29.神の降り立つ塔
塩化物泉――ここマイラにある温泉の種類だそうだ。先程聞いた説明によると、ナトリウムが多く含まれており、食塩泉などとも呼ばれるという。効用としては、外傷、打ち身、捻挫、リュウマチなどが挙げられるというが、敵の攻撃なんてくらわない俺にとっては外傷、打ち身に効こうがどうでもいいし、捻挫するほど鈍くさくもない。リュウマチなんて年寄りくさいもんにも当然関わりはないから、いまいち有り難味がないともいえる。
ただまあ、浸かっていて気持ちがいいんだから、それだけで有り難いけどさ。
「ふい〜。い〜い湯〜だ〜なっと」
「なんだよ、そのよく分からん音程つきの呟きは」
適当に口に出した言葉に、レイルがいちいち突っ込んできた。
こいつは闘技大会でちょっと負傷していたため、外傷に効くっていう効能はぴったりだろうな。てか、それいったらバーニィはもっと怪我してたし、一番ぴったりだろうけど…… 置いてきちまったもんは仕方ない。
「別にいいだろ? なんとなく口をついて出ることもあるさ」
「なんとなくねぇ…… まあ、わからなくもないけどよ」
と、肩までどっぷり湯に浸かって伸びをしながら、適当な返事をするレイル。うん、明確な答えがあるわけでもない会話なんで、こんな風に無関心なのはいいことだ。
てか、いつもこいつはうるさくて疲れるからな。今、比較的大人しいのは、闘技大会で優勝できなかった――あの姫さんと結婚できなかったショックがちょっと残っているせいだろう。これくらいで丁度いいから、しばらくはショックを引きずって欲しいもんだ。
と思ったのだが、レイルはにやりと笑いこちらを見た。どうやら、早々に復活してしまったようで――
「さて。では、こういう共同浴場に来たら、お約束のアレといきましょうか」
「あれ?」
急にあれとか言われても、流石に分からなかった。読心術を会得しているわけでもないしな。
「鈍いな、ジェイ。そう! 言うなれば男のロマンさ!」
そう言ってレイルが指差した先には、男風呂と女風呂を遮っている衝立があった。
ああ、つまり――
「なんだ…… 覗きか」
「なんだとはなんだよ! アマンダさんの魅惑のボディに興味ないのか!?」
アマンダねぇ……
「あいつ二万歳くらいだって聞いたぞ。さすがにどうよ」
「ならアリシアさんならどうだ!」
……
「なるほど…… 確かに興味をそそられるな」
「だろ! よし、行くぞ! ついて来――」
『待ったーーーっ!』
レイルに導かれて衝立に向けて歩きだそうとすると、止める声が二人分。
「悪いがその先へ行かせるわけにはいかないな」
「アラン君の言うとおりです」
ちっ。向こうにケイティがいる以上アランさんが、そして、アリシアさんがいる以上キースが止めるのは自明の理ってやつか。しかし!
「アランさん! 知ってのとおり俺はケイティに全く興味がありません! というわけで――」
「行ってよし!」
よっしゃ!
「って、それでいいのかよ! そういうことなら―― アラン! 俺もケイティちゃんには全く――」
「そんなわけあるかぁ! それにお前からはエミリアも守らにゃいかん!」
「くっ! となれば――」
腰にタオルを巻いただけの姿で戦闘態勢に入る二人。何やら間抜けな光景だ。
ま、そんなことはともかく――
「待ちなさい! ジェイ君!」
げっ。そういやキースもいたっけな。
「大丈夫だ、キース。俺はアリシアさんにも興味がない」
嘘だけど。
「先程『興味をそそられる』とか言った口で何を言いますか」
そうでした。
「じゃあ、どうあっても行かせない、と?」
「そういうことです」
ならば仕方がない……
「相手になってやろうじゃないか!」
「? 何だか男湯の方が騒がしいですね」
「ああ、その…… そうですね」
ケイティの疑問にアリシアが曖昧に答えた。アリシアも耳がいい方だし、一連の騒ぎをばっちり聞いていたんだろう。
しっかし、あんなことで戦いだすとは…… 男ってのはどうしようもないわね。つか、ジェイは後で絞めとこう。
「どけ、アラン!! 俺はケイティちゃんの裸を見るんだっ!!」
ばしゃあぁあ!
そこで、レイルの今までにない大音量の叫びが上がり、どう考えても聞こえただろうケイティが、お湯に激しく突っ伏した。
「けほっ、けほっ。な、何を叫んでんのよ、レイルは」
お湯に顔を突っ込んだ際に、少々飲み込んでしまったらしく、咳き込みながらケイティが戸惑った声を上げた。まあ、そこまでなら『レイルだし仕方ないか』的なノリで流れるところだったが――
「あんなえぐれ胸見てもしょうがないぞ!! レイル!」
だっ!
ジェイの叫びを聞いて衝立に向けてダッシュするケイティ。
ひゅっ! ぱしっ。
跳んで衝立の上の部分を右手で掴み、そのまま懸垂の要領で顔だけ上から出す。
身軽ねぇ。てか、ジェイのあの叫びってわざとっぽい気がするわね。レイルの叫びがこっちに聞こえただろうことは容易に予想できるし、それならついでにケイティをからかっておこうとかあの子なら考えそうだわ。
「くおぉらあぁあ! クソ兄貴! 誰の胸がえぐれてるって!? 私がえぐれてるってんなら、エミリアなんて穴開いてるわよ!!」
…………うわ。
ケイティの叫びの後に続いた沈黙。
エミリアの目つきがやばいことになっているのは言うまでもないことだろう。ただ、相手がケイティであるためか、問答無用で魔法を使うということもないようだ。しかし――
「……あ〜、エミリア? 今のは、何て言うか、その――」
「エミリアーーーっ! 遠慮しなくていいぞーーーっ!」
曖昧な笑みで紡がれたケイティの言い訳を、ジェイの叫びが遮った。リミッタ解除、と。
ぶあぁああぁぁあ!!
まず小手調べ的な炎がケイティを襲う。
「うひゃっ!」
ケイティはそれをマジックキャンセルで何とか打ち消す。
ヒュンっ! ヒュンっ!
続けて氷の杭が二本、彼女を襲う。
それを今度はケイティが炎を生み出して溶かし――
だっ!
そこで走って移動。向かう先は…… こっち来やがったわ。あたしに対処してもらおうって腹かしらね。でも――
ひゅっ!
「あっ! 逃げた! アリシアさんまで連れて行ったし!」
「てか、わたし置いてかれた!」
「よし、メルも魔法打ち消すの手伝って!」
「やだよ! わたし横に避けとくから、ケイティだけをばっち狙ってね、エミりゃん!」
「裏切り者〜!」
ひゅっ!
そこで風の刃がメルを襲う。しかし、湯がそれに伴って波立った為か、メルの勘がいい為か、とにかくメルは不可視である風を難なく避けた。
「ちょっ! なんでわたしも〜?」
「エミリアの怒りの目つきを要約すると、自分より子供っぽいくせに胸でかいのがむかつくって」
「理不尽!!」
おー、小市民が醜い争いをしてるわ。
あたしはアリシアを連れて、空間転移でエミリアとケイティの直線上から移動したのだ。あんな諍いに巻き込まれて無駄な汗を流すのは御免だ。
「アマンダ様…… ケイティさんは仕方がないにしても、メルちゃんは一緒に連れてきてあげてもよかったのでは?」
アリシアが隣で困った顔をしつつ言った。一見優しい意見のようではあるが……
「へぇ…… 『ケイティはともかく』ねぇ。アリシア? いくらアランがケイティしか庇わなかったからって、そういう差別はどうかしら?」
「なっ、何を言ってるんですか! アマンダ様! ケイティさんは、エミリアさんに酷いことを言ったのだから仕方がないってそういう意味で、特に他意は――」
「そうかしらねぇ〜。いつもどおりのあんたなら、ケイティに非があろうとなかろうと、エミリアの暴走を止めてあげて、とか言いそうなもんよ〜?」
「そ、それは――」
視線を泳がせ、必死で否定するための材料を探しているらしいアリシア。この子がここまできょどるのは珍しい。
う〜ん、面白い反応。せっかくだからからかっとこう。
「まあ、好きな人が他の女を特別扱いしてたら、イラっと来るのも仕方ないってもんよ。恥じることはないわ」
「す、好きな人なんてそんな」
「アランのこと目で追ってること多いわよねぇ?」
「追ってません!」
「話をしてる時、楽しそうだし」
「楽しくありません!」
むぅ、頑固な…… てか、力いっぱい『話してて楽しくない』とか主張するのはどうよ? この子、追い詰めるとマジ面白いわ。
「まあまあ、そう意固地にならず。ケイティに遠慮してるんならそんなの無用よ」
「その――」
「十中八九ケイティもアランのこと好きだけど、あれは自覚ないからね。今なら奪っても略奪愛とかにならないって」
「ですから!」
「その気なら、まず間違いなく成功する方法として――」
「…………として?」
少し躊躇してから、頬を温泉の熱気以外を因として少し染めたアリシア。そして、あたしの言葉尻を繰り返し、やや真剣な様子で先を促す。
うん、素直でよろしい。
「男なんて馬鹿だからねぇ。今夜辺り布団に潜り込んでなるようになれば、後はあのアランだし責任感じて……」
「――っ! アマンダ様っっ!!」
「なんか向こうも騒がしくね?」
何やら物騒な物音やら叫び声やら、そんなものが女湯の方から聞こえてきたため、戦いの手を止めてキースに話しかける。
「確かに…… どうしたんでしょう?」
キースも息を吐いてそのように言った。ふっ、隙あり!
がしっ!
「うわっ! とっとっと」
ばしゃーーーんっ!
余所見をしたキースの両足を勢いよく払ってやると、完璧にバランスを崩して湯に頭から突っ込む。
「はっはっはっ! 戦いの最中に余所見は禁物ですよ、キースさん?」
そんな風にふざけ気味で叫びつつ、アランさんとレイルに目を向けると、体術ではアランさんが優勢みたいだけど、レイルもところどころで簡単な魔法を使って善戦しているようだ。
お〜、なんかあっちを見物するのも楽しそうだなぁ。けど――
「ほら、キース立て! もう一勝負だ!」
声をかけると、キースは嫌そうな顔をしたが渋々立ち上がった。よし、いい子、いい子。
てか、何か他に目的があった気もするが―― いいか! 楽しいし!
しかし、キースとの第二ラウンドがまさに始まろうとした、その時――
「こらあぁぁあああぁあ!! 風呂には静かに入らんかいっっっ!!!」
温泉を管理しているおっさんに叱られた。
とんでもねぇ大音量だったから、絶対に女湯まで聞こえたはずだ。だから――
『ご、ごめんなさい』
これは、俺ら男組だけのハモリではなかったと思ふ。
こんこん。
「あいよ。開いてるわよ」
ノックすると、直ぐにアマンダのやる気なさげな返事があった。つか、呼び出しといていなかったら怒るけどな。
がちゃ。
「失礼しま〜すっと。アマンダ、何か用かよ?」
そう言いながら扉を押して入ると、女全員共同で取ったはずの部屋にはアマンダしかいなかった。ケイティがいないのは喜ばしいが……
「? 他の奴らは?」
「ケイティとメル、アリシアは、アランやキースと一緒に道具屋に行ったわよ。何でも、旅の途中で立ち寄った国の人間がいるとかなんとか」
木製の箱の上に麻の布団を敷いただけのベッドに腰掛け、アマンダが言った。その視線は開け放たれている窓の外に向けられており、そこからは暗闇一色であるにも関わらず晴れていることが容易に判別できる空と、宿の直ぐそばに立っている木々の瑞々しい葉が見えている。
彼女が目を向けている先に道具屋があるというわけでもないため、どこか明確な箇所を見詰めているわけではなく、なんとはなしに外を眺めているといったところか。
「ふ〜ん…… そういや、あっちの部屋にも、アランさんとキースはいなかったっけ」
俺が出てきた時、男部屋の方にはレイルだけがおり、そのレイルは窓の外を通っている女の子をナンパしていて、五月蝿くて鬱陶しかった。まあ、全ての女の子に無視されているのが気の毒でもあったけど。
ああ、そうそう。これはどうでもいいことだけど、窓からの情景からも分かるとおり女部屋は二階、俺ら男の部屋は一階だ。そういうわけで、窓の外にいる人に声をかけやすいという状況も、レイルの奇行を促進する一因だったりする。うん、本当にどうでもいいな。
さて、俺が何でここに来たのかだけど、実はどうして彼女に呼び出されたのか、俺自身まだわかっていない。さっき部屋に戻る前に、一回女部屋に来てくれ、ってアマンダに言われて、それで部屋に荷物を置いてから来たのだが――
「そういや、エミリアはどうした? 道具屋行き組ではないんだよな?」
そこでふと気になったことを訊いてみた。俺のところに来ないから、またアマンダと魔法の訓練でもしているのかと思ってたんだけどな。
「あの子は土産物屋にひとっ走り行かせてるわ」
エミリアをパシリ? そいつはまた――
「よく大人しく行ったな、あいつ。いくらお前の方が魔法強いからって、この宿を半壊させるくらいの抵抗はしそうだが……」
「そこはそれ。ジェイが――あんたが気にいりそうな変なペナントとかが売ってたわよ、って声をかけたらいそいそと買いに行ったわ。その内、両手いっぱいに持って行くだろうから、たっぷり甘やかしてやんなさいよ」
ああ、成る程。それなら納得かな? てか、土産物屋か…… さっき覘いたら確かに、意味不明の文字が書かれた用途のよく分からんものとかが売ってて興味をそそられた。エミリアが戻ってくるのが楽しみだな。
ま、それはいいとしてだ。アマンダはエミリアまでこの部屋から追い出して、一対一で俺に何の用なんだ?
