27.生きていく

 シドーがこの世界から去って、魔物の数は激減した――らしい。これが世界的なものだというのは噂で聞いただけだ。ただ、アリアハン近辺に限った話で言えば、確かに魔物の姿を見る機会は減っていた。
 俺ら以外の連中からすれば、俺らが『バラモス』を倒したからそういう結果になったんだと見えるようで、帰ってくるなり大歓迎を受けたのには驚いた。そもそも、俺らが帰るタイミングがよくわかったなって感じだ。
 まあ、それはともかく現在、取り敢えずの平和な日々を過している。

 そして、帰ってきてから今日で三日。
 父さんが帰って来たって知れ渡ったら大混乱なのは目に見えていたから、なるべく秘密にしていたんだけど――帰って来て直ぐの歓迎の時は、持ってきていたぬいぐるみの残骸の顔部分だけを反射的にかぶせて隠した。観衆は明らかに引いていたけど――、既にアリアハン中の人達にばれている。まあ、何でかって訊かれたら、労せずしてその理由を導き出せる。
「オルテガ! 今日も飲むぞ!」
 ――と、今日もその『理由』が玄関からやってきた。
 現アリアハン国王ミナトール三世――通称馬鹿王。俺の大嫌いな人物は、俺の父親とたいそう仲が良いようで、この三日通いづめである。
 王族の情報網は何だかんだであなどれないらしく、馬鹿は俺達が戻って直ぐに駆けつけた。
 そして、一国の王が直接赴く姿は当然目立ち、芋づる式にアリアハン中にオルテガ生存が知れ渡ったというわけだ。
「おー、ミナト! 今日も珍しい酒、持ってきてくれたか?」
「今日のはスー原産の古酒だ。父上の秘蔵のやつを持ってきた」
「いいねぇ。どうだ。ジェイも飲むか?」
 と、二度あることは三度あるの言葉どおり、懲りずに誘ってくる父さん。三日連続で昼酒と洒落込むおっさんが二名…… 日常(?)だねぇ。
「俺はいいよ。ちょっとエミリアのとこ行ってくるわ」
 酔っ払いもうざいし、何より馬鹿王がうざいので早々に退散しようとすると――
「ん? エミリアなら、わたしが先ほどアロガンを誘いに行った折に丁度いてな。あの様子なら、直ぐにアロガンと共に来ると思うが――」
「邪魔するぜぃ!」
「ジェイ!」
 王の言葉を遮り、エミリアとアロガンさんが玄関の扉を開けた。
「あらあら。アロガンさんにエミリアちゃん、いらっしゃい」
 母さんが対応する。
「お邪魔します、お義母さん」
「こら。まだ早いぞ、エミリア」
「あら、私は構いませんよ、アロガンさん。エミリアちゃんみたいな可愛い子なら直ぐに――」
「あ〜、母さん。俺、エミリアと一緒に出てくるよ」
 いつものからかわれる展開に向いそうだったので、俺は母さんの言葉を遮って、エミリアの手を引き玄関に向う。
「夜ご飯には帰って来てね。頑張って作るから」
「了解」
 背中にかけられた言葉に、片手を上げて答えてから外に飛び出す。……まあ、何処に行くとか決めてないんだけどな。

 ここに来て勘違いだと判明した事柄がいくつかある。
 まず、父さんが旅立った経緯について。
 俺はずっと、王の命令があったから仕方なく出発したんだと思っていたんだけど、言い出したのは父さん自身らしい。ミナトールの馬鹿が、仲のよかった父さんにバラモスのことを話し――国家機密級のことを仲がいいってだけで話すなよって感じだが――それを受けて、ということだったそうだ。
 寧ろミナトールはそれに対し反対したらしいが、前王の支持がオルテガ出立に向いていたために、最終的にはそちらに流れたのだそうだ。
 母さんもそういう旨のことを話していたんだけど、俺はそれをただの強がりと判断していた。それで誤解が誤解のままになっていたんだな……
 そうなってくると、父さんが出発する原因となったから、というのを理由の一つに掲げて王を嫌っていた自分が馬鹿みたいに思えてくるが、それ以外にも嫌う理由がいくらでもあるのだから気にしないことにする。
 まあ、その理由のいくつかのうち、もうひとつも勘違いだったりしたんだけどな。
 それがふたつ目の勘違いで、バラモスのことを国民に伝える指示を出したのもまたミナトールではなかったのだ。
 よくよく考えてみると、あの馬鹿であることしか際立っていない王が、あんな話を流して俺達を旅立たせるなんていう手の込んだことをできるはずもないんだけど…… 情報源がアロガンさんってことで無条件に信じちゃったんだな。そのアロガンさんも勘違い組の仲間で、一昨日うちにやってきて王と話すまでそう思い込んでいたんだから間抜けな話だ。
 で、その話を流したのが誰かっていうのは――
 ああ、そうだ。行く場所決めた。

「ケイティちゃん!」
 ひょい。
 突進してきた人影を軽く避けて、私はその人物に向き直る。顔を確認するまでもなく、その人が誰なのかはわかっていた。
「何してるの、レイル」
 そう声をかけると、レイルは大きく笑ってから答えた。
「いやぁ、二日振りに見かけたケイティちゃんがあまりに可愛かったもんだからつい――」
「いや、そうじゃなくて。わざわざアリアハンに何しに来たのってこと」
 彼は遠くサマンオサの国民。ルーラが使えるはずだから、ここに来たことがあるのならひとっ飛びだけど、それにしたって私に会いに来たというわけでもないだろう。
「ああ。ライラスのおっさんが、俺が帰ってきてなんでメルが帰んないんだ、ってうるさくてさ。仕方ねぇからわざわざ迎えに来たってわけさ。つ〜わけで、ケイティちゃんの家まで案内して欲しいんだけど……」
 一度会った印象では、ライラス様は厳しそうな国王だったのだけど、案外普通の人みたいだ。
 それにしても、おかしいな……
「メルなら今朝帰ったんだけど…… キメラの翼使ってたから、まだついてないってこともないだろうし」
「へ? そうなの」
 私の言葉に間の抜けた声を上げるレイル。しかし、直ぐに目つきを鋭くして、
「あいつ、また勝手に旅に出たわけじゃねぇだろうな……」
 と呟く。
 だけどまあ、それはないだろうと思う。だって――
「大丈夫じゃない? アマンダから連絡を受けれるようにしとく必要あるし、このまま旅に出たりはしないでしょ。ちょっと寄り道してるんじゃないの?」
 ちゃんと訊いたわけじゃないけど、メルはシドーを追うだろうと思う。あの人を追う明確な理由があるし、何より性格上、ね。
 私は――私もきっと一緒に行く。
 次に会った時には、彼女がどうなったのか教えてくれ――あの人の言葉だ。あれが何を意味するのか、それを知りたい。それに、アマンダだけに任せてこのまま日常に戻るのは、何となく嫌な気がした。
「う〜ん。そうか…… とすると、ロマリアか? あそこにゃ、カミーラのおっさんがいるし――」
 色々考え込んでいるレイルを横目で見て、ちょっとご進言。
「サマンオサで待ってた方が確実だと思うけど?」
「ああ、確かに。さすが俺のケイティちゃん!」
「レイルのじゃないけどね」
 笑顔で適当に流す。最近彼の扱いに慣れてきた。
 そして、進むべき方向に足を向け直して、
「じゃ、私はちょっと行くとこあるから」
 そう言うと、レイルは大げさなリアクションを取って叫ぶ。
「別れを惜しむ気持ちは尽きないけれど! 涙を堪えて…… アディオス、ケイティちゃん!」
 光の軌跡が中空へと飛び立つ。ルーラを使ったのだろう。
 恥ずかしい人物ランキングで上位必至のレイル君はこうして去っていきましたとさ。
 さて、私も行きますか。

