3.アリアハン王族事情

 城は必要以上に豪華だった。建物の所々に高そうな宝石が組み込まれていて、そのいくつかを頂戴するだけで一生遊んで暮せるだろう。ハッキリ言って無駄以外の何者でもない。その全ては、現王ミナトール三世の独断で行われたことだった。
 こんなことをしていてはすぐに反乱の一つも起こりそうなものだが、人々は前王つまり現王の父親を慕う心からそれを抑えている。前の王は他の国との交易を開始し、この国アリアハンを大きく発展させた立役者だ。更に国民一人一人を気にかけよく声も掛けてくれていたから、彼が王だった二十年前までの記憶を持つ人々は現王の馬鹿な行為にもあまり強く出られない。反乱を起こしてしまえば、家族たる前王をも地に伏させることになるからだ。しかしその代わり、人々は多大な皮肉を込めて口にする。偉大な王も子育てだけは上手くできなかったようだ、と。
 国民自体に貧しさがあるわけではないので、若い連中からも特に不満が出ることもないが、この贅沢ゆえに王家は嫌われている。というか、現王個人が嫌われている。明言するものは勿論いないが、公然の秘密という奴だ。

 内装の悪趣味さに呆れながらジェイとケイティが赤絨毯の上を進む。ちなみに、我慢した分の喧嘩はさっき母が見えなくなった時にしておいたようだ。
「ジェイ! ケイティ!」
 横から声が掛かる。白いドレスを着込んだ少女が駆け寄って来る。足を踏み出すたびに髪がふわふわと波打っている。瞳が大きくどこか猫を思い起こさせるその顔立ちは、見ていると思わず笑みがこぼれる。
 ケイティが笑顔で彼女の名を呼んだ。
「ティンシア」
 ティンシアは今年で十二歳になるこの国の姫。現王の娘に当たるのだが、その性格は穏やかで女の子らしい。どうしてあの王にこんな子供ができるのか、アリアハンの七不思議の一つだ。
 二人とも偶に城に出入りしていたので彼女とは顔見知り、いや友達ともいえる間柄だ。
 二人の前までやって来たティンシアが悲しそうに目を伏せて言葉を発する。
「今日、旅立っちゃうんだよね……」
 伏せた目には涙が浮かんでいる。その様子を見て努めて明るく声を掛けるケイティ。
「もう、そんな顔しないでよ。ちょっと出かけるだけ、それだけよ。すぐ帰ってくる」
「ううん。いくら私でもそれが嘘だってことくらいわかるもん。すっごく危険で長い旅になるんでしょ?」
 ジェイが口を開く。
「それはそうだけどな。大丈夫だよ。ちゃんと帰ってくる。ま、俺がパパッと魔王を倒したらケイティは立場がなくて戻って来れねぇかもしれないけどな」
 聞き捨てならないというようにケイティが言い返す。
「何言ってんのよ! あんたみたいな力だけの馬鹿に私が遅れを取るわけがないでしょ! ま、馬鹿だから勘違いするのも仕方ないけど」
「馬鹿馬鹿連呼すんな! 馬鹿!」
 いつもの口喧嘩。思わず吹き出すティンシア。
「うふふ、こんな日でも相変わらずなのね」
 そう言った顔には柔らかな笑みが浮かぶ。喧嘩していた二人はそんな彼女を見て安堵の表情を浮かべる。やはりこの少女には笑みが一番似合う。
「ねぇ、ねぇ、今ふと思いついたんだけど聞いてくれる?」
 ティンシアの瞳が大きく開かれ、二人を見つめる。
 ケイティがその瞳を見つめ返して言葉を返す。
「何?」
「私も旅に付いてくわ」
「無理無理無理!」
「駄目駄目駄目!」
 大慌てで二人が否定の言葉を連呼する。
「え〜、何でよ〜」
 ティンシアが頬を膨らませ不機嫌な表情を作る。少女らしく表情の変化が激しい。
「何でってなぁ、何の訓練もしていない、十二歳の女の子を連れてけってのはさすがに無理があるぞ」
 ジェイが一般的な答えを返す。
 その答えの中に、お姫様だからとかそういう意図がないのでティンシアは少し機嫌をよくしたようだ――ティンシアはそういう扱いを嫌う――が、顔は不機嫌なままで続ける。
「あら、私、近衛兵士長と剣で勝負して勝ったこともあるのよ」
 わざと負けたんだろうなぁ、兵士長さん……
 二人は同時に思う。当然これは双子がどうとかそういう同調ではない。
 今の兵士長はオルテガが城に勤めていた頃から城に仕えていて相当な古カブ。そんなベテランの戦士がいくらなんでも十二の少女に真剣勝負で負けることはないだろう、聞けば誰もがそんな考えを持つはずだ。
 否定しても特にいいこともないから、とりあえずちょっとした質問をしてみるジェイ。
「ティンシアはその兵士長とよく剣で勝負したりしているのか?」
「う〜ん、よくってほどでもないけど、勉強に疲れたときとかに気分転換にね。負けることの方が多いけど、それでも結構互角な勝負なのよ」
 ティンシアはその時の興奮を思い出したのか、ものすごく嬉しそうな顔をして喋る。
