12.アリシア
――地獄だ。きっと、ここは地獄なのだ。
誰かがそう呟いているのが聞こえた。
勿論、そこは地獄などではなく、確かに現実であった。
そこで私達を断罪していたのは――いや、罪など犯していない私達が断罪されるはずもないから、それは断罪などではなく、虐殺だ。私達を虐殺していたのは地獄の主などでは当然なく、ヒトだった。
男も女も、子供も老人も、全ての者がヒトによって殺されていった。
子供である私はできることなど何もなく、物陰で震えているより他なかった。
友達が死んだ。近所のおばさんが死んだ。神父様が死んだ。
それでも私は何もできなかったのだ。
目の前に一人のヒトがいた。
鮮やかに紅く染まった剣を持っていた。
彼の目が狂喜で歪んでいるのが見える。
――私は、死ぬのだ
子供ながらにそう理解した。
それでもいい、そう思った。
一人で此岸に残るよりは、その方がいいのだと。
剣が振り下ろされた。
視界が紅く染まる。
しかし、痛くはなかった。
それは当然だ。傷を受けたのは私ではなかったのだから。
紅い液体を流す塊が私の方へ倒れこむ。
それを受け止めようとして、重さに耐えられずに共に倒れた。
そして、私の目の前に現れた顔は――
オカアサン……
いつも通り、そこで目を覚ました。
あの日からずっと見続ける夢。
慣れることなどできないけど、それでも最近は落ち着いて見られるようになった。だからこそよりいっそう哀しい、そう思う。これは私の罪だ。
母を失ったあの日から私は地獄にいる。そして、断罪され続けているのだ。
きっとこれからもずっと、彼岸に逝きつくまで。
窓の日よけを外すと、まだ外は暗いことがわかった。しかし、もう一度眠る気は起きない。顔を洗ってから着がえて、部屋を出る。
階段を下りていき、カウンターで本を読んでいた宿の店主に部屋の鍵を渡す。
「随分早く外出されますねぇ」
そう言いながら鍵を受け取る店主。
時間的には、夜遅くというよりは朝早い頃合いのようだ。
「ふと目が覚めたものですから、せっかくですので教会へお祈りに」
「この街でこんな時間に教会へ行く人は珍しいですよ。大体はいまだ覚めやらぬ盛り場に行きますから。さすが、僧侶様ですね」
僧侶に様をつけるというのは少し妙な感じだと思う。所詮は神に仕えているだけの人間だというのに。勿論、そのようなことは言わないが。
「どの様な場所でも、神に祈りを捧げ生きるのが私達の責務ですから」
そう言って微笑むと店主は、さすがですなぁとやっぱり何だか的外れな感じがする感想を口にした。反応に困ったので曖昧に笑って流す。
そんな私の顔を見ていた店主が急に眉を顰めて口を開いた。
「あれ、アリシアさん――でしたか、何だか顔色が優れないようですが、大丈夫ですか?」
部屋で休んでいた方がいいんじゃ、と続けた店主の声を聞きながら私は安心していた。
私はまだまともな神経なのだと、あの光景に慣れてはいないのだと、そう認識して。
「いえ、大丈夫です。少し低血圧なものですから、朝はいつも顔色が悪いのです」
そう言ってから、感謝の言葉を言って出口に向う。店主が、いってらっしゃいませ、と言っているのを背中で聞きながら外へ出た。
空が少し白み始めていた。それでも劇場や繁華街の辺りからは喧騒が聞こえてくる。相変わらずこの街――アッサラームは生命力が溢れている。
「ここの料理、あんまりおいしくないね」
そんな言葉が聞こえて来たのは、宿の食堂で遅めの朝食を取っていた時だ。
朝の祈りを行った後神父様と世間話をしていたらすっかり長引いてしまって、宿へ帰ったのは朝というには遅いが昼とも言えないような、そんな時刻だった。
あまり食欲もなかったし昼まで食べなくてもいいかとも思ったが、朝食を抜くのは一番体に悪いという話を聞いたこともあったし、やはり食べることにして食堂で軽めに注文して待っていた、そんな時のこと。
私が座っていたのは厨房に近い場所で、声を発した少女がいたのはそこから充分離れている場所だった。にもかかわらず私の耳に入ったということは、当然厨房で料理をしている人にも聞こえているだろう。
わざとであるのか。それとも、地声がでかいだけなのか。前者なら相当意地が悪いということになるし、後者でもかなりはた迷惑なことは間違いない。
見たところ無邪気そうな女の子なので、はた迷惑な天然さんというところだろうか。
実際、その少女と同席している男女は彼女の口を塞いで、周りに対して愛想笑いを浮かべごまかすのに忙しそうだ。
そこで私の注文した品が来た。
料理を持ってきた店員さんは彼らの方を見て複雑な表情を浮かべている。さっきの発言以外は特に何をしたわけでもないし、連れの二人がしっかり注意しているみたいだから文句を言うのも少しおかしいし、かといって何も言わないのも何かすっきりしないものがあるといった心境なのか。