「それで本題だけど――」
そう言ってベッドから腰を上げ、こちらへと歩み寄ってくるアマンダ。後半歩分で正面衝突、というくらいまで近寄って、俺の左頬に右手を添えてくる。そして――
「二万歳いってるあたしの体はお気に召さないそうね」
満面の笑みでそう言った。
? 何を言って――って、あ〜! 温泉でレイルと話してたあれか? つか、あんまり大きな声で話してなかったのによく聞こえたな…… いや、そんなことはいいか。それよりも――
「あ〜、そのだな。取り敢えず、落ち着いて話し合おうか? まず手始めに、目だけ笑っていない笑顔を止めて貰えると嬉しいんだがな。怖いぞ、それ」
意識して顔に笑みを貼り付け、なるべく柔らかい口調でそう言ってみた。しかし――
「問答無用♪」
ひゅっ!
「どわっ!」
気がついたら宙を舞って、開け放たれていた窓から放り出されていた。さっき窓を見ていたのは、これの伏線ってやつか!
「ほっ!」
ま、二階から落とされたくらいでどうにかなってやるほど俺も鈍くない。宙で一回転して、見事足から着地。
さて、このままダッシュで逃げ――
「バイキルトやスカラなんかの人体強化魔法以外は使わないでおいてあげるわ」
――っ!!
いつの間にか俺の背後にいたアマンダは、いつものだるそうな口調のままでそんなことを言った。
アマンダが背後にいたことには驚いたが、それにリアクションをしている暇はない。俺は直ぐに前に大きく跳んで、距離を取ってから振り返る。
そして、俺の視線の先には見慣れたお色気姉ちゃんが。
ふぅ、とんだ災難に巻き込まれたもんだ。でもまあ――
「お前と戦うのはちょっと楽しそうだな」
そう呟くと、自然と頬が緩んだ。
道具屋のある建物は少し妙だった。この建物、結構大きいものなんだけど、その中には人が住む普通の部屋とか、人が集まって雑談する広間とか、色々なお店とか、そうそう、温泉もその建物の一角に軒を連ねているみたい。まあ、そこまでなら妙というほどでもないんだけど…… 壁伝いに歩いているといつの間にか外に出てしまっている、というのはおかしいよね? 造った人も何を考えて造ったのやら……
まあ、換気がしやすい、というか常時換気されていると考えれば、それほど悪くないのかも?
で、当の道具屋はその建物の二階にあるんだってさ。さっき広間でおじさんAに訊いたらそう言っていた。あのおじさんが嘘つきでないのなら、彼が指差した方向の延長線上であるこの通路の先に、二階に向かう階段、ひいては道具屋へと至る階段があるはずである。
「それにしても、ジパングの人がこんなところにいるなんてね〜。どうやって来たのかな〜」
「うーん…… ここに来る時飛び込んだ穴に、うっかり足滑らせて落ちちゃったとか?」
ケイティに訊いてみたらそんな答えが返ってきた。でも、たぶんこれは半分冗談の発言かも。こっちに来る時に飛び込んだ穴って、まず人が来ないだろうなってところにあったから、あそこにうっかり落ちる人なんて絶対いないと思う。いたとしたら、うっかりのレベルが相当高いだろう。会ってみたいよ。
「それはないですね。どうやらこちらに来たのは二年前ということですから。あの穴はシドーが最近空けた穴ですし」
と、これはキーちゃん。通路の先に実際にあった階段を上りながら、首だけこちらに向けて教えてくれた。
そのキーちゃんに続いてアリシアさんが一段目に足をかけ、話を継ぐ。
「出かける前にアマンダ様にも訊いてみたのですけど、もしかしたらガイア様がお送りになられたのではないかと」
「ガイアっていうと、ゾーマと掛け合い漫才をひたすらしてた神様だよな?」
アリシアさんの半歩後ろくらいを歩きながら、アランさんが訊いた。
うん、確かにわたしもその印象が強い。
「ええ、あの方です。簡単に説明しますと、あの方こそが私達の世界を創ったと言っても過言ではないそうなんですね。そういうわけですので、もしかしたらあちらからこちらへ人を送り込むことくらいはできるかもしれない、とアマンダ様は仰ってました」
アリシアさんが相変わらずにこにこと自然に笑いながら答えた――んだけど、途中で何かに気づいたようにハッとして、意識して作ったような不機嫌顔になった。笑顔とは違って不自然過ぎるその表情に、疑問を抱かずにいられない。特に気分を害するようなことがあったとも思えないし。
そんなことを考えている間に、階段の最後の段に足をかけることとなった。そうして、右足で二階――つまり道具屋への第一歩を踏み出す。
「いらっしゃいま――あ、この間の」
そうして聞こえてきたのは、ジパング国出身らしい道具屋のおじさんの声。この店は夫婦でやっているらしいんだけど、今はぱっと見おじさんしかいないようだ。
まず、既におじさんと顔見知りのキーちゃん、アリシアさんがカウンターに近寄っていった。
「この間はどうも」
「なあに、こちらこそ久しぶりに向こうのことを話せて嬉しかったよ。こっちで向こうのことを話しても妙な顔をされるだけだからね」
機嫌よさそうにそう応えるおじさん。
そうだね。ずっと、誰にも、自分の生まれた世界のことを話せないっていうのはちょっと寂しいかもね。奥さんと話せばいいかもだけど、同じ状況にいる二人で話してても少し空しいだろうし。
「それで? 今日はどうしたのかな?」
おじさんがそう訊くと、キーちゃんは表情を少し歪めて、これからする話はあまり楽しいものとは言えないかもしれません、と言った。
ジパングに立ち寄ったわたし達が揃ってここに来たのは、あの事件のことを話すためだった。一人の女性の死によって終わったあの事件のことを。
そこで、キーちゃんはこちらを手で示し、
「ああ、それで彼らはその話をする――アリシアはこの間一緒に来ましたし、後はあちらの、左から順にケイティくん、アランくん、メルくんです。そしてこちらはマツナさんです」
おじさんは頭を丁寧に下げて、マツナ=マヒトツだ、と言った。
なんだか変な名前。
「妻は今、友人と出かけているんだ。だから俺だけで聞くよ」
そう言ってから、あんまり辛い話だったらあいつに聞かせたくないしな、とマッツンは呟いた。
そして、キーちゃんを除いたわたし達四人で、あの時のことを話し始める。
………………………………
話を聞き終えたマッツンは、怒っているような悲しんでいるような、どちらとも言えない複雑な表情を浮かべた。全てが終わってあの国を出発する時に、見送ってくれる人たちが浮かべていたあの表情を。
「そ……うか。ヒミコ様が……」
そして、そう言ってからしばらく黙り込む。
「世界っていうのは」
「ふえ?」
自分から生み出した沈黙を破ってマッツンが突然話し出したので、わたしは思わず間の抜けた声を上げてしまった。すると、マッツンはわたしのことを正面から見つめて先を続けた。
「世界っていうのはどうしてこう複雑なんだろうな。仮に憎しみだけがあって悲しみも喜びもなければ、こんなに辛いと思わずにすむのに」
……えっと、これはわたしが答えるところなのかな? マッツンはこっち見てるし、他の人は何も言う気配がないし。う〜ん、気の利いたことを言うなんていうスキルはわたしにはないし、取り敢えず本音トークでいってみよっか。
「きっとそれじゃ飽きちゃうからだよ」
「飽きる?」
わたしの言葉に、マッツンは訝しげに訊き返した。
「そ〜。人って欲張りだから、ずっと同じものを与えられるだけじゃ満足できなくて、新しい何かを欲しくなるの。憎しみだけとか悲しみだけだと心がつぶれちゃうから喜びを求めるでしょ〜? それで、喜びだけだとそれに慣れちゃって、今度は淡白になって心が何にも動かなくなってくる。喜びを喜びとして感じられなくなっちゃう」
喜ばしいはずの日常を喜べなくなる。
「なら…… あの子は俺達が喜びをきちんと感じられるように、そのために悲しみとなり、憎しみを――」
これはマッツンの言葉。
あの子というのが誰なのか、そして何があったのかはわたしには分からない。でも、それは違う。
「違う違う〜、喜びは目的じゃないよ。喜びのために悲しみや憎しみがあるんじゃなくて、悲しみや憎しみがあるから喜びが欲しくなるの。喜ぶことを忘れさせないために悲しみや憎しみを与えるなんて、そんな酷い世界はないよ、きっと」
それもまた違うのかもしれないけれど。もしかしたら、そういう『世界』もあるのかもしれないけれど。だけど、わたしはそうではないと信じていたい。
誰も憎しみや悲しみだけを望んではいないと。ゾーさんやあのシドーでさえも、喜びをもたらすための何かを求めて、その結果として他人に悲しみや憎しみを与えてしまっているのだと。最後にゾーさんと対峙した時、そして初めてシドーと会ったあの時、なぜかそんな風に思えた。だからといって、あの人達がしたことを、していることを許せるわけではないけれど……
「わたし達は喜んで、悲しんで、怒って、楽しむ。だから人なの。世界は、わたし達が人であるためにそれらを与えてくれる。だから悲しみだけとか、憎しみだけとか、きっと喜びだけでも駄目なの。わたし達は人であるために全てを受け入れなくちゃいけないの」
例え辛くても、わたしは――わたし達は現実を、世界を受け入れて、生きなくちゃいけない。
う〜ん、なんていうか……
「人って大変だよね、あはは」
適当に笑って言うと、マッツンは苦笑して、
「人が全てを受容しなければいけないというなら、受け入れがたい現実を受け入れたくないなら人でなくなるしかない、か……」
と言った。
あらら、そうこられるとどうにも困っちゃうな。
そんな風に思ったけど、マッツンはその考え方を一笑して否定した。
「まあ、そんなわけにもいかんか。ヒミコ様の一件は信じたくないし、忘れてしまいたいというのが本音だが――」
そう言ってから、マッツンは窓の近くに歩いて行って、眼下にある何かを見詰めた。
「あの子はヒミコ様が好きだった。あの方のように、毅然とした態度の立派な女性になりたいと、瞳を輝かせて語っていた。だから……共にいさせてあげようと、そう思う」
微笑みを浮かべながらも悲しそうに呟いた彼は、確かに人だった。
ただ、わたしにはマッツンが何を見て何を言っているのかさっぱり分からなかった。誰と誰を共にいさせてあげようって言ってるんだか、まったく分からない。
「おっと。すまない。つい愚痴のようになってしまった。メルちゃんだったか? 君みたいなお嬢ちゃんに慰められるとは、いやはやいい歳をして恥ずかしいな。これでは立場が逆だ」
そこで一転、明るい声を出したマッツン。
な〜んか、微妙に失礼なこと言ってない? まあ、さっきの思いつくままに言った言葉が慰めになったのなら何よりだけどさ。
「ところで、マツナさん。ジパングに戻りたいと思いますか? 送ることはできますけど……」
こう訊いたのは、控えめな感じのケイティ。手を前で組んで、少し遠慮がちにしている。
それに対し、マッツンの反応は意外――わたしにとっては意外なものだった。
「いや。元々そういう気はなかったが、ヒミコ様の話を聞いたらますますその気はなくなった。俺達が戻りたい故郷はもうない。空間は越えられても、時間は越えられない」
「そうですか」
マッツンの言葉に、ケイティは弱弱しく笑って納得した。けど、わたしは納得できない――と言いたいところなんだけど、なんとなく、理屈もなにもわからないけど、ただなんとなくという理由で納得できるような気がした。それは、これまでのマッツンの様子から得た直感なんだろうけど、わたしはそれを説明できない。
と、そこでマッツンは、こちらを見ていた瞳を窓の外に向ける。
「さて…… そろそろ妻も帰ってくる頃だろう。世話になった礼に、夕飯くらいはご馳走させてくれないかな? 俺が言うのもなんだが、妻の料理は旨いよ」
星がきらめく空を仰ぎ見てから、マッツンはそんなことを言った。
ご馳走してくれるっていうんなら、そりゃ〜遠慮なく――
「いえ。せっかくですけど、宿に仲間を待たせているんですよ。申し訳ないですが……」
って! アランさん!?
