4.仲間
アランの家、表通りの宿へ向う道を歩く二人に会話はいっさいなかった。
しかし、これは二人の不仲のためというわけではない。勿論そのせいもあるが……
城から宿屋への道筋は彼らの家へ向う道とほとんど同じ。城からずっと大きな通りを来て、しばらくすると左手の方に宿屋がある。彼らの家があるのは、その道を更に少し進んで脇道に入った奥。
二人はこのまま家へと足を向けたい気持ちになっていたが、そうもいかないので少し暗い気持ちになったのだ。
そうしてしばらく進んでいると、少し先の方に宿屋の看板が見えてきた。『海神亭』。海の神と書いて『わだつみ』と読むらしい。元々先祖が海の神を信仰する宗派に属していたためにこの名をつけたのだ、と店主アロガンは言っていたが、現在、二人の子供も当のアロガンも特に信仰を持っていないというから、今はその店名には名前としての意味以外はないと言える。
今までの道程で溜りに溜った陰気な空気を振り払うように、入り口のドアを開けつつ二人は大きな声で挨拶をする。
「おはよ〜」
「やっほ〜アロガンおじさん」
中に入ると、左の方にフロントがある。そこにアロガンが腰掛けて帳簿をチェックしていた。
アロガンは、坊主頭だから判りづらいが、二人の子供と同様に真っ白な髪をしている。とは言っても彼のそれは歳によるもので、昔は黒い髪だったそうだ。アラン、エミリアの髪は母ゆずりなのだ。アロガンの顔の造作で子供に受け継がれたのはその鋭い目つきぐらいだろう。帳簿に向けていたその鋭い目を二人の方へ動かし、口を開く。
「おぅ、来たか。ジェイ、ケイティ。待ってろ、今二人を……」
「ジェイ!」
アロガンの言葉を遮って、エミリアがフロントの奥の扉から飛び出してくる。長袖のシャツの上に厚手の袖なしベストを着込み、長めのスカートを穿いている。そして、手の中には何か黒い衣服らしきものが握られていた。
エミリアは、鋭い目つきがまったく気にならないほどの満面の笑みを浮かべ、ジェイの方へ駆け寄ってくる。
「よっ、エミリア。よく来たのがわかったな?」
「私の耳はジェイの声をどこからでも聞き取れるの」
微妙にいちゃつき出す二人を眺めつつ、ケイティはエミリアの相変わらずの急変ぶりを面白く思っていた。いつもは猫みたいに、辺りに警戒心、とは違うが張りつめたオーラを振りまいているのに、ジェイの前限定で、犬がシッポを振りながらまとわりつくような、そんな雰囲気になる。
ケイティがにやついているとジェイが気づいて、なんだよとでも言うように睨んできたのを受けて彼女も睨み返す。本日何度目かの喧嘩が始まるかと思われたが、その前にエミリアが声を掛けた。
「あ、ケイティ。兄さんはまだ準備が終わってないから部屋の方に行って」
ジェイに対する時とは違い、声には抑揚がなく表情も人形のように動かない。いつものことなのだが、あんまりな態度の違いに苦笑しながらわかったと返事をするケイティ。
ケイティ同様二人の様子に苦笑を浮かべているアロガンにフロントの中に入れてもらい、その奥のドアをくぐってアランの部屋へと向っていった。
ケイティがドアをくぐって消えた後、俺はジェイとエミリアの様子を眺めた。
一般の娘を持つ男親といえば、娘に近づく男を排除することに命を掛けているようなイメージがあるがそういうことをする気はない。
勿論、最初からそんな風に理解があったわけではない。
エミリアが六歳くらいの時、ジェイにまとわりつき始めた頃は、ジェイに近づくことを禁じたりと色々妨害をしたものだった。しかし、そんな努力の甲斐もなくエミリアのジェイ好きはいっさい変わらず、ジェイの旅立ちが決められた六年前には、彼のために本格的に魔法の勉強を始めた――それ以前からさして苦労もなく初歩の魔法は使えていたが――くらいだからもう娘の気持ちを変えることはできないだろう、と半分諦めの気持ちを持って何も言わなくなったのだ。
しかし……今日から旅の間はずっと一緒にいるのだから、ジェイとばかり話してないで俺にも何か話しかけてもいいのではないだろうか。