料理を口に含んでみると、おいしいと褒めるのは少し憚られるかという程度で、はっきりおいしくないと主張するほどでもない。まあ、少女の評価は的確といえるだろうが、やはりもう少し仲間内に聞こえるくらいの声で言うべきだっただろう。
そこで、しばらくの間少女への注意を続けていた連れの二人が、気を取り直すように違う話題を始めたのが微かに聞こえてきた。
そちらに目を向けると先ほどの少女は、あんなことを言った割にざっと見て五人前はあるであろう量を一生懸命食べている。もう一人の女の子もまた同じくらいの量をつまみながら男の人と話している。私ならあれだけで三日はもつ。
対して男の人は普通の量だから少食に見えるけど、当然錯覚だ。
私はその感心すらしてしまうような食事風景にしばらく心を奪われていたのだけれど、彼らの会話に気になる単語を認めて我に返った。
「それにしても、魔王の情報なんてこれっぽっちも集まりませんね」
男の人に向ってそう言ったのは、サークレットを嵌めた少女。料理にケチをつけた少女とは別の女の子だ。
“魔王”――か……
「仕方がないんじゃないか? 基本的に国のお偉いさんしか知らないことなんだから。第一、そこら辺の酒場のマスターが知っていたらそれはそれで眉唾臭いだろう?」
「あ、わたしは知っていましたよ」
「メルが知っているのは、父さん――“勇者オルテガ”が言っているのを聞いたからじゃないの?」
「え? ――あぁ、うん! きっと、そうだわ! そう、そう」
何故かメルと呼ばれた少女は、激しく狼狽していた。まあ、それはいい。特に私には関係のないことだ。
勇者オルテガ――この名は有名だ。世の人の大半が知っているだろう。
私もやはりよく知っている。ただ、世間で知られている事実との齟齬はあるだろうが。どちらが真実かはどうでもいい。私には、いや、“私達”には“私達”の真実があり、世の人には彼らの真実がある、それだけのことだ。
しかし、そのオルテガを父と呼ぶということは、彼女は――
私は腰を浮かして彼らの方へ歩を進める。
そこで、男の人と目が合った。今、私は彼らに向けて一直線に歩いている。その方向に出入り口があるわけでもないから、私が彼らに用があることを察知したのか、彼は怪訝な顔でこちらを見ている。顔に微笑を浮かべて、なるべく愛想良く振舞う。声を掛ける前から不振がられていたのでは、話をするどころではない。
「あの……」
「はい?」
話をしていた二人の少女がこちらを向いた。男の人は少し警戒の色が見えるから、取り敢えずこちらの女の子――あのオルテガの娘さんに向けて口を開く。
「失礼ですけど、貴女はオルテガ様のご息女のケイティさんではありませんか? 先日アリアハンを発たれたという」
「え? はい、そうですけど。でも、どうして?」
「オルテガ様を父と呼ぶのが聞こえましたから。それに、アリアハンから彼の子供達が旅立ったというのは聞いていました。あ、私はアリシアと申します」
言ってから右手をケイティさんに差し出す。
ケイティさんは少し戸惑った表情をしていたが、すぐに私の手を取った。
続いてもう一人の少女にも向き直って手を差し出す。
「アリシアです」
「どうも〜。わたしはメルっていいま〜す。砕けた呼び方を希望しま〜す!」
元気よく手を握ってくる。あまり警戒されても困るけど、ここまで無邪気に返されても、なんだかこっちが戸惑ってしまう。
「ではえっと、メルちゃんでいいですか?」
「オッケー!」
破顔一笑して親指を立てるメルちゃん。その顔をよく見て……
――あれ、この娘はたしか……そうか、だから“魔王”のことを――
ある考えに思い至るが、今気にすることでもない。一番注意深そうな人にきちんと挨拶しないといけない。
「初めまして」
「アランだ」
差し出した手は無視された。ずっと目を見ていたけれど、そちらは変わらず鋭い。全然警戒は解かれない。なぜ話しかけたかも言っていないのだから、当然といえば当然か。
「それで、何の用だ?」
ぶっきらぼうにそう訊いてくるアランさん。
さて、完全に嘘を吐く必要もないけれど、全て真実を語るわけにもいかない。真実六割、嘘四割くらいで話すとしよう。
「第一に、私を仲間に加えて欲しいのです」
勿論、これだけ言って納得してもらえるとは思っていない。それらしい理由はほぼ真実を語るだけで用意できるけれど……あまり使いたくはないな。
「いきなり話しかけてきた素姓の知れない奴を仲間にしろというのは、無理があるだろう」
アランさんが言った。もっともだと思う。
やはり、“理由”を言う必要があるか……
覚悟を決めて口を開こうとした、その時。
「別にいいじゃないですか、アランさん」
「は? いや、ケイティ――いくらなんでもそれは」
ケイティさんの言葉に戸惑った声を出すアランさん。
私も面食らってしまう。その言葉自体は喜ぶべきことなのだけれど、さすがに警戒心がなさすぎではないだろうか?