「そうか。そいつは残念だな」
うわ。マッツンも納得しちゃったし。ちょっと〜!
「アランさん! せっかくなんだし――」
「お前なあ。考えてもみろ?」
小声で話しかけると、アランさんは呆れたような瞳をこちらに向けて、人差し指をこちらに突きつけて言った。
「ケイティとお前が満足する量をご馳走してもらったら、この道具屋が今日で潰れちまうぞ!」
…………
そんなことないよ! と抗議したいところだったけど、実際にそうなる様がありありと目に浮かぶ。確かにここは遠慮したほうがいいかも〜。
「では、そういうわけですので、そろそろおいとま――」
わたしが特に反論しないでいると、アランさんはマッツンの方を向いて別れの挨拶を紡ごうとした。しかし――
「ああっ! そいつはもしやっ!」
「は?」
突然マッツンが大きな声を上げたので、アランさんが訝しげに間の抜けた声を出した。
マッツンはアランさんの腰の辺りを指差して興奮気味に声を大にする。
「それはもしかして、天叢雲の剣じゃないか!?」
アメノムラクモノツルギ…… 何だか聞き覚えがある感じがするけど、アランさんが持ってる剣はクサナギノツルギじゃなかったっけ?
「天叢雲―― ああ、そういえば昔はそう呼ばれていたと聞いた気もしますが…… 現在は草薙の剣という名なそうですよ?」
そ〜なんだっけか? アランさん、よく覚えてるな〜。
「やはりか! 家に伝わる古文書に描かれていた通りの形状だ! 俺の祖先である天目一箇神(あまのまひとつのかみ)が、精霊神ルビス様から頼まれて打ったらしく、文献には『鋭く沿う刀身、我の作りし物の中にて最上の輝きを放つもの也。其の銘、天叢雲剣とす』と書かれていて、また後世になって――」
……うわ。何マニアに分類すればいいのかよくわかんないけど、とにかくマニアがいる。ていうか、アマノマヒトツノカミって舌噛みそうな名前だな〜。
「天目一箇神!」
そこで、マッツンとは別のところから興奮気味の叫びが上がった。その元は――
「……どうかしましたか? お父様?」
驚いたようにキーちゃんに声をかけるアリシアさん。
そう。さっきの叫びはキーちゃんが上げたものだった。
「マツナさん! 貴方は天目一箇神の末裔だと言うのですか!?」
キーちゃんはアリシアさんの呼びかけを無視してマッツンに詰め寄る。
「ああ。知ってるのか、ご先祖様のこと」
「勿論ですよ! 私も、剣を打つわけではありませんが、道具や武具、防具を加工する者。様々な名剣を世に出した天目一箇神は尊敬する人物の一人です!」
「本当かい!? そりゃあ、嬉しいねぇ! どうだい、キースさん? あんただけでも残らないか? それほど有名な得物じゃないが、ご先祖様が打ったっていう剣が何本かあるんだ。それを肴に一杯」
「いいですね! 是非!」
……うわ。マニアがいるパ〜トツ〜だ。てか、剣を眺めながらお酒を飲んでる光景はかなり危なくない?
「……え〜と、では私達は戻ってますね、お父様」
「え? ああ、アリシア。わかったよ」
苦笑して声をかけたアリシアさんに、さっそくマッツンと語り合っていたキーちゃんは気もそぞろに返事をした。
そこで、マッツンは何かに気づいたように立ち上がり、道具屋の入り口である扉に『本日閉店』の札を出した。店まで閉めちゃったよ、このマニア。
ま、いいけどね。人それぞれなんだし。そもそも、誰に迷惑掛けるでもなし。
そんなことを考えながら、階段がある方向へと歩き出す。アランさんは気を使って、アメノムラクモノツルギを二人に渡してきたみたいで、ちょっと遅れてきた。そのアランさんを待って、キーちゃん以外の四人揃って階段を下りる。
その下りる途中にある窓から外が見えて、そこから見える月と星に照らされた建物の裏手には、地面に木の棒を突きたてただけのお墓みたいなものがあった。その『お墓』は、位置的にもマッツンが窓から見下ろしていた箇所なのだと思う。
それを知ったとき、鈍い鈍いと言われているわたしにも、マッツンがどんな悲しみを持って、何を憎んでいたのか分かった気がした。
あの子と言うのが誰なのか……
誰と誰を共にいさせてあげようと言っていたのか……
きっと、あの『お墓』の横には、近いうちにもう一人眠ることになるんだろう。ある一つの国を心のそこから愛していた女の人が……
マイラは森に囲まれていて隠れ里のようになっていた。更に言うと、村の北方には険しい山脈が、西方には北方のものよりは緩やかではあるが山々が連なり、道はあっても上るのに苦労する。マイラへはルーラへ来たためそのようなことは村を出るまで気づかなかった。
だから、アホ兄貴の戯言にもしぶしぶ頷いたのだけれど…… 先に述べたようなことがわかり、目的の塔が村から西方の位置にある島に聳えていること、そして、そこへ渡るには北方の山脈を大きく避けて森を北へと抜け、船に乗らなければいけないことなどを知り、さすがに抗議したいところだ。
「ちょっと! 巡礼ツアーに参加して送ってもらった方がどう考えても楽じゃない!」
マイラでは、塔へと巡礼にやってくる人向けに、ルーラで塔まで送って報酬を貰う人達がいる。巡礼ツアーというのはその人達が組んでいるものだ。ちょっと値段が張るようではあるが、闘技大会の賞金があれば何の問題もなく払えるはずだ。しかし――
「うるせぇよ、クソ女! 金がねぇんだ! 仕方ねぇだろ!!」
などということをアホ兄貴は言いやがった。
その内容は奇妙と言う以外に評する言葉が見つからないようなもの。ていうかこいつ、歩いて行こうって言い出した時は、その方が楽しそうとかほざいてたくせに、いきなり金がないとか言い出すのはどういう了見だ!
「お金ないはずないじゃない! 闘技大会の賞金が腐るほどあったでしょ!」
「あんなもん、もう綺麗さっぱりなくなってらぁ!!」
「はあ!?」
本気で意味わかんない! 何だ、このアホは!
「あ〜、ケイティ? 実はね。あんたらが道具屋行ってる間に、ちょっとした出費があって――」
と、これはアマンダ。
「出費ったって限界があるでしょ! どうやったら二十万強も数時間で使えるのよ!」
「ん〜。まあ、大胆な破壊行動をちょびっとするだけで、そのくらいは綺麗さっぱり」
「は?」
アマンダの言葉に間の抜けた声を上げて、それから私はすっかり事情を飲み込んでしまった。私達が宿に戻った時に目にした光景は、こいつらが原因だったわけだ。すなわち――
「では、武器屋さんが壊れていたのはアマンダ様とジェイさんのせいだったのですか?」
アリシアさんの言葉通りなのだろう。
宿の直ぐ近所には武器屋があるのだけれど、私達が道具屋から帰ってきた時そこの窓ガラスは派手に割れ、壁に大穴が開き、とてもまともに営業できるような様子ではなかった。そして、その破壊を為したのであろうこいつらは弁償代を払わされたということか。それならば、二十万以上もあった財布が軽くなるのも頷ける。
「アホかっ! 何やってんのよ! クソ兄貴!!」
「うるせぇ! アマンダとの戦いに熱中してたら、つい力が入っちまったんだよ!!」
「それにしたって、壁に大穴開けるなんてどんな馬鹿力よ!」
「アホとか馬鹿とかうるせぇんだよ! 仕舞いにゃしばくぞ、ボケ!!」
「ああ〜、やれるもんならやって貰おうじゃないのよ! 返り討ちにしたるわ!!」
すちゃ!
そこで、私とアホ兄貴、双方が武器を構える。
「ま、待って下さい! 御二人とも! あ、ほら、魔物が来ましたよ。仲間割れしている場合じゃありませんよ!」
しかし、アリシアさんに止められ、更に魔物が襲ってきたことで、私はその魔物に向き直ってナイフを構える。アホもしぶしぶって感じだけど、剣を収めた――って何で収める!?
「ちょい待て、アホ兄貴! 戦えや!!」
「うるせぇ! 手前ぇだけでやれ! 俺はさぼる」
そう言って、本当に後ろに引っ込んで木の根元に座り込むアホ。そうなってくると、エミリアも隣に座って休憩モードに入る。あ、あいつらは……
「フバーハ!」
アホどもを見ていたせいで、魔物の凍てつく息の攻撃に反応できなかった私。アリシアさんの魔法は、そんな私を護るためのものだった。勢いを殺された魔物の息は、私を凍えさせることもなく霧散したようだ。
「すみません、アリシアさん!」
「いいえ。それよりも、アマンダ様も戦う気がないようですし、私達だけでもまじめにやらないと――」
アリシアさんの言葉を受けて、今度は魔物達の動向にも気をつけながらアマンダに瞳を向ける。
あの女……アホ兄貴同様、地面にどっかり腰を落としてだらだらしてやがる。
そしてキースさんが、そんなアマンダの肩を揉みながら、簡単な魔法を使って向かい来る攻撃だけを防いでいた。
四名ほど戦闘する気全くなし!
これだと、元々私と一緒に旅してた人達しか戦ってないことになるわね。向こうのパーティの唯一の常識人っぽいバーニィは、相当苦労していたんだろうなぁ。
そんなことを考えながら、骨しかないくせに息攻撃をどこから出しているんだろうという疑問を抱かせるような魔物に、
「バギマ!」
風の刃を向ける。
骨ってことで、イメージ的には炎が効きそうだけど、森の中で炎を放るのは少し不安だ。
さて、風の刃は魔物の骨の幾つかを切断したが、魔物はそれだけでは完全に沈黙しない。
しかし、そこに息をつかせる間もなくアランさんが切り込んだ。こちらの剣には、炎の魔法メラ系の効果が付加されているようだった。彼の魔法剣なら、気をつけさえすれば森を燃やしてしまうこともないだろう。
その剣で斬られた骨の魔物は、動くための主要な骨を失ったようで地面に伏した。これで一体!
「次は――」
少し離れたところに同じ骨の魔物が三、四体いるけど、その辺りにはメルがいるし、彼女に任せていいだろう。実際、放出系の気功で一体、二体と吹き飛ばしているのが見える。
とすると、私が相手をするべきと思われるのは……
「はっ!」
右手に持ったナイフを投げると、ハゲていて耳の尖っているよくわからない生物は、手にしている鞭で私のナイフを弾いた。つるっぱげのエルフかも、とか思ったけど、凶悪な面構えを見る限り、その考えは否定しておきたい。エルフといえば、美形で魔力が高くてひ弱で非好戦的なイメージである。とてもではないが、今目の前で目つき鋭く鞭を振るっているやつがそうとは思えない。
「ヒャダルコ!」
氷結魔法でエルフもどきの足元を凍らせると、アランさんが剣に炎の魔法を付加させたままで詰め寄った。よし、これで更に一体――
「きぎゃあぁぁあ!」
他の魔物に目を向けようとした時、今にも斬られようとしていたエルフもどきが奇声を発した。断末魔の悲鳴かとも思ったけど、どうやら違う。エルフもどきからは真っ赤な炎が発せられ、小さな炎が彼の足元に――こちらは足元の氷を溶かすためと思われる――、特大の炎が近寄って行っていたアランさんに――こちらは当然攻撃のためだろう――向かった。
あ、危な――
「はあぁあ!」
焦って思わずアランさんの元へ向かおうとしたその時、アランさんが気合一発叫びつつ、剣をエルフもどきが放った炎に向ける。すると炎はアランさんの剣に集約されていき、しばらくするとアランさんの剣の炎が一層輝きを増した。そしてそのまま、エルフもどきを一刀両断。
ありゃ、アランさん、敵が使った魔法も剣で吸収できるんだ…… いつの間にか成長しちゃって。
いやまあ、そんな風にアランさんの成長振りに感心してる場合じゃなくって――
「ヒャダイン!」
私の左手に更にもう一体いたエルフもどきが放った炎を、上位氷結魔法で相殺する。
たくっ! こっちが気を使って炎系の魔法を避けてるっていうのに、森に住んでるあんたらが考えなしに炎ぶっ放さないでよね! こんな脳タリンな魔物がいて、よく森が火事にならなかったもんよね、今まで。
というわけで、森が火事になる危険性を無くすために、ここはまずエルフもどきを片付ける必要がありそうね。まずはさっき炎を相殺した相手を――
「……ライディン!」
どがあぁぁああぁあ!!
