7.蒼き海に潜むもの
アリアハン港で六番倉庫を見つけ中に入ると、そこには意外と立派な船が波に揺られて浮かんでいた。あの大臣のむかつき具合から考えて、ひどい中古品みたいなものでもつかまされるのではないかと考えていたから取り敢えず安心した。
簡単な板で囲われた書庫のような場所に入ると、机の上には船の見取り図とその操作法が書かれた紙がまとまって置かれている。そして脇にあった本棚もどきの所には航海術に関する本が数点。あと、机の引き出しなどをあさっていると世界地図も見つけたのでそれらをまとめて船に乗せることにする。後ろの方でジェイが、さすが盗賊だけあって家捜しがうまいな、とか言っているのがやや癇にさわったが気にしないよう努めた。
船長室らしきところを見つけそれらを整理して置く。そうしていると、外の方で賑やかな声が聞こえた。何だか嫌な予感がして見に行くと、他の三人がどこから持ってきたのかボールを使って球技に興じていた。
予感的中。頭が痛くなった。
「こらーーーーーーーーっ! お前ら! 遊んでないで出航の準備しろよ! 食料の買出しとかあるだろーが!」
ロマリア王国領に向う予定だが、ほぼまっすぐ南に行けばノアニールに到着する。
まあ、このノアニールが少し問題ありなのだが……それはともかく日数としては十日くらいだろうが多めに二十日分くらいの食料と水は用意しておきたい。
しかし、その言葉を受けて三人は信じられないという顔つきになり、ジェイが代表して口を開いた。
「お前、大丈夫か? 海に来たらこれをやらんと始まんねぇだろ?」
真面目な顔で、真剣な声を出して言ってくるから余計にむかつく。
どうにかしてやめさせようとしたが、アリアハンでは本当にそんな風習でもあるのか三人は頑として譲らなかった。仕様がないから俺も参加したが、そんな仏頂面じゃだめだとか、もっと優雅に打ち返せとか、よく分からない注意をされまくったため、また胃の厚さが磨り減ったような気がした。
しかし、そんな冗談みたいな出航をしたのはもう一週間は前のこと。
ロマリア王国の管理する領土を目指し南へと進路をとった俺達は、もうすっかり船の生活にも慣れて順風満帆な航海を続けていた……わけではなかった。
いや、順風満帆な航海ではあるのだ。天気もよく海も凪状態。これ以上は望めないような素晴らしい航海。
そう天気の面では。
問題は大きく分けると一つ。認識の甘さだ。
陸路以上に危険が伴う海路をとっているというのに、エミリアはジェイから離れずずっと一緒。アマンダは面倒くさいといって船室で寝ているか、甲板で酒を飲んでいるか。ジェイは自分で言っていた通り航海術を扱えるようで役には立つのだが、この三人に共通することが明白に一つ存在する。
見張りをやりやがらない。
岩礁に乗り上げる前に危険を察知したり、気候の変わりを敏感に感じたり、海賊船――いや今の時勢的には魔物か?――の発見など、見張りの重要性は高い。出航当初サボりまくる三人に、その重要性を至極論理的に説いたのだが、
『だったらお前がやれ』
とジェイ、アマンダの両名。エミリアもジェイの後ろで無言の圧力を掛けていた。
しかし、俺だってそんな扱いを甘んじて受けるほどお人好しじゃない。思い切り声を張り上げて一人でやるには限界があるだろ、と抗議した。
するとその言葉に少し考えたジェイは再び口を開いた。その口からもう少しマシな言葉が聞けることを期待したのだが……
「まあ、少しくらい見てなくても大丈夫だって。心配性だなぁ、ウサネコは」
帰ってきたのはそんな言葉。
エミリアとアマンダが、ジェイの後ろで頷いているのが見えた。
もはやウサネコ発言に怒る気もしなくなり、そのままうな垂れるしかなかった。
結局俺は奴らの認識の甘さを再確認するために声を張り上げ説得を続けていたことになる。年甲斐もなく故郷に帰りたくなったぜ、ホント。