「見たところ僧侶の人みたいだし、アランさんも治癒魔法を使える仲間が欲しいって言っていたじゃないですか。それに、こんな美人と一緒に旅が出来るなんてそうそうないですよ」
「いや、美人とかそういうのは関係ないだろう。そ、それに、俺はケイティが一緒なら他は――」
「それでアリシアさん。治癒魔法はどれくらい使えますか?」
もっともな意見を言った後に、頬を染めて発したアランさんの言葉は、その相手であるケイティさん自身によって遮られた。その様子を眺めて、さすがに私もアランさんの気持ちに気付いたけれど――ケイティさんのあれはわざとなのか、それとも天然なのか……
いずれにしてもアランさんが気の毒なのは間違いない。
そんなことを考えながらケイティさんに言葉を返す。
「治癒魔法なら上位まで修めています。瀕死の方を癒すザオリクまで」
「わぁ、お若いのにすごいですねぇ。見たところ二十歳前後じゃないですか、って年齢のお話は失礼ですね。すみません、あはは」
「いえ、構いません。ケイティさんの見立て通り十九になります。魔法が得手なのは良い師に巡り会えたためです。私がすごいというわけではありません」
ここら辺は正直に事実を言えばいい。特に隠すことはないのだから。
魔法だけでなく様々なことを学んだ女性は、あの惨劇があった時からずっと師事していただいた。都合十年はお世話になったことになる。六年前のあの時にどこかへ行ってしまったけれど――
「待てって、ケイティ。確かに充分すぎるくらいの力があるようだし、そこは俺も文句はない。ただな、まあこれは例えばの話だが、こいつが魔王の手先とか――」
突飛な考えを出すアランさん。こんな意見が出てくるほど注意深いというのは中々やっかいな人だと思うが、ケイティさんがあまり深く考えない方のようなのでバランスはいいのかもしれない。未だ料理を食べ続けているメルちゃんも、警戒とかそういうものとは無縁なようだし。
「もう、アランさん。そんなこと言っちゃ失礼ですよ。綺麗な女の人捉まえて魔王の手先なんて……どっからどう見たって人間じゃないですか」
「よく知らないが、モシャスっていう呪文があるんだろう? あれを使えば人間の振りくらいできるんじゃないか?」
中々粘るアランさん。
モシャス――身体構造を一時的に変質させて他人になりすます呪文だ。実際、アランさんが言ったように、変装をした魔物もしくは犯罪者による事件があると聞いたことがあるから、もっともな心配だろう。
しかし、本人を目の前にしてする話ではないと思うけれど……アランさんも少し抜けているところがあるようだ。
「それはないですよ。モシャスといったら高等魔法ですよ。そんな呪文が使える相手なら、私たちは今頃宿と一緒に消し炭ですよ」
「そんなもんか」
物騒な話に、周りの客がこちらを吃驚した顔で見ている。そちらは特に気にしていない様子の二人。
“宿が消し炭”の辺りだけ聞かれていたとしたら、あらぬ誤解を受けぬとも限らないので私は適当に、例えばの話ですから、と言って客たちに愛嬌を振りまく。しばらくは怪訝な目つき、というか好奇の目でこちらを見ていた人々も、すぐにそれぞれの会話に戻っていった。
ケイティさんの意見は尤もといえば尤もなのだけれど、それでもモシャスで近づいてくる者の可能性は捨てきれないだろう。確かにモシャスは高等魔法だけれど、血筋によってはある特定の魔法だけを得手とするものもいるから、その特定の魔法がモシャスの種族も当然いる。そういう相手ならば、やはりモシャスで近づいてから……ということもあるだろう。いやそれ以前の話として、ただ始末することだけが目的ではなかったなら、モシャスを使って近づくことは当然有効になる。
とはいえそんなことを意見して、私がそういう目的なのかと思われても厄介なので口に出したりはしない。
「う〜ん、でもなぁ」
「もう、まだ文句があるんですか?」
「こいつが人間でも、ケイティが持つ国の代表としての権限が目当てだとか」
成る程……そういう考え方もあるか。改めて考えると私も少なからず当てはまる。各国のあらゆる許可を取りやすい状況を期待してはいる。
「その考えは間違っているとは言えませんね。実際にあなたたちの権限で入りたい場所があるのです。さっき“第一に”と言ったのはそのためです。できればその場所へと一緒にいってもらいたい、というのが話しかけた第二の目的ですね」