雷光がエルフもどきを貫く。黒焦げになって倒れるエルフもどき。
よし! それほど集中しなくても使えるようになってきたわね、これも。
この魔法なら、木に直接ぶつけたりしなければ、森を焼くなんていうことにはならないだろうし。エルフもどきを倒すのに威力も申し分ないのが今のでわかった。
強力な魔法は、ヒャド系だと広範囲に影響を及ぼしちゃうから、アランさんやメルの運動能力を削ぎそうで心配だし、ギラ系だとメラ系と同じで火気が森に影響を及ぼしそうで不安。バギ系は木を無差別に切り倒すなんていうことをしちゃいそうだし、イオ系はこんな森の中で使うには誤爆が怖い。というわけで、ライディンをピンポイントで当てるのが威力も充分で、一番心配のない選択肢じゃないかと思う。
だから――
「ライディン!」
どがあぁぁああぁあ!!
エルフもどき二体目を撃破っと。次は――
がしっ。
「うわっととと!」
他のエルフもどきを探そうと歩き出した時、突然誰かに足を引っ張られた。
アホ兄貴か!? 木の根につまずいた感じではないし、そうとしか思えないわよ! 明らかに人の手で掴まれた感触だったし!
そんな風にむかつきつつ足元に目を向けると、そこには確かに手があった。というか、手『だけ』があった。
「うわ、きもっ!」
思わずそう叫んでから、後ずさる。ま、足を掴まれてるわけだから、後ずさっても『手』も付いてくるんだけどね。
しっかし、何の怪談よ、これは。まあ、幽霊とかみたいに怖いわけじゃなく、さっきも叫んだとおりにきもいだけだけど……
「おりゃっ!」
思わずぼけっと『手』を見ていると、拳に風の魔法を付加させたレイルが、私の足をつかんでいる『手』を殴りつけた。風の刃の威力も備えている彼の拳は、『手』を切り刻みつつ吹き飛ばした。
そしてこちらを見やり、一言。
「大丈夫かい? ケイティちゃん」
「うん。ありがと、レイル」
それまで真面目な顔をしていたレイルは、私がお礼を言うといつもの崩れた顔になって、次のように叫んだ。
「なあに! 愛するケイティちゃんのため、俺が助けに入るのは当然の成り行きってやつさ!」
うーん…… 何でこうウザいテンションになるのやら。さっきの真面目な顔のまんまならカッコいいと言えなくもないのに。
ま、そんなことはどうでもいいか。レイルとハサミは使いようっていうし――
「よし、レイル! 君には『手』を屠る専属人の称号を与える! というわけで、皆が足を掴まれて転ばないように、『手』を一生懸命倒すように!」
「了解! 任しとけ!」
私の言葉を受け、レイルは一度敬礼してから地味に足元の『手』達を倒しに行った。目を凝らしてみると、落ち葉に紛れて結構な数の『手』がいることがわかる。これは、『手』を倒す係は結構重要かもね。ざっと見た感じ十数匹くらいはいるみたいだし、これを放っといたら皆こけまくりだよ。
ま、その『手』撃破係も決まったわけだし、私は後三体くらいいるエルフもどきを倒しましょう。骨の魔物は、メルが相手しているのとアランさんが相手しているので終わりみたいだし。
「ライディン!」
どがあぁぁああぁあ!!
三度目の雷光で三体目のエルフもどきを倒す。
と、そこで他のエルフもどき二体は、このままだと私に葬られると気づいたようで、同時に炎の魔法をこちらに向けて放る。
さて、これをさっきと同じヒャダインで相殺できるとも思えず、マホカンタではね返したら森が火事になるのは目に見えてる。マジックキャンセルで消せるほど威力が低い感じではないし、属性別に特化したマジックキャンセルは私が使えない。というわけで――
「……マヒャド!」
更に上位の氷結魔法を使えば問題なし、と。
私が生み出した冷気は、エルフもどきが生み出した炎を消し去ることに見事成功した。
さすがに最高位の氷結魔法を使うには集中が必要だったけど、それもまた短時間で済んだ。何だかレベルアップしてる感じ!
その後続けてライディンを一発放ち、それでエルフもどきの一体を倒す。それとほぼ同時に、もう一体のエルフもどきに詰め寄っていたアランさんが、炎の宿った剣でエルフもどきを袈裟懸けに斬った。それを受けたエルフもどきが断末魔の悲鳴を上げて絶命する。ざっと見た感じ、見分けやすい『骨』もエルフもどきもいないので、後は『手』だけだけど……
「これでラストだ!」
その時、レイルがそう言いながら、足元の『手』を蹴り上げた。彼の足にはイオ系が付加させられていたらしく、蹴り上げた『手』は爆発し四散した。
へえ、手だけじゃなくて足にも付加できるんだ。
というか、あれでラストということは――無事戦闘終了だね。
もっとも完全に無事というわけではなく、アランさんは炎を完全に吸収し損ねていたみたいで火傷を負っていたし、メルはエルフもどきの鞭を受けて頬に裂傷を作っていた。それからちょっと程度は低いけど、私は『手』に足を掴まれた時に右足がちょっと捻挫気味になっていた。
というわけで、皆でアリシアさんの回復魔法にお世話になることに。戦闘中も防護魔法のフバーハとか、あと人体強化魔法のスカラ、バイキルト、ピオリムとかをかけて貰ってたし、いつものことながらアリシアさんにはお世話になりまくりだ。
「ベホマラー。……ふぅ。まだ痛む方は?」
周りにいる人間の治癒能力をある程度高める魔法を使ってから、アリシアさんはそう訊いた。私の軽い捻挫は当然完治し、他の面々の傷も問題なく治ったらしい。全員が怪我をしていた箇所を適当に動かし、具合を確かめてから大丈夫と返した。
さてと…… じゃあ、先に進もうか。アホ兄貴にまだまだ文句言いたいところではあるけど、事実お金がなくなってしまったのなら徒歩で向かわなければいけないのは明らかなわけだし、あんなのの相手をしてても疲れるだけ――
「けっ。あの程度の魔物にこんなに時間かけやがって、のろ間だな。特に寝癖の酷い女が! 十秒で片付けるくらいの実力がなけりゃ、俺の下僕は務まらねぇっての」
ぶち。
「あんたを十秒で片付けたらあぁあ!! ライデ――」
「お、落ち着け、ケイティ!」
闇を切り裂く光の凶器で消し炭にしてやろうとしたら、さすがにアランさんに止められてしまった。ちっ……
彼が生まれてから数日。まさかその数日で、私達の全てが敵わなくなる程成長されるとは夢にも思わなかった。記憶を多少は受け継ぐとは聞くが、それにしても生まれて数日の幼子に、純血のエルフやドワーフ、中位精霊までもが手も足も出なくなるとは……
そもそも、生後数日で人で言うところの十代前半まで成長されることも知識として知ってはいたが、実際に目の当たりにした今となっては驚きを禁じ得ない。そして、彼はそれに伴い声帯なども成長したため、更に言えば、先に述べた通り、以前の真祖様の記憶も多少なりとも受け継いでいるため、言語を扱うのに何の遜色もない。
というわけで、生後数日である彼が話すという事実も、何ら不思議のないことなのである。
「モル! 見つけたぞ! 付いて来い!」
そう言って飛び立つ茶髪碧眼の少年。
これが少年だから、乱暴で失礼な言葉遣いもギリギリ許せるが、もしもカイゼル髭を生やした威張り腐った中年だったら、今頃蹴り飛ばしたくなっているところである。
まあそんなことはいい。彼に遅れないように、早々にルーラを応用した飛翔魔法を使う。
ふわりと体が浮かび上がった。
「了解しました。……ご兄弟に早くお会いになれるとよいですね」
「ああ!」
嬉しそうに笑うその顔も、私が彼を憎めない一つの要因なのだろう。
彼の後に続いて飛びながら、そんなことを思った。
「お一人様百ゴールドになります」
笑顔でそう対応した女性に九百ゴールドを渡す。
俺達の今の全財産は今渡した分を差し引いて千百ゴールド(端数切捨て)。昨日の宿代が確か、二部屋で二百ゴールドぽっちだったはずだから、武器屋を壊した弁償代は闘技大会で手に入れた分のほとんど全てだったと言える。そこで、ぎりぎりで弁償できてよかったと思うか、ぎりぎりまで取られて最悪だと思うかによって、性格的に前向きか後ろ向きかの判定が出来るなぁ、なんてことを考えている俺は前向き――なわけではなくて、ちょっと現実逃避したくなっただけである。
長い森を四、五時間ほどかけて抜け、その抜けた直ぐ近くにあった港にやってきたのがついさっき。食べ物屋もなく、珍しい感じの土産物屋などもないことから、別段苦労することもなく搭乗手続きをすることになった。もっとも、手続きといっても金を払って券を貰うだけで、後は出航の鐘が鳴ったら集まればいいらしい。勿論、出航まで船内にいてもいいとのことだ。
手続きの場所に来るまで、誰も寄り道をしようとしないくらいに特別見るところがない、本当に船に乗るためだけの港といった風なので、外にいても仕方がないだろう、と全員船に乗って待つことにした。これなら乗り遅れる心配もなくなるし。
そして、乗客全員が入ることになるはずの客室に行ってみると、案の定といったら失礼になるだろうが、俺ら以外の客はいなかった。出航まで外で観光している可能性は低いだろうから、甲板辺りで風に当たっている人がいるのかもしれないが、その可能性も大分低いのではないかと思う。
というのも、ここへ来る人は大抵マイラに立ち寄るという。加えてそこでは、巡礼ツアーの宣伝が盛んであるため必ず目にする。そのツアー、一人五百ゴールドという高値ではあるが、森で強力な魔物を相手にするくらいならそっちに、というのが普通の考え方なのは自明だ。俺らだって、金さえあればそっちに流れていたのは間違いない。ならばここがどの程度栄えているかなんて、それほど考えなくたって分かるってもんだ。
ここに来るのは俺らみたいに金が払えないか、もしくは金をケチりたいか、それとも魔物を相手にすることに生きがいを感じているか、そうでなければ相当な変わり者か、そんな人達だろう。
「こんなとこいても暇だし、甲板にでも出ようぜ、エミリア」
「うん」
そこで、金がなくなった原因その一であるジェイが、エミリアを誘って客室から出て行った。その出て行った直ぐ後に、メルもアリシアを誘って甲板に向かった。ジェイ達と一緒に行けばよさそうなもんだが、何でわざわざちょっと遅れて行くんだ? ま、いいけど。
……よし。俺もケイティを誘って甲板――はまずいか。ジェイが行った場所に誘っても来ないだろうし…… だけど、他に誘うような場所がないな。う〜ん。
と、悩んでいると、当のケイティが出て行ったばかりのジェイのことを愚痴りだした。
「まったく…… 一気にあんな大金使っちゃって、これからご飯が豪華になるって期待してたのに、相当切り詰めるか、働いて稼ぐかしなくちゃいけなくなったじゃない。乗船代だって払えたからよかったものの、ここまで来て払えなかったらどうするつもりだったのやら。あ〜、もう! むかついてきた、バカ兄貴が!」
やれやれ…… まあ、今回ばかりは怒るのも分かるけどな。
とはいえ、ジェイだってわざとって訳ではないのだし、ここは少し落ち着かせて――
「まあまあ、ちょっと落ち着きなさいな、ケイティ」
俺が声をかけようとしたその時、金がなくなった原因その二がケイティに声をかけた。ま、こいつにならケイティも当り散らしはしないだろうが、それにしたってよくこのタイミングで話しかけられたもんだ。
「あのね、お金なくなった原因はアマンダにもあるのよ。そういうこと言えた立場?」
と、ケイティ。もっともな意見だな。
「まあ、そりゃそうなんだけどね。ただここの代金については、ジェイもあたしも足りることは分かってたわよ」
『え?』
示し合わせたように声が揃った。ただし、これは俺とレイルとキースの三人。ケイティは含まれていない。
「弁償させられた直後に、巡礼ツアーの代金とここの船賃と、両方の金額を聞き込んで、その上でこっちまで歩いて行こうって決めたのよ。さすがのジェイも、そんくらいの確認作業はするわよ」
その事実は意外――とも言えないか。ジェイの普段の言動などを見ているとつい忘れるが、あいつはあれで結構慎重だし色々考えて行動している。だから歩きでここまで来ると決める際に、アマンダが言ったくらいの確認をしないはずもないのだ。
それは、彼女は不本意だろうがケイティも承知しているところであり、先ほどアマンダの言葉に声を漏らさなかった辺り、俺とは違って、ジェイのそういう性質をしっかりと認識しつつ文句を言っていたのだろう。
そのようにジェイのことをしっかり理解している自分に腹が立つからだろうか、ケイティはやや不機嫌そうだった。そして――
「だからってあの男が馬鹿でないかと言ったらそんなことはないわ! あいつはキングオブ馬鹿の称号とキングオブクズの称号を併せ持った最低野郎なのよ!!」
そんなことを叫んだ。
なんというか、毎度のことながら素直じゃないというか。まあ、長い間こういう関係を続けているわけだから、そうそう素直になれるものでもないのだろうけど、二人がもう少し大人になればこの関係も改善されるのだろうか? こんな風に文句を言いながらも、合流してから今まで一緒に旅をしてきているんだから、そういう意味では、二人ともちょっとは大人になってるのかもしれないが……
かんかんかんかんっ!
