第十九話:冷暖の想いぞ満ちて

 サマルトリア国領南方に在るリリザの町にて、老人が晴天を見上げていた。日課である朝の散歩を終え、路肩の岩に腰を下ろしてうっそりと白雲を眺めていた。
 彼はかつて冒険者だった。海を越えてムーンブルクやラダトーム、デルコンダルにも足をのばした。更には、極寒のロンダルキア渓谷に足を踏み入れたこともあった。その目的は、特になかった。彼にとっては冒険が目的であり、結果として得られる物や名誉などは二の次であった。
 それゆえだろう。彼の家は小さく、こじんまりとした平屋の一軒家であり、お世辞にも豪奢だとは言えなかった。安定した収入どころか、一獲千金のお宝すら度外視した彼の人生は、こと金銭という一点において論じるならば、惨憺たる有様と評価するのが正しいものであった。
 しかしながら、彼自身はその人生を一切後悔することなく、これ以上ない程に素晴らしきものであったと感じていた。家族を持つことはなかったが、それでも、冒険を通じて得た知己とは強固な縁で繋がっていた。手紙のやり取りをすることもあれば、突然、船で訪れてくる者も居た。つい先日も、かつての友が妻と共に渡航したばかりだった。
 だからこそ、彼は彼の人生を素晴らしきものであると、自信を持って言い切ることができた。
 キラッ。
 青く高い空を光が駆け抜けた。
「……ほぉ。ありゃあ、ルーラだなぁ。サマルトリアの放蕩王子かいなぁ」
 老人が呟いたその時、海岸の方向で派手な水しぶきが上がった。大きな着水音もまた、耳朶に届いた。
 ゆっくりと視線を南へ向けると、微かに帆柱の先端が見えた。そのように大きな船は平生であればリリザ港に寄港していない。つまりは、先ほどの天上の光――ルーラによって飛び来たと判断するのが正しいだろう。
 にわかに町中が騒がしくなった。港へと野次馬に行く者や、不安がって逆に閉じこもる者など、反応はさまざまだった。
「さぁて。何が起こるんかいのぅ。ふぉっふぉっふぉっ」
 楽しそうに声を立てて笑い、老人は腰を上げた。

 リリザ港にルーラでやって来たのは、リアス=ローレシア、スケルタ=サマルトリア、アイリ=ムーンブルクのロトの子孫三名、そして――
「ここから南へ向かえば、邪教の奴らがいる洞窟に着けるぞ」
「ハープ様もそちらへ向かっておいででしょう」
 かつて竜王と恐れられた竜族の少年――ドルーガと、エルフ族のモルが、甲板に立って南方に視線を向けていた。彼らはラダトーム地方にある竜王の城から、ここリリザまで、ルーラでロトの子孫たちを送ってくれたのであった。
 モルの言葉に出てきたハープというのは、ハープ=ゴーラ=リン=デルコンダルのことで、彼女は遠くロンダルキアに住まう三十歳の女性であった。その見た目は年齢に比せず幼く、短くまとめられた艶やかな黒髪と、どこか怯えた様子のある伏し目がちな赤眼が、幼さを誇張していた。
 そのハープを、ロトの子孫たち――とりわけ、アイリが追い回しているのであった。理由の大半は、意趣返しだった。
「色々と舐めたマネしくさっていやがるし、そろそろ本気でどつきまわしたいですね」
「一国の王女の発言じゃねえな」
 十八歳の王女様に対して、五つ六つ年下の王子様がため息交じりにぼやいた。
「あら、リアス。有名な諺を教えてあげる。『やられたらやり返す……千倍返しだ!』よ」
「ぜってえ、今作っただろ……」
 ごもっともな指摘であった。全く、諺らしくない。
 図星だったのだろう。アイリは肩を竦めて軽く舌を出した。
