第十八話:世代を越えた知己

 ラダトーム城と旧竜王の城の間にある海峡を、ラダトーム国旗を掲げた船舶が行く。しかし、船の主はラダトーム国民でない。
「姉御! 接岸用の小舟が準備できやしたぜ!」
 乗組員の1人が叫んだ。
 姉御と呼ばれたのは、ムーンブルク国王女アイリである。彼女の右隣にはサマルトリア国王子スケルタ、左隣にはローレシア国王子リアスが居た。彼らはラダトーム港で船舶を奪い、ラダトーム兵士の数名を拉致して乗組員としていた。
「ご苦労さま。では、貴方がたはここで待機していなさい。ラダトームからの追っ手が来たら、上手く誤魔化しておくように」
『はいっ! 姉御っ!』
 ラダトーム国王ラルス19世陛下に仕えていたはずの皆様は、すっかり調教されてしまったらしい。
 元兵士たちを残して、ロトの子孫たちは身を隠すために祖先の宿敵の根城を目指した。

 門扉を開け放つと、城内からは魔物の気配が漂ってきた。
「腐っても竜王の城か。魔物くらい居るわな」
「とはいえ、別に奥深くまで探索する必要があるわけでもなし。状況が落ち着くまで入り口付近でぐだぐだしようぜ」
「そうね。ラダトームからの追っ手もせいぜいが船を取り戻しに来るくらいで、この城まではやって来ないでしょう。船に残してきた奴らが反逆罪に問われて楽しいことになれば御の字ね」
 リアス、スケルタ、アイリがそれぞれ言った。
「……それ、御の字じゃなくね?」
「言うな、リアス。今さらだ」
 呆れた王子と諦めた王子、それぞれが呟く。彼らの親戚である王女様は、いつも通り残酷だ。
「まあ、どうでもいいわ、そんなこと。それよりも、ここにはどのくらい居る? あまり気持ちのいい場所ではないし、ずっとここで時間を潰している場合でもないでしょう?」
 勝手にやって来た割には、好きなことを言っているものだ。呆れながら、スケルタが応じる。
「しばらく休めば、ラダトーム城下の戦闘で使っちまった魔力も回復するからな。そうしたらルーラでムーンペタにでも行こうぜ。その時に船がまだあるようなら持っていけばいいだろ」
「そうね。それが無難かし……ら……」
 突然、アイリが呆けた。そうしてから、ようよう顔中に笑みを浮かべる。その笑顔は、しばしば悪魔の微笑みと称されるものである。
 スケルタが訝りながら、アイリの視線を辿る。
「どうした? ん……女の子? って、どうしました? 顔色が――ぶふぅ!」
 スケルタはいつも女性に親切である。それゆえ、竜王の城内部にて顔色悪く佇んでいる黒髪の女を瞳に入れ、いつも通り心配そうに声をかけた。結果、いつも通りにアイリに殴られた。
 びくっ。
 女が怯えたように肩を跳ね上げる。
「あー。悪いな。こいつらのことは気にしねぇでくれ。つーか、あんた――」
「リアス! 離れなさい!」
 アイリはリアスへ警告し、大気中の魔力を集める。その魔力を風の精霊に渡して、刃へと転じるよう願った。
「バギ!!」
 鋭い空気の流れが城内を駆け抜け、柱の1本を切断した。しかし、刃は勢いを止めることなく直進し、女へと襲いかかる。
 リアスは寸でのところで地に伏して避けた。
 一方で、女は佇んだまま、右腕を徐に上げる。
 すぅ。
「ちっ。魔法を無効化なんて、相変わらず不思議な魔法を使うわね……」
「お、おい。アイリ。何を――」
 がッ!
 尋ねたスケルタを、アイリは問答無用で殴り倒す。今回の暴力はスケルタの行動を因としたものではない。ただ単に、魔法があっさり防がれたストレスを発散するためのものだ。殴り倒しただけでは飽き足らず、彼の頭を杖でぐりぐりと地面に押しつけてもいる。
「い、痛っ! マジ痛ぇ! アイリ! 止めてっ!」
 響く悲鳴。
 そのように王女様がストレス発散している隙をついて、黒髪の女は怯えで震える足を懸命に動かし、城の奥へと向けて逃げ出した。アイリに対して恐怖の感情を抱いている模様だ。
「ちぃ! 追うわよ、リアス! スケルタ!」
「へっ? いや、別に放っとけよ。つか何で攻撃――」
「うっさい! 説明はあと! 行くわよ!!」
 ローレシア国王子の疑問に、ムーンブルク国王女は答えない。サマルトリア国王子の羽織ったマントを無理矢理引っ張りつつ、竜王の城の内部へと向けて駆け出した。
「苦しっ! アイ……リ……! 放……して……!」
 苦しげな声が足音と共に、暗闇へと消えていった。
 リアスはため息をついて後を追う。

