22.絶望の覆う国
『主はなぜ我を生み出したのだ』
心を与えられた武器は問うた。
彼を作り出した者はとてつもなく強く、彼の力が必要だとは思えないのだ。
問われた青年は一度武器の方を見てすぐにその瞳を逸らし、しばし逡巡してから口を開く。
「僕は――」
メルの奴にキメラの翼を使わせて、サマンオサ城下の南の洞窟へと降り立ったのはついさっき。
そこで今後のことについて話していると――
「ちょっと! 何でわたしだけ洞窟入んないで城に行かなきゃなんないのよ!」
「お前ぇは命狙われてんだぞ! そんな奴が洞窟に入ったら、俺なら迷わずイオ系をぶち込んで洞窟を倒壊させるね!」
「そんなもん気合で耐えてみせるわよ!」
「アホか!」
アホな発言ばかりするボケ王女に思わず声を荒げる。
こいつと話すと昔からこうだ。
「ねぇ、レイル」
「なんだい? ケイティちゃん」
「……ランシールで襲ってきた奴はアリシアさんに攻撃しようとしなかったわ。なら、アリシアさんが一緒にいれば洞窟を壊そうとはしないんじゃないのかな?」
ケイティちゃんの問いかけにポーズを決めつつ答えると、彼女は少し沈黙してから微妙な表情でそう言った。
「その可能性は否定できねぇけどな…… とはいえ万が一ということもある。まあ、わざわざ乗っ取りにかかってるくらいだから、城を壊そうとしたりはしねぇだろうし、城で大人しくしてりゃ向こうも無茶はしねぇはずだ。接近戦で攻めてきたら、このちんちくりんはまず負けねぇだろうし――」
どかっ!
と、今のは俺の右足にメルの奴が蹴りを入れた音。
「痛ぇな! 何すんだ、おら!」
「誰がちんちくりんなのよ!」
「あぁ? てめぇに決まってんだろ、このチビ!」
「あったまきた! アランさん、鍵プリ〜ズ! キンちゃん、最大出力で行くよ!」
メルが意味わかんねぇことを、アランという戦士と、キンちゃんと彼女が呼ぶ武器に向って叫んだ。
取り敢えずむかつく内容なんだろうことは予想できる。
「馬鹿なこと言ってるんじゃない……」
『まったくだ…… それにその小僧――レイルの言っている通りにした方がいいぞ、メル』
「おっ! メルの相棒の割にはまともな脳みそしてるじゃねぇか」
と言ってから、脳みそあるのか? という疑問が浮かんだり。
まあ、別にどうでもいいけどよ。
「何よ、キンちゃんまで!」
『万が一の場合も考えておかねばなるまい。主の父に何かあった場合、国を守るためには主の存在が必要であろう?』
…………
長い沈黙が落ちた。
キンとかって奴、直球すぎねぇか。まあ、俺も同じようには考えていたけどよ…… 一応気を使ってたわけだ。
ランシールにいた時みたいに落ち込みモードに入るかと思われたメルは、しかし瞳にしっかりと決意を携えて俺達を見回した。
「確かに……そうかもしれない。わたしには王族としての役割があるもんね。最悪、ラーの鏡が見つからなくても、真実を見極めて国を救わないと……」
ほぉ、六年の間にただの馬鹿から、ちょっとましな馬鹿にはなったわけだ。
「なら私も城に行くよ。メルだけじゃ心配だし、一応魔法を使える人がいた方がいいかもだし」
「あんがと、ケイティ」
「ケイティちゃんは可愛いだけじゃなくて優しいねぇ」
と笑顔で声をかけると、一歩下がって曖昧に笑うケイティちゃん。照れてるみたいだ。
ま、それはともかく――
「それでメル。ラーの鏡ってのはどういう形のもんなんだ?」
「へ?」
「洞窟に入っても、目的のもんがどれかわかんなきゃ仕方ねぇだろうが」
「ラーの鏡ってくらいだから、鏡があったらそれじゃないの?」
と、単純明快な意見を言うメル。
って、おい!
「お前ぇ、ラーの鏡見たことねぇのかよ!」
「うん。ここには偶に遊びに来てたのと、あの時に連れてこられただけだもん」
「つっかえねぇなぁ!」
「な――!」
『ラーの鏡なら我が知っておる』
俺の発言に、メルが再び不満の声を上げようとした時、キンが言った。
「本当か?」
『ああ、昔にちょっとな。さて、そういうわけだ。メル、別行動だが、泣きべそをかくなよ』
「な、泣きべそなんてかかないもん。寧ろ口うるさいのがいなくてすっきり〜みたいな」
『ふっ、まあよい。では、いい加減行動に移るとするか』
メルの生意気な物言いに余裕の表情……じゃなくて声でそう答えるキン。
結構大人な奴だな。
「珍しいね。ああいうときは大体言い合いになるのに…… どうかしたのかな、武器の奴」
「そうだね〜」
キンをアランに渡してから、メルとケイティちゃんが小声で話す。
ふ〜ん…… そうなんか。ま、武器にも色々あるってことだわな。
「じゃあ、そろそろ出発しましょうか。メルちゃん達は直ぐにサマンオサ城に……アランさん、キメラの翼を渡しておかないと」
「ああ、そうだな。ほら、メル」
「あ、は〜い」
アリシアさんの指摘を受けて、アランがキメラの翼を取り出してメルに渡した。
「お前ぇ、俺達が戻るまで大人しくしてろよ」
「はい、はい。久し振りに故郷の味を堪能しておくわよ」
「あ、結構楽しみね」
メルの適当な発言にケイティちゃんが楽しそうに反応して、二人は元気に騒ぎ出す。
う〜ん、女の子が楽しそうにしているのはいいねぇ。メルは余計だけどな。
私とメルは城への道を会話もなく歩いていた。
キメラの翼で城に直接向かった方が安全だっただろうけど、メルが一度城下の様子を見ておきたいと言ったので街の入り口に降り立ち、城に向いながら辺りを見て回っているのだ。
話もせずに歩いているのは…… 街中がそれさえも憚られる雰囲気を漂わせていたから。
活気というものは一切感じられない。人の姿は見られず、物音ひとつ響かない。
生きる者など存在しないのではないかと思わせるその惨状に、メルはもとより私も言葉を発することができなかった。
ごーん、ごーん、ごーーーん!