「久し振りね、メル。それで、その…… アランさんはお元気かしら? 一緒に旅をしているんだったわよね?」
 ロマリアのお城を訪ねて、そこで久し振りにあった王女キャロルは、なぜかそんなことを訊いた。前のパーティの時にケイティやアランさんと会っていたのは知ってるけど、それにしたってなんでアランさんだけ?
 ま〜、別にいいけどさ。わたしの従兄弟――じゃないや…… え〜と、何て言うんだっけ? マタイトコだったかな? わたしのマタイトコはちょっと変わってる。
「たまに怪我するけど、それも直ぐ魔法で治してるし、ま〜元気なんじゃないかな〜?」
「そう」
 わたしの返事を聞くと、キャロルはため息を吐くようにそう言って微笑んだ。う〜ん、よくわからない反応だな〜、ていうか……
「わたしのことは心配してくれないの〜?」
 わざと不満げに唇を尖らせて言ってみる。
 キャロルは慌てて両手を胸の前で左右に振り、
「も、勿論メルのことだって心配だったよ? 大丈夫? 旅の間風邪を引いたり、落ちている物を食べてお腹を壊したりしなかった?」
「落ちてるものなんて食べないよ!」
 キャロルは嘘を吐くと直ぐわかるし、絶対役者にはなれないなって感じの演技下手。というわけで、彼女の今の様子から心配してくれてるのは疑いようもないんだけど…… キャロルの中でわたしは拾い食いしてお腹壊すタイプってこと?
「あ、ご、ごめん。つい……」
 その後に『本音が』とでも続けば、いい性格の腹黒王女ってことになるんだろうけど、そこはそれ。キャロルだって、嘘が苦手――つまり正直なだけで、言わなくていいことを口にしないくらいのことはできる。正直なのと思ったことを何でも口にするのは微妙に違う性質だろう。自覚があってもなくても、後者は相当たちが悪い。
 と、そんなことを考えていて、ふとキャロルに視線を向けると、謝った後こちらを上目遣いで見ておろおろしている彼女に気づく。怒ってるとでも思われたかな?
 わたしは、別に気にしてないという風に右手をひらひら振って、笑ってみせる。
「気にしてないから、そんな怯えた小動物みたいな目でみないでよ」
「私、そんな目をしてる?」
「ちょ〜してる」
 そう答えると、キャロルは両手を頬に当てて難しそうな顔で、そっか……と呟いた。その様子が少しおかしくて含み笑いをしていると、彼女ははっとしてから少し頬を赤らめて話題を換えてきた。
「そ、それで今日は何をしに?」
 そ〜だった。うっかり用事があるのを忘れるとこだったよ。
「あ〜、ちょっとフランダル様にお会いしたいんだけど〜」
「お祖父様に? 珍しいわね。……というより、メルはお祖父様にお会いしたことがあった?」
「ううん。一回でも会ったことがあればいきなり窓から訪問なんていう無茶もしようと思えるんだけど、さすがのわたしも初対面でそれはする気になれないというか……」
 腕を組んで、難しい顔を作りそんなことをごちると、キャロルは呆れたように嘆息してから口を開いた。
「それ正解よ…… お祖父様にそんなことしたら怒鳴られるだけじゃ済まないわよ」
 やっぱりカミ爺みたいに性格が破綻しているわけじゃないみたい。しかしそうすると、言葉遣いもちょっとは気をつけないと駄目かな〜? めんどくさ〜。
 だけど、そんな風に面倒臭がっていても仕方ないし……
「じゃ、カミ爺を通して正式に謁見の許可をもらうべきかな?」
「う〜ん、そうだね。念のためそのくらいしておいた方がいいかも。お父様ならこの時間は――」
「カミーラ陛下、お待ち下さい!」
「いやじゃ! もう三ヶ月もカジノに行っとらんのじゃぞ! 今日一日はお前が王になっておれ!」
「無茶を仰らないで下さい! 私は一兵士に過ぎないのですよ!」
「構わん! 儂が許す!」
 廊下の向こう側から聞こえて来たのは、割と聞きなれたこの国の王様の声と、聞きなれてはいないけれど偶に見かけていた兵士のおじさんの声。話している内容から察するに、また悪い病気が始まったらしい。
「お、お父様…… あまり無茶を言っては……」
 わたしの隣でキャロルが弱々しく注意した。それを受けたカミ爺は漸くこちらに気付き、近寄ってくる。
「おお、メルではないか。久し振りだな。元気にしていたか?」
「うん。見ての通り元気だよ。ていうか、カミ爺相変わらず〜」
 キャロルの注意には耳を貸さず、わたしににこやかに絡んでくるカミ爺。適当に返していると、隣でキャロルが声を荒げた。
「お父様!」
「わ、わかった、わかった。兵士に無茶を言うなと言うのじゃろう? 儂だって本気で言っていたわけではないわ。ちょいとこやつをからかって気を紛らわしていただけじゃ」
「ならいいですけど……」
 カミ爺の言葉に一応納得しながらも、キャロルは上目遣いでカミ爺の方を睨んでいる。というか、からかって気を紛らわしていただけならいいの? 兵士さんはちょっと離れたところで脱力してため息つきまくってるんだけど……
 まあ、キャロルのことだから深い意味はないんだろうけど、これで実は含むところがありまくったりしたら、彼女は腹黒王女決定だね。
「して、メルは何をしておるのじゃ? 儂のところに報告が来ていない以上、到着したのはつい先ほどということか?」
「ああ、実は――」
 カミ爺にはキャロルがかいつまんで説明した。といっても、ただキャロルのお爺さん――カミ爺のお父さんに会いたいってだけの話だから、かいつまむも何もないんだけど……
 話を聞き終わったカミ爺はこちらを向いて、
「別に構わんが…… 何の用じゃ? 今まで会ったことがあったわけでもなし」
「ちょっと話したいことがあるの」
「そうか……」
 そこでちょっと俯いて考え込んでから、しばらくして上げられたカミ爺の顔には満面の笑みが浮かんでいた。
「ではこちらも初体験といこうか」
 そう言ってカミ爺が差し出したのは、王冠。
 そう言えば、わたしが『王様』にさせられたことって今までなかったっけ……
「まあ、いいけど…… ちょっと楽しそ〜だし」
「ちょっと、メル――」
「そうか! では儂はさっそく! 少なくとも二時間は返却不可じゃからそのつもりでなー」
 軽く受けたわたしに、キャロルが再び抗議しようとし、その言葉が始まる前にカミ爺は猛スピードで城下へ向けて消えた。結構な歳に達しているはずのロマリア王は、存外元気なようである。

「さっさと起きなさい! バーニィ!」
 朝日が昇って二時間ほど経った頃、俺は母親に叩き起こされた。大概夜型になりがちな身としては、こんな時間に起こされるのは勘弁して欲しい。
「まだ早ぇじゃねぇか…… もうちょい寝かせてくれよ」
「いいから起きなさい! まったく偶に帰ってきたと思ったらゴロゴロと…… 早起きは三ゴールドの得というでしょう?」
 腰に手を当てて瞳を吊り上げている母親は、俺より大分小柄で加えて童顔。とても四十代前半には見えない。
「早起きして損した気分になったことはあっても、そんなはした金をゲットしたこたぁねぇよ」
 適当に軽口を叩くと彼女の目つきがいっそう鋭くなる。
「いい加減にしなさいっ!! 終いには服ひん剥いて外にたたき出すわよっ!!」
 少し離れたノアニールまでも届きそうな大声で、そんなことを叫ぶ。俺のごく普通の鼓膜がそれに耐えられるはずもなく、両手で両の耳を押さえて悶絶し、大分マシになってきてから口を尖らせて抗議する。
「ほ、ほどほどって言葉を覚えてくれ…… つか、近所迷惑だろ!」
「この村でこんな時間まで寝ているのは貴方くらいよ。農耕民を舐めるんじゃないわよ、泥棒さん」
 そう言っておかしそうに笑う。笑うと俺より年下に見えるからすごいよな、この人は。つか、俺の親父はロリコンか?
「わぁったよ。たくっ! 連絡待ちでしばらくここにいないといけねぇし、こんな規則正しい生活ばっかしてたんじゃ体壊しちまうぜ」
「勝手に言ってなさい。朝ご飯はテーブルの上にあるからね」
それだけ言い残してから、ぱたぱたと足音を鳴らして遠ざかっていく。畑仕事をしにいったんだろうな。
 ……まあ、あんな小せぇ母親にやらせといて俺だけ寝てるのもなんかあれだし、さっさと朝飯食って手伝いますか。