 はぁはぁはぁはぁはぁ……
 荒い息を響かせて、黒髪紅眼の女性が暗い城内を駆ける。隠し階段を急いで下りて、魔物がはびこる通路を抜けて行く。
 彼女を見て取った魔物の1匹が小さく首を傾げる。
「どうした、姉者。そのように息を切らせて」
「ば、バズズぅ! 大変っ! アイリ姫様が来たぁ!」
 魔物――バズズにすがりつき、女性が涙目で叫んだ。彼女の名はハープ。色々とややこしいため説明は省くが、魔物姿の弟を2人持つ見た目10代の32歳である。
「アイリ? 確か、姉者が暴走して壊したムーブルクの王女であったか? 何故、そのような御方がこのような場所に……」
「ししし知らないよっ! とにかく逃げなくちゃ!」
 青い顔で先を急ぐ女性を追いかけて、バズズは背の翼を羽ばたかせる。
「何故逃げるのだ? 姉者であれば、ロトの子孫といえど、18歳の小娘程度、どうということもあるまい」
 バズズの言葉は間違っていない。ハープの魔法の実力は、現代の魔法技術を遙かに超えるものであり、ロトの血を引くとはいえ、現代水準の魔法技術しか修めていない少女の及ぶところではない。
 しかし、当のハープは青い顔で歯の根が合わない様子だ。
「……だ、だって、怖いんだもんッ!」
 素直な御言葉である。姉の威厳など皆無だった。
(キレたらキレたではた迷惑だが、キレなければキレないで面倒だな、姉者は)
 密かに嘆息し、バズズが呆れる。
「とにかく逃げるよ、バズズっ!」
「……ふぅ。わかった。行くぞ」
 がしっ!
 バズズは姉の身体を抱えて、翼を広げて通路を翔る。目指すは竜王の城の最下層である。

 びゅうッ!
 風刃が地下空間を駆け抜ける。少年少女に襲いかかろうとしていた獣は、多数の傷を身に受けて地に伏した。
「ちっ。鬱陶しいわね。あの女はどこ行ったのよ!」
 かッ!
 轟炎が彼らの後方を満たし、追っ手の進行を阻む。その炎を生み出したのは、スケルタだった。
「というか、アイリ。あの娘がムーンブルクを襲ったってのは分かったが、だからって追ってどうするんだ? 実質、城をちょっと壊されただけで誰が死んだわけでもなし。復讐なんてナンセンスだろ。加えて、ラドルフ陛下やエリシェット后はご自身の意思で旅立たれていて、誘拐されたわけでもないだろ? あの娘は関係ないじゃないか」
 ごもっともな意見である。これ以上ない程の正論だ。
 しかし、アイリ王女には通じない。
「五月蠅い。いいから追うのよ。犬畜生にしてくれたお礼はたっぷりしてあげないとねぇ……」
 妖しい光が彼女の瞳に宿る。
 ざしゅッ!
 大剣を振り下ろして竜の尻尾を切り落とした少年――リアス=ローレシアは、王女様の携えた妖光を横目で捉えて嘆息した。
「あーあ。スイッチ入ってやがる……」