その時、この街に入って初めての物音を聞いた。というか、物音どころかかなりの大音量の鐘の音。
「あれは?」
メルに聞いてみる。
「葬儀の時に鳴らす鐘よ…… 元々は死んだ人のこれからの旅の無事を願うために、そして残されたものの悲しみを吹き飛ばすために鳴らされるものなんだけど……」
そこで言葉を詰まらせるメル。
確かに、そんな意味を持っていることなんて絶対に思えないくらいに、先の鐘は悲しみのみが満ち溢れた音色をしていた。
「ケイティ、ちょっと寄り道していいかな?」
「……勿論よ」
本当は早めに城に行っておきたいところだけど…… 表情はいつも通りなのに、声がとても辛そうなメルの様子に断ることができなかった。
メルが足を向けたのは鐘の音が聞こえた方向。墓場だった。
そこでは何人かが集まり、暗い表情で話している。
その中には、木で出来た新しいお墓にすがりついて泣いている女の人の姿もあった。
悲しみしか見出せないその光景に、私もメルも押し黙って眺めることしかできない。
「いったいどうなってるんだ…… 先々週に王様がおふれを出してから毎日のように死罪の者が出ている……」
「どうなっちまうんだよ、この国は……」
「よせ。そのくらいの発言でも、聞かれれば反逆罪だと難癖つけられて捕まる可能性があるぞ」
「……そうだな」
状況は随分とひどいようだ。
圧制が布かれたとは聞いていたし、死罪になる人が多数いるとも聞いていた。それでも毎日のように死罪とは……ひどすぎる。
ざっ。
そこでメルが人々の方に歩みを進める。
「ちょっと、メル!」
と声に出してしまってから即後悔。
彼らが直面している状況とメルがこの国の王女であることを考えると、正体が知れるのはちょっと面白くない結果を招きそうな気がしたからだ。
メルは六年くらい前から帰ってないみたいだし、彼らが覚えていないことを祈ろう。
「……メル?」
「おい…… あの赤い服着た方、メルシリア様じゃないか?」
うっわ、しっかり覚えてるし。少しくらい鳥頭な方が幸せに生きれるってもんよ!
とにかくメルを引っ張ってさっさと城に行っちゃうのがいいよね。
メルの方に駆け寄って腕を取ろうとしたその時――
「メ、メルシリア様!」
深く、深く頭を下げたメルに、人々が戸惑った声を上げた。
「ごめんなさい…… わたしが謝ってどうにかなることではないけど…… だけど…… ごめんなさい」
「メル……」
メルの瞳には涙はなかった。だけど、だからこそ、私にはメルが泣いているように見えた。
「頭を上げてくださいな、メルシリア様」
そう言ったのは、お墓にすがりついて泣いていた女の人だった。涙は綺麗に拭いて、その顔に浮かんでいるのはぎこちないけれど笑顔。
「メルシリア様にこうして最後にお会いできて、夫も喜んでいると思います。覚えておいででないと思いますが、私の夫は――」
「ジャス…… わたしの剣術指南役だったよね。剣術の稽古は大嫌いだったけど、わたし、彼のことは大好きだったわ」
「覚えて……なさったのですか? いえ、それよりも……」
驚きの表情でメルを見詰める女の人。言いかけたことは大体分かる。なぜ本人の姿を見たわけでもないのにそれがわかったのか。
「よく、あなたのことを話していたわ、ライラ。自分には過ぎた妻だって…… それと、怒ると直ぐ手が出るところが玉にキズだって」
女性の言葉を受けて、メルが少しだけ笑って、そう言った。
何のことはない。女性の、ライラさんのことも覚えていたから、その夫のジャスさんのこともわかったのだ。
「私のことも覚えていて下さったのですか?」
「勿論…… それと――」
言って、そう多くはない参列者達に目を向けるメル。
「ポーラ、アルク、ガトー、ジャッカル、セリダ……」
彼女は視線をどんどん移しつつ、名前らしき単語を羅列する。
もしかして……全員覚えてるのかな?
「メルシリア様…… 我々を全て覚えておいでなのですか?」
お爺さんが一人歩み出てメルに聞いた。
「うん、勿論。お父様が言っていたの。国民のことを第一に考えろって。全ての民を記憶し、その全てに気を向けられるようになれって……」
そこで再び悲しみを瞳に映すメル。
記憶の中のお父さんと、今の国の現状の違いに悲しくなったんじゃないかな。というか、今の話を聞く限り、やっぱり王様は別人が成り代わってるとしか思えない。
「神父様…… もう一度鐘を鳴らして頂いてもよろしいでしょうか?」
そこでそう言ったのはライラさん。
「ああ、かまわぬよ」
神父さんは鐘があると思しき建物に向う。
そしてしばらくすると――
ごーん、ごーん、ごーーーん!
先ほどと同じように三度鳴らされる鐘。
だけど――
「あなた、この国はもう大丈夫。メルシリア様が帰ってきてくださったのだもの。だから、安心してください。私は――私達は大丈夫だから」
ライラさんの瞳には涙が浮かんでいた。だけど、その表情から読み取れるのはもう絶望や悲しみだけではなかった。
「行こう、ケイティ」
そう言ったメルの瞳にも、決意、希望。正の感情が強く現れていた。勿論、悲しみが完全に癒えたわけではないだろうけど……
「そうね」
頑張らないといけない。この国の人々のために、そして、メルのために。
「あぁ? オルテガさんの話?」
俺が声をかけると、レイルは面倒くさそうにそう言った。
「ああ。この国に来たことがあるんだろう?」
メルに初めて会った時にそういう話を聞いた覚えがある。
「まあな。あれは……八年くらい前だったか。けどよぉ、そんなんメルの奴に訊きゃあいいじゃねぇか。一緒に旅して結構経つんだろ?」
「あいつに訊くと、熱くなり過ぎて変な脚色入れそうだ」
実際ケイティがメルに、オルテガさんがヌイグルミを着ていたという時のことを訊いたら、嬉々として小一時間ほど語り、その中のオルテガさんはとても人とは思えない身のこなしをしていた。
そもそもその状況はメルが実際に見た話ではないはずであり、それでもあれほど語れるということはかなりの妄想が入り込んでいる可能性が高い。
「ま、言えてらぁな。いいぜ、どうせ魔物も弱っちくて退屈だしよ」
そう言いながらレイルは手の平から灼熱の炎を生み出し、集まってきていたがいこつ剣士を一網打尽にする。
俺は俺で剣に炎の力を付加させて、でかい亀のような魔物ガメゴンを一刀両断にする。
アリシアは他の魔物が使う魔法を中和したり、息攻撃をフバーハで防いだりしている。
まあ、弱いと言わないまでも世間話をする片手間にでも倒せる程度ではある。
「そうだな。ありゃあ確か、親父がちょうど他の国に行ってて…… 今思うと親父がいなかったから実行に移したんだろうな」
「何をですか?」
レイルの意味がいまいち繋がっていない発言に、疑問の声を投げかけたのはアリシア。
「いわゆるお家騒動だ。ライラスのおっさんの弟による王位強奪事件。もっとも、未遂に終わったけどよ」
「王位強奪……」
『穏やかでないな』
「そうでもないぜ。誰も死ななかったしよ。そもそも、水面下でじたばたしてただけって感じだったからな。国の奴らのほとんどがそのことを今でも知らねぇくらいだ」
深刻な声を出した俺と武器に、レイルはあっけらかんと返事をした。
「だが、メルはオルテガさんに救出されることになるような窮地にあったんだろう?」
「まあな。あいつは唯一の被害者って感じだったな。もっともオルテガさんに助けられたことの方が大きくて、本人はまったく気にしちゃいないけどよ」
そう言い大きく笑ってから先を続けるレイル。
「あいつはガヴィラのおっさん、あっ、ライラスのおっさんの弟な。そのガヴィラのおっさんの命令で誘拐されちまってよ。この洞窟に軟禁されたらしいんだ。そんで、メルを返して欲しければ王権の譲渡を行えっていう展開になったわけだ。まあ、あの時王権が移っちまってたら、ライラスのおっさんとメルはよくて国外追放か、悪くすりゃあ事故死あたりにみせかけて殺されてたかってところだったろうから、そうなりゃ実際穏やかじゃない展開になってただろうけどな」
随分と重い話だ。話し方が軽いからそう感じないが。
「それでガヴィラという方はどうなったのですか?」
「偶々来ていたオルテガさんに野望を打ち砕かれたわけだが、まあ、無罪とはいかねぇわな。ガヴィラのおっさんと奴についてた全員は国外追放になった。だけど、ガヴィラのおっさん個人がどうなったかは俺も知らねぇよ」
う〜ん…… ていうか……
「そのガヴィラさんが今回の事件にも関与しているという可能性もあるのではないですか?」
言ったのはアリシア。俺もそう思う。
『ライラスという者が圧制を布いている今、そのガヴィラが戻り国王となれば反対する者などおらんだろうな。寧ろ歓迎するだろう』
「まあな、その可能性は一番高いと思うぜ。とはいえ、それがわかったところでどうしょうもない。俺達は偽王の正体を暴いて今の事態を収拾するだけさ」
そう言った時のレイルの瞳は、今までとは違い強い決意に満ちていた。この国が本当に大事なんだろう。
「もうひとついいか?」
「まだあるのかよ? いい加減喋るのも疲れてきたぜ?」
再びいい加減さを取り戻した瞳で迷惑そうに言うレイル。
まあ、だからって訊くのを止めたりはしないけどな。
「お前の親父さん、サイモンさんはどうしたんだ? 城にいるのか?」
「親父か? 親父は俺と同じようにメルを探しに出たんだが、もう俺が連れ帰っちまったし、無駄な努力を続けてるところだろうよ。まあ、五日に一度は帰ってきてお互い報告することにしてるから明後日くらいには帰ってくるだろうけど…… すっかり解決した後に帰ってきて、悔しがる顔が目に浮かぶぜ」
そう言ってニヤニヤ笑うレイル。なんというか、仲が……いいのか?
