21.遥か遥か昔に

 地面に座り込んで泣いている少年がいる。
 見た目の上では十を少し過ぎたところかという年恰好。
 黒い髪と黒い瞳を持つ普通の男の子である。
 その彼に近づく者がいた。
 こちらは少女。
 歳は彼と同じくらいか少し上、黄金色の髪と瞳をもった綺麗な顔立ちの女の子だ。
 彼女は、彼の前まで来ると口を開いた。
「また、苛められたの? あんた」
「姉さん……」
 見た目の麗しさに似合わないぶっきらぼうな少女の物言いに、少年は顔を上げて涙を拭ってから言葉を発した。
「僕、なんで大きくならないのかな……?」
「母さんが精霊だからでしょ? まったく…… あんた、明日で二十になるくせに物覚え悪過ぎ」
 どうやらこの二人、精霊を母に持つ魔族であるらしい。
 ただ、この時代ではまだ魔族と呼ばれる者はいないのだが……
「べっ、別に覚えてないわけじゃないよっ! ただ、その……」
「わかってるって。普通に大きくなれればそこらのガキに、化け物だって苛められることもないのに、なんて後ろ向きなこと考えてんっしょ?」
「……うん」
 子供ほど残酷なものなのだ、こういう場合。
 大人も勿論、心の中ではいい顔をしてはいない。それでも、世間体や倫理観から上っ面だけは気にしていないように振舞うのである。
 まあ、気分が悪いという点ではどちらも大差ないのだが……
「あんたは人が好すぎんのよ。あたしなんてガキ大将をがつんと殴り飛ばしてやったら、誰も生意気言わなくなったわよ」
「姉さんは無茶しすぎだよ。ていうか大人気ない……」
「何言ってんのよ! こっちの方が正しいんだから、堂々と力見せ付けてやればいいのよ!」
 多少呆れ気味に言う弟に、姉は軽く不機嫌そうに、それでいて自信満々に叫んだ。
 弟はそう言う風に断言されると、なんだかそれが正しい主張であるように感じ始めた。
「そう……なのかな?」
「そうよ! 明日はガツンとやったりなさい! ま、それはさておきそろそろ帰るわよ。ご飯できたって父さんが言ってたから」
「今日は母さんの当番じゃなかったっけ?」
「作ってる途中でつまみ食いしたら食べ物の味してなかったから、あたしが強制的に止めさせたわ。精霊って普段食べないから、料理は当てにできないわよね〜」
 精霊は本来物理的に存在していない。しかし、上位の精霊となれば強い意志の力で擬似的な体を作り上げることができるのだ。そのような生態ゆえに、普段食事を取るという習慣が少女の言うとおりない。まあ、料理ができないのも自然のなりゆきか。
「あははは」
 少年は姉の、酷いようだが優しさを感じる言葉に軽く笑ってから――
「姉さん」
「ん?」
「明日、頑張ってみるよ」
 少女は弟の弱々しい声と笑顔を見ながら――たぶん無理なんだろうな、と考える。
 ただ、こんな風にきっぱり宣言することは珍しいし、支えてやるべきだろうと感じ、
「ええ、しっかりね」
 そう適当に返す。
 しかし結果からいうと、彼は大健闘してしまった。
 そして、そのことが魔族という種を生み出す原因となったのだ。
 少女はこの遥か先の時代を迎えた後でも、この時しっかりと考え対処しなかったことを後悔し続けることになる。

「そうねぇ…… それなら魔族が住む島に行ってみる?」
 エリックの一件でアマンダを責め立てると、彼女は突然そう言った。
「魔族が?」
 思わず聞き返す。はっきり言って、すっげ〜気になる。
 エリックの奴を死なせたことはとても許す気になれないけど、そんな島があるのならぜひとも行ってみたい。
 まあ、さっきウサネコやアディナが延々と説明しているのを聞いた結果、エリックの願いもオリビアっていう女の願いも叶えられたらしいし、不本意だけど……無理やりでも納得しておくことにしようかと思わないこともない。
 それに……過ぎたことだし、な。
「わかった。そこに連れて行ってくれんなら、許してやるよ」
「おっけ。決まりね」
「それで、場所はどこだよ」
「ここから南に七日ほど向った辺り…… 特別な魔法で普通に行っただけじゃ発見できないし、ルーラでも行けないようになってるけどね」
 今いる場所はガンドラント海賊団の本拠地――それは高い山々に囲まれたサマンオサ国がある大陸の南方に位置している。
 そこより更に南となると…… あの化け物がいた海域にちょっと近くないか?
「大丈夫なのか?」
 今までの思考を口に出すことなく全て省略して言うと、
「あの化け物の海域にはぎりぎりはいってないわ。もっとも、襲われても攻撃を防ぐくらいならできるけどね」
 まるで俺の思考を読んだかのように答えたアマンダ。まあ、普通の思考回路をしてて、なおかつあの化け物の存在を知ってたら同じ結論に辿り着いて当然かもな。
「あたいも行くぞ!」
 と、アディナ。
 俺が眠っている間にアディナにも魔族云々の話はしてしまったらしい。この前、俺がカンダタの奴に話した時は、喋るな的な軽い注意を受けた気がするんだけど…… 普通に話してるじゃねぇか。
 ま、俺に害があるわけじゃないからいいけどさ。
「悪いけどあんたは駄目よ」
「なんでだよ!」
 あっさり了解しそうだなぁと思ったけど、予想に反してアマンダは問答無用で断った。
「この近海を知り尽くしている奴を連れて行くわけにはいかないわ。分かって貰えると思うけど、島がある正確な場所を人間側に知られたくないのよ。大まかな位置だけなら、まず見つけられないからいいけどね」
「あたいのことが信用できないってのかい!」
 表情を険しくしてアマンダに詰め寄るアディナ。
 ま、もっともな文句だわな。
「そういうことじゃないのよ。どれだけ信用できる相手でも、海上で正確な場所を把握できる人間を連れて行くわけにはいかないの。頭の中に情報があるだけで、それを読み取る術を持つ者に島のことがばれる場合もあるのよ」
 アディナの方を何の感慨もないような表情で見ながらアマンダが言う。
 ていうか、そんな……頭の中を覗くことができる奴がいるのかって感じだけど。普段いい加減なくせに、今回は嫌に神経質だな。
「まあ、帰ってきてから変わった村とか、すっごい化け物のいる所とかに連れてってあげるから」
「……本当だな。そういうことなら諦めるが」
「あ〜、本当、本当」
 いつも通りの適当さを取り戻して言ったアマンダ。
 アディナはまだ少し不機嫌そうにしていたが、色々と魅力的な条件を出されて引きそうな感じ。
 つーか、変なことに興味覚えるよな、こいつ。まあ、俺も行きたいなぁなんて思ってるから、人のこと言えた立場でもないけど……
「で、そうなると誰が行くことになるんだ? 俺とお前と、エミリア、バーニィもいいのか?」
「まあ、あいつらは問題ないでしょ。ウサネコちゃんは魔族自体のことは嫌がってる感じだから、寧ろ拒否しそうだけど」
「ん〜、まあ何にしても本人に聞くのが早いよな。エミリアはまだ寝てるんだったか?」
 アディナに訊いてみると、
「ああ、あたいの部屋で寝かせてる」
 と答えた。女の子ってことで部屋も気を使ってくれたらしい。
 つーか、こいつの部屋じゃ男のそれと変わらなそう…… いや、意外とこてこての女の子って感じの部屋だったりして……
「よし、行ってみるか」
「! 待て! 起きたら連れてきてやるから、先にバーニィに会って来い!」
 ……この反応はもしかして、こてこての女の子部屋が正解か?