だから俺はこのパーティのためと言うより、自分が乗っている船が沈まないようにするためにひたすら見張りを続けている。
とはいえ、寝る時間も必要なので何時間かは三人のうち誰かに交代させている。こればっかりはなんとか説得してやらせるまでにこぎつけた。いくらなんでも不眠不休というわけにはいかない。多少不安は残ったが信用するしかない。
それでも、見張り台でひたすら青空の下に広がるもう一つの蒼を見つめ続けているのはほぼ俺だけとなっていたが……
今日も同じように、或いは肉眼で、或いは遠眼鏡を使って、海の状態や何かが潜んでいる気配がないかをチェックしていた。
最近ではいっそ何かが襲ってきてくんねーかとか、すっげー嵐でもこねぇかなーとか考えていたりする。
一度そんなことでもないと今の状態がひたすら続くだろう、ということは奴らとの付き合いがまだ少ない俺にでもわかる。
ちなみに現在は、ジェイとエミリアは甲板で釣りに興じ、アマンダは船室で爆睡中だ。まぁアマンダは、夜は起き出してきて見張りをしてくれることが多いから助かるが(ただ交代のために見張り台の上まで行ったら明らかなアルコール臭がしたがそこは我慢した)、ジェイとエミリアは、釣りするんなら見張りもついでにしろよ、と前に言ったらそれじゃあ釣りに集中できないと一蹴された嫌な記憶もあったため、魚が釣れて騒いでいるのを横目に見てため息をつく。
それにしても、例の船舶行方不明事件はどうなったのだ。さすがにそんな大事件が起きて欲しいなどとは思わないが、このままだと俺は当面の目的のノアニール近海に着くまでひたすら見張り台の住人だ。
出るなら出ろよというよくない考えが浮かんできて止まらなくなる。
いまなら海の神にも喧嘩を売れそうだ、そんなことを考えた。
とその時、ふと何かが見えたような気がして目を止める。
今のは、何だ?
何か、蛇のように見えた。しかし、かなりのでかさだったから海蛇なんていう可愛い(まあ、海蛇が可愛いかどうかは賛否両論あるだろうが)ものではないだろう。船からかなりの距離があるとはいえ気のせいではないのなら、あいつらに注意する必要がある。遠眼鏡で見てみて特に何も発見できずに気のせいかともおもうが、嫌な予感は不思議と拭えなかった。取り敢えず甲板にいる二人に声を掛ける。
「おい! 今少し離れたところに何かがいるのが見えた。結構なでかさだったから、戦闘の準備だ。一人はそこから海の様子を見て、もう一人はアマンダを叩き起こして来い!」
確認したわけではないが、曖昧な表現ではあいつらは動かないと思ったから断言する。
二人は疑わしそうにしていたが、ジェイがエミリアにアマンダを起こしてくるように言って自分が甲板に残って海を注視する。
ジェイに言われたエミリアは、俺が言ったときとは比べ物にもならない勢いで船室を目指した。ふと、呪文で船室を吹き飛ばしたりしないといいが、なんて考えが浮かぶ。
しかし、そんな風に脱線した頭を軽く振って、再び遠眼鏡で辺りの様子を探る。相変わらず蒼が広がっている様しか確認できない。
こいつは勘違いだったかと考えて、これから始まる文句のオンパレードに思いを馳せて早々にうんざりする。この旅を始めてから想像でうんざりする機会が増えた気がするな、などと考える。
しかしその時。
「おい! あれじゃないか?」
ジェイがこっちに向って叫びながらある一点を指差す。その辺りに遠眼鏡を向けて確認すると……
よくわからないものがそこにはいた。いや、あったというべきか。
位置が遠いからはっきりとはいえないが、一匹の大王イカぐらいの大きさをした……
触手……?
少なくともイカやタコの足ではない。吸盤が見当たらない。いや、仮にイカ・タコの足だったとしたらそれはそれで嫌なのだが。それにしてもあれは一体?
「おい! 何黙り込んでんだ! あれはなんなんだ?」
ジェイが質問をぶつけてくるが、答えに窮する。どう答えればいいのか?