「ところで、魔物の数が随分多いような気がしませんか」
そこで話題を変えたのはアリシアだ。
「確かにな。弱いことは弱いがこの数は……」
先ほどの話の間も、俺達は休みなく攻撃を続けていた。アリシアは主に防御だが。
「そりゃ、あれだ。アリシアさんの魅力に寄せられたのさ」
「黄金の爪さんはどう思いますか?」
レイルの言葉を軽くスルーして武器に問うアリシア。少しひどくないか……?
もっとも、当のレイルは「照れちゃって。可愛いぜ」とか呟きつつポーズを決めていたりするから、これっぽちも気にしていないだろうが。
『まあ誰かの仕業なのは間違いあるまい。この洞窟の魔力濃度はそう高くない。自然ではこうも多くの魔物は生れ落ちんだろう』
「ですが、意図的に魔物を生み出すことなど可能なのですか?」
『よっぽどの実力者ならば可能だ。我も一人できる者を知っておる。もっとも、あいつがこのようなところにいるとは思えぬがな』
「そうですか……」
少し懐かしそうな、それでいて辛そうな武器の言葉に、アリシアはそれ以上の質問を避ける。
そこで、今までの通路とは違う、少し開けた空間に抜けた。
そこには地底湖が広がり、その中央には……
「おい、アリシア。あの人は……」
「はい、たしかピラミッドで…… ですが……」
ラーの鏡らしきものを手にした男がこちらを見ていた。
ピラミッドで見かけた時と同じように黒いマントを着込み、しかしその顔にはあの時とは違い笑みが浮かんでいる。
『主は……』
そこで聞こえたのは武器の呟き。
知り合い……なのか?
「久し振りだな。グレリアビス」
「たっだいま〜」
「お邪魔しま〜す」
と、普通に挨拶して入っちゃおうとした私達に――
「待て! 現在、外から来た者を王城に入れることは禁じられている!」
真面目そうな兵士一がそう言った。
「ちょっと、貴方。この娘が誰だと思ってるの?」
と言って、私はメルの背中を押して兵士の方に向ける。
「? 誰だ? 知らないぞ」
「へ? ちょっとメル?」
兵士の心からの疑問の声に間の抜けた声を出してから、私は小声でメルに聞いた。
「この人、わたしがいた頃はいなかったし、たぶん他の国から来た新人さんだよ」
「そうなの? まいったな〜」
メルの嬉しくない返事に、頭を抱える私。
「何のことだ? ともかく、君達を城に入れるわけにはいかん。早々に立ち去れ!」
「何を騒いでいる」
もう無理やり押し入るしかないのかなぁ、な〜んて思い始めた時、奥から渋めのおじさん兵士がやってきた。微妙に白髪が入った黒髪を後ろに撫で付けてるところもダンディなら、綺麗に入っている口元や目下のシワもいい感じだ。
「隊長! 今、この少女達が城に入ろうとしたので止めていたところです!」
「少女? すまぬが、今現在……」
「ガダル、久し振り〜。隊長になったんだ。出世したね〜」
こちらに顔を向けて、兵士一が言ったことを繰り返そうとした隊長さんに、メルはにこやかにそう言った。
それを聞いた後、しばらく黙ってメルの顔を見つめてから、ガダルさんは驚きと喜びが交じり合った表情で声を上げた。
「メルシリア様! お戻りになられたのですね! では、サイモン殿が…… それともレイルが?」
と言って辺りを見回すガダルさん。
「戻ってきたのはレイルと一緒によ。それより、入ってもいいよね〜? 後でレイルも来るからさ」
「勿論です! さ、どうぞこちらへ」
「ガダル様! それはなりません!」
すんなり入れてくれようとしたガダルさんに、兵士一が意見した。
「何だ?」
「ガダル様といえども外からの者を入れたとあっては死罪になりかねませぬ!」
「この方はこの国の姫、ライラス様のご息女にあらせられるのだぞ! その様なことがあってたまるか!」
兵士の言葉に怒りを露わにして、彼の体を乱暴にどけて私達を入れてくれようとするガダルさん。
しかし――
「それが、その様なことがあるのですよ、ガダルさん」
「……ジュダン。新参の宮廷魔術師が私に意見とは大きく出たものだな」
奥からゆっくりと登場したのは、茶の髪と緑の瞳を持った四十程に見える男性。
「新参でも陛下の定めた法を守ることが何よりも優先されることはわかりますよ。第五十三条、勝手に城に入った者、及びそれを許した者は死罪」
そう言いながら笑顔で私とメルの足元を指差すジュダン。
私達の足は既に城の中に入り込んでいた。
「ば、馬鹿を言うな! メルシリア様を死罪などと――」
「メルか、久しいな」
その時、更にもう一人おじさんが奥からやって来た。
黒い髪を後ろで束ね、口の上にはいかにもなちょび髭。偉そうな物腰から判断するに、たぶん……
「陛下!」
「お父様……」
ガダルさんとメルが言った。
やっぱり……
「我が娘といえど、法を犯せば罪に問われるのは当然のこと。ジュダンよ、メルとガダル、それとそこの小娘を牢に入れておけ」
「了解致しました、陛下」
「ちょっ…… 何よ、それ! ふざけんじゃないわよ!」
あんまりな展開に思わず叫ぶと……
「止めるのだ!」
ガダルさんが私を止めた。
「……謹んで……罰をお受け致します、陛下」
「それでよい…… そちらの兵士は?」
「あっ、私は……」
ライラスが兵士一の方を興味なさそうに見て言うと、兵士一は恐怖の色を瞳に映してからどもる。
「この人はわたしとガダルが騒いでたら駆けつけてきたのよ」
「そうか。ならばさっさと持ち場に戻るがよい」
メルが慌ててフォローに入ると、ライラスは適当にそう言ってから奥へと引っこんでいった。
「メルシリア様は嘘がお下手ですねぇ。まあ、彼を捕まえたところで私にメリットがあるわけでもなし。見逃しますがね」
「それはど〜も。それじゃ、行きましょうか。話は牢屋でしましょ、ガダル」
「ちょっと! メル――」
「話は後で、だよ。ケイティ」
大人しくついていくつもり? と言おうとしたら、メルの笑顔に遮られて言葉に詰まる。
「では、行きましょうか。メルシリア様、ガダルさん、それとお嬢さん」
ジュダンもまた笑顔でこちらに声をかけてくるが、メルのそれと違って胡散臭さが溢れまくってる。むかつくわ〜。
「あっ、ねえ!」
「は、はい?」
ジュダンに連れられ歩き出して直ぐに、メルが振り返り大きな声で兵士一に呼びかけた。
「名前、何ていうの?」
「……ギーアと申します、メルシリア様。あの、先ほどは――」
「そっか、ギーアね。仕事頑張ってね、ギーア!」