「ほらな。俺、大正解だ」
正直に言った私と、得意げに言葉を発するアランさん。
しかし、それに極めて冷静な意見を返したのは漸く食事を終えたメルちゃん。
「でも、わたしたちの不利益になるわけでもないんですから、別に問題はないんじゃないですか〜?」
それを聞いたアランさんは、一瞬完全に動作を止めて難しい顔をした。しばらくして納得したような顔になったけれど、それでも険しい顔を作り何か言おうと口を開く。
しかし、やはりその口からは何の意見も出てこなかった。反論するだけの考えが浮かばないのだろう。
やっと状況が好転してきたようだ。取り敢えずでもアランさんさえ諒解してくれるなら、他の二人は私の同行を認めてくれるようであるし、何とか仲間にしてもらえそうだ。
「じゃあ、アリシアさんは今日から仲間ってことでいいですよね?」
ケイティさんがアランさんに問う。
反論する材料を無くしたアランさんは、しぶしぶ首を縦に振った。
しばらくは、警戒の目で見られることになりそうだけれど、これであの場所に入れるはずだ。目的のものがあればいいのだけれど――
「ところで、行きたい場所っていうのは何処なんですか?」
「あ、そうそう、確かに気になるよね。私の権限が必要ってことは国が管理しているようなところですか?」
こちらに詰め寄ってくる女性組。
「はい。その場所は、イシス国が管理している代々の王たちが眠っている巨大な墓ピラミッドです」
『墓?』
全員が声を揃えて聞き返してくる。墓所に行きたいというのは特殊な考えだろうから、当然の反応だ。しっかり説明しないと、アランさん辺りに盗掘目的とか疑われかねないので、順を追って説明することにする。
彼らの興味を引くだろう情報もあるし、そこら辺も出しておくことにしよう。勿論、都合の悪いカードは伏せさしてもらうけれど……
「まず、言っておきます。“魔王”バラモスはネクロゴンド地方の山奥にいます」
「ちょ、ちょっと待ってくれ! あんた、どうしてそんなこと――」
「疑う気持ちは解ります。ただ、十年以上も各国の代表の方々が見つけられなかった以上、前人未到の地にいると考えるべきではないですか」
実は後付の理屈だけれど、本当のことを言う訳にはいかない。
「でも、それだとネクロゴンドに限定できないんじゃないですか?」
メルちゃんが言った。
そう言われると確かにそうだ。食欲旺盛で見た目も幼いが、中々鋭い。
「ネクロゴンド地方を挙げたのは、未開の地の代表といえばということで他意はありません。断言してしまったのは紛らわしかったですね、すみません」
言い訳がましくて少し無理があるかとも思うが、全員特に反論もないようだ。
後を続けることにする。
「それで私は、従来の移動手段ではどうにもならないだろうと考えて、伝説にある不死鳥ラーミアを復活させて空路をとろうと考えているのです。それで、不死鳥ラーミアの復活には――」
「待って下さいよ! ふ、不死鳥ラーミアって」
私の言葉を止めたのはケイティさん。
不死鳥ラーミアを知っているとは、中々に博識のようだ。
「ケイティ、その不死鳥なんとかってのは何なんだ?」
アランさんが疑問の声を上げた。メルちゃんもやはり変な顔をしている。
「不死鳥ラーミアは、遥か昔に悪しき者を打ち倒した精霊神ルビスの使いです。大きさは人の十数倍といいますから人が乗るには申し分ないでしょうね。古い文献に載っているんですけど……。だけどアリシアさん、あれはただの伝説でしょう?」
「それはどうでしょうか。仮にこの伝説が何かの史実を元にしたただの伝説だとしたら、それぞれ遠く離れている地で一様に鳥という形態をとり名称まで同じというのは納得できないものがあります。では、史実を元にしたという点は正しく、伝承は後になってから普及したものだと仮定してみましょう。この場合も、それが普及する前にあったはずの各地の個別の伝承が全く残っていないというのも解せません。私は世界中の文献が多く集まるダーマ神殿で図書を閲覧させてもらったこともありましたが、そこでも不死鳥以外の記述は見つけられませんでした」
そこで一度言葉を切る。何か意見の一つも出るかと思ったからだ。
実際メルちゃんが言葉を発した。
「ダーマ神殿になかったというだけじゃないですか?」
