18.知の源泉
ダーマ神殿は、かつての大国ダーマの唯一の名残として、山奥にひっそりと聳え立っている。
このダーマ国がいかにして滅びのときを迎えたかは現在でも定かでない。
ダーマ神殿の神官長にのみその真偽が語り継がれているという話があるけれど、それもやはり噂の域を出ない。
しかし何にしても、今現在この神殿が世界中の知識を詰め込んだ学問の最高峰であることは揺るぎない事実である。
それゆえに、ケイティ達一行はオーブの情報を得ようとこの神殿を訪れていた。
も、もう限界だ……
こんな本だらけのところに一日中いたらおかしくなるって。
このダーマ神殿、入って直ぐのところは開放的な空間が広がっていたのだが、アリシアが神官の一人に何やら声をかけた後案内された場所は、本棚が所狭しと立ち並び、その全てに満遍なく本が詰まっている、というとんでもなさを誇っていた。
メルは早々に今日泊まることにした唯一の宿屋で寝ているし、俺も少し早いけど横になって休もうかな。
そんなことを考えながら視線を巡らすと、少しだけ開けた場所に置いてある机の上に、何冊も本を積み上げて熱心に読み耽っている者が二名。
ケイティとアリシアだ。
読んでいる本の題名を見てみると、ケイティは『魔法学応用論』、アリシアは『伝説の魔物たち』…… っておい!
「お前ら、読む本が微妙にずれてないか?」
「え、そうでしょうか」
意外そうに返すアリシアにさらにつっこむ。
「伝説の魔物を調べてどうしようってんだよ?」
「先日のヒミコ様の件があったので、伝説に残るような異常な魔物が存在したことがある地域を調べてみるのもいいのではないかと思ったのですけど……」
ああ、なるほど。
納得せざるを得ない明確な理由を聞いて思わず感心する。
「相変わらずよく考えてるな」
「ふふ、褒めても何も出ませんよ」
正直な感想を言うと、おかしそうに笑ってこちらを見るアリシア。
いつもながらきれいに笑うよな、こいつ。
「で、ケイティの方は何で魔法学の本を読んでるんだ?」
「えっ! え〜と…… 知的好奇心に忠実に従って見聞を広げてるといいますか――」
ケイティに話を振ると、彼女は少し慌ててから難しそうな物言いをした。
要するに――
「個人的に読みたかったわけだな」
「あはは…… すみませ〜ん」
「まったく」
そう言いながら、自分も早々に脱落していたことを思い出す。
俺も人のことは言えないな。
「まあ、まあ、アランさん。これだけ本があるのですから、つい興味のあるものを手にとってしまっても仕方がありませんよ。私も以前来た時は、つい目に付くものを手にとってしまって収拾がつかなくなりましたから」
俺が自分自身に呆れていると、それをケイティに向けたものだと勘違いしたのかアリシアがフォローにはいった。
しかし、こいつが目に付くものを全部手に取っていったらすごいことになりそうだよなぁ……
「お前、興味の対象が広そうだからな。そりゃあ、収拾もつかなくなるだろうさ」
「まあ自分でも呆れてしまいましたね。滞在は一日のつもりだったのですけど、結局五日はいましたから」
……そこまですごいとは思わなかったな。
ある意味、感心してしまうくらいだ。
「すっごいですね〜。どれだけ読んだんですか?」
「え〜と、キリがないと思ったので、取り敢えずはあの棚の本を読みきったところで止めました」
ケイティの質問に答えて、アリシアが指差した先には――
「なあ、ケイティ。アリシアのあだ名、本の虫でいいんじゃないか?」
百冊は下らないだろう数の本が収納された棚を見ながら、ケイティに話しかける。
「ハハ、すみません、アリシアさん…… 反論できません」
「……そんなにすごいですか?」
アランさんが宿の方へ引き揚げてから、私はアリシアさんと少し話をしていた。
「何か収穫はありましたか?」
「特に目ぼしいものはありませんが…… 敢えて挙げるなら、カザーブの東辺りで五百年ほど前に巨大な竜が現れた、という記述がここにあります」
そう言って机の上で開かれた、今にも崩れそうな古い本を指差す。
竜自体はその存在が確認されているからそこは問題じゃないはずだ。どれくらい巨大かによるだろうけど……
「八百メートルは超えていたそうですから、それが本当でしたら期待してよさそうですけど……」
「は、八百メートル! さすがに脚色入ってるんじゃ?」
「それは何ともいえませんけど…… 本当であるならオーブの影響か、もしくは竜族の真祖様でしょうか?」
竜族の真祖というと確か……
現在ではただの竜であっても珍しくなったけど、昔はその竜の祖である竜族という人型の種族がいたという。彼らは人型から竜形態となることができ、その大きさは一般的な竜の二倍ほど。その竜族の中でも特に血筋の濃いもののことを真祖と呼び、その大きさは今出たような数百から一千メートル程度とか。
だけど真祖なんて、人と精霊が共に生きていた時代、一万年以上前に存在していたという噂があるくらいの胡散臭いものでしかないはずだ。
「真祖なんてもう生きていないでしょう?」
「わかりませんよ? エルフだって純血の方が何名もいらっしゃるようですし、竜族の真祖様だっていてもおかしくはないでしょう」
う〜ん、まあそういう風に考えるとわくわくするけど…… ここ千年はただの竜族だって確認できてないって話だしなぁ。
そんなことを考えながら、気にしなきゃいけないのはそこじゃないことを思い出す。
「ま、それはともかくとして…… 他にはどうでした?」
「う〜ん…… それらしいのはあまりないですね。すでに正体がわかっている魔物の伝説がほとんどなようです」
「そうですか…… はぁ〜」
アリシアさんの言葉を聞いて疲れを感じ、思わずため息をつく。
せめてどの本を調べればいいかがわかればいいのに……
よっし、ちょっと話題を変えよう!