そんなことを考えていたら甲高い鐘の音が響き渡った。出航する時の合図の鐘だろう。先ほど説明を受けた際には、鐘がなってから十分後に出航するとのことだったし、後ちょっとで一時間程度の船旅に出発か。
船が出港してから三十分ほど。私はメルちゃんと一緒に、なぜか隠れてジェイさんとエミリアさんのことを見ていた。何故そんな行動を取っているのか。それはメルちゃんに訊いて欲しい――というか、私が訊きたい。というわけで、
「あの、メルちゃん? どうしてこんな覗きのようなことを?」
「二人っきりにしてこっそり見てれば、あの二人ならちゅ〜くらいするかな〜って思って」
実際、覗きだったんだ…… というか、それを見てどうしようというんだろう。
「その場を目撃したとしてどうするんです?」
気になったので訊いてみた。
「その瞬間に出て行ってからかうんです! エミりゃんが赤くなるところ見てみたいし〜♪」
そんな応えが返ってきた。なんというか、そこでからかうという選択肢が出る辺り、本人に言えば怒るだろうけど幼い…… というか、そんなことをすればエミリアさんは違う意味で赤くなって、メルちゃんに激しい攻撃を浴びせることだろう。
メルちゃんは時々びっくりするくらい鋭かったり、考えがしっかりしていたりするのに、大抵の場合はこんな風に鈍かったり行動が奇妙だったりするから、なんとも不思議な子だ。不安定とでも評せばいいのか……
そんなことを考えながら、私はジェイさん達から視線を外して、水平線に目を向ける。その方向は西方――進行方向であり、そちらにはそれほど大きくない島とそこに聳え立つ塔が小さく見えた。あれが目的地であるルビスの塔だろう。煌々と輝く大きな丸い月に照らされたそれは、精霊神と呼ばれるルビス様を祀っているという事実を知っているせいもあるだろうが、神々しく見えた。
あそこに光の鎧という、お父様が求めている金属――オリハルコンを元にして作られた防具があるんだ。可能性は低いだろうけれど、それを譲り受け加工することができれば、いよいよシドーの元に……
「あれ〜?」
その時、メルちゃんが間延びした声を上げながら南西方向を指差した。
「あの飛んでるのってなんでしょ〜か? 鳥にも見えないし」
そちらに瞳を向けると、そこには人型の何かが飛んでいた。それが人だと仮定して、人数は二人。ルーラでルビスの塔へと向かっている人かとも思ったけれど、ルーラにしては速度が遅い。
などということを考えている間に、その人型はこちらに近寄ってきて――
すたっ。
「到着!」
まず甲板に降り立ったのは茶髪碧眼の少年。
その少年に少し遅れてやってきのは――
「少しはこちらに合わせてください、ドルーガ様。貴方の速さについていくのは大変なんですから」
見覚えのある女性だった。というか、彼女の言葉を信じるのなら少年は――
「モルさん! もしかしてその方は」
駆け寄って声をかけると、
「あら、アリシア様」
柔らかい笑みでそう応えるモルさん。お婆様――ではなく、ドルちゃんのお世話をしていた純血のエルフさんだ。
「ご紹介します。こちらは五日ほど前にお生まれになられた新たなる真祖様、ドルーガ様です」
「おお、こいつがアリシアか!」
どごっ!
モルさんに続いて発言したドルーガさん。しかし、直ぐにモルさんに頭を殴られて黙り込む。
「ドルーガ様。年上の女性を呼び捨てにするものではありません」
「いいじゃん! こいつは俺様の姪なんだろ!?」
どごっ!
再び振り落とされた拳。
「こいつなどと呼ぶのもいけません。それから、いくら姪御さんでも年上の方は尊重してください」
「く〜〜〜っ。じゃあお前は? ずっとモルって呼び捨てにしてるぜ!」
「あら、私はいいんですよ。貴方にお仕えしているんですから、寧ろ呼び捨てにして頂かないと他への示しがつきません」
モルさんがそう言うと、ドルーガさんは少々不満げながらも、そうか、と呟いて納得したようだった。
生まれたばかりであるからか、色々と一般常識との隔たりがあるようだ。そして、それを修正する素直さも未だ有しているらしい。素直で可愛らしいと評するのは、一応は叔父――お父様のお母様であるドルちゃんが産み落とされた方なのだし、叔父ということになるのだろう――に当たる方に対して失礼だろうか?
「でも、呼び捨てに出来ないのなら、俺様は何て呼べばいいんだ?」
「アリシアお姉様というのはどうでしょう?」
ドルーガさんのもっともな疑問に、モルさんはそのように答えた。
しかし、その呼び方は私が遠慮させてもらいたい。さすがに『お姉様』などと呼ばれるのはこそばゆい。
「あの、モルさん…… それは私が嫌です」
「あら、そうですか? では、普通にお姉ちゃんとか姉さんとか」
それなら――
「そんなの俺様がやだ。なんかシスコン野郎みたいじゃん」
生まれて五日の少年が、シスコンなどという単語を使うのもどうなのだろう、という疑問が浮かぶが、真祖様は以前の真祖様の記憶を多少なりとも継ぐと聞いたことがあるし、それゆえなのだろう。
そして、ドルーガさんは更に続ける。
「アリ姉とかならどうだ? 呼び捨てじゃないぞ」
アリ姉か…… まあ悪くはないな。
「私はそれで構いませんよ、ドルーガさん」
「母様のことはドルちゃんって呼んでたんだろ? 俺様はドルくんでいいよ」
そう言って人懐っこい笑みを浮かべるドルーガさん改めドルくん。何というか、生まれたばかりだからなのか、何とも可愛らしい感じの子だ。思わず抱きしめたくなる。
「ではドルくん。宜しくお願いします」
しかし、そこは握手を求めるだけに留めておく。いくらなんでも、初対面の少年に抱きつくわけにもいかないだろう。
「ああ、宜しく! それで? そっちがキース兄か?」
私の手を握り返しながら、ドルくんはメルちゃんを指差してそんなことを言った。
……どうやったら、メルちゃんを見てお父様――というか男の人だと思えるのだろう? そこも生まれたばかりということで許容する範囲なのだろうか? いや、それにしても、シスコンという単語の記憶を受け継いでおいて、男女の区別という一般常識以前のことができないというのも……
「ドルーガ様。そちらは女性です。キース様は男性ですよ?」
「ん? そか。いまいち、男と女の差ってのがよく分からないんだよな」
モルさんの忠告を聞いて、ドルくんはそんなことを言った。
ふぅ。何というか…… 受け継ぐ記憶をもう少し選別できればいいのに。
「わたしはメルっていうんだよ。よろしくね、ドルくん」
私がため息を吐きつつ少々考え込んでいると、メルちゃんは元気にそう言ってドルくんに挨拶をした。ドルくんも元気いっぱいに返す。
「おう! 宜しくな、メル姉」
どうやらドルくんの中で、年上の女性には名前の後に『姉』をつけるもの、という常識が出来上がったらしい。まあ、悪いとは言わないが、場合によっては問題があるかもしれない。例えば、一国の女王様なんかをそう呼んだ場合、その地の風習によっては不敬罪で捕まるという可能性も…… これは大分極端な例だけれど。
「う〜ん、すると……」
少々妙な思考を私が働かせていると、ドルくんは視線を巡らしてジェイさん達に目を止める。
ちなみにジェイさん達は、こちらがそれなりにうるさくしていたにもかかわらず、気づかずに――というか、敢えて気にせずに二人の会話に熱中しているようだった。何とも、仲の良いことで……
「あれがキース兄か?」
ドルくんは、ジェイさんともエミリアさんともつかぬ位置を指差してそう訊いた。
「片方は男性ですがキース様ではありません。もう一方はメルさん同様女性です」
と、律儀に説明するモルさん。
ドルくんはふーん、と相槌を打ってから、じゃあキース兄はどこにいるのさ? と私に訊いてきた。
「お父様は船内にいますけど…… 何の用なんですか、ドルくん」
「モルがキース兄は凄い強いって言ってたから、勝負しに来たんだ! 城の奴らはもう相手にならなくてさ!」
そう言ってから、何もない空間に拳を打ち出すドルくん。
びゅっ!
その鋭い突きが、見た目十歳くらいの少年から打ち出されたことに驚く。
しかし、お父様が強い――ドルくんの生まれたお城にいる方々よりも強いというのは初耳だ。あそこには魔力の強い純血のエルフさん――モルさんも含む――や、身体能力の高いドワーフさんがいたはずだ。どちらかといえば、戦闘という面においてはお父様よりも彼らの方が強いはずだけれど。
そんなことを思いながらモルさんに瞳を向けると、その視線に気づいたモルさんは悪戯っぽい笑みを浮かべた。
……どうやら、厄介払い的な措置のようだ。ドルくんの元気のよさから考えて、お城の方々はドルくんを持て余してしまっているのだろう。そこで、外に出してお父様やあわよくばアマンダ様に相手をして貰い、ドルくんには鬱憤晴らしをして貰おうとそういうことか。
そうするとお父様の元へ大人しく案内するのもどうかと…… 少なくとも船上では物騒な揉め事は避けてもらいたいところだし。
「そういうことなら、わたしが相手になってもいいよ〜」
私が躊躇していると、メルちゃんが元気いっぱいに手を上げた。
うん、確かにお父様よりはメルちゃんの方が強い気がする。お父様は全力を出したらどうかは知らないけれど、基本的に戦闘に対して積極性がないためメルちゃんの方が確実に強い。
しかし――
「う〜ん、ちょっと役不足だな」
「ドルーガ様、正確には力不足です。役不足では褒めていますよ」
「そうなのか? 覚えておこう」
ドルくんの言葉を正したモルさんと、やはり素直に頷いたドルくん。
「むっか〜! わたしのどこが力不足なのさ〜!」
そして、怒りの声を上げるメルちゃん。
まあ、怒るのも無理はないだろう。事実がどうなのか私には分からないけれど、それにしても言い方というものがあるだろう。そういう意味では、モルさんも世間とはずれていると言える。
「うまく説明出来ないけど、メル姉は力不足だ。直感で分かる」
そう答えてからドルくんは、ジェイさんの方を指差して、あいつなら遜色なさそうだけどな、と言った。
しかし、失礼ながらそれもまた私には意外以外の何者でもない。ジェイさんが戦っているところは、数回しか見たことがないけれど、メルちゃんの方が鋭い動きをしていたし、気功を使える分威力もメルちゃんの方が上に思える。
「ジェイが〜?」
メルちゃんは訝しげにジェイさんとエミリアさんの方を見る。そして歩み寄り――
「よ〜し、勝負しよ! ジェイ」
「うわ〜。俺の負けだ〜。メルは強いなぁ〜」
…………
話しかけられた瞬間にメルちゃんに対して棒読みのセリフを返したジェイさん。まあ、彼は気が乗らなければ戦いも何もしない気質のようであるし、エミリアさんとおしゃべりしている真っ最中にあのように迫っても適当にあしらわれるのは当然かと…… しかし、メルちゃんがそれで納得するはずもなく――
「うわ。何そのい〜加減な対応! ちゃんと相手してよ〜!」
「うるさいわよ。メル。鬱陶しいからあっち行きなさい」
不満げに声を上げたメルちゃんに、エミリアさんが一切の気遣いなく言い放った。
毎度のことながら凄いカップルである。
「なら俺様と戦ろう」
「竜族の真祖様から直々のご指名とは…… 恐悦至極に存じますよ」
ドルくんが近寄っていって声をかけると、どうやら先ほどまでの私達の話は聞いていたらしいジェイさんが、慇懃にそう言った。しかし、船の縁に寄りかかったまま、海を眺めたままで紡がれた言葉にどれだけの敬意が詰まっていたかといったら、皆無と言っても良いだろう。
「貴方! ジェイさんでしたね!? 何ですか、その態度は!」
さすがにモルさんが反応した。
しかし、ドルくんがそんなモルさんを手で制してジェイさんに詰め寄る。
「その態度も気に入った! さあ、戦ろう!」
「そうしたいところですが、どうやら目的の地に着くようです。申し訳ありませんが、私どもの用事が済んでから、ということでどうでしょう?」
ジェイさんの言うとおり、ルビスの塔が聳える島は直ぐそこであった。直ぐにでも下船する準備を始めた方がいいだろうという距離。かといって、ドルくんがそのような事情に合わせて遠慮するとも思えず――
「嫌だ! 今すぐ勝負しよう!」
「イオラ」
どごおぉぉおおぉん!!
