第十四話:船大工の娘

 ムーンブルク城から北西に向かった先、そこにはドラゴンの角と呼ばれる塔が二基存在する。海峡を挟んで対岸に存在する双塔にはかつて、双方を行き来するための頑強な橋が架かっていたとも言い伝えられる。
 しかし、現在そこには橋など影も形も存在せず、ただ、双子を分かつ荒々しい海峡が広がるばかりである。
 その海峡を前にして、男女が佇んでいる。それぞれ呆然と海を眺めていた。
「さて。ここからはどうすんだ?」
 そのうちの一名――とりわけ幼い少年が、隣に佇む少女に向けて問いを放った。
 少年の名はリアス。ムーンブルク国の東方に在るローレシア国の王子である。
 一方、少女の名はアイリ。こちらはムーンブルク国の王女という身分であった。
 そして、最後に残った青年の名はスケルタ。これまた、ムーンブルクから見て北東の方角に在るサマルトリア国の王子である。
 以上、やんごとなき身分の者達がこのような場所で何をしているのかと言うと……
「どうするもこうするも、渡る以外にどうするというのよ。ルプガナへ向かうならここは越えないといけないわ」
 アイリの言うとおり、彼らは海峡から北へしばらく向かった先に在る町、ルプガナを目指していた。その理由は船を手に入れるためである。
「しっかし、ムーンペタだって海が近いんだ。船くらいあってもよさそうなもんだがなぁ」
 そうぼやいたのはスケルタだ。
 彼はとりわけ体力がないようで、ここまでの道中ですっかりバテていた。もっとも、一般的の枠に入る者であれば、大抵が砂漠を越える道程に参るであろう。そのことを考慮すれば、寧ろリアスやアイリの体力に舌を巻くべきだろうか。
「何度も同じことを言わないの、スケルタ。いい加減うっとうしいわよ」
 アイリが応じた。
 そう。スケルタがあのようにぼやくのは今に始まったことではない。道中ずっと文句ともつかない先の台詞を吐き続けていたのだ。アイリはすっかり機嫌が悪くなっていた。それどころか、一度二度と言わず、十数回ほどスケルタをどついている。
 しかしスケルタは懲りずにぼやき続ける。スケルタもアイリの機嫌がすこぶる悪いことは分かっているのであるが、道中の辛さに耐え切れずついつい漏らしてしまうのだ。
 ちなみに、ムーンブルクから東に在る町ムーンペタに船が停泊していないのは以下のような理由からだ。
 すなわち、アイリの父母が使用しているためである。彼らはアイリを捜索するために、数名の乗組員と共に、ムーンペタに停泊していた数隻の船すべてを出港させた。彼らもまた同乗して。
「ルプガナにお父様かお母様か、もしくは二人ともいて下されば、あとは二人に任せて私は魔術師を追えるのだけど…… そうでなければ、たまに国に帰って状況を見ないといけないわね」
 海峡を眺めながら、アイリがため息をつく。
「ガズラスに任せればいくね?」
 リアスが尋ねた。
 ちなみに、カズラスというのはムーンブルク国の大臣である。最大の特徴は、よくズレる頭髪だろう。いわゆるカツラの愛用者なのだ。それゆえ、アイリなどはしばしば彼のことをズラと呼ぶ。
