6.ナジミの塔
私は今アランさんと一緒に再び城への橋を渡っている。今回は王に会うためではないから幾分気が楽だ。
アランさんが城の入り口にいた兵士と二、三言葉を交わして城門をくぐる。
私もその兵士に軽くどうも〜と挨拶すると、彼は緊張した面持ちで敬礼をした。いくら勇者という肩書きがあるといってもこんな小娘にこんなに緊張しなくてもいいのに、そんなことを思う。
なんだか、姫扱いされることを嫌うティンシアの気持ちがわかる気がした。そんなことを考えていたらそのティンシアから声が掛かった。
「ケイティとアランじゃない。もう出発したのかと思ってた」
嬉しそうな顔で駆け寄りながらそう言う。
「これは姫様、今は礼儀作法の勉学のお時間では?」
アランさんが訊いた。他の兵士のような緊張した態度じゃない。彼は戦士団に入る前から私たちと一緒に城に入っていたから、ティンシアとはその頃から個人的な付き合いがあるのだ。口調こそ丁寧だがそれは立場上というやつで他意はない。
「休憩中なの! それよりアランは今日からケイティについて行くんでしょ? お城の人間ってわけじゃないんだからその畏まった口調やめてよね!」
昔はティンシアとも普通の口調で話していたのに、アランさんは城に仕えるようになってからさっきみたいな丁寧な話し方をしている。そんな態度のアランさんにティンシアは普段から怒っていた。これを機に態度を元に戻してもらいたい、そんなことを考えているのだろう。
しかし、アランさんが返した言葉はやはりバカ丁寧。
「確かに私は、本日から城の人間ではありません」
そう言ってから意味ありげに言葉を溜めて、
「ならば、姫様の命を聞く必要もないですね」
笑みを浮かべるアランさん。その様子に我慢できなくて私はふきだしてしまった。
ティンシアはその答えにぽかんとしてアランさんの顔を見つめているが、しばらくして声を上げて笑い出した。
「あはははは! それもそうね。じゃあ、お願いならいい? 前みたいに……、ううんやっぱりいいや」
言いかけたことを途中でやめるティンシア。
彼女もわかっているのだろう。アランさんは何も変わっていない。大事なのは口調なんかじゃないのだ。
そこで私は口を開く。話題はまったく別のこと。
「朝に別れたばっかりなのにもう再会しているんだから、なんか変な感じだよねティンシア」
「ホント。何か拍子抜けしちゃった。でも、何しに来たの?」
ティンシアが訊いてくる。
「仲間になってくれそうな人が城内にいるらしくてね、ティンシアは知らない? メル=ファーフォンっていう女の子なんだけど。歳は私より少し低いくらいなんだって」
それを聞いたティンシアが大きな目を更に大きくした。
「メルを連れて行くんだ?」
本当に意外そうな声を出す。
「知っているの?」
「そりゃあ、だってメルは……」
そこまで言ってからティンシアは言葉を止めた。言ってはいけないことを言ってしまったような、そんな苦い顔をしている。
「どうかしましたか?」
アランさんが訊くとティンシアは首を激しく振る。
「ううん! 何でもない! メルなら何か牢屋の方に行ったよ。五、六日前からちょくちょく行ってるみたい。行ってみたら?」
怪しすぎる態度だった。とはいえそれを追求しても仕様がない。
何か危険なことだったら、この歳の割に聡明な女の子は隠したりしないだろうし、きっと個人的な約束でもあるのだろう。
メルがどこにいるかはわかったし、早々に向うのがいいだろう。城内にいる内に会いたかったが、初対面は塔へ向う通路、もしくはナジミの塔内部になりそうだ。
「じゃあ、ティンシア。今度こそしばらく会えないと思うけど、元気でね」
ティンシアに向けてそう声をかける。
「ケイティこそ元気でね。精霊の加護が共にありますように」
笑顔で習ったばかりなのだろうと思われる文句を使う。
そのもったいぶった言い回しに思わず苦笑した。
子供らしい笑顔と合わないことこの上ない。
「アランもまたね」
ティンシアは、今度はアランさんに向けて口を開く。
「ええ、いつかまたお会いできることを楽しみにしております」
とやはり馬鹿丁寧な口上を口にする。
最後くらい前みたいな口調になってくれてもいいのに、そんな感じのことを考えているのだろう。ティンシアは残念そうな顔をしている。アランさんも人が悪いと思う。