 朝食に使った食器を洗ってから着替えをしていると、ルシルさん、レシルさんが部屋に入ってきた。その際、扉の外で、ぐえっ、という呻き声のようなものが聞こえたような気がしたけれど、お二人が特に反応を示さないので気のせいかと思い気にしないことにした。
「これから出かけるので、申し訳ありませんがお相手できませんよ?」
「え〜、過密」
「スケジュー」
「ルの中で、唯」
「一の癒」
「し時間な」
「のに」
 彼女達はほぼ休みなくお父様の手伝いを続けている。そのストレスを発散させるという名目で毎朝私が愛でられているのだけれど、今日はテドンに行った後、ロッテルさん達に会いに行こうと思っているので、長時間彼女達の相手をするのは遠慮したい。
「すみません、お二人とも。早く帰れるようでしたらその時にでも……」
「本当ね? そ」
「ういうこと」
「なら今」
「は我慢するわ」
「ええ。それでは」
 残念そうな二人を残して扉に向う。そして外に出ると、なぜかお父様に首を絞められているラッセルさんがいた。
「……何をしているんですか?」
「ア、アリシア様…… 助けてください」
「いやいや、気にせず出かけなさい。リサの墓……は作っていなかったか。しかし、他の者の墓の掃除などもする気なのだろうし、あまりゆっくりしていると帰るのが遅くなってしまうよ。それとミレイやロディアスによろしく伝えてくれ」
 にこやかにそう言うお父様。気にせずと言われても……
「あの…… ラッセルさんが死んじゃいそうなのですが……」
「大丈夫だよ。手加減しているからね。さあ、行きなさい」
「はあ」
 手加減しているというのは本当だろうから、適当に返事をしてから出かけることにした。お父様があんな風にラッセルさんに対しているのも珍しいことではないので、実際問題それほど心配ではないし……
「では、いってまいります」
『いってらっしゃい』
 首を絞められている以外の三名が声を揃えて言った。ルシルさんとレシルさんが交互に話さないのは珍しい。
 それはともかくとして……まずはテドンに向おう。
 そう考えてキメラの翼を手にする。

「たくっ! ライラスのおっさんやガダルにま〜たぐちぐち言われんのかよ。やってらんねぇぜ」
 直ぐに城に行く気にもなれず、城下をふらふら歩きながらぼやく。ちょっと前と比べるとすっかり賑やかになっている街の様子に、やさぐれた気持ちがほんの少しだけ癒される。おっ、可愛い娘発見!
「ちょいとお嬢――っ!!」
 がっ!
 さっそく声をかけようと近寄ると、何かにつまずいて盛大にすっ転んだ。その間に女の子はスタスタと遠ざかっていく。ついてねぇなぁ。
 てか、何につまずいたんだ?
「あれ? お前ぇ……」
 立ち上がってから振り向き、足元に瞳を向けると、そこには生きているんだか死んでいるんだかぱっと見で分からないくらいへこんでいる男がいた。
「ギーア……だったか? まだこの国にいたのかよ」
「……? ……あなたは……近衛兵の……」
 ゆっくりと生気の感じられない瞳をこちらに向けると、ギーアは集中していないと全く聞き取れないくらいの声量でそう呟いた。
 ? なんでこんなへこんでんだ、こいつ。この世の終わりでも来たかのようなテンションだな。
「レイル=ジークダムだ。よくわかんねぇけど、取り敢えず、元同僚として話を聞くくらいはしてやるよ」
 基本的に男はどうでもいいが、ここまで荒んでいる知り合いがいたらさすがにどうにかしてやりたくなるのが人情ってもんだわな。

「よ。おひさ」
「アマンダか。ここまで来るとは珍しいな」
 ランシール国の、岩山に囲まれた砂漠の中央に位置する洞窟。地球のへそと呼ばれるその洞窟の最深部で呼びかけると、この大地の礎となった精霊の声がこだました。そうしてちょっと待つと、三日前に久し振りに見たばかりの男が姿を現した。
 よくは分からないが、ここがこの世界の中核で、ガイアの魔力の大部分が集中している場所ということらしい。
「先日言ったように私は呼ばれればどこにでも自由に姿を現すことができるのだぞ。ここまで来ずとも、助けて〜ガイアおじ様〜、などと可愛らしく呼んでくれれば――」
「つか、あれ嘘でしょ?」
 ふざけた口調で腰をくねらせているガイアの言葉を遮り、あたしは言った。
 まあ、嘘って言うと語弊があるけど。
「あんたがどこにでも現れることができるっていうのは本当。でも、それには結構な魔力を使うんじゃないの? じゃなかったら以前、わざわざブルーオーブの魔力を使ってた意味が訳わかめだし」
 そんなわけで、『自由に』現れられるというのは嘘だ。
 ガイアはあたしの言葉を聞くと、こちらを楽しそうに見てから、ご名答、と言って手を叩いた。
「それでわざわざ出向いてくれたわけか…… ゾーマ同様ひねくれていると思っていたが、中々に気配りさんだな、アマンダ」
 何かむかつくわね……
「あんたが原因で天変地異が起こる可能性があると知った以上、無駄に魔力を消費させるのはまずいと思っただけよ」
「素直じゃないのはゾーマと一緒か…… そういう反応も好ましいが、できればもっと直接的に…… 愛してるとか、結婚してとか言わ――」
「きもいわああぁぁぁあ!」
 どがしゃぁあ!!
 さすがに不快指数が高すぎて殴り飛ばす。もっとも、これが効くようなら苦労もないんだけどさ……
「やれやれ。よく似た姉弟だよ」
 ガイアは軽く肩をすくめてそんなことを言った。やっぱ全然効いてないわねぇ……
「それで、何の用だ? 向こうの世界への穴も見つけたのだろう? 私に会いに来るよりもアリシア達に知らせに行った方がよいのではないか?」
「ま〜、そうなんだけどね……」
 適当に返す。予想はしていたけど、あたしが『バラモス城』のちょっと東の所で目的のものを見つけたのは知っていたみたい。つか、多分こいつ、三日前のあの時点であそこにできた穴に気付いてたわよね、絶対。
 ま、別にいいんだけどさ。こいつが非協力的なのはいつものことなんだし。それに急いで見つける必要がなかった――というより、発見はもう少し遅くてもよかったくらいだし。
「ふむ。勝手な予想を言わせて貰うと…… 誰が向こうに行って、誰が行かないにせよ、しばらく日常を楽しむくらいの時間の余裕は与えてやりたい、といったところか?」
 うわ、うざっ。鋭いアホって嫌ねぇ……
 くっくっくっ。
 思わず渋い顔を作ってガイアを見ると、彼はなぜかおかしそうに笑った。
「やはり似たもの姉弟だな」
「は? 何よ、急に」
「優しいところがよく似ているということさ。それを悟られないように適当に誤魔化すところも、な」
 と、口の端を歪めて言った。……何を寝ぼけたことを。
「勝手に言ってなさいな」
「は〜い。勝手に言ってま〜す」
 ぶっ!
 面倒だったので適当な相槌を打つと、小さな子供が先生に注意された時のように返事されたのでつい噴出す。毎度のことながらこいつは……
「さて。では、時間潰しに昔のことでも話すか?」
「昔のことを懐かしがるのは年寄りの特権よ」
 ふいに優しげな表情になって言ったガイアに、ちょっと茶化した言葉を返してみた。まあ、つーか……
「事実年寄りなのだから、仕方あるまい」
「そりゃそうだ」
 ガイアのもっともな意見に頷くしかなかった。