多分、ギーアの言葉の後には感謝と謝罪が続いたことだろう。
それをメルが遮ったのは、それを元にジュダンが難癖をつけてくるのを防ぐためではないだろうか。
いつもよりも思考が深い。
というか、ここに来てメルの強さ、そして王族としての覚悟がありありと感じられるようになった気がする。
この先の展開は、あまり希望が見出せるようなものではないはずなのだが、彼女の所作を見ているだけで大丈夫な気になってくる。
私よりもよっぽど“勇者”っぽいような感じ……
「あっ、ジュダン。食事は豪華にしてくれない?」
「それくらいなら考慮いたしましょう」
「久し振りだから楽しみ〜」
……気のせいだったかな? ま、私も楽しみだけどさ。
黒い髪と瞳を持った男が、顔に笑みを張り付けてこちらに声をかけてきた。
どうも名前を言っていたようだが、誰のことなのやらといった感じだ。
つーか、何でこんな洞窟の奥に人がいんだ?
「ついさっき、姉さんにも会ってきた所なんだが、そうしたらお前にも会いたくなってね。ちょうど近くにいるようだったから待たせて貰った。本当に……久し振りだな」
『そうだな。我が封印され、主はそれを解こうともしなかった』
へぇ、キンの知り合いか。にしても、グレリアビスって…… 言いづれぇなぁ。
「ああ、もしかして怒っているのか。中々可愛いところもあるな」
『ふ、ふざけるな! まったく、我の下僕となるのはどうしてこうも腹立たしい者ばかりなのだろうな!』
微妙に痴話喧嘩っぽい会話を展開させるキンと男。
「相変わらず口が悪いな。それで、そっちにいる三人が今の“下僕”なのか?」
と、こちらをゆっくりと見回す男。
『こやつらの他にメインの下僕がおる。どうしようもなく子供で、馬鹿で、主に少し似ているな』
「手厳しいな。まあ、昔の自分を思い起こせば耳が痛い限りだが……」
キンの悪口にしか聞こえない発言を受けて微笑み、答える男。
一方で、その間も俺らは小声で話をしている。
「なんだ? あの男に会ったことがあるんか?」
アランとアリシアさんの先ほどの会話から考えると、以前に会った、もしくは見かけたことがあるようだ。
「ああ、そのはずなんだが…… 向こうは覚えてないのか?」
アランが答えた。確かに男はこちらを見ても特に反応はしなかった。
「……というより、彼はあの時の方ではないのかもしれません」
「は? 顔も格好も同じだぞ。双子とでも言う気か?」
アリシアさんにそう返したのはアラン。
「それはわかりませんが…… あの時に感じた魔力と、あの男性の魔力が全然違うんです」
「それは、あの野郎が魔力を抑えているだけじゃないのかい?」
俺が声をかけるとアリシアさんは首を横に振り――
「いえ、寧ろ魔力は今の方が強く感じるのですが…… 何と言うか、えっと…… クリーンなんです」
『クリーン?』
アランと声が重なった。
まあ、それはどうでもいいとして、どういうことなんだろうか。
「ええ。以前の方が、邪悪さが際立っていて……」
「てことは、あの時立ち竦んでいたのはそのせいなのか?」
「あ、いえ、それもあるのですけど…… 実はその時感じた魔力が…… 昔、母が亡くなった前後に感じたものとそっくりだったもので……」
と、曖昧に笑って答えるアリシアさん。
まあ、辛い話題だな。
「……余計なこと聞いて悪かった」
アランはバツが悪そうに、そう返す。
で、暗くなる二人。こういう空気は苦手だ。
「けどよ、それもただあの男の機嫌が悪かったせいとかそういう理由じゃねぇのかい?」
取り敢えず暗い雰囲気を取り除くために変なことを言ってみる。
人の機嫌で魔力の感じが変わることはあるが、実際別人と思うほど変わったりすることなどまずない。
「それにしては違いすぎるんです。それに、あの方もこちらを全く覚えていないようですし……」
俺の発言が半分冗談なことを気付いてくれたのだろう。アリシアさんは軽く微笑んで答えてくれた。う〜ん、美人が笑った顔はなお美しい。
ちなみにアランは魔力のことや魔法のことはいまいちわかっていないのか、俺の発言に、へぇと納得してから、また直ぐにアリシアさんの発言にも納得していた。
「それよりなぜここに来た? 来て楽しい所とも思えないが」
そこで再び耳をキンと男の会話に向ける。
『主がかつて作った、そのラーの鏡を手に入れに来たのだ』
そう言って、多分気持ちとしてはラーの鏡を指差しているキン。
「これか? ふむ…… ということは、もしやサマンオサ国の騒動関係か?」
「は? おい、てめぇ! 何か知ってんのか!」
キンの発言を受けてから、自身の腕に収まっているものを見て呟いた男に対して叫んだのは俺。
「まあな。しかしそうか…… そういうことなら――」
そこで辺りの魔力が男に集まり、下位精霊達が騒ぎ出すのを感じた。
男の魔力が先ほどとは比べものにならないほど上昇している。
「このまま帰すわけにはいかないな」
『なっ! 主、何をする気だ!』
「安心しろ。お前の知人を殺したりはしない。ただ…… 少々痛めつけることにはなるがな」
言うとおり、男に殺気はない。しかし――
やべぇな、勝てる気がしねぇ……
久し振りに来た牢屋はとても混んでいた。そんなに数があるわけではないにしても、全ての牢が埋まっている光景は本当に悲しい……
こんなに捕まっている人がいるなんて…… 早く何とかしないと……
「ガダル、ここにいる人達は?」
「……全て明朝死刑になる者達です。今朝も三名ほど……」
「……そう」
本当に早く何とかしないといけない。
「罪を犯したのですから当然でしょう?」
「何が罪だ! 全てこじつけのような罪状ではないか!」
悪びれもせずに言ったジュダンに、ガダルが声を張り上げた。
「おっと、ガダルさんは反逆罪も加わりましたね」
「ふん! 今更罪が増えたところで変わらぬわ! それよりもジュダン、このままで済むと思うな」
ガダルの言葉に、ジュダンは軽く首をすくめる。
そして、牢のひとつを開けて私達を放り込み、笑みを浮かべて去っていった。
「今のはどういうことなんですか、ガダルさん。あのジュダンという人が何か?」
ジュダンの姿が見えなくなるとケイティが訊いた。
「あの男がこの国に来たのは半月ほど前のことでした。陛下がお変わりになったのもやはりその前後…… 陛下が偽者であるにせよ、操られているにせよ、彼の関与は否定できないでしょう」
それは確かにそうなんだろうと思う。
ただ、ひとつ気になったことがある。