「ティンシア」
そう言ったのが誰なのか、私は一瞬わからなかった。
あまりにも自然に発せられた言葉。
今まで必要以上の丁寧語を発していた人の口から発せられたとは思えなかった。
びくっ、とアランさんに顔を向けるティンシア。
アランさんは悪戯っぽい笑みを浮かべていた。
ティンシアはしばらく呆然としてアランさんの顔を見つめていたが、その顔には段々と笑みが広がっていった。
「うん! 私も楽しみにしてる!」
満面の笑みを浮かべて応えるティンシア。
まるで、次に会うまでの分の笑顔もまとめて振りまいているかのような、いい笑顔だった。
牢屋に着くと牢番に話を聞く。
当然というか何というか、メルは牢に入っているわけではなかった。アランさんの言ったとおりナジミの塔への通路を通るためにここへ来ているらしい。
その通路へと続く扉の鍵を牢番に開けてもらい、そのことに対する礼を述べてアランさんと一緒にナジミの塔を目指す。
途中魔物に会うこともあったがアランさんの話ほどいるというわけではなかった。ただ、元はいたのだろう。通路のあちこちにはフロッガー、人面蝶、一角ウサギ、その他様々な魔物たちの死体が積まれていた。この数を一人で倒したのだとしたら確かにメルの実力は相当なものだろう。
ちょびちょびと現れる魔物を適当に倒しつつ進むと、上へと上がる階段が見えてきた。
あそこからナジミの塔に行けるのだろう。やっとひと段落だ。
そんなことを思って足を速める。
だけどその時、階段の上から突然人面蝶が現れた。
二匹いたので、一匹をアランさんにお願いしてから地を蹴って、気持ちの悪いもう一匹の蝶に向う。
しかし、その蝶は突然震えだしたかと思うと五匹に分裂した。多少戸惑うが内の二匹を二本の短剣でまとめて薙ぎ払う。しかし、手ごたえがない。
くそっ、マヌーサね……
そう思って舌打ちをする。見るとアランさんもよくわからない場所を剣で薙いでいた。そこで作戦を変えることにする。
「アランさん! 私のそばまで来てください!」
その声を聞いてすぐに寄ってくるアランさん。その後を追って飛んでくる何匹もの蝶を確認してから、私は頭の中でできあがっていた閃光のイメージを解き放つ。
「ギラ!」
通路を分断するほどの激しい炎が生まれ、その炎が不気味な蝶を包み込む。
何匹かはなんでもないように平然としているが、その内の二匹が断末魔の悲鳴を上げて燃え尽きる。すると見えていた全ての蝶が消えた。
やがて炎も消えて、通路には静寂が戻る。
「今のは何だったんだ?」
アランさんが訊いてきた。
ギラに関しての質問ではなくマヌーサについての質問だろう。
「今のはマヌーサという幻影を見せる魔法です。人面蝶が何匹もいるように見えましたけど、ほとんどはマヌーサの呪文が見せる幻だったんです。で、その全部を一気に攻撃すると手っ取り早いからギラで一網打尽にしたってわけですよ」
自分でも随分と親切な解説をしているなぁと思う。
聞いたアランさんは、面倒な呪文があるんだな、と顔を顰めた。
確かに呪文を使えない彼にとってはかなりの脅威となる魔法だろう。
そんな彼の様子に少し不安を覚えた。
しかしメルを見つけていない以上戻るわけにもいかないので、そのままナジミの塔へと足を踏み入れることにする。私達はさっきよりもやや警戒した足どりで歩を進めた。
「さっきの通路以上に魔物が見当たりませんね」
そう呟く。
せっかく高めた警戒心が裏切られたような、そんな不満の気持ちを込めて。
「この塔は湖の真ん中にあって孤立しているからな。本来なら魔物が蔓延るはずもない。元々あの通路からやって来たのがここに住み着いたんだろう。メルがここに来ているなら、入り口辺りの魔物はもうあらかた片付けたんじゃないか」
アランさんが、周りに転がっている魔物の死体を見ながらそんなことを口にした。
「なら、二手に分かれますか?」
その方が早くメルを探し出せるはずだ。そう考えて提案したが、
「いや、さすがにそれは危険だろう。絶対に魔物が出ないというわけじゃないんだ」
とアランさん。
そこで、その言葉を聞いていたかのように三匹の魔物が現れる。一匹はさっきと同じく人面蝶、残りはお化けアリクイとバブルスライムだった。