 ギーアの聞き取りづらい話を聞き終えて、俺はなるべく陽気に言葉を紡ぐ。
「つまりあれか! ガヴィラのおっさんが死んじまったのが悲しくて辛くて仕方ないけど、当のガヴィラのおっさんの遺言で自ら死ぬことはできないから、なお辛いと!」
 こくっ。
 ギーアはゆっくりと頷いた。顔は常に地面を向いていて、表情も動かない。なんつーか…… 暗っ!!
 いや、まあ分からなくはねぇんだけどよぉ…… 違うだろうよ、なぁ。
「ちょっと来い」
 そう言ってギーアの手を引く。男の手を取るっていうのはちょいと勘弁して欲しいシチュエーションだが、この際仕方がない。向った先は――
「……墓場……」
「え〜と、ここと…… そこと…… あと、そっちの三つ。それと、あっち側の端からまとめて八つ。それと……これと、これか」
 俺はギーアの腕を強引に引きながら墓の間を歩き回り、その内の十数を指し示す。そして、訊く。
「さて問題です。今指した墓の共通点は何でしょう?」
「……新しい?」
 ご名答。
「もっと噛み砕くと、この間の事件で死んだ連中ってこった」
 ぴくっ。
 ギーアの肩が震えた。反応あり、と。まだ割と正常ならしいな。ま、自分らの罪の形を目の当たりにして無反応だったら問答無用でぶん殴ってるところだけど。
「なあ、罪を償わせるための方法が死刑っておかしいと思わねぇ? まあ絶対とは言わねぇけど、誰かが死んで心の底から癒される奴っていねぇと思うんだわ」
 そう声をかけると、少しだけ表情の戻ったギーアと目が合う。
 ……死んじまった奴は死んじまったままだし、死んじまっちゃあ誰にも何もしてやれやしねぇ。生きていれば何かしてやれるかもしれねぇ。
「だからさ、今回のガヴィラのおっさんの死刑も判断としては当然だが、やっぱおかしいと思う。死ぬのはある意味楽だ。ガヴィラのおっさんには生きてもらって――辛くても、辛くても、生きてもらって、死んじまった奴らの分も生きてもらうべきだった。ガヴィラのおっさんは何かできることを、この国のために、この国の人々のためにできることを何かするべきだった。そう思うよ」
 だけど……
「ガヴィラさんは……亡くなりました」
 そうだな。だからこそ――
「そう、死んじまったな。死んだ奴はそれまでだ。でもよ、まだお前がいる。間違うんじゃねぇよ」
「…………」
「お前はただ生きればいいわけじゃねぇだろ。生きて、しなきゃいけねぇことがある」
 ギーアの方を見ると、彼は先ほど俺が指した墓を見詰めていた。その瞳には強い意志と光が宿っている。
「ま、これから大変だぜ、きっと。二人分だし。気張れよ!」
 言って俺はとっとと城に向うことにする。この後どうなるかは、確認しなくても分かるってもんだぁな。

 お母さんのお墓は、まだ作らなくていいかな…… シドーの中にいる、のかもしれないし。
 テドンで全てのお墓の掃除を終えてからそんなことを思った。
 元々は、オーブでできた『テドン』にお母さんがいなかったから、何となく死んでいないような気がしてお墓を作らずにいた。それがいいことだったのかはよくわからないけど……
「しばらくはまだ『ここ』だね、お母さん」
 言って胸に手をやる。お母さんは、お父様や、ラッセルさんや、お母さんが生きていたことを知る人達の中にだけいる。
 お墓という、死んでしまった形を作れないのは、私達生きる者の心の問題。それはたぶん、シドーの件が一段落するまで思い切れないことだと思う。だから――
「もう少し待ってね。こんな綺麗な青空の下でゆっくりできるようにしてあげるから」
 天を仰ぐと、そこには透き通るような青が広がる。心の中なんていう閉じられた場所にいるよりは、きっとこんな空の下でのびのびしたいだろうな。
 そんなことを思いながら移動し、瓦礫の山の中から私が乗れるくらいの一枚板を引き出す。そして――
 しゅっ!
 キメラの翼で南西に飛び立つ。向う先は全てから切り離された島。ちなみに、引き出した板の使い道は――
 ばしゃっ!!
 その時、海上に降り立つ。正確には海上に浮かんだ一枚板の上に降り立つ。そう、板は私が乗るためのものだった。島は、直接ルーラやキメラの翼でいけないようになっている。これから更に魔力操作をして島に入らないといけないのである。
 もっとも、私はここに来るのはほぼ初めて。アマンダ様にこの海上まで連れてきて頂いたことはあるけれど、島までは入ったことがない。魔力操作の方法も知識として知っているだけなので時間がかかりそうである。
 さて――
 …………………………
 ぶわっ!
 ふぅ、やっと終わった。少し前まで見渡す限り海だったけれど、今私の目の前には、あまり大きくはない島がある。テドンに次ぐ今日の目的地だ。
 私は船――というには心許ない板切れを手で漕いで進める。しばらく頑張って漕ぎ、漸く上陸すると――
「あ〜、アリシャーちゃん。お久し振りですねぇ」
と、さっそく声をかけられた。彼女はロッテルさんという魔族。そして、アリシャーというのは彼女が私を呼ぶ時の呼び名。アリシアを適当に発音するとアリシャーになるからということらしい。
「本当にお久し振りです、ロッテルさん。貴女がテドンに住んでいた頃以来ですから、かれこれ十数年…… というか、よく私が分かりましたね? ロッテルさんはお変わりないので直ぐに分かりましたけど――」
 私はテドンが襲われた頃は見た目が十一歳くらい。まだ成長期だったので、二年で見た目一年分の成長をしてきた。ロッテルさんは既に安定期で、十年で見た目が一年分しか成長しない。そうなると、ロッテルさんを判別しやすいのはいいとしても、私はそうもいかないだろう。
「あら〜、そういえばそうですねぇ。ん〜、何となく分かったというか…… 勘、ですかねぇ。う〜ん……」
 右側頭部を右手人差し指で指して、考え込んだロッテルさんは、しばらくそのままでいたが、数秒してから、
「ま〜、いいじゃないですか。分からないよりは分かった方が」
 と、適当に結び、満面の笑みを浮かべた。
 まあ確かに、問題はないか……
 今日は、何個か報告があって来たのだし、そちらの話に移ることにしよう。
「この島で、元々テドンに住んでいたのは他に――」
「ロディアスさんがいますよ。……テドン関係者に何か用なんですか」
「ええ」
 答えると、ロッテルさんは早速ロディアスさんを呼びに行った。さして広くもない島なので、彼女達は直ぐに帰ってくる。
「久し振りじゃな。アリシア嬢」
「お久しぶりです。ロディアスさん。あの…… 私ももういい加減いい歳ですし、『嬢』というのは――」
「ん? おう、すまぬな。つい小さい頃のままのようで……」
 いやまあ、そのままの呼び方でも問題はないけれど、ちょっとは気になるし…… いや、まあそれより――
「突然お呼びたてしてしまいすみませんでした。テドンのことで二つほどご報告したいことがありまして」
「何かな?」
 ロディアスさんが相槌を打つ。
 私は続ける。
「一つは、テドンの状態の変化です。オーブの力はもう……」
「そうか。まあ、そう辛そうにするな。いつかは為さねばならなかったことだ」
 私が言葉尻を濁すと、ロディアスさんはその後をごく普通に続けた。ロッテルさんも、少し辛そうではあるが二、三度頷いてみせる。二人とも私よりも長く生きているだけのことはある、ということか。
「そして二つ目ですが、テドンを襲った者達についての私とお父様の考えを……」
「あれ〜、ですけど、それはもう分かっていませんでしたか?」
 少し言い方が悪かったらしい。とはいえ、言い換えるよりは先を続けた方が手っ取り早い。
「私達はテドンを襲った者達を『許す』ことにしました」
「えっ」
「…………」
 短く声を発したのはロッテルさん、沈黙を続けたのはロディアスさんだ。二人とも特に話し始めないので、私は続ける。
「もっとも、今まで許せていなかったのは私だけでした。お父様はずっと昔から、もしかしたらテドンが襲われた直後から、人間への憎しみなんてなかったのかもしれません。だから、私が『許す』ことにした、と言うのが正しいのでしょうね」
「どうして」
と、ロッテルさん。表情はよく読めない。
私は、答えになるかわからないけれど、思っていることを話す。
「ある外的要因があったのは確かですが、人間の弱い心があの事件を引き起こしてしまったのも確かなことです。けれど、人はそれが全てではありません。弱く、それでいて強い。矛盾しているようですが、それが人間。私は――それを知ることができた。だから――」
「私は……許せません」
 ロッテルさんは静かに、しかし力強く言った。
「絶対に許したくありません。絶対に、絶対です」
 彼女は取り乱したり、興奮したりはしていない。瞳を少しだけ細めて、はっきりとした口調でそう言うだけだ。そんな彼女を横目で見てから、ロディアスさんが口を開く。
「話は他にないのか? アリシア」
「ええ」
 実際、他に話すことはないので肯定を返す。
「では、久し振りに会ったのだし食事でもどうかの? ロッテル。ミレイと一緒に用意して来い」
「……は〜い。おいしいの作るから、期待しててくださいね。アリシャーちゃん」
 ロディアスさんに頼まれると、ロッテルさんは直ぐに笑みを張り付けてこちらを向き、一声かけてから建物の一つに向って行った。彼女が見えなくなると、ロディアスさんは再び口を開く。
「あの娘も分かってはいるのだ。だが、理屈でないのは、分かってもらえるのだろう?」
 それは、勿論である。そもそも、自分達の考えを押し付けに来たわけではない。ただ、知っていてもらえるだけでよかった。それをロッテルさんがどう受け取っても、それは彼女の自由である。
「ええ。それより、ロッテルさんの料理が楽しみです」
「……ああ、期待してくれていいじゃろう。ロッテルはともかく、ミレイが作るのだしな」
 ……ロッテルさんがいたら必ず文句が出ただろうな。

