第十五話:海に響く辛苦の声

 ルプガナ。古代から船舶による通商で栄える町である。造船技術にも長け、町長には最も優秀な造船技師が選ばれる。
 ゆえに、造船技師マルコ=シップビルダーは、この町の長なのである。
 そのマルコの娘、ラケリスが町の門を潜る。彼女に導かれて姿を見せるのは少年と少女である。
 1人は10代前半くらいの少年。硬そうな黒髪と、気の強さを思わせる真っ黒な瞳が印象的だ。
 そんな少年の後ろを歩むのは、10代後半から20代前半程度の青年。薄い色の長髪と切れ長の瞳は、軽薄な印象を人に与える。
 そして最後に、青年の隣で歩を進める10代後半くらいの少女。紫色をした流線型の髪と瞳が人目を引く、美しい少女だ。
 彼らはそれぞれ、ローレシア国王子リアス、サマルトリア国王子スケルタ、ムーンブルク国王女アイリである。
 遠くローレシア国やサマルトリア国の王子となると、この町の人間は大抵顔も見たことがない。しかし、近隣の主要国ムーンブルクの王女ともなれば、顔くらいは見たことがある。
 そこかしこでザワザワと声が上がった。
 と、それとは別に、物騒な声が聞こえてくる。物が壊れる音、悲鳴、そして、下卑た笑い声。
「? 何だ?」
 訝しげに、リアスが言った。
 スケルタやアイリもまた首を傾げている。
 一方で、先導するラケリスは辛そうに顔を歪めた。
「ラダトーム国の兵士たちです。酒場で暴れているのでしょう」
「ラダトームの? 何故この町に――」
 眉根を寄せるアイリ。
 その言葉を遮って、路傍の酒場の扉が乱暴に開いた。
 がんっ!
「ひっく。たくよぉ、サービスの悪ぃ店だぜ。ま、今日のところは勘弁してやるけどよぉ。俺様が優しくてよかったなぁ?」
「だっはっはっ! 半殺しまでやっといて、優しいが聞いて呆れるぜ!」
『ぎゃはははははは!』
 赤ら顔をした鎧姿の男たちが姿を見せた。彼らが出てきた店は、扉の隙間から見える範囲だけでも酷い有様である。
 ラケリスが表情を歪めた。
「おっ。町長殿のご息女ではございませんか。どうです? 我らと楽しみませんか?」
 兵士の1人が目ざとくラケリスを見つけ、声をかけてきた。歩み寄り、乱暴に手を取ろうとする。
 ばしっ。
 鋭い音が響いた。
「つっ! な、何すんだ!」
「ふん。武人が女性に対する態度とは思えないね。無事かい? ラケリ――ぶふぅ!」
 ばちぃん!
 先ほどよりも一層鋭い音が響き、兵士の手を弾いた男――スケルタの頬を、強力な平手が叩いた。
 彼は地面に突っ伏すこととなり、更には、ぐりぐりと力一杯踏みつけられている。
「毎度のことながら、貴方は女性を助ける時だけは無駄に行動力がありますねぇ。どういうことなんですかねぇ、スケルタ?」
「ちょ、い、いたっ。アイリ、やめて!」
 目の前で突然始まったSM劇にその場の誰もが呆けた。
 ふぅ。
 一方で、慣れているリアスのみは、ため息をついて頭を抱える。
(こいつらはいつもながら……)
「い、行こうぜ。付き合ってられねぇよ」
「そ、そうだな」
 ぞろぞろと去っていく兵士たち。
 そのような彼らを、アイリは冷たい瞳を携えて見送った。スケルタを踏みつけながら。