アランさんはさっきのことを思い出したのか、人面蝶は私に頼み残りの二匹に向う。
走りこんでいった勢いをそのままにお化けアリクイを両断し、その絶命を確認した後バブルスライムに相対するように向きを変える。
そこで私は危ない! と声を上げた。
タイミングを計ったかのように、バブルスライムの毒の息がアランさんに向けて吐かれたのだ。アランさんはそれをまともにかぶってしまう。
その毒で呼吸が苦しくなったのかむせているようだが、それでも何とかバブルスライムの体を剣で切り裂いた。
ちょうどその時、私は頭の中に思い描いた炎を解き放った。
「メラ!」
人の頭くらいの炎が人面蝶を巻き込む。
これでひとまず戦闘は終わった。でも……
気を抜いたせいかアランさんが一気に崩れ落ちて、膝を床についた。
「アランさん!」
私はアランに走り寄って声をかける。
「大丈夫ですか?」
「大丈夫。俺の鞄の中から毒消し草を取ってくれ。それですぐに直る」
意外なほど口調ははっきりしているが、顔色は真っ青だ。
私は大急ぎでアランさんの鞄をあさる。
毒消し草はすぐに見つかった。アランさんの整理の良さには頭が下がる。
それを取り出してアランさんに渡すと、彼は葉を絞ってエキスを飲み込む。しばらくは苦しんでいたがすぐに体調を取り戻し、笑顔を見せた。
「助かったよ、ありがとう」
「いえ、アランさんの準備がよかったからです」
私は思ったことをそのまま口に出す。
この国の魔物は確かに弱い。しかしバブルスライムのように毒を持つものが結構多いのだ。そのことをきちんと考慮していたのだろう、さっき見た鞄の中には多すぎるほどの毒消し草が入っていた。
「しかし、自分で用意してきて一番に自分が世話になるなんて、なんか馬鹿みたいだな」
アランさんがおどけたような口調で言う。私はその言葉を否定した。
「そんなことないですよ! バブルスライムと戦ったのが私だったらやっぱり毒を受けていたかもしれないし、しっかり準備しているアランさんは偉いと思います!」
軽く冗談みたいなつもりで言ったんだろう、アランさんは私の真剣な様子に少し面食らったようだった。
でも、本当にそう思ったからしっかり伝えておきたかったのだ。
「はは、ありがとう。さ、先に進もう。たぶん上にいけばメルにも会えるはずだ」
照れくさいのか、頬を染めて明るい口調で答えるアランさん。
しかし、少し心配だ。すぐに動いて大丈夫だろうか?
「でも、大丈夫ですか? 少し休んだ方が……」
「大丈夫、大丈夫。ほら、行くぞ」
言って、アランさんは奥へとどんどん進んでいく。
もう、私にはよく無茶するなとかいうくせに自分は平気で無茶するんだから。
わたしは迷っていた。
しかし、これは人生に迷ったとかそういう哲学的な類のことではない。
単純に道に迷ったのだ。
出てくる魔物を片っ端から倒して塔を順調に登ってきたまではよかったが、この塔は随分と部屋が多いようで、その全てを調べながら進んでいたら自分がどこから来たのかよく分からなくなってしまったのだ。
今開いた部屋も、初めてドアを開いたと思ったのだが中を見ると見覚えがあった。
塔なのだから下へ向えば取り敢えず出ることは出来るだろう、とか考えて階段を下りるとなぜか行き止まりだったりするからもうわけが分からない。
こうなったら床をぶち抜いて下まで降りようかな、などと半ば本気で思い始めた時、人の話し声が聞こえた。
盗賊とかそういう奴らかと思って、わたしは息を潜める。
一応アリアハンの依頼で来ているのだから捕まえようと思ったのだ。国の建造物を荒らそうとしている奴らを捕まえても、誉められこそすれば叱られたりはしないだろう。
自分もさっきまで床をぶち抜こうなどと考えていたことは考えないようにし、わたしは隠れていた柱の影から飛び出し、盗賊その一に飛び掛る。
盗賊一はわたしのその一撃を避けて、腰に差していた短剣二本を構える。
避けられるとは思っていなかったので少しびっくり。
盗賊一に対して感心しながら、今度は腰を落として力一杯床を踏みしめ動く。瞬時に間合いを詰め同時に拳を相手の剣の柄の部分に打ち出して相手の剣を落とした。