「アリシアさんはアランさんのことどう思ってるんですか?」
「はい?」
何か、最近二人仲良しだし…… もしかして〜な感じだよね。
「好きなんですか?」
「随分急に話が変わりましたね。まあ、いいですけど……」
そこで少し溜めてから――
「私は別に何とも思っていませんよ」
そう言って優しい笑いを浮かべるアリシアさん。
あらら、アランさん振られちゃった。
「ふ〜ん、そうなんですか」
言いながら、少しほっとしている自分に気付く。
これはあれだね、きっと年頃の息子を持つ母親の心境? ちょっと違うか…… 仲のいい友達に恋人ができたら沸き起こる、感情の機微? あ〜、なんかぴったりかも。
そんな風に独りで納得したら――
「ふぁ〜」
急にあくびが出た。
安心感をゲットしたら眠気が襲ってきたようだ。
「すみません、アリシアさん。私も少し眠ります……」
そう言ってから立ち上がる。
「ええ、どうぞお構いなく。私はもう少し調べますから」
「頑張ってくださいね。お休みなさ〜い」
「おやすみなさい」
挨拶してから本棚の間を抜けて出口に向う。
こうして歩いていても見たい本があったりするから、始末が悪い。
私もアリシアさんのこと言えないかも……
「精が出るな、アリシア」
「神官長様……」
ケイティさんが去ってからしばらくして声をかけてきたのは、八十歳ほどに見える白髪の老人。このダーマ神殿の長だ。
「他に誰がいるわけでもない。堅苦しい呼び方をしてくれるな」
そう言って優しく笑う老人。
「はい、ガイア様」
「“様”か…… 相変わらずだな」
そう言ってから、机に積んである本を見て――
「今度は何の調べものだね? この前来た時はオーブについて調べていたが…… 伝説の怪物などの本が目立つな。……何かあったか?」
この人はよく質問をするけれど、大体は――
「つい先日、オーブの魔力の影響で魔物と化した女性と戦いました。それで――」
「なるほど、ジパングか…… それで他の怪物のケースを当たっていたわけだな」
「……はい」
やっぱり…… いつものことだけれど、この老人は何もかもお見通しのようである。
たぶんオーブの場所も全てわかっているのだろうけれど、何度聞いても答えてはくれないのだから今聞いてみても無駄だろう。
「時に、アリシア。共に行動する者達ができたのだな?」
突然変わった話題に少し驚くが、今に始まったことではないので気にしない。
「はい、ケイティさんもメルちゃんも妹のようで可愛いですし、アランさんは…… 初めの頃は疑われていましたけれど、最近は普通にお話できますし、初めてできた同年代のお友達です」
「だが、彼らは“ヒト”だ」
仲間についての正直な意見を言うと、自然と笑みがこぼれる自分に少し驚く。そして、突然表情を固くしてそう言ったガイア様に対しても。
この人がこんな風に嫌な言い方をするのは初めてだ。
「……アランさんは、違います……」
アランさんはエルフと人のハーフだ。それなら彼は――
「お前もわかっているだろう。一番大事なのは血筋ではない。育った環境――そういう意味で言えば彼は“ヒト”なのだよ」
……それはそうなのかもしれない。だけど――
「それでも私は、彼らを信じることができる。私は――」
「ならば何故オーブを、ラーミアを求める? お前の父の意向は、今お前が信じることを支持しないはずではないか?」
「それは……」
鋭い指摘に、答えに窮す。
しかしそこで、ガイア様は急に険しい顔を崩して――
「ランシール国を訪れるがよい。求めるものがそこにある」
「え? そ、それではオーブが――」
「お前の信じるものを大切にするのだ。真実は一つではない。お前たちはこの国の二の舞になるな」
更に話を聞こうとしたけれど、それを遮りガイア様は本棚の間を抜けて去っていった。
私はその後姿に向けて深く頭を下げる。