 とはいえ、更に突っ込むことは何だかやばそうな気が…… 今の段階でアディナの目が据わっていたりするし。
「ジェイ。ほら、これでも飲んで落ち着け、ってもう話ついたのか?」
 先程俺が興奮していた時に、何か冷たいもんでも貰ってくる、と言って奥へ消えていったバーニィが帰ってきた。その手の中には水の入ったコップ。
「ちょうどよかった。魔族が住むっていう島に行くことになったけど、行くか?」
「魔族が住む島? まあ、別にいいぜ。何のために行くんだって気もするけど、そんなの今に始まったことでもないしな」
 意外にもあっさり了解するバーニィ。その後に続く文句が余計だけど。
 まあ、俺だってバラモスを倒すとか、そういう目的を忘れているわけじゃない。敢えてスルーしているだけのことだ。めんどいことは後に回すタイプでね。
「あら、魔族がわんさかいるのよ。いいの?」
「別に。お前が連れて行くってことは、バラモスみたいな悪い魔族じゃねぇんだろ? 気にしねぇさ」
 この前までのいじけ具合が嘘だったかのように、バーニィが言った。単にふっ切れたのか、それともよっぽどアマンダのことを信じているのか。両方ってこともあるか。
「そう。それで、変態はどうする?」
 突然アマンダがそう言った。
 変態というとカンダタのことだろうが、彼はこの場に――
「おう! 勿論行くぜ!」
『うわっ!』
 驚きの声をあげたのは俺とバーニィとアディナ。
 それも、覆面を被った大男が顔だけを柱の影から出してこちらを見たのだから当然。
「なんでそんなとこに隠れてんだよ!」
 と、俺。声裏返っちまったし。
「別に隠れていたわけじゃねぇぞ。ちょっとこそこそしたくなっただけだ」
「それを世間一般じゃ隠れてるって言うんだよ!」
「そうは言うが、気配は消してなかったぞ。アマンダは気付いたじゃねぇか」
 だからってなぁ……
「ま、それよりも、ついてってもいいんなら当然行くぜ! あのキースって奴もいるのか?」
「残念ながら彼はいないわ」
 キースってのはたしか、昔変態が会ったことのある魔族だったか? この間アマンダが話していたような気がする。
「ていうか彼だけじゃなくて、他もほとんど人数はいないけどね。今いるのは五人のはずよ」
「そうなのか? 魔族ってのは随分少ないんだな」
 あまりの人数の少なさに思わず声をあげる。
 五人しかいないんじゃ、俺達が行くだけで島の人口が二倍になる。
「まあ……ね」
 珍しく顔を曇らせて言うアマンダ。
 ありゃ、なんか聞いちゃいけないことだった予感。
「で、出発はいつにする? さっそく出るのか?」
 そこでバーニィが明るい声を出した。それで完全に話がそれる。意外と気配り上手なこいつらしい。
 ナイスだぞ、ウサネコ!
「あたしはいつでもいいけど…… どうする、ジェイ」
「エミリアが起きたら直ぐでいいんじゃないか。船はあるんだろ?」
 眠っていたからわからないけど、ここには当然ルーラで来たのだろうし、この間の“ルーラの応用で船が空を飛ぶ事件”のことを考えれば船もこちらにあるはずだろう。
「あんたらの船はうちが管理している港にあるが…… 今日のところは泊っていってくれないか? じっちゃんと親父があんたらを歓迎したいって言ってんだ。特にオルテガの息子、あんたは念入りにって……」
 そこでアディナの顔に明らかな不快の色が生まれる。
 なんだ?
「どうすんだ、アディナ。親父さんの言うとおりたっぷりもてなして、そのままガンドラントの跡取りゲットしちまうのか?」
 からかい百パーセントでそう言ったのはカンダタ。
 ああ、それでか。
「うるせぇぞ! 変態仮面! 誰がそんなことするか!」
「そうは叫びつつも顔が赤いぞ」
 と、今度はバーニィ。
「うるさいっての!」
 それにやはり怒鳴って返すアディナ。ほっとくのも楽しそうだけどこれでは話が進まない。
「あほな言い合いはそこら辺にしようぜ。安心しろよ、アディナ。俺も願い下げだから」
 前半はバーニィとカンダタに、後半はアディナに向けて言う。
「それは何よりだ、と言いたい所だが…… 釈然としない上に、怒りが込み上げてくるのは何故だろうな」
「さあな。それよりお前の親父さんと爺さんって生きてたんだな。お前がその若さで頭になってるくらいだから、死んでるもんだと思ってたぜ」
「あいつらがそう簡単にくたばるかよ。あたいが頭を継いだのは、面倒だからお前やれ、って言われて…… なんか、思い出したらむかついてきた」
 器用に思い出しむかつきをやってみせるアディナ。
 ま、それはともかく、ここ――ガンドラント海賊団が居を構える建物はかなりの規模を誇っている。そんな海賊団の歓迎となると料理とか期待できそうだよな。
 明日からはまた楽しい船旅が待ってるし、しばらくすれば魔族が住む島なんていう面白そうなところに行けそうだし、いいことが続くなぁ。
 やっぱ日頃の行いがいいからだろうな。

 誰もいないはずの空間には、不思議な気配が満ちていた。その気配の主は、世界の創世と発展の時を見てきた者達――精霊。
「では、次は魔族の処遇について――」
「議長」
 どこからともなく声が響いた。人間の観点で言うなれば、その声は年老いた男性のように感じる。
 それを遮った声は若い男性のよう。
 彼らは共に抑揚のない声で会話を続ける。
「魔族というのは人間が作り出した俗称です。この場に出すには不適当かと」
「そうだな…… では、“彼ら”の処遇についてだが、人間側の要求を呑んで死罪ということで――」
「そんな! 彼は確かに罪を犯しましたが、それはあまりにも酷なのでは!」
 そこで上がったのは若い女性の声。そこには、他の者とは違い感情が溢れている。
「君がそう言う気持ちは分かる。だが、彼を許してしまったのでは人間側が納得しないだろう。彼は人間の幼子を殺し、その親をも殺した。我らが彼らの死罪を拒否すれば、人間は我らとの全面的な対立を打ち出しかねん。果ては戦争となるやもしれん」
「そ、それは…… ですが!」
「これで今日は終いだ。解散」
 議長と呼ばれた者がそう言うと、その空間に満ちていた気配が散漫になる。
 後に残っているのは――
「……どうすればいいの」
 誰もいなかったはずの空間に、長く柔らかな赤毛が特徴的な女性が立ち尽くしていた。
 この世の者とも思えないその麗しい端正な顔には、焦燥、悲哀、絶望、負の感情しか見えない。
「このままじゃ、あの子達は――」
「ならば逃がしてしまうといい」
 女性の後ろに突然、男が現れた。
 瞳も髪もこげ茶色。強い意志を感じさせるその顔は、威厳という言葉がこれ以上ないくらいに似合う。
「逃がすとは言っても、ガイア。この世界の何処にいても精霊の目から逃れることなんて――」
「この世界でなければいいだろう」
「この世界じゃない……場所? まさか貴方のあの研究を――」
 女性が呟くと、ガイアは不適な笑みを浮かべた。

「こんな日に見張りだなんてついてねぇよなぁ」
「まったくだぜ」
 海賊どものアジトの入り口でぼやいている人間がいる。建物の中からは喧騒が漏れ出ているので、姉さん達の歓迎パーティでも行われているのだろう。それに参加できなくてむかつく、といったところか。
 まったく、人間は浅ましい。
「通してもらう」
 人間どもに一声かけてから普通に入ろうとしたら、
「って、ちょっと待てや、コラ!」
「ああ、やっぱり通してくれないか?」
「あったりめぇだ! てめぇ、なにもんだ!」
 呼び止められたので、きっちり反応して声まで返してあげたというのに、見張り番一は不機嫌そうに叫んだ。
「貴様に名乗る名はないし、誰に止められても僕はこの中に用がある」
「――っ! 喧嘩売ってんのか!」
 僕が普通の返事をすると、見張り番二が腰のナイフを抜いて突っ込んでくる。
 短気な奴だ。
 しゅっ!