盗賊一は残ったもう片方の剣を振るうがそれも体を沈めて避け、その体を沈めたときの勢いを、体を回転させる勢いに変えて一気に回し蹴りを打ち出す。その蹴りによって盗賊一は持っていたもう一振りの短剣も落とした。
後は大人しくさせて城に連れて行くのがいいだろうと考え、お腹に一発お見舞いしようとした、その時……
「待ってくれ! 君はメル=ファーフォンだろ!」
盗賊二の声が上がった。
いきなり自分の名前を呼ばれて、思わずその盗賊二を見つめる。
そして気づいた。わたしは彼を見たことがある。あれは確か闘技大会が終わった後……
「君に声を掛けたアランだ。改めて仲間になってくれないか交渉に来たんだ」
「あははは、いや〜ごめんねぇ。てっきり盗賊かなんかかと思っちゃってさぁ」
言って私に笑いかける少女。肩までのびた黒髪の一部を頭の両側で縛るという変わった髪型で、その容姿はさっきの戦闘能力からは想像しづらいほど子供っぽい。武道着を着込んだ体はすらっと伸びていて無駄はいっさい見当たらない。闘技大会準優勝者メル=ファーフォンその人。
「ううん、いいのよ。それにしても、すごく強いのね」
数秒の攻防で短剣を二本とも落とされた。そしてアランさんの呼びかけがなければあのまま腹にきつい一撃を食らっていたことだろう。これで準優勝だというから優勝者だというあのバーニィとかいうやつはどれだけの強さなのだろうか。
「えへへ、そうかなぁ。でも、まだ取って置きの技があるんだよ」
嬉しそうなような、照れているような微妙な笑顔を浮かべメルが言った。
「技?」
「うん、気功っていってね。これを使うと岩の壁でも軽く突き破れる攻撃ができるんだよ」
さすがに人相手には使えないけど、と言って照れ笑いを浮かべるメル。
気功、通称『気』の存在は知っていた。肉体自体が爆発的な力を生み出す、魔法とは少しだけ異なる力。しかし、こんな女の子が使えるなんて驚きだなぁ。
「じゃあ、塔の魔物はそれで?」
アランさんが声を掛ける。
そういえば彼は、いくらなんでも倒している魔物の数が多すぎると言っていた。彼女に追いつくまでに見つけた死体の数は、少なく見積もっても百数十。
「はい。さすがにこれだけ沢山いる魔物を全部素手で倒すのは無理がありますから」
メルは無邪気に笑うが、話している内容が内容だけに私たちは笑えなかった。
「ところで、そっちのお兄さんは確かアランさん、でしたよね? それであなたは?」
と言ってこちらを指差すメル。
「あ、私はケイティっていうの。それで、アランさんから聞いたと思うんだけど、私の旅についてきて欲しいんだけど……」
「それじゃあ、あなた、ケイティがオルテガおじ様の子供なんだ」
「オルテガ、おじ様?」
メルの妙な呼び方をそのまま返す。今私は変な顔をしていると思う。
オルテガというのは確かに私の父親だ。それはそうなのだが、オルテガおじ様というのはなんだろう? 父さんをこんな風に呼ぶ人にいままで会ったことがなかった。
「オルテガさんは昔彼女の故郷を訪れたことがあったんだそうだ。その時にちょっとした事件に巻き込まれた彼女をオルテガさんが救って、それで、その」
なぜか言葉を濁すアランさんに続いて、メルが目をキラキラさせながら言葉を発した。
「その時に、わたしはおじ様と恋に落ちたの」
「……は?」
突然のメルの言葉に目が点になる。
彼女は私より年下という話だった。その彼女と父さんが恋に落ちた? いや、父さんが死んだのが六年前ということを考えればそれ以前の話ということになるから……
「ケイティ、たぶん変なこと考えていると思うが、彼女がオルテガさんのことを好きになったということでオルテガさんが変な趣味を持っていたということじゃないぞ」
アランさんが補足を入れてくれた。
それを聞いてなんとか父親像というものを破棄せずにすんだ。名前しか知らない父さんについて初めて知るエピソードが変な性癖プラス不倫では十回ほどグレても足りないくらい心に傷が残る。
そんな私の心の中の葛藤は気にせずにメルが続けた。
「わたしおじ様が旅立ってからは毎日修行して次に会った時に連れて行ってもらおうとしていたの。でもおじ様が亡くなったと聞いてそれが信じられなくて、その真相を探るために六年前に家出するように旅に出たのよ」
メルは軽く言ったが六年前といえば、この少女はいったい幾つだったのか?
