第十七話:小さな絶望の影

 順風満帆な船旅の末、リアス、スケルタ、アイリの3名は無事ラダトーム港へ入港するに至った。ムーンブルク王家所有の船舶が舫われている様子がないことから、ラダトームにアイリの父母は居ないものと思われたが、彼らは念のため聞き込みをすることにした。アイリの下僕と化したラダトームの兵隊たちとはそこで別れ、ラダトーム城下町へと繰り出す。
 ラダトームの町は20年以上前までは、明確に城と町に分かれて建てられていたという。しかし、近年になって全ての建造物が城壁の中へと移動された。近辺の魔物の活性化が一因ではあったが、一番の原因は国王にあったという。
「ラルス陛下は相変わらず引きこもっておられるのかね」
 呟いたのはスケルタだ。
 一方で、リアス、アイリは訝しげに眉を潜める。
「? ラルスって、この国の王だよな?」
「引きこもってるの?」
「ああ。魔物が怖いらしい。このところ、魔物の凶暴化が進む一方だし、さらに根性入れて引きこもってるんじゃないかね」
 なけなしの根性を引きこもることに費やすのは如何なものかといったところだが……
 呆れた様子で、ロトの子孫たちがそれぞれ沈黙する。彼らはロトの子孫であるアジャスと、ラダトーム国のローラ王女の直系である。当然、ラダトーム王家の血をも引いているのだからして、何とも複雑な心境であった。
 しかし、そうして沈黙してばかりもいられない。気を取り直して、アイリが口を開く。
「……ふぅ。まあ、親戚の腐った性根を憂えている場合ではないわね。別々に行動して聞き込みしましょう。お父様とお母様が訪れていないのであれば、さっさと他の国へ向かいたいところだし」
 その言葉を皮切りに、ローレシア国王子、サマルトリア国王子、ムーンブルク国王女はそれぞれ、ラダトーム城下の方々へと散っていった。

 リアスは早速、時間をもてあましていた。話を聞く人全てが、彼を子供扱いしてまともに対応してくれないためだ。身分を明かせばもう少し違った反応が期待できるのだろうが、それはそれで面倒くさい。
「ま、いいか。スケさんとアイリに任せよう。そうと決まれば、適当に観光すっかな」
 そう呟いて、12歳の年若い王子は武器屋を目指した。剣を扱う者として、武器屋の品揃えは多少なりとも気になるところだ。
 しかし、進めた歩みは直ぐに止まった。
「……何だ? あのガキ」
 自分も子供だろうに、リアスは建物の陰に身を隠している少女を瞳に入れて失礼なことを呟いた。少女の身につけている衣服は最高級の絹織物であり、栗色の長髪を飾るのは純銀の冠である。やんごとなきご身分のお方であることが窺えた。
 その少女が熱い視線を送る先には――
「……スケさん……だな……」
 先頃まで行動を共にしていた親戚の姿があった。
 スケルタ=サマルトリアの御年は20歳。対して、桜色の頬をした少女の年は高く見積もっても10歳といったところだろう。
「そういった系統の犯罪者が親戚から出るのはちょっと……なぁ?」
 誰にでも無く問いかけ、少年は頭を抱えた。

 アイリは路地裏で立ち止まった。すると、彼女の後をつけていた気配も動きを止める。
「どのようなご用件か、伺ってもよろしい?」
 微笑み、ムーンブルク国の王女は声高に尋ねた。
「……答える義務はございませんな」
 息を潜めていた者が物陰から姿を見せて、言った。表情はきわめて硬い。
 一方で、アイリは不敵に嗤う。
「あら、そう。それでは……」
 びゅっ。
 風が駆け抜けた。魔力により喚び起こされた空気の流れは、刃となりて追跡者を襲う。
「バギ!」
 風刃は追跡者の肌を浅く傷つけ、小さな恐怖を植え付ける。
 そして、その恐怖によって生じた隙をつき、アイリが駆ける。杖を中段に構えて、勢いよく振り抜いた。
 がんッ!
「ぐっ」
 追跡者を地面に押しつけて、杖の柄で首に圧力をかける。アイリの体重が比較的軽いとはいえ、全体重を乗せて押さえつけてしまえば、そう簡単にふりほどけるものではない。
「この状態で風の魔法を使えば、この方の頭と胴がお別れよ。それが嫌なのでしたら、他の方々は大人しくなさってくださいね」
 輝く笑みを浮かべてアイリが言うと、暗がりからぞろぞろと人が姿を見せた。全員険しい表情を浮かべて、地面に転がるアイリと彼らの仲間を睨んでいる。
「さて。まずは事情を伺いたいところね。このように監視されるのは何故かしら?」
「……………」
 尋ねられても、組み敷かれた男は沈黙を続けた。まわりに居る者たちも同様である。
 すると、意外にもアイリが機嫌良さそうに笑んだ。
「あら。強情ですわね」
 輝かんばかりの笑顔を浮かべたムーンブルク国王女は、明るい声で言った。その表情は、新しいおもちゃを手に入れたおさなごのようであった。