「! 何だ? 何処行きやがった!」
「……夢でも見てたのか?」
 先程の人間どものくぐもった声が聞こえた。扉の外側にいる奴の声を内側から聞けばこう聞こえるのも当然か。
 別にあいつらなんて殺してしまってもよかったが、これから久し振りに姉さんに会うのに血の匂いを漂わせるのは避けたい。
 さて、奥に進もうか。より五月蝿い方向に向えば姉さんはいるだろう。昔からお祭り好きだったから。
 会うのが楽しみだ。

 青く澄んだ空。そこに浮かぶは白い雲と、翼を持った生き物達。
 深い蒼に白い波が横切る。
 大地には青々と茂る木々と、高大な山脈。
「どうだ? 中々のものだろう?」
 ガイアの声が響く。
「すごいわね。これが精霊の魔力を核とした世界……」
 赤毛の女性は、世界に目を向けたまま感嘆の息を漏らす。
「その代わり、核たる私は自由に行動できぬのだが」
 ガイアはそう言って可笑しそうに笑う。
「……ごめんなさい、ガイア。あの子達のために」
「謝ることはない。私の研究が上手くいくか試したかっただけなのだからな」
「……ありがとう」
「……それより早く子供や夫を連れてくるといい。何時までもあの地にいさせては不安だろう」
 控えめだが、それでも充分に感謝の意を読み取れる笑顔で女性が言うと、ガイアはしばし沈黙してから早口に言った。
「そうね。行ってくるわ……ってここでルーラは使えるのかしら?」
「意識すらない下位の精霊を連れてきておいた。簡単な術くらいなら使えるだろう」
 ガイアが下位の精霊だけを連れてきたのには理由がある。上位精霊による捜索から逃れるためだ。
 上位の精霊は下位の精霊の意識を遠方からでも読み取ることができる。それゆえに、ここに意識を持つ中途半端な力の精霊をつれてくるわけにはいかなかったわけである。ガイアや女性のような上位精霊なら、そのトレースを意識的に逃れることも可能なのだが……
「ガイア」
「ん?」
 そこで再びかけられた声に、ガイアは軽く返事をする。
「本当に……どうもありがとう」
「…………」
 笑顔でそう言ってから、転送魔法を唱えて彼らの故郷たる異世界に向う女性。
 女性の気配が、自分の作り出した世界から出て行くのを感じながらガイアは、どんな形であれ彼女を守っていくことを心に誓った。

「あ〜ははははは! ぶはっ! はぁ、はぁ…… ぷっ! ははははははっ!」
 酔ったカンダタとアディナの親父が裸踊りをしているのを見て大爆笑しているのはアマンダ。終いには床に転がって痙攣し出すのだから、そうとうツボに入っているようだ。
 つーか、よくあれで笑えるよな。寧ろ気持ち悪ぃんだけど…… カンダタの奴なんか仮面はしっかり着けてるから、なお不気味だし。
「やあ、姉さん。ご機嫌だね」
 突然、そう声をかけてきたのは黒い髪と瞳、更には黒い服を着た男。これでは暗いイメージを人に与えそうなものだが、女と見間違えそうな端正な顔立ちのおかげか、どちらかといえば明るい印象。
 まあ、そんな考察はどうでもいいとして……
「誰だ?」
 俺がそう返すと、しばらく間が空いてから――
「あんた!」
 アマンダが爆笑地獄から抜け出して言った。
「知り合いか?」
「弟だ。姉さんがいつも世話になってるね」
 男がそう言うのを聞いて、思わず目が点になった。
「お、弟?」
「ま、そういうことよ」
「久し振りだね、姉さん。一万年ぶりかな?」
「そんな経ってないわ。せいぜい五千年ってとこよ」
 とんでもない世間話をしだす二人。どちらにしても俺の常識とは規模が違う。
 つーかよぉ……
「アマンダ、お前何歳だ?」
「女性に年齢を訊くもんじゃないわよ」
 と、適当にあしらわれる。
「せいぜい二万年程度なんだし、気にする程じゃないだろう? 姉さん」
 ばこっ!
 アマンダが、彼女の弟だという男の頭を平手で叩く。結構大きな音がしたし痛そうだが、男は微妙にうれしそう。……マゾか?
「姉さんに怒られるのも久し振りだ。少し嬉しいよ」
「お望みなら、怒るネタはいくらでもあるわよ…… ウサネコちゃん、ちょっと抜け出すわ」
「ん? おお。まあ、久し振りに会うんならゆっくり話してくるといいさ」
 かけられた声にそう返すと、アマンダと男はいつの間にやら消えていた。
 よくわかんねぇけど、何か魔法でも使ったんだろう。
 つーか、あの弟はどうやって入ってきたんだ? 見張りもいたはずだが……

 ある集落の民家に、父親とその子供二人がいた。
 父親はフライパンを振るい料理に精を出し、子供達は奥の部屋で何やら話し合っている。
 その内容は次のようなもの。
「姉さんが言ったんじゃないか! がつんとやれって!」
「やりすぎなのよ! なんで魔法なんて使ったの! 殺しちゃうなんて!」
「だって! ……だって」
「お〜い、ご飯できたぞ〜」
 弟が目を伏せて黙った時、父親が扉を開けて能天気な声を出した。
「あ〜と〜で〜」
 ばたんっ!