「……たぶん……あれは、触手だ」
ジェイが、はあ? と声を上げるのが聞こえる。
無理もない話だ。ジェイの位置から見てもあれの大きさはわかるだろう。あれが触手だというのなら本体の大きさなど想像もしたくない。俺だってジェイの状況にいたら信じたりはしなかったと思う。
話にならないという感じでこちらにジェイがやって来た。
「あんなでかさの触手があるわけないだろ。どんな巨大怪獣だよ」
苦笑混じりでそう言って遠眼鏡に目をつけて蒼を映した無限の水原に視線を向ける。
段々と顔から笑みが消えていくのが見て取れた。やはり、あれはそう見えるらしい。俺の目がいかれたのだと思いたかったが……
「しょ、触手みたいに……見えるな……」
ジェイの顔から完全に表情が消え、いつもの能天気な様子など微塵も見当たらない。
これでこいつの認識の甘さは取り除かれたようだ。しかし、このままでは俺達全員の命までも取り除かれかねない。
「取り敢えず向こうから襲ってくる感じもない。舵を切ってあれから遠ざかるぞ」
「そうだな。それは俺がやる。バーニィは他にもあれが見当たらないか探してくれ。本当に……触手……だとしたら他にもたくさんあるはずだ。囲まれているなんてことになってないといいけどな」
ジェイが恐いことを言って操舵室へと向かっていく。その時やっとエミリアとアマンダが甲板に出てきた。ジェイ同様に言っても信じないだろうと思い、呼び寄せて触手らしきものを直接見せる。
エミリアはさすがに顔に緊張が見えたが、アマンダは相変わらずで、海は広いからまぁあんなのもいるわよ、などといつもの口調で言った。
こいつ神経通ってるのかなぁなどと考えながら、二人にも他に同じやつが見えないか探させる。
結果として……ほぼ船の全方位にそれは展開していた。
「エミリア! 操舵室行ってジェイに進行方向を指示しろ! どこに向ってもやつと事を構えることになりそうだが、九時の方向が少しだけ手薄だ!」
いつもなら自分の話など聞きはしないのだが今回ばかりは、わかったわ、と言って操舵室へ向う。
まぁ、ジェイのところに向うように指示したから素直だったのかもしれないな。
そんなことを考えながら、触手の動向をアマンダと二人で見張る。動きがあれば進行方向を変える必要もある。
しかし触手は特に動きを見せることもなく、船は比較的手薄と見られた辺りまで到達した。
船から数百メートルのところに一本。そこから更に数百メートル進んでもう一本。他にもざっと見て四本ほど見える。計六本、まあ少ないほうだろう。
だが、問題なのはその大きさだ。海上に出ている部分だけでも船の全長よりも長い。太さも相当なもので、戦闘にでもなったら俺の二本のダガーや、ジェイの大剣などではまず太刀打ちできないだろう。聞きそうなのはエミリアの呪紋くらいだが、それでも二本同時にでもこられればひとたまりもない。
そこまで考えると、愈々六本の内の一本に船が近づく。このままやり過ごせるか? そんなことを考えた――その時
ザァァァァ!!
船のそばまで近づいていた一本がこちらにうねりながら海を掻き分けて向かってくる。
効くとも思えなかったが腰のポーチからダガーを二本取り出す。
ナイフを投げれば届く距離まで迫ってきたので、ただ試しの意味だけで一本を投げようとするが、その必要はなくなった。
「ジェイ、しっかり掴まっていてね!」
そう叫びながら操舵室から出てくるエミリア。ジェイにしか注意しないところが彼女らしいが、おそらく大きめの術を使う気なのだろう。
そう考えて見張り台の柵に掴まった時、エミリアが両手をかざして大きな声で呪を紡ぐ。
「メラゾーマ!」
船から少し離れたところまで迫っていた触手はその身の丈(海上に出ている部分だけをみた場合だが)よりも大きな炎に飲まれて消滅する。
エミリアは掴まっとけと言ったが、余波のようなものはまったくと言っていいほどなかった。上級魔法を使ってもここまでしっかりと調整ができるとは、この嬢ちゃんまじでとんでもねぇな。
しかしすぐにそんな思索に耽っている場合ではなくなった。今の炎に吸い寄せられたかのように他の触手たちもこちらへ向けて突き進んできたのだ。
この近くにいるものだけでもまだ五本。他の場所にいるものまで集まれば……まず面白くない結果が待っているだろう。
エミリアもさすがにあせりの表情を浮かべている。
くそっ! このままじゃ、確実に死ぬな……
そんなことを考えながら、なにかできることがないか必死で考えるが――この状況では肉弾戦とナイフが主な俺の出番はない。
そんな思考を中断したのは再び放たれたエミリアの呪文だった。
先程よりも幾分集中した様子で両手を前方へとかざす。
「ベギラゴン!」
さっきよりも大きな炎、いや閃光が辺りを赤々と照らし船の前方に集まっていた三本の触手を飲み込む。光が消えたそこにはもう触手は存在しない。
これで近くにいるのはあと二本! しかしその二本はよりにもよって船の左右から同じような速さで突っ込んでくる。メラゾーマでもベギラゴンでもこれに対処するのは無理だろう。エミリアが歯を強く噛みしめているのが見える。
こいつは気合で一本引き受けるしかないか、と覚悟を決めた時――
ドカァァァン!!!