ばしゃああぁあぁあ!!
「ドルーガ様っ!」
イオラの衝撃で船の縁の一部を壊して海へと向けて吹き飛ぶドルくん。そして、その後をモルさんが飛び立って助けに向かう。ルーラを応用した飛翔魔法だろう。
ジェイさんの意見を無視したドルくんに、エミリアさんが近距離から爆発系魔法を躊躇なく放ったのも仕方ないことではあるが、さすがにドルくんが心配だ。竜族の真祖様ともなれば、このくらいではどうということもないとは思うけれど……
「さてさて。あそこの塔に面白いもんはあるかな〜?」
「楽しみね」
あのようなことをして、それでもなお日常の会話を展開させるのだから、このカップルは末恐ろしいものがあると思う……
ルビスの塔。
精霊神ルビスを祀る者達が集うその塔は、闇に覆われてしまっている空を貫くように聳え立っている。予想していたよりも高く、見上げていると首が痛くなってしまう程だ。
それが理由という訳でもないが視線を下に戻してみると、たった今到着した船着場には、宗教関係者らしく見えるローブを身にまとった人達が多数整列していた。ただし、神聖というよりは毒々しいと感じる赤色のローブは、私にいまいちいい印象を与えない。
そんなことを考えていたら、その毒々しい集まりの中から一人がこちらに近寄ってくる。
中年の男性だということは分かるが、細やかな容姿的特徴はフードに隠されて分からない。ただ、他の人達よりいい生地のローブを着ていることから、ここに来ている人達の代表なのだと思う。
それにしても、何なんだろうか。
これは、私達が歓迎されている、という図式なのだろうか。しかし、なぜ? そもそも、そうだとしても向こうはどうして私達が来ることがわかったのか。
そのように疑問は尽きないが、まず相手の話を聞かなくては始まらないか……
「ようこそいらっしゃいました。お待ち致しておりましたぞ」
右手を胸に当て、きっちり四十五度の角度で丁寧に礼をした代表の人。
どうやら、私達を待っていたのは確からしい。それじゃあ――
「どうして、私達が来るのが?」
「神官長様が、貴女様の魔力が近づいて来られているのにお気づきになったのです。さあ、一緒にいらして下さい。詳しいお話は神官長様から……」
そう答えて、塔がある方向に向き直り歩き出す代表さん。そんな彼を避けて、他の人達は左右に分かれる。そして頭を下げて、私達が通るのを待っているみたいだった。
それにしても、さっきのはどういうことだろうか? 代表の人は言った。『神官長様が、貴女様の魔力が近づいて来られているのに気づかれたのです』と。では、その『貴女様』とは? 一般にあなたとは話している相手を指すはずである。とすると――
彼らは、私達ではなく『私』を待っていた?
塔の内部はあっさりしたものだった。まず入って直ぐの広間に、精霊神ルビスらしき像が建てられてはいたがそれ以外は特に飾りっ気もなく、寂しさすら感じた。
まあ、お布施を取りまくって無駄に派手にしろとは言わないけれど、もうちょっとこう…… 宗教関係の場所ですよ、ということを強調するステンドグラスなどの装飾くらいはあってもいいんじゃないだろうか。
まあ、そんな個人的な感想はいいか。
さて、今私達は、塔の内側に沿って上へのびている螺旋階段をひたすらに上っている。その先頭には、先導する代表の人。どれだけ上まで上るのかしらないけど、そろそろ疲れてきちゃったわよ……
「……あの、あとどれくらいで、着きます?」
「あと十分もすれば神官長様のおられる最上階です」
「そ、ですか……」
私が少し息切れしながら訊くと、代表の人は特に言葉を途切れさせるでもなく答えた。
この人たぶん結構な年だと思うんだけど元気だなぁ…… ていうか、やっぱ私って体力ないなぁ……
「なんだ、なんだ! もうバテたのか! だらしないぞ!」
ペースこそ落ちていないものの、呼吸が明らかに荒くなっている私に向けて、ドルーガくんが言った。彼は、いつか会ったアリシアさんのお婆さんが生んだ卵――あれから生まれたらしい竜族の真祖様だっていうんだけど…… なんだかそんなすごい子って感じがしない。なぜかずぶ濡れだし。
「仕方がないですよ。ドルーガ様。そいつは、頭でっかちで逆に馬鹿なんじゃないかという感じの、脳みそしか使っていない人間です。この程度の階段でばててしまうのも当然の成り行き」
私がドルーガくんに応える前に、馬鹿兄貴が満面の笑みでむかつくことをほざく。
よし、一辺殺しとこう、とか思うけど、今は疲れすぎて窓から放り投げたりとかできないし…… くそぉ。
「そうか。じゃあ、お前の背でバテているエミリア姉と、アラン兄に手を引かれているアリ姉も『頭でっかちの馬鹿』なんだな?」
ジェイの説明に納得したように頷いたドルーガくんは、エミリア、アリシアさんと順に指差してそう訊いた。
意地の悪い質問にしか聞こえないが、生まれたばかりでそういう駆け引きができないらしいので、これは純粋にそう思って質問しているんだろう。まあ、そんな事情はともかく、ジェイが困りそうな質問なんで、ドルーガくんグッジョブって感じ!
とか思ったんだけどね……
「この二人は女性として魅力的なのでいいんですよ」
などとクソ兄貴が返すと、ああ、なるほどなぁ、とムカつく反応をしたのでグッジョブは訂正させていただきたい。というか、ジェイ死ね。
しかし、そんな呪いの言葉を浴びせる元気すらなくなってきた……
そうだ、私もアランさんに引っ張ってもらおう。
「アランさ〜ん…… 私も助けて下さ〜い」
「そうしてやりたいところだが、さすがに二人は……」
頼んでみたらそんな風に返された。
むぅ…… やはりアランさんも男の子。私よりも圧倒的に美人なアリシアさんがいいってわけだ。
……なんか、面白くないことだらけだ。
「あ、では私はお父様に――」
知らずのうちに、アランさんとアリシアさんを見ていた視線が鋭くなっていたのか、アリシアさんがそんな風に言ってアランさんから離れた。
あらら。これじゃあ私は二人の仲を裂いた悪者みたいだ。
「いいですよ。アリシアさん…… 私はメルに頼みますから…… というわけで、メル〜」
「あいよ〜! まかせとけ〜!」
すがりついたら、笑顔で元気に応えたメル。
体は小さいけど何とも頼もしい。嫁に行きたくなってくるわ。玉の輿だし。
「男に振られたからって女に走るとは…… 別段反対はしないが、身内にそんなのがいるのはやだから、俺とは絶縁してからにしてくれ」
メルに支えられながら上っていると、アホ兄貴がそんなことを言いやがった。
メルのおかげでちょっとは回復したから、今度は言わせて貰うわよ!
「アホかっ! そんなんじゃないわ、ボケっ! ま、縁を切るのは大歓迎だけど!」
「確かに。じゃ、さっさとお前が家を出ろ」
「あはは、ふざけんな。あんたが出ろ♪」
そんな感じの応酬をしていると、ドルーガくんがモルさんというエルフに瞳を向けて訊いた。
「随分仲が悪いよな?」
そんなこと訊かなくても分かるだろうに、生まれたばかりの赤子が口を利けたら、やっぱりこんな風に無駄に訊きまくるのだろうか?
と、アホな疑問を持った時、訊かれたモルさんが発した答えは聞き捨てならないものだった。
「違います。あれは仲がいいんです」
『はぁ!?』
思わず不機嫌大爆発で言うと、馬鹿兄貴と重なって更にムカつく。
しかし、そんな私達の声は完全に無視し、ドルーガくん達は会話を続ける。
「そうなのか。じゃあ、あれも仲がいいんだな?」
そう言ってドルーガくんが指差した先には――
「アマンダさん、俺も疲れました! 支えてください!」
「疲れたんならここで待ってれば」
元気一杯にアマンダに疲れたと言っているレイルと、それに対してやる気まるでなしで返しているアマンダがいた。
「あれは仲がいい悪い以前に、相手にされていないというんですよ」
「そうなのか…… むぅ、難しいな」
「じき慣れますよ。それより、私も疲れてきました……」
眉根を寄せて難しい顔をしたドルーガくんに、笑顔のモルさんがそう言った。すると、ドルーガくんは直ぐに表情を一変させて元気一杯に、
「なんだ、だらしがないな! よし、俺様の手に掴まっていいぞ!」
そう言って手を差し出した。
「有難う御座います」
それに対し、笑顔で手を取るモルさん。
う〜ん…… 相手は生まれて一週間と経ってない少年――というかそれ以前の子なのだし、モルさんってもしかして、というのはさすがに邪推だろう。まあでも、どんな考えを持ってドルーガくんの手を取ったのかはともかく、結構要領がよさそうな印象は受けるわね。
「よくぞいらっしゃいました。儂がここの責任者のコルネリウスです。まさか我らが神のみならず、儂と血を同じくする方々まで…… 嬉しく思いますぞ」
そう言ってケイティ姉、俺様、キース兄、アリ姉の順で見る爺さん。
ああ、なるほど。こいつ竜族の末だ。雰囲気で分かる。もっとも、竜族の血は薄そうだけどな。見た目が随分年寄りだけど、せいぜい五百歳を超えたくらいか。
その割に魔力に対して敏感ではあるみたいだけど…… ま、そのくらいは誤差の範囲か。
ん? それよりも――
「俺様たちのことはともかく、『我らが神』ってのは何だよ?」
ケイティ姉はちょっと変わったところはあるけど、一応人間だ。
「真祖様。我らが神とは精霊神ルビス様に御座います」
それでか…… 納得だ。
「ああ、なるほど。というか、ドルーガでいいぞ。『様』もいらない」
爺さんは明らかに俺様より年上だし、モルみたいに俺様の下に就いているわけでもない。
「了解です。ドルーガ」
うん。よろしい。
「というか、今の説明のどこで『なるほど』なんです?」
と、これはキース兄。
母様と人間の間の子なんだから竜族の血は相当濃いだろうに、キース兄はどうにも鈍いなぁ。竜族っていえば、精霊よりも魔力感知と魔力操作に長けているはずだぞ。
実際、竜族の末らしい爺さんは遠くからでもケイティ姉のこと分かってたみたいだし。
ま、個人差と言っちまえばそれまでか。
「簡単なことだぜ、キース兄。ケイティ姉の中にゃ、ルビスの精神が入り込んでる。微妙に精霊の魔力を感じるだろ?」
……………………
そこでなぜか長い沈黙。そして――
『は?』
大多数が間の抜けた声を上げた。それに参加しなかったのは、爺さん、モル、俺様、アマンダ姉か。
「いや、そんな…… しかし可能性としては――」
「…………」
「これがそんな大層なもんなわけないだろ」
「そうよ、私がそんな――ってぶっ殺すぞ馬鹿!」
「すっご〜い! ケイティ」
他の奴らはこのように様々な反応をしている。
それぞれ勝手に反応しているから、結構うるさい。そんなに騒ぐことか?