 姉が問答無用で扉を勢いよく閉めて言った。
「後でって! 暖かいうちに食べた方がおいしいんだぞ? それと、鼻打って痛い!」
「うるさい! 直ぐ行くから、もうちょっと待ってて!」
 子供のように騒ぎながら扉をドンドンと叩く父親と、それに鬱陶しそうに返す姉。
 それを見詰める弟の瞳はおかしそうで、悲しそうで……
 さて、ところかわって父親のいる居間。
「このハンバーグ、会心の出来なんだけどなぁ。暖め直すと味が変わっちゃうし、早く来ないかなぁ二人とも……」
 そう呟きながら丁寧に盛り付けられた料理を眺める。妻の料理下手も相まって、料理をするのが日常となっているだけに手馴れたものである。
 というか、姿が幼いからといって二十歳を超えた子供達にハンバーグを自信満々に出すのはどうなのか。
 どんどんどんっ!
 そこで玄関の扉が激しく叩かれる。そう遅い時間ではないとはいえ、あまり行儀の良い訪問者とは言えない。
「はいはいはい。どちら様?」
「魔族を出せ!」
「……精霊側との協議で、あの子達の処遇は彼らに任されることになったはずだ。帰ってくれ」
 招かれざる客に、緩めていた表情を険しくしてはっきりと言う父親。
 しかし、訪問者達は引かない。
「それで済むと思ってるのか!」
「そうだ! この手で八つ裂きにしねぇと気が済まねぇ!」
 人間と精霊のお偉方同士での決め事があるとはいえ、彼らにしてみればやはり知ったことではないのだろう。興奮して部屋の中になだれ込んで来る。
 そこでタイミングの悪いことに――
「父さん、もうちょっと静かにしてくんない?」
 奥の部屋から少女が顔を出した。
「いたぞ! 殺せ!」
 少女の姿を目にするなり、闖入者の一人が物騒なことを叫ぶ。
「待て! やめろ!!」
 闖入者達は武器を手に少女に駆け寄り、父親はそれを防ぐためにその間に飛び出す。
「邪魔するな!」
 一人の持つ剣が振り下ろされ、そして――
「っ! 父さん!!」
 剣は父親の左肩を深く切り裂いた。どう見ても致命傷となる傷……
「あんたらっ!」
 少女の手の中に光が生まれる。全てを無へと帰す紅蓮の炎。
 それを人間達に向けて――
「アマンダ!」
 響いたのは父親の叫び。
 アマンダは手の中に炎を携えたままで、父を見る。
「駄目……だ。やめな……さい……」
 先程の叫びが無理をしていたのか、以降の父親の声はどんどん小さくなる。
「だけど! こいつら!」
「父さん……は……大……丈夫だから……」
 それが嘘なのは誰にでもわかること。
 彼の出血は並大抵ではない。もはやザオリクを使ったとしても回復することはできないだろう。
「何、強がってるのよ! 馬鹿じゃないの!」
「手厳しい……なぁ」
 そう言って弱々しく笑う父親。
「何で笑うのよ…… 何で!」
「お前の……怒った顔……も好きだ……けど……」
 そう言ってゆっくりとアマンダの方を向く。
 それを見ながらアマンダは理解する。父の望むものを――何よりも愛するものを。
「本当……馬鹿なんだから」
 そう言ったアマンダの顔に浮かぶのは笑顔。
「愛し……てるよ…… ……マと……ビスにも…………」
 …………
 長い沈黙が落ちた。
 それを破ったのは、心無い一人の人間。
 振り下ろされた剣は――
 バチッ!
 アマンダに届く直前のところで激しく弾かれる。
「なっ!」
「もう……」
 剣を弾かれた者は、弱々しく、しかししっかりと言葉を発したアマンダを見る。
「放っておいて」
 その顔にもう怒りはない。あるのは深い悲しみだけ……
 一人がその様子に気押されて外に出ると、それに伴って人間達は次々去っていく。
 後に残されたのは、冷たくなった父親とアマンダ。
 ぶわっ!
 そこで、民家の外が紅く染まった。突然に上がった炎。
 人間達が火を放ったのだ――とアマンダは思った。しかし、逃げる気配は見せない。
 ――もう、終わりにしてしまおう……
 そう考えて目を瞑る。
 その直後、玄関の扉が開け放たれる。そこに立っていたのは――
「姉さん。逃がした分は殺しておいたよ」
 炎を放ったのは彼女の弟――そして、放った対象は……
 母親が彼らを迎えに来たのは、それから少し経ってからだった。

「あんた、相変わらず下らないことしてるみたいね」
「下らないことって?」
 姉さんと僕は中庭で、地面に直接腰掛けて話している。
「オーブのこととか…… その他諸々。人間を操ったり、魔族を操ったり、あんたも忙しいわよねぇ」
「まあね」
 何かを含んだ言い方をした姉さんに適当に返す。
「ガイアのおっさんの魔力抑えたこととか ……テドンのこととか」
 色々とお見通しのようだ。さすが姉さん。
 もっとも、僕の本当の狙いや――あいつの狙いまではわからないだろうが。
「ガイアはちょっと余計なことをしてくれてね。色々予定が早まってまいったよ」
「悪趣味なことしてないでしょうね?」
「あいつの端末を八つ裂きにはしたけど?」
 ばちこ〜っん!
 また叩かれた。
「オーブからの魔力供給を絶ちゃあいいだけでしょうが! 何やってんのよ! たくっ!」
 ガイアの奴は、ランシールにあるオーブの魔力を使うことで端末を生み出していた。
「どこの端末? グリンラッドならまだ問題ないだろうけど……」
「ああ、ダーマ国だよ」
 がっ!
 姉さんの拳が顎に入った。先程よりも鈍い音がする。
「よりによって一番目立つ所なわけね!」
「あそこにいた奴が余計なことしたから」
 顎をさすりながら言葉を返す。姉さんは更に口を開いた。
「つーか、もうダーマ国じゃないわよ。国はあんたが滅ぼしたから、今はダーマ神殿」
「ああ、そうだったね。あの頃は僕も無茶をしていた」
 五、六千年程前、力を持ち過ぎた奴らがいた。それだけならまだよかったのだが、奴らは驕った。力を持つ者による支配――実に下らない構図だ。それがむかついたから殺した。
 ダーマ国の魔族も、ランシール国とアトランティス国の人間どもも。
 ダーマの奴らは皆殺しにできたのだが、他の国の奴らは邪魔されたおかげで結構残してしまった記憶がある。さすがに精霊神、ラーミア、姉さん、その他の人間や魔族の英雄どもを相手にするのは無理があったってわけだ。
「まったくよ。もっとも、あの頃のあんたの行動には一貫性があった分、理解できたんだけどね」
 そう言って、姉さんは目を細めてこちらをみる。
「ガイアのおっさんのことはまあいいとしても…… テドンのあれはどういうこと? それと、バラモスなんて偽魔王を作り上げて何がしたいわけ?」
「昔からやってきたことじゃないか? 人間と魔族の対立の構図を作り上げその推移を見るだけの、ただのゲームだ」
 僕は用意しておいた答えを口にする。もっとも、見るだけじゃなくて、ダーマの連中みたいなバランスを崩す奴らは殺したけど。
 姉さんは一度目を伏せてから再び口を開いた。
「確かにそういう風な流れを汲んでいるわね。だけど――」
「あっ、姉さん、悪いね。実はこれから用事があるんだ」
 少し旗色が悪そうなので逃げてしまおうとしたら――
 ざわっ!