 竜王の城の最下層にて、男性が深く深く頭を下げていた。男性の名はベリアル。ハープとバズズの義理の父親である。
「申し訳ない、ドルーガ殿」
「何故頭を下げるのだ、ベリアル兄。お前が悪いことなど何ひとつ無いだろう?」
 ベリアルの言葉に応じたのは、彼よりも大分年若い青年であった。名をドルーガといい、巷説にある竜王――つまり、この城の主である。
「ケイティさんの子孫たちが侵入したのは、彼の義理のご息女が原因のようですからね。悪いことはしておらずとも、ベリアル殿としては気にせずにいられないのですよ、ドルーガ様」
 言ったのは、ドルーガの脇に控える女性である。尖った耳が特徴的だ。この時代では非常に珍しい、エルフと呼ばれる種族である。名を、モルという。
「ふむ。そういうものか」
 首を傾げて城主が呟いた、その時、地下空間に魔力が集う。魔力はようよう空間と空間を繋いだ。
「っ! ベリアルさああああぁああぁあんッッ!!」
 悲痛な声を上げて、ハープが顕れた。空間転移の魔法を駆使して、ここまで至ったらしい。本当ならばアイリに遭遇した瞬間にそうしてもよいはずなのだが、気が動転していたのだろう。
 同じく顕れたバズズは小さく息をつき、地に腰を下ろした。恐慌状態の姉を慰めつつの逃亡に気疲れしたようだ。
「……まったく。少し落ち着け、ハープ。いい歳をして情けない」
「ひっく。ひっく。だって……だってぇ……」
 ベリアルに抱きついて泣きじゃくる32歳。確かに、年相応とはとてもではないが言いがたい。地下に集う者全てが苦笑している。
 一方で、ベリアルは深いため息をついた。義父として情けないのやもしれない。
「ともかく、このままここに居るのは得策では無いな。ドルーガ殿。重ね重ね申し訳ないが、小生らはこれで失礼させて頂こう。世話になりました」
 再び深く礼をしたベリアル。
 彼に抱きついていたハープもまた、慌てて頭を下げる。
「んー、そうか? 別にあいつらが下まで来ても俺様が大人しくさせるぞ?」
「いえ。いらぬ争いをする必要はないでしょう。貴方にとって、ロトの子孫はどちらかといえば客人たり得る者たちでしょうや」
 ベリアルの言葉通り、ドルーガはロト自身やその子孫と交流を持ってきた。
「んー。お前らも俺の大事な客人だし、こんな追い出すみたいなのは、それはそれで嫌なんだが……」
「なに。破壊の神と、不死鳥の情報を提供して下さっただけで充分です。大きな息子を1人、ロンダルキアに残してきております故、そちらも心配ですしな」
 ハープとバズズの弟であるアトラスは、巨体を誇る隻眼の魔物の姿をしている。そのため、竜王の城のような屋内に進入することは能わない。独りロンダルキアに残してきたのには、そういった訳があった。
 ベリアルの言葉に、ドルーガはしぶしぶながらも納得したようだ。小さく笑んで、頷いた。
「そうか。ならもう言わんさ。また来てくれ。歓迎させてもらう」
 王の言葉に、客人たちは微笑む。唯一ハープのみがガタガタと震えていたが……
「感謝する。いずれ、ロンダルキアにもいらしてください」
「ああ。是非」
 しゅッ!
 ベリアルたちが姿を消した。空間転移の魔法だろう。ロンダルキアまでの長距離移動は不可能であるはずゆえ、おそらくは、ラダトームから外れた森の中にでも移動したのだろう。そこから数度の転移を経て、彼らの住まいがある地まで向かうものと予想できる。
「……さて。次はケイティ姉とアラン兄の子孫たちか。今日は客人の多い日だな」
「お茶菓子を用意いたしましょう。キース様がいらっしゃいましたら、最上の紅茶を淹れていただけましたのに……」
「アリシア姉やアマンダ姉が居ないのも残念だな」
 微笑みあう2者。彼ら――竜王一門は、楽しそうにお茶会の準備を始めた。