「ねぇ、ケイティ。人を操ることなんてできるの?」
「……程度によると思うわ。あることを思い込ませる程度なら可能だろうけど、今回みたいに完全に人が変わっちゃってる場合は…… 絶対に無理ね」
とすると、倒すべきは少なくとも二人か……
もう、ジュダンと偽お父様をはっ倒して解決! っていう手を使ってしまいたい気になるけど、今の状態でそれをやろうとしても兵士達が邪魔をする可能性は高いだろうし。
レイル達がラーの鏡を無事に取ってきてくれるたら、結構思い切った行動にも出れるんだけど……
「メルシリア様。旅の間、体調を崩されることなどありませんでしたか?」
「へ? あ、うん。全然元気のばっちぐ〜だったよ。オルテガおじ様の情報はほとんどゲットできてないけどね〜。最近は特に」
急に世間話をしだしたガダルに戸惑ったけど、気にせず普通にお返事。
「そうですか。それはよかった。メルシリア様が書置きを残して出て行かれてから、城の者、いえ、国民一同、それはもう毎日のように心配致しておりました」
「その割に、さっきのギーアっていう兵士はメルのことわからなかったですね。肖像画くらいあるんでしょう?」
と、いらぬ茶々を入れたのはケイティ。
「あるにはありますが九歳の頃のものですし、何よりメルシリア様が漂わせている不思議な空気は肖像画ではわかりませんからな」
わたしが漂わせている不思議な空気……? 何だろ、それ。
「ああ、馬鹿っぽい喋り方とかですか?」
「い、いえ、そのような――」
「ひどっ! 馬鹿っぽくないもん!」
あんまりな言葉に声を荒げる。
ガダルは否定してるけど、あの動揺具合はたぶんビンゴだったからだろう。
失礼しちゃうよ、まったく!
「それはまあ、置いとくとして……」
自分で言い出しといて、ケイティはわたしの文句を軽く無視して話題を変えようとする。
「置くの早い!」
「いつ父さんの情報聞き込んでたの? さっきの言い様だと、私達と旅をするようになってからも聞いて回ってたっぽいけど…… 一緒にいる時とか、そういう聞き込みってほとんどしてなかったじゃない?」
わたしの主張は適当に流して、ケイティは疑問を口にした。
……別にいいけどさ、そんなに怒ってるわけじゃないし。
「別行動してる時に聞いて回ってたの。キンちゃんは一緒だったよ」
「意外とマメね」
「まあね〜。じゃ、すっきりしたところで、さっきの発言について話し合おっか。誰が馬鹿っぽいの!」
「あ、覚えてた?」
「当たり前だよ! その口の悪さ、キンちゃん並だよ!」
「それはそれで酷くない?」
「おやおや、楽しそうですねぇ。食事をお持ち致しましたよ、メルシリア様」
ケイティと言い合いをしていたらジュダンの声が聞こえた。牢の入り口を見てみると、食事の載ったトレイを持ったジュダンがにこやかに立っていた。
「どうぞ、最後の晩餐をお召し上がり下さい」
「一言余計っ! もう、ご飯がおいしくなくなっちゃうよ!」
もぐもぐもぐもぐ……
「といいつつ、さっそく食べてたら説得力ないって」
もぐもぐもぐもぐ……
ケイティが、やはり料理を口に運びつつ言った。
見ると、ガダルもジュダンも苦笑気味。
だってねぇ、お腹空いてるし…… 仕方ないじゃない?
「ところでジュダン。持ってくるの早かったね。ありがと〜。意外と親切じゃない?」
「なに、ここに用がありましたから、そのついでですよ」
「用だと?」
と、怖い顔で言ったのはガダル。
「ええ、何人かの刑の執行が早まりまして、そのお迎えに」
『なっ!』
「ご安心下さい。貴女方はきちんと明朝になってからです」
ジュダンがフォローになっていないフォローを入れる。
「やめて!」
「貴女がこの国の王女とはいえ、今はただの罪人。私が命令を聞くいわれは――」
「おねがいだから……」
「…………連れて行きなさい」
『はっ!』
ジュダンが後ろに控えていた兵士二人に命令を出した。彼らはたしか…… シュギとハリスだ。
彼らは牢のひとつを開け、中にいた五人を外に出す。
「シュギ! ハリス!」
わたしが声をかけると、二人はびくりとしてこちらにゆっくりと目を向ける。
「メルシリア様……」
シュギが言った。
「シュギ! こんなことが正しいわけないじゃない! やめてよ!」
「主君の命に従うのは正しいことですよ。これは貴女のお父上、ライラス国王陛下がお決めになったこと。この国の兵として彼らは実に正しいことをしています」
やはり軽く微笑みながらそう言ったのはジュダン。
「違うよ! この国はお父様のものじゃないでしょ! この国は、この国に生きる人たちみんなのためにあるの! みんなが幸せになるためにあるの!」
「そのような考えはただの理想でしかありません」
「理想を現実に近づけるためにわたしたちがいる! 王っていうのはそういうものよ!」
カミ爺も、ソティス様も、人々の平和のために生きて、悩んでいた。あのヒミコだって、間違いはしたけど願っていたのは民の幸せだった。
「今のお父様は……王じゃない!」
…………
「行きなさい」
沈黙を破ったのはジュダンだった。
「し、しかし……」
震える声で返したのはハリス。
「二度は言いません」
「……わかりました」
ジュダンの冷たい笑顔の伴った言葉に、ハリスとシュギは弱々しく同意してから人々を連れて階段を上がっていった。
「……」
「人は容易く恐怖に屈します。人はあまりに弱く、脆い。そして、だからこそ…… 残酷なのです」
そう言ってから静かに去っていくジュダン。
後に残ったのは重い沈黙だけ。
「あ〜、もうレイルののろまを待ってる場合じゃないわ。ケイティ、牢破るよ!」
暗くなってる場合じゃない! こうなってしまったら、もう必要となるのは早さと実行力のみ!
「わかった!」
わたしの呼びかけに元気に答えて、ケイティは魔法を使うための集中を始める。
「イオ!」
力強い言葉が放たれ、鉄格子が吹き飛ぶ……はずだったけど――
…………
何も起こらなかった。
「どったの? ケイティ」
「この牢部屋全体は、ジュダンがなにやら処置をして魔法を一切使えなくしているのです」
答えたのはガダルだった。
って、それってランシールの……
「それじゃ、ランシールで襲ってきたのはジュダンってことになるかしらね」
わたしが考えてたことをケイティが言った。
まあ、そんな考察は今は置いとこう。あの時と同じなら、気は使えないことはないわけだし……
ドガァ!!
