一章:人と悪魔と精霊と
〜リストール猟奇悪魔事件〜

「ふぅ…… まあ実際、君が女の子たちに手を出さないことは承知しているよ。あれだろ。『本物のロリコンは女児に危害を加えないのです!』だろ? ご高説は耳にタコなんで今さら口にしていただかんで結構。けどね、俺らとしちゃあ、黙って放置しとくわけにはいかんの。わかる?」
 警邏隊本部で、警邏隊長ブルタス=ゴムズがしみじみと言った。肩を竦めて茶などすすっている。犯罪者に対する態度というよりは、昔なじみの知り合いを相手にしているかの如くである。
「いやぁ。ゴムズさんも大変ですねぇ」
「君が言うなってぇ話だぜ、そりゃ。とにかく、もうちょっと目立たんように性癖を満足させてくれんかね。通報さえなければ無視していられるんだからさ。そうすりゃ、君だって心置きなく休日を満喫できるってぇもんだろ?」
 問題発言だ。町民が耳にしたなら警邏隊の品位を疑うこと、請け合いである。
 しかし、この場には少数の警邏隊員とルーヴァンスしか居ない。ブルタスの発言は特に問題とされなかった。
 変態が、首をゆっくりと振りながら、真面目くさった表情を浮かべて言葉を紡ぐ。
「そうは仰いますが、ゴムズさん。女児を目にして興奮せぬは人に非ず、と言いまして、目立たぬように、というのは無茶なご相談でしょう?」
 そんなことはない。絶対にない。全く共感を生まない迷言を耳にして、誰もが肩を竦める。
「ふぅ。筋金入りだね、君も。まあ、今さらだが……」
 深い深いため息をついて、ブルタスが頬杖をついた。彼の瞳にはいっそ憐憫が込められていた。
(他人事ながら、嫁さんの当てがなさそうだな、グレイくんは…… まあ、いざとなればお嬢さんに養ってもらえるか……)
 そのようなことを警邏隊長殿が考えた時――
 ばたんッ!
 警邏隊本部の取調室の扉が勢いよく開け放たれた。
「ヴァン先生!」
 少女が姿を見せた。ゆるく結わえられた煌びやかな金の髪が他者の目を惹く、紅眼の美少女である。身を包むシャツの袖からは、細くしなやかな白い腕が伸びている。ブラウンのカーディガンを上に羽織り、グリーンのスカートが動きに合わせてひらりと舞っている。そして、胸元の真っ赤なリボンが、アクセントとして鮮やかに映えている。顔立ちや服装などから判断するに、年の頃は十四、五歳といったところだろう。名を、セレネ=アントニウスという。
「やあ、セレネくん。今日も元気ですね」
「こ、こんにちは、ヴァン先生。ご健在のようで何よりですっ」
 セレネが頬を染めて、はきはきと元気よく応えた。
 彼女は、リストールの町に居を構える貴族、アントニウス卿のご息女であり、リストールで最も権力のある家の長子である。そして、国営学問塾の講師たるルーヴァンス=グレイ先生の生徒でもある。
 先生を見つめ、生徒の頬がよりいっそう鮮やかに染まる。
(ヴァン先生。今日もかっこいい…… きゃっ!)
 ご令嬢はご趣味がお悪いようである。
 その趣味の悪い少女は、キッと目つきを鋭くする。
「ゴムズさん! 何故、ヴァン先生をこのような場所に拘置しているのですか! 不当逮捕などと嘆かわしい! 即刻解放なさい!」
 何という無茶な指示だろうか。現状、逮捕などしていないし、仮に逮捕していたとして不当などでは決してない。しかし、悲しいかな、権力に逆らえないのがブルタス=ゴムズ氏のお仕事だった。
「……申し訳ございません、セレネお嬢さん。仰る通りにいたします」
「当然です! このことは父にも報告しておきますのでそのつもりで――」
 セレネの肩がぐいっと引っ張られる。
「ちょっと待ってって、セリィ。それはいくら何でもブルタスたいちょーが気の毒だよ。ルーせんせえが悪いに決まってるんだからさ」
 肩に乗る手の主は、セレネによく似た少年であった。
 少年の名はヘリオス=アントニウスという。セレネの双子の弟である。姉同様に金の髪に紅い瞳という目立つ見た目を有し、貴族の息子という立場も相まってしばしば注目を集める。ボタンの開け放たれたシャツや、赤と黒のチェック柄をした細身のズボンは、どこか軽薄な印象を人に与える。しかし、顔つきが柔和なためか町の人からの評判はいい。そこには、しっかり者の姉よりもうっかりしていて可愛い、という不本意な評判も含まれるという。
 しっかり者の姉が頬を膨らまして、うっかり者の弟をキッと睨む。
「ヴァン先生が悪いわけないでしょ、ヘリィ!」
「よく言い切れるよなぁ」
 ヘリオスが小さく息をついた。