「ねぇ、メル。あなた今何歳?」
「十五」
九歳で旅に出る……呆れてしまう。見るとアランさんもそんな感じの表情をしている。
恋は盲目とはよく言ったものだ。
もう一つ質問をする。
「それでその、父さんの死の真相、まあそんなものがあるのかって気もするけど、それはわかったの?」
実は生きているなどというご都合主義な展開を望んでいるわけではないが、さすがに興味を覚えた。
「それが全然。おじ様一人旅だったから立ち寄った町での情報くらいしか集まらないし、その情報もヌイグルミを着ていたとか、薬草を値切ってたいとかそういうどうでもいいのだったわ」
嬉しそうに語るメル。今のどこがそんなに嬉しかったのか理解に苦しむ。というかヌイグルミを着ている父さんや薬草を値切っている父さんを想像して少しへこんだ。今までいかにも英雄然とした父さんの話しか聞いていなかったし、そのことに対して結構煩わしさのようなものも感じていたから新鮮といえば新鮮だったが、それにしてもヌイグルミか……
頭の中に浮かんだ妙な想像を振り払うようにさらにメルに訊く。
「じゃあ、この国にも父さんのことを調べに?」
「ううん。ここには、闘技大会の賞金を目当てに来たの。路銀が尽きたときに噂を聞いて、ルーラ使える魔法使いを掴まえて送ってもらったんだ」
ただ、それでも一応は調べてみたらしい。しかし、出発前の話を聞くことはできたが、死の前後の辺りの話なんかは出ることがなかったという。まぁ、それは当然といえば当然だろう。出発以来帰ってこなかった男の最期の頃の話が故郷で出るわけもない。
あれ、でもその割には……
「ねぇ、メル。うちには来た? そんな話は聞かなかったけど」
母さんもじいちゃんも、ついでにジェイもそんなことは言ってなかった。
「ううん、なんか悪いかなぁと思って」
妙な気遣いだと思った。
そりゃぁ今晩のおかずを訊くのと同じように訊けるような話題ではないだろうが、もう六年も前のことなのだから普通に訊きにくればいいと思う。
それとも、母さんあたりはやっぱり気にするものだろうか? どうもこういう感情の機微に私は疎いところがあるなぁ。
そんなことを考えているとメルが再び話し始めた。
「それで一通り調べ終わって、闘技大会も終わって、さあ他の国へ行こう! と思ったら船は出てないし、連れてきてもらった魔法使いはいつの間にか他の国へ行っちゃっているし、で困ってたの。宿代もばかにならないしなぁとか考えていたら……」
「城からこの塔の魔物討伐の依頼をされたってわけか」
アランさんの言葉にメルが大きくうなずく。
「そうです! その依頼料の代わりに城に泊めてもらって宿代を浮かせてんです。ただ、ここに来る以外にやることと言ったら、ティンシアとか、仲良くなった兵士さんとかとおしゃべりするぐらいでしたけど」
「しかし、その割に俺は君を一切見なかったな。姫様、ティンシアに聞いたが五、六日前には城にいたんだろう?」
確かにアランさんがメルを見たことはないという話だった。しかし、五、六日間一度も見なかったというのは不思議だ。
「わたし、ティンシアの部屋に泊まってたからそのせいかも。ここに来る以外はあんまり部屋の外に出ませんでしたし」
さらっと爆弾発言。
一国の姫の部屋に一旅人が泊まるなど聞いたことがない。ティンシアはまあそういうことは気に掛けないと思うが、周りはそうは行かないだろう。
さっきティンシアがメルの話をする時に動揺していたのはこのためだろうか?
