東方紅魔郷 STAGE 05 : 紅い月に瀟洒な従者を

 図書館では、赤い髪の女性が縦横無尽に飛び回っていた。一つの書棚を確認したら次の書棚へ。そこを確認したらまた次の書棚へ。というように、図書館中の書棚を調べて回っている。そして、しばらく経つと――
「パチュリー様。どの書棚にも異常はありません」
 紫の髪を長く伸ばした少女――パチュリーの元へ飛び行き、そのように報告した。
 パチュリーはその報告に満足そうに笑み、口を開く。
「そう。防御結界を張っていたから大丈夫だとは思っていたけれど、よかったわ。ご苦労様、小悪魔」
「いいえ。……あの、パチュリー様」
 小悪魔と呼ばれた女性は応え、少しばかり考え込み、それから、パチュリーに声をかけた。彼女の頭に在るのは、先ほどここを飛び出していった少女二名のことだ。
「何かしら?」
「先ほどの二名ですが、あのまま行かせてよろしかったのですか? あの二名、レミリアお嬢様と敵対することは確実です。追い返すべきだったのでは……」
「ふふふ」
 パチュリーが笑む。
 小悪魔は、戸惑った表情で仕える魔女を見やる。
 魔女は彼女を真っ直ぐと見据え、答える。
「それは仕事の領分が違うわ、小悪魔」
「仕事の領分……ですか?」
「ええ。私はレミィの友人であり、盾ではない。脅威を遠ざけ護るのは、盾であり、レミィのお気に入りである彼女の領分」
 その言葉を聴くと小悪魔は、ああ、と呟き、頷いた。
「咲夜さんですか」
「そう。彼女がいるのだから私が何かするのはお門違い。掃除は咲夜の領分よ。と言ってもまあ、私だって、忌み嫌われる魔女の私にこの場と比類なき友情を与えてくれるレミィには感謝しているわけだし、彼女の盾となることもやぶさかではないけれど――」
「それではなぜ?」
 再び小悪魔が訊くと、パチュリーは苦笑を浮かべた。
「レミィなら、あの子達と対することを楽しみそうだと思ってね」
 小悪魔もまた、困ったような表情で、笑った。
「まあ確かに、お嬢様は遊び心を多分にお持ちな方ですし……」
「そういうことよ。だから、できればあの子達には、咲夜に逢わずにそのままレミィの元まで辿り着いてもらいたいものね」
「咲夜さん、お嬢様の邪魔をする輩に容赦しませんからね。下手すれば、咲夜さんの方がお嬢様よりも恐ろしい時もありますし」
 苦笑と共に紡がれた言葉に、パチュリーは悪戯っぽく笑い、
「あら。事実とはいえ、問題発言ね」
 言った。