「お初にお目にかかります。フランダル様。わたしはメルシリア=デル=フォーン=サマンオサと申します」
「……サマンオサへ婿に行った弟の孫娘か。して、その格好は――そうか。やれやれ、またカミーラの悪い癖か」
 わたしの格好――ロマリアの紋章が入った王冠を頭に載せて、服はいつものと違って豪華なドレス着ている――を見たフランダル様は、少し考え込み、直ぐに結論を打ち出した。まあ、カミ爺のことをちょっとでも知っている人なら分かるよね。
 ……一応フォローしとこうかな。
「カミーラ陛下はしっかりこの国を治めておいでです。たまの息抜きの手伝いをするくらいはよろしいかと思いまして」
 カミ爺は本当によく頑張ってるし、息抜きくらいは認めてあげて欲しいと思う。王変更はそれほど頻繁ってわけでもないはずだし。といっても、ずっとロマリアにいるわけじゃないから知んないけどさ。
「それは……わかっておるよ。あいつはおそらく、儂よりも優秀な王じゃ」
 と、これは世間一般でカミ爺より大分優秀と噂されているフランダル様のお言葉。ずいぶん世間とずれた自己評価だね。まあ、原因はきっと――
「テドンとノアニールの件があったから……ですね?」
「っ!! なぜそのことを……」
 表情を硬くして搾り出すように声を出すフランダル様。
 お〜、ビンゴ、ビンゴ。やっぱ気にしてんだねぇ。取り敢えず、なんでわたしが知ってるのかを簡単に説明しよう。
「お耳に入れておいでかもしれませんが、わたしは各地方を漫遊しております。そのさなか、わたしはテドンの一件を生き抜いた魔族と知り合う機会を得ました。テドンでのことを知ったのはそのためです」
 そこで一度言葉を切ると、フランダル様は少しだけ表情を緩め、生き延びた者がいたのか、と呟いた。
 わたしは続ける。
「そしてノアニールの件。こちらはジェイ=グランディアから聞きました。彼は貴方様とお話したとのことですが」
「おお、あの小僧っ子か…… あれは大したタマであったな」
 フランダル様は苦々しげに、それでいて懐かしそうに言った。まあ、内容が内容だけに好感を持っているとは思えないよね。
 複雑そうにしているフランダル様をしばらく見詰めてから、わたしは本題に入ることにする。まあ、もう本題に片足突っ込んでるけど。
「それで、わたしが本日お邪魔致しましたのは、いま話題に上った二件についてお話したいことがあったからです」
「…………」
 まあ、当然と思うけど、フランダル様は目を細めて沈黙した。警戒してるんだろうな、きっと。でも――
「責め立てようというのではありません。知り合った魔族は貴方様を許すと言いました。ならば、わたしがどうこう言うことではない。いえ、そうでなくとも、わたしも貴方様に――いえ、誰に非があるとも思えません。何かが少しずつ狂った。あれはその結果であったのだと、そう思います」
 フランダル様は両目を見開いて驚いた、のだと思う。何に対して驚いたのかは知らないけど。
 さて、じゃあ続き。
「ただし、ノアニールの件は―― 徒にエルフを刺激なさればどうなるか、分からないわけではなかったでしょう? たとえ、テドンの事件を防ぐための行いだとしても、夢見るルビーの件は軽率だっとしか評せないと、残念ながら思います」
 そこまで言って、わたしはフランダル様の様子を窺う。今度は逆に、落ち着いた様子で耳を傾けている。彼にしてみれば、この二件は責められて当然なことなのかもしれない。だからこそ、批判を受ける方が逆に落ち着くのではなかろうか。でもさぁ……
「ですが、貴方様はもう、苦しみから解放されてもよろしいのではないでしょうか?」
 思わず言った。いやまあ、こういうようなことを言うのが主目的だったんだけどね。ちょっと勢いに任せすぎた感が……
「…………」
 フランダル様がただ沈黙しているので、勢いに乗って先も続ける。
「ずっとずっと罪に苦しんで生きていらしたのでしょう? なら!」
「くっくっくっ」
 突然、フランダル様が口の端をゆがめて笑い出した。
 ……何で?
「許されることが救いになるとは限らんよ、メルシリア王女。儂は自分が許せぬのだ。ならば、誰に許されようとも意味はない。儂はもう、苦しみの中で生きると決めたのだ」
 へ? な、何で! 苦しみながら生きる道を自ら進むなんて、おかしくない? わたしは納得いかない。しかし、
「で、ですが……」
 言い返そうとしたが、遮られる。
「サマンオサの若き王女は真っ直ぐ過ぎるようじゃな。万事に置いて価値観は多様的だ。王位を継ぐ気なら、もう少し漫遊を続けた方がいいやもしれんぞ」
 わたしが進言しに来たはずなのに、進言されちゃった。てか、そんな話聞いてもやっぱり納得できないよ。わたしが馬鹿だからなのかな?
 一つ確かなのは、少し、いや、かなり不完全燃焼なことだ。