「まあ、それはともかく、数日間は船旅になるし、必要なものを下僕たちに買い出しさせましょう」
 アイリによって調教されたラダトームの兵士たちは、いまや彼女のしもべと化していた。何でも言うことを聞くようになっていた。停泊させていた船をラダトームの追手から防衛までしたのだから、彼らの洗脳具合は半端なものではなかった。
 彼らは早速、指示を受けてリリザの町の方々へ散っていった。
 下僕たちを見送って、アイリはスケルタやリアスに視線を向けた。
「折角だし、奴らが買い出しをしている間、お父様やお母様のことを聞きこみましょうか。サマルトリアやローレシアに来ている可能性は高そうではない?」
「そうだな。それと、親父殿やサーニャに顔を見せて行くか。アイリの無事も報告しておいた方がいいだろ」
 スケルタが北へ視線を向けて言った。遠くにサマルトリア城の尖塔が小さく見えた。
 ムーンブルク城に残っている面々が、各所にアイリ存命の報を出している可能性はあるが、そうでないならば、アイリは未だ行方不明扱いのはずであった。国王たるスケルタの父や、妹のサーニアルだけでなく、ローレシアにいるリアスの父母もまた、心配していることだろう。
「では、まずはリリザで軽く聞き込みをして、それからサマルトリア城へ向かいましょう。ドルーガとモルはどうしますか?」
 アイリの問いを受けて、ドルーガが楽しそうに笑った。
「俺様もリリザ見学は付き合おう。ここに来るのも久しぶりだからな」
「ふぅ…… 見学ではなく、調査ですよ。ドルーガ様」
 ドルーガが満面の笑みを浮かべ、期待に満ちた表情で一歩前に出た。
 モルは当然ながら、ドルーガの一歩後ろについて、行動を共にした。
 こうして、ロトの子孫たちと竜王たちの五名で、辺鄙な町にくり出すことになった。

 リリザの町がにわかに騒々しくなった。港から広場へと向かう道を、サマルトリア国の王子が歩んでいるためだった。色々な意味で彼は有名なのだ。彼の者は、何やら挙動不審だった。
「やあ、リン……っと! いや、何でもないですよ、アイリさん? ははは……」
 このように、誰かに声をかけようとしてから頬をひきつらせること、既に十数回であった。
 彼のおかしな様子に、町民が口さがなく噂話を始めた。
「……スケルタ様はどうされたのだろう。姿を見せればナンパばかりされるというのに、今日は愛想笑いすらぎこちなくおられる」
「……わたし、次に会ったら食事を、とご約束をいただいてましたのに」
「……遂に一国の王子としての責任に目覚められたのだろうか? いやはや、喜ばしい」
 ひそひそとした会話が、方々から聞こえてきた。
 その内容に、竜王ドルーガが肩をすくめて嘆かわしそうに息を吐いた。
「何だ、スケルタ。お前は宴席以外でも軟派な態度をとっているのか? まったく…… レイル兄みたいな奴だな」
「硬派なドルーガ様を見習うべきですわね」
 主に続いて、従者のモルもまた呆れきった視線をロトの子孫へと向けた。
 彼らの様子を目にして、リアスが楽しそうに笑った。
「スケさんがナンパしてるとこなんて見慣れてっから俺はもう気にしなくなってたんだけど、やっぱ不評なんだな」
「いやいや、リアス。そういう軽い付き合いがいいという婦女子もいてだな……あ」
 うっかり口を滑らせた軽薄な青年は、恐ろしい程に機嫌のよく微笑んでいる親類を瞳に入れて青ざめた。そろりそろりとあと退り、微笑みを浮かべる紫髪の女性から遠ざかろうと試みた。
 しかし、そうそう上手くいくわけがなかった。
 どすんッッ!!