これで目的地がはっきりした。今日はもう本を片付けて眠ることにしよう。
本を棚に戻しながら、ガイア様の言っていた事について考える。
私は――
一眠りして起きたら、次の目的地が決まっていた。
昨日の夜にアリシアさんが頑張ってくれたみたい。
「ランシールはわたしも行ったことないですけど、アリシアさんは〜?」
「私もありません。ケイティさんはどうです? ランシール国ならアリアハンから近いですし」
「いえ、私はアリアハンから出たことありませんでしたから」
「俺もだ」
ケイティだけでなく、アランさんも行ったことがないなんて……
あぁ〜あ、これは船旅ってことになるかな? 別に悪くないんだけど、食事のバリエーションに関しては難あり、だよねぇ〜。
それに、バハラタからならまだ定期船が出てるかもだけど…… もしかしたら、それさえもアリアハンの時みたいに出ないなんてことに――そうだ!
「ティンシアならランシールに行ったことあるはずだよ!」
「あのねぇ。ティンシアを連れて行くわけにもいかないでしょ?」
わたしのナイスアイディアにケイティが言った。
なんでだろ?
「ティンシアさんというのは?」
「アリアハンの王女だよ。まあ、頼めば喜んでついてくるだろうけど、連れて行くわけにはいかないだろうな」
アリシアさんに答えたアランさんの言葉に対し、再び思う。
何で?
「別にいいじゃないですか? ティンシア連れていったって」
声に出してみた。
『相変わらず馬鹿な奴だ。王族を軽々しく旅に連れて行くわけにも行かぬだろう』
「むっ! バカだなんて失礼だなぁ、キンちゃんは! そんなの問題ないよ! それ言ったらわたしだって――」
うわ、口滑った!
『何だ?』
「アハハ、なんでもない、なんでもない! でも一応頼みに行ってみようよ。王様の許可が出ればオッケーっしょ?」
適当に誤魔化してから提案する。
すると、アリアハン王のミナトおじさん大嫌い病のケイティが口を開いた。
「あのクソオヤジが許すわけないじゃん……」
「ケイティは相変わらずだねぇ〜。ミナトおじさんは気が弱くて、妙にプライドが高いけど、そう悪い人じゃないと思うよ」
わたしがそう言うと、ケイティは不機嫌そうに明後日の方を向いた。
これは根深いなぁ。
「まあ、一応行ってみましょうか。メルちゃんの意見も一理あります」
「まあな。それにランシールくらいまでなら船を出してくれる漁師もいるかもしれないし」
アランさん、アリシアさんがしかたないなぁという感じに言った。
これでアリアハン行きは決定だね。久し振りにティンシアに会えるなぁ。
猫みたいな年下の少女を思い出しながら伸びをすると、キンちゃんがふいに声を発した。
『フォローの仕方というのも覚えた方がいいぞ、メル』
「何のこと?」
「ルール違反はいけないな、ガイア……」
アリアハン勇者一行がこの地を発った日の夜、私の部屋を訪れる者がいた。
この世界を巡るゲームを管理する者……
「すまないな。彼女の心、試してみたくなった」
「個人の心などさした意味を持ちはしない。試す必要などない」
……まったく、相変わらず暗い考えの男だ。
誰に似たのだろうな。人たる父親か、それとも――
「今回のことでゲームが破綻することはないが、いや寧ろ動き出すだろうが…… ルールを侵す者を残すことは得策ではない。ガイア、お前には――」
「わかっている。それも覚悟の上だ。だが、最期に言っておこう。お前のやっていることは誰のためにもならん。お前の独りよがりでしかないのだ。お前の母も――」
「おしゃべりはそこまでだよ、ガイア。僕はお前の講釈を聞く気はない。じゃあな、ゲームオーバーだ」
彼が右手を上げる。そこには破壊の光が――
その次の日、ダーマ神殿はこれまでにない騒ぎが巻き起こることとなる。
しかし、キメラの翼でアリアハンへと向ったケイティ達がそれを知るのは、だいぶ先のことになる。