第十六話:邪なる力が隠れし時

 豪雪が降りしきるロンダルキアの地に1基の塔がある。天を突くその建造物は、本日、平素にない騒々しさに満ちていた。
 甲高い声音が笑い声を響かせ、時にドスの効いた声で叫んでいる。騒ぎの元凶は、金の髪と金の瞳を携えた女性であった。
「ぎゃはははは! 雪見酒ってぇのも乙なもんね! おらぁ! 酒が足らんぞ! 酒があっ!」
 機嫌の良さそうな顔から一転、女性は目つきを鋭くして怒鳴り散らす。
 すると、大広間を巨体の魔物が駆けてくる。一つ目の厳つい外見からは想像もできない弱弱しい声音で、はぁい、ただいまぁ、と情けない言葉を吐いている。また、彼の足元を優男風の男性もまた駆けている。
 巨人は大量の酒樽を腕に抱え、男性は山ほどの料理を盆に載せてやってきた。
「はい。どうぞ、アマンダ様。先ほどルーラで仕入れてきました、ベラヌール産の魚介ですよ。こちらはサマルトリア産の鶏肉。いずれも味は濃い目、辛味も強くしています」
「こ、こっちはラダトーム産の古酒と、ルプガナ産の葡萄酒。それぞれ10樽分です」
 目の前に大量の酒とつまみを置かれ、女性は――アマンダは相好を崩した。嬉しそうに舌なめずりをする。
 その隣では、中年の男性と、猿のような化け物が苦笑していた。それぞれ、ベリアル、バズズという名だった。ちなみに、巨人はアトラス、料理を持ってきた男性はキースという名である。
「ラダトームの古酒とはいいもん隠し持ってるわねぇ、あんた。それにキースの料理も旨そうじゃない。まぁた腕上げたわね。器用貧乏な竜よね、まったく!」
 バシバシ!
 キースの背を強く叩いたアマンダは、さっそく酒樽から酒を掬った。そして、そのまま一気に呷る。まるで水を飲むように胃の腑におさめていく。
「化け物か、この精霊…… ベリアル、いいのか?」
「なに。酒は飲んでこそだろう。時にバズズ。ハープはどうした?」
 尋ねたベリアルから視線を逸らし、バズズは情けない顔になった。そして、瞳を遠く、柱の陰に向ける。
「姉者ならばあそこだ」
 柱の陰から鋭い視線を送る女性が居た。その視線の先には、アマンダがいる。
「何をやっているのだ、あの子は」
「人見知りに加え、アマンダ殿を敵視しているのだろう。ベリアルに馴れ馴れしいからな」
 ふぅ。
 ベリアルはため息を吐き、首を振った。
「いい加減親離れして貰いたいものだな」

 ドタドタドタ。
 巨体が広間を駆け抜ける。酒樽を全て置き、酒を飲まされそうになるのを辛うじてかわして逃げてきたアトラスである。
 彼は柱の後ろで呪詛を呟いている姉に心配そうな瞳を向ける。
「姉さん、こっちに来ないの?」
「行くわけないでしょ! 私のベリアルさんに色目を使う女狐と同じ空気を吸うなんて……! 女狐め! 殺してやる……! 殺してやる……!」
 鬼気迫る表情で叫ぶ姉。がっがっ、と柱に拳を打ち付けている様は異様のひと言である。
 正直なところ少し怖いな、と弟は思った。一方で、仕方ないなぁ、とため息をつく。
 彼女のこのような様子は今に始まったことではない。気にしないのが吉だ。
「アマンダさんはちょっと怖い人だけど、義父さんに色目を使うとか、そーゆー感じじゃないみたいだけど…… それにキースさんはいい人だよ? 姉さんもお話すればきっと気に入ると思うな」
 厳つい顔に柔和な人懐っこい笑みを浮かべ、アトラスが言った。
 そう言われると、姉――ハープも言葉を詰まらせる。気を使って声をかけに来てくれた弟の言葉を信じられないほど、彼女もひねくれてはいなかった。
「そ、そこまでアトラスが言うなら、ちょっとだけ参加してあげてもいいけどね。女狐が色目を使うのを妨害するにも、近寄った方がいいと言えばいいし」
 すっ。
 仕方ないなぁ、という風に、それでいて、若干嬉しそうに柱の陰から這い出すハープ。もじもじと両の手を交差させている。
 そうしながら、瞳を宴の席へ向け――
 ぞわっ。
 唐突に強大な魔力が辺りを満たした。
「ね、姉さん?」
 アトラスは瞠目し、姉を見る。
 姉は瞳をギョロリと剥き、強い殺気を放っていた。彼女の視線の先では、アマンダがベリアルにしがみつき、絡んでいる。色気のある雰囲気では決してないが、恋する乙女を悪鬼へと変貌させるには十分な光景であった。
 ぶつぶつぶつぶつぶつぶつ。
 早口で呟き、魔力を解き放とうとするハープ。彼女が口にしているのは、古文書から読み解いた古代の強力な魔法であった。この塔を半壊させるだけの破壊力は生み出すはずである。
「逃げてー! 義父さんとアマンダさん、超逃げてー!!」
 涙目で弟が叫んだ。