そんなことを思って、俺ってこんな寂しがりだったかなぁなどと考える。
妻がいなくなった時もまわりが逆に心配するくらい冷静でいた。それが、明日の今頃はアランもエミリアもいないのだ、と考えると特に話したいことがないにもかかわらず、何かを話したいという気になる。
「あ、父さん」
エミリアが急にこちらの方を向いて声を掛けてきた。考えたことが全て筒抜けだったような錯覚を覚える。
「なんだ?」
極力平静を装うが、声には明らかな動揺が含まれてしまった。
「私がいないからって、お客さんのご飯つまみ食いしちゃダメよ」
発せられたのは、よくわからない注意。確かに、たまにそういうことをしているが……
もう少し感動的な展開もあるかと思っていたから脱力して口を開いた。
「親子の別れにそういう話が出るとは、完全に意表を突かれたな……」
そうつぶやくと、ジェイが意外そうな顔をした。
「へぇ、アロガンおじさんってそういうの気にしないかと思ってた」
「そんなに気にはしねぇけどよ。もうちょっと感動的な展開というか、そういうのあるだろ?」
ジェイの言葉を受けてそう言うと、
「いやよ、面倒くさい」
エミリアが冷たい返事を返す。
まぁ、予想通りの返事なのだが、なんだかがっくりした。
しかし、何か違和感を覚える。それが何なのか確かめようとエミリアを注意深く見てみた。そして気づく。
エミリアの目が少し潤んでいた。表情も口調もいつも通りだから、よく見ないとまったく気づかないが……
そういえば、俺も昔は面に出さずに悲しむのが常だった。それを思い出し、何だか嬉しくなる。我ながら単純だと思う。
一方エミリアは再びジェイと話し始めた。
それを見ても今度は寂しさを覚えたりしない。さっきの応酬で親子の別れは十分だと思った。
「ジェイ、これ見て」
そう言って、エミリアは手にしていた黒いマントと先の尖った黒い帽子を身に着ける。
今日のために彼女が前々から用意していたものだ。布を自分の小遣いで買って作っていた。器用なものだ。
「用意しといたの。魔法使いっぽい?」
訊いてくるっと回る。ジェイはそれを見てエミリアに笑顔を向けて答える。
「ああ、ぽいぽい。よく似合ってるぞ」
それを聞いたエミリアはジェイの腕に抱きついて嬉しい! と叫んでいる。
「……」
俺はすっかり呆れて、あぁこいつらのこの恥ずかしい遣り取りを見なくてもすむようになるのはうれしいかも、と強がりにも本音にも取れることを思っていた。
「薬草、毒消し草、松明、ロープ、保存食……」
部屋へ行くと、アランさんが荷物を床に並べて点検していた。それを見て、いかにもアランさんらしいと思う。
彼は筋金入りの心配性なのだ。その上真面目ときているから少し融通が効かなくなることがあるが、私は細かいことを気にしないで突っ走るタイプなので採算は取れる。旅を共にするには調度いい。
そこでアランさんが誰かが来ていることに気づいて、背を向けたまま声を発する。
「あぁ、エミリア。戻ってきたってことはジェイは来てなかったのか? 珍しいな、お前がジェイの声を聞き間違うなんて」
どうやらエミリアと間違えているらしい。面白そうなので、そのまま黙っていることにした。
「ジェイが来るまでお前も薬草とか揃えといた方がいいぞ。ホイミが使えるからいいって言ってたけどな、呪文を封じられることだってあるだろう? 確かマホトーンだったか? あと保存食も大事だぞ。食うもんがないと生きていけないんだからな。それからロープ。これは、森とかで道に迷わないように枝に少しずつ縛り付けて目印にしたり、崖を降りる時とかにも、いや、こんな使い方は滅多にしないか……」
よくもこんなに道具についての忠告が続くものだと、感心半分呆れ半分でアランさんの後姿を見つめる。
そろそろ声を掛けようか? このままだとずっと道具の使い方や利便さを聞かされそうだ。そんなことを思った。
しかし、ただ普通に声を掛けるだけじゃつまらないと考え、アランさんの目を両手で後ろから隠す。エミリアならこんなことはしないだろう。さて、どんな反応を返すかな……?