 鈍い音が響いた。
 地面にスケルタがうつぶせに倒れ、彼の背をアイリの杖がぐりぐりと押さえつけた。
「軽すぎるとお空へはばたくことになりますよ、スケルタ」
 その言葉から類推するに、王女様は、王子様が空へ飛び立たぬよう、懸命に押さえつけてくださっているようだった。
「……気をつけます」
 落涙しつつ、スケルタが反省した。
 ドルーガは彼らを眺め、大きく笑った。
「はっはっはっ! 仲のいい奴らだな!」
「左様でございますね、ドルーガ様」
「……そうかなぁ」
 ローレシアの王子様だけが、まともな反応を示した。彼は嘆息し、呆れた様子で視線を巡らせた。
 リリザの町はサマルトリア領ではあるが、ローレシアからも近い。それゆえに、揃う顔の中には見覚えのある者も多い。そのうちの一人が、曲がった腰に片手を当て、杖を頼りに歩んでいた。彼は柔和な笑みを浮かべて、少年を見ていた。
 リアスは表情を輝かせて、大きく手を振った。
「よお! 爺さん!」
「ふぁっふぁっふぁっ。坊主も来とったかいなぁ。放蕩王子だけかと思ったで。よっこいしょっと」
 切り株に腰を落としつつ、老人が応えた。相手が一国の王子だろうと、礼節を重んず気はないタイプらしかった。
 その様子に、モルが眉をひそめた。
「貴方はカンダタでしたか。昔、ドルーガ様にもそのような態度をとっておいででしたわね。感心いたしません」
「おや。そちらは確か……例の城におった方でしたかな? 何十年ぶりですかいなぁ。ところで、名は変えたでな。今はフレッドと言うのじゃよ」
 顔中に皺を寄せて、老人が――フレッドが笑った。とても嬉しそうであった。思いがけず知己との再会を果たし、心には爽やかな風が吹き込み、心地よいさざ波のような美音が響いていた。
 そしてそれは、モルの前に佇む竜の主にも言えることであった。
「おぉ! 久しいじゃないか、カンダタ! いや、フレッドと呼ぶべきなのか! 元気にしていたか?」
「ふぉっふぉっふぉっ。年齢に比して色々ガタがきとるが、元気にやっとるよ。ドルーガはどうじゃ?」
「俺様はいつだって元気だぞ! それより、呑もう!」
 ぺしっ!
 従者が、恐れ多くも主の頭をはたいた。
「昼間からお酒を召されるなど、アマンダ様ではないのですから…… 城主として節度ある生活をお送りください、ドルーガ様」
「ったく。モルは相も変わらず堅苦しいな。仕方ない、フレッド。茶でもしばこう!」
 健康的に茶をすするというのなら、モルも文句はないようである。しずしずと一歩後ろに控えた。
 一方で、ロトの子孫たちは呆然としている。リアスは手を上げたままで、スケルタは地に伏したままで、アイリは杖で親類の背をぐりぐりしたままで、彼らのやり取りを見ていた。
「フレッド? カンダタ? どっちなんだよ。ややこしい爺さんだな」
「何十年ぶりに会った相手が若いっつーのに全く動揺しないとか、豪胆なじっちゃんだな」
「……カンダタって、ラダトーム城下辺りを縄張りにしている泥棒じゃなかったかしら?」
 それぞれに反応を示した。
 彼らに視線を向けて、フレッドがニカリと笑う。
「どうじゃい? 坊主や放蕩王子、それから、アイリンもくるかね?」
「んー。どうする?」
 リアスが尋ねると、アイリが不気味な程に機嫌よく、首を傾げた。
「遠慮しますわ。私どもは城に向かいますので。あと、アイリン言うな、くそじじい」
「さりげなく暴言吐くなよ、アイリ……」
 スケルタが注意を促しつつ、立ち上がった。そうしてから、フレッドに歩み寄った。
「それよりじっちゃん。アイリの親父さんとお袋さんが来なかったか? じっちゃん、確か友達だろ?」
「は?」
 ムーンブルク国の王女様が、間の抜けた声を上げた。
