一章:人と悪魔と精霊と
〜真夜中の幼子〜

 リストール猟奇悪魔事件の第一の犠牲者が発見されたのは、町南部の海岸だった。
 荒波の打ち付ける岩場に右足が落ちているのを、朝釣りにやってきた老人が見つけた。
 通報を受けた警邏隊が付近を捜索した結果、頭部や胴体、両手、両足が相次いで発見されたという。当然ながら、夥しい量の血が岩場を紅く染めていた。
 その時点では悪魔の存在など影すらなく、バラバラ殺人事件としてだけ認識されていた。
 しかし、のちのちになって、夜空を翔ける悪魔の目撃談などが多数あがり、最終的に『リストール猟奇悪魔事件』というセンセーショナルな事件名と共に、世間の注目を浴びることになってしまった。
 その海岸は、今では別段立ち入り制限がかけられることもなく、誰でも立ち入れるようになっている。警邏隊員が定期的に見回るようにしてはいるが、特別警戒されているわけでもない。
 その日も、警邏隊員の一人があくびをかみ殺しながら一応の見回りにやってきた。
「ふわあぁ。異常なーしっと」
 ざぱん。ざわ。ざわ。ざぱん。
 すたすた。
 潮騒を耳にしながら、警邏隊員はおざなりな見回りを続ける。
 魚と格闘する釣り人も、愛を語らう恋人たちも、誰もいない。どこか寂しげであった。
(……さすがにちょっと不気味だなぁ。幽霊が出るって噂もあるし)
 びくっ!
 弱気が顔を出したその時、彼の視界に小さな影が入り込んできた。
(……? 子供?)
 波打ち際にしゃがみ込んでいる女児がいた。
 年の頃ならば十歳前後。艶やかな黒髪がすらりと伸びており、岩場につきそうだった。
 白の花飾りをつけたぬばたまの髪をさらっと揺らして、彼女は立ち上がる。
 フリルの目立つ細身の白いドレスに包まれた身体は細く、しなやかにすらりと伸びている。首から胸元やお腹へと続くラインも、背から腰やお尻へと続くラインも、いずれも凹凸の少ない子供らしいものであり、煽情的では決してない。幼さが際立っている、年相応に可愛らしい女児である。
「……厄介なことしやがるですね、まったく」
 白い女児が呟いた。
 夜中の真っ黒い海岸と白い服の女児というのはとてもアンマッチだったが、幽霊のようには、ましてや悪魔のようにも見えない。邪悪な存在とは思えなかった。ゆえに、警邏隊員は心配顔で近づく。
 事件のことがなかったとしても、夜中に児童が一人でいるのはよろしくない。
「もしもし、お嬢ちゃん。こんばんは」
 声をかけられると、女児は訝しげに振り返った。空色の瞳が夜の闇に光っている。
「何か用でいやがりますか? ……ロリコン野郎ですか?」
 警戒するというよりは、いっそ迷惑そうに言い放った。
「いやいや、違うからね。私は警邏隊員だよ。お嬢ちゃんは一人かい? お父さんか、お母さんは一緒じゃないのかな?」
 常識的な思考をもって、警邏隊員は女児を迷子と決めつけた。
 迷い子のレッテルを張られた者は、とてつもなく嫌そうに顔をしかめて舌打ちをする。
「はぁ…… これだからクソ虫は嫌なのです」
 肩を竦めてから彼女は――
「操心波(そうしんは)」
 呟いた。
 キラリと空色の瞳が瞬いた。
 ヴン。
 伴って、空間が振動する。
 警邏隊員の瞳からは光がすぅと消え去った。
 女児が鬱陶しそうに手を振る。
「とっととどっかに消えやがれです、クソ虫。うざってえのですよ」
「……失礼……いたしました……」
 乱暴な言葉に怒り出すこともなく、警邏隊員が素直に去って行く。
 残された女児は小さく息をつき、夜天を仰いだ。
「どーしてワタシがクソ虫どものために苦労しなきゃいけねーですか…… 覚えていやがれですよ、まったく」
 ふぅ。
 ざぱん。ざわ。ざわ。ざぱん。
 可愛らしいため息が漏れ出でて、潮騒に紛れて消え去った。