「確かにその可能性はあるでしょうが、極めて低い確率ではないでしょうか。あそこはかつて全ての国と共同で可能な限りの文献を集めました。そこまで大規模に行われた収集に引っかからないというのはあまり考えられないでしょう。勿論、失われた文献は集められませんし、地方の伝承を記したものが偶然にも全てなくなってしまっているということも考えられますが、やはり現実的ではありません。作為的にそれらを抹消した何者かがいるという考え方もありますが――」
「それなんじゃないのか?」
「何のためにですか?」
訊いてきたアランさんに、同じように疑問で返す。
「う。いや、まあ確かに何のためにだな。意味がない」
「そう。ラーミアが実在しなかったことを隠すことに意味が見出せないのです。これが逆なら、“魔王”一門がラーミア復活を恐れてその実在の事実を隠すということもあるかもしれませんが、ラーミアが存在しないという事実を隠すことで得をするものなど誰もいないのです。よって文献に残る伝承は不死鳥ラーミア伝説のみということになるのです」
ケイティさんが納得できなそうな顔をしているので再び言葉を切る。
するとやはり口を開くケイティさん。
「だからといって、ラーミアが実在していたとは限らないじゃないですか。それに、アリシアさんはさっき“復活”といいましたよね。ラーミアは悪しき者との戦いで死んだと私は読みましたけど」
「ラーミアは“不死鳥”です。死にはしないでしょう。力を使い果たし眠りについたと考えるべきです。実際、ダーマの文献にはそう書かれているものが多数ありました。それと、実在していると私が考えているのには、根拠があるのです」
『根拠?』
全員が声を揃えて聞いてくる。
これを最初から言えば話が早かったかもしれないけれど、あまり信じられることでもない。とはいえ、これを言わずに納得させられはしないだろう。
「ネクロゴンド地方の南方の海域に氷に覆われた地があります。そこに、ラーミア復活のための装置があるのです。そこにはラーミアが活躍した時代から生き続けている双子の精霊がいて――」
「待て! 待て! んなもん信じろって? 第一、それこそ今まで見つからないはずがないだろう? 海上の島は昔から全国総出で調査されているんだ。そんなもんがあるならいくらでも話題になる」
もっともな疑問ではある。しかし――
「島自体は地図に載っています。ですが、その施設には辿り着けないようになっているのです。結界がありましたから普通の調査ではまず見つかりません」
「あ、エルフが使う、脳に作用して方向感覚の混乱を引き起こす魔力波操作技術みたいなやつですか。エルフの里の周りにはそれが掛けられているから人間は辿り着けないって本で読みました」
ケイティさんは小さく手を上げてそんなことを言った。
私はそんな彼女に大いに驚く。不死鳥ラーミアのことを知っていたのはいいとしても、こんな知識は――
「それで間違いはないでしょうが……ケイティさん、その知識はどこから? ラーミアのことは城の文献でも読めば見つけられるでしょうが、エルフが開発した魔法技術なんて人の世では知りえないはずですよ」
エルフの血筋ならば口頭で伝えられたりもするが……
ケイティさんは意外そうな顔になる。
「え? いえ、アランさんのうちにあった本に書いてあって――え〜と、確かアランさんのお母さんが残していったっていう」
「ああ、そういえばエミリアと一緒になってよく見ていたな、お前」
エミリアというのが誰かというのも気になったけれど、それより聞き捨てならない事実を無視はできない。
「ちょっと待ってください! そんな記述のある本なんて、あったとしても一個人が所有できるものではありませんよ。アランさんのお母様はエルフ研究の権威だったとか?」
「いや、そんなことはないよ。魔法を使う人だったとは記憶しているが」
それにしても、エルフの魔法まで記述した書物など手に入らないだろう。もしかしたら、少し突飛ではあるけれど――
「お母様がエルフだということは?」
「は? いや、耳はまるかったはずだぞ」
「モシャスを部分的にかけることも可能です。エルフの中にはそうして人の世で暮している者もいるそうです。そう、アランさん自身は魔力が強いということはありませんか。ハーフでもエルフの血を引いていれば相当な――」
「俺は別に魔法なんて使えないぞ。しかし、あんた急に取り乱したな。エルフになんか思い入れでもあるのか?」