「ほっほっほ。まあ皆様、落ち着きましょう。まずは儂らがこのような塔でルビス様を信仰するようになった契機を聞いて頂きたい」
爺さんがそんな風に言うと、大抵のものは未だ騒いでいたが、アマンダ姉が半ば無理やり黙らせた。ある者に対してはバイオレンスに、ある者に対しては普通に説得して。皆少し不満げではあったけど、しばらくすると黙って腰を下ろす。
そして爺さんが話し出した。
「ルビス様への信仰は数千年か、もしかすると一万年かという歴史があります。しかし、それは体系だったものではありませんでした。それぞれが好きなように信じていた。まあ、マイナーだったのです。現存されている精霊――もう『されていた』ですが、その精霊を信仰する者たちの方が圧倒的に多かったゆえです。しかし、五百年ほど前、儂が物心ついた頃のことです。ルビス様が儂の夢に出てこられた」
五百年前に物心がつくか。とすると、さっきの俺様の予想は正しかったな。爺さんは五百歳を超えたくらい、と。
「あいつと違って母さんは時が経つごとに力を失うはず。なら、五百年前なんていう最近にそんな細工をしたのは――」
後ろでぶつぶつそんなことを言っているのはアマンダ姉。
うん、もっともな意見だな。今ケイティ姉の中にいる段階で今にも消えそうだし、ほんの五百年前にそんなことをできやしないだろう。だからそれをやったのは、たぶんガイアとかって奴。
アレはどういうつもりでそんなことをしたのか。俺様は継いだ記憶でしかアレを知らないが、なぜか納得していた。記憶に基づいた直感とでもいうのか。もっとも、詳しく説明することは、俺様が上手く理解できないせいでできやしないが……
「ルビス様は儂に、魔力を取り戻すための装置を所望されました。儂の夢にお出になられたのも、儂が竜族の血を継いでいたためかもしれませんな。そういう装置を造るのに、竜族は秀でているといいますから」
それは確かだ。母様は面倒臭がりだったようでそういうことはしなかったようだが、キース兄なんかはよく造ってる、らしい。ま、俺様は母様と同じで面倒だからやらね。
「ただ、そのための装置は百年ほどでできたのですが、魔力の補充は一人では限界がある。だから、魔力を集めるためにルビス様を信仰する者達を統合し、祈りという行為をもって魔力を集めることにしたのです。数百年で規模も大きくなり、塔まで出来た。そして信者は二万人ほど。魔力も大分集まりました」
その装置とやらがおそらく、爺さんの後ろに見える扉から行ける部屋にあるんだろう。そっちから不思議な魔力を感じる。う〜ん、あの魔力の感じから考えて効果的に使うとしたら……服とかか? とにかく、身に着けるもんだろうな。
「そして今日、ルビス様が――いえケイティ様がいらした。数百年に渡り集めた魔力が今――」
「あの…… それ私じゃないと思うんですけど。どっちかといえばエミリアとか……」
嬉しそうに言った爺さんを、ケイティ姉が遮った。
なんだかなぁ。まあ、ルビスの精神が中にいるとはいっても、大分弱ってるし、自覚がないのは仕方ないのか? でも、少しくらい影響があってもよさそうなもんだけど。
「間違いじゃないわ。あんたがライディン――雷光を扱えるのが何よりの証拠。あれは精霊に深くかかわりのある者しか使えない」
と、これはアマンダ姉。ああ、やっぱそういう影響があったか。
そんなことを思ってると、それに対して疑問の声が上がった。言ったのはケイティ姉。
「え? でも、アマンダだって使ってなかった? ほら、シドーに向かって」
「言ってなかったっけ? あたしは精霊であるルビスと人間の間に生まれた者。使えて当たり前」
『え!』
再度発せられたアマンダ姉の言葉に、声を上げたのはケイティ姉とアラン兄だけ。そのことに対して、当のケイティ姉とアラン兄が戸惑う。
「何で他の奴らは反応なしなんだ?」
「俺は、さっきアマンダがルビスを『母さん』て呼んでるの聞いたし、そういうこともあるんだなぁと」
「私もよ」
と、ジェイ兄とエミリア姉。
「私とお父様は知ってましたし」
と、アリ姉。
「俺もジェイと同じ理由かな」
とレイル兄。
「わたしはよく分かんなくて〜」
と、メル姉。
ま、ちょっとくらい鋭ければ分かるよな。ケイティ姉とアラン兄は鈍そうだし、仕方ないけど。
「ま、そんなわけで、あんたはなにかしら精霊と縁があるってことになるわけ。それでよく魔力を調べてみると、懐かしいものを感じる。あたしにとって懐かしい精霊といえば、母さんかガイア。片方は明らかに違うから、だったら…… それだけが理由じゃないけど、それであたしはアリアハンに居ついた。そんな感じね」
「じゃあ、アマンダは私がそうだってのは、本当にずっと前から……」
「そういうことね。何かがきっかけで母さんが出てきて、話ができるんじゃないか、なんて女々しいことを考えてもいたわ。ま、そんなことは一切起きなかったけど」
そう言って曖昧に笑うアマンダ姉。
「ごめん……」
それを受けたケイティ姉は、表情を歪めてそう言った。
今までのやり取りで、謝らないといけないような箇所はあったかな?
「どう考えても、あんたが謝ることじゃないわよ。てか、誰も謝る必要なんてないわ。それに――」
そうきっぱり言ったアマンダ姉は、爺さんの方を見て、
「あんたの話が本当なら、母さんが力を取り戻すことができるのよね?」
俺様がこいつらに合流してから、初めてアマンダ姉の満面の笑みってやつを見た気がする。
奥の部屋は目的のもの以外何もなかった。
光の鎧――噂のこれこそが、コルネリウスさんが造り出した魔力集積装置。これを身に着け、ある操作をすると魔力が体内に流れ込むという。そのある操作をしなければ、魔力の影響で強力な防具として使えるというから、一挙両得で何ともお得な防具である。
「では、今着ているものの上からでいいですから、この鎧を着て下さい」
「あ、はい」
コルネリウスさんに声をかけられ、私は光の鎧に歩み寄る。
ちなみに、こっちの部屋には私とコルネリウスさんしか来ていない。理由は、ただ部屋が狭いっていうだけのことなんだけどね。
あ、そうそう。魔力が私の中に入ると、ルビス様は私の体を借りる形になるらしい。そうすると、向こうが借りっ放しになったら、私自身はどうなるんだって気になるけど…… ただ、コルネリウスさんが言うには、ルビス様が私の体を乗っ取るということはないだろうし大丈夫だろう、とのこと。まあ、さすがに私もそう思うけど、ちょっと不安よね。
ていうか、魔力が戻ったら早々に私の中から出て行ってくれないかしら。あ、でもそうすると、ライディン使えなくなるのかな? それはちょっと残念かも……
そうそう。そういえばさっき、アマンダがよく分からないことコルネリウスさんに訊いてたのよ。
えっと、なんだっけ? 確か、魔族や他種の人は精霊によって隔離されたはずだけど、なんでコルネリウスさんはここにいるのか、だったかな? まあ、言葉通りの質問だけど、アマンダはなんでそんなこと知ってるのって感じだよね。
で、コルネリウスさんの答えは――
彼の親は両方とも、現在人間と言われるくくりに入る人達だった。実際、彼自身ベラヌールという人間の国の出身であったそうだ。つまり、代々魔力がほとんど感じられないような血筋だったのだろう。それが急に、彼だけが強い魔力を有して生まれた。遥か昔に混じった竜族の血が、長い時を経て表出してきたのかもしれない。だから、精霊が遥か昔に魔族や竜族などを集めた際にも、彼の先祖は感知されずに残ったのだろう。
と、こんな感じの内容だった。
概要しかコルネリウスさんは言わなかったけど、もしかしたら辛い過去があったんじゃないかと邪推させる生い立ちだ。
「ケイティ様?」
と、何となく怖いから、先のように色々考え事をして光の鎧装着を後回しにしていると、コルネリウスさんが訝しげに声をかけた。覚悟を決めるしかないか…… いやまあ、別に危なくはないだろうけどさ。
さて……
かちゃかちゃかちゃ。
よし、装着完了。
う〜ん、見た目より軽いなあ。その上、集まった魔力で色々な攻撃から守られるっていうし、寧ろこのまま防具として貰っちゃいたい。
ま、そんなわけにもいかないけど。
「では、始めますぞ」
そう言って、コルネリウスさんは鎧の胸の辺りにある宝玉に手をかざして、何やら呪文を唱えだした。そうしてしばらくすると――
ぴかあぁぁあ。
まばゆい光が部屋を満たし、そして……
ガイアには感謝しなくてはいけないわね。これで――
あの子を助けてあげられる……
ケイティ達が部屋から出てくる前に、母さんの魔力が一気に大きくなるのを感じた。つまり、扉をくぐって出てきた彼女は――
『アマンダ、久しぶりね』
「母さん!」
見た目はケイティのままだが、魔力の感じからして母さん――精霊神ルビスに間違いない。
あたしは彼女に駆け寄り――
「久しぶりにも程があるわよ。まったく」
『ふふ、御免ね』
気恥ずかしさから抱きつくのは途中で止め、減らず口を叩くと母さんは優しく反応した。
本来の精霊のものには遠く及ばないけれど、それでも魔力が大分増したみたいだし、これなら今迄みたいに時間と共に消滅していく、みたいなことにはならないのかしら?
そんなことが気になったが、他の皆がいるとそういうのを訊くのも妙に恥ずかしい。何だか親離れできていないような印象を与えそうだし。
あー、もう! 何かイライラするわね!
『今のうちに言っておいた方がいいのかしら……』
と、そこで母さんが言ったことは何のことやらで――
「何がよ?」
思わず訊いてみた。
『大好きよ、アマンダ』
「はあ?」
ちょっ! そういう童話の中の家族愛劇場みたいなことを、知り合いがいまくるこの場でするのは勘弁してよ!
そんなことを、暑くなった顔に手で風を送りながら思っていると、母さんは更に――
『それと、さようなら…… 御免なさい……』
そんなことを言った。
これは本当に意味が分からない。
「何言って――」
「アマンダ様!?」
『大丈夫です。この子は眠っているだけ。大人しく私を行かせてくれないだろうから……』
突然床に倒れられたアマンダ様の様子に、アリシア様がお声をかけられると、ルビス様はそのようなことを仰られた。どういうことなのかいまいち分からないけれど、あまり嬉しい状況ではないのだろう。
「ルビス様!? これは……」
『コルネリウスさん。長い間、私のために有難う御座いました。ですが、集めていただいたこの魔力、近いうちに全て使うことになってしまうと思います』
「それはかまいませぬが、いえそれより――」
コルネリウスという者が戸惑ったように言うと、ルビス様は曖昧に笑って魔力を操作しだした。これはおそらく空間転移の――
「ニフラム!」
その時、外部から紛れた魔力を個体から除去するための魔法を、エミリアという私と同じ血が通っている少女が唱えた。ルビス様の魔力をケイティという者から除こうという心積もりだろう。しかし、ルビス様はその効果を打ち消される。
『エミリアちゃんだったわね? どうして私と敵対するのかしら?』
「ケイティを返しなさい!」
と、そんなことを言ったエミリア。おそらくはジェイという者のためだろう。会って間もなくとも、そのように感じた。
『あら、大丈夫よ。時期が来れば、体はきちんとこの子に返すわ。安心して?』
ルビス様は柔らかな笑顔でそのように仰られたが、完全に乗っ取っている形にある今の状況でそう主張しても、とても信じられるものではないだろう。エミリアはなおも抵抗を続けた。
「マホトーン!」
ルビス様の魔力が外部へ作用しなくなってから、改めてニフラムで魔力を除去しようといったところか。しかし、私達エルフとそう変わらない程度の魔力では、マホトーンを使ったところでルビス様にお効きになるはずもないだろう。勿論、精霊としての魔力より大分劣る程度しか回復なされていないようだが、それでもコルネリウスは頑張ったらしく、私達がとても敵わないほどには回復なされている。アマンダ様が即行で眠らされていなければ、まだ対抗できるだけの可能性もあっただろうが……
『あらあら。あまり構ってあげられないのだけれど…… そうね、ここは――』
予想通りマホトーンを防がれ、ルビス様はそう仰られた。そして、辺りを見回されて、ある一点に目を止めて走り出す。その先には――窓。
『三十六計逃げるが勝ち、ね』
がしゃあん!