 竜王の城の最奥へと辿り着こうかという頃合いに、リアスたちの前に女性2名と男性1名が立ちはだかった。女性2名の赤い髪と青い髪が、彼女たちの透き通るような白い肌をふわりと流れている。どこか浮き世離れした外見である。このような場に居るだけあって、普通の人間では無いのだろう。男性もまた、見るからに人間ではない。物語の中にしばしば登場する、ドワーフという種族だろう。
「ケイティたちの子孫なんて、アジャス以来だよねー。リリス」
「そうね、アリア。ドルーガ様もお喜びになることでしょう」
 赤髪の女性アリアと、青髪の女性リリスがにこやかに言った。アリアは太陽のように輝かしい天真爛漫な笑みを、リリスは冷笑とでも呼べそうな涼やかな笑みを浮かべた。対照的な2名である。彼女たちは、共に精霊だ。
「アジャス殿というと、私の爺様がお会いなさったという御方だな。ラダトームの姫君と共にいらした、お年の割に腕の立つ武人だったとお聞きする」
 一方で、男性は真面目くさった顔でごちた。彼の名はヴァルドという。見た目通り、ドワーフである。
 彼らに対して、ロトの子孫たちは戸惑った表情を浮かべている。
「……アジャスやローラ、それどころかケイティ、いや、ロトと知り合いってぇと、こいつら人間じゃねぇな。精霊か竜族か?」
「さあな。とりあえず、美人だな」
 がシぃ!!
 打撃音が通路に響いた。例の如く、アイリ姫様の拳が飛んだ。
「……痛いです。アイリさん」
「なら、場にそぐわない浮ついた発言を止めてちょうだいね」
 姫君の顔に浮かぶ笑みは、とても綺麗だった。そしてそれゆえに、恐ろしかった。
「あんたらに用はないわ。あのオドオドした女を出しなさい」
 スケルタに向けていた凍てつく笑みを一転、苛立ちの含む視線に切り替えて、アイリが尋ねた。
「オドオドした…… あのお客人かしら?」
「そうでしょうな。しかし、客人を引き渡すわけにもまいりますまい」
「ドルーガさまの流儀じゃないよねー」
 顔を見合わせて、精霊とドワーフは寸の間考え込む。ハープたちは既に出立した後なのだが、そのような事実は彼女たちの知るところでは無い。彼らは頷き会い、心持ち目つきを鋭くした。
 場の空気に緊張が走る。これまでにない、魔力の高まりを感じた。
「では、少々痛めつけさせていただきますか」
「大人しくさせてからドルーガさまのとこにご案内、だね」
「久しぶりに腕が鳴りますな。あの少年はお任せを。アリア様。リリス様」
 口々に言った3名からは、強い魔力が漂っていた。
 ロトの子孫たちが構えを取る。大抵の相手には余裕で対する彼らであったが、今回ばかりは相手が悪いと感じた。敵対者の実力は尋常なものではない。
 そして、まったくもって無意味な戦いが――始まった。

 ギンっ!
 リアスの大剣とヴァルドの斧がせめぎ合う。金属のこすれる音がしばし場を支配し、直ぐに少年の身体がはじき飛ばされる。
(ぐっ! 俺が力負けするなんて、お袋相手以外だと何年ぶりだ?)
 身体をひねって何とか着地したリアスは、ヴァルドを睨み付ける。
 しかし、対するヴァルドは余裕の表情で追撃する。
「年の割には――やりなさる!」
 ぶぅんッッ!!
 ヴァルドの一撃が風を生み、リアスを襲う。彼の小さな身体は風圧に押されて吹き飛ぶ。
「ぐあ!」
「しかし、未だ未だであるな」

 どんッ! どんッ! どんッ!
 炎弾がアイリに向けて放たれ、彼女に触れる直前で破裂した。爆風が姫君の髪をなびかせ、吹き荒れる。
「これは――古文書にある炎の魔法……」
 ムーンブルク国には古い魔法の書が数多置かれている。そのうちの1冊に、今アリアが行使した炎魔法が記述されていた。
「へー、人間ってこんな魔法も忘れちゃってるんだねー。メラミが古文書に載ってるって…… もしかしてメラも知らない?」
 明るく笑ってアリアが言った。彼女の笑顔は穢れなど一切無く、馬鹿にしていたり、嗤っていたりはしないだろう。しかし、しばしば穿った見方をするアイリは蔑まされた気分に陥った。
 キッと目つきを鋭くして、魔力を集める。
「こわーい」
 クスクスと笑い、アリアもまた魔力を集めた。怖いと口にしながらも、彼女の態度には余裕しか存在しなかった。