そう言われて初めて自分が、座っていた椅子を倒して立ち上がっていたことに気付く。屈んで椅子を起こし、そこに座って落ち着く。
私が反応をしたのはエルフに対してではなく、アランさんがハーフかもしれないからなのだが、いちいちそれを言うつもりはない。あまり言いたくないことでもあるし、言ってもどうなるということでもない。
「あ、いえ、疑問が沸くと我を忘れて探求してしまう悪癖がありまして。失礼しました」
「いや、別にいいけど。そうそう、魔法ならエミリア、俺の妹が得意なんだ。十四だけど魔法使いが使う魔法は大体使える」
「そう――ですか。なら、お母様がエルフという可能性は充分ありますね」
ふうん、母さんがねぇ――と言ってからケイティさんと適当に話を始めるアランさん。お母様のことを話しているようだけれど、私の耳にはあまり入ってこない。表情などを見ると種族がどうということを気にしているようでもないようだ。好ましい思考だと思う。
それにしても、断定はできないとはいえアランさんと妹さんがハーフだなんて。そうすると、彼らは“私達”と……
「あの、それでラーなんとかっていうのの話は?」
そうメルちゃんに問われて本筋の話を思い出す。
しかし、あまり聞いてなさそうであったのに……
「ふぅん。メルがこういう話に興味があるなんて何か意外」
ケイティさんが言った。失礼ながら私も少しそう思っていた。
「そんなに興味はないけど、途中で止められると気になるんだもん。ほら、アリシアさん。続き、話して下さいよ」
「はい、確か双子の精霊がいるというところまで話しましたね」
メルちゃんが頷いたので続ける。
「彼女たちはかつて精霊神ルビス様から、ラーミアが復活するその時まで卵を守るように言われたそうです」
「卵って――そのラーミアのですか?」
「そうみたいですね。とはいっても本当に卵なのではなく、その形をとっただけの魔力蓄積装置のようなものみたいです。その“卵”に別れてしまったラーミアの魔力を注ぎ込むことができればラーミアはみごと復活を果たすそうです」
「なあ」
「はい?」
アランさんが声をかけてきた。
自分で話していて非常識極まりないという自覚があるから、疑問が出るのは当然だろう。
「まあ、今までの話全部、とても信じられないんだけどな……そこは気にしないことにする。考えてもよく分からないし」
そうしてもらうと実に助かる。訊かれてもうまく答えられる件ではない。精霊の話を実際に聞きはしたがそれだって確かな証拠というわけではない。それこそ彼女達が嘘を吐いているとしたらそれで全ては世迷言になってしまう。まあ、彼女達が精霊だというのはその気配から間違いがないし、そんな彼女達が嘘を吐くことに意味があるとは思えないのだけれど。
それにしても、気にしないことにしてくれるというならアランさんは何に引っかかっているのだろうか。
「それでさ――その荒唐無稽な話と、あんたがピラミッドに入りたいって話はどう繋がるんだ?」
なるほど。それは当然の疑問だ。
「あぁ、少し遠回りが過ぎましたね。要はラーミアの復活に必要なものがピラミッドにあるかもしれないのです」
「必要なもの、ですか?」
「先ほどラーミアの卵に魔力を注ぎ込むと言いましたよね。これは私達が持っている魔力を注ぐということではなく、ラーミアが元々持っていた魔力を戻すということなのです。そして、その魔力は全部で六つの球状の物質、オーブとしてこの地上のどこかに存在しているのだそうです」
そこまで言うと、アランさんは合点がいったという風に手を叩く。
「なるほど、つまりその内の一つがピラミッドにあるのか」
「そういうことです。まあ、まだ可能性の段階で断定はできないのですけれど」
「そうなんですか?」
「ええ、何しろ探す場所は世界中ですし、“これがそうだ”っていう伝承だってあるわけではないのです。そうなってくると、有名な高魔力物質をしらみつぶしに当たるしかないでしょう? ただ、そういうものは国が管理している場合が多くて、それなりの権限がないと見せてももらえないのです。それで――」
「私のアリアハン国お墨付きの勇者という権限が必要になるわけですか」
ケイティさんの言葉に頷く。
「ええ、特に墓所となると素姓の知れない者を入れるわけにはいかないのでしょう。全く取り合ってもらえませんでした。以前に盗掘騒ぎがあったとも聞きますから、当然といえば当然なのでしょうけれど」