激しい音を立てて、イオ系の魔法で窓を割られたルビス様。そして、走っている勢いのままで窓から飛び出し、中空に身を投げて――
『ルーラ』
飛翔魔法で飛び立つ。
「ケイティ!!」
その時、呆気に取られていた者たちの中から、唯一アランという者が駆け出す。そしてそのまま、ルビス様同様に窓から飛び出し――
「あ、アランさん!」
その後を追ってアリシア様が窓辺に寄られる。そしてやはり窓から飛び出す。
というか、前に飛び出したアランは、ルーラを唱えた様子もないし、もしかしたら真っ逆さまに落ちている最中なのだろうか? それでアリシア様が助けに追いかけられた、と…… まったく、アリシア様のお手を煩わせるなんて、迷惑な男だ。
「さて!」
そこで場違いな明るい声を上げられたのは、我が主様。
「これでここでの用事は終わりか? さ、ジェイ兄! 約束どおり戦ろうぜ!」
……まったく、これもお生まれになられたばかりだからか、我が主は空気というものが読めていないらしい。さすがにここは注意して――
どがあぁあ!
と、そこで派手な破壊音がこだました。何が起きたのかと言うと――
「ど、ドルーガ様っ!」
目で追えない程の速さでドルーガ様に詰め寄ったジェイが、右の拳をドルーガ様のお腹に叩き込むと、ドルーガ様は十メートルは離れている壁に派手にぶつかった。
な、何? この常人離れした動きと力。
そんなことを考えている間に、ジェイは倒れているドルーガ様の元へ跳ぶ。そしてそのまま蹴りを――
がっっっっ!!!!
ジェイの蹴りはドルーガ様ではなく、床を打つ。ドルーガ様は寸でのところで転がり、難を逃れられたのだ。ちなみに、そこの床は派手に砕け散り、下の階が見えるようになった。
そこでドルーガ様は魔力を集める。何か魔法を使おうとしたらしいが……
がっ!
「ぐわっ!」
鞘に収めたままの大剣をジェイが振るうと、素手の攻撃にだけ注意しておられたのか、ドルーガ様は防御はなされたもののもろに食らう。それによって、再び吹き飛ばされ床に転がり、そんな彼をジェイは踏みつけ抑える。そして鞘から大剣を抜き――ってやばい!
「ジェイ! 駄目! それ以上は――」
そこでエミリアの声がかかると、間一髪、ジェイは振るった大剣をドルーガ様に至るぎりぎりで止めた。
そして、歪めていた表情に笑みの形を造り、ドルーガ様を見た。
「約束どおり、戦ってやったわけだが…… その程度じゃ話にならないぞ。出直して来〜い!」
発せられた言葉はおどけた感じだったが、どこか固かった。
……ドルーガ様が無神経だったのは確かだから、先の暴力沙汰についてどうこういうつもりもない。というか、ドルーガ様自身ああいう展開は本望であっただろうから、どうこういう必要もないが、それよりも、ジェイのあの強さは…… 命を縮める戦い方、というやつか。
ジェイがあんな風な戦い方をするのを久しぶりに見た。といっても、これで二回目なんだけれど……
そういえば、前の時もケイティ絡みだったかな? ケイティが昔いじめられていた時、いじめが行き過ぎて、ケイティが死にそうになったあの時だった。
あの時はよくわからなかったけれど、今回見てみて分かった。あれはメガンテと同じだ。自分の生命力を魔力に代える。そして、それを肉体強化に使い極限までの強さを手に入れる。とすれば、多用すれば生命の危機に陥ることになるだろう、というのは労せずともできる予測。なるべくやらせないようにしないと……
まあ、何にしても、これからは彼と共にケイティの――ルビスの奴の後を追うことに……
だけど何処に行けば――
「くっ! まさか、母さんまであの子に協力するとはね…… もしかしたら、ガイアも五百年も前から……」
そこで、アマンダが目を覚ましてそんなことを言った。
お早いお目覚めで…… というか、寝ていたくせに事情は察しているらしい。まあ、自身が眠っていたという事実と、ケイティがここにいない現状があれば、予想くらい直ぐにたてられるか。
それにしても、彼女の口ぶりから察するに、ルビスが向かったのは――
「ゾーマは――シドーはどこにいる? アマンダ」
訊いたのはジェイ。さすがに察しが早い。
「ラダトームの南、海を越えた先に城が見えたわね? 魔力の感じから言って、あそこいいるのは間違いないわ」
「エミリア!」
アマンダの言葉を聞いて、ジェイは直ぐに私の名を呼ぶ。
よし!
「ちょい待ちなさい! 人の話は最後まで聞く!」
「なんだよ、うるせぇなぁ」
返したジェイは、随分イライラしているようだった。気をつけないと、命を縮める先ほどの状態になりかねない。
「城があるあそこの島には結界が張られているわ。ちょいと解くのに苦労しそうなやつがね。キースの道具作りが終わってから解こうと思ってたから未だ放置してるし、今から解くとしても二、三日はかかるわ」
そう言ってから、光の鎧も手元に残らなかった以上、キースの道具作りにもまだまだ時間がかかるし、と続けるアマンダ。しかし、この際キースの野郎がのろのろ道具を作っているのを待ってはいられない。島の結界とやらが私にも壊せれば問題ないけど――
「結界なら、うってつけの道具がありますぞ」
そこで、ルビスなんぞを復活させる原因となったクソ爺が声を上げた。思わず睨むと、爺が辛そうな様子で俯いた。
そんな殊勝な態度を取ればいいってもんじゃないわよ!
しかし、そんなことを考えて睨みを効かせた私を手で制したのは、ジェイだった。そして、爺の先を促す。
「その道具とは?」
「……これです」
爺が懐から出したのは、不思議な光を発する宝石をつけたネックレスだった。その宝石は、角度によって発する光が変わるようであった。
「名は虹の雫。結界に用いられる魔力を完全に無効化する効果を持ちます。これならば、その島の結界とやらも……」
「いらんもんだしてくれるわね。その子達を足止めするチャンスだったのに」
爺の説明を聞いたアマンダは、そんなことを言った。
まあ、分かっていたけど、アマンダは私達を大人しく行かせるつもりではなかったらしい。キースの道具とやらができるまで待て、といったところか…… だけど――
「悪いが、俺らはこのまま突っ込む」
ジェイが言った。その通り。
「儂からも頼む。止めないでやってくれるか?」
と、これは爺。意外なところから援護がきた。
「それは罪――とはいえないけど、まあ、いわゆる罪滅ぼしというやつなのかしら?」
「そうじゃな。儂に全く因がないとは言えん。ならば、儂にできるのは虹の雫を与えること。そして、貴女が彼らを止めようとするなら、例え力ずくでもそれを阻止すること。それくらいじゃろう?」
と、爺は意外にも可愛いことを言った。
ふぅ。
それに対し、アマンダは軽く嘆息して――
「エミリア。本当に危なく――なることはないとは思うけど…… もしそうなったら、ジェイを気絶させてでも連れてきなさい。できる?」
こくっ。
そこは素直に頷く。言われなくとも、そのつもりだ。
「何で俺に言わないんだよ」
そこはまあ、今のジェイは少し――
「あんたは頭に血が上りすぎ。ケイティがいなくなったからって――って、もう一人騒ぎそうなアランは?」
「ああ、アランさんならさっき窓から落ちて、って! 俺は別に、あのクソ女がどうとかそういうことじゃなくてだな!」
と、ジェイは相変わらず素直じゃない返答。まあ実際、ケイティのためというより、ケイティがいなくなると悲しむ、ジェイ達のお母さんやお爺さんのためという節があるのも事実だろう。でもやっぱり、ジェイ自身がケイティを気にかけているのも事実のはずだ。少しだけ、妬ける。
……そういえば、兄さん大丈夫かしら? たぶん、アリシアがキャッチしてくれたんだろうけど。
「もう。無茶ですよ、アランさん」
そんなことを考えていると、アリシアが兄さんを抱えて窓から入ってきた。アリシアは軽く注意をしているが――
「ケイティーーーっっ!! ケイティーーーっっ!!」
外に向けて叫びまくる我が兄。何というか…… まあ、仕方ないけど。
「ま、あっちのうるさいのはほっといて、そっちはさっきのでいいわね?」
と、アマンダは兄さんを適当に無視し、こちらに――ジェイと私に向けてそのように言った。
私達は無言で頷く。
「で、こっちは――ドルーガ!」
「んあ?」
アマンダが声をかけると、ドルーガは少々間の抜けた声を上げた。ジェイにやられたダメージがさすがに残っているらしい。まあ、あのダメージの大半を短時間で癒しているあたりは、さすが竜族の真祖といった感じか。
「キース、あれ貸して。ドルーガ、これの材質と同じものを探査できる?」
アマンダは、キースから球状の物体を譲り受け、それを指差してドルーガに訊いた。それをしばらく見詰めたドルーガは、ぼけっと窓の外を眺め、
「ああ、あるな。こっから南西の方向に、同じような感じの何かがあるぞ」
と言った。
竜族が魔力の探査に秀でているとは聞いていたが、それにしても凄いと思う。これなら、キースが道具を作るための材料自体は直ぐに揃いそうだ。
ジェイはシドーをどうこうするつもりは全くないだろう。ケイティを取り戻すのに邪魔なら除けようというくらいのはずだ。ならば、キースの道具が必ずしも必要なわけではない。しかしそれでも、彼の道具が早めに出来れば、もし対立することになった際に心強いはずだ。
「それなら、道具はどのくらいでできる? キース」
「三日…… いえ、二日で」
「ちょっと長いわね…… アリシアとドルーガ、ついでにあたしとモルが手伝ったら?」
「それでも一日半くらいは……」
キースの返答は、普段の彼と同じようにいまいち頼りにならない。ま、期待はしてなかったけど。
そもそも、私達が向かうまでにできるはずもないしね。その場合、十秒くらいでできればいいのかしら? それは無理でしょ。
「そう…… まあ、仕方ないわね。ま、その間にウサネコちゃんを呼びに行ったりしますか。一応、呼ぶ約束だし」
と、キースの言葉に瞳を細め、アマンダは言った。後半は少しおどけた調子だ。
いや、そんなことよりだ。
「じゃ。私達は――」
「あ〜、わたしもそっち行く〜!」
出発しようとしたら、メルがそんなことを言った。
こいつか…… はっきり言ってむかつくんだけど、戦力としては申し分ない。
「だったら俺も!」
「私も行きます!」
「俺もだ!」
そして、続けて兄さん、アリシア、レイルが言った。レイルはウザいからまじで来なくていいな。
「待った。アリシアとレイルはこっちよ」
「何故です!?」
「そうだ、そうだ!」
アマンダの言葉に、二人は目つきを鋭くして言った。
たぶん、魔力操作に長けた奴はあっちに残したいんだろう。
「道具造るときに、魔力を操作するのに慣れている奴はなるべくいて欲しいわ。エミリアはジェイと一緒に行くのが確定しているから無理として、あんたらはこっち!」
「……はい」
「……アマンダさんや、アリシアさんと一緒なんて光栄です!」
詳しい説明を聞いたアリシアは渋々といった感じで、レイルは無理におどけて了承した。
さて、そうなると――
「なら、アランさんとメルは俺達と来るわけか……」
ジェイの言うとおりとなる。
兄さんの剣は、シドーに会った時の対処策となるかもしれないけど…… シドーの魔力をゾーマから切り離しただけじゃ仕方ないのよね。封じ込めることができないと……
ってまあ、そんな風に悩んでいても始まらないか。
とにかく――
「よし! 頑張ろ〜!」
能天気なメルの声にのるのも嫌だけど、彼女の言うとおり頑張るしかない。
ケイティの――ひいてはジェイのために……