「俺は、綺麗なお姉さんと争うのは嫌なんだがね」
「……私は、貴方のような男性が嫌いです」
 初対面にもかかわらず、リリスが言い切った。雰囲気だけで嫌悪感をむき出しにしている。攻撃の手をも一切緩める気がないようだ。彼女の手には凍える気が集う。
「ヒャダルコ」
 小さな呟きに伴って、冷気がスケルタに襲いかかる。
 サマルトリア国王子もまた魔力を集めて、閃光を生み出した。
「ベギラマ!」
 しかし、閃光は冷気を受けて霧散した。洗練された魔力が、人を凍えさせた。
「れ、冷気? この魔法は……?」
「人の力は年々衰えますね。それだけ平和ということですか」
 淡々と言の葉を紡ぎ、精霊は再び魔力を練った。
「ラリホー」
 魔力の波はスケルタのみならず、ロトの子孫たち全員の意識に作用した。
 静寂が空間を包む。

 竜王の城最下層に、3名の人の子がすやすやと寝息をたてて転がっていた。彼らを囲むのは竜や精霊、魔物など異種族ばかりである。
「んん。……ここは?」
 少年が寝返りを打って瞳を開く。その目に映るのは、楽しそうに語らう異形の者たちである。中には人に近い見た目の者も居るが、6割は魔物のようである。
 ざっ!
 急いで体勢を立て直して、リアスは腰に手をやる。しかし、そこに愛用の剣はなかった。
「おお。起き申したか。剣ならば別の部屋に保管しております。宴に物騒なものなど不要であるからな」
 戸惑うリアスに声をかけたのはヴァルドだった。料理ののった皿を運んでいる。
 彼と同じように、魔物たちが皿やグラスを楽しそうに運んでいる。
「……宴?」
「ああ。貴方がたを歓迎する宴だ。ロトの子孫はドルーガ様のご友人ですからな」
 ヴァルドの言葉に続いて、青年が姿を顕す。ゆっくりとした足取りでリアスの前へとやってきた。そして、嬉しそうに笑う。
「よく来たな。あの女を捕らえるというお前らの目的を達成させることは出来んが、せめて歓迎させてくれ。俺様はドルーガという。お前の名は?」
「……リアス=ローレシア」
 警戒しながらも素直に応えるリアス。
 ドルーガは満足した様子で、頷く。
「リアスか。良い名だ。この城には俺様の他にも、お前らの祖と関わりの深い者が居るのだが、残念ながら何名かは外出中なのだ。すまんな」
 竜の王は頭を下げるが、リアスとしては謝られたところで困るだけだ。祖先と関わりがある者たちと交流したいかというと、別にそれほどしたくもない。
「おっと。そっちの2人も目覚めたようだな。どうだ? 気分は」
 ドルーガの言葉通り、スケルタとアイリも身を起こした。リアス同様に警戒から構えを取るが、やはり力を奮えない様子だ。戸惑った表情を浮かべている。
「マホトーンで魔法を封じさせてもらいました。宴の場で埃が立つようなことをされても困りますからね」
 ドルーガの背後に、突如女性が顕れた。エルフ族のモルである。
「俺様はよせと言ったのだが、このモルは心配性でな。許せよ」
「……貴方たちは?」
 アイリが尋ねると、ドルーガはリアスにしたように自己紹介をした。そうしてから、モルやアリア、リリス、ヴァルド、その他の面々を紹介する。
 そして、その後をモルが引き継ぐ。
「竜族や精霊、エルフ、ドワーフ、そして魔物。人ならざる者の集う城。それが、我らが主ドルーガの治める、竜王の城です」