 しかし、カンダタはさも当然というように肩を竦めた。
「ラドルフとエリシェットか? あやつらなら数日前に来たぞい。手土産もなく顔だけ見せよって。礼儀のなっておらんじじばばじゃよ。ふぉっふぉっふぉっ」
 不遜な爺様を『礼儀のなっておらんじじばば』の娘が嘆息と共に見つめた。そして、頭を下げた。
「父と母が失礼いたしました、ご老人。それで、彼らはまだこの町に?」
「いいや。ご尊父とご母堂は他の地へ向かいよったぞ。残念ながら、何処へ向かったかまではわからんの」
 あまり嬉しくない情報が開示された。しかし、続けて朗報が告げられる。
「出立前、サマルトリア城に一泊しておったゆえ、キドニアならば行先を知っておるやもしらんのぅ」
 キドニアというのはスケルタの父、つまり、サマルトリア国の王である。
 フレッド老人は、年の功ゆえか、王族とも旧知の仲のようだ。
「なら、やはりまずは城へ向かうか」
「そうね。陛下やサニィに無事な顔を見せたいですし」
 スケルタとアイリがサマルトリア城行きを決める一方で、リアスはこそこそと後ずさる。
 しかし、阻まれる。
「どこ行くんだ、リアっつぁん」
「は、放せ、スケさん! 俺は行かねえ!」
 ローレシア国の王子様が必死で拒否した。
「貴方もサニィに無事な顔を見せてあげなさいな」
 リアスがアイリを探して旅に出てから結構な日時が経っていた。待つ者は少なからず心配になっていることだろう。これを機に元気な様子を見せていってもばちは当たらない。
 しかし残念ながら、リアス=ローレシアはサーニアル=サマルトリアが大層苦手だった。
「嫌だ!」
「清々しいな、おい。お前がサーニャを苦手なのはわかっているが、こうも拒否られると兄として複雑だよ。ふぅ」
 大地と口づけをしたままで、スケルタが器用に嘆息した。
 アイリは彼を杖で抑えつけるのみでは飽き足らず、おみ足で踏みつけはじめた。そうしながら、やはり小さく息を吐いた。
「嫌よ嫌よも何とやらはいいけど、実際こういう性質の人間を目の当たりにするとこうも面倒臭いとはね」
「は!? そ、そんなじゃね――」
「ラリホー」
 問答無用で強制睡眠の魔法が行使された。十代前半の少年は年相応の寝顔を浮かべてばたりと倒れ込んだ。
「ふぉっふぉっふぉっ。お見事」
「その容赦の無さはエミリア姉を彷彿とさせるな」
「あの方よりはだいぶ常識的ですけれど」
 老人がぱちぱちと弱々しく賛美し、竜王と従者がよく分からない雑談を重ねていた。
 彼らへの挨拶もそこそこに、すぅすぅと寝息を立てる少年を、足蹴にしていた青年に抱えさせて、王女様は優雅に城への道を急いだ。

「ん…… ここは……?」
「おっはよー! リアスっっ!!」
 リアスが瞳を押し開けた刹那、目前に見知った顔が飛び込んできた。
 サーニアル=サマルトリアが目覚めた婚約者を力いっぱい抱きしめた。
「さ、サニィ! っつーことはここはサマルトリア城か!?」
「そ! お祝いの準備はバッチリ出来てるからね! 一緒にいっぱいご飯たべよーね!」
 硬い黒髪をぐりぐりと撫でて、少女は満面の笑みを浮かべた。
 一方で、少年は鬱陶しそうに眉を顰め、ぱしっと頭上の手をはたいた。
「鬱陶しいっつーの! つか、何だよ、お祝いって?」
 純白のドレスに身を包み、櫛で梳かした桃色の髪は白銀の髪飾りで彩られ、サーニアルは平生に無く着飾っていた。アジャス祭やローラ祭の時期でもないが、何を祝うというのか、リアスにはさっぱり分からなかった。
 彼の問いを受けて、サーニアルは呆れた様子で肩を竦めた。
「やっぱり忘れてる。偶には顔見せてってお願いしたのにそれも忘れてたっぽいし。リアスってばまだ若いのに……」