 ジェイと腕を組んで歩いていると、いつの間にか城の中にいた。幸せな時は周りが目に入らないものよね。
「あ、ジェイとエミリアだ。どうしたの? 何しに来たの?」
 廊下の角を曲がったら、この国の王女ティンシアとばったり行き会った。この女は、ジェイに馴れ馴れしいからあまり好きじゃない。ちなみに、彼女の後ろにはリアとかって名前の侍女が控えている。
「ちょうどよかった、ティンシア。お前の爺さんって自分用の部屋あるか?」
 と、ジェイ。
「部屋あるかって、変なこと訊くね。そりゃ部屋はあるよ。ただ――」
 ティンシアは呆れ半分、感心半分という風に言葉を紡ぐ。それに対しジェイは、言葉尻を繰り返して先を促し、応じた。
「ただ?」
「その部屋には十中八九いないよ」
 当然なことのように放たれた言葉だが、それは……妙な話だろう。詳しい情報を求めて先を聞いてみる。
「たまに部屋のドアをノックしてもいないし、廊下で会うこともないし、食事に出てくるけど滅多に話さないからいまいち身内という気がしないなぁ――」
「姫様。せめて声を顰めてください」
 悪口ではないだろうが、結構な問題発言を通常音量で口にした姫君に、侍女は呆れた様子でそう言った。
「あ、そだね。ちょっと気遣いが足りなかったか」
 ティンシアは下をぺろりと出して、悔しそうに眉根を寄せた。こんなちょっとしたことで悔しがるなんて、さすが子供は感情豊かね。
「なるほどな」
 そこでジェイは満足そうに頷いた。彼とは以心伝心な私だけど、今回は何に対して納得しているのかわからなかった。ここに来た理由は、前王のことを訊いていることからも明らかなんだけど……
「時に、大臣はどこにいる?」
 と、ジェイ。
 ティンシアはその答えが分からなかったようで、リアに瞳を向ける。彼女は一度考え込み、言葉を紡ぐ。
「ロボス様は、陛下が外出してしまいましたため、輸出入に関する書類を代わりにチェックしておられるはずです。執務室でしょう」
 姿勢を正した状態で慇懃に言の葉を紡ぐ。この侍女は公私のけじめがしっかりしている。もっとも、それが普通のはずであり、現王であるミナトールのあほはもっと見習うべきだろう。
「そうか。サンキュ、リア」
 ジェイは軽く手を上げて微笑み、礼を言った。そして――
「それじゃ、またな」
 と言って執務室がある方へ向う。しかし、そこに待ったがかかる。
「ちょっと! もうちょっとお喋りとかしようよ!」
 当然ティンシアの言葉だ。ウザいのでメラで軽くいぶってやろうかと思ったが、その前にリアが注意を促す。
「姫様! これから地理学のお勉強なのですから、そんな暇はありませんよ!」
「さぼ――」
「駄目です。ほら、行きますよ」
「う〜、わかったわよ。じゃね、ジェイ、エミリア」
 ティンシアは、リアに引きずられるような形で、私達とは反対の方向に向った。ティンシアが女王になったら、リアが影で実権を握るなんてこともあり得るかもね。
「さて、じゃあ俺らも行くか」
 妙なことを考えて少しボーっとしていた私に、ジェイが声をかけてくれた。
「うん」
 私達は再び腕を組んで歩き出す。

「あ、ケイティとアランだ。今日はお客様の多い日だね、リア」
 ケイティが俺の家――海神亭の前を通ったので、任されていた店番を近所の知り合いに頼んで一緒に来た。そして城門を潜ったのがついさっき。それから一分と経たない内にティンシア達と遭遇し、彼女は開口一番先の言葉を吐いた。他に誰が来たのだろうか。
「馬鹿兄貴が来たのね…… あの野郎、また真似しやがって」
 ケイティは、ティンシアの答えを聞くことなく断定した。いつものことゆえに、確信しているようだ。まあ、可能性としては一番高いことは確かだろうが……
「そゆこと。ジェイとエミリアがついさっきね」
 どうやらその通りだったようだ。ケイティ達のシンクロ具合には毎度のことながら驚かされるよな。
「それでまさか、ティンシアのお爺さんのことを訊いた、とかじゃないわよね?」
 否定を望むような疑問形を口にしながらも、おそらく彼女は確信しているのだろう。事実訊いたのだと。ここに来るまでの彼女との会話から、彼女もまた前の王――ラミアカル様のことを訊きに来たことが分かっている。
「残念ながらその通りだったよ」
 予想していたためか、ケイティはティンシアの答えを訊いても特に気分を害した風ではない。続けて訊く。
「じゃあ、前の王様の部屋に向ったの?」
「あ、ううん。それは違うのよ。大臣の、ロボスのところに行ったわ。執務室に――」
「大臣に? 何で?」
 ケイティは、今度は驚いたようだった。というか、俺も少し驚いた。前の王様のことを聞いておきながら、なんで大臣のところに行くのやら。
「私に何でって訊かれてもなぁ。リアは分かる?」
「いえ。それより姫様」
「わかってるって。時間がないってんでしょ? ケイティ、これから実は勉強の時間でね。悪いんだけど、これで……」
「ああ、オッケー。取り敢えず方針は決まったし」
 方針というのは、大臣のところへ行ってみよう、だろう。ケイティはジェイを嫌っているけれど、認めるべきところは認めている。それからジェイとのシンクロ率の高さも嫌々ながら認めるところだ。とすると、彼女の目的もまた大臣のところで達成されると考えているのだろう。
「もうずっとアリアハンにいるんだよね? そのうち遊ぼ〜」
 愈々双方動き出すという時に、ティンシアが言った。
 ただ、ずっといるというわけでもないんだよなぁ。
「いえ、実は近いうちまた旅立つ予定でして……」
 答えると、ティンシアは、
「え〜〜〜〜〜!! じゃあ、やっぱ今日はさぼ――」
「駄目です」
 そうして、真面目なようで不真面目な姫君は、侍女に首根っこを掴まれて連れて行かれた。他の国では見られない珍しい光景だろうな、というどうでもいいことを考えてから執務室を目指す。
 執務室は階段を上って左側すぐにある。いつもならいるはずの見張りがいない。もしかしたら人払いをして何か話しているのかもしれない。
「アランさん。あの部屋でしている話をこっそり聞くことってできますか?」
 突然のケイティの質問に面食らう。なぜこっそり?
「ドアの前で聞き耳でも立てれば普通に聞こえるが…… なんでそんなことを? 普通に中に入っちゃ駄目なのか?」
 答えてから、気になったことを訊いてみる。まあたぶん、ジェイと一緒の部屋に入りたくないとか、そんな類の理由なんだろうけど……
「馬鹿兄貴と顔合わせたくないんです。では、さっそく聞き耳っと」
 前半はキッパリと口にし、後半は声を顰めて扉に近づいていく。さて、どんな話が聞こえてくるのやら……
『まず、貴方はモシャスで姿を変えたラミアカル様ですね?』
これはジェイの声だな。てか、え? 中にいるのは大臣のロボス殿なんだよな? ということは、ジェイの言葉を鵜呑みにすると、ロボス殿はモシャスで見た目を変えたラミアカル様だってことか?
『ロボスが大臣に就任したのはミナトール三世陛下の即位とほぼ同時。言い換えると、ラミアカル前陛下の退位とほぼ同時。貴方は一線を退いても、ロボスとして政治に関わることになったわけです』
 と、再びジェイの声。中にはエミリアと大臣(?)もいるはずだが、喋っているのはジェイばかりだ。
『まあ、そこは置いておきます。貴方がどう政治に関わろうと、それは私の関与するところではない』
 きっぱりと言ったジェイはさらに続ける。
『私が確認したいのは、テドン襲撃への参加を決めたのが貴方なのか? そして、私達が旅立つきっかけとなったお触れもまた、貴方の指示であったのかの二点です』
『もう私がラミアカル様であると決まったかのような口ぶりだな』
 初めて大臣の声が聞こえる。もっともな意見である。
『違うと仰るのなら、話はここで終わりますが…… どうなのですか?』
 と、ジェイ。そのように訊けば、当然否定の言葉が返されるだろう。
『……まあ、よいか。そう。どちらも儂が進めた話じゃ』
 しかし、そこでなぜか大臣は急に『ラミアカル様』となった。声は変わっていないので、恐らくモシャスは解いていないだろうが、話しているのは『ラミアカル様』に間違いないのだろう。それにしたって、なぜこんなにあっさりと認めたのか?
 そしてさらに不可解なことが……
『そうですか。では私の質問も終わりです…… あれ、違うと仰られなくとも話が終わってしまいましたね。どちらにしても即行でした』
 そこでジェイの笑い声が聞こえた。
 というか、終わりなのか? えらく中途半端じゃないか? 彼の旧悪に対して批判をしたり、ジェイ達が旅立つきっかけとなったお触れに対して憤ったり、そういうことはないのか?
「よし。アランさん帰りましょう」
 は? ケイティまで……
 とはいえ、ここで質問して気付かれたら、ジェイともめそうだし、ロボス殿――ラミアカル様ともかなりもめそうだ。
「ちょっと待て、ケイティ」
 階段を下りていこうとするケイティの手を取って柱の影に導く。ここの階段は長いから、下りきる前にジェイ達に発見されるだろう。
「ではロボス様。失礼致します」
 ジェイが部屋の外に出て、その奥に向って一礼した。エミリアも一応頭を下げている。本当に一応って感じだから、こんな状況じゃなきゃ近寄って行って注意したいところだ。
 かっかっかっかっかっ。
 二人の足音が階下へと向う。執務室の扉も閉められているし、もう柱の影から出ても問題ないか……
「アランさん」
「ん? どうした?」
 先ほどのことに対する質問をしようとした時、ケイティの方から声をかけられたので少し驚いた。しかし、その動揺は見せないようにして聞き返す。
「アランさんって手大きいですね。ほら、私の指、アランさんの指の第一関節までしかないです」
 ………………
 ぼわっ。
 ちょ、やばっ。たぶん今、俺の顔すごい赤いぞ。幸い、ケイティは俺の手を眺めるのに忙しくて、俺の顔までは視界に入っていないようだ。
 取り敢えず落ち着こう。うん。手を繋ぐのが初めてってわけでもなし。さっきは不意を衝かれたみたいな感じだったからこんなだが、落ち着く、落ち着くとき、落ち着けば大丈夫だ。深呼吸、深呼吸。はぁ〜、ふぅ〜、はぁ〜。
 よし!
「時にケイティ」
 顔の暑さが消えたので、自分はすっかり落ち着いたのだと判断して声をかけると、声が裏返った。
 ケイティはびっくりした様な顔でこちらを見上げた。そして、くすくすと笑い出す。
「どうしたんですか、アランさん」
「いや、ちょっと喉の調子がな」
 適当に誤魔化す。
「それより…… ああ、まず下行くか。ジェイとエミリアももう外に出たか、少なくとも階段のところにはいないだろう」
「そうですね」
 ここで話をしていると、執務室にいるラミアカル様に聞こえてしまうかもしれない。俺達は階段を下り、そして念のために城の外に出て、人気のないところまで移動した。
 そして、周りに誰もいないことを確認してから、訊く。
「ラミアカル様の話があそこで終わったのは、お前としても不足ないことだったのか?」
 取り敢えず一番気になったのはそこだ。
「ええ。あれだけ聞ければ、もう後はどうでも」
 そう答えて、ケイティは少し不機嫌そうになる。ジェイがあそこで質問を止めたという事実は、彼が彼女と同じように考えていることを示している。そのようなシンクロを嫌う彼女が、気分を害するのも仕方がないことだ。
「ラミアカル様がどういう風に感じておられるのか、というのは気にならないのか?」
 起こった事実だけでなく、起こした者の心内はどうだったのか。俺は少し気になるが……
「それを知ってもどうにもならないから。大事なのは私がどう感じるか。……それにしても、不思議ですよね。ティンシアって養女なのかな?」
 少しだけ微笑んで前半を、笑みを深くして後半を口にしたケイティ。要するに、ミナトール陛下に続いてラミアカル様のことも嫌いになりました、ということなのだろう。これで彼女があの一家の中で好きなのは、ティンシアのみである。
「俺は、ミナトール陛下はいい方だと思うが」
「あれは無能すぎてうざいです」
 …………そういうもんかな?