「闘技大会準優勝者にはそんな特典がつくんですか?」
そんなはずはないと思うが、一応アランさんに訊いてみる。
それに対するアランさんの返事は疲れた声。
「そんなわけないだろう。……なぁ、メル。ティンシアがいいって言ったって、陛下の許可とか取らないとまずいぞ」
「む〜、何勝手に無許可にしてるんですか! ちゃ〜んと国王様のお許しも出てるんですからね!」
ますます訳がわからなくなる。
私も今アランさんが言ったような線かと思っていた。それがあの王まで許可を出しているとは、さて?
と、ここまで考えて、本来の目的を思い出す。こんな塔まで来たのは仲間を求めてのことだった。気になることは尽きないがその答えが出るかどうかは怪しいから、とりあえず訊いておかなきゃいけないことは訊いておこう。
まだ聞いていない勧誘の返事を改めて求める。
「ところで、色々話が錯綜したけどさ。私と一緒に来てくれる? メル」
そう訊いてみると、メルはあぁそういう話だったっけと呟いた。そしてその後を続ける。
「うん、いいよ。おじ様の情報も集まりやすそうだし」
言って、よろしくね、と元気に握手を求めてくる。その手を握りながら、強いのはいいんだけど……なんだか変なというか謎が多い仲間ができたなぁと思った。
メルが仲間になることが確定したところでその後の身の振り方について話し合うことにした。
まずもう一度城に戻ったほうがいいのではないかという意見をアランさんが出した。
というのも、メルがナジミの塔の魔物討伐の依頼を受けているという現状があったからで、このまま旅立つというのは依頼放棄とみなされる可能性があるらしい。メルは気にしないといったが、そうもいかないだろうとアランさんが語った。他にも、ティンシアの部屋に泊まるために王の許可も得ていたのなら出発のときは挨拶をしていくべきだろう、という。
それに反対意見をだしたのは私。
王への礼儀なんて糞食らえだと思っていたのもあるが、母さんに家に戻らないことを約束しているというのがその理由の大半だ。今城に帰ることになれば今夜は城下に泊まることになるのは明白で、たとえアランさんの家の宿屋に泊まるとしても近所の人あたりが母さんに私がいたことをもらせば、なんだか決まりが悪い。
だから私はこのままレーベに向うことを提案した。城の兵士に聞いたのだが、さっきの地下通路はレーベの南側にも通じているそうで上手くすれば今日中とは言わなくても明日には着くことができるらしい。そのことも付け加え主張する。
この二つの意見が対立して中々収まりを見せなかった。アランさんは礼儀を重んじすぎると思う。
そんな私たちの様子を眺めていたメルがしばらくしてから第三の意見を出した。
「だったら伝言を頼んでレーベに向うってのは?」
その言葉を訊いて疑問を持つ。
「伝言って」
「誰に?」
タイミングをはかったように声が重なった。
まあ、当然の疑問だからこうなることも当然といえば当然か。思わずアランさんと目を見合すが、すぐにメルに目を向ける。
しかしその疑問に対する答えはメルではなく、背後から発せられた。
「儂に、じゃろう? メル嬢ちゃん」
振り向くとそこには七十は軽く越えているであろう白髪の老人が立っていた。
私たちは塔のてっぺんの開かない扉を背にして話し合っていたから、彼はその扉を内側から開けて出てきたことになる。ここに住んでいるのだろうか?
「ほう、そちらの嬢ちゃんはオルテガの娘じゃな。ケイティ、いい名じゃ」
「え? なんで?」
突然身の上を言い当てられた。
会ったことはないはずだけど?
「嬢ちゃんだけではないぞ。そちらの戦士は、海神亭の倅じゃろう? 名はアラン」
「!」
アランさんは自分の正体まで言い当てられたことではっきりとした警戒の目を老人に向けている。
「そう警戒するな。この塔にいればこのくらいのものは見える」
「どういうこと?」
訊いてみる。アランさんは疑いの眼差しを逸らさない。
「この塔は、過去、現在、未来が錯綜する地。あるいは過去の思い出が再生され、あるいは未来の断片を垣間見る。お前たちが来ることはずっと昔に儂がこの目ですでに見ていたのじゃよ」
よくわからなかった。
過去が見えたり未来が見えたり、そういうことかな?
そんなことがあり得るんだろうか?