「あ、イシスに行ったことがあるんですか?」
嬉しそうにこちらを見て言うメルちゃん。
「一昨日まではイシスにいました。昨日、キメラの翼でこの街まで戻ってきて、仕方がないので取り敢えず他の心当たりを当たろうと思っていたところだったのですが――ケイティさん達にお会い出来たのは幸運でした」
「じゃあ、イシスにはキメラの翼で一気に行けるんですね。よかった〜」
なるほど先ほど嬉しそうだったのはそういうことか。確かにイシスへの砂漠越えはできれば避けて通りたいところだ。私も行きはとても辛かったと記憶している。
「その点はご心配なく。ただ……」
「え?」
メルちゃんが訊き返してくる。
ちょっと云い難いことなのだけれど、黙っている訳にも行くまい。
「イシスからピラミッドまでは歩かなければなりませんよ」
『え〜〜〜!』
アランさんとメルちゃんが叫ぶ。
しかし、ケイティさんはどこか楽しそう。
「二人とも、どうしてそんなに嫌そうなの? 砂漠なんて見たことないし、私は楽しみだなぁ」
あら、まぁ。楽天的。
「俺も見たことないし、通ったこともないから本かなんかの受け売りだけど、砂漠っていったらすごく暑い、いや熱いんだぞ!」
「大丈夫ですよ。ヒャド系を応用すれば私たちの周りだけでも涼しくできますって」
「へぇ、そうなのか。なら、少し楽しみかもな」
あら、あら、注意深そうなアランさんまで。
まあ、砂漠の気候は特殊だから、アランさんもよくは知らないのか。実際、本で読んだだけと自分で言っているし、砂漠といえば熱いという常識ともいえるようなことをわざわざ言うくらいだから、そもそも砂漠という概念が頭の中にまったくない状態なのかもしれない。
砂漠について大まかに説明しようかと思った時に、代わりに言葉を発したのはメルちゃんだった。
「もう、何言っているの、二人とも! 砂漠は、昼は確かに熱いんだけど、夜になると昼の熱さが信じられないくらい寒くなるのよ! 涼めるだけで安心してちゃダメ!」
『寒い?』
相当意外な発言だったのだろう。ケイティさんとアランさんはものすごく不思議そうな顔をして言葉を返している。
私にとってはメルちゃんが砂漠についてよく知っていることの方が意外だったけれど、失礼ながら。
「前にわたしもイシスを目指して砂漠越えしようとしたんです。暑くて熱いっていうのは聞いてたから、日除けの準備して薄着で出発して、まあ、薄着っていうのもまずかったんだよね。日差しの強さが半端じゃなくて、昼間歩き回れば確実に火傷しちゃいそうだったから、昼間は日除けのテントで休んで夜まで待ったの。そしたら――」
「寒かったのか?」
「そうです! それこそ死ぬほど! キメラの翼持ってたからよかったですけど、そうじゃなかったら確実に凍死してましたよ」
なるほど、実経験に即した知識なら詳しいことも頷ける。
「それも大丈夫だって、メル。夜はメラ系の応用で暖をとればいいんだから」
ケイティさんが言った。
「ふえ、そんなこともできるの? なら――」
メルちゃんも納得しそうになっている。
しかし、メラ系はともかくヒャド系は……
「あの、砂漠と水の精霊の相性は最悪で、ヒャド系の応用なんて難しい術は無理です。炎の精霊の方は問題ないから暖はとれますけれど」
「え〜と、つまり昼間のあつさは他の方法でどうにかするしかないと?」
「そうなりますね。熱さはメルちゃんがやったようにテントなどの日除けで夜を待つのがいいでしょう。ただ、暑さについて言うと、夜は暖がとれるから薄着にしてもいいですけど、それでも相当暑いはずですから、結局は我慢するというのが一番の対策かと……」
「泣いてもいいですか?」
「俺も暑いのは苦手だな」
ケイティさんとアランさんは一気に暗い顔になった。
というか、実際泣きそうになっている。
「わたしは寒さがどうにかなるならあんまり気にしないかな?」
メルちゃんは割と前向きな発言。以前の寒さが相当堪えたみたいだ。
「ですけど、湿気はないのでそんなに嫌な暑さではないですよ」
「でもぉ」
一応、フォローめいたことを言ってみたが、ケイティさんは相変わらずすごく嫌そう。
「あの――ピラミッド行きを取り止めたりはしませんよね?」
二人がかなり嫌そうにしているので、少し心配になった。しかし、幸いにもそのようなことはないようだ。