 一方ジェイとケイティは名前も顔も知らない兵士長への好感度をぐんぐん上げていた。
「だから、連れてって、ね」
 ティンシアが二人を再び見つめる。
 あーそう言えばそういう話だったんだ、という顔をしてジェイがどうしようか困っていると、ケイティがティンシアに向って言った。
「ティンシア、確かに剣が強いとかそういうことも大事だけど、旅の大半は魔物との戦いというより険しい山道とか、獣道とかそういうものとの戦いになるわ。野宿だってしょっちゅうすることになるだろうし。ティンシアには無理でしょう?」
 剣の腕がどうのという件は特に否定せずに、旅の大変さを説く。中々に上手い説得である。ティンシアも見た感じ納得しそうだ。
 ジェイも珍しくケイティに感心している。
「……わかった。残念だけど、大人しく、帰ってくるの待ってることにする」
 ティンシアの返事を受けて、二人は心の中で胸をなで下ろす。
 そこでケイティがティンシアの方を向き口を開いた。
「じゃあ、私たちそろそろ行かないと」
 その言葉を受けても、ティンシアの瞳はもう曇らない。二人に笑顔を向けて声を掛ける。
「うん、私もこれから歴史の勉強だから早く行かないと。私の次の誕生日までには帰ってきてね、二人とも」
 ティンシアの誕生会は十日ほど前にあったばかりだから、次は一年くらい先になる。
 一年で帰って来られないことは明らかだが、ティンシアもそのくらい理解しているだろう。ジェイはわざわざ否定せずに調子を合わせた。
「そうだな。平和が誕生日プレゼントってのもいいかもな」
「え〜、ちゃんと他にもプレゼント用意してよ〜。ヌイグルミとかがいいなぁ」
 ティンシアはそう言いながら不満そうな顔をしたが、すぐに笑った。
 ジェイとケイティの顔にも笑顔がある。
 国の代表として、勇者として旅立つ者たちと、その国の姫の別れはとても厳かとは言えなかった。
 しかし、彼らにとってその時間は、とてもとても大切な時間だった。

 二人は再び赤い絨毯の上を歩き出した。
 しばらくすると二階へと続く大きな階段があり、その階段をゆっくり上がっていくと謁見の間に辿り着いた。
 玉座の脇には四十代くらいに見える男性が立っている。現王の即位と同時期に大臣に就任したロボスだ。
 そして玉座には初老、というには少し若いがそれでも歳を感じさせる男が深く腰掛けている。アリアハン国王ミナトール三世。
「遅かったな」
 王が口を開く。その顔には特に感情の起伏は見られない。いつものことだ。この王は謁見のような形式がかったことに関心を示すことはない。それでいて、自尊心が強いから謝辞を述べるのを忘れたりするとすぐに機嫌を損ねるから扱いづらいことこの上ない。
「申し訳ありません。家族や友人と別れを交わしておりましたら遅くなってしまいました」
 ジェイが跪き深く頭を垂れて応える。ケイティもしぶしぶそれに続く。
 ケイティは嫌いな王に頭を下げることをひどく嫌がる。
 一方ジェイは、そこら辺は融通が利き、笑顔で対応しとけば特に害があるわけではないのだから適当にいなしとけ、とか考えている。
「そうか……」
 王は特に気にした様子もなく、適当に返事をする。
 そして咳払いをして言葉を続ける。
「さて、そなたたちも今日で十六歳。これより我が国の代表、勇者として魔王討伐の任に就いてもらうことになる。それに当たって、我アリアハン国王ミナトール三世の名の下に、各国への通行を許可する通交証と、各国に協力を要請するための勅命状を与えることとする。ジェイ、ケイティ両名に一枚ずつ用意しておいた故、後で大臣から受け取ってくれ」
 ここまでを王は一息で言い切り二人の方を見る。まったく淀みなく言葉を発するくらいだから、言うことは予め用意しておいたのだろう。
 そこで王は怪訝な顔をし、再び口を開く。
「どうかしたか? 二人共。ジェイは妙に機嫌がよいようだし、ケイティは随分と機嫌が悪いようだが……」
 ジェイはただ顔に無理やり笑みを貼り付けているだけで、心うちはケイティの顔と変わらないのだが、王はそんなことには気づかない。それに気づく程度の賢明さでも持ち合わせていれば、もう少しましな王になっていたのだろうが……
 王の言葉を受けて不機嫌さが頂点に達したのかケイティが声を張り上げる。
「機嫌が悪いようだが、ですって! 私はあんたみたいなたぬきオヤジと顔を突き合わせているだっ! んぐっ!」
 そこでジェイの左手がケイティの口をふさぐ。代わりにジェイが言葉を紡ぐ。
「申し訳ありません。ついさっき、このケイティと喧嘩をいたしましたため、その興奮が冷め遣らず陛下のお耳を汚すような暴言を吐いてしまったのでしょう。愚妹に代わり私が陳謝いたします」
 ジェイはその間も笑みを絶やすことはない。