「こら、準備中なんだから邪魔するな。それにしてもどうした。お前がこんなことするなんて滅多にない、いや初めてかもな」
そういいながら私の手を取って自分の目から外し振り返る。
アランさんの動きが止まった。
「おはようございます。アランさん」
笑顔で挨拶するとアランさんの顔がものすごい速度で赤くなる。
「ケケケケ、ケイティっ! いや、その、おは……よう、っと悪い!」
激しく動揺しながらどうにか挨拶し、最後に謝罪の言葉を叫びながら取っていた手を離す。
面白いリアクションをするアランさんに満足しつつも、何でこんなに慌てているのかなぁとか、こんなに赤くなってそんなに動揺したんだとか、手を握ったくらいで随分激しく謝るなぁなどと色々なことが頭に浮かんできた。
でも、こういう場面でそういう質問をするといつも適当にかわされるから、そのことは適当に無視することに決めて他のことを訊く。
「まだ準備してたんですか?」
言いながら床に並ぶ様々な道具を見る。見ても何なのかよくわからないものも結構あった。
アランさんは何とか平静を取り戻し応える。
「あぁ、出発してから足りないものに気づいても遅いからな。しっかり確認しないと」
「でも、城下を出たらレーベへ行くんですよね。二、三日もあれば着く距離ですよ。そんなにたくさん……」
レーベは城下から一番近くにある村だ。前にアランさんと話をしていたら、まずはそこに行くことになるだろうと言っていた。
「途中で何かあるかもしれないだろう。余分に準備するのは大事なことだぞ」
言ってアランさんは再び確認作業に戻る。薬草と毒消し草を間違えている辺りまだ少し動揺しているみたいだ。中々に長い動揺だな。
しかし相変わらずの心配性だなぁ。
まあ意見しても今さら考えを曲げたりはしないだろうからさっき見て何だかわからなかった道具を指差して訊いてみる。
「アランさん、これって何ですか?」
そう言って指した先には、何かの翼が幾つも連なっている不思議な形のもの。
「ん? あぁ、それはキメラの翼だ。聞いたことはあるだろう?」
「へぇ、これが……。確か、一瞬で行ったことのある場所へと行けるんでしたよね」
近くの道具屋でも売っているはずだけど、私はこの町から出ることもなかったから買うことも使うこともなかったのだ。
「そうだな。危なくなったらこれで逃げることもできるし、単純に移動に使うのもいい。少し割高なのが問題だけどな」
そう言いながらも、五つほど揃えている辺りはさすが心配性といったところか。
そこでふと思った疑問を口にする。
「ところで、キメラってどんなのですか?」
「は?」
突然の質問にかなり間の抜けた返事を返すアランさん。
少し分かりづらかったかなと思い、もう少し丁寧な質問の仕方に変える。
「だから、『キメラ』の翼なんですよね? だったらキメラっていう空を飛ぶ動物みたいなのがいたりするんじゃないんですか?」
質問の意図を理解してくれたようで、アランさんは私の質問に答えるために口を開く。
突然の質問でびっくりしたが、言い直してもらってなんとかその意図を理解した。
まあ最初の質問の仕方でもわかりそうなものだったが、さっきの“突然ケイティ事件”が尾を引いてまだ動揺しているみたいだ。
「そ、そういえばそうだな。今まで全然気づかなかった。でも……う〜ん、そんな名前の動物は聞いたことがないな。絶滅した動物とかなのかもなぁ」
ケイティはよくこういう風に不思議な質問をすることが多い。俺はそういうことは額面通りに受け入れるので、そういうことに気がつくケイティにはいつも感心してしまう。
「あぁ、そうかもしれませんね。それで在庫に限りがあって値段が高いとか」
一人頷くケイティ。その結論で納得したのだろう。満足そうな笑みを浮かべて、再び並んでいる道具を眺め出す。
その様子見つめる。楽しそうにしているケイティを見ていると頬が緩んだ。