「いや、一度行くと了承したんだ。今更そんなことは言わないさ、なぁケイティ」
「勿論そうですけど……気が滅入ることは確かですよね〜」
そう言って俯くケイティさん。
しかし直ぐに顔を上げて、言葉を発した。
「そうだ、アリシアさん。イシスでは何か美味しい料理はありますか?」
「え? そうですね。辛い料理が有名で、味も聞いたところによると良いらしいですが、それがどうかしたのですか?」
私がそう言うと、メルちゃんが肯定するように深く頷き、自分もその料理を食べたくて砂漠越えをしようとしたんだと言った。
料理のために砂漠越えとは頭が下がる。
「メルがわざわざ食べに行こうとするということは、期待できそうね! 取り敢えず何日かイシスに逗留して名物料理を食い漁り、テンションを最高潮にしてこの憂鬱気分を吹き飛ばしてピラミッドを目指すしかないわ!」
なるほど――それで先の質問か。
ケイティさんとメルちゃんは一緒になってはしゃいでいる。
その後ろの方でアランさんが財布の中身を気にしながらため息をついているのが見えた。
確かに先ほど見たような量の食事をしばらく続ければ食費は相当な額になるだろう。
――大変だな
さすがに気の毒なので彼の方に近寄り、声を掛ける。
「あの、少ないですけど、私のお金を食事代に当ててくださって構いませんから」
「……助かる」
そのしばらく後のこと、私は道具屋への道をアランさんと歩いていた。
アランさんもキメラの翼を持っているらしいのだけれど、残り少ないそうで他の道具と一緒に買い置きしておこうということになった。
最初はアランさんだけが行くと言ったのだけれど、私もついていくことにした。
というのも――
「私のことを――まだ疑っているのでしょう?」
「当然だろう? ケイティが仲間にするといったから、細かいところは気にしないで一応認めたが、そもそもあんたがバラモスを目指す理由が解らない」
「神に仕える身である者が、悪しき者を放っておけないと考えるのはおかしなことではないのではないですか?」
それらしい理由を作り上げる。しかし――
「そんな行儀のいい答えは却下だ。神官、僧侶も結局ただの人間。理由は自分のためであるはずだ。少なくとも俺はそうじゃないと納得しない」
ふむ、正しい考え方であると思う。世の為、人の為に生きる聖職者などまずいないだろう。問題発言かもしれないけれど、この俗世で生きる以上綺麗ごとだけで生きるなど不可能だ。
理由、か。仕方ない。
「復讐です」
「復讐?」
「そうです。家族の、そして村の全ての人々の復讐――すみませんが、これ以上は……」
ここで言葉尻を濁し、効果的に辛そうな顔を作る。
これも本質的な部分で嘘が入っていて、伏せている情報もあるのだけれど、大まかには真実だから辛そうな顔自体は作ったというより自然と出た。
「……わかった。これ以上は聞かない。だけど、俺はまだあんたを信じない」
そう言って鋭い視線を私に向ける。直ぐにその視線は外されたけれど、私は少なからず動揺した。
どこで間違いが生じたのだろう。
なぜあんなことが起こってしまったのだろう。
“私達”と“彼ら”はどうしてこんな関係に陥ってしまったのだろう。
アランさんは“私達”のことを知らないし、それどころか何も知らないのだから、あの件と結びつけること自体おかしい。それでも私は考えてしまう。彼の態度から、“私達”と“彼ら”が決して相容れることのできない相手同士なのだと。
私は情報収集をしやすいであろうことから僧侶となったけれど、神が存在するなどとは微塵も思っていない。いるはずがないのだ、そんなものは。存在していたなら、“私達”はもっと――いや、こんなことは言っても詮無いことだ。
本当に神がいるのなら、この世界はもっと優しさに溢れていただろうか。誰も傷つくことなく、誰も傷つけることなく幸せに、幸せに――
「おい、あんたもいくらか出してくれないか? 金銭的余裕はないんだ、俺たち」
気が付かなかったけれど、いつの間にか道具屋の前にいた。アランさんは必要と思われるものをもう注文したようで、私にも支払いを頼んできた。
辛い記憶に奪われていた意識を現実に引き戻し、私は財布を取り出す。
考えても仕方のないことを考えることはやめよう。
過去に縛られている場合ではない。
私にはすべきことがある。
生き残った“私達”の、そして、死んでいった“私達”の為に――