 武器屋の2階に赴いて、スケルタは品良く一礼した。彼の前には、ラダトーム国王ラルス19世のお姿があった。
「久しいな、スケルタよ。キドニア殿はお元気かな?」
「はい、ラルス様。お陰様で。父も近いうちに挨拶に参上すると申しておりました」
 サマルトリア国は近年、ラダトーム国との国交を重視している。スケルタの父、キドニア=サマルトリアは、ラダトーム国の王位継承権第2位であるリューン王女とスケルタを婚約までこぎつけたいと考えているのだ。
 一方で、ラルス19世はサマルトリアの資金力と軍事力を当てにしている。ラダトーム国は長い歴史の中で国力を疲弊させており、残っているのは長く続く伝統のみという具合だ。そのため、他国との協力関係を結ぶことを望んでいるのだ。
「そうか…… して、貴殿の此度の来訪は如何な用向きだ?」
「1つだけお教え下さい。我が姉妹国ムーンブルクのラドルフ王とエリシェット妃が御国を訪れてはおりませぬか?」
 スケルタがそのように尋ねると、ラルスが顔を顰めた。
「キドニア殿からは、貴殿とアイリ姫の婚約は無かったことにする、と伺っておるが?」
「……アイリ姫との婚約の是非は関係ございません。親類の安否を気にせぬなど、人道に外れておりましょう」
 ほんの少しだけ逡巡してから、スケルタが言い切った。
 ラルスは眉をしかめながらも、大きく頷く。
「まあよい。ラドルフ殿、エリシェット殿の両名が我が国を訪れたか、だったな。そのような報告は受けておらぬ。……以上だ。下がってよい」
「はっ。失礼いたします」
 心持ち機嫌を損ねたように見えるラルスを刺激せぬよう、スケルタが低頭して踵を返す。そして、無駄ともいえる程に装飾された隠し部屋を辞する。

「スケルタさま…… お父さまに何のご用かなぁ? リューンには会いにきてくださらないのかしら…… さみしいなぁ……」
 武器屋の前をウロウロしつつ、少女が呟いた。
 リアスは彼女を背後から観察し、独り得心する。彼女がこの国の王女リューンか、と。しかし、彼女が何をしているのかは理解出来ない。
「なあ、何やってんだ?」
「ひゃっ! あ、あなた、だれ?」
 涙目で飛び上がる王女に、リアスは面倒そうに自己紹介をする。
「ローレシア国第1王子リアスだ。よろしくな」
「……リアス? ローレシア? し、侵略!?」
 青い顔でリューンが叫ぶ。
 彼女の言葉を耳にして、リアスは焦った様子で、全力で首を振った。
「ま、待て待て! 違ぇよ! 話飛びすぎじゃね? 別に侵略なんてしねえって。何でそうなんだよ」
「……だ、だって、ローレシア、ムーンブルクは敵国で、つねにリューンたちの国をねらってるって、そう習ったもの」
 ラダトーム国王女様の御言葉に、リアスは頭を抱えた。
 ラダトームがローレシア、サマルトリア、ムーンブルク三国を田舎国扱いしていることは知っていた。しかし、ここまで敵対意識が顕著だとは思ってもみなかった。
「んなことしねえよ。うちもムーンブルクも、土地、食料は充分。ラダトームを侵略する理由がねえ。つーか、サマルトリアは敵国じゃねえの?」
「そ、そんなわけないでしょ! スケルタさまのお国がリューンの国の敵なんてありえないもん!」
 甲高い声で叫ぶ少女を瞳に入れて、リアスは小さくため息をついた。
(スケさんのこましっぷりはこんなガキにも有効なんか…… 世も末だねえ)
 どぉん!!
 その時、城下の1区画から爆炎が上がった。
「な、なんだ!?」
「やややや、やっぱり侵略――」
「違うっつってんだろ! お前はそこを動くなよ!」
 リアスは剣を抜き放ち、怯えた表情をの王女様をその場に残して駆け出した。