「はよー」
「早くないわよ! まったく」
 帰ってきたばかりの頃に比べると、自主的に、起こされる前に起きるようになったのは快挙といってもいいと思うんだが、俺の母親はどうにも手厳しい。
「飯は?」
「ほら、そこよ。食べたらさっさと出てきなさいよ!」
 野良仕事をする時の格好で玄関に向いながら、こちらを指差して叫ぶ。もはや、俺が畑仕事手伝うのは決定事項らしい。
 まあ、いいんだけどな。帰ってきて何もしないでいる気は、もともとないし。さて、さっさと飯食って、その分のエネルギーでお手伝いといきますか。
 まず、サラダに手をつけようとしたら――
「バーニィ! お客さんよ!!」
 外から聞こえてきたでかい声。壁を隔てていて、距離も相当あるというのに耳を塞ぎたくなるほどだったのがすごい。人は彼女の声を、鼓膜破壊光線と呼ぶ。
 そんな馬鹿らしいことを一人で考えていると、破壊光線の中に含まれていた単語である『客』の意味する者が玄関からやってきた。
「ウサネコちゃん、久し振り。こんな時間に起きているってことは、これから眠るところなのかしら?」
「アマンダか。いや、ついさっき起きたばっかだ。最近、規則正しい生活をしててな」
「あら、それは随分と体に悪いことを……」
「まったくだ」
 久し振りのお色気姉ちゃんに、軽口での挨拶を済ませると――
「それで? 迎えに来たってわけか?」
 と、訊く。しかし、アマンダは首を振った。
「シドーを追う『穴』は見つけたけどね。キースの魔法具ができてないのよ。そんなわけで、ちょっと暇つぶしっていうか、適当に遊び歩いてる感じ?」
 そう言ったアマンダの左手に下げられた袋には、ランシールの土産品である饅頭が入っていた。なるほど、言葉どおり遊び歩いているのだろう。
 にしても、キースの魔法具、ねぇ…… そうなると、俺には手伝うことすらできないから、しばらくは野良仕事を手伝う日々が続くのか…… いつ夜型の生活に戻れっかなぁ。
「で、今日はあんたの家に世話になるから」
「…………は?」
 突然の言葉に目が点になった。
「何よ、変な声出して。ああ、安心して。夜這いしたりはしないから」
 妙なことを言い出すアマンダに、頭が痛くなった。
「んな心配してねぇよ! つか、そういう心配はお前がしろっ!」
「あら、ウサネコちゃんはあたしを夜這いする気なのね」
「違ぇ!!」
 ばたんっ!
「バーニィ! さっさと手伝いに来なさ〜いっ!!」
 玄関の扉が勢いよく開いて、母親の鼓膜破壊光線が家中に満ちた。

 取り敢えず、ラーミアを封じるための道具はできた。彼についてはどうにもオーブの印象が拭えなくて球体にしてみた。たぶん、きちんと動作するだろう。
 後は、シドーのための道具か。ルシル、レシルの意見は、等身大アリシア人形にしたらどうか、だったが、当然却下。
 そうだな…… 武具――剣などにするというのもいいかな? 武器として使い、さらに本来の効果も持たせるのだから、一石二鳥。一挙両得。
「ですが、その剣はどうしますか? 普通の武器――というか、もとからある武器に効果を与えるというわけにもいきませんし、剣自体を打つ必要が出てきますよ」
「そうだね。それに、この球の方と同じ素材を使用して打つのがいいだろうね。材質が成功に影響していないとは言い切れないし、念のため――」
「だけど、こ」
「の金属。手に」
「入れに」
「くいのよ」
「そうなんですか……」
 と、私とラッセル、そしてルシル、レシルで話し合っている。ちなみに、ラーミア用の道具の素材を持ってきたのは双子精霊であって、その彼女達がそれを手に入れにくいといっている事実は、あまり面白くないものである。
「では、シドーのものも、ラーミアと同じようなものにする場合、そのための分の素材を手に入れるのは?」
「う〜ん、それ」
「も難しいと思」
「うわ。本当に希」
「少なものでねぇ」
 ここはできれば嬉しい返事が欲しかったところだが、残念ながらルシル、レシルが返したのは否定的なものだった。
 ふむ…… どうしたものかな?