俺が背を向けていた方――そこには迫っている触手の一本がいたはずだった――で派手な爆発が起こる。
そして、そちらに目を向けた時にはもう一方の触手の方が爆発した。
一瞬、何が起きたかわからなかった。というか、しばらく経ってからも何が起きたのか完全には把握できなかった。ただ、一つだけ言えることは……
二本の触手は消滅していた。
後者の爆発はエミリアだろう。一瞬だが、呪文を使っている様を窺えた。しかし、その前、最初の爆発は? エミリアが連続で唱えたのか? しかしタイミングが早すぎるような気も……
とそこまで考えて、考え事などしている場合でもましてやエミリアに悠長に質問している場合でもないことを思い出す。すぐに操舵室に行って、
「おい、ジェイ! とりあえず近くにいるのはいなくなった。このまま振り切れ!」
「無茶言うな! 帆船でスピードアップができるか……」
最後の方の声を小さくして呟くように言い、しばらく考え込んだ後、ちょっとここ頼む! と叫んで外へ出ていく。
よく分からなかったが何かいい考えでもあるのだろう、そう信じて舵を取る。前方を注意深く見て触手がいないことを確かめながら進む。
と、そこで突然船のスピードが格段に上がった。
急に風が味方したか? いや、それにしても速いな――まぁ、何にしてもいい傾向だ。これで振り切れるかもしれない。
しばらくその速さに気分をよくしていると、突然操舵室のドアが開いた。入り口にはアマンダが立っている。
「ウサネコちゃん。こっち来て」
この状況でもおどけた声を出せるのだから、一種の尊敬すらわき起こるな。
そんなことを考えながら言葉を返す。
「せっかくスピードアップしてるんだ。舵を取らないでいて逃げるチャンスを棒にふるうわけにはいかねぇよ」
「もう、逃げ切れないわ」
アマンダの言葉はしっかりとしているから、もっと違う希望のある言葉を言っているのかと勘違いする。しかしその言葉の意味は……
「何言ってんだ? この速さで――」
「向こうはこっちよりも速いのよ。外に出れば分かるけど追い上げてきてるわよ」
「なっ!」
舵を取るのを完全に放棄し、外へ出て後ろを見る。
まず見えたのは帆に向って何かの魔法を使っているエミリア。おそらくバギ系だろう。速度が上がったのはあのおかげかという考えと、あれは僧侶の呪文じゃなかったかという疑問が同時に浮かぶが、そんなものはすぐに吹っ飛んだ。
その更に後方、幾十もの触手がゆっくりと、しかし確かに追い上げるペースで追ってくる。あんなのに一斉にこられればさっきのように応戦することも適わないだろう。
このままじゃ、ホントに……
戦慄して立ち尽くしていると横から声が掛かった。
「何ぼーっとしてんのよ。早くエミリアのとこいくわよ」
「行ってどうするんだよ?」
情けないが、半ば諦めの入った声を出す。さすがにこの状況をどうにかできるとも思えなかった。
「ルーラで逃げるのよ」
…………
そんな場合じゃないのだが、しばし沈黙して立ち竦む。
「最初っからそうすりゃよかったじゃねぇか!!」
思わず叫びながら、船の後方にいるジェイとエミリアの元へダッシュした。
その後のことは、できれば記憶から抹消したい。
命の危機から脱して空を舞うことになり安心したためか、他の三人から、やっぱり見張りなんてあっても役に立たないなぁ、などとさんざん嫌味を言われた。
まぁこれも抹消したい記憶といえばそうなのだが、いつものことだ。思い出すたびに胃にズキンと来るがいつものこと。
本当に抹消したいのは別のこと。
今まで乗っていた船の行く末くらいは見ておこうと思って眼下に目を向けたその時のこと。
触手の主と思しき物体が海の底で黒くうごめく姿。
幾百、幾千とも感じられる無数の触手を従える黒き悪魔。
大きさは――
アリアハン大陸の比ではなかった……