 周りの魔力が姉さんに集中していく。
「これはあんただけの仕業なの? 昔できなかったこと――あんたを倒して全てが終わるのなら……」
 こんな時でも姉さんの瞳には、憎しみとか怒りの色はない。ただただ、深い悲しみがあるだけ。僕の姉さんは、優しすぎる。
「それは……無理だよ。僕がいなくなっても止まらないことはある」
「……」
 僕の言葉を受けた姉さんは魔力を集めるのを止める。集中していた魔力が散漫になった。
 そこで一度息を深く吐いて――
「ならどうすればいいの? 何を止めればいいっていうのよ?」
「昔、僕がこの世界で滅茶苦茶やった時、向こうの世界の精霊のおっさん達が送り込んだもの、覚えてる?」
「あの時? 母さんと、ラーミアと……まさか、だけどあれは」
 僕の言葉を聞き、指を折りつつ考え込んだ姉さん。そして答えを得る。
「そういうこと」
「そんなわけはないでしょ! あれは彼女の中に――それに彼女はあんたがテドンを襲わせたせいで……」
 そこまで言って、姉さんは言葉を止める。
 しばしの沈黙の後、再び口を開く。
「そうか…… 順番が――」
「あ、ごめん、姉さん。本当に用事があるんだ」
 たぶん結論に辿り着いた姉さんの言葉を遮って言う。今回の用事というのは本当だ。まあ、先程のも別に嘘ではなかったのだが……
「ちょっ! まだ訊くことが――」
「また、近いうちに」
 姉さんの言葉を聞き終わらずに、空間を渡る。
 次会った時、また怒られそうだ。
『姉も母も殺してしまってはどうだ? 彼女達は後々邪魔になるであろう?』
 うるさいぞ。
『なら母親だけならばどうだ? お前達をこちら側に置いて向こうに戻り、お前が馬鹿なことを始めるまで何千年も戻ってこなかった女』
 うるさいと言っているだろう!
『……ふふふ、お前も人の子というわけか。まあ、いい。私がその気になれば、あいつらなぞ一瞬で消し去ることも出来る』
 …………
『行こうか、魔なる子よ。私とお前の目指すもののために』
 ああ、行くか……
 目的地はここから北方――サマンオサ。今回追いつめる相手は、人間だ。

 女性一人だけがいる空間に声が響く。声の主は上位精霊。
「かの世界でお前の子が人間、魔族の殺戮を繰り返しているそうだ。試作中の魔道生物二体を連れて殺して来い」
「……あの二体はまだ安定していないのでは? 行くのなら私のみが」
「安定していないからこそ連れて行けと言っているのだ」
 要するに、暴走する可能性があるのなら自分がいる世界でない場所で試して来いということだろう。彼は、人間が人口過多の問題に陥った時に彼らをかの地へと送り込んだり、同様の理由で魔族たちを送り込んだりと、ろくでもない結論しか出さない。
「わかりました…… 行ってまいります」
「では、封印の解除キーを渡そう」
 事務的な声が聞こえたかと思うと、女性の前には強い魔力を秘めた球体が現れる。手を触れると、女性の意識に直接知識が焼きつく。そして、それとほぼ同時に命令を出した上位精霊の気配が消えた。
 初めて魔族と呼ばれた姉弟をガイアの世界に連れて行った後、彼女はこの世界へと戻ってきた。夫の亡骸を葬るために、そして子供達に探索の手が伸びないように細工をするために。
 しかし、その試みは成功したようで失敗した。
 先程の会話からも分かるとおり、上位精霊達には知られるところとなってしまったのである。人間側には知られなかったので建前上は処刑を行ったとして、人間と精霊の対立という図式は避けることができたが……
 以来、ガイアが作り上げた世界は強い封印をかけられ、こちら側からは解除キーの知識を持った者しか侵入できない。そして、移民などの都合のいい使われ方をしているのである。
「これで……あの子達に会えるのね」
 自分の中に焼かれた新たな知識を認識し、女性はそう呟いた。とはいえその表情は硬い。
 与えられた命令と、自分の子供が為していることを思えばそれも仕方がないだろう。
 しかし、女性はそこで強く頭を振り、
「魔道生物の研究室は向こうだったわね」
 と誰にでもなく言ってから、ある部屋の前へと向って空間を渡る。魔力を核にして作り出された生物――魔道生物の研究をしている部屋だ。
 コンコン。
「試作サンプル、RとSを受け取りに来ました」
 女性がノックをしてから声をかけると、扉がゆっくりと開いて無表情な女が顔を出した。
「これよ。どんな動作をしたか、きちんと報告するように」
 そう言って、親指大のカプセルを手渡す。
「ありがとう」
 礼を言った女性に何も返すことなく、女は部屋の中へと戻っていった。
 そのことを気にする様子も見せず、女性は手渡されたものを見詰める。
 精霊同様に魔力を基礎とした存在ゆえに、その魔力をカプセルの中に収めることで場所をとらない――というのを売りとした研究であるらしい。戦争などにおける奇襲作戦を想定した嫌な研究である。
 女性はガイアが研究部主任だった頃の、いい意味で馬鹿らしかった研究内容が懐かしくなった。魔力を操って人間用の食事を生み出す研究や、空に浮かぶ雲を好きな形に変える研究。特に何の役に立つわけでもないが、どことなく暖かさを感じるものだった。
「ガイアと話すのも久し振りになるのね……」
 そう呟きながら、頭の中で転送魔法の構築にかかる。
 先程得た解除キーを組み込んで、特別な処置をする必要がある。しかし、それも苦にはならない。
 これから懐かしい者達に会えるのだ。皆、彼女にとって大切な者ばかり。
 自分が為さなければならないことは考えないようにして、彼女は喜ばしい再会のみを心に描いた。

 現在私は、アマンダと魔法の修行中だ。
 私の手の中には拳ひとつ分くらいの光弾が収まっている。一見するとイオのようだが……
「その状態を維持したまま三十分」
「わ、わかったわ」
 船に乗ってからの修行はかなりきついものになっている。今やっているのも、光弾がイオなのならどうということもないのだが、実はこれイオナズン。
 自分ができる限界まで圧縮するように言われて、それをやり終わったら先ほどのような言葉をかけられたのだ。
「暇だろうし、ジェイに会ってきてもいいわよ」
 そう言われるが、集中していないと暴発しそうで……
「遠慮しておくわ……」
「そう」
 アマンダはそう軽く返すと、手に持った酒に口をつける。彼女が海賊どものアジトからウサネコと一緒になって奪ってきたやつだ。私とジェイも食料をばっちり奪ってきたし、当分食生活は潤うだろう。
 それはともかく、たぶん今やっているのは魔力操作の訓練。あと、体内魔力の増強も兼ねているだろう。基礎力をつけることは大事だし文句を言うつもりはないけど、それにしても厳しい訓練が続くと思う。
 アディナの家で何かあったのだろうか? ウサネコが、彼女の弟が来ていたと言っていたけど……
 ばさーんっ!