そこで、ケイティが突然こちらの方を向いたものだから、目が思い切り合ってしまった。再び顔が赤くなっていくのを感じた。さっきは特に突っ込まれなかったが、今度こそ俺の気持ちに気づかれてしまうかもしれない、そんなことを思った。
「アランさん……」
俺の目を見つめたまま、ケイティが口を開く。
次にどんな言葉が続くのか、そんなことを思いながら心臓がとんでもない速さで動くのを感じ、ああ心臓ってこんなに速く動くんだと間抜けな感想を持つ。
ケイティの口が動く。
「この道具は何ですか?」
予想、というか妄想の中の彼女のセリフとのあまりの違いに、前に突っ伏して倒れてまともに顔を打った。
「ど、どうしたんですか? 顔、大丈夫ですか?」
訊くケイティに、大丈夫だ、と言いながら起き上がる。
ケイティの相変わらずの鈍さにホッとしたような、がっかりしたような複雑な思いを抱きつつ、訊かれた道具の説明を始める。
出発はもう少し先になりそうだな。
「じゃあ行ってくるよ、親父」
そう言って、アランがアロガンに向って軽く手を上げる。
やっとアランの準備も終わり、いよいよ宿を出てルイーダの酒場に向うことになった。
成人した息子が相手では娘に対して持つような感情は沸いてこないのか、アロガンもあっさりした返事だけで応える。
「おぅ、おみやげ頼むぞ」
そう言って、さっさと宿の中に引っこんでしまった。さすがにアランは苦笑しているが、特に父を追いかけて更に言葉を掛けたりはしなかった。
女店主ルイーダが経営する酒場は宿からそう遠くないところに位置している。宿では酒を出さないから、夜になると宿泊客がその酒場に足を向けて随分と売り上げに貢献している。それ故、というわけでもないが、彼らはルイーダとはそれなりに親交があり、酔っ払い相手に仕入れた有益な情報も格安で売ってくれる。タダにはしないあたりが、いかにも商売人といった感じだが。
店に入ったアランは先頭を歩き、一直線にカウンター席に向う。椅子には腰を掛けずに、店主ルイーダの前に立って十ゴールド貨幣を差し出した。
「この前の闘技大会で優勝したバーニィ=キャットウォーク、知ってるだろ? どこにいる?」
ルイーダは色ののった目をアランに向け、十ゴールドを受け取る。
黒い艶やかな髪、整った眉、切れ長の目、色っぽい唇、非の打ち所が見当たらない整った顔立ちの女性、ルイーダ。
酒場という場所にふさわしい少し濃い目の化粧を施し、胸も足もどばっと出るいわゆるボディコンを着ている。
ジェイはその格好を見て、そろそろいい年なんだからボディコンはやめろよと言ってみぞおちに重い一撃を入れられたこの間のことを思い出してうんざりしていた。
ケイティもまたそのことを思い出し、こちらはにやにやと嬉しそうに笑っている。
エミリアはルイーダの豊満な胸を見つめ、元々鋭い目つきが更に鋭くなった。なにやらコンプレックスがあるようだ。
ルイーダが口を開いた。
「灰色の髪した目つきの鋭い兄さんだろ。ありゃあ、堅気の商売じゃあないよ。あんたらの旅の共にはどうだろうねぇ」
と言いつつ、ルイーダは右手を上げて、アランの右斜め後ろの席を指差す。
そこには、ルイーダの言ったとおりの容貌をした男がグラスを傾け座っていた。
「ってここにいんのかよ! 金返せ! 聞く必要なかったじゃんか!」
アランが突っ込みつつ、ルイーダに詰め寄る。
ルイーダは先ほどアランから受け取った十ゴールド貨幣をさっさとしまい、知らん顔を決め込んだ。
アランが恨めしそうにルイーダを睨むと、横から声が掛かった。
「ほら、アラン。けち臭いこと言わない! 男が一度だしたもの引っ込めるんじゃないの」
言ったのはルイーダと似たような酒場に似合う格好をした金髪の美女。同じように化粧を濃くしているが、大き目の瞳がその化粧と少し合わないような印象を与える。とはいえ、顔の造作はいかにも酒場のウエイトレスといった風な容貌だ。あとルイーダよりも随分若く見える、というか実際に若いのが特徴といえば特徴。
「アマンダか……」