(まあ、顔見せに関しちゃ意図的に忘れてたんだけどな)
 嘆息している王女様の隣で、王子様が小さく舌を出した。
「リアス。こっち来て。あ。目は閉じてね」
 ぐいっと手を引かれ、リアスは歩みを進めた。目は自ら閉じずとも、サーニアル付きの執事に塞がれた。
「んだよ、サニィ。どこ行くんだ? つーか、スケさんとアイリは?」
「あ。そーいえば、アイリ姉様がご無事だったこと、もっと早く知らせてくれてもいいじゃない!? ほんっと、気が利かないんだから!」
 リアスは視界を塞がれていようとも、声の主が頬を膨らませて不満を力いっぱい主張しているだろうことを容易に想像できた。サーニアルとは生まれついてからの付き合いゆえに、意識せずともぱっと目に浮かんだ。
「はいはい。それについては悪かったって。ラドルフのおっさん達とアイリを襲った奴を探すのに忙しくてよ」
「そこら辺の事情はアイリ姉様からお聞きしたわ。でも、一旦うちに寄ってもいいでしょ?」
 ごもっともであった。そのひと手間を惜しんだのは、こういったやり取りが面倒だったゆえなので、これ以上の言い訳が難しい。
 話を換えるのが得策だった。
「そうだな。悪かった。次は気を付ける。んで? どこ行くんだ?」
「……何かおざなりだけど、まあいいよ。んーとね、大広間に向かってるんだよ」
「何で?」
 再三の疑問に、サーニアルは含みのある笑みを浮かべて、リアスの手を引くのとは逆の手の人差し指を立てた。
「それはリアスの一つ目の疑問に関係あるよ。さて、何ででしょう?」
「一つ目の疑問?」
 リアスが最初に尋ねたのは『何のお祝いか?』ということだった。
 つまり、そのお祝いのために広間へ向かっているのだろう。
「なるほど…… んで、何を祝うんだ? 珍しい食材でも手に入れたのか?」
 サーニアルが大食いであるがゆえに、サマルトリアでは珍味などを手に入れるとお祝いがてら試食会を催すことがあった。今回もその手合いかと、リアスは判断した。
 しかし、違った。
「……まったくもぉ。自分のことなんだからもっと覚えてなよ」
「俺のこと? 何だってんだ?」
 リアスが首を大きく傾げたその時、サーニアルの歩みが止まった。
 瞳を塞いでいた執事の手も外された。
 素直な性質ゆえに手で塞がれずとも瞳を閉じていたリアスは、暗い視界のままで眉を潜めた。目前に何か大きな物が存在している気配を感じた。
「さぁ。目を開けていいよ、リアス」
「……おう」
 何かとんでもないことを企画してやいないかと、リアスは多大な警戒心を持って瞳をゆっくりとゆっくりと押し開けた。光がようよう視界を満たし、像が刻まれた。
 巨大なケーキが在った。
「……んだ、これ?」
「リアス!」
 サーニアルが、ニコニコと嬉しそうに満面の笑みを携えて、名を叫んだ。そうしてから、せーの、と掛け声を口にして――
『ハッピーバースデー!!』
 サマルトリア国民全員で叫んだかと錯覚するほどの大音声を城の皆で響かせた。
 リアスがぱちくりと瞳を瞬かせた。
「……ああ。そういや、何日か前がそうか」
「五日前よ! まったくもぉ。あたしたちは本人が居なくても盛大にお祝いしてたっていうのに……」
「お前ら暇なんか?」
 妥当なツッコミだった。
「リアスは淡泊過ぎ! 一足先に誕生日を迎えてお姉さんぶるのも勿論いいんだけど、やっぱり同い年になるのも待ち遠しかったっていうか…… そういう微妙な乙女心を察してよね!」
「知らねぇよ、マジで!」
 ごもっともだった。
 しかし――
「……余計なお世話だけどよ。まあ、ありがとな」
 祝われて悪い気はしなかった。