 ぐいっ。
 酒を呷り、アマンダは床に転がって寝息を立てる女性を見つめた。実年齢は30歳を超えているが、異常な魔力を身に宿らされたおかげで、10代にしか見えない女性。正式な名を、ハープ=ゴーラ=リン=デルコンダルと言った。
「ロトの子孫は餓鬼と軟派と腹黒だわ。ここの姉弟は魔力を無理やり注入されて半精霊化したり魔物化したりしてるわ。この時代も色々と面白いことになってるわよねぇ。ひっく」
 呟かれた声を受けて、ベリアルはハープの体に毛布をかけながら嘆息した。
「この子も、バズズもアトラスも苦しんでおるのです。『面白い』で片付けないでいただきたいものですな」
「別に深い意味がある発言じゃないわよ、真面目なおっさんね」
 ぐびぐび。
 もはや丸1日ほど酒を飲み続けているというのに、アマンダは相も変わらず水のように酒を飲む。そして、苦笑した。
「この状態になってしまったヒトを元に戻すとなると、願いの根幹たる魔力自身であるアイツが必要なのは確かね。希望に応えて力を得るラーミアは、その子たちの願いを叶えるに足る魔力を取り戻していない。そうなると、絶望に呼応する彼の出番、か」
 100年ほど前に1度、とある願いを叶えて世界に霧散した魔力。彼はわずかの時を経て、再び強大な力を得るに至っている。そろそろ、その力を発散させる必要があるだろう。
 しかし――
「アイツを入れた像の行方が少し前から知れない。アイツ自身が邪な意思を抱くことはもう無いのは確実だけど、アイツの力に魅入られた馬鹿が邪悪な願いを叶えるために暗躍している可能性はある」
 呟きが静寂な夜に響く。
 しばし、ハープやバズズ、アトラスの寝息のみが響いた。
 スタスタ。
「アマンダ様、お酒をお持ちしました。けれど、そろそろお止めになられた方が…… 流石に飲み過ぎかと。アリシアに叱られますよ?」
 階下から戻ってきたキースが言った。
 ちなみに、アリシアというのは彼の娘である。キースと同じ竜族ではあるが、彼よりも竜の血が薄く、父たる彼よりも年上に見える。
 アマンダはそのアリシアに、再三禁酒を求められていた。
「あんたが言わなきゃいいのよ。それより、例の像の行方はやっぱ分からないわけ?」
「ええ。ドルーガも分からないと言っていましたことですし、魔力を隠ぺいする何かしらの措置を何某かが施したと見て間違いないと思います」
 真面目な顔を携えて応えるキースを瞳に入れ、アマンダは嘆息する。
「久しぶりに面倒なことになってるわねぇ、まったく」
 ごぉ、と風の音がロンダルキアを満たす。不安が雪の夜を駆け抜けた。


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