帰結すると思ってるなよ。まったく」
 スケルタがため息をつき、言った。
「なんだ違うのか」
「違うっつーの。いつ帰るのか訊きに来たんだよ。オレ一人だとローラの門を抜けるのはきついからな。帰りは合わせるつもりだ」
「帰る?」
 リアスはスケルタの言葉を耳にし、訝しげに呟いた。しかし、直ぐに納得した顔になり、手をたたく。
「ああ、そうか。アイリが見つかったんだから、もう帰らにゃならんか」
「今さら何言ってんだ。お前はこれ以上どこに行こうってんだよ」
 苦笑し、呆れた様子でスケルタが言った。
 リアスもまた苦笑し、口を開く。
「どうせならもうちょいと羽を伸ばしてぇんだけど――」
「じきにアイリが見つかったことはローレシアにも伝わるぞ。お前のおふくろさん、シルステシア様の耳に入ったら――」
「明日帰ろうか!」
 渋ったリアスだったが、スケルタの言葉を耳にすると元気いっぱい立ち上がり、窓の外に向けて叫んだ。まるで、遠くにいる誰かに言い訳するように。
 その様子を目にするとスケルタは再び苦笑した。そして、
「わかった。じゃあ明日出発だな。なら、オレも明日に備えてさっさと休むことにする。じゃあな」
「ん? おお。ゆっくり休めよ、軟弱スケさん」
 リアスの軽口に適当に手を振って応え、スケルタはその場を去った。

 廊下をしばらく進むと、スケルタは立ち止まる。そして、付き添っていた侍女に瞳を向けた。
「なあ。アイリは自分の部屋で休んでるのか?」
「ええ。姫様のお部屋は被害がほとんどありませんでしたから」
「そうか」
 返答を耳にするとスケルタは方向転換し、迷い無く廊下を進む。
 侍女はそれを見送り、そして、城を修繕する仕事に戻った。

 アイリの部屋の前に控えていた警備の兵士に声をかけ、スケルタは部屋の中に入れてもらう。このように容易に入室が叶ったのも、曲がりなりにも彼がアイリの婚約者であるためであろう。そうでもなければ、こうもすんなりことが運ぶことはなかったに違いない。
 部屋に入ると、天蓋つきのベッドがまず目を引いた。薄いヴェールのかけられたそれは、人ひとりが眠るには大きすぎるほど大きいものである。もっとも、スケルタもまた、自国にある自室には不必要に大きな家具がしつらえられているのだから、この程度では何の感慨も抱かない。
 彼はゆっくりとした歩調で、ベッドへと静かに向かう。
 その大きなベッドには、少女が安らかな表情で寝息を立て、横になっていた。紫の長髪はさらりと流れ、ベッドを彩っている。
 スケルタはそれを目に入れつつ、ベッド脇にあった椅子に腰をかける。
 ぎぃ。
 軽く軋む音が響くが、眠り姫が目を覚ますことは無い。
「こうして眠っていれば、ただただ綺麗なだけなんだがなぁ」
 嘆息し、スケルタが潜めた声で言った。そうしてからしばらく黙り込み、アイリの寝顔を見つめ続ける。
 そして、再び口を開く。
「オレはお前のことが怖いけどさ。でも、心配してたんだぜ? 分かってると思うけど、怖いからって嫌いなわけじゃない。というか、昔は本当に好きだったし、今だって……」
 そこでスケルタは、首を力なく左右に振る。そして、閉じられた王女の瞳を見つめる。長いまつ毛が印象的だった。
「ここに来る道中で、昔のことを考えたんだ。それで、お前が性格悪くなりだした頃のことを思い出した。確か、ラダトーム国に第二王位継承者であるリューン王女が生まれた頃だったよな」
 スケルタが視線を巡らすと、ここムーンブルクでは一般的であるはずのラダトーム様式の装飾が、この部屋には一切見当たらないことに気づく。そのことを判じると、彼は辛そうに顔を歪める。
「それでオレは、リューン王女のことを『可愛い』と言った。考えなしにそう言ったんだ。勿論、女の子としてじゃなくて赤ん坊としてだったけど、そんなこと関係ないよな。本当に考えなしだったよ」
 かみ締めた唇には血が滲んだ。
「ラダトームは伝統のある国だ。ムーンブルクも国力はあるが、うちの親父殿ならラダトームの伝統を欲しがる。それをお前は幼いうちから知っていた。だから……」
 両膝の上に肘を乗せ、スケルタは顔を両手で覆った。そして、右手で髪を勢いよくかきあげ、そのまま頭を支えて、俯いたままで言葉を続ける。
「お前の予想は正しい。時期が来れば、親父殿はきっとラダトームに話をもちかける。今回のことでムーンブルクの情勢は怪しくなったから、なおさらだろう。オレ達が結ばれることは、決して無い」
 言い切ると、スケルタは立ち上がる。そして弱弱しく笑った。
「お前が聞いてないのにずるいけど、色々とごめん。それから――」
 その言葉の続きは、彼の口から発せられることは無かった。
 スケルタはゆっくりと立ち上がり、扉へと向かう。音も無く外に出て、兵士に対して陽気に声をかけてから去って行った。
 そうしてからしばらく経ち、アイリがゆっくりと上半身を起こす。そして、目つきを鋭くして扉を見つめる。
「まだよ。まだムーンブルクは立て直せる。まだ……間に合うもの」