「毎日、大なり小なり似たようなことになってるのに」
「毎日ではないと思いますよ、ヘリオスくん」
「いや、毎日だぞ。グレイくん」
 ルーヴァンスの虚偽報告を、ブルタスが呆れ顔で指摘した。
 事実、ルーヴァンスは一日に一度のペースで警邏隊に連行されている。いずれの場合も注意を受けるくらいではあるが、それでも頻度としては多すぎる。
 ルーヴァンスが国営塾をクビにならないのが不思議で仕方がない、と世間ではもっぱらの噂だった。
「例の事件もあるんだから、余計な手間は取らせないで欲しいよ。まったく」
 ブルタスがぼやく。
 その言葉に、ルーヴァンスやセレネ、ヘリオスが眉をひそめる。
 彼らの頭に浮かぶのは、リストール町民を悩ませている凶悪事件のことである。
「例の事件っていうと、バラバラ殺人――リストール猟奇悪魔事件のことだよね?」
 先日からリストールでは、四肢を切断された死体が四体発見されている。前後して、闇夜に浮かぶ悪魔の姿も目撃されているという。
 そのため、一連の事件をヘリオスのように『リストール猟奇悪魔事件』と称する者もいる。
「ええ。恐らくご存じかと思いますが、昨日遅くに被害者が一人増えてしまいました。そのため、夜間のみならず昼間も総動員でパトロールしております。てんてこ舞いですよ、まったく……」
 ブルタスがぼやいた。
 確かに、警邏隊本部が閑散としている。平素であれば、ルーヴァンスが取り調べを受ける際、顔見知りの隊員が数名で冷やかしにくるものだが、本日に至ってはそれもない。
「俺も隊員の皆と一緒に目を光らせていたわけですが、グレイくんがいつも通りにやらかしてくれてたもんで、こうして本部に舞い戻ったわけですな。グレイくんの奇行などいつものことなので無視したいところですが、善良な町民に『気味の悪い男がいる』と言われてしまうと放置できません」
 頭を抱える警邏隊本部長は、随分とお疲れのご様子だった。深い深いため息をついている。
「えっと…… ど、どんまい、たいちょー。ルーせんせえが迷惑かけてごめん」
 全く責任の無いはずの少年が頭を下げた。ヘリオスはそうしてから、ルーヴァンスの隣の椅子に腰をかける。
「実は、オレらがここに来たのもルーせんせえが目当てってわけじゃなくて、事件の進捗がどうなってるか聞きたかったからなんだ」
「……ボクはヴァン先生が目当てでもありますけど、まあ、ヘリィの言うとおりです」
 こほんと咳払いをしてから、セレネもまたルーヴァンスの隣――ヘリオスとは逆側に腰掛けた。
 ブルタスのみが背筋を伸ばして佇んでいる。
 彼の瞳を真っ直ぐに見つめて、セレネは真剣な面持ちで言葉を続ける。
「ブルタス=ゴムズ本部隊長。リストール猟奇悪魔事件について分かっている全てを報告してください」
 少女の表情も態度も、先ほどまで無茶苦茶を言っていた者のそれではない。
 リストールの有力貴族アントニウス卿の第一子、レディ・セレネ=アントニウスとしての御言葉である。
「この町の警邏隊で対処出来ないというのなら、その事実も包み隠さずに仰ってください。既に四人もの犠牲者が出ているのです。体面を気にするなど、愚かな判断はせぬようにお願いします」
 リストール警邏隊の対処能力は決して低くない。ロアー大陸にある町村の中でも一、二を争う実力を有している。
 それでも、ロディール国の首都アルデストリアが誇る国家直営警邏隊や、イルハード正教会に属する神聖騎士団と比べると数段も劣る。
 ブルタスはその事実にため息をついて、神妙な顔を伏せる。
「そうですね。残念ながら仰る通り、本件は我らの対処能力を超えています。昼夜を問わずに警戒態勢をとっておりますが、『悪魔』は神出鬼没ときている。どうしても後手に回ってしまう。更に申し上げますと、犯人の目星すらついていない始末です」
 正直な男である。だからこそ、セレネとヘリオスも訪ねてきているのだろう。
「昨日の事件が発覚して直ぐに、アルデストリアへ早馬を出しました。二十日もすれば国家警邏隊や神聖騎士団の助けが来るはずです」
「なるほど。既に策を講じていたのですね。けれど……」
「ええ。その間に更なる犠牲者が出る可能性は高い。より一層の警戒態勢をとるように指示を出していますが……」
「あのさ、これまでも手を抜いてたわけじゃないんだよね? じゃあ――」
 ヘリオスの言葉に、ブルタスが力なく項垂れる。
「ええ。悪魔の所業を食い止めることは難しいと言わざるを得ないですな」
 深いため息が漏れた。
 そこで、ルーヴァンスが口の端を持ち上げて、嗤う。