「くっ。ベギラマを使える奴がいるとは、軍でも動いてるの?」
 ひゅっ! ひゅっ!
 咳き込んでいるアイリに向けて、光の筋が複数襲いかかる。先ほど炸裂した閃光呪文よりは1段劣るギラであろう。
 アイリは直ぐに駆け出して、その攻撃をかわす。
「ちょ、ちょっと待て! 俺を巻き添えにするなよ!」
 大地に伏した男が文句を言った。アイリが人質にとっていた者である。
(攻撃の激しさから、彼に多少気を遣っているようではあるけど…… 私を葬るためなら巻き添えも辞さないという心づもりみたいね。ラダトーム国とここまで敵対していた記憶がないのだけれど)
 そのように戸惑いつつも、アイリは相変わらず笑みを零している。正当防衛の名の下に、気にくわない人間をいたぶるのは嫌いでない性質なのだ。
「魔術師団! てえ!」
 再び、閃光が空間を駆け抜ける。アイリを目指して破壊の光が飛んだ。
 しかし、当のアイリは落ち着いたものである。
「バギ!!」
 力強い言葉に伴って、旋風が街路を縦横無尽に駆け回った。破壊の魔力は霧散し、あるいは建物を破壊し、あるいは術者自身の元へと戻って破裂した。
「構え! てえ!」
 直後、今度は一斉に矢が放たれた。凄まじい速度で、銅の矢尻がアイリに迫る。鮮血が大地を染めようかという、その時――
「はあ!」
 瞬時に飛び出した少年が、飛び来た矢を真っ二つに切り捨てた。
「あら、リアス。よいタイミングね」
「のんきだな、アイリ。まあ、お前ならあのタイミングでも自分でどうにかしたんだろうけどよ。……つか、どういう状況だよ、これ?」
 駆けつけたローレシア国王子に尋ねられると、ムーンブルク国王女は肩をすくめて苦笑した。
「さあ? ムーンブルクは今つぶれかけだし、ここで王女を亡き者にして息の根を止めようとしてる、とか?」
「……ふぅん。まあ、真実はどうあれ、逃げようぜ。さすがに分が悪いだろ」
 剣術や魔術に自信のある2者が揃っているとはいえ、相手はざっと数えても10名以上である。更に言えば、時間が経てば経つだけ増援が来ることも考えられる。持久戦になれば、数で劣っているリアスたちが不利だ。
 アイリはもっと相手を痛ぶってやりたい気分だったが、リアスの言っていることももっともだ。大人しく引くことにした。
「では船着き場まで引きましょうか。乗ってきた船を奪って、旧竜王の城にでも向かうとしましょう」
「おう! スケさんはどうする?」
 リアスの問いかけに、アイリは小さく笑む。そうしてから、手の平に魔力を集めた。そして、放つ。
 どどどどんッ!
 小さな光弾が多数放たれ、武器屋方面に着弾した。
「ふぅ。これでいいでしょう。未完成の呪文ですから再起不能になったりはしないはず。直ぐに追ってくるでしょう」
 そう言って、アイリはにっこりと微笑む。そして、船着き場へと足を向けた。飛び来る閃光や矢をバギで弾くことも忘れない。
(……今の、スケさんに向けて放ったんか。あの王女さん、大丈夫か?)
 武器屋にはリューン王女が居た。彼女に着弾してやいないか、リアスとしては心配だった。一方で、スケルタの心配は微塵もしていない。
(まあ、スケさんなら王女さんをちゃんと庇うか。ともかく、俺らは逃げるとしますかね)
「リアス! 早くなさい!」
「ああ! 今いく!」
 アイリの呼びかけに応えて、リアスもまた駆け出した。

「す、スケルタさま…… 大丈夫ですか?」
 涙目で尋ねるリューン王女に、スケルタは優しく微笑みかける。ところどころ焦げているのがどこか滑稽であった。
「大丈夫だよ、リューン。君こそ大丈夫かい?」
「……ええ、スケルタさまが守って下さったので」
 頬を紅く染めて、姫君が言った。
 すすだらけの髪をかき上げて、サマルトリア国の王子様が爽やかに笑む。
「よかった。それじゃあ、俺は行くよ。また今度ね」
「は、はい! スケルタさま!」
 小さく手を振って去るスケルタに向けて、リューン王女は目一杯手を振る。無邪気さが何とも好ましい。
(アイリも昔はあんな風に素直だったもんだが…… 何でまた、爆発呪文をぶつけて撤退を知らせるような娘に育ったのやら…… まあ、俺のせいってのもあるけどさ)
 はあぁあ……
 痛む身体に回復呪文をかけつつ、スケルタは船着き場に向かう。爆発呪文を食らって、なぜアイリの意図を正確に察せられるのかが不思議ではあるが、そこは2人の間にある絆の為せる業なのだろう。
 こうして、ロトの子孫たちはラダトーム国から追い立てられ、かつての宿敵の住まい――竜王の城へと向かうことになった。


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