気を込めた蹴り一発で牢の鉄格子を破る。
「よし! 急いで…… 追いかけて! わたしも直ぐ行くから!」
「はい! メルシリア様!」
「倒れない程度にしなよ!」
ガダルは猪突猛進、わき目も振らずに上を目指し、ケイティはわたしがしようとしていることを理解したのだろう、軽く注意してから上に向かう。
さて…… なるべく速く動いて消費を最小にしないとね。倒れたらことだし。
「メルシリア様?」
「今助けるからね、みんな」
ドガガガガッ!!
手足に気を込めて、最速で牢の全ての鉄格子を壊す。
「みんな、逃げて! わたしたちはこれからライラス王を押さえにかかるけど…… 失敗したらみんなは明日死刑になってしまう、だから!」
バキッ!
牢部屋の奥の壁を気で壊す。
この地下牢の近くには外へでるための古い通路がある。そこに上手く繋がったみたいだ。
「ここから墓場の近くに出られるはずよ。それじゃ!」
「メルシリア様!」
早口に言ってさっさと上に行こうとしたわたしを、呼び止める声。
振り返ると――
『ありがとうございます』
状況が状況だけに固い表情で、しかしかすかな笑みを浮かべてみんなが口々に言った。
わたしが守るべき人たち。彼らの顔にもっと微笑が生まれるように、頑張らなきゃ!
「うん!」
返事をしてから、今度こそ階段を駆け上がる。
「お前の新しい下僕というのはメルだったのか」
『主、メルを知っておるのか?』
サマンオサに帰って来てメルを見かけると、グレリアビスが漸くだんまりをやめた。
洞窟で彼の下僕三人を痛めつけたのがよっぽど気に入らなかったらしい。
気を失っているとはいえ、しばらくすれば目を覚ますだろうし、ご丁寧にトヘロスまでかけて辺りの魔物達を近づけなくしてやったというのに。
もっとも…… 魔物どもを生み出したのも僕だったがね。約束で、あの洞窟の警備を増やさないといけなかったし。
『おい、何を考え込んでいる? 質問に答えたらどうだ』
黙っていたらグレリアビスが不機嫌そうに言った。
「メルはもっと小さい時に助けたことがあってね。それからしばらく旅をしていた。その時に気も教えたんだが、それでお前を手にすることになるとは…… 人の縁とは不思議なものだ」
『なるほどな。ということは、あいつの妙な物言いなどは主の影響か』
「それは心外だな。メルは元々あんな感じだったぞ」
そこで、メルと彼女と共に行動している二人が城の廊下を駆けていく。兵士達は隊長職に就いている男や、王女たるメルが気になるのか手を出したり止めたりはしない。
まあ、僕がするべきはラーの鏡の奪取とジュダンの貸し出し。ここで手を出す気はさらさらない。あとはあの王のすべきことだ。
「ふう、少し眠いな」
『こんな昼間にか? しばらく会わぬ間、随分廃れた生活を送っておったようだな』
「あはは、お前の口の悪さも相変わらずだ」
グレリアビスの久々の暴言に、僕は大きく笑う。
それにしてもどうしたことだ。眠気が異様なほどにある。
ぐらっ!
『おい、大丈夫なのか?』
よろめき壁にもたれかかると、グレリアビスの心配そうな声が聞こえた。
それに返そうとしても、それができないほどに意識が朦朧とし出す。
そして――
「お待ち下さい! メルシリア様、ガダル様!」
今までの廊下にいた兵士達は、私達のことを止めたりしなかったんだけど、ガダルさんの後ろについて向った処刑場の入り口にいた人が初めて止めた。
ていうか、私は無視?
「ライラス陛下の命により、ここより先誰であろうと通すわけにはまいりません!」
「控えんか! メルシリア様の御前だぞ!」
「そうはまいりません! ライラス陛下のお言葉は……何よりも優先されましょう」
一度迷いが入ってから、それでもきっぱりと言い放つ兵士。
真面目一直線な人は扱いづらいよね。
「カミッツはこの国が好き?」
「は? も、勿論です」
突然のメルの質問に、カミッツという兵士が戸惑いながらも自信に満ちて言った。
「わたしもよ。だから、お父様を止めたいの」
「し、しかし……」
「それに、わたしの知ってるお父様はこんなことを望まない。あなたの知ってるライラス陛下はどう?」
「……望まないでしょう」
メルの真っ直ぐな瞳に耐えられなくなったのか、カミッツは顔を背けて言葉を搾り出す。
「しかし、私はライラス陛下より直々に命を頂いたのです! ならば!」
「あなたはジャスと同期だったよね」
ぴくっ。
再び声を大にして言ったカミッツは、メルの一言に反応して押し黙る。
ジャスというのはたしか、城に来る前に寄った墓場で埋葬が行われていたその人。
「ジャスが死んでわたしは悲しいわ。それは誰もがそうだと思う。そんな…… 悲しみしか生まないことになんの意味があるっていうの!」
今までの落ち着いた言葉とは裏腹に、メルの言葉は激しく、悲しみばかりが満ちていた。
「……私が何かをしていたら…… ジャスの奴は死ななくても済んだのでしょうか?」
しばし沈黙してから、カミッツは弱々しく疑問を投げかける。
「わからない。だけど――そんな風に後悔ばかりが残ることはなかったと思う」
………………
メルの言葉を聞いたカミッツは完全に押し黙る。
「カミッツ。私もそういう意味では陛下を止められなかった一人だ。……だが、償うことはできよう。全てを元に戻すことはできぬにしても、新たに道を切り開くことはできるではないか」
と、ガダルさん。
ジュダンの言うとおり、人は弱くて、脆くて、残酷かもしれない。だけど、悔いて、反省し、それを正す術も知っている。
人は弱いけれど、強い存在だ。
「……お通り下さい」
弱々しく、しかしきっぱりとカミッツが言った。
「ありがと!」
メルがお礼をいい、私達は奥へと向って駆け出す。
さあ、ここからが正念場ね。
『おい、主、大丈夫か? ふらついていたようだが……』
右手に嵌った武器が声をかけてきた。
こやつはあの時の……
「大丈夫だ」
『そうか。ならば、メル達の後を追ってみぬか?』
先ほどまでの状況はおぼろげながら把握している。メルというのは、かつて魔なる子が気まぐれで助けた子供。
そして、そいつが馬鹿な人間の計画を邪魔しようとしている。
もっとも、私自身の目的はもう果たしているのだから、それを防ぐ必要はない。しかしまあ、見物に行くのも一興か……
「そうだな。では、行くとしよう」
「その国王は偽者よ!」
処刑場に入り、お父様の姿を見つけるなりわたしは叫ぶ。
取り敢えず出鼻を挫く作戦だ。
「馬鹿な。何を血迷っておる、メルよ」
「血迷っているのはあなたでしょう。今すぐ処刑を止めて!」
「何を言うか。この国に歯向かう者を生かしておいては、国の平和にかかわろう」
「誰も歯向かってなんていない!」
「この者達は皆、私の定める法を犯した」
わたしが言い返すと、お父様は軽く笑ってそう答えた。
「法律は国を幸せにするものよ。あなたの作った法律は、法律なんかじゃない!」
「父親に口答えするとはな。そのような娘に育てた覚えはないぞ」
「わたしも、あなたに育てられたという自信が持てないわ!」
しばし睨みあいが続く。
しかし――
「ふん。埒が明かぬわ。処刑を執行せよ」
「……はっ」
「ちょっ! 待って!」
「お前達! 待たぬか!」
お父様の言葉を受けて兵士たちが、柱に括りつけられた五人に向けて弓を引き絞る。
まずい! このままじゃ間に合わないっ!