頭に浮かんだのはそういう常識的な疑問。
そんな私の様子を見て老人は可笑しそうに笑う。
「ほっほっほっほ、別に難しく考えることはないぞ。そうじゃな、メル嬢ちゃんは、ここは不思議な塔なんじゃ、といったら納得してくれたが、それならどうだね?」
私たちはさすがにそれでは納得できなかった。というかよくメルは納得したものだ。
「まあ、よくわからないからこの塔の説明はいいです。お爺さんはメルとはどういったお知り合いで?」
少し毛色の違う話に変えることを試みてみる。
「四日前にメル嬢ちゃんがここまで上ってきてな、ドアは開かないというのに無理やり破ろうとしたから開けてやったんじゃ。壊されちゃかなわんからな。それで、他人と会話するのがしばらくぶりだと言ったら、それから三日連続で遊びに来てくれとった」
その言葉を受けてメルが老人の少し禿げている後頭部を撫でながら、まあ年寄りは大事にしないとね、と楽しそうに言っていた。大事にしているというよりおもちゃにしているみたいだな、と思ったが、誤解ならメルに悪いし、あっていたなら老人に悪いと思って口には出さなかった。
そんなやりとりをしている私たちを眺めつつ、アランさんが疑問を口にした。取り敢えず警戒の色は消えているようだ。
「未来が見えるというのなら、魔王を打つことができるかどうかも見えるのですか?」
老人はすこし考えてから応える。
「見えるといえば見えるし、見えないといえば見えない」
「なんですか、それは」
アランさんは呆れ顔になって、老人を見つめる。
老人はそんなアランさんを見つめ返し、続けた。
「未来というのは変わる。ゆえに、今魔王が滅びる未来を見たとしても、明日には魔王が世界を統べる未来を見るやもしれぬ。過去には確固たる形があるのに対し、未来には形などあってないようなもの」
アランさんは納得したような顔をしたが、途中で更なる疑問が浮かんだようで口を開く。
「ですが、あなたはさっき俺たちが来ることを知っていて、親のことまでも……」
「それは、おまえたちが訪れたときの状況を私が認知し、今まで見た光景の中から適切な『未来』を選択したから為しえた予言じゃ。今まで見た未来の中には似たようでいて今のこの状況と明らかに違う光景も多かったぞ。そう例えば、オルテガの双子の子供たちが一緒に儂の元を訪れる未来とかな」
そこで自分の表情が険しくなるのを感じた。
それは確かにあり得ない光景だわ、そう呟く。
「? 双子って、おじ様の子供はケイティだけじゃないの?」
メルが空気も読まずに訊いてくる。
好ましい無邪気さもこういう時はやっかいね。
「もう一人、私の双子の兄、ジェイがいるわ」
不機嫌ながらも何とか応える。
その様子を見て、意味ありげに笑みを浮かべ老人が声を掛けてくる。
「なぜそうも兄を嫌うのか、よく考えることじゃ」
「え?」
それだけ言って、後は特に何も言わない。
この不思議な老人が言うことだから何か意味があるのかもしれないが、さっぱりわからない。なぜって言われてもなぁ。敢えて言えば“嫌いだから”?
老人は今言ったことを覚えていないかのように違う話題を振った。
「それとこれは、あまり人に言わんのじゃが」
そう言ってから扉の中、老人が元々いた部屋の中へと向う。
私たちはそれに続いて扉をくぐった。何かを言いかけて入っていったのだから、ついて来い、ということなのだろう。
老人が再び喋り出す。
「ごくたまに過去とも未来とも分からぬ記憶の中で物を手に取ることがある。それは現実に戻ってきても儂の手の中にあるのじゃが」
言いながら、彼は机の引き出しの中から鍵のようなものを取り出す。
「これもそんな風にして手に入れたものの一つじゃ。これをおまえさんにやろう」
「なんで?」
そう言いながら、この老人に疑問形で返すのは何度目だろう、と考える。ただ、今回は何となく答えの予想がつく。
「その光景を見たからじゃ」
予想通りの答え。だが、その先があった。
「しかし、儂は迷っておった。この光景を再現することを」
「何故ですか?」
今度訊いたのはアランさん。
「これは、いや、これだけではなくこの引き出しの中に納まっているものはいつとも知れぬ時の彼方より齎された物。その力は計り知れず、容易に人の手に渡していいものとも思えん。これらを渡す未来を見たとしてもそれを再現すべきではないのではないか、そう思っておったのじゃよ」
しかし、ならばなぜ? そんな疑問が浮かぶ。
その疑問をそのまま口にする。
「なら、どうしてこれを私に?」
老人はこちらを見て楽しそうに微笑む。
「オルテガは迷いなき信念を貫かんとする高潔なる決意を持っておった。しかし、嬢ちゃんは兄を厭い、父の高すぎる名声を厭い、この国を厭い、迷いばかりじゃ」
私は驚きながら頷く。
この老人はどこまでお見通しなのか。
「そして、嬢ちゃんはそれを自身で認識し、自分の中の一部として迷いが存在することを善しとする強さを持っておる」
迷いが存在することを善しとする強さ? 変な表現だと思った。それは強さなのだろうか。それは本当の答えから逃げること、弱さではないのか?