 ケイティは口をふさがれながらも、んぐんぐと何かを言おうとしているが、それを完全に無視したジェイが続ける。
「私の機嫌がいいのは至極当然のことでしょう。祖国の代表として世界を救う旅に出る。こんな名誉なことはありません。何の不満を持てましょうか」
 勿論、本気では言っていない。多分に皮肉が込められているが、愚かな王は言葉の表面を鵜呑みにして気づくことはない。ここで、ジェイが王を正面から見つめ、目にだけ力を加えた笑みを作り、口を開く。
「偉大なる勇者、私達の父オルテガと同じ道を歩めること、誇りに思います」
 少しだけ王の顔色が変わった。それを見たジェイは少し不機嫌そうな顔になった。
 一つの家庭を壊した罪悪感でも持っていたか、一丁前に。今さらそんなもの見せられたところで逆にむかつくだけだ。
 そんなことを考えている。
 もう彼らの父親は死んだし、彼ら自身も旅立たざるを得ない状況にある。この愚鈍な王の感情など意味がないものなのだ。
 王が気を取り直して締めにかかる。
「旅の成果を期待している……。後の細かい説明は大臣がする。わしからはこれで終わりだ」
 言って玉座から腰を上げ、侍女を引き連れて自室へと向っていく。

 王がいなくなると、ロボスがジェイとケイティの方へと近づいてきた。
「まずは通行証と勅命状を渡しておこう」
 そう言って丸められた書状を四つ差し出す。それを受け取るために、漸くジェイの手がケイティの口から離れた。
「ぷはっ! はぁはぁ……ジェイ! 何すんのよ!」
 当然ケイティがジェイに食って掛かったが、
「悪いがその話は後にしてもらえるか? 早く説明を終えて仕事に戻りたいのでな」
 と大臣がケイティの言葉を中断して声を掛けた。
 ケイティは、遅れてきたのはこっちだったからこれ以上迷惑を掛けるのも気の毒だと思い、口を閉じて書状に手を伸ばし受け取った。
 彼女的にはこの大臣の態度にもむかついているようだが、誰彼構わず喧嘩を売っていたら話が進まないことは重々承知しているようで文句を言ったりすることはない。
 ただそれでも、王に会うのは今日で最後なので文句をぶちまけようと彼女は前々から思っていたようで、それを実行するのを止めたジェイに対する怒りがだいぶ上昇していることが窺えた。
 そんなケイティの心の動きにはお構いなしに、ロボスは色々な説明を淡々と続けている。大体はつまらない内容だったが、旅の仲間に関しての説明は少し二人の興味を引いた。
「まず、王宮付きの戦士団からアラン団員を派遣することにした」
 それを聞いたケイティは変な顔をしていた。アランがついてくるのは本人同士の承諾で前々から決まっていたことだったから、今さらながらにこのオヤジの口から聞かされたことに違和感をもっただろう。
 まあ彼女のそんな考えはともかくとして、アランは国に仕えているのだからきちんとした手続きが必要であり、大臣がわざわざ口にしたのもその一環なのだ。
 ロボスはやはりお構いなしに言葉を続ける。
「他に、今ならルイーダの酒場に先日の闘技大会の時の選手たちが留まっているはずだから、目ぼしい者を各自連れて行くのもいいだろう。アランがその時の上位入賞者などを記憶しているはずだ」
 二人は闘技大会と聞いて、さっきまで一緒にいたこの国の姫を思い出していた。
 この闘技大会はティンシアの誕生会の際に行なわれたものだった。
 多くの参加者は国内の人間だったのだが、賞金が結構な額だったので他国からの力自慢も何人か参加していたのだ。大臣が言っているのはそんな者たちのことだろう。
 この二人はティンシアと一緒に食事の方に気を取られていたりしたので、あまり記憶にないようだが……
「私からはこんなところだな」
 漸く話が終わった。
 やっと開放されると安心したのか、ケイティの顔に張り付いていた不機嫌さも心もち和らいだように見える。
 話を終えて早々に挨拶もなく去ろうとしているロボスにジェイが声を掛けた。
「ちょっと待ってください。アランさんはどこに?」
 話には出てきたがこの場にはいなかった。
「あぁ、いい忘れていたな。アランは自宅で仕度をしてお前たちを待っている。場所は言わなくともよいだろう?」
 一応疑問の形で言ったが、その答えを待つことなくロボスは二人から離れていった。
 むかついたのだろう、ケイティは彼の後ろ姿に向って中指を立てた。それを見て、周りに立っていた兵士たちが少し眉を顰めているが、二人はそんな兵士たちを気にしないで階段の方へ足を向けた。
 ジェイとケイティは軽く睨み合いながら下へ降りていく。
 ジェイは妹の軽率さに、ケイティは文句を言いそびれたことに不満があるようだ。
 城を出たらひと悶着あるのは確実と見える。