アランが金髪美女を見てそう言う。
「そう! あたしはアマンダ! 二十三歳、独身、恋人募集中!」
アマンダがハイテンションでポーズを決め、誰にでもなく自己紹介めいたことを言う。
「誰に言ってんだよ?」
ジェイが最もな突っ込みを入れる。
「そういう細かいことは気にしないのよ、ジェイ坊や」
「誰が坊やだ!」
ジェイが上げた抗議の声を軽く無視して、アランの鼻先に指をつきつけて声を掛けるアマンダ。
「悪いのは彼の存在に気づかずに速攻でルイーダの方に向ったあなた、でしょう?」
確かにアランはバーニィの顔を知っていたから店内を見回せばすぐに気づいたはずだ。昼間だけあって客は数えるほどしかいない。
こいつは完全に自分のミスだな、としぶしぶ納得したアランは気を取り直してバーニィの方へと向う。アマンダがルイーダに説得料としていくらかよこせと詰め寄っているが、アランはなるべく気にしないよう努めてバーニィに声を掛ける。
「どうも、バーニィ。憶えていますか? 闘技大会の時声を掛けた……」
「アラン、だろ。確か、アリアハン勇者パーティの一員として一緒に行って欲しい、だったか?」
その言葉を訊いて、アランが少し表情を緩める。
これは感触がよさそうだ、そんなことをジェイとケイティは考える。闘技大会優勝者ということはかなりの実力者だろう。即戦力として期待できること請け合いだ。
「憶えててくれましたか」
「憶えてたっていうか、思い出したんだ。さっきからあんたらの言ってること丸聞こえだったし、あんたの顔も見覚えあったからな。で、他にも思い出したんだけどな。確か綺麗な女の子と一緒の旅ならついていくって約束だったよな?」
言って顔を周りに集まっている四人に向ける。しかし、すぐにその顔を落胆の色で染め、
「却下」
と言って、グラスに残っていた酒を一気に飲み干し、アマンダにもう一杯と頼む。
その態度に腹を立てたのがケイティだ。バーニィに食って掛かる。
「ちょっと、何よその反応は! 私ほどの美少女はそういないわよ!」
ケイティも普段からこんな自意識過剰なことを考えているわけではない。しかし、あんな態度を取られては黙っていられない、と奮起したのだった。
しかし、そんなケイティの様子に呆れた表情をしたバーニィが応える。
「悪いが、譲ちゃん。君みたいなちんちくりんじゃ完全に力不足。勿論、そっちの更にちびっこい目つきの悪い譲ちゃんもな」
言って指す先をケイティ、エミリアと移す。
その後アマンダから新しいグラスを受け取り、更に言葉を続ける。
「そうだな、このお姉さんくらい色気がある人となら旅をする楽しみもあるってもんだが」
と言ってアマンダの方を見る。アマンダは面倒臭そうに適当な返事をしている。
ケイティはまだ何か言いたそうにしていたが、アマンダのような色気は自分にはないことを十二分に自覚していたので言葉が続かない。エミリアは特に気にしていない様子。
そこで、ジェイが口を開いた。
「じゃあ、アマンダ俺と一緒に来ねぇ?」
全員の顔がジェイの方に向く。エミリアとアマンダ以外の顔からは同じ思考を感じ取ることができた。――勇者パーティに酒場のウエイトレスを勧誘するか、普通。
当然アマンダも断るだろうと誰もが思ったが……
「いいわよ」
予想外の二つ返事。
「いいの!?」
「いいのか!?」
ケイティとアランが同時に叫んだ。驚きの叫び――このままだと即戦力バーニィをジェイのパーティに取られてしまう、ケイティの叫びにはそんな焦りの気持ちも含まれていたが――。
今度はルイーダに全員の視線が移った。
アマンダも一応ここの従業員だ。店主の許可がいる、とみんな考えたのだろう。
その視線を受けてルイーダは口を開く。
「いいんじゃない、別に」
『軽っ!!』
今度は、ケイティ、アランのみならず、バーニィや話に関係のなかった他の客までもが声を揃えて叫んだ。
誰もが急な展開に戸惑っている中、ジェイがバーニィに声を掛ける。