 人ならざる者たちと言っても、リアスらに危害を加えるわけではない。ゆえに、数刻もすればロトの子孫たちも状況に慣れ、宴を素直に楽しむようになった。
「この料理、うちのに似てるけどちょっと違うわね。でも美味しい」
「ドルーガ様の兄君が料理や紅茶を趣味とされておりまして、ムーンブルク料理のみならず各国の料理にお詳しいのです。これはムーンブルク料理にロンダルキア南方の味付けを加えたものと伺っております」
 アイリの感想に、リリスが滑らかな解説を加える。ドルーガの兄直伝の料理は、竜王の城に住まう魔物や精霊に伝授されている。
「あんた強いなぁ。あとで稽古つけてくれよ」
「私などはまだまだ…… しかし、手合わせをするのは構いませぬ。共に研鑽を積みましょうぞ」
 がしっと腕を組み、リアスとヴァルドが笑い合う。力自慢同士、気が合うようだ。肉料理を競って貪り、早食い対決をしている。
「アリアさん。貴女はまるで地下深くに舞い降りた女神のよう……」
「あははー。うざーい」
 スケルタはというと、いつも通り軟派な態度で女性に絡んでいた。今のターゲットはアリアのようだ。先ほどモルに問答無用で足蹴にされていたのだが、全く懲りていない。
「そのようなつれない態度もまた素敵――」
 ずんッ!
 地の底に響くような重い一撃がサマルトリア国王子様を襲った。
「……本当に貴方は懲りませんね、スケルタ」
 低い声で言ったのはアイリだ。彼女は結構な距離を隔てた位置でリリスと語らっていたはずだが、アリアがモルのように頑とした態度を取る気がないと分かるやいなや、驚異的な身体力をもってスケルタの頭にかかとを落とした。
 スケルタの頭は地にめり込み、眠りの魔法を受けるまでもなく夢の世界へ旅立った。しかし、王女様は王子様がのどかに夢を見ることを許さない。
「はうっ」
 わざわざ気付けをしてスケルタの目を覚ましてから、頭を強く踏む。
「待って、アイリ! 軽いナンパは挨拶というか、別に深い意味はなくて!」
「では、私のこれも挨拶です」
 ぐりぐりぐりぐり!
「はっはっはっはっはっ! スケルタとアイリは面白いな! モル!」
「左様でございますね、ドルーガ様」
 楽しそうな主従。
 そして、アイリの挨拶がスケルタの顔面に刻まれ続けた。
『………………………………………………………………………………………』
 精霊も竜族も、あらゆる種の者たちが沈黙する。ロトの血筋、恐るべしと。