「撃て!」
ばっ!
お父様の号令で弓が放たれた。しかし――
シュッ!
「何だこれは、鬱陶しい」
どばぁっ!
処刑場のど真ん中に人が現れて、弓を衝撃波で吹き飛ばした。その顔をわたしは知っていた。
「ゾウさん!」
…………
なぜか沈黙が落ちる。
『主、ゾウさんと呼ばれておったのか?』
「うるさいぞ」
上がった疑問に、ゾウさんは憮然とした表情で無機質な声を出す。
ていうか――
「なんでキンちゃんがゾウさんと一緒にいるの?」
『なりゆきだ』
と、キンちゃん。
「貴様、何のつもりだ! なぜ邪魔をする!」
大きな声を出したのはお父様だ。
それを気にせず、ゾウさんはお父様にゆっくりと近づいていく。
「な、何だ?」
「これはこの国に伝わるラーの鏡! このライラス王が偽者であると噂する者もいるようだが、仮にそうであればこの鏡に映すことで真実が現れよう!」
おびえた声で言ったお父様には答えず、ゾウさんは高らかと回りに呼びかける。
って、ラーの鏡!
「な、何の――」
「お静かに」
お父様の言葉を遮って、ゾウさんは鏡をお父様に向ける。
これで――
………………
しかし、何も起こらない。
どういうこと? まさか……
「というわけだ。このライラス王は本人である!」
「そ、そんなわけが! ……」
ガダルが大きな声で反論するが、先が続かない。
「ぶ、無礼な輩だ! 私が偽者であるわけがなかろう!」
「失礼。しかし、皆の疑惑を晴らせてよかっただろう?」
と、お父様とゾウさん。
『…………』
キンちゃんは押し黙っている。
他の兵士達は――
「まさか、本当に……」
「じゃあ、俺達はどうすれば……」
大体の兵士たちは、ラーの鏡でこの騒動が収拾に向うと期待していたのだろう。辺りからざわめきが聞こえる。そして、彼らの目はこちらや刑に服している者たちに注がれる。
わたしは――
「あなたたちが守るべきものは何?」
ざわっ。
大きな声で皆に問うと、ざわめきが生まれる。
この状況だって想像していなかったわけじゃない。そして、わたしがなすべきことも。
「わかっているはずよ、口ぐせのようにかつてのライラス陛下が言っていたこと。あなたたちが守るべきは、わたしやお父様じゃない! 民を、この国を守るの! 皆の平和を、笑顔を守るの! 何を迷う必要があるの?」
そう言ってからお父様のいるところに向けて歩き出す。
わたしが守るべきもの、そして……わたしが止めなくちゃいけないもの。
「何かが間違ったのなら正せばいい。主君が、この国の王が間違ってしまったのなら、そこを正せばいい!」
早足になってお父様の元へ向う。
「それだけのはずでしょう!」
「何をしている! メルを止めよ! 反逆者を止めよ!」
お父様の言葉を受けても誰も動かない。
「誰もあなたの言葉なんて聞かない! みんなわかってるの!」
「ジュダン! あの者を殺せ!」
命を受けて、やはりいつもの笑みでこちらに向かってくるジュダン。
その手から魔法の光が生まれ――
がっ!
「このオッサンは私が引き受けたわ! 行っちゃってメル!」
ケイティが一気に間合いを詰めてナイフを突き出し、ジュダンはそれをよけるために魔法を使うのを止めた。
さんきゅっ! ケイティ。
「あなたが忘れてしまっても、みんな覚えてる! あなたがみんなに教えたこと! かつてあなたが信じていたこと!」
「だ、誰か! 誰かその者を止めろ! 誰かっ!」
一気に駆け出してお父様のすぐ近くまでいくと、彼はおびえた声でそう繰り返した。しかし、誰も動かない――
ざっ。
しかし、そこでわたしとお父様の間に入るものがいた。城に入る時にわたしたちを止めたギーア。
「おお、ギーア。その者を殺せ、殺すのだ!」
「お任せ下さい」
「ギーア! どいて!」
立ち止まって彼に訴えると――
「貴女に守るべき者達や国があるように、俺にも守らなければいけないものがあります!」
そう叫んで、剣も構えてこちらに向かってくるギーア。
動きに鋭さはないし、実力はアランさんの十分の一といったところ。それでも、瞳に映った信念はゆるぎない事実。
ジュダンは、攻撃こそランシールの時のように強力ではないが、私が使った魔法の効果をことごとく消すというとんでもない防御力を見せていた。
それでいて攻撃も一般的な魔法使いよりも上ぐらいのは使うから、かなりきつい状況になっている。
とはいえ、負けるわけにはいかない。メルの前にもギーアとかっていう兵士が立ち塞がって、足を止められているし…… ジュダンまであちらに向ってはまずいだろう。
「魔族がこの国に入り込む理由は何よ?」
取り敢えず話をして時間稼ぎ。
「話をする暇などありませんよ」
メラミ程度の炎を五つほど生み出してこちらに投げるジュダン。
時間稼ぎ失敗!
周りの人間に被害がいかないように、その全てをマジックキャンセルで消し去る。
よし、それならこっちは……
「イオラ!」
ジュダンの四方に光弾を作り出し――
「ゴー!」
合図を出して、全てをジュダンに向けて打ち出す。
これ全てをマジックキャンセルで消すのはまず無理なはず。
しかし――
すっ!
全ての光弾が一瞬で消え去る。
全方向マジックキャンセルなんてできるんだ。へぇ……
って感心してる場合じゃなくて!
ホント、どうしよう。
「さっさと倒されてくれませんか? 殺したりはしませんから」
「そう言われて素直に従うと思うの!」
「ははは、無理でしょうねぇ」
おかしそうに笑って、今度は――
「ベギラゴン」
上位閃光魔法を唱えるジュダン。
軽い顔で使ってくれちゃって! よ〜し、ならこっちも思い切ってちょっと難しい術で……
「マホカンタ!」
「おっと、マホカンタまで使えるのですか」
と、にこやかに呟いて、苦労して跳ね返した炎を手の一振りで消すジュダン。
今のは……マジックキャンセルじゃないわね。ヒャド系を使って相殺したっぽかったけど……
「メラミ。ヒャダルコ。イオラ。バギマ」
そこでジュダンが、今度は中級魔法の連打を始める。
私はというと、全部を消し去るのはとても無理で、いくつかはマジックキャンセルで消して後は避ける。兵士の人達には頑張って避けて貰うしかない。
あ〜、もうキリがない!
普通に魔法使ったら防がれるし、ナイフで攻撃しても避けられるし、ていうかナイフはさっき投げたからもうないし! どうしろって……
そうだ! アランさんのお母さんの本に書いてあった魔法。
昔はうまく使えなかったけど、もしかして今なら…… あれなら速さだけはピカイチだし、ジュダンも防げない可能性が高い。
問題は制御できるかだけど…… メルも頑張ってることだし、そこは気合でカバーね!