 朝の陽の光が部屋に差し込む中、リアスはだらしなく眠り続けていた。カバーを頭から被り、必死に目覚めることを拒否している。しかし――
 ばっ!
「どわあ!」
 カバーを勢いよく引っ張られ、リアスはベッドの下へ落ちた。その際に腰を打ったようで、痛そうにさすっている。そうしながら、鋭い瞳を側に佇んでいる者に浴びせる。
「何すんだこらぁ!」
「いつまでも眠っているからでしょう」
 聞こえてきた声に、リアスは瞠目して視線を巡らす。
 そして、彼のベッドの脇にいるアイリと、彼女に髪を引っ張られて引きずられているスケルタを見止める。
「おはよう、リアス」
「ああ、おはよ。つか、何で朝っぱらからスケさん虐めてんだ?」
 声をかけられると、アイリは心外だというように眉を潜め、それからにこりと笑った。
「虐めてるだなんてことはないわよ。サマルトリアに帰るなどというから引き止めているだけのことよ」
「へ? でも俺ら、お前を探すっつーことで国出てきた訳だし……」
 リアスの返答を聞くと、アイリの瞳に弱冠ながら怪しい光が宿る。
 その光に危険を感じたリアスは、急ぎ口をつぐんだ。
「あのね、リアス。私を犬にした悪の魔術師はまだ世間を闊歩しているのよ? そんな危険な輩を野放しにしていおいていいと思っているの?」
「いやまあ、そりゃあちょっとは心配なとこもあるが……」
「そうでしょう! 民の平穏を守るのが私達王族の使命! ともすれば、私達で旅立ち、悪の魔術師に正義の鉄槌を下すべきではないかしら!」
 高らかに宣言するアイリを瞳に映し、リアスは訝しげに首を傾げる。こいつこんな奴だったっけ、と。しかし、正直なところ、まだまだ羽を伸ばしたかったのも事実であるし、アイリが言うような大義名分を掲げれば、彼の母であるシルステシアも許してくれるだろう。ゆえに――
「よし! 分かったぜ、アイリ! 俺も正義のために旅立つぞ!」
「分かってくれて嬉しいわ。それでは行きましょう」
 そう宣言すると、アイリはリアスを引き連れて部屋を飛び出した。
「痛い痛い痛い痛いいぃいいぃい! アイリ! ついていくから髪放してくれ! マジで!」

『行ってらっしゃいませ! アイリ様! スケルタ様! リアス様!』
 盛大に出迎えられ、王子二名と王女一名が旅立つ。
 彼らがまず向かう先は西方。広大な砂漠を西へと抜け、そこから更に北上した地にあるルプガナという街である。その旅路にあるのが希望なのか、はたまた絶望なのか、それとも、全く違う別の何かなのかは分からない。
 ただひとつ分かることは――
「……帰りたい」
 さめざめと涙を流しながら、頭部をさする男性。
 ただひとつ分かることは、ある一名の心が今現在、果てしなく絶望に近い何かに満たされていることであろう。


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