 ラケリスの父、マルコの船工房に辿り着くと、想定外の事実を突き付けられた。
「船が、ない?」
 不機嫌さを丸出しにして尋ねたアイリに、マルコは申し訳なさそうに頭を下げた。
「申し訳ございません、アイリ様。ラケリスを救って頂いた手前、是非ともご協力させて頂きたいのは山々なのですが、このところ、ただ1隻に注力しており、今すぐご提供できるような余分な船は――」
「ならばその1隻を貸しなさい。用が済めば返します」
 にべもなく言うアイリ。
 マルコは困った様子で頬を拭った。緊張で汗をかいている。
「い、いえ。それはラダトーム王家から依頼された特別な船でして、いくらアイリ様でも――」
「私の命が、きけないと?」
 にこり。
 静かな笑みがアイリの顔に浮かんだ。しかし、目は笑っていない。
(相変わらず怖ぇ……)
 リアスとスケルタ、王子2人の頭に、同じ思いが浮かんだ。
 と、その時――
 ばぁん!
 船工房の扉が乱暴に開け放たれた。
「町長殿はおられますかな?」
 丁寧な口調ながら、どこか粗雑さを含んだ声音が響いた。瞳を向けると、兵士姿の一団が姿を見せている。先ほども目にしたラダトーム国の兵士である。
「い、イディオット殿」
「船はまだ出来ないのですかな? 皆、そろそろ痺れを切らしておりましてね。少々やんちゃが過ぎる始末。それもこれも、町長殿のお仕事が遅いせいですぞ」
 一団の先頭を歩き、イディオットという名の兵士が言った。
 ラケリスが憎らしげに睨み、ギリっと歯噛みした。
「おや。ご息女様はいつもながらご機嫌斜めのようだ。いけませんな。せっかくの可愛らしいお顔が台無しだ」
 肩を竦め、イディオットが言った。彼はラケリスの前まで歩みを進め、そして――
 ばぢいぃんッ!
 凄まじい音が響いた。
 皆、きょとん、と瞳を瞬かせる。それもそのはず、なぜかアイリがスケルタを思い切り叩いたからだった。
「……何してんだ、アイリ」
「いえ。スケルタが助平心丸出しでラケリスを助ける前に、叩きのめしただけです」
 床で伸びるスケルタを睥睨し、アイリは言った。
「ああ! さっきの暴力女!」
 兵士の1人が叫んだ。先ほども見た顔だ。一応は仕事中だというのに、未だ赤ら顔である。
 アイリはそのような彼らを嘲笑し、それから、マルコへ瞳を向ける。
「マルコ。ラダトーム王家へ献上する船とやらは、彼らが国へ運ぶのかしら?」
「は、はい。左様です」
 にいぃい。
 返答を受けると、アイリは口の端を持ち上げ、嬉しそうに、本当に嬉しそうに笑った。
(うっわぁ。あいつら可哀想)
 その笑みの意味を知る少年は、青ざめ、兵士連中へ憐憫を込めた瞳を向ける。
 そして、アイリはにこやかな表情のままイディオットの前に立った。
「イディオットと言ったかしら? あなた方の指揮官は誰?」
「俺だが……なんだ、お前は?」
 誰何を無視し、アイリは意地の悪い笑みを顔いっぱいに浮かべる。
「まぁ、貴方のような低能が指揮官だなんて…… とてもではないけれど、この船が無事にラダトーム王へ献上いただけるのか非常に不安ですわ」
 失礼な言葉の波。それを紡ぐ時でさえ、アイリは常ににこやかであった。
 ゆえに、兵士たちは何を言われたのか、直ぐには理解できなかった。しかし、ようよう言葉の意味を把握するに至る。
「な、なんだと! 貴様! 町娘の分際で……!」
 すらりと腰の剣を抜くイディオット。他の兵士もそれに倣う。
 十数名の殺気がアイリに向かう。一国の王女を町娘と誤解したまま、取り返しのつかない所業を為そうとしていた。
 しかし、当の王女は相も変わらず楽しそうに微笑んでいる。
「まあ、怖い。こんな怖い目に合って、何もご褒美がないのではつまらないわ」
 突然不可思議なことを口にするアイリ。
 兵士連中も戸惑った様子だ。
「そうだわ。この状況を切り抜け、貴方がたに『参った』と言わせたら、私どもをこの船に乗せてラダトームへ連れて行って下さらない?」
 突然、いいことを思いついた、という風に提案をしたアイリを瞳に入れ、兵士たちのみならず、マルコやラケリスもまた、ぽかんと口を開けている。
 そして、しばらく経つと兵士たちが声を上げて笑った。イディオットが代表して口を開く。
「くくく。いいでしょう、お嬢さん。いや、そうだ。仮にそのような奇跡が起こらずとも、船旅に退屈せずに済むように貴女をお連れすることといたしましょう。ねえ、お綺麗なお嬢さん」
 ぞくっ。
 ラケリスの背を悪寒が走る。彼女自身に向けられていないとはいえ、イディオットの下卑た視線は気分を最悪にさせた。
 一方で、アイリは未だ微笑みを崩さない。
「では、決まり――ですね」
 笑みが、深くなった。