「あら、烏賊刺し何人前かしら?」
 突然現れたテンタクルスを眺めつつアマンダが言った。
「このでかさを刺身にしたらまず食べきれないわよ……」
 魔力の微妙な調整に苦戦しつつアマンダに軽く返す。
「そうねぇ。するめにすれば結構持つだろうけど……作ったことないわねぇ。適当に置いとけば乾燥して出来たりするのかしら?」
「知らないわよ」
 そう話している間もテンタクルスが足をこちらにぶつけてくるが、この間教えてもらった空間を渡る術で避ける。今の状態で使うのは少しつらいのだけど、避けないわけにもいかない。
「あ〜、も〜。鬱陶しいわね。エミリア、それぶつけちゃいなさい」
 私同様に、テンタクルスの足攻撃を避けながら私の手の中を指差してアマンダが言った。私は、
「烏賊刺しもするめも作れなくなるわね」
 と言ってから光弾を放る。
「あ、それもそうね」
 アマンダがつぶやくが、時すでに遅し。まあ、放る前に言われても結果は変わらなかったと思うけど。そろそろ維持するのが難しくなってたし。
「余波も防ぐのよ」
 そこで上がったのはアマンダの今更ながらの注意。
 ……もっと早く言いなさいよ。
「バシルーラっ!」
 急ぎ魔法を使う。
 バシルーラは、ルーラと同じ転送の魔法。その違いは効果対象。ルーラが自分達を対象とするのに対し、バシルーラは他者を対象とする。
 慣れてくるとルーラをバシルーラと同じような効果で使うことも可能なのだが、昔から受け継がれてきた名前と効果の関連付けというもののおかげで、バシルーラと口に出した方がイメージを持ちやすい。それゆえに、特に今回のような緊急を要する場合はそちらを使う。
 と、こう言ってしまうと魔法の名前というのが絶対的ではないと感じるかもしれないが、実はそのとおりなのだ。
 別にメラと叫ばなくても炎のイメージを強く持って魔力を操作すれば炎を生み出せるし、他の魔法についても同じことなのである。ただ先の話のように、昔からずっとある名前と効果の関連のおかげでメラとかヒャドとか口にしてみた方が使い易かったりするのだ、イメージ的に。
 と、魔法に関して述べるのはこれくらいにして……
 どっか〜〜〜ん!
 遥か上空で爆音が響いた。
 先程のバシルーラで、光弾とテンタクルスがいる空間をまるまる転送したのだ、空へ向けて。
「ほぉ、やるもんだなぁ!」
「テンタクルスがザコ扱いってはのすげぇよな」
 そこで聞こえてきたのは、変態仮面とウサネコの声。
 さきほどのテンタクルスの攻撃の音で気付いてやってきたのだろう。
 その後ろにはジェイの姿も。彼はテンタクルスが爆発した空を見上げている。
「どうかしたの、ジェイ?」
「イカリング……」
 私が声をかけると、ジェイは料理名を呟いた。
「カンダタ、今日の飯はイカリングな」
「おう! まかしとけ!」
 船に乗ってからは変態仮面が料理当番となっている。『居候だから』というのが理由。
 変態仮面が作ったというだけでまずく感じそうなのだが、意外や意外、それを差し引いたとしても充分においしい食事が続いていた。
「で、アマンダ。まだ、着かないのか? そろそろお前が言ってた辺りまで来てるだろ?」
 と、ジェイ。
「もうすぐそこよ。でも、バギ系を使ってある地点にピンポイントで行かないといけないから…… エミリア、がんば」
「私? 自分でやれば――」
「がんばれ、エミリア」
「まかせて!」
 ジェイに元気に答えてからアマンダに詰め寄る。
「で、どこに行けばいいの?」
「取り敢えずあっちに向って」
 と言ってある方向を指差す。
「オッケー」
 私は答えてから集中を始め、風の力を操って船を動かす。
「うおっ! すげっ! いつもこれやってりゃ、速くていいんじゃねぇか?」
 そこで上がったのはウサネコの声。
 まったく、こいつは大事なことがわかっていない。
「何言ってんだ。ゆったりまったりの方が楽しいじゃん」
「なるほど…… お前がそう考えてるから普段はやらないんだな、あいつ」
 そういうことである。ジェイの言葉は何よりも優先されるのだ。
「ちょっとスピード緩めて。そんで今度はあっちに回れ右」
「了解」
 アマンダに言われて船を操る。
 そのまましばらく進むと――
「ここでオッケーよ。しばらく停めといて」
 と、簡単に言う。
「ちょっ、停めるって…… アマンダ」
「あ、水の精霊に干渉して海の流れ止めようとしても無理よ。海全体の流れを止めるくらいの覚悟ないと駄目だし。今の場合は、船をちょっと持ち上げて波の影響を受けないようにするのがベスト」
 そう言ってから何やら集中し出すアマンダ。島には封印のようなものがかけられているという話だったし、その封印を解こうとしているのかもしれない。
 今文句を言うのは不味そうなので、ここはひとまず言うとおりにしておこう。
 大気中の魔力を集めて、船が宙に浮かぶ様子を強くイメージする。
「お、船の揺れがなくなったし、浮いたのか?」
「こいつは嵐の日に役立ちそうだぁな」
 口々に能天気なセリフを吐くウサネコと変態仮面。
 こっちの苦労も知らないで…… 後でイオぶつけとこう。
「大丈夫か、エミリア?」
 ジェイが心配してくれた。
「うん! まかせて!」
 さっきよりも一層集中力が増したような気がする。今なら、船を持ち上げたままでウサネコ達にイオをぶつけることもできそうだ。……さすがにやらないけど。
 って、アマンダすごっ!
 ふと、彼女がやっていることがとんでもなくすごいことに気付く。
 私がやっているのとは比べ物にならないくらいの魔力操作。それをいつもと変わらない様子で実行しているのだから、彼女のすごさを改めて実感する。
 ぶわっ!