 あまり素直ではない言葉を耳にして、サーニアルも使用人たちもまず苦笑した。
 それから、にっこりと微笑んだ。
「十三歳のお誕生日おめでとう! リアス!」

 遠くから楽しげな歓声が聞こえてきた。ここは、誕生会が催されている大広間から少し離れた国王キドニア=サマルトリアの自室であった。
 部屋の主であるキドニアと彼の息子スケルタ、そして、ムーンブルク国の王女アイリが大きな机を挟んで対峙していた。
「サーニアルは本当にリアスを好いておるのだな。良いことだ」
 キドニアが生真面目な表情のままで言った。
 スケルタとアイリもまた暗い顔で窓の外へと軽く視線を向けた。リアスの誕生会やサーニアルの素直な気持ちは微笑ましいが、そういった催事や想いに心を解いていられる心地ではなかった。
「……しかし、お前たちはそうはいかなくなった。理由は言うまでもあるまい」
(単刀直入だな。腹芸の苦手な親父殿らしい)
 話の筋を予想していたスケルタは、思わず嘆息しそうになるのを堪えて眉を潜めた。
 アイリもまた表情をより一層暗くした。
「先日、ラドルフが顔を見せたので話はしておいた。お前らの婚約は解消だ」
 しん……
 しばし、静けさが場を支配した。宴の喧騒だけが耳をついた。
「父は諾と受けたのでしょうか?」
「しばし待てと言っておった。落ち着いてから話そうと」
 その答えに、アイリはこっそりとひと息ついた。
 スケルタもまた……
「だが、正式な決定と思ってくれ。遅いか早いか、それだけの違いだ」
 頑とした迷い無い言葉だった。
 キドニアとしては一刻も早く話を先に進めたいのが明白だった。明白に言葉にはしないが、ラダトーム国のルーン王女との婚約話を進めたがっているのだろう。
「お、親父殿」
「話は以上だ。下がってよい」
「親父殿!」
 スケルタが食い下がろうとした。
 しかし、キドニアは歯牙にもかけられなかった。父としてではなく国王陛下として、有無を言わせぬ様で睨みつけた。
「下がってよいと言った。アイリも疲れているだろう。客間へ案内してやるがいい」
「……はい。失礼いたします。アイリ、行こう」
 呆然と佇む少女の手を取って、スケルタは部屋を辞そうとした。
 しかし、少女は――アイリはその場を動かなかった。
「キドニア陛下。私は必ずムーンブルクを立て直します」
「……………」
 沈黙。瞳には憐みが宿っていた。
 王女はそれでも望みを捨てない。
「必ずです。必ず」
「……………」
 いっそ哀しみまでをも窺えた。
「アイリ。行こう」
「必ず……」
 ぱたん。
 ゆっくりと扉が閉まった。
 宵闇に冷気が満ちていた。

 大広間では凄まじい勢いで食事が減っていった。肉が、魚が、野菜が、麺類が、米が、あらゆる料理が胃の腑へとおさまった。
 止まるところを知らない内臓を有する少女が、心底幸せそうに、だらしなく笑んで、少年の腕を取った。
「リアス、リアス! おいしいね! ね!」
「へいへい。つーか、この暴食パーティー、俺のためっつーよりお前のためだよな」
 的を射た意見であった。実際、リアスはあまり食事に手をつけていなかった。
 しかし、誰もそのような細事には頓着しなかった。
「あたしのためってことはリアスのためでしょ? あたしが嬉しいとリアスも嬉しいでしょ?」
「ったく。なんだそりゃ……」
 少女の楽しげな問いに、少年は嘆息しつつも、否定まではしなかった。
 サマルトリア城の使用人一同は、我らが王女様とローレシア国王子の仲は盤石だと、皆で微笑ましげに息をついた。その場には、温かく優しい想いが満ち溢れていた。


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