「これで、俺と一緒に来れば美人と旅ができることが決定したわけだけど、当然ついてきてくれるよな」
言ってにっこりと笑う。
まだ混乱した空気に動転していたバーニィはつい、あぁと返事をしてしまい、結局、職業盗賊(訊くと自分でそう言った。どうも最近は技術者として認知されてるらしい)のバーニィはジェイのパーティに加わることとなった。ついでにウエイトレスのアマンダも加わって完全に色物パーティと化した彼らは、混乱した人々を残して早々にルイーダの酒場を後にしたのだった。
ジェイが出て行く時にケイティに向って「じゃあな、ちんちくりんの馬鹿女」と言ったためケイティが騒ぎ出し、それにつられて酒場には正常な喧騒が戻ってきた。
それと共に、ケイティ、アランにも正常な思考能力が戻る。
「ジェイのあほに有力人物取られたぁ!」
「ていうか、お前ら本当に別々に出発するんだな……」
表情を険しくして叫ぶケイティを横目で見ながら、アランが疲れた声を出す。
前から聞いてはいたのだがアランはずっと考え直すように説得し続けていたから、その努力が実らなかったことを改めて確認して残念そうに眉を顰める。
「そんなことよりアランさん! どうするんですか? 闘技大会優勝者なんて有力株とられちゃうなんて! しかもよりにもよってあのジェイに〜!」
あのジェイに、というところを何度も繰り返しながら床を激しく踏み鳴らすケイティ。
実力者を仲間にできなかったことより、ジェイに取られたことの方がよっぽど重大なようだ。
これじゃあ一緒に行けと言ったって無理な注文だったな。アランはそんなことを考えて、気を取り直す。
「ほら、床を踏み鳴らしてても仕様がないだろ、ケイティ」
そう声を掛けてから改めてルイーダの方を向くアラン。
「ルイーダ、メル=ファーフォンについての情報は?」
ルイーダが黙って右手を差し出す。
アランは店主を睨みつつ口を開く。
「情報料はさっき出しただろ」
「あれはさっきの分。嫌ならいいわよ、別に」
そう言って、カウンターの奥の棚からブランデーを取り出し、自分で飲みだした。
飲みながらわざとらしく、あっそうだ、などと呟き先を続ける。
「ひとつ、重要な情報をあげる。その娘を自力で見つけるのはたぶん無理よ」
それは、メルという人物がいまだこの国にいてなおかつ中々見つけられないということを意味する。重要な情報というよりはさっさと金を出せという催促。
「わかったよ、ほら!」
言ってアランは十ゴールド貨幣を再び差し出す。
「また十ゴールド? しけてるわね」
ルイーダは愚痴りながらも、さっさと貨幣をしまう。
「メル=ファーフォンね。まあ、私はその娘に直接会ったことはないんだけど……」
「おい」
アランが青筋をたててルイーダに詰め寄る。
「慌てないの。闘技大会準優勝の娘でしょ。そういう目立つ奴の情報は客の相手してれば入ってくるのよ。だいたい確かこの娘、ケイティより年下よ。こんなとこに来るわけないでしょ」
それを聞いてケイティが踏み鳴らしていた足を止める。
自分より年下で、名前を聞いた感じ女の子。それに準優勝ということはさっきのバーニィとかいうやつと同じくらいの強さなのだろう。さっきの男はなんだかむかつく感じだったし、こっちの方がいい条件のような気がする。いや、断然いい。
そこまでを一瞬で考え、なんだかジェイより優位に立ったような気になり、機嫌を良くするケイティ。そのよくなった機嫌を携えてルイーダに訊く。
「それで、その娘はどこにいるの?」
「城の中、という話よ」
それを訊いたアランが怪訝な顔をする。
「ちょっと待て。闘技大会が終わってから十日ほどたつが、俺は彼女を一度も見てないぞ。その情報確かなのか?」
言って、疑いの眼差しと、金返せという眼差しを向けるアラン。
「出所は時々来る城に仕えてる学者よ。牢屋への階段に向うその娘を何度か見たって言ってたわ」
「牢屋? 捕まってるの?」
ケイティが戸惑った声を出す。それじゃあ、連れては行けないだろう。