 そこで急に景色が変化した。アマンダの作業が完了したのだ。
「これが、魔族の住む島か……」
 私達の見つめる先に現れたのは、おどろおどろしい死の島――などではなく、のどかで平和な風景が広がる小島だった。

「スサノオ! 魔法攻撃は気にせずに突っ込んで! あの子を……止めて!」
「了解した!」
 ガイアの世界を訪れ、自分の子と対立する人間や魔族達とコンタクトを取った女性。
 その後は戦いの日々である。
 子は魔力を操作して作り出した魔物達を兵とし、母は戦士達を指揮してそれを迎え撃つ。
 長い戦いが続き、戦士、魔物双方の大半が死に絶え、そして愈々最後の戦いになろうとしているのだ。
「母さん! あいつは……!」
「大丈夫よ、アマンダ。大丈夫」
 女性の記憶よりも成長したアマンダが女性の側まで近寄って訴えると、優しい笑顔でそう言った。
 殺さずに止める。それが難しい均衡状態ではある。それでも――
「はっ!」
 人間の戦士スサノオは、並外れたスピードで踏み込み切りかかる。
 子はそれを浮かび上がって避け、そのまま宙を移動しながら魔法攻撃を繰り出す。
 女性はその魔力を中和することで防ぐ。後にマジックキャンセルと呼ばれるようになる術だ。
「ラーミア! 行って!」
『おっけ〜、ルビス』
 女性、ルビスが叫ぶと、鳥型魔道生物R――ラーミアは緊迫感のない声を上げて戦いの場へと飛び行く。
 彼女は最初、そのままRと呼んでいたのだが、しばらくするとRに人格が生まれ、無機質な呼び方を嫌がった。それを受けたアマンダが付けた名前がラーミア。
 ルビスは口にしないが、家族でペットを飼っているみたいで少し嬉しく思っていたりもする。
『Rか…… 私と共にあれば、精霊の束縛など受けず自由になれるものを』
 よく通る声でそう言った者はルビスの息子。彼女の記憶の中の彼よりも、随分と成長し体も大きくなってはいるが面影はある。しかし、その声の主は――
『余計なお世話さ、S!』
 魔道生物S…… 破壊のための更なる力を求めた子が魅入られてしまった危険な存在。子の意識はSに取り込まれてしまい、今現在表層に出ることはなくなっている。
 ラーミアは更に言葉を続けながら、スサノオをその背に乗せる。
『僕はルビスが言うから戦ってるんじゃない! 僕に名前をつけて可愛がってくれたアマンダ、そして彼女が大事に想っているその子を救うために戦ってるんだ!』
『随分と下らん感情が芽生えたようだな、R』
『お前みたいな冷血漢よりましだ! それと――』
 体中の魔力を羽に集中させて、目で追うことができないほどのスピードを出して突っ込むラーミア。
 Sはさすがに避けきれず、体当たりをまともに受けて地面に叩きつけられる。
『僕はラーミアだ!』
「あれでは殺してしまったのではないか?」
 窪んだ大地に向って叫ぶラーミアに、スサノオが声をかけた。
『あれくらいでどうにかできるのなら、ルビスが苦労しないよ』
 ガラッ……
 その言葉どおり瓦礫を除けて這い出すS。
『て〜か、スサノオ。その剣でさっさと一撃食らわしちゃってよ』
 スサノオが持っているのはルビスが作り出した魔力を分断する剣。
 異種の魔力を取り込んでいる者をほんの少しでも切ることができれば、その魔力を分離することができるのだ。これの一撃を食らわせばSを取り除いて子を殺さずにすむはずである。
「そうは言うが…… あの者に一撃でも食らわせるのは至難の業だぞ。私は人間の間では英雄ともてはやされてはいたが、君達の百分の一の実力もない」
『そこは気合でかば〜』
 ラーミアがおどけた声を出した時、Sが突っ込んでくる。
 その腕の中には黄金色に輝く変わった形状の武器。
 Sはそれを嵌めた腕をラーミアに向けて突き出し、ラーミアは物理防御の魔法で防ぐ。続けてSは圧縮した上級攻撃魔法を大量に打ち出し、ラーミアはやはりそれを魔力中和で防ぐ。
 見た目にそれ程派手さはないが、この応酬に参加しようとするには相当の実力が必要となるだろう。
 スサノオはやはり手を出せずにいた。下手に手を出すと一瞬で殺されかねない。
 そこでSの手の中の武器に目が行く。彼は武器でありながら言葉を操る。ルビスがやってくる以前、子がSに意識を奪われる前に何度か言葉を交わしたことがあった。
「グレリアビス!」
『…………』
「その者が自身の意思で動いていないことくらい分かっているのだろう! 止めるのを手伝ってくれぬか!」
『誰に言ってるの?』
『無理だ。武器如きに止められる私ではない』
 スサノオの言葉にそれぞれ声を上げる魔道生物たち。
 ラーミアはグレリアビスのことを知らない者にとっては当然の疑問を、Sは明らかな侮蔑の言葉を吐いた。
 しかし――
『ぐっ! 何!』
『――魔力の塊ごときに武器ごときなどと呼ばれる言われはない……』
 ほんの一瞬、Sの動きが止まる。
 しかし、スサノオの実力が彼の何分の一だろうとその隙は致命的なものとなった。
「はっ!」
 気合とともに一閃した剣は浅くだがSの体に傷をつける。
 その時の変化をスサノオは認識できなかったが、ラーミアやルビスは放出されたSの魔力にすぐに反応をした。
「ラーミア!」
『ほい、ほ〜い』
 ルビスの叫びに軽い言葉を返して、Sの魔力を収束して一定空間に閉じ込めるラーミア。
『準備おっけ〜だよ、ルビス』
 ラーミアのその言葉を受けて、ルビスは懐から親指大のカプセルを出す。ラーミアとSが元々入れられていた魔力収束装置。
「これで――」
 その先の言葉が発せられる前にSが行動に出た。
『最早、その程度の装置で私を抑えられるものか!』
 突然衝撃波が生まれ、ルビスの手の中にあったカプセルを砕く。構造上魔力で砕けるはずはないのだが、彼の力は短い期間で相当増強されているようだ。
 その後の戦いは熾烈を極めた。
 アマンダと気絶しているその弟、さらにスサノオは巻き込まれないようにその場から避難したのだが、そのまま戦いを続けたルビス達は――

 う〜ん…… 何というか――
「滅茶苦茶ふつーだよな?」
「どんなのを想像してたわけ? ウサネコちゃんは」
 思わず口に出した俺に、アマンダが苦笑交じりに答えた。
「魔法とか上手ぇみたいだから、人間の住んでるところより発展してそうだなぁなんて」
「ああ、そういう“ふつー”ね」
 どうも、俺がまだ魔族を嫌っていて、嫌な想像でもしていたと思われたらしい。
「ま、それはともかく皆に会いに行きましょうか……ってジェイとエミリアは?」
 話を変えて言ったアマンダに答えたのはカンダタ。
「あっちにある変な筒がくっついた家に行ったぜ。なんなんだ? ありゃ」
 そう言って彼が指差した先には、言ったとおり筒のくっついた家があった。
 カンダタが言ったように、どういう意味があってあんなのがついてるんだか。
「ああ、あれは天文台っていうのよ。あそこに住んでる子が造ってね。頑張ったわよねぇ」
「天文台ってのは何なんだ?」
「空を詳しく見るのに使う道具ってとこかしら? 私もよくわかんないんだけどね。でも、あそこに住んでる子に訊くのは止めた方がいいわよ。永遠に話すんじゃないかってくらい説明長いから」
 そう言って、その建物があるのとは違う方向に向う。
 まあ、どうでもいいものの長々しい説明を聞くつもりもないし、いいけどな。
 でも、少し気になることがあるので訊いてみる。
「それで、あれは何に使ってるんだ?」
「この世界が丸いってのが彼の持論でね。それを証明するために造ったみたいよ」
「丸い? そりゃまた奇抜な」
 と、割と適当に返す。どうでもいいし。
 でもまあ、ジェイの奴は楽しんでそうだな、説明聞いて。あいつ変な話好きだし。
「つーよりよ。魔族ってぇか、普通の学者くずれみてぇだな」
 カンダタが言った。
 学者くずれが普通かはさておいて、確かにその通りだと思う。
「ああ、彼は人間だからね」
「へ?」
 間抜けな声を出したのは俺。
 魔族の住む島じゃないのか?