「オルテガは白と黒の境をはっきりさせたがっておった。勧善懲悪の思想じゃな。しかし、その考え方は危うい。白と黒は容易く反転するものじゃ」
そこで老人は再びこちらを見る。
「だがお主は、自分の心の中に灰色を飼っておる。迷いを認め育てるものは、二元論の迷路に迷うことなくそこに潜む真実を見出すことができるはずじゃ。そういう者になら道具をただ道具として使うことができるのではないか、と儂は思うのじゃよ」
最後のほうは良く理解できなかった。この老人は何を言おうとしているんだろう?
アランさんの方を見ると目が明後日の方向を向いている。こういう話は苦手なのかも。
メルに至っては老人のベッドで気持ちよさそうに寝ている。
そんな私たちの様子を見て老人は可笑しそうに笑った。
「ほっほっほっほ、戸惑うことはない。今の話を理解する必要なぞないのだからの。歳をとるともったいぶった言い回しが多くなっていかんわい。ようするに、嬢ちゃんの迷いばかりの生き方に興味を持ち、その手助けとしてこの鍵を渡そうということじゃ」
そう締めくくりその鍵のような物体を差し出す。
いきなり簡単な結論になったなぁ。
あまり納得はできなかったが、さっさと差し出されたものを受け取ることにする。今までの話ですっかり頭が痛くなってしまったからこれ以上続けられたくなかった。
受け取ったものをよく見てみると、それは鍵ではあり得なかった。大まかな形が鍵のそれなので勘違いしていたが、よく見ると鍵穴に差し込むべき場所はただの鉄の板だった。これで開く鍵などありはしないだろう。
これ、ただのガラクタじゃないのかなぁ。
そんなことを思った。
「さて、そろそろレーベに向ったらどうじゃ? 伝言の件は、そうじゃな、儂が言っても聞くかどうか分からんし、手紙でも書いたらええ。ほれ、海神亭の倅、こういう文書はお前向きじゃろう?」
「海神亭の倅って……言いづらくないですか?」
今まで言われたことのないだろうすごい呼称に苦笑しながら、アランさんは老人が差し出した紙とペンを受け取った。そこに書く内容を横から見ていると、必要な事柄を簡潔かつ丁寧に書き込んでいた。自分ではこうはいかないと思い感心していると、アランさんはそれをさっさと老人に渡した。
老人はそれを受け取って確認すると机の上に置く。
そこでメルが目を覚ました。
しばらくは寝ぼけていたが、話が終わっていることに気がつくと、
「あ、やっと終わったんだ」
と言って本当にうれしそうに笑った。よっぽど先の話が嫌だったらしい。
メルがベッドから起き上がって体を伸ばしていると、老人が扉を開いた。
それを機に私たちは出発のために立ち上がる。そして、老人にそれぞれ挨拶をした。
メルは、次来るまで生きててね、とちょっと老人の年の頃を考えると笑えない別れの言葉を述べ、私とアランさんはごく普通のお礼とお別れを言って部屋の外へと出る。
そういえば名前も聞いてなかったな、と思いすぐに後ろを振り返ったのだが……
すでに扉は堅く閉ざされていた。ためしに押してみたが決して開かない。
これで兵士が来たときに本当に手紙を渡してくれるんだろうか? そんなことを思ったが、気を取り直して扉に向けていた顔を階段のある方へ向ける。
青く澄み渡った空が視界に飛び込んでくる。
塔の屋上から下を見下ろすとアリアハン港から出港する中型船の姿が見える。
航海日和だな、そんなことを思った。