「あんたねぇ。捕まってる人間がそんなちょこちょこ抜け出して目撃される訳ないでしょう」
ルイーダが呆れた顔でケイティを見る。
ケイティはそれもそうかと納得して次の疑問を口にする。
「じゃあ、なんで牢屋に?」
「ナジミの塔、かもしれないな」
アランが独り言のように呟く。
ナジミの塔といえば湖の真ん中にある島に聳え立つ建造物のことだ。それがなぜ城の牢屋の話と繋がるのかケイティには理解できないのだろう。その顔にはクエッションマークが見え隠れ。
「どういうことですか?」
「城の牢部屋の奥には、ナジミの塔に通じる通路があるんだ。最近あの塔にも魔物が棲みつくようになったから、討伐隊を組む話があったんだが。彼女に頼んだのかもしれない」
「そんなの一人でやらせるなんて酷いですよ。何かあったらどうするんですか?」
ケイティが非難の目をアランに向ける。ただこれは、アランにというより城の責任者、王に対する非難。
ケイティが王を嫌悪していることは良く知っていたので、アランは彼女の非難がどこを向いているか瞬時に察知し苦笑を浮かべる。
「これは陛下が下した命ではないはずだ。たぶん兵士長か、どんなに上まで行っても大臣止まりだろうな。最近は魔物の被害も増えてきて城に仕える兵士も俺たち戦士団も忙しいから彼女に頼んだんだ、そんなところだろう。そんな情けない話を大っぴらに言うわけもないから、俺も知らなかったんだな」
城には戦力といえる勢力が二つある。兵団と戦士団だ。
兵団は城に仕える者たちをまとめたものの総称。武術に長けたもの、魔術に長けたもの両方存在する。
一方戦士団は城に仕えているわけではなく、城から依頼を受け仕事をする。拒否権もあるが基本的に断ることはないため城に仕えているのと変わらず、かつ城の中に詰め所があるので王宮付きと形容されることが多い。
この二つの一番の違いは、兵団が王宮内のことを処理するのが多いのに対し、戦士団は王宮外、主に町の魔物被害の処理をするのが常という点だった。しかし、昨今の魔物の増大、凶暴化に伴ってその境は取り除かれ、共に魔物被害への対処に走り回っているのが現状。
こんな状況だったから、多くの猛者が集った闘技大会で準優勝という成績を収めたメルに依頼が回ってきたのだろう。しかし……
「でも、一人でっていうのは無茶ですよ。いくら準優勝した娘でも!」
ケイティが更に非難の声を上げるが、アランは首を振るって否定する。
「いや、彼女は他国から来たというから、この辺りの魔物なら百匹ちかくを相手にしても余裕だろう。実際、闘技大会の彼女はとんでもない強さだったぞ。ケイティも姫様と一緒に見てたんじゃないのか?」
その姫様と一緒になってご馳走を平らげることに夢中になっていたケイティは、答えに困って目を逸らす。
「いやぁ、ちょっと見逃しちゃったかなぁ」
そう言って乾いた笑いを発する。アランは大体の察しがついたのだろう、それ以上は突っ込まなかった。
そこで空のグラスを弄んでいたルイーダが口を開く。
「ていうか、場所がわかったんならさっさと行ったら? 注文もせず情報料もケチるような奴らの相手するほど暇じゃないんだけど」
言ってしっしと右手をふり、左手でブランデーの壜を傾け自分のグラスにつぐ。
もう用もなかったから、アランはルイーダに軽く礼を言いケイティを連れ立って入り口へと向う。その時、後ろから声が聞こえた。
「あんま無理すんじゃないわよ。魔王なんてののために死ぬこたぁないんだから」
彼女らしくやる気の抜けた言葉。しかし優しさのこもった言葉。
無責任な期待など微塵も感じさせない。
ケイティは嬉しさを憶える。
そんなケイティを横目で見て、同じく嬉しそうな顔をするアラン。
しかし、その顔はすぐに崩れることとなった。
「特にアランは、溜まってるツケを払う前に死んだりしないでよね」
「俺はここで酒飲んだことなんてないだろうが!」
酒場を出るのが少し遅れた。