「ここには魔族もいるけど、差別に苦しむ異端視された人間もいるのよ。血統的に魔族といえるのは、私以外なら三人ね。まあ、そもそも魔族自体そんな感じなんだけどさ」
 と、後半はぶつぶつ呟く。
 よくはわからないが、人間も魔族もいるってのはわかったな。
 と、そこで漸く第一島人発見。島魔族かもしれないが……
「あれ? アマンダさん久し振り!」
 声をかけてきたのは二十代後半くらいに見える女。魔族なら何百歳ってところだろうが……
「そっちの人達は? あ、もしかして差別されてた人間ですか? そっちの仮面の人なんていかにもって感じですもんね〜」
「ぶっ! あっはははは!」
 思わず吹き出した。そして――
「がはははははは! おもしれぇ、姉ちゃんだな!」
 カンダタも笑い出す。というか、お前はそれでいいのか……
「こいつらは、まあ、仲間よ。人間だけど差別されてたわけじゃないわ」
「ああ、そうなんですか。でも、その仮面と半裸は止めた方がいいですよ、怪し過ぎるからその内いじめられるかもです。あ、そっちのお兄さんも服のセンスが微妙なんで注意した方が……」
「はい、その辺にして」
 笑顔で悪口にしか聞こえない言葉を羅列する女をアマンダが止めた。
「ごめんね、この娘天然で口が悪いのよ」
「変な紹介しないで下さいよ、アマンダさん」
 アマンダの言葉に文句を言う女。
 だけどなぁ…… 悪意あると思われるより、天然で口が悪いと思われていた方がいいだろうし、アマンダ、グッジョブってところだと思うぞ。
「この娘の名前はロッテル、魔族よ。まあ、今までの分で紹介は充分ね」
 そう言ったアマンダに女はなおも文句を言っているが、それを気にせずアマンダは続ける。
「それと、さっき言ってた変わり者はレオ、他には――」
「人間のおばさんミレイと、魔族のおじいちゃんロディアスさんがいるんですよ」
 と文句を言うのを止めてアマンダの後に続くロッテル。
「? ジュダンもいるでしょ?」
 そこでアマンダが疑問の声を上げた。魔族は三人って話だったし、そのジュダンってのが最後の一人なのだろうが……
「ジュダンさんはいつの間にか出て行っちゃいましたよ」
「はい? ちょっ! いつの間にかってのは何なの?」
「ある朝挨拶に言ったらいなかったんです。そうですねぇ、半月くらい前だったと思いますけど……」
 そこで長い沈黙に入るアマンダ。
「探すのか? ジェイの奴も何だかんだで人がいいし、反対しないと思うが」
「……やめとくわ。彼も何か考えがあるんでしょう。わざわざ探すこともないわ」
 子供じゃないんだし、と続けて軽く笑うアマンダ。
「そう、そう、気にすることありませんって。ジュダンさんってイジイジしてて保守的で鬱陶しい感じだったから、この島から出て行くなんていう行動力を示すなんてよっぽどのことですよ。きっとすごい大事なことがあったんですよ。信じてあげなきゃ」
 口が悪いんだか、優しいんだかよくわからないセリフを吐くロッテル。
 それを聞いたアマンダは大きく笑って――
「そうね。あんたはたまにいいこと言うわね、ロッテル」
「たまにとは失礼ですね! アマンダさんこそ口が悪いと思いますよ」
 そんな軽口を叩いてから、一緒に他の人物がいる場所に向う俺達。
 その後は、俺は酒を貰ったり、昔の神話チックな話を聞いたり。
 アマンダは酒を飲みつつ、食事をしつつ、酒を飲む、というリラックスぶり。
 カンダタもやはり酒を飲みつつ、魔族の爺さんに勝負を挑んでこてんぱんにやられたり、こりずに再戦したりで楽しんでいた。
 途中からジェイとエミリアとレオとかって学者も加わって、飲めや歌え――と言ってもどちらもやらないで騒いでいる奴が大半だったが――の宴会に突入した。
 まあ何だな。この島に来て魔族の印象はガラリと変わった。人間と何も変わんねぇわ、ホント。

 ほんの十数年前のこと――
『久しいな、魔なる子よ』
 突然頭の中に響いた声に、黒の髪と瞳を持った男性は動じることもなく答える。
「漸くそこまで回復したってわけか…… 精霊神やラーミアに手痛くやられたそうだな」
『まあな、現在では人の中に存在するという屈辱を味わっておるよ』
 魔道生物S、そしてかつて彼に体を操られた男。
『再び私の力を借りる気はないか?』
「本気で言っているのか?」
 Sの言葉に当然否定で返すかと思われた男の口からは、答えを聞く気すらなさそうな適当な言葉が漏れ出る。
『何を白々しい。お前が力を求めていることがわかったのでこうして話しかけているのだ。もっとも、以前とは随分違う理由のようだが』
「ふん、以前のように主導権が握れるとは思うな。僕はさらに魔力を高めているし、貴様の魔力はよくて半減というところだろう?」
『それは……肯定と受け取っていいのだな』
 こうして男は再び最悪の選択をした。
 その選択の先に何があるのかはまだ分かっていない。
「それで貴様を手に入れるにはどうすればいい? S」
『Sは止めてくれ。長い間人の中を出入りしていたせいか、“名前”というものが欲しくなった。Rはお前の姉にラーミアという名を与えられたというし、私にも何かつけてくれんか?』
「名前? ――面倒だな」
 そう言って顔を顰めてから、それでも律儀に考え込む男。そして――
「ならば――」
 これは十数年前のこと――
 そして、テドンが襲われる数日前のこと……