 そのアイリはリアスを一瞥し、それから肩を竦め、言の葉を繰る。
「ズラはちょっと杓子定規なところがあるわ。完全に任せてしまうのは心配ね」
「そういうもんか。面倒だな。政治ってのは」
 リアスが表情を歪めて呟くと、アイリが苦笑した。
「貴方もそのうちローレシアを治めるのよ? 他人事ではないでしょう?」
「リトリートに任せる。俺はあと十年したら隠居するぜ」
『早い早い』
 年長者二名が突っ込んだ。
 と、その時――
「きゃああぁあああぁあ!」
 絹を裂くような女性の悲鳴が木霊した。
 三名は急ぎ視線をめぐらし、そして、スケルタがいち早くその元を見つけ出す。
「あそこだ!」
 彼が指差した先は海を挟んだ対岸。やや離れた位置に在る断崖の上だった。そこでは、うら若き女性が魔物二匹に襲われていた。
 ばきっ!
「ぶふぅ!」
 そして、なぜかスケルタが殴られる。アイリに。
「……何やってんだ、アイリ」
 リアスが尋ねた。
 しかし、アイリは彼を無視してスケルタを踏みつける。
「まったく、貴方はなぜ女性を見つけるのだけはそう早いのでしょうね。そんな軽薄な性格では、貴方の御国の将来が心配で仕方が――」
「助けてぇええぇええぇえ!」
 そこで再び上がる悲鳴。
 アイリは舌打ちし、仕方がなさそうに自身のポーチを探り出す。
 そして、布キレを一枚取り出した。
「なんだ? それ」
「願いの布……と、うちの学者は呼んでいたわね。精霊への願いを意味する陣が描かれているわ」
 リアスの問いにそのように応え、アイリは取り出したばかりの布キレを両手で広げる。
 その布キレは四方三尺ほどであり、その中央にはでかでかと円が描かれていた。そして、その円内部に、余すところ無く意味不明な模様が詰まっていた。
「それ、古代文字か?」
「ええ。内容としては……精霊に対するヨイショが書かれているようよ。この陣は、現在の魔法技術では発動できない魔法を無理やり実行する際に用いるの。そのために必要なのは、まず精霊のご機嫌取り。だからこそ、ヨイショが重要なのよ」
 かつて、魔法の道に明るい者達は無意識での精霊との対話が可能であったという。そして、強力な魔法を使う際には、精霊に対して強く強く願っていたのだ。その願いこそが魔法の原点なのである。
 しかし、現在魔法を操る者達は、精霊の存在を認知するのがやっとであり、対話や願いなどする暇がないという有様である。それゆえ、魔法の威力はかつてと比べて半減しているとも言われる。
 願いの布を用いずに強力な魔法を使うことができる者――アイリを犬に変えた魔術師や、先日ムーンペタで対峙した者達は、特異な存在なのである。
「今回は風の精霊のご機嫌取りね。ルーラで対岸へ飛ぶわ」
 ルーラは現在の常識でいえば、最後に休息をとった地へと飛び立つ魔法である。飛び立つ先の細かい指定というのは不可能なのだ。しかし、アイリの言を信じるならば、『願いの布』があれば移動先の指定が可能となるのである。
 アイリはスケルタに駆け寄り手を取る。
 リアスもまたそちらへ寄った。
「さあ、スケルタ」
「おう。ルーラ!」
 光の軌跡が飛び立った。