「あの女の行方か? ああ、別に教えてもいいぞ」
 尋ねたアイリに、ドルーガはあっさりそう言った。
「いいの?」
「口止めされた訳でもないからな。あいつならお前らにやられたりはしないだろうし」
 竜の王の言葉を受けて、アイリはこめかみに青筋を立てる。しかし、彼の言うことが的を射ていることを自覚してもいた。例の女の実力は、アイリたちの遥か先を行っている。
「……それで?」
「普段はロンダルキアに居るそうだ」
 ロンダルキアというと、険しい山々に囲まれた極寒の僻地だ。おいそれと訪ねられるような場所ではない。そこを目指すとなると骨が折れそうだ。
「ただ、しばらくは留守がちになるだろうな」
「……? どういうことだ?」
 リアスが骨付き肉にしゃぶりつきながら問うた。
「あいつらがここを訪れたのは、不死鳥と邪神の情報を求めてのことだった」
「ドルーガ様!」
 はっとした表情を浮かべて声を荒げたモルを、ドルーガが視線で制する。
「不死鳥も、邪神も、もはや危険な存在ではない。そう慌てるな」
「不死鳥とか邪神とかってのは何なんだ?」
 スケルタが訊く。彼の知識において、そのような神話的存在にはとんと憶えがない。
 人が忘れた神話を、歴史を、竜が語る。
「奴らは共に、遙かな昔に精霊が生み出した存在。正の魔力を司る不死鳥、負の魔力を司る邪神、二者はそれぞれ人々の希望と絶望に呼応し、力を強める。純粋な魔力として在る彼らは、手にした者の願いを叶えるため、世に作用する」
「……願いを……叶える……?」
 アイリの瞳が妖しく光る。
 その様子を瞳に入れ、ドルーガは一瞬、眉を潜める。しかし、直ぐに破顔した。
「ああ。あいつらの力は凄いぞ。ケイティの時は概念をひとつ消した。アジャスの時は――」
 ごくり。
 概念を消すほどの力は、つい100年前に何を為したというのか。ロトの直系たるローレシア・サマルトリア・ムーンブルク3国にも伝わっていない。
 ロトの子孫たちは喉を鳴らして身を乗り出した。
「ハゲじじいの頭に毛を生やした!」
『……………はあぁあ!?』
 たっぷりの沈黙を経て、少年少女が声を荒げる。
「願ったのはローラだったな」
『えええぇえ!!』
 再度、王子と王女が叫んだ。
 一方で、竜王とその配下は涼しい顔である。彼らにしてみれば実際に目にした光景ゆえに、今さら衝撃を受けるはずもない。
 しかし、ここで初めて事実を知ったロトの子孫たちはショックを隠しきれない。
「事実だ。如何にショックだろうと曲げられないぞ」
「ならば口にしないという手もございますよ、ドルーガ様」
「そうか。覚えておこう」
 どこまでもマイペースを貫くドルーガとモル。アリアやリリス、ヴァルドもまた飲食に興じたり、厳かに主人の背後に控えたりと、好きなように振る舞っている。
「……ま、まあ、いいわ。ローラ姫がどのような方だったとて、今は関係ないし」
 アイリがいち早く気を取り直し、言の葉を紡ぐ。
「不死鳥や邪神という存在が居ることは理解したわ。そして、例のハープとかいう糞女は、それら強大な魔力を得ようとしている。ここまでは合っている?」
「ああ」
 素直に頷くドルーガ。
 その背後で、モルやリリスが目つきを険しくしている。アイリの言葉遣いが気にくわないのだろう。それでも、主が気にしないのならば、と言葉を呑んでいるようだ。
「なら、ここからが肝要ね。不死鳥や邪神は、どこ?」
 ロトの子孫たちが竜王に注目する。
 彼の口が、数秒の時を待って開かれた。
「不死鳥は精霊神の手に、邪神は邪教徒の手に有る。ハープらはまず、邪教徒の根城を目指すように言っていた」
 浮き世離れした話が続く。
 精霊神ルビスといえば、ロトの時代よりも以前、神話の時代を代表する存在だ。ローレシア・サマルトリア・ムーンブルクのみならず、ラダトームやデルコンダルなどの主要国家は全て、このルビスを奉じている。
 一方で、ルビスとは異なる存在、例えば、かつて世界を混沌に貶めたという大魔王ゾーマや、今目の前にいる竜王を奉じる者たちがいる。彼らは邪教徒とされ、場合によっては不逞の輩として死罪となることもある。
 ここでいう邪教がどのような意味合いかはともかくとして、精霊神ルビスを奉じる者たちにとっては仲良く出来る相手ではないだろう。
「で? 邪教徒の根城はどこ?」
「デルコンダル国の南西の海域に小島が浮かんでいる。その島の洞窟だ」
「ど、ドルーガ様。そこまで教えてよいのですか? 場合によっては、ロトの子孫とはいえ危険かと……」
 あっさりと教えた竜王に、家臣が進言した。
「なぁに。こいつらが力不足なのは明白だが、あそこには今アリシア姉が……な?」
 主の言葉を受けると、モルも納得した模様だ。低頭し、出過ぎた真似をいたしました、と詫びている。
 横で話をただ聞いていたリアスなどは既に理解を放棄しており、しきりに首を傾げている。
 スケルタやアイリも、リアスよりは理解が及んでいるとはいえ、よく分からないことばかりなのは同様だ。こめかみに指をあてがい、考え込んでいる。
(……色々と理解出来ないことはある。けど、これであの女のあとを追えるわけね。それに――不死鳥や邪神の力で願いを叶える、か。古文書で目にしたことはあるけれど、ただの眉唾としか思っていなかった。それがここまで現実性を持っているとなれば)
 アイリはそのように考えて、妖しく笑む。
 一方で、男性陣は小さくため息をつく。
「ちょっとした仕返しのためにデルコンダルの南西まで行くの、やだなぁ」
 素直な感想を小声で零して明日への不安を吐露したのは、リアスだ。
「つーか、ラドルフ陛下とエリシェット妃は探さんのか?」
 尤もな疑問を口にしたのは、スケルタである。本当に尤もだ。
 しかし、王子様らのお言葉を、王女様は軽く無視する。
「行きましょう! 正義のために!」
『正義って何だっけ?」
 その疑問は、本当の本当に尤もであった。


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