「悪魔の所業――ですか……」
 注目が彼に集まる。
「ヴァン先生?」
 セレネが訝る一方で、ブルタスが表情を明るくする。
「そうだ。グレイくん。そういえば、君は悪魔が専門だろう?」
 尋ねられると、ルーヴァンスは肩を竦める。
「悪魔が専門というのは語弊がありますね。僕の専門は『古代悪魔学』です。古代における悪魔と人間の関係性を学術的に解き明かすことが専門であって、悪魔そのものを専門としているわけではありません」
「あー、そういう面倒な話はいいよ。結論を言ってくれ。何か分かることはないのか?」
「ゴムズさんはせっかちですねぇ」
 くすくすと静かに笑ってから、ルーヴァンスはきっぱりと言う。
「古代悪魔学の観点で語るなら、この件は悪魔だけの責任ではありません」
 彼の断言を耳に入れて、ヘリオスが首を傾げた。腕を組んで考え込む。
 しばらくして、彼はすぅっと手を上げる。
「あのぉ、ルーせんせえ。それはどーゆーこと? よくわかんない」
「僕の授業を聞いているのなら、結論にたどり着けるはずですよ。ヘリオスくん」
 突然、ルーヴァンスが塾講師としての顔を見せた。
 あまり真面目な塾生でないヘリオスは言葉に詰まる。
 一方で、セレネがシュタッと手を上げる。
「はい! ヴァン先生!」
「どうぞ。セレネくん」
 発言権を得た生徒が、生き生きと知識を披露する。
「古代悪魔学の理論において、悪魔の力は、ボクらの世界――人界で制限されるとされています。これは、遙か昔に悪魔が人界を追放され、魔界に隔離されたからで、悪魔にとって人界が異界だからです。人界は悪魔のものではなく、人間のもの。人間こそが人界に闇を齎す」
 本来魔があるべきでない人の世において、闇の力は制限される。しかし、あるべき存在たる人間が闇を望むのなら、その制限は取り払われる。
「悪魔単独で人界へ干渉する場合、彼らの力は極端に損なわれます。でも、この事件の犯人はそうではない。神出鬼没に人を容易く引き裂く。つまり、本事件は悪魔だけの意志に寄るものではない。人間の意思が介在している可能性が非常に高い。これが、古代悪魔学に基づいて推理した場合の結論です」
 得意顔で言い切ったセレネを瞳に映して、ルーヴァンスが満足そうに頷く。パチパチと手を叩いた。
「はい。よく出来ました。さすが、セレネくんはよく勉強していますね」
「えへへ」
 頬を染めて照れる様子は、十四歳の年相応な少女のそれである。
 先生が言の葉を続ける。
「勿論、そうでない可能性がないわけではありません。例外はいつでも存在します。ただし、セレネくんの言うとおり、人間の意思が働いている可能性は非常に高い。となれば――」
「被害者たちの人間関係から探る手もあり、ということか」
「ええ」
 ブルタスの発言に対し、ルーヴァンスがこくりと頷いた。
 そうしながらも、慎重な意見をも口にする。
「もっとも、人を殺すことそれ自体が目的ということもありえます。そのような動機なき殺人の場合は、人間関係からというのは難しいでしょうが……」
 世の中、可能性だけで言えば無限なのだ。言っていても始まらない。
「いや。無闇にパトロールするよりも希望はあるさ。助かった。こんな事件だ。動機があるのか、そもそも人間が起こしているのか、と疑問の声が隊内でも強くてね。少々そっち方面の捜査がおざなりになっている。改めて指示を出すとしよう」
 素直に頭を下げてから、ブルタスが上着を羽織る。
「セレネお嬢さん。ヘリオス坊ちゃん。俺はこれから各小隊に、聞き込み強化の指示を出してきます。事件の報告はこの辺りでもうよろしいでしょうか?」
 さほど詳しいことを聞けていないとはいえ、ここで引き留めては本末転倒だろう。
「ええ。構いません。よろしくお願いします」
「はっ。それでは」
 ブルタスが慇懃に一礼する。
 そうしてから、皆を警邏隊本部の外に導く。
 外に出ると陽が傾いていて、闇が姿を見せ始めていた。
「グレイくんも帰っていいよ。すまないが、セレネお嬢さんとヘリオス坊ちゃんを送っていってもらえるかな?」
「ええ。大事な生徒ですからね。頼まれずとも」
「ヴァン先生!」
 セレネが頬を染めて、円らな瞳をキラキラと輝かせている。
 実に残念な少女である。
「ああ、それと、君の性癖もほどほどに頼むよ、ほんと。あんま仕事増やさんでくれるかい?」
「いえ。それは聞けません。頼まれても」
 ルーヴァンスがにっこりと微笑み、きっぱりと言い切った。
 実に残念な男である。