「はあぁあ!」
 剣も抜かず、拳のみを携えて兵士たちを叩きのめす王子様。
「バギ!」
 びゅううぅう!
 王女様の詠唱に伴い、激しい風が吹き荒れる。
 昼下がり、マルコの船工房から悲鳴が上がった。

 数分後、兵士たちは全員床に転がっていた。或いはアイリの風の魔法を身に受け。或いはリアスの驚異的な力にねじ伏せられ。
 勝負は既についていた。しかし――
「ま、まい……ふぐぅ!」
 降参しようと言葉を発したイディオットの口に、その辺りに落ちていた薪を突っ込むアイリ。
「あらあら。何ですか? 聞こえませんね」
 にこやかにそう言い、アイリは腰を屈めた。
「ふんふん。暑いから服を脱ぎたい? なるほどなるほど。リアス、手伝って差し上げて」
 にこり。
 満面の笑みを浮かべて振り返るアイリを瞳に入れ、リアスは嘆息した。逆らうと自分が酷い目に合うのは目に見えているため、従う。勿論、イディオット自身が気に喰わないという事情もあることはある。
「ん、んん……」
 その時、スケルタが呻きながら瞳を開けた。
「あら、目を覚ましましたね、スケルタ。貴方も手伝いなさい。兵士たちの服を剥くのよ」
「は? 何でそんな――」
「いいからやりなさい」
 ぴしゃりと言い放った王女様。王子様はそれ以上は何も言わず、言われた通りに行動する。
 船工房にパンツ一丁の男たちが転がった。
「んぐんぐ」
 全員の口に薪やらゴミやらが無理やり詰め込まれているため、うめき声しか聞こえない。中には泣いている兵士もいる。
 しかし、そんな者たちに一切の同情もみせず、アイリは相も変わらずにこやかに命を下す。
「では次は、彼らを町の真ん中に運びましょう。さあ、スケルタ」
 そう口にして、彼女は願いの布と呼ばれる魔法力増強アイテムを手渡す。
 スケルタは小さく嘆息してから、それを受け取り、
「おーけー、広場でいいな。そんじゃ…… ルーラ」
 風の呪文を唱え、彼はその場に居るものと共に光の軌跡となった。

 その日、ルプガナの町の広場は、公開SM場となった。
 数名は兵士たちに襲い掛かる惨状を瞳に映して気を晴らしたが、大多数は寧ろ同情を禁じ得なかったとか。
『やり過ぎだろ』
 王子2名の呟きだった。

 数日後、精神崩壊した兵士数名を船中の牢獄に隔離し、ムーンブルク国王女を主とした船が出港した。目指すはラダトーム国。
「キリキリ働きなさい。手を抜いたら海に放り投げるわよ」
 にこり。
 微笑みを浮かべてティーカップを傾ける王女様。
『はい! 姐さん!』
 洗脳済みの兵士たち。
 その光景を瞳に映し、王子たちは――
 はあああああぁああぁあ……
 再三のため息を、深い深いため息をついた。


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