 すたっ。  大地に降り立つと直ぐに、リアスは地を蹴って駆けた。
 そして――
「はっ!」
 今まさに女性に触れようとしていた魔物を薙ぎ払う。
 魔物は腕を深く傷つけられ、身を引いた。それにより二匹いた魔物は一箇所に集うこととなった。
 どかっ。
「きゃっ」
 リアスが女性に体当たりし、共に倒れこむ。
 それにより、リアス達と魔物達の間に距離が生まれた。
「ベギラマ!」
 その時を見計らったかのように、スケルタが力強く叫んだ。それに伴い、彼の腕から閃光が生まれる。
 閃光は空間を駆け抜け、魔物達に突き刺さった。
『ぎゃああぁああぁあああぁあ!』
 断末魔の叫びを上げ、二匹の有翼の小悪魔は倒れた。

「ありがとうございました」
 魔物に襲われていた女性が、深く深く頭を下げる。そして、リアス、スケルタ、アイリそれぞれに柔らかい笑みを向ける。
「いやなに。当然のことをしたま――げふっ!」
 髪をかきあげつつスケルタが格好をつけたが、直ぐさまアイリが殴った。
 その光景を見ていた女性は一歩引いて、口の端をひくつかせる。
「ああ。気にしないでくれ。それよりあんた、何でこんなとこに独りでいんだ? 危ないだろ」
 リアスは呆れた視線をスケルタ、アイリに向けつつ、女性に声をかけた。
「これをとりに来ていたんです」
 そう口にして、女性は数本の糸を取り出した。その糸は、太陽の光を反射して輝いている。
 雨露の糸と呼ばれるものだ。これはドラゴンの角に落ちているもので、噂では、かの塔に住まう精霊の頭髪なのだとか。
「雨露の糸を船尾に巻きつけておくと嵐でも難破しないという迷信があるんです。わたしの父は船大工なのですが、今回ラダトーム王家に船をお造りする仕事を賜ったものですから張り切ってしまって…… 普段はしない御まじないめいたことにも手を出そうと、私にとりに来させたんです」
 女性は父親から魔物対策として聖水を大量に与えられていたという。しかし、予想外にそれらを消費してしまい、ちょうど聖水が尽きたところで先程の魔物に襲われた、ということだった。
 リアスらが通りかかったのは彼女にとって僥倖であった。
「船大工…… ああ。そういえば貴女、船大工マルコの娘ですね。名は確か――」
 そこでアイリがふと気がつき、言った。
 女性は落ち着いた様子で一度礼をし、その先を次いだ。
「ラケリスと申します。アイリ様」
「あら。気づいていたのですね」
 意外そうに笑うアイリに、ラケリスもまた笑いかける。
「勿論ですわ。アイリ様こそ、わたしなどのことを覚えていてくださるなんて、ありがとうございます」
「貴女の父は優秀な船大工ですからね。そうなれば、その娘である貴女もまた記憶に残ります」
 父を褒められると、ラケリスは照れくさそうに笑った。そして、深く頭を下げる。
「ところでアイリ様。そちらの少年と、アイリ様のおみ足の下敷きになられている男性は……?」
 尋ねられると、アイリはにこやかに口を開く。
「ああ。こちらはローレシア国の第一王位継承者、リアス=ローレシアですよ」
「よろしくな」
 リアスが満面の笑みを浮かべ、片手を差し出した。
 ラケリスは瞠目し、震える手で王子様の手を取り、それからパっと離れてスカートの裾を軽くつまんだ。
「あ、あの…… ご機嫌麗しゅう、リアスさ――」
「そういうの面倒くせえからなし。な?」
 再びリアスが笑いかける。
 ラケリスはアイリに一度視線を向ける。
 アイリは苦笑しながら頷いた。
「かしこまりました。リアス様」
「おう」
 ローレシア国王子の紹介がいち段落つくと、アイリは自分の足元に視線を向ける。
「そしてこちらが、サマルトリア国の第一王位継承者、スケルタ=サマルトリアです」
「え!」
 先程よりも更に驚いた様子で、ラケリスが声を上げた。
 アイリとスケルタの現在の様子を目にすれば、当然の驚きだろう。

「ところでラケリスちゃ――がはっ!」
 ルプガナへの道中、スケルタがラケリスに話しかけようとするたび、彼は奇妙な擬音と共に言葉を中断せねばならなかった。その理由は――言うまでも無いだろう。
 アイリがスケルタの首を絞めている一方で、リアスがラケリスに声をかける。
「ルプガナにアイリの父ちゃんと母ちゃんは行かなかったか?」
「国王様と王妃様ですか? いえ。使者の方の船が来て、市長さんに相談はされてましたけど……」
「そうか。とすると、ラドルフのおっちゃんらは違うとこに向かったのか…… ラダトームあたりかねぇ」
 面倒くさそうに呟いたリアス。
 その隣を歩きながら、ラケリスは土気色になっていくスケルタの顔色を心配そうに見つめていた。
「ちょ…… ア……リ…… まじ……やば……」
「大丈夫ですよ、スケルタ。その辺りは心得てますから。さあ、死なない程度に頑張りましょうね」
「……かえ……たい……」
 王子様は頬に一筋の光を流し、旅に出てから何度目になるか分からない台詞を吐いた。


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