 キメラの翼で戻ってきた城下町は、いつかの時とは違って活気というものがあった。だけど今、わたしにその活気はない。当然、ロマリアでの不完全燃焼が原因だ。
 いつもなら、街で適当にふらふらして遊びまわるところだけど、さっさと城に向うことにする。会う人に挨拶しながらだから、着いたのはそれから大分後だったけどね。
「ただいま〜」
 門のところで兵士に声をかけると、こころよく中に入れてくれた。えと、まずはお父様に……
「漸く帰って来やがったか!」
「うるさいのが来た」
 うざい、うるさい、うっとうしいの、『う』三連発のレイルがいたので、思わず本音の一部がもれ出た。それを耳ざとく拾い上げたレイルは、
「てめぇ、言ってくれるじゃねぇか!」
 と、けんか腰。
 しかし、ロマリア不完全燃焼事件が尾を引いていて、相手をするのが面倒で仕方がない。
「はいはい。わたしお父様のとこ行くから、通しておくんなまし〜」
 変な口調で言ってやると、レイルは訝しげにこちらを見て少しテンションを下げた。お〜、効果ありだぁ。次からは、意味不明なこととか言うと、対レイルに使えるかも。
「メル!」
「あ、お父様」
 レイルのあしらい方への考察をしていると、廊下の奥からお父様の声。やがて姿も見えてくる。ちょっと小走りで近づいてきて――
 がしっ。
 抱きつかれた。
「馬鹿者。さっさと帰ってこんか」
「……? どうしたの〜」
 六年ぶりに帰ってきたこの前でさえも、こんな熱烈抱擁はなかったけど……
「帰ってくるかどうか分からぬ時なら半分あきらめて耐えられるが、確実に帰ってくるが、それがいつになるか分からぬというような時はつらい!」
 なるほど……? まあ、わからなくもないような……
 それに――
「なんかこうしてると、少し安心するかも」
 不完全燃焼が少し和らいだ。

「お父様。ただ今帰りました」
 ロッテルさんとミレイさんの手料理を頂いて、初めてお会いすることになったミレイさん、レオさんとしばらくお話してから帰ると、お父様達はなにやら悩んでいた。腕を組んで、
「う〜ん……」
 と唸っている。
「どうしたのですか?」
「ああ、アリシア。実はな――」
 訊いた私に、お父様とラッセルさんが説明してくれた。滅多に見つからない珍しい素材……か。
 ……ふむ。ちょっと、思いついたので口にしてみる。
「あちらの世界にはないのでしょうか?」
『あ』
 四人の反応を見る限りでは、可能性はありそうだ。

「じ〜いちゃん」
「なんじゃ。ケイティは甘えん坊じゃのう」
「アイス食べた〜い」
「なんじゃ。ケイティは食欲魔人じゃのう」
 全く同じ口調と表情で、かなり違う評価を口にしたじいちゃんに思わず苦笑。まあ、私の行動からして変だけど。
 帰ってきてから二週間くらい経った。私は自分ルールで、今日はじいちゃんに甘える日に決めた。というわけで、さっきみたいな状態になってる。
「食欲魔人ってじいちゃん」
「間違ってはいないじゃろう? そこは自分でも認めるところなのではないか?」
 一応抗議してみたら、そんな答えが返ってきた。
 いや、まあ、そうなんだけどさ。
「ん〜、ま、いいや。じゃあ、続けて甘えタイムね。じいちゃ〜ん」
「ははは、ケイティは甘えん坊じゃのう」
「ケイティ」
 何やらデジャヴュを感じる会話をしていると、母さんがやって来た。どうかしたのかな?
「何? 母さん」
「アマンダが来たのよ」
 ………………
 つまり、また旅立つ時がきたのね。
「来たのはアマンダだけ?」
 訊くと、母さんはゆっくりと、ゆっくりと首を横に振った。それは、時が緩やかに流れることを私が望んでいるからそう見えたのかもしれない……
「他にもアリシアさん、キースさん、バーニィさんという方が来ているわよ」
「そう……」
 アマンダだけだったら、何となく遊びに来たという展開もあるかと思ったんだけど、それだけ揃っているとなるとやっぱり出発みたいだ。メルとかレイルがいないけど、ここの後にでも迎えに行くのだろう。
「ば―― ジェイは?」
 危うく、母さんの前で馬鹿兄貴とか言うところだったわ……
「ジェイはアランくんとエミリアちゃんを呼びに行ったわ。……ケイティ」
「……ん」
「またどこかに行くのね?」
「うん」
 無表情で訊いてくる母さんに、私も淡々と答える。何となく悲しい気持ちになるけど……
「なぁ〜に。すぐに帰ってくるのじゃろう? ……な?」
 じいちゃんは一転、明るい声を出す。だったら私も明るく行かなくちゃね。
「もっちろん! 今回は本当に直ぐ帰れるよ」
 無事にシドーをどうにかして帰れるのなら、『直ぐ』ということになるだろう。勿論、その辺の細かいことまで話す気はないけど…… 変に不安にさせるだけだし。
「そうなの」
 母さんは明らかに安心したようだった。うん、よかった、よかった。
「それにしても困ったわね。それじゃあ」
「そうじゃな」
 え、何か失言した?
「ど、どうしたの?」
 動揺して二人に聞き返すと、当の二人は顔を見合わせて笑い、じいちゃんが口笛を強く吹いた。すると――
「うおおおおおおりゃああぁぁ!!」
 全速力で父さんが走ってきた。犬か、お前は!
 あれ? 彼が手にしているのは……
『誕生日おめでとう! ケイティ』
 ……はい?
「え、今日ってそうだっけ?」
「やっぱり忘れてた」
 母さんが可笑しそうに笑い、言った。
「朝から様子見ててまさかとは思ったけど…… 自分の誕生日くらい覚えていなさいな」
「え、えっと〜、えへへ」
 本気で忘れてた身としては、言い訳のしようもないので適当に照れ笑い。
 それにしても、一年前と同じ日に旅立つことになるわけねぇ。アマンダ、この日狙ってたんじゃないの? このタイミングのよさからいって。
 あ、つか、ジェイは――?
「ちなみにジェイは誕生日、しっかり覚えててな。朝の内に口頭で祝っておいた。派手なのは拒否されたからな」
 と、じいちゃん。
 ふ〜ん、そっか。あ、いや、別にどうでもいいけど…… 私だけ祝われるのも変だよねって思っただけで。
「はい」
 母さんが、父さんが手に持っていたケーキを少し切り取って渡してくれた。ありがたく頂いてみると、うん、美味しい。
「それで、後は帰ってくるまでお預けね」
「……うん」
 帰ってくるまでに腐っちゃうよ、という突っ込みは入れないでおいた。さすがに雰囲気にあっていない。というか、きっと、今ある分は、母さん達で食べて、私が帰ってきたらまた作ってくれるのだろう。
 なんにしても、帰ってくるのが楽しみというものだ。
 手についたクリームを舐めながら、母さんを見る。父さんを見る。じいちゃんを見る。ここが、私が帰って来る場所。だから――
「いってきます!」