さっそくジュダンの攻撃を避けながら集中を始める。ちょっと時間がかかるかもしれない。
「てりゃ!」
ギーアが振るった剣を軽く避けて、腕に一撃を入れる。彼はその痛みで剣を取り落とした。
しかし――
「はぁ!」
直ぐに剣を拾って再び向ってくるギーア。
「何で! この人は以前のお父様じゃないわ! もうあなたの信じる国王じゃない!」
「違います! 俺が信じ守るものは……! はあぁぁ!」
わたしの言葉に答えようとしてから、不自然に言葉を止めて突っ込んでくるギーア。
剣を横に振り、わたしはそれを後ろに下がってかわす。
「やっ!」
そこでギーアは、薙いだ剣を振り切らずに途中で止め、直ぐに突きへと転じてこちらの首を真っ直ぐと襲う。しかし、速度が足りなすぎる。
軽く避けてから再び一撃を加え、ギーアの剣を落とす。今度は拾って向ってくることがないように、遠くへ弾き飛ばした。
さっきのは作戦としては悪くないだろうけど、いかんせん実力が伴っていない。
「なぜ、そうまでしてお父様を守るの? この人は国を滅茶苦茶にしようとしてる」
「違う! この方の望むものは違います! この方は、この地に戻りたかっただけです。それには貴女達二人が邪魔だった。だから、こんな無茶なことをして、自分が救世主として迎えられるようにと……」
突然瞳に涙を浮かべて不自然なことを言い出すギーア。
まるでこの人が、本当のお父様ではないような……
ピカッ!
そこでものすごい光が差した。雷でも落ちたかのような、そんな光。
そして、その直ぐ後に処刑場に数人がなだれ込んで来た。
彼らは地下牢にいた中の数人。そして、彼らが連れている人物は――
「メルシリア様! 地下通路の途中で監禁されている国王陛下を発見しました!」
えっ! それじゃ……
偽者と思しきお父様に瞳を向けると、そこには愕然として座りこんだ、姿だけの国王がいた。
ていうか、さっきの光はびっくりした時の演出効果?
「どうしたのですか? 攻撃の手が止みましたね」
相変わらずの余裕の表情でそう言ったジュダン。
へっへ〜、そうして余裕かましてられるのも今の内だもんね〜。
と、大きく出てみたけど…… 実は上手くいく自信がなかったりして。
とはいえ、もう発動させる準備はできている。後必要なのは、覚悟だけ。
え〜い! やってやるわよ! 女は度胸!
「はああああぁぁぁああ!」
ドガアアァァァァアアァン!
気合一発、腕を前に突き出して術をイメージすると、ものすごい光が生まれた。そして発動とほぼ同時にジュダンを包み込む強い閃光。
「がぁぁぁぁああ! これは……神鳴り! まさか、こんな術が使えるのは、魔族の中でも精霊の血を色濃く継いだものだけのはず…… ましてや人間に…… あなたはいったい……?」
私の渾身の術をくらって説明口調でぶつぶつ言っているジュダン。ありったけのが直撃したのに、あんだけ喋れるって…… 感心しちゃうわよ、まったく。
でもまあ、もう動けないみたいだし何とかなったわね。私も疲れて動けないけど……
「メルシリア様! 地下通路の途中で監禁されている国王陛下を発見しました!」
そこで処刑場になだれ込んで来た人達が叫んだ。
あれ、あの王様は本物で…… でもさっきラーの鏡であっちの王様も本物だってわかって…… え〜と、わけわかんなくなってきた。疲れすぎて駄目だぁ……
「ケイティ殿、大丈夫ですかな」
ガダルさんが近寄ってきて、私を起こしてくれた。
「ちょっと駄目です…… 悪いけど……寝ちゃいます」
そう宣言して目を閉じる。
もう即行で眠りに落ちる自信があるわ……
「わざわざ演出までしたやったというのに、面白味のない結果だったな」
『ラーの鏡の魔力…… やはり除きし後であったか』
私が呟くと、右手の武器が言った。
『その様子では貴様の目的はあの者を助けることではなかったようだな…… そなたが長き眠りより目覚め、望むものは何だ? ……精霊に創られしものよ』
武器の言葉に少なからず驚き、視線を下ろす。
「知っておったか」
『明らかに変わった魔力の質…… わからぬわけがなかろう』
「ふん、それもそうか」
『貴様、鏡の魔力を除いただけでなく取り込みおったな? 何を企んでおる』
たかが武器の分際で私を詰問するとはな……
「やっほ〜。ゾウさん、久し振りだね〜。ところで何でキンちゃんと一緒にいるの?」
声をかけてきたのはメルとかいう小娘。かつて魔なる子が世話をしていた時に私も話したことがあったが、相変わらず馬鹿っぽい娘だ。
そうだな。面白味のない結果を迎えることとなったのも、この娘のせいであるし……
ふむ、これは面白そうだ。
「まあ、それは後で話すとしようではないか?」
「ん。うん?」
不思議そうにしている小娘を見ながら、武器を右手から外す。
「さあ、この武器を――」
このような武器の魔力でも――
「返そうではないか」
足しにはなろう。
『貴様! 何……を! ……メ……ル』
「へ? どうかした、キンちゃん。ねぇ、いつゾウさんと知り合ったの? それとさぁ、レイル達は――」
私から受け取った武器に語りかける小娘。
間抜け以外の何者でもない、ふふふ。
「ちょっと〜! 無視しないでよ! ……? ねぇってば、ねえ!」
愈々事態のおかしさに気付いたのか、焦ったように叫び出す小娘。
くくく……
「ねえ、キンちゃん! キンちゃん!!」
「ふふ…… ははははははは!」
絶望という名の雲に覆われていた国に、晴れ間が生まれ光が差したその直後。
少女の悲しき叫びと、それを嘲る心無い笑い声が響いた……
『主はなぜ我を生み出したのだ』
我を生み出した者に問うた。
その相手であるあいつは、それに対し口をゆっくりと開いた。
「僕は……きっと寂しかったのだろう。僕は家族と離れ、友と呼べる者もいない」
そこで我を真っ直ぐと見詰め、きっぱりとあいつはこう言った。
「僕の家族……そして友となってくれ。グレリアビス」
意外と素直な、いや、素直すぎる男だった。あれでは我の方が……
『……それが我の名か? ふん、最低な名だ』
「ははは、口の悪さが姉さんに似ていて実に好ましいな」
あの時、思わずひねた答えを返した我に、男はそう言って可笑しそうに笑った。
『……変わった奴だ』
本当に変わった男だ…… そう思ったのを憶えている。
変わっていて、馬鹿で、失礼なことばかり言い、あいつは実に主に似ていたな、メル。
だが何故だろうな…… 我はあいつも、主も……
ごーん、ごーん、ごーん、ごーん……
ある国に何回も、何十回も、荘厳な鐘の音が響き渡った。
何かを吹き飛ばすように……
悲しみの先には、きっと希望が見出せるはずだから。
だから……
ごーん、ごーん、ごーん、ごーん、ごーん、ごーん、ごーん……