 屋敷の窓からは月明かりが差し込む。とはいえ、紅い霧が晴れたわけではないようだ。相変わらず、外は深い霧に支配されている。にもかかわらず、煌々とした明るさが屋敷の廊下を行く魔理沙の顔を染めるのは、月の光による夜の支配が強くなった証左であろう。
 しかし、その光は魔理沙の心に安らぎを与えてはくれない。天から降り注ぐ光は――
「でかくて紅い月……か。気味が悪いぜ」
 魔理沙が口にしたとおり、紅い霧を押しのけ降り注ぐ光はやはり紅い。空を仰ぐと、そこには丸く大きな月が真っ赤に輝いていた。
 圧倒的な存在感を誇るそれは、見る者全てに畏怖の念を抱かせる。
「ま、それはともかく――」
 神妙に外を見ていた顔を屋敷内部に戻し、魔理沙は右手を勢いよく突き出す。そして、握りこぶし大の光弾を打ち出した。
 ばんっ!
 光弾が炸裂し、魔理沙に向ってきていた数名が倒れ伏す。
「どんだけメイドがいるんだよ、ここ。さっさとボスにお目にかかりたいぜ」
 霊夢と別れたあと、魔理沙は既に数十名の妖怪と遭遇していた。それらの全てはメイド服を着用しており、使用人であることが窺える。
「と、また来やがった。まったく……」
 ばんっ!
 再び光弾を打ち出して新手を吹き飛ばし、
「やれやれだぜ」
 呟いた。
「私達では手に負えない…… 誰か、メイド長を呼んできて!」
「は、はい!」
 不利と見たメイド達がそのようなやり取りをした。
 魔理沙は訝しげに眉を顰める。
「メイド長? 一般的に、メイド長が戦闘能力に長けているって事実はないと思うが…… 変わってるな、ここ」
 確かに、ここが一般的な屋敷であれば、こういう場合に呼び出されるのは戦闘のプロ――例えば護衛隊などであろう。
「てか、メイド長とやらよりも、ここの主――レミィお嬢様とやらを呼んできて貰いたいもんだぜ」
 続々と到着するメイド達を軽くあしらいながら、魔理沙は独白する。
 ひゅっ!
 と、そこに突然ナイフが飛び来る。
 魔理沙は咄嗟に跳び退き、床に数本のナイフが勢いよく突き刺さった。
「……お嬢様はお忙しい。貴女の相手をしている時間などないわ」
 少女が廊下の向こうから現れ、言った。彼女はごく普通のメイド姿をしている。しかし、魔理沙を見据える鋭い目つきは、彼女がただのメイドでないことを窺わせる。肩の辺りで切り揃えられた灰色の髪がよく似合う幼い顔立ち。年の頃なら十五、六だろう。
 その少女は、どこからかナイフを取り出し、素早く構えた。
「な、ちょっ! いきなりか!」
 ナイフが数本、時には十数本同時に襲い来る。
 魔理沙はそれらを時には避け、時には魔法を打ち出して弾く。そして、少女に対する攻撃をも試みていた。しかし、少女は素早く動き回っており、魔理沙の攻撃があたることはない。
 そのような攻防が続き、しばらくすると、
「なるほど、確かにやるわね。これじゃ埒が明かないし――」
 少女が立ち止まり、呟いた。そして――
「奇術、ミスディレクション!」
 ばっっ!!
「うお! ナイフ多っ!」
 魔理沙を膨大な数のナイフが狙う。しかも、ナイフの合間を縫ってクナイまでが打ち出されている。
 魔女は急ぎ魔法の準備を始め――
「くっそ……! 魔符、スターダストレヴァリエ!!」
 星と刃が、ぶつかった。

「つぅ……っ」
 魔理沙がしゃがみ込む。クナイの一本が右太腿に刺さってしまったようである。
 一方――
「けほっ、けほっ! 埃が…… もう、お嬢様に怒られるじゃない」
「……ちっ! あたらなかったか」
 少女は特に負傷していないようであった。服を軽く払い、それから、余裕の表情で魔理沙に瞳を向ける。
「その足ではもう戦えないでしょう。さて……この紅魔館に侵入した目的を吐いて貰おうかしら?」
「……外が寒かったんでお茶でも貰えないかと思ってね」
 ふざけた調子で応える魔理沙。
 怒り出すかと思われた少女だったが、存外にもおかしそうに笑う。
「くすくす。まあ、お嬢様にご迷惑をおかけしないのであれば、紅茶を出すくらい何でも――」
 どおおぉぉおぉおぉおんっ!!
 と、そこで突然、爆音が響いた。
「何!?」
 少女が再び目つきを鋭くし、音が聞こえた方向に瞳を向ける。
 そして、更に鋭い瞳で魔理沙を睨む。
「今のは……お嬢様のお部屋の方向―― 貴様! 仲間がいたのか!?」
「ん? いや知らないぜ? それより紅茶は出してくれないのか?」
 とぼける魔理沙。この少女を霊夢の元へ行かせないためだろう。しかし――
「……まあいい。どちらにしろ貴女はもう動けないのだしね。皆、行くわよ!」
 少女は魔理沙の存在を無視して駆け出そうとする。
 数多いたメイドもまた、動き出す。
 それゆえ、魔理沙は太腿に刺さっていたクナイを徐に抜き――
「っ! たく、痛いってのに無茶しなきゃなんねぇとは……な!」
 ひゅっ!
 立ち上がって、少女へ向けて光弾を打ち出した。
 その光弾は、真っ直ぐに少女を襲う……が――
 ばんっ!
 少女の放ったクナイがぶつかり、光弾は弾けた。そして、少女は再びナイフを構え――
「……邪魔をするのなら――容赦しない!」
「望むところだぜ!」

 頬から、腕から、足から血を流し、魔理沙が倒れている。各部位には クナイやナイフが突き刺さっている。
「……な、何が起きたん……だ……っ」
 痛みに耐えながら呟く。
 先ほど、彼女は少女から攻撃を受けた。それは当初、普通にナイフが投げられただけに見えた。
 しかし、それらのナイフは彼女の直前で軌道を変え、更に言えば、存在しなかったはずのナイフが新たに彼女に迫ってきていた。
 そして魔理沙は、予期せぬ動きのナイフを避けきれず、今こうして倒れている。
「……今度こそ終わりね。さあ、皆。行く――」
「ま……待てよ……! 残念ながらわたしはしぶとくてな。まだまだいけるぜ?」
 よろよろと立ち上がる魔理沙。
 ぎりっ!
 少女が目つきを鋭くし、歯を強く噛みしめた。
 そして――
「邪魔よ…… 幻在、クロックコープス!」
 再びナイフが放られる。少女はそこで瞳を見開き、刹那――彼女の瞳が紅く、怪しく染まる。
 その直後、ナイフはやはり魔理沙の目の前で急に進行方向を変え、
「ぐっ!」
 彼女の肩に数本が突き刺さった。
「大人しく寝ていなさい」
「な……なんとなく判ったぜ…… あんた、時間操作が……できるな……」
 ぴた。
 言葉を発した魔理沙に、再び問答無用でナイフを向けようとした少女だったが、動きを止める。
 その様子を目にした魔理沙は一度大きく息を吐き、それから少女を正面から見据える。
「図星……らしいな…… 時間を少しだけ止め……その間に軌道を変えたり……新しいナイフを投げたり……その動きは動きで常識外れだが、あんたの攻撃で一番大きなからくりは――時間操作だ」
「……二回受けただけでそれが判ったのは感心するけれど、判ったところで避けられはしないわ」
 かちゃっ。
 再度、少女がナイフを構える。魔理沙を見据えるその目つきは、相も変わらず鋭い。次こそ魔女を仕留める心積もりだろう。
 しかし――
「……そ……それは……やってみないと判らないぜ……!」
 そのような状況にもかかわらず、魔理沙は口の端を持ち上げ、笑った。
 その様子を目にした少女は、二度三度と瞳を瞬かせ、それから、少し――ほんの少しだけ、口もとを緩めた。その口からは……
「私の名は十六夜咲夜。お嬢様より頂いた誇り高き名よ」
「霧雨……魔理沙……だぜ」
 それから、一瞬の間があった。そして、徐々に緊張が高まり――
「幻象、ルナクロック!!」
 次の瞬間、ナイフの雨が降った。

「なぜ……避けないの……? 今のを避けるだけの体力は残っているはず」
 体のあちこちにナイフを突き刺している魔理沙を見据え、咲夜が呆然と呟く。
 しかし、その問いに応えは返らない。代わりに――
「……恋……符……、マスタースパアぁあクっ!!」
 閃光が壁をぶち抜き、紅い夜空を貫いた。

 廊下には粉塵が立ち込めていた。あちこちから咳き込む声が聞こえ、その光景は野戦病院さながらである。しかし――
「怪我をした者はいないわね?」
「はい。皆、無事です」
 咲夜の問いに、メイドの一人が応えた。
 彼女の言うとおり、魔理沙の魔法は一切の人的被害を出さなかった。屋敷の壁をぶち破る程の威力と数名を丸ごと飲み込める規模であったもかかわらず……というのも――
「……あの者はなぜ、先ほどの魔法をメイド長に向けず、見当違いの方向へ向けて放ったのでしょうか?」
「……おそらく、血を流しすぎたのではないかしら。目がまともに機能していなかったのでしょう」
 咲夜はメイドに簡単に応え、それから、数多のナイフを受けて倒れている白黒模様の少女を見やる。しかし、直ぐにその視線を逸らし、
「そんなことよりも、お嬢様の元へ急ぐわよ!」
 メイド達を促して駆け出した。が、立ち止まり、メイドの一人に瞳を向ける。
「貴女」
「はい、何でしょう?」
 メイドの返事を受け、咲夜は瞳を遷移させる。
 その先には――
「あの白黒――魔理沙を頼むわ」
 メイドもまた瞳を遷移させ、魔理沙を見た。
「……それは、始末しておけ、ということでしょうか? それとも――」
「それとも、の方よ」
 咲夜はそれだけ口にし、目つきを鋭くして今度こそ廊下を駆け始めた。
 護るべき存在――永遠